波妃町、7月のとある夜。
小黒鈴と本城輝星は、波妃ビル横の路地裏に身を潜めていた。
「脱出経路、脱出経路……。この扉で、駄目だったら地下駐車場……じゃない、裏手の搬入口……。だよね、合ってる、合ってる……」
「……」
「大丈夫、大丈夫。やらかさなければ役に立てる……。はぁ、そもそもついてきてよかったのかな私。よくないよなぁ一般人だもんなぁ。一織さんはともかく廻さんは渋々受け入れてるって感じだし……。あー私嫌われてそー……邪魔とか思われてそー……。せめて足引っ張らないようにしないと……ッスゥーーーー、はあぁ~~~……」
一織と廻が教団司祭こと藤堂武蔵の拠点に突入していた頃のことだ。この日の鈴と輝星の役目はビルの外で待機しバックアップに専念すること。そしてこの後彼らは撤退を余儀なくされ、同時に滅亡迅雷フォースライザーを入手。さらにこのときの廻の動揺がきっかけで“ギスギス水族館”が始まるのだが、当然ながらそのような展開は誰も予想だにしていなかった。
――ただひとり、この男を除いて。
「……小黒様」
「あーあとで親に連絡しとかなきゃ……。あーめんどくさい、なんで
「小黒様?」
「っぴゃぁあい!?」
ぐりん!と振り返る鈴の目の前に、人差し指を口元にあてる眼鏡のイケメンの顔面。不用意に大声を上げてしまった自責よりも先に高い顔面偏差値を直視したことによるドキドキに襲われるも、鈴は何とか自身の声を抑え込んだ。そして一拍遅れて、熱くなった首元が冷めていくのを感じた。
「ひょっとして私……声に出してました……?」
「……出されていましたね」
「ぅ、あ……」
喫茶
「え、えと。えっとぉ……」
「…………そちらが貴女の
「……!」
しかも何だか見抜かれたらしく、鈴の思考はますます白く染まっていく。だが、輝星が見せたのは柔らかい微笑みだった。
「別に構わないと思いますよ、私は。小黒様の“素”も、“素を隠すこと”も、私は下品なこととは思いません。人間誰しも、そう言った面を持っているものですから」
「あ……」
「それに、廻お嬢様も貴女のことを嫌っている訳ではございませんよ。貴女に冷たく接するのは、巻き込みたくない正義感ゆえです。あの方はそういうお方ですから」
まさか全肯定されるとは思っておらず、鈴は言葉を失った。身体に染みついた外面の精神が何とかお礼を言おうとするも「んふ、えへ」みたいな気色悪い笑い声しか出ず、今度はそっちで恥ずかしくなってくる。
「(いやいや何今の声は! 励ましてもらったんだからお礼言わないとでしょ!)」
そうは思ってもふたりの間には既に会話終了の空気が流れている気がして、彼女の謝辞はついぞ外に出て行かなかった。陰キャは
「アッ、本城さんまたスマホ新しくしたんですね」
で、何とか声を絞り出したと思ったらこのザマだ。鈴は自分が情けなくて仕方がなくなる。
「…………。おや、よく気づかれましたね?」
輝星は眺めていたスマホの画面から顔を上げ、ゆっくりと鈴の方へ振り返った。白い光が彼の眼鏡に反射している。
「え、えへ……あはは。なんかごめんなさい、別に盗み見てたとかじゃないんですけどね」
「……新調した訳ではございませんよ。職業柄、いくつか使い分けているだけですから」
「へ、へぇー。すごいですね」
再び流れる沈黙。
鈴がまたもや慌てて会話を探そうとしたその時、複数の足音が彼女の思考を遮った。
路地の向こうの月明かりを塞ぐ異形の影――ゾンビ教徒の群れが現れたのだ。
「ひ、ひぃっ!?」
「ゾンビ、ですか……。まずいことになりましたね」
狼狽える鈴の手を取り、即座に後退する輝星。距離を取って路地を曲がると、彼は立ち止まって鈴の両肩に手を当てる。
「いいですか小黒様、このまま貴女は裏手へ向かい、頃合いを見てお嬢様たちに連絡してください。予想外のことが起きた今、何よりも合流と撤退が優先です」
「だっ、だだだ、だって、でも、本城さんは!?」
「幸いにもこちらは脱出経路と逆方向。私は少々、ゾンビどもを引きつけます」
「なっ、ななななな、なん――」
「ご心配には及びません。私は霧島家の執事、体力にもそれなりに自信がありますゆえ」
「まっ、あぅ、えっと、あ、フラ、んぅーーっ」
「さあ行って!」
「はいぃーーー!!」
慌ただしく手足をバタつかせながら、鈴は路地裏を走り去っていった。
そして、
「ふーーー……」
残された輝星は特段ゾンビたちを引きつけることもせず、静かに手元のスマホを操作し始める。背後からはゾンビの群れ。しかしその動く屍どもも輝星に飛びかかることはなく、ただただ彼の周りを囲むだけだった。
「……目白一織と司祭が戦闘を開始しましたか。上出来ですね、スケジュールに変更はない」
スマホをしまい、歩き出す輝星。
ゆらゆらと追随するゾンビたちの先頭で彼はゆっくりと、トランスチームガンとオクトパスフルボトルを取り出した。
ヒューマギアと同じ時空と繋がった『銀の鍵』はスタンバイ済み。かの魔法陣が生け贄を喰らう瞬間を廻に見せられるよう、タイマーも合わせてある。自身の運命を“復讐”で覆い隠した彼女の心を折りさえすれば、あくまで穏便に、彼女を連れ帰ることができる。
《
彼女を苦しめることに心が痛まないと言えば嘘になるが、
「――蒸血」
吹き出る灰色の蒸気。フルボトルの成分を凝縮した全身装甲が形成され、輝星の全身を覆い尽くす。
イエローガイスト。それは量産した『銀の鍵』が霧島昇に回収される直前、母が秘密裏に取り出していた、別時空の怪人につけられた名。かの司祭に加担することすら、今の彼には通過点に過ぎない。司祭の悲願はどうせ成就などしない。既に仕込みは済んでいる。
だからこそ……だからこそ輝星にとって最も大事なことは、『廻を連れ戻すこと』に他ならないのだ。
……だが、生ける屍に囲まれた警告色の怪人はふとその足を止め、小さく振り返った。
『(
鈴の言葉を反芻する。沈黙を嫌っただけの、言うなればやや下手な会話導入。しかし彼女は本城がスマホを
『(物好きな少女とは思っていましたが……なんとまあ、よく“見えている”。ともすればお嬢様や目白一織よりも……)』
そこまで思考し、輝星は頭部装甲の奥でため息を吐いた。
彼女はただの女子高生だ。大人たちに囲まれ、素を隠して背伸びをし、教団と戦う非日常に舞い上がっているだけの子供――気にするだけ時間と労力の無駄だ、と。
そこから約1週間後、司祭による邪神復活の儀式は最終段階を迎える。
当初の予定通り、クトゥルフ復活の直前にレイドライザーを爆破。プログライズキーや儀式用にあつらえられた『銀の鍵』共々、藤堂武蔵をこの世から消し去った。
これにて裏切り者の観察・監視の任務は達成。その間得られたデータや取り返した起動装置は『琥珀の星』本部へ持ち帰られ、旧支配者ハスターの研究の糧となる。こうして本城輝星の使命は、ただのひとつの滞りもなく完遂された。
しかし、廻を連れ帰るという個人的なスケジュールは未達成。
失敗の要因は廻自身が仮面ライダーに覚醒したことと、アマゾンラムダこと目白一織の陽動によってそれを阻止できなかったこと。
そして何よりも――スケジュールの一環で抹殺される筈だった鈴が生き残り、仮面ライダーたちを支えたこと。
輝星がそれを悟ったのは、すべてが終わった後だったという。
時は流れ1月1日。午後4時を過ぎた頃。
小さな因縁で結ばれた男と少女は、この東京の地で再会していた。
「いあ、いあ……くとぅるふ……」
「……」
虚ろな目で“教徒”を演じる鈴の目には、柔和な笑みの奥に鋭い視線を宿す輝星の姿が映っている。
ランブルルージュ――七塚藍珠に捕縛され、ガーディアンの運転する車両でこのEPビルまで輸送された鈴。彼女は苦し紛れとわかりつつもこの“演技”を実行したのだが……取り囲んでいた構成員たちの空気が変わったことを、他人の顔色を覗い続けて生きてきた鈴の肌は敏感に感じ取っていたのだ。
鈴には理由がわからないが、彼ら『琥珀の星』の面々は邪神クトゥルフの力を忌避しているようだった。恐れていると言ってもいい。さらに言うならば、彼らはその恐れをどうにかして解消したがっているように見えた。偶然の怪我の功名と言えばそうだが、自身の“演技”が時間稼ぎに最適だと即座に察知できたのは、ファッション陽キャの経験ゆえだろう。半年前学校で襲ってきたクラスメイトたちの言葉を思い出しながら、鈴はその“演技”を続けることにしたのだった。
「くとぅるふ……ふたぐん……」
「ふむ……」
現に、輝星は今も慎重極まれりといった形で接してきている。鈴の目には何だか焦っているようにも見えたが、その詳細は皆目見当も付かない。
目の前の輝星はしばらく考え込んだ後、傍らの女性構成員に向き直る。
「昨夜の彼女の様子はどうでしたか?」
「ベッドの中で数回、奇声を発して悶えていました。これまでと同様、クトゥルフによる精神汚染の作用かと」
「(あ、それは演技じゃなくて私のひとり反省会……)」
そもそも親と喧嘩するフリをして関西から波妃町に戻ってくるという大立ち回りをしていたワケであって、その自責が年明けの実感と共に襲ってきただけなのだが……ともあれ勝手に都合よく受け取られたようで、鈴は心の中で胸を撫で下ろす。
「それ以外、特に変化はありませんでした。通常の教徒同様、心神喪失しているとは言え基本的な生活をなぞることは可能な様子です。用意した食事にも最低限手をつけていましたし、排泄も問題なく行っていました」
「(私の中のなけなしの乙女プライドが砕け散る音がしました……。いや覚悟はしてたけど……)」
羞恥でうずくまりたくなるのを必死で抑え込んだ。監視されているのは百も承知、今ばかりは声に出すわけにはいかない。
「左様ですか。まあいいでしょう。もうじき母上もお戻りになる。……彼女を研究フロアへ連れていきましょう」
「(……!)」
「よろしいのですか? ハスター様の印を刻むとなると彼女は――」
「今の我々に寄り道をしている時間はもうありません。……少々大胆な賭けにはなりますが、洗脳に成功したら御の字、程度で充分でしょう。失敗したら速やかに処分と致しましょう」
「承知致しました」
「(きた……)」
元々、この“演技”で稼げる時間には限りがあると思っていた。所詮、彼らの目に映るのはただのクトゥルフ教徒……いずれ始末されるに違いないと。
そして――その瞬間こそが、付け入る隙に違いないのだと。
「いあ、いあぁぁぁあああああっ!」
「――!」
突如奇声を発し、鈴は輝星の横にいた女性構成員へ飛びかかった。完全に虚を突かれたその女性は驚愕の叫び声を上げ、鈴のタックルをもろに受ける。
しかし、華奢な女性と言えど相手は成人。おまけに『琥珀の星』の構成員として少なくとも、輝星の補佐につく程度の実力を持っている人物だ。彼女は咄嗟に身をよじり、鈴の突撃を往なす。バランスを崩し床を転がった鈴は客室備え付けの棚に激突、頭部を強打し動かなくなった。
「……大丈夫でしたか?」
「た、大変失礼いたしました……。しかし何故、突然……」
「身の危険を察知した、と言ったところでしょうか。今後、彼女の前で不用意に“我らの邪神”の名を出すべきではないかもしれませんね。……ともあれ、拘束する手間が省けました」
輝星が目配せをすると、廊下で待機していたガーディアンが担架を持って姿を現し、ぐったりとしたままの鈴を運び出していった。輝星と、呼吸を整え直した女性構成員もその後に続き、消灯したのちに部屋を後にする。
「申し訳ありませんでした、本城代理」
「構いませんよ。元より彼女の観察を決定したのは私ですしね。……私が不甲斐ないばかりに、ただの教徒に縋らざるを得なくなったのですから」
「いえ、そんな……」
輝星は廊下を歩きながら僅かに声のトーンを落とし、その視線を下げる。傍らの女性はかける言葉を探すように視線を泳がせたのち、静かに押し黙る。
――そんな様子を、鈴は薄目を開けて観察していた。
「(なんだろう。本城さんは“何か”を成そうとしてて、でも上手くいっていない、みたいな……。うぅ、全然わからない。わからない、けど……!)」
けど、
“真実”を探せ。隙を見落とすな。
情報収集と脱出――どちらもやると決めたからには、一片のミスも許されない。
その後、鈴は担架に乗せられたまま運ばれていくのを感じていた。エレベーターに乗っていた時間からして、そこまで下には降りていないことも把握できた。元々何階にいたのかが不明な以上あまり意味のないことではあるが、地上に近い階や地下階ではないと何となく予想している。
しばらくしてガラス張りの壁に挟まれた廊下に差し掛かった。ガラスの向こうにいくつも部屋が連なっていて、裸眼でかつ薄目のためにおぼろげではあるが白衣を着た人の姿もちらほら見える。その小綺麗な様相はまさに『研究フロア』と言ったところだ。鈴は一番奥の部屋に連れ込まれ、手術台の上に寝かされた。輝星が指示を出すこともなく、どこからともなく現れた研究員たちがごちゃごちゃした機械類の準備を始めていく。
――鈴はここまでの間で、輝星と女性構成員、それからすれ違う研究員に至るまでのすべての会話を盗み聞きしていた。その結果、断片的にではあるが『琥珀の星』の現状を掴むことに成功したのだった。
まず、彼ら『琥珀の星』はクトゥルフとはまた別の邪神に関する研究をしているようだ。部屋を出て以降その名が発されることはなかったが、鈴は既に『ハスター』という言葉を何度も耳にしている。文脈からしてそれが邪神の名前で間違いないだろう。クトゥルフを信仰するフリをしている鈴をここまで丁重に観察していることから察するに、二柱の邪神の間には何かしらの関係性があるのかもしれない。
次に多く耳にしたのは『本城有衣子』という名前だ。廻から何度か聞いていて、輝星の実母であることは知っていたが、やはり彼女がこの組織のトップで間違いなさそうだ。そして、彼女はいま日本にいないらしい。欧州に出張しているとのことだが、何の為に渡欧しているのかまでは聞き取れなかった。ともかく、そのため現在は輝星が代理で統括を行っているとのことだ。
そしてこれは鈴の想像が大部分を占める事柄なのだが……やはりこの組織はどこか、全体的に慌ただしい。何やら本城有衣子が帰国したのちに大がかりな事を行うようで、それに向けて準備を進めているような雰囲気がある。輝星が成そうとしている“何か”もこれに関わるもので相違ないようだが、どうやらその“何か”はあまり捗っていないらしい。
「――藍珠が持ち帰るはずだった『ルルイエ異本』の代わりになる情報が手に入れば、それは我らが邪神に近づく鍵になり得る。……洗脳の印の調整は慎重に頼みますよ」
「承知しました、本城代理」
「(ルルイエいほん……また新しい単語……)」
気を失ったフリを続けつつ、鈴は情報を反芻する。どうやらこの狸寝入りはバレずに済んでいるらしい。……曲がりなりにも毎日昼休み、机に突っ伏して寝たフリをしながら教室内の会話を盗み聞きし続けた身だ。切なすぎることは捨て置くとして、この一点に関しては鈴にもそれなりに自信がある。
問題はこのまま事が進めば鈴は普通に洗脳されるということ。恐らく
「(ど、どうしよう……。一応“仕掛け”はもうすぐだと思うけど……いやぁぁ陽動にしては弱すぎるよなぁぁ……ちょっとでも気を逸らすことができれば何とか――)」
「失礼致します、本城代理」
「(ん……?)」
「明日の――、――――。……下の格納庫に――――」
席を外していた女性構成員が戻ってきたようだ。こちらをチラチラと見つつ、輝星に耳打ちしている。内容はほとんど聞き取れない。
「なるほど、では先にそちらを済ませるとしましょうか。……君たちも、一旦こちらは中止です。22階の格納庫までご同行願います」
「え、ですが代理……」
「なるべく急いでいただきたい。詳細は向かいながら説明します」
「は、はあ」
輝星と研究員たちはそそくさと部屋を出て行った。急ぎ足で廊下の向こうに姿を消す様が、ガラス張りの壁越しに確認できる。こうして個室には、薄目のまま唖然とする鈴だけが残されたのだった。
「(え、うそでしょ……)」
そして鈴は見落としていなかった――輝星が壁に掛けた彼の白衣、その胸ポケットに“いかにもなIDストラップ”が入ったままであることを。
「(そんなことある!? ……いや、いやでもこんなチャンスたぶんもう二度と来ない! 動くなら今! 今しかないっ!!)」
彼らがどんな要件でいなくなったのか不明な以上、今は驚いている時間すら惜しい。鈴は跳ねるように起き上がり、音を立てずに手術台から降りる。白い床のひんやりとした感覚を裸足で受け止めつつ白衣に接近し、胸ポケットからIDストラップを抜き取った。
果たしてそれはカードキーだった。書いてある数字からして24階――恐らく今のこの階――でしか使えない権限の低いもののようだが、今の鈴には大きすぎる前進と言えるだろう。
「(よし……。ちょっとずつ、ちょっとずつでいいんだ。動け、足を止めるな私……! たぶん今なら、私の“仕掛け”も……!)」
ガラス扉を開け、廊下に出る。最奥の個室だったからか、他の研究員の気配もだいぶ遠くに感じる。鈴は一瞬だけ考えたのち、
息を殺し、足音も気配も殺し、程なくして茶色い扉を発見する。鈴は迷わずカードキーを挿入、隙間に入り込むようにして茶色い扉を通過する。そこはまたもや高級ホテルのような、綺麗な内装の廊下だった。ガラス張りまみれのエリアを抜けた鈴はひとまず一息つき、辺りを見回す。
「(あれは……?)」
すぐに目に付いたのは仰々しい両開きの扉だった。一応、周囲にも扉の向こうにも人の気配は無いように思える。鈴は廊下の先を一瞥すると、意を決したようにカードキーを取り出し、その部屋へ足を踏み入れた。
「(ここは、本城さんの部屋……?)」
大きな窓から夕空が顔を覗かせる、几帳面に整理された事務室のような部屋。立派なデスクに乗るネームプレートが仮になかったとしても、この部屋の主は大方想像できてしまうような、そんな説得力のある部屋だった。
「(本城さんの部屋なら……もっと強い権限のカードキーが手に入るかもしれない。いや、もしかしたら何か、“真実”に近づける情報も……)」
廻たちが今どこでどうしているのか、鈴は一切知らない。彼女にとっては、クリスマスの直前に会ったのが最後なのである。だが鈴は確信している――『琥珀の星』がここまで大きく動き出している以上、廻と一織が黙っている筈がないと。教団との戦いから途切れること無く続くこの因縁に、必ず立ち向かおうとする筈だと。そのためには“真実”を知る必要があり、鈴は奇しくも、それに最も近い場所にいるのだ。
「(“仕掛け”が上手くハマっているなら、もう少し時間に余裕はある筈……。この部屋はどう考えたって情報の宝庫、何か少しでも――ん?)」
そろりそろりとデスクに近寄る鈴の目に、あるものが映り込む。
それは写真立てだった。過剰すぎる程に無駄を省いたようなこの部屋の、棚の上にちょこんと乗っているひとつの写真立てだ。
車椅子に座り、朗らかな笑みを見せる女性。
その隣に立つ、どこか緊張した面持ちの少女。
鈴は一目で、霧島親子の写真だと理解した。幼いながらも利口そうなその顔つきには面影があるように思えるし、また廻は母親似だったのだろう、車椅子の女性ともよく似ている。
だが、
「なに、これ……」
だが同時に、鈴は強烈な違和感を受け取っていた。
車椅子の女性・霧島三輪――
幼い少女・霧島廻――
鈴が今まで接してきた“茶色の長髪の彼女”は廻本人ではなく、あくまでヒューマギア。言ってしまえば模倣人形だ。似せることはできてもまったく同じ姿にはできないだろう。髪の長さや色が違ったとて、それは多少の差違と言っていいのかもしれない。……そもそも、この写真は恐らく十数年前のもの。成人になるまでに髪を伸ばしたのかもしれないし、亡き母に自身の姿を寄せていくことだって特段不自然なことではないだろう。
だがもし、もし
「これって……、――っ!?」
膨れ上がった違和感は、今度は廊下から聞こえた足音によって塗りつぶされる。その足音と気配は、一直線にこの部屋に向かってくるようだった。
「(だ、誰!? いや誰でも関係ない、はやく――!!)」
咄嗟にデスクの下へと隠れる鈴。ほぼ同時に彼女の背後――両開きの扉のロックが解除され、扉の開く音がした。
「……映画・ドラマのような映像作品とオペラ・演劇のような舞台芸術を比較したとき、大きな違いと言えるものは何でしょう?」
「(っ! 本城さんの声……!? でも誰と喋って……?)」
「“
ゆっくりと、デスクに近づいてくる足音と声。その数はひとり分。過不足なく、輝星ただひとりしか、そこにいない筈だ。
「私の記憶では、貴女は中学・高校ともに帰宅部。舞台演劇の経験は特段なかったと存じますが」
なればこそ、彼が語りかけている相手もまた、ただひとり。
「どうにも貴女は、他者の“
「(そ、そんな……! でもどうして!? 早すぎる!!)」
抜け出したのがバレたにしても、あれから5分も経過していない筈なのだ。決して狭くはないこのフロアの中で、“鈴がこの部屋に向かった”と予めわかってでもいなければ、こんなタイミングで追いついてくることはまず不可能だろう。
「正直半信半疑、いえ、それ以下ではありました。ですが私は一度、貴女にしてやられている。貴女の行動力と、大胆さ、それからその洞察力にね。ですから――」
「(まさか……!)」
まさに絶体絶命という直前で個室から連れ出された研究員。
胸ポケットに入れたままのカードキー。
輝星の部屋に最も近い扉……に、最も近い最奥の個室。
正直、露骨さは薄々感じていたが、だからと言って動かないわけにもいかない。鈴の立場上、そのような状況で動かない選択肢などないのだ。恐らくそれすら織り込んだ上で――、
「ですから少々、隙を“置いておく”ことに致しました。どうせ裏をかかれるのなら、予め裏口を“置いておこう”と、そう思った次第です」
「(くっ……!!)」
「ですが……いやはや驚きだ。よもや他の研究員がこぞって
「(……“仕掛け”も、上手くハマってはいたんだ。それでも……!)」
それでも、輝星の方が一手先にいた。鈴もまた彼の“仕掛け”の中にいたというわけだ。
輝星の声と気配は既に、デスクのパネル一枚隔てた真後ろまで迫ってきている。しかしながら、今の鈴にはもうどうすることもできない。目の前で夕日に染まる窓ガラスを、睨み返すことしかできないのだ。
「(どうすれば……! 私は……私はまだ……っ!)」
「では答え合わせといきましょうか、小黒鈴様? 是非とも今度こそ、お腹をぱっくりと割ってお話を――」
その時だった。
「む……?」
「(え……?)」
ガリガリッ、と。ノイズの音が部屋に響き渡る。鈴のちょうど真上、デスクに置かれたスピーカーからの音のようだ。
『失礼いたします。「黒曜の腕」代表、オリバー・スミス、様、よりお電話です。本城輝星、様、にお繋ぎいたします』
今まさにデスクの下を覗き込もうとしていた輝星は、通信機から流れてきたその機械音声に眉をひそめた。
「『黒曜の腕』のオリバー・スミスだと……? 何故このタイミングで――」
『――ツレないことを言わないでください、コウセイホンジョウ? ワタシとキミの仲でしょう』
「……!」
通話を拒否する暇もなく、スピーカーからはやや片言の混じった男の声が飛び出してくる。輝星は目を見開きつつも、努めて落ち着いた声色で返答する。
「……ふう。Mr. Smith...」
『日本語で結構ですよ、コウセイホンジョウ。これでもワタシ、勉強してます』
「……」
オリバー・スミス。プロジェクトMのイギリス・ロンドン支部、『
そして……彼は本城有衣子を欧州に呼び出した張本人でもある。
『ワタシ大好きなんです、日本。日本の文化、自然、街並み。日本はとてもいいところです』
「……要件を、お伺いしてもよろしいですか? ミスター・スミス」
『最近はね、Novelも読み始めたんですよ。友だちはみんなマンガ、マンガって言うけど、ワタシは違います。本当に日本が好きだからこそ、もっと難しいことにChallengeできるんです』
「要件はなんですか? ミスター・スミス。あなた方が大層気にされていたプロジェクトMの実権についてご説明差し上げる為に、母がわざわざ出向いたと存じていますが? ……母はどうしたのです?」
スピーカーは一拍の間を置いた後、これ見よがしなため息の音を流す。
『キビしいのですね。ユイコホンジョウによく似ている。素敵な親子だ』
「ですから――」
『――ユイコホンジョウは
「…………は?」
輝星が絶句したその瞬間、目の前のデスクが大きく揺れ、顔面蒼白の鈴が慌ただしく這い出てきた。これまで頑なに沈黙を貫いてきた彼女が、あっさりとその姿を見せてきたのだ。
「小黒鈴……? なん――」
『今日はねぇ、オハナシ、しにきたんです。プロジェクトMも、
這う這うの体といった様子の鈴は、まるでそこの大きな窓から逃げようとしているみたいだった。
いや……厳密には窓の向こう、夕焼けを遮って姿を現した巨大な軍用ヘリから、逃れようとしているようだった。
『日本はいいですね。キミたちのビルから見える東京の景色は、実にいい』
瞬間、ヘリの両翼が激しく瞬く。あらゆる音を置き去りにするようにして、大量の銃弾が輝星の部屋へと叩き込まれていった。
「うおおおおぉぉぉぉぉおおおおっ!!」
「びゃあああああああーーーーーーーっ!!?!?」
窓ガラスのみならず壁や床、天井のコンクリートも悉く捲れ上がり、その破砕音は輝星と鈴の声を力任せにかき消していく。
全力で後退した輝星はデコボコになった床を転がり、恐らく数瞬前まで壁だったであろう瓦礫の影に身を隠した。ひとつ隣の瓦礫の横にはうずくまって震える鈴の姿も見える。病衣もはだけ散らかしたあられもない格好ではあるが、大怪我は負っていない様子だ。悪運が強いのやら何なのやらといったところではあるものの、今の輝星にそこまで気にしている余裕はない。
「う、ぐっ……!」
どうやらその悪運は輝星に巡らなかったようだ。弾丸が一発、左腕を掠めていたらしい。掠っただけとは言え相手は軍用ヘリ搭載のガトリング。敵の機体や施設を破壊するための武装であり、生身の人間が受けていい代物ではない。輝星の左腕は大きく抉れ、じわじわと血を流し始めている。
「ご無事ですか、本城代理!」
「澤見、くん……!」
廊下の向こうからかけられた声は、輝星の補佐を務めている女性構成員・
「状況は!? どうなっている!!」
「屋上ヘリポート、及びE3地下実験区画の地下通路が押さえられました!」
「はっ、完璧な
自分ら『琥珀の星』のやり方に異を唱えるプロジェクトMの残党――アンチアンバーなるものが存在することはとうに把握していた。しかしそれらを率いていたのが
「澤見くん、お屋敷に配置していたビヤーキーを早急に呼び戻してください。あの眷属の力ならばヘリポートを奪還できる筈……!」
「もうやっています! ですが……霧島邸に配置していたビヤーキーNo.3のビーコン反応は消失……既に排除されたものと考えられます……!」
「なんだと……?」
いくら相手が強大な組織だったと言えど、そこまで手を回すことが可能なのだろうか? それも我々にまったく感知されることもなく……? 輝星は疑問符を浮かべるが、今ここで答えを探してもどうしようもないことなど自明。小さな疑問を即座に捨て置き、輝星は思案を巡らせた。
「ならば格納庫に拘束中のNo.2を呼び出しましょう。制御に難アリな個体ですが、召喚者である澤見くんであればあるい、は――」
澤見の返答は得られなかった。
ガトリングの第二波が彼女を隠していた瓦礫ごと吹き飛ばし、その華奢な身体を粉々に引き千切ったからだ。
「…………」
彼女が手に持っていたカードキーとタブレットが、大量の肉片と共に宙を舞う様を見ながら、輝星は今度こそ言葉を失う。
本能的に身を屈め、耳をつんざくような銃撃音に顔を歪めつつ、輝星の脳は何とか次の策を練り始めた。
「(負傷した状態での変身は当てにならない……! やはり格納庫のNo.2を、私自ら制御するしか……! ですが、しかし……!!)」
思考が重い。これは負傷のせいだけではない。
――ユイコホンジョウは死にました。
母の死。そしてそれは同時に、『琥珀の星』という大組織の絶対的な統括者の喪失を意味する。その事実が実感となって、輝星の思考をぎりぎりと縛り上げているかのようだった。
「(何をしている本城輝星! 如何なる時も優雅に、怜悧に、最適を探求する。それこそが本城家の在り方だ! 些末なことはこのアンチアンバーどもを排除してから考えろ! 今は――む?)」
再び顔を上げた輝星はひとつ、視界から得られる映像に違和感を覚える。
……澤見の持っていた“格納庫のカードキー”はどこだ? ……いや、そこにいた半裸の少女はどこに行った?
後方を見やると、非常階段の扉が半開きのまま、音もなくゆらゆらと揺れていた。
「小黒……鈴ゥゥーーーーーーーッッ!!!!!」
「はーーーっ! はーーーーーっ!! えう、げぇっ!? お“う……っ!」
22階。格納庫へと繋がる天井の高い通路を、鈴は吐瀉物を撒き散らしながら駆け抜けていた。
人が死ぬ瞬間を初めて見た。
あの女性構成員は鈴の客室に何度も顔を出していた人物。敵であることに変わりはないが、既にまったくの見知らぬ誰かではなくなっていた彼女。そんな彼女が、徹甲弾に貫かれて粉々になる瞬間を直視した。
何より吐き気を催すのは、床にぶちまけられた肉片の中にカードキーを見つけるや否や『チャンスだ』と大声を上げた自分自身の精神だ。
「動けぇ、動けぇ私ぃぃぃ!! えっ、げぅっ。かっ、考えろ、止まるな、止まるなぁ……! あうっ!?」
突如目の前の床が爆ぜ、鈴はバランスを崩して倒れ込む。背後の非常階段には、腕から血を流しながらトランスチームガンを向ける輝星の姿があった。
「ああぁ……ああぁぁぁあああぁあぁぁ……!」
「そのっ……カードキーをっ……渡しなさい……!!」
「~~~~~っ!!」
鈴は床を転がると、壁に備えられていたレバーやボタンをめちゃくちゃに叩き始める。しかし何が起こるわけでもなく、ただ天井のスプリンクラーが起動しただけだった。
「苦し紛れも大概にしろ! 貴女に構っている暇などもう一片たりともないのだ! ……大人しくそのカードキーを渡しなさい……! “それ”の重大さを、貴女は何も理解していない!」
「……」
輝星がトランスチームガンを構え直そうとしたその時、両者の間にあった扉が勢いよく開かれ、その向こうから数体の怪人――スマッシュが雪崩れ込んできた。
「こっの……クズどもがああああァァァァ!!」
雄叫びを上げ、輝星は即座に引き金を引き絞る。負傷を感じさせない卓越した射撃技能により放たれた光弾はスマッシュたちの頭部を的確に捉え、瞬く間に怪人の群れを殲滅した。
しかし輝星はそこまで終えてようやく気づく――自身の“
自身だけではない。そもそもあのスマッシュがこのタイミングで現れたのは、スプリンクラーの起動によって大きな物音が立ったからではないのか? 既にこのビルへ突入していると思われるアンチアンバーどもの“
「――苦し紛れでもっ、ないし。理解していないわけでも、ないですっ……!」
「な……!」
遥か前方から鈴の声。視点をずらされた一瞬のうちに、彼女は既に通路の最奥まで到達していた。……厳重に封のされた巨大な金属扉のすぐ手前に、カードキーを持ったまま。
「私っ、お芝居の経験はないけどっ、陰キャ、なので……っ! 盗み聞きも寝たフリもっ、妄想もっ! 全部、大の得意分野なのでっ!!」
ビヤーキーが何なのかは知らないが、この階の格納庫に制御のできないヤバイのがいるということは想像できた。
アンチアンバーやオリバー・スミスが何者なのか知ったこっちゃないが、状況が拗れれば拗れるだけ鈴の有利になるということは容易に類推することができた。
「よせぇぇぇーーーーー!!! そのカードキーを渡せええエエエエエエーーーー!!!」
「わ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“――――っ!!!」
カードキーを差し込み、バルブを両手で掴む。
全身がバラバラになりそうな感覚に耐えながら、鈴は全身全霊でバルブを回した。
――まず最初に聞こえたのは、鉤爪が鉄の床を引っ掻くような足音。
それからコポコポと喉を鳴らす、唸り声のような息遣いも聞こえてくる。
金属扉の隙間からは獣の臭いのような、はたまた腐臭のような不快な香りが溢れ出てきている。
次の瞬間、鈴の身長の五倍はありそうな金属扉が内側から蹴破られ、冗談みたいな軌道で鈴と輝星の頭上を通り過ぎていった。輝星の背後に迫っていた後続のスマッシュを、まとめて挽き潰しながら。
それは翼竜のような、猛禽類のような、昆虫のような。
名状しがたき邪神の眷属。
魔導書を解読して再現された技術を用い、召喚されたその怪物。しかしながら召喚したという本人はつい先ほど、粉々の肉片に成り果ててしまった。怪物に残されたのは旧支配者に連なる種族としての本能――すなわち、人類を蹂躙してこの惑星を支配するという、ただひとつの本能のみ。
宇宙の悪意をすべて詰め込んだかのような醜い咆哮が高々と打ち上がり、混沌極まるEPビル全体に響き渡っていった。
読了ありがとうございました。
久々に鈴・輝星が活躍する回でしたが、いかがだったでしょうか。私はめっちゃ楽しかったです。
さて、実はこの5回に渡って分割視点でお送りしたストーリー、全部作中の1月1日に起こった出来事です。
皆様実感ありますでしょうか? 私はあんまりないです() 長いんだって()
と言うわけで怒濤の元日は次回で一区切りとなります。
「5-4. 沈む陽、あなたの体温」
夕闇に沈みゆく霧島邸。
”薄茶色の長髪のヒューマギア”は静かに、傍らに立つ男の手を握りしめる。