欲しがりの鬼   作:靉靆 

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憎愛混沌

 

 

 

 勝敗は今、此処に決した。

 

 敗者。貪婪なる強欲鬼、五条菫。

 勝者。全知全能の特異点、五条悟。

 

 地に斃れた敗者の姿を睥睨しながら、五条悟は僅かに口元を垂れた血を拭う。

 

「あぁ、しんど」

 

 死の淵に指を掛けながらも黒き閃光という奇跡の産物を繰り出した果ての情景。奪われた五感が戻り目の前の情報を認識しながら、五条悟は底へと尽きた呪力と疲弊した肉体に意識を巡らした。

 

 ──あと少しすれば、術式を撃てるくらいには回復するな。

 

 次に、地に伏せた五条菫(かいぶつ)へと思考を巡らす。

 

 ──コイツ、どうすっかな。

 

 蒼穹の瞳が邪悪の呪胎を視認する。

 相手の呪力量は領域発動後とは思えないほどに潤沢であり、それが己から奪った呪力であるとなんとなしに推察しながら、五条悟は一つの分岐点に立たされた。

 

 即ち、この怪物を殺すか否か。

 

 呪術師にとって死とはありふれたものであり曖昧なる境界線。

 時には呪詛師の討伐すら請け負う彼らにとって、呪霊と同じ感覚で人を殺す(祓う)必要に迫られることも珍しくはない。

 

 更にはこの怪物、五条菫の欲望の深さはまさしく規格外。

 己の欲のために実の兄を搾り殺そうと必中必殺の領域を繰り出す幼子が、ただの幼子であるはずもなく。むしろその在り方は呪詛師、或いは呪霊に近い悪鬼羅刹の魂。

 

 正義感による情動、では断じてない。

 善と悪の天秤は超常の視点を持つ彼にとって今はまだ死の境界線と同じく曖昧であり、そこに小綺麗な理想はなかった。

 ただひとえにこの怪物を前にして湧き上がるのは、理由(ワケ)も分からない使()()()のみ。

 

 たとえこの一年弱にて術師として呪いを祓ってきた実績があれどもその本性は紛れもない邪悪。無慙無愧なる鬼畜外道の人非人であり、このままではそう遠くない未来にて必ずや人界を穢す蛮行を企てるだろうという確信が、五条悟の胸にあったのだ。

 

 ──あぁ、そうだな……今ならできるか?

 

 右手を突き出し、斃れ伏す少女へ向けて指で()()()()(かたど)る。

 論理的思考や根拠がある訳でもなく、五条悟はなんとなしに漠然と己の中に眠る黒い可能性を認識した。

 

 無限収束、その反転。

 極限まで窮まった己の術式が、裏返る予感。

 

術式反転

 

 指先に『赫』が煌る。

 術師としての“覚醒”へと至る開闢の一撃。

 最強の片割れが、真なる最強の個となる──

 

「……やめだ」

 

 その好機を、五条悟は逃した。

 発散を成し掛けた無限の赫い閃光が鳴りを(ひそ)め、無下限に流れる正のエネルギーが消失する。

 

 五条悟は生殺与奪の権を放棄し呪力を抑えた。

 しかしその理由は、断じて血を分けた妹への情けではない。

 

「ダセェな」

 

 傲慢、海よりも深きプライド故に。

 これ以上怪物が羽化する前に仕留めると言う。まるで五歳の少女を恐れるかのようなその行為に対して、自尊心の欠落を予感したからこその判断であった。

 

「──ころさ、ないのですね」

「あ?」

 

 術式発動の掌印を解いた五条悟の耳を、少女の美声が愛撫する。

 ゆらゆらと覚束ない足取りで、先の死闘の敗者である五条菫が立ち上がろうと足掻いた。

 

「……頑丈すぎんだろ。なんで黒閃喰らって立てんだよお前」

「たましいを、()()して……肉体の、強度をあげました……」

 

 呂律の回らない口調で、五条菫は自身の肉体の頑強さについての絡繰を明かす。

 

 卵が先か、鶏が先か。

 魂の先に肉体があるべきか、それとも肉体の先に魂があるべきなのか。

 五条菫の術式(せかい)にとっての答えは、後者。

 

「──そう言うことかよ。()()()()でぺたぺた自分の魂とやらを上塗りしてた訳か。道理で気持ち(わり)い訳だ」

「あぁ……あァ、御名答です。お兄さま」

 

 魂は常に肉体の先にあると言う、己の術式に存在する根源。

 捏ねくり回し自分の肉体の形を変貌させると言った器用さはなくとも、彼女には生まれ持っての略奪の術式がある。

 

 呪力とは違った人間や呪霊の根本的な核。即ち魂を奪い、己の肉体(たましい)の強度を底上げする悪魔の宿業。外聞すれば悍ましき所業である。

 

 それに加えて未登録特級呪霊・産土神を喰らいその呪いに残された信仰を奪った菫の肉体は、人間のものでありながら精霊に近い規格へと変貌を遂げていた。

 

 齢五の少女の肉体はもはや、特級呪霊相当の耐久力(タフネス)を持つ“器”であった。

 

「それで、何故殺さなかったのですかお兄さま。私はもうこの通り回復してしまいましたが?」

 

 立ち上がる。幼き悪鬼が反転術式を用いて己の肉体を治癒しながら。

 美麗な顔面に残っていたはずの殴られた跡はもはや何処にもなく、数分ほどの気絶と朦朧とする起き上がりの意識からも五条菫は回復していた。

 

 勝者と敗者の天秤が、揺れ動く。

 

「不意打ちで調子に乗んなって言ったろクソガキ」

 

 ──掌印は結ばせねえ。動いた瞬間『蒼』で捻る。

 

 今度こそ慢心も油断も捨て去り警戒心を高めた五条悟は、菫の腕に注視しながら術式発動の挙動を脳内で組み立てる。

 

「質問の答えがまだですよお兄さま──何故、殺さなかったのですか」

「あ?」

 

 最強と怪物の第二ラウンド。その幕が上ると五条悟が確信した瞬間、五条菫は戦闘の体制に入らず問いを投げかけた。

 

「そんなもんダセェからに決まってんだろ」

「……成る程。矜持から来る我儘でしたか。あぁ、それは私にも理解できる」

 

 納得したような面持ちで、噛み締めるように五条悟の兄としての矜持が入り混じった宣誓を心の内に止める。

 

「私はこれよりお兄さまから攻撃を受けない限り、決してお兄さまに対して危害を加えないと誓います」

 

 傲慢な宣誓に対して、従順さを垣間見せる宣言。

 怪物、五条菫がまるで降参だと言った風にひらひらと手を振り提案する。

 

「……なんの真似だ」

「“縛り”ですよ。お兄さまが主体の不可侵条約。均衡を破るタイミングもお兄さま次第です。細かい擦り合わせは後ほど行いましょうか」

 

 理解はした。しかし納得ができない。

 あれ程までに強欲の咎に溺れていた悪鬼が、今は手弱女の如き仕草で頭を垂れる現状に対して五条悟は疑心を枯らさずに睨みを効かせる。

 

「初めてだったんです」

「なにがだよ」

「敗北も、挫折も、そしてこの胸に燃ゆる熱い()()()も……なにもかもが()()()()でした。」

 

 怪物が、まるで恋に微睡む乙女の如き蕩けた表情を魅せた。

 

「──だから私、強くなります」

「あ?」

 

 恭順の後に、叛逆の示唆。

 舞うように辺りを歩き、白い着物を揺らしながら五条菫は確固たる意志を吐露する。

 

「呪霊から奪って、呪詛師から奪って、奪って。奪い尽くして。いつかお兄さまが()()()()()()()()ほどに強くなります」

 

 絢爛に(わら)う、大輪の花。

 また一つ術師としての成長曲線を迎えた幼き怪物が、尊敬する愛しい兄へと殺意(アイ)を囁く。

 

()()()が来たら、またお兄さまと戦わせてください──今度は、全て奪ってやる

 

 五条菫の人生に於ける最終目標。

 目指すべき最果てが此処に定まった。

 

 故に覚悟しろ全知全能、貴様の全てを奪い尽くしその魂までをも貪ってやると羅刹魔性が狂い咲く。

 

 

 

 

「あっ、でもお兄さまが望むのなら今すぐにでも構いませんよ!」

「……面倒くせえ」

 

 新しい玩具を与えられたかのようにはしゃぐ愚妹を相手に五条悟は、蒼穹を仰ぎながら深いため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 █

 

 

 

 

 

「──で、その妹ちゃんにボコボコにされたんだ。ダッセェ」

「されてねえよ! ちゃんと勝ったっつったろ!」

「悟。五歳児相手に大人気ないよ」

「あぁ゛? なら今度実家(うち)来いよお前ら、一回あのバカ妹とやり合って見ろ」

 

 死闘での後遺症による栄養失調により日がな移動用の点滴と共に生活を強いられる五条悟と言うレアな状況に笑いを堪えながら、夏油傑と家入硝子が普段は全く隙を見せない悪童を揶揄う。

 

 仲睦まじい同学生同士の諍いが、広い教室に響き渡った。

 

「──お兄さま。お体に障りますのであまり騒いではいけませんよ」

『──!』

 

 青春の満ちた空間に入り込む、一人の異分子。

 唐突に此方の会話に付け入るこの場には不似合いな幼子の美声に、夏油傑と家入硝子が僅かな警戒心を抱きながら反応した。

 

「君は……」

 

 いつの間にか開けられた窓から、風が吹く。

 窓際にて優美に居座る座敷童子と見紛うほどに幻想的な幼女の姿を認識し、夏油が疑問を吐露しようとした直後に言葉を失う。

 

 呪術高専。不死の術式を持つ術師である“天元”の結界により秘匿されているはずの此処に現れた部外者の存在に対しての警戒心が、その妖精の如き容貌を目にして緩んだ。そして少女の登場より少し遅れて騒々しい外の様子から、未登録の呪力に反応した結界が異分子を知覚し、高専敷地内の術師たちが此方に向かって来ているのが分かった。

 

「……やっぱ来てやがったか、クソガキ」

「あぁ、やはりお兄さまは気づいてたのね。この以心伝心、まさしく兄妹愛ね」

「違えよ。不意打ちで領域展開するバカを警戒してただけだ」

 

 唯一、五条悟のみはその童女の存在を知覚していたのか驚く素振りも見せずに眉を顰め毒を吐く。

 

「僭越ながらお見舞いに果物をお持ちさせて頂きました。どうぞ、お兄さま」

「要らねえ。誰がそんなもん食うかよ、毒でも入ってんじゃねえの?」

「心外です。そんなつまらない……こほん、酷いことはしませんよ。それに“縛り”も結んだではありませんか」

 

「悟、この娘は……?」

 

 夏油が、緩んだ警戒心を引き締めながら問い掛ける。

 親友である五条悟と似通った容姿、更には先ほどまでの会話で目の前の少女が件の妹であると推測はできた。

 

 しかし、その独特の()()に嫌でも肉体は反応し臨戦体勢の一歩手前を維持する。

 呪霊操術を持つ自分だからこそ知覚できる、その異様な気配に。

 

「コイツがさっき話してたクソガキ」

「初めまして。私の名前は五条菫──いつか、お兄さまの全てを奪う者です」

 

 

 大凡子どものする自己紹介とは思えぬ遠い未来への宣戦布告を放ちながら、菫が咲い(わらっ)た。

 

 

 






 ちなみにもし五条が躊躇わずに菫ちゃんをころころしようとしたら黒閃+死の瀬戸際バフで偶然『赫』を撃ってその経験から逆算して反転術式のコツを掴んで覚醒を前倒しできました。

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