朝の山の空気は湿り気がありながらも冷たくて、独特な澄んだ涼しさがある。
早めの朝食を食べ終わったオレたちが丸太に腰掛けてくつろいでいると、テントの方から今起きてきた冒険者さんたちがやってきた。
「昨日のメシ、美味かったよなぁ~」
「だなだな、いつでもオーエンちゃんの愛妻料理作ってもらえるカナンちゃんが羨ましいぜ」
……全部聞こえてんぞ。
「……おっ、噂をすればカナンちゃんとオーエンちゃん、早起きだねぇ。飯はもう食ったのか?」
「うん! おーちゃんの料理は最高なのよ!!!」
オレが褒められるとなぜかカナンが嬉しそうになるのはなんでなんだ。
カナンが嬉しそうだとオレも嬉しいけどな。
「……それより、まだ昨日のカレーの余りがあるんだけどみんな食べるか?」
「なんだと!! いいのか!?」
「い、いいけど……ルーの元もまだあるし」
圧が凄い……そんなに美味しかったなんて、嬉しくなっちゃうじゃないか。今度また作ろっと。
それから続々と起きてきた冒険者のみんなに、オレたちはカレーの余りを一人1杯まで振る舞った。
朝からみんな幸せな顔をして食べてくれたのであった。
「ふわぁ……なんだかみんな早起きだねぇ」
「それにいい匂いもするわねぇ。またカレーを作ったのかしらぁ? 先にテントで食べなきゃよかったわぁ」
しばらくして、リナリアさんとエリナリアさんが最後に起きてきた。
エリナさんは寝起きだからかとても眠そうにあくびをすると、大きく開けた口にリナリアさんが指を入れようとする。そしてそれを見越して顔をそらす。
……ほんと仲いいなこの二人。
そんな茶番はさておいて。
「ふむ、全員起きたか」
「あら、クラッドちゃん。どこに行ってたの?」
「周辺の見回りだ。ちなみにこれといった事は得に」
「ふうん」
結果的にこれで野営地にいる冒険者全員がこの場に集合している形となった。
だから別に何かする訳でもないけれど。
強いて言えば、Bランク未満の冒険者らは全員帰還する為にテントを畳むくらいか。
冒険者協会からの迎えの車は昼前には到着するそうだ。
「……そういえば、もう一人のSランク冒険者っていつ頃に来るんだ?」
「ふむ、朝頃に来ると聞いているが、そろそろではないか?」
そろそろ来るのか。
Sランク冒険者なんて、きっとかなり強いんだろうな。
……という話をしていた矢先。
「……どうした
「誰か来たわ」
振り向いてカナンが山道の方を見つめる。
耳をすませば、微かな足音がこちらへ向かっているようだ。
「よく気づいたな」
「【広域探知】に引っ掛かったのよ」
そういえばあったなそんな
今後ワイバーンの巣を探すのに役立ちそうだ。
それはそうとして。
やって来たのは、見覚えのある男だった。
「……げっ」
「貴方がSランク冒険者の……オイカワ様でよろしいですか?」
クラッドさんはまずその男に声をかけた。
あいつ、相も変わらず短パン履いてるな。寒くないのか? 脛毛剃れよ。
「そう、この名高きあのSランク冒険者、オイカワ様が来たからにはもう安心です!!!」
……うん。
このオイカワという
「――という状況でしてな。Sランク冒険者となれば実に心強い」
「えぇ、えぇ! この事件、
「すげえオイカワさん……いや、様!」
〝皆様と力を合わせて〟とは。ずいぶんとキナ臭いな。その
すでに若干洗脳されかけた冒険者が見えるし。
「……貴方、ほんとにワイバーンとタイマンできるくらい強いの?」
「失礼な! このワタシに向かって何を言うんだこのクソガ……ふぁっ!?」
「また会ったわね」
煽り耐性低いなこいつ……。
オイカワはカナンに耳を切断された事があるからかひどく怯えた様子だ。
ちなみに斬られた耳は回復薬で繋げたらしく元通りになっている。よかったな。
「み……みなさんっ! この娘は危険ですよ!!! 非行を諭してあげていたワタシにいきなり斬りかかってきたんですよっ!!? まさに血に飢えたバケモノです!!」
「……何言ってんだこのおっさん?」
「事実を言っているまでです!! 危険ですから離れてください!!」
「え? ……た、確かにそうだな」
こいつ……目の前で洗脳しやがった。
それも一人じゃない、何人も。
「そうだ……なんて危険で野蛮な怪物なんだ! オーエンちゃんも幼女の皮を被ったバケモノに違いない!!」
これは分かりやすく言うと、自分の言った言葉を信じ込ませた上で永続的に洗脳状態にする――といったところだ。
「ど、どうしんだみんな!? なんでカナンちゃんをそんな!?」
「あなたたち、カナンちゃんとオーエンちゃんにご馳走になったのを忘れたのかしらぁ?」
オイカワの能力はリナリアさんとエリナリアさんには効いていないようだ。
格上には通じないタイプの能力なので、そういう事なんだろう。
いよいよ冒険者の一人がカナンに向けて剣を振りかざしてきた。それを間に入って食い止めるエリナリアさん。
「やめな! なんでこんないきなり……」
「そのバケモノを擁護するのかっ! さてはお前たちもバケモノの仲間だなっ!?」
「おーちゃん……みんなを殴って止めるのはどう?」
「それはやめとけ、多分悪化する」
これはさすがにまずいな……殴って止めるにしても、オイカワの言葉を信じこんでいる冒険者からすれば自分たちが被害者という体になってしまう。
「オイカワといったか……。さしずめこれは貴様の能力の効果だな? 卑怯で小心者な貴様にぴったりの能力だ」
「ぎっ! よくもワタシにそのような口を!!! ワタシよりも低いAランクの分際で!!」
おお、なんかクラッドさんがオイカワを煽ってる。
どうやら矛先を自分に向けさせるつもりらしく、オイカワが数人の冒険者をクラッドさんにけしかけた。
そして一人で数人の冒険者を相手にしなが、カナンに向けてなにやら目線でサインを送っているようだ。
オイカワを……斬れ? いや違うな。何かを斬るように言ってはいるようだが……。
この場に剣士は三人いる。クラッドさんとエリナリアさんとカナンだ。
その中でわざわざカナンだけにそういうサインを送るのは、カナンにしか斬れないものがあるからか?
うーん……。
そうだ、【魔性の瞳】と【明哲者】を使って解析してみるか。
……ほうほう、ふむふむ、なるほどなるほど。
そういう事か。全部分かった。
「
「さすがおーちゃん、頼りになるわね。それで何を斬ればいいの?」
「ヤツと洗脳された冒険者たちの間の空間を【
あれはあくまで簡易的な洗脳だ。オイカワと繋がる魔力の操り糸がなければ、洗脳状態を維持できない。それを断てばいい」
「了解よおーちゃん」
オイカワがクラッドさんに激昂し、冒険者のみんなの注意も逸れている。この隙に、カナンはオイカワと冒険者たちの間に入り刀を振るった。
「貴様何を――?!」
地面に、オイカワとオレたちを隔てるように
そして――
「バケモノが……バケモノ? あれ、俺一体何を……?」
「何が起こったんだ……なんでカナンちゃんを……」
思った通りだ。オイカワと冒険者のみんなを繋ぐ魔力回路を、カナンの能力で切断する事に成功した。
「は……なんで? ええい、そいつは血も涙もないバケモノですよ!!!」
「いやいや、何言ってんのおっさん? 確かにカナンちゃんもオーエンちゃんも可愛い上に強くて化け物じみてはいるけどよ」
「そうそう、オーエンちゃんの作ったカレーめっちゃ美味いんだよ」
「あー、わかる。また食いたいよなぁ」
これでひとまず洗脳が解けたか。またされないよう、警戒しておくに越したことはないがな。
「
「なんだと……。おっさん、俺たちをよくもカナンちゃんにけしかけてくれたなぁ? 覚悟はできてんのか?」
我に帰った冒険者たちが、カナンからオイカワへ怒りの矛先を変える。
「貴様ら……この私によくもそんな口を聞けますねぇ……。いいでしょう、お望み通り後悔させてあげますよ!!! 〝お前たち全員死n――」
「させない!!!」
「ギャムッ!!?」
その口から邪悪な言葉が吐き出される前に、爆速でエリナさんがオイカワの顔面へ拳を叩きこんだ。
「コイツ……とんでもねーヤローだね。で、コイツこれからどうすんの?」
「そうね、縛ってワイバーンの誘餌にでもしたらどうかしら?」
「カナンちゃん真顔で恐ろしい事を言うね……。貴族の後ろ楯のあるSランク冒険者を死なせるのは後々面倒な事になるから、お勧めはしないよ」
ぶっ飛ばして万事解決とはいかないのがつらいところ。こんなヤツ、さっさと頭蓋を捻り潰してやりたい所だがどうしたものか……
「このまま他の冒険者と一緒に口を縛って帰すなんて――
っ!?
「なっ!?」
「上物のかわい子ちゃんだぁ! でゅふっでゅふっ」
なんだこいつ!? どこから湧いて出た?!
突然どこからともなく現れたそいつは、上半身裸の太った大男だった。
うぇっ、めちゃくちゃ汗臭い……じゃなくて、カナンの背後を取るなんてコイツただ者じゃあない! 見た目はアレだけど!
「つうかまえたぁ……!」
「ひっ……離せ!! 気持ち悪いわよっ!!!!」
き、キモい……!
その大きな脂ぎった手が、カナンの華奢な腕を掴まえ丸々覆う。
「おらぁっ!」
「でびゅふっ!」
すぐさまその丸い腹に蹴りを食らわせ、拘束を解かせはしたが……
「すごいなぁ、ぼくちんよりも力があるなんて可愛がり甲斐がありそうだなぁ。肉付きもいいし、とっても元気だし」
「大丈夫か
「なんとか大丈夫よおーちゃん……けど、あそこまで気持ち悪くなったのは久しぶりよ……」
掴まれたカナンの腕には、油と汗の混ざった手跡がくっきりと残っていた。うぅ、キモい! 即刻【清浄】で消毒だ! 汚物は消毒しなきゃ!!
「うういたた……うん? おぉ、おお!! 黒髪のキミもかわいいなぁ!! 角に尻尾に、なによりその瞳! 唆るなぁ!!」
「……えっ」
おい嘘だろ、そのねっちょりした視線がなんでかオレに向けられてるんだけど。
オレ男だぞ? 元だけど、男なんですよ!!?
「どんな声で鳴くのか、聞いてみたいなぁ。鳴かせてみたいなぁ……!」
「ひぃっ!?」
うぅ、鳥肌立ってきた。
カナンとオレだけでなく、エリナリアの2人も顔を青くしている。
今はクラッドさんが遮るように前に出てくれているけれど、ヤツの視線はオレに釘付けになっていた。
「ロゲリス……はやくワタシを助けなさい……」
「はっ! ごめんなさい、申し訳ありませんオイカワ様っ!!」
オイカワの一声で、オレから目線が逸れる。
こいつオイカワの配下なのか。
自身を助けさせるために転移陣か何かで呼び出したって所か? じゃなきゃカナンの感知に反応するはずだし。
だがオイカワは今、こっちの手の内にある。いくらこいつが単体で強くても、この布陣を相手にそう易々と――
「……あれ? えっ、なんで!?」
「嘘だろ、オイカワのおっさんが消えた?!」
一体ぜんたい何が起こったのか。冒険者たちがざわめいている。
目の前で、オイカワとロゲリスやらいうロリコンがほんとうに消えてしまったのだ。
比喩ではなく、文字通りの意味でだ。
「逃げられたわね……。しかし……こんな気持ちの悪さ初めてよ」
「オレも……だ……」
あの目。オレを値踏みするような、どうしてやろうか妄想いるような。
とにかく気持ちの悪い視線だった。
あいつはオレをどうしたい?
オレを、オレを……
考えれば考える程に、抜け出せなくなって――
「大丈夫よおーちゃん……」
何かを察してくれたのか。カナンが後ろから優しくぎゅっと抱き締めてくれた。
だが、この胸の奥に感じた不快感と嫌な予感は、どうにも拭い去れきれないものであった。