大地を切り分けるように、果ての見えないほど巨大な蒼い壁が空にも見渡す限りに続いていた。
「これがかの〝結界〟ね」
『思っていたよりずっとすげえな。こんなに大きいとは』
結界は半透明で薄く向こう側が見えるが、太く高い木々が繁っているくらいしかわからない。
触ってみると硬く、おそらくはカナンの力でも砕けないのではなかろうか。
これは『イセナ大結界』と呼ばれるものだ。結界であると同時に、トゥーラムル王国と隣国ネマルキスを隔てる国境でもあるのだそうだ。
では、この結界は一体何の為にあるのか。
その理由こそ――
「んっ?!」
バキンッ――!
背後から何か巨大なものが上下に閉じられて、カナンは咄嗟に身を捻って回避した。
「ほう……ワガハイの気配に気づくとは」
「ふふっ、いきなりレディに噛みつこうだなんて礼儀がなってないわね?」
「ニンゲンとは素晴らしい生き物だ。実に美味である!! あぁ、キサマも美味そうだ!」
「そうかしら? あなたこそ美味しそうだけど?」
巨大な黒い獅子の体に蠍の尻尾が3本。
そしてその頭部は、厳めしい人間の男のものによく似ていた。
間違いない、マンティコアだ。
だがコイツは前に見た個体より2回りほどは大きく、更に顔にはハッキリとした表情がある。
しかも獣王?
「なんだ、このワガハイを喰らうつもりか? お前のようなチビがか?
クッハッハッハッ笑わせる! ワガハイこそ新たな魔王となる〝獣王マルドティアス〟であるぞ!!
貴様もワガハイの腹の中でもがいて楽しませてくれっ!!」
「なんだか気が合いそうね? 私も踊り食いは好きよ」
カナンを見て血に濡れた口元を舌なめずりをするマンティコアと、マンティコアを見て唾を飲むカナン。
《検索解析中……。
7域の下位ってとこか。
以前までのオレ達ならかなり苦戦していただろう。
「自ら獣王の贄になりに来るとは、やはり一匹あえて逃したのは正解だったな」
「……ふふっ」
ギザギザの歯列の並ぶ大口を開けて齧り付こうとする獣王。
その様子は、カナンを脅威とも何とも思っていないようだ。
「ぐべっ!?」
――それはまるで大砲が直撃したようであった。
油断しきっていた獣王の顔面に、カナンの【空中跳躍】を利用した蹴りが炸裂したのだ。
カナンの人外じみた怪力によって獣王の体が浮き上がった。
「な……なんだこの……怪力はっ?!」
「誰が誰の贄になるって?」
――
カナンの身体能力は、これを獲得した事で以前までよりも更に強力なものとなった。
一見華奢に見えるカナンだがその実、象をも投げ飛ばす膂力がある。
「ほらほらほらほらっ!! どうしたのよ? 私を食べるんじゃなかったのっ?!」
「クソ……ワガハイも反撃を……ぐぎ……ぐぎぎぎぎいぃぃ」
獣王に反撃の隙を与えぬ神速の連撃。金色の絹を束ねたようなサイドテールの髪が激しく乱れる。
一見小さな少女の殴りや蹴りが、山のように大きな怪物を圧倒する。
強度階域:第7域といえば、
それを油断していたとはいえ、純粋な近接物理攻撃のみで圧倒するカナン……。
恐らく以前までの魔霊形態のオレと互角か、やや上回るパワーがある。
改めて小さな体に鬼神のような力を秘めていると実感させられるな。
「もう終わりかしら? つまんない」
顔の形がひしゃげ、穴という穴から血液を噴き出す獣王。
こうもあっさりと決着がついてしまうかに見えたその時。
「ぎ……ギエエエエエエエエエエッッ!!!」
突如として、理性を無くしたかのような甲高い奇声をあげる獣王。
「最期のあがきでも目論んでいるのかしら? それより私がとどめを刺す方が早いわっ!!」
とどめを刺すため、カナンは白眼を剥く獣王の頸へと【竜爪】を向ける。
だが――
『後ろだ
「なっ!?」
咄嗟にバックステップで回避するカナン。
突然カナンを背後から飛びかかって襲ってきたのは、獣王と瓜二つのもう一体のマンティコアだった。
「ゴルルルル……」
「なによコイツ……?」
《検索解析中……。
分身……!そんな
ともあれ、やむを得ずカナンは獣王から距離を取らざるを得なくなってしまった。
「ぐべぇ……そ、そやつだけではないぞおぉ……! 来たれワガハイの眷族どもよ、時間を稼げぇっ!!」
獣王の周囲の地面に円形の魔法陣がいくつも浮かび上がる。
その上に現れたのは、マンティコアらしき魔物数体だった。
なんだアイツら? 全身が鎧のような甲殻に包まれていて、普通のマンティコアとは違う。防御力に特化したタイプか?
《検索解析中……
アーマードマンティコア……。なんか体が闘争を求めてそうな名前だが、能力は厄介そうだ。
「ゴアアアアアアアッッ!!!」
そのジェットエンジンの轟音を思わせる声は、空気を激しく震わせた。
「雑魚が増えた所でどうという事もないわっ!!」
カナンは最も近くまで迫っていた
そのパワーは
だが
「グルアアァァ!!」
やはりか。
『
「ひいふうみ……鎧が五体と分身が3体。ふふ、問題ないわ!」
「強ガルなニンゲンの雌ガぁ!!」
お、鎧が喋った。まあそうか、最初に出会ったマンティコアもぼそぼほながらなんか言ってたしな。上位種なら喋れて当然なのかも。
「いいこと教えてあげる」
「アァ?」
「私は……人間じゃあないのよっ!」
再びカナンの拳が
ヤツの防御力にはカナンのパワーでさえ通用しない……というのは間違いだ。
〝
拳から手刀へ。
途端に溢れだす、噴水のように降りそそぐ鮮血と内部組織。
カナンの手のひらは、
「ナン、だトっ……!? ニンゲンの分際でヨクモ同胞ヲ!!!」
「あははははっ! 楽しいわねぇっ!?」
完全にスイッチが入ってしまったな、こりゃ。
マンティコアどもには気の毒だが、うちのカナンは獲物を鏖殺するまで止まらないんだ。
【
――その辺の鉄剣じゃカナンのパワーに耐えられない。魔剣も失くしてしまった現状、素手で戦う他ない。
だが、それでもこれほどまでの戦闘力。
今のカナンの強度階域は
それも、膂力の強さだけでだ。
以前までとは比べ物にならない成長ぶりだな。
「――残るはあなただけよ?」
「ぐげ……ワガハイの配下と分身を全滅させるとは」
ズタズタの挽き肉となった配下に戦わせて自身は後方にいた獣王。
よく見るとさっきカナンにつけられた傷が癒えている。回復手段があったようだな。
「ようやく忌々しい結界の外に出られたというのに邪魔をしおって……。さっきは油断したが、今度こそキサマを糧としてくれる!
冥土の土産に教えてやろう! ワガハイはやがて魔王となる〝獣王マルドティアス〟である!!」
「私はカナンよ。私もお腹が空いてきたところだし、さっさとケリをつける事にするわ」
完全に傷を癒した獣王と、ヒートアップしているカナン。
災害級の強さを誇る両者が今、蒼い結界を後ろに対峙した。