夏と言えばポケモン。
「……?」
凍えるような冷たい風を全身で浴びているのを感じ、反射で目を開けば、そこは見知らぬ場所。
古めかしい二色の石材によって作られているこの空間は、とてもじゃないが目に優しくない。なんせ石材の色は赤と黄色だ、正直趣味を疑う。
ただきっと、今はそんなことを考えている場合ではなさそうだった。
「…いたい、さむい」
霞む思考を無理矢理動かしつつ、自分の身体に視線をやる。服は着ていない、全裸だ。そりゃあ寒い、服は何処だ?探せばあるだろう。
いや、ここは見知らぬ場所だった、あるはずがないか。…それよりも視界の半分を塞いでくる髪が邪魔だな、こんなにぼくの髪は長かったろうか?
「…?…??」
思考を包んでいる霧はまだ晴れない。それどころか深くなっていくような気までしてきた。
なんせ、さっきから自身の内に沸いてくる疑問の答えが一つも出せない。
なぜ服を着ていないのか?
ここは何処なのか?
何故こんな場所に自分はいるのか?
何故身体中がこんなにも痛いのか、何故こんなにも髪が長いのか!
まず、自分は誰なのか…?
最悪だ、こんなことさえも分からないとは。普通じゃない、ぼくはこんなにもお間抜けだったのか?…それすらも分からない。
「…」
自分の腹の虫が鳴るまで考え込んだ。立ち上がってぐるぐる回りながら考えた。
…ああなるほど。やっと解った。これは思考に霧がかかっているのではない、それ以前の問題だ。
自分は、自身に対する疑問の答えをそもそも持っていないのだ。
疑問を解くために必要な答えのかけらも、答えを出すための知識の土台すらも今の自分には存在し得ない。自分は何かを失っている。この思考の霧は、失われた何かへの自覚なのだろう。
…どうしてだか、そんな、自分の状態への答えは出せる。そう、自分は記憶喪失だ。いや待て、記憶喪失とはなんだ…?
「…へんてこ、ちしき」
相変わらず、霧は晴れないし思考が纏まらない。…まあ、いいや。
自分のことは、なんとなく解った。さて、次は現状をどうしようか。困ったことに、問題は山のようにある。
服もそうだし、ここが何処か分からないというのも問題。
出入口のようなものは辺りを見渡しても存在しない、密室というやつだ。だが、今はそれよりも大事な問題がある。
「まずは、こいつ」
そう、こいつだ。服のことも大事だが、まずは目の前のこいつ。
自分が目を覚ました時から周りをぐるぐる、ぐるぐる回ってずっと自分の事を眺めてくるへんてこなやつ。
段々と近づいて来ていて少し怖い。
なんなんだろうか、こいつは。
まず目立つのは赤い体色。他の特徴は丸い身体に取って付けたように生えた、ちょこんとついた足と、何かの上顎と下顎にも見える両腕。
いや本当になんなんだろう、こいつ…?
穴だらけのぼくの知識を総動員するが思い当たる節は全く無い。
ただ、不思議とおかしな言葉、単語は浮かび上がっている。
ポケットモンスター、縮めてポケモン…なんのこっちゃ、って感じだ。
「ざっくっど」
「わっ、ないた」
鳴いた。今の鳴き声か?鳴き声か…。
顔のてんてんが点滅している。まぶしい。これが目なのか…?
喜ん、でる?
「わっ」
じーっと見つめていたら、へんてこなやつが急にぶつかってくる。その勢いに思わず驚いて、尻餅をついた。
襲われる!そう思って目を瞑ったが…特になにもない。
「ざっくっど…」
恐る恐る目を開ける。
へんてこが小刻みに震えながらぼくの事を見つめていた。今度は何もしてこない。
今度は何でか悲しげだ。
「…おそわない?」
へんてこは首(?)を傾げ、ゆっくりと全身を使って頷いた。言葉が分かるのだろうか。
そうして、今だに起き上がれないぼくを見てまた震え出す。
…もしかして心配、してくれているのだろうか。
へんてこ、見た目と違って意外と分かりやすい奴なのかもしれない。
言いたいことも、何となく伝わってくるし。
「やさしいな、へんてこ」
手を貸して、と言えばへんてこは驚くほどに正直に腕を差し出してくれた。
へんてこの腕は少し掴みにくかったものの、此方への労りのようなものを感じる。
へんてこ、優しいやつかもしれない。
「ざっくっど」
「ざっくっどって、へんななきごえだよな、へんてこ」
「!?」
へんてこは驚きながらも、まだぼくをずっと見ている。
ぼくが目を覚ましてから、多分一度も目を離していない。どうして、こんなにもぼくのことを見てくるんだろうか。ぼくに興味がある?
…危険がないのであれば放っておこう。へんてこについてこれ以上分かることはない気がする。
ひとまずは、この空間を歩いてみる。へんてこが後ろを着いてくるが、とりあえず無視。
大分広い空間だ、神秘的という言葉がよく似合う。
その中でまず目立つのは、へんてこに良く似た石像。ただ、ひび割れて一部が欠けて、破片が辺りに散らばっている。
その石像から向かって正面の壁には瓦礫の山。
窓とか、扉とか、屋外に繋がるようなものは一切見受けられない。何かを閉じ込めておく場所なのかもしれない。
何を?と問われれば、ひとつしかないだろうけど。
しかし困った。見たままの通り、ここから屋外に出ることが出来ない、というのはいささか困る。
…いや、何故困るのだろう?そもそも、外があるかすら分からないのに。
どうしてぼくは、屋外があると確信しているのだろうか。
思考がまた霧がかってくる、
「ざっくっど」
「わっ。なんだよ、へんてこ」
急にへんてこに腕を掴まれた。
ぐいっ、ぐいっ、と引き寄せられる。
何やら、渡したいものがあるみたいだ。
…そういえば、何を考えていたのだろう。
「…ふくろ?」
へんてこは何処からそれを取り出したのか、大きな袋を手渡してきた。
中には複数の物が入っているようで、振ってみれば、がさごそ、と袋の中でなにかがぶつかり合う音がする。
へんてこは相も変わらずぼくのことを見ている。開けろ、ということだろうか。
開ける。
まず目に入ったのは、妙に光沢感のある人工物。ただ、見るからに粉々に砕けている。
他には、くしゃくしゃになった色つきの紙切れ、手のひらサイズの赤と白を基調とした不思議な球体。最後に厚みのある真っ白なまな板が入っていた。
…粉々になったのってぼくのせいじゃないよね?元々粉々でくしゃくしゃだったんだよね?
「…へーき、へーき」
現実から目を反らして、まずはくしゃくしゃの紙に手を伸ばす。
袋を置いて、両手で紙を引き伸ばしながら確認する。
…これは絵だろうか、曇天の空に大きな穴が空いている。
穴の中は絵ながらも寒気がするくらいに暗く黒く、その先は全く見えない。なんだこれ。
「へんてこ、なにこれ」
「ざっくっど?」
「そっか、しらないならいいや」
へんてこに絵を見せたが、何も知らないようだ。きみが見せたかったのではないのか。
…お次は砕けた人工物。
そのかけらは、おおざっぱに数えて30ほど数がある。
流石に元々こうだったのではなく、何かしらが原因で粉々になり、こうしてかけらになったのだと思う。
きっとその原因はぼくじゃない筈だ。多分。
袋から全部取り出して、地面に並べる。
とりあえず、断面が鋭利なので怪我をしないよう気を付けながら、かけら同士をくっ付けて元の形が分かるかどうかを試してみる。
「これで、あってる?」
完成したのは、これまた変なモノだった。というか変な形の板。
無理に言語化するなら、黄色い輪っかに囲まれた、白い枠に嵌められた鏡…みたいな。
とりあえずへんてこに見せる、なにか知っているといいな。
「これ、へんてこがこわした?」
「ざっくっど!!ざっくっど!!!」
なんとへんてこが壊したらしい。良かった、ぼくが原因じゃないならそれでいいや。
「なんでこわしたの?」
「…」
だんまりだ。へんてこは不満げに形だけ取り戻した変な板を睨んでいる。
ぼくはそれを尻目に他の袋の中身を見る。
「まないた」
間違いなく真っ白なまな板。なんでまな板が…?
「?なにか、かいてある」
まな板をよく見て調べてみると、裏に文字が掘られていた。
暗くてよく見えてなかったみたいだ。といっても、まな板に書かれている文字なんて持ち主の名前くらいだと思うが。
暗くて目視では読めないので、指を当てて読む。
その動作は、自分でも驚くほど自然に行うことが出来た。
「3びきの、ポケモンのちから、じかん、くうかんを、しばしとめる…」
書いてあるのは名前、ではなかった。なんだろうか、これは。
まな板の効力について記されてるとかかな…いや、まな板にそんな何かを止める力は無いだろ。
でも確かにこれで殴ったら大体のやつは暫く止まるだろうな…。
他にも何かを書かれていないか、触って確かめてみるものの、特に他には無さそうだった。
結局誰のまな板なんだろう、これは。
そもそもこの袋とその中身は誰のものなんだろう。
渡されそのままなんとなくで袋を開けてしまったけど。
へんてこの持ち物?
まあ、一番ありそう。なら何故ぼくに渡したのか?
「くれたのかな」
もしくはぼくの持ち物。へんてこが拾って渡してくれたのかもしれない。
そうなると、ぼくは元々ここじゃない場所に居てなんらかの理由でここに閉じ込められた可能性がある。
「でも。なんらかって、なんだ」
「ざっくっど?」
「…わからん」
片手でまな板を素振りしながら、ふと思い至る。
またポケモンだ。ぼくの脳裏に過った不思議な単語。…自分が文字を読める、と解っただけ良しとしよう。
あと残っているのは赤白の球体。
固い石材のような何かが取り付けられており、これもまた見覚えはない。
お守り的なやつかな。他の物みたいによく触って、確かめてみよう───と、したとき。
「ざっくっど!」
「?どうしたの、へんてこ」
へんてこが、一際大きな鳴き声をあげた。
声の方を見やれば、へんてこは瓦礫の山がある壁の前でぼくへと手を振っている。
此方へ来い、と言われている気がした。
「かべになにかある?」
「…」
「ちがうんだ。じゃあ、なんだろう」
袋に中身を仕舞い直して、へんてこの元へと駆け寄る。
素足に刺さる石が少し痛い。歩きながらも足下を確認すれば、風化して床の石畳が欠けていた。その欠けた石を踏んだのだろう。
そしてへんてこは、真剣そうな雰囲気を纏っていた。
「へんてこ、なにかするの?」
「ざっくっど!」
「こわ、す?なにを?」
此方の問いにへんてこは答えない。
その代わりなのか、へんてこの身体がふわりとその場に浮いた。
よく分からない生物(?)が浮いた、というだけでも驚いているのに、へんてこへの驚愕はまだ終わらない。
その両腕が滑かにその身体の上下へと移動する。
そうして完成した姿は、何か勇ましい生物の頭部を模しているように見える。
雄々しきその大蛇の如き
「へんて、こ─────
ぼくがなにを、と言葉を吐き終わる前に。
瞬間。閃光と、暴風。
身体が遥か後方へと弾き飛ばされる、へんてこが見ていた壁とは正反対の壁に身体が叩きつけられた。
その衝撃で息が出来ない。痛みで思考が途切れる。
大怪我に、なっていないといいけど────
「…やば」
先ほどの閃光たちのその正体が、へんてこから放たれた光の束の眩さと、放たれた際の衝撃であることに気付けたのは、跡形もなく破壊されたこの場所の壁を見て少しした後だった。
へんてこは、何故だか少し誇らしげだった。