妖怪談~今を生きる人々へ、今も生きるモノ達より 作:マサル改
第2談
江戸の昔、俺がまだ生まれたばかりの頃。それはそれは最高の時代だった。何にもなかったが、何にもないからこそ多くのニンゲンが街を活気で満たし、より良い明日を夢見て生きていた。それから数百年経ったが、最近のニンゲンもまた随分と憑りつき甲斐があるねぇ。それこそ俺が何体いても全然追い付かないと思うほどだ。どこを見渡してもニンゲン達は二言目には何時だってこう言うのだ。
『仕事が忙しい』と
いつでも俺の事を敬うとは殊勝な心掛けだな。あぁ、やはり俺はこの慌ただしさと忙しさの中に居るととても落ち着くぜ。それにしても何があったんだろうな?江戸もまあ結構騒がしくニンゲンが行きかっていたが、今の時代のそれとはなんか違う気がする。まぁ、別にいいか。俺はただ奴らに“憑いて”行けばいいんだからな。
ニンゲンが生きる為には色々と必要なものがあるらしい。家族、友人、と言った自分以外のニンゲン達。食うものや住処やらそれらを交換する為の代価たる金。そしてそれら全てを持って初めて得られる安全。昔から今に至るまで多くのニンゲンを見てきたが、凡そニンゲンの働く理由って言うのはそれらを得る為だ。
理由を持って働けるとは羨ましい限りだ。何せ俺が忙しそうにニンゲンに憑くのには“理由なんてない”んだからよ。俺はそういう風に生まれ、ただそう在っているだけ。使命はあるが意味はない。俺は、いや俺達は生きている訳じゃないからな。かと言って死んでいる訳でもない。俺達みたいなのを明治の時代頃から“妖怪”と呼ぶニンゲンが増えたが最近では俺等以外にもニンゲンの想像によって生まれた実態無き存在を“虚構”と言うらしい。なるほどねぇ、人間の知恵にはいつも驚かされる。あるんだかないんだか分からない。でも現象としては確かにそこに在る。なのに実態が掴めない。虚ろなもの共。相変わらず小難しい考え方なんで俺には半分も分からねぇが、兎に角、理由を求めて何かを成せるってのは・・・少し羨ましいねぇ。
ほほう、これは又随分と愉快なニンゲンが居るな。まるで俺みたいじゃないか。ニンゲンなのに俺の仕事を真似るとは、肝が据わっている。そう言うニンゲン達の事を“ぶらっく”とか“しゃちく”と言うらしい。ここ数年でニンゲンがよく言っている単語だが、外来の横文字やら造語の類らしくニンゲン達程言葉に頓着しない俺には意味はよく分からない。
そうそう!ニンゲンを忙しなく働かせるのは最高に気分がいいよなぁ!あくせくと色んな仕事を抱え込んで次から次へと仕事の連鎖、これぞ俺の求める社会像って奴だ。まぁ言葉の意味はよく意味は分からんが。ん?なんだお前。他のニンゲンは忙しそうに動いてるってのに何でお前だけ踏ん反り返って偉そうにしているだけで忙しそうじゃねぇんだ?しかも自分は仕事をしなくても許されるみてぇな面してやがる。仕方ねぇな。ちょっくら憑りついてあげようじゃねぇの。なぁに、皆が忙しそうにしてんだ。なのにお前だけ仕事をしないなんて、ありえねぇだろ?
嗚呼、本当に“いそがし”い限りだ。