ヴォルデモート復活のニュースは当然、本国にも伝えた。
厄介なことに、マグルたちはヴォルデモートを知らない。
そのため、大使館ごと日本に戻ることはできない。
「このまま残り大使の護衛に徹しろ、か……。こんなことなら戦闘訓練を受けておくべきだったな」
大木が使えるのは武装解除と盾の呪文など教科書に載っていそうなごくごく普通の呪文だけ。
マグルに溶け込んだ生活をしている日本の魔法使いは不用意に魔法を使えないため、危険な呪いも使用禁止だった。
「陰陽師どもに頼るのは癪だが……致し方あるまい」
残留の通達と共に届いたのは陰陽局からの式紙。
これで大使を守れということらしく、大木が知っている中で最上級の守りの“呪”が籠っていた。
が、あくまでこれは大使のものであり、大木の分はない。
「自分の身は自分で守れってことか」
魔法を使った戦闘なんて大木はしたことがない。
それはイギリス魔法界の者たちだって同じだ。
ヴォルデモートの脅威が去って15年、訪れたはずの平和にしがみつく者ばかり。
『ハリー・ポッターの虚言癖? 乱心したダンブルドア』
大木が部屋で広げた『日刊預言者新聞』はその傾向が顕著であった。
三大魔法学校対抗試合の最終試合の最中にハリー・ポッターはヴォルデモートの復活を目撃し、セドリック・ディゴリーは巻き込まれて殺された。
そのはずなのに魔法省は決してそれを認めず、さらにはハリーが嘘つきだと糾弾し始めた。
「ヴォルデモートの復活が嘘ならエイモスのせがれが死んだ理由がつかないというのに……」
大木はセドリックの父親エイモスが憔悴していたのを見ているし、アーサー・ウィーズリーからもヴォルデモートの復活が真実だと聞いている。
だからこそ、真実を認めようとしない魔法界が不可解で仕方なかった。
「まあ、これはイギリス魔法界の問題だ。何が起ころうと私には関係ない。大使さえ守れればいいのだからな」
大木は新聞を机に放り投げ、大使館へ出勤した。
だが、雲行きはどんどん怪しくなるばかり。
とうとう、ヴォルデモート一行が魔法省を襲撃する事件が起き、彼の復活が真実だと知れ渡った。
それと同時に手のひら返しをする世論に大木は渋い顔になった。
「嘘つきポッターが今度は選ばれし者か……よくもまあ子供をそう都合よく扱うものだ」
ヴォルデモートの復活により魔法使いたちは半狂乱だ。
これまでは気軽に入れていた魔法省にももう足を踏み入れることができなくなっていた。
見慣れない大木は警戒されてしまうからだ。
「不幸中の幸いとでも言うべきか、闇の帝王とやらはマグルの公共施設を爆破するようなテロリストではないみたいだな」
復活のニュース以来、アズカバンの囚人の解放のような派手なこともしているものの、手当たり次第に国中を爆破するような蛮行には及んでいない。
あくまで闇に潜み、じわじわと恐怖を浸透させるいやらしい手を使っていると大木は思った。
だが、彼らが闇に潜んでいたのはあくまで大きな悪事を犯すための準備にすぎないと、大木は思い知ることとなる。
ホグワーツを襲ったヴォルデモートの手下たちがダンブルドアを殺してしまったのだ。
さらに、ホグワーツと魔法省が彼らに乗っ取られてしまった。
すでに魔法省から距離を置いていたため、実際に闇の魔法使いたちがいるところは見ていない。
だが、『日刊預言者新聞』から読み取れる政府の様子だけでも明らかにおかしくなっていた。
「ここでもやり玉に挙げられるのはハリー・ポッターか。まだ捕まっていないだけでも大したものだ」
嘘つきと蔑まれたかと思えば、選ばれし者としてもてはやされる。
そして今は再び「ハリー・ポッター」へのバッシング記事が繰り広げられていた。
だが、17年も『日刊預言者新聞』を見てきた大木だ。
この新聞がころころと意見を変えていたのはよく分かっているため、ハリーが嘘つきであるとは思っていなかった。
それどころか、ハリーをずっとただの子供にしか思えていなかった大木もこのころにはもう彼が特別な者であると信じていた。
毎年起きる騒動の中心にはいつもハリーがいた。
大木は新聞や人づてに何が起きたのか噂を知るだけだったが、それでも十分に知ることができた。
だからこそ、今回も結局はハリー・ポッターがどうにか解決するのではないか、と心のどこかではのんきに思っていた。
なぜならハリー・ポッターは平凡な大木と違う、選ばれし者だからだ。
大木がゴドリッグの谷にいたのはいたのは本当に偶然の出来事だった。
荷物を届けに行こうと思っていた住所を覚え間違え、頓珍漢な場所に来てしまい、それがたまたまゴドリッグの谷―赤子のハリー・ポッターがヴォルデモートを退いた場所―だったのだ。
そこはハリーの両親が死んだ場所でもあり、それを示す掲示もされていた。
さらに、その掲示には姿を隠したままのハリーへの応援メッセージがいくつも書き込まれていた。
『ハリー、応援しているよ』
『どこにいるのか分からないけど私たちも共にいる』
『生き残った男の子の幸運を祈る』
大木はハリーと会話したことはない。
この応援メッセージを書き込んでいる魔法使いたちもそうだろう。
それでも皆がハリー・ポッターの無事を祈っている。
大木もつられて何かメッセージを残そうとした。
だが、その時。
話し声と足音が聞こえて来た。
大木は慌てて身を隠す呪文を自分に掛けた。
もともと影が薄い彼は自分の姿を隠すのが得意だった。
「ハリー、この掲示を見て!」
どうやら声の主はごく近くにいるようだ。
あちらも姿を隠しているものの、会話が聞こえてしまった。
「僕、嬉しいよ。こんなに書いてくれて……」
その声は大木の記憶よりも成長した、青年の声だった。
(ホグワーツの入学準備をしていた子供がもう最高学年か……)
大木が身を潜めているうちにハリー達は老婆に招かれ彼女の家へと向かった。
バチルダ・バグショット、その老婆の顔は新聞か何かで見たことがあったため大木も知っていた。
(まさかここでハリー・ポッターを見つけるとはな……一緒にいるのはハーマイオニーとか言う少女のようだが大人はそばにいないのか? 俺が声をかけるか?)
大木にとって17歳は子供だ。
大人として子供を保護する義務があるのでは、そう思いかけた。
だが。
(いや、俺がいたところで何ができる。むしろ選ばれし者の邪魔になるか)
思い直し、そのままどこか違う場所へと行こうとした。
が、その時。
悪寒がした。
とてつもなく嫌な気配がし、近づいてくる。
そしてソレに気づいた。
のっぺりとした白い顔をした男が闇より暗いローブを纏い、滑るようにこちらへと来ていた。
その目が向く先はハリーたちがいる場所。
バチルダ・バグショットの家だ。
(こいつは何だ?! 今すぐ逃げた方がいい……いや、でもポッターたちがあそこに……けど、ハリー・ポッターなら大丈夫だろうか)
このまま何もせず姿くらましで逃げようとした大木だが、
「ハーマイオニー! あいつが来る!」
バキバキと物が壊れる音とともにバチルダ・バグショットの家から切羽詰まった声が聞こえた。
(ダメだ! 向こうは向こうで何か起きている! コイツが何なのかは分からないが危険なことに間違いない! とにかくあの家から気を逸らすためにも……)
「何者だ! 止まれ!」
姿を消していた呪文を解いた大木はその男の前へ躍り出た。
その男は杖を突きつけた大木をものともせず、冷たい声で言った。
「俺様の邪魔をするな! どけ!」
緑色の閃光が大木の胸を貫いた。
その男、ヴォルデモートは倒れた彼に目もくれず、バチルダ・バグショットの家へと急いだ。
だが時すでに遅し。
ハリーたちはヴォルデモートの目の前で寸でのところで姿くらましをしていた。
大木一夫、享年59歳。
彼は闇の帝王を足止めしたのはたった数秒だ。
だが、その数秒がハリーたちの逃げ道となったことに違いはなかった。
しかし、それを知る者は誰もいない。
それでも彼が人知れず守った若き青年がヴォルデモートを破ったのは、数か月後のことだった。
『若葉の下には大樹が眠る』完