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駒王町。現在、一方通行が住んでいる町の名前だ。その名前が書かれたジャージを着て、彼は広場のマウンドに立っている。学園都市にいた頃では考えられない話だが、夢でも何でもない。
「何あの白い奴」
「球速過ぎだし、曲がり過ぎでしょ」
「ドーピング?」
「こんな遊びの野球大会で?」
つい数日前、町内会長だという男が泣きついてきた。町内会対抗の野球大会があるのに、若い人間が誰一人として参加しないのだと。
それだけならば、一方通行もいつものように「あァそォ」と扉を閉じて終わった話だ。問題はその場面をアーシアが見てしまったこと。困っている人を見過ごせないという、悪癖にも似た彼女の善性によって、その男は救われてしまった。
『フリードさん!後ろは任せてください!』
『オマエはジッとしてろ』
まず出場選手欄に登録されてしまったのは、当然のようにアーシアだった。ポジションは遊撃手である。比較的動き回る必要もあり、初心者にはかなり難易度の高いポジションだ。運動が全くできないというわけではないが、人よりも鈍臭い彼女がするべきポジションではない。フィールドに立つにしても、外野の何処かでボーッとしておくのが、アーシアとチーム双方にとって良いはずなのだ。
けれど、動かなくて良いポジションは既に中年男性達が占拠済み。動きたくないなら、そもそも出るべきではないだろう。そんな文句が口に出そうになったのを堪え、一方通行も署名をした。男からの嘆願では心などろくに揺れなかったが、アーシアに頭を下げられると、少年はどうにも弱かった。
「神父様、ミルたんが全部キャッチするから、安心してくださいにょ」
そしてトドメが、丁度教会に遊びに来ていたミルたんである。魔法少女を目指している謎の生命体であり、魔法とはかけ離れた筋骨隆々の肉体の持ち主だ。
謎のコインを撒き散らした一件以来、ミルたんと一方通行はどうしてか度々ゲームをする仲になっていた。見た目やら言動やらで誤解されるが、どちらも悪い人間ではない。そんな部分が合致したのかもしれない。
ちなみに一方通行は投手をしている。エースで四番というやつにされてしまった。素の身体能力は貧弱そのものでも、能力を行使すれば怪物の出来上がりなのだから、当然と言えば当然だろう。
「ぴ、ぴっちゃーびびってる……」
煽り文句も意味を成さない。どちらかと言えば、バッターの方がビビってしまっている。
そんな子鹿のようなバッターの横で屈んでいるミルたんを見据え、見様見真似の投球フォームをトレースしていく。足を動かし、腕を振りかぶり、正面へ向けて振り下ろす。その直前で適当にそこらのベクトルを掴み、指を離れていくボールに纏わりつくように操作する。
「ス、ストライク、バッターアウト!」
球速は人類最速。バッターの手元で大きく左に曲がったのに、ミルたんは何食わぬ顔でキャッチ済み。これでも結成して三日と経っていないバッテリーである。
「ナイスだにょ」
「オマエもな」
ミルたんの肩も異常だ。軽い掛け合いだったが、その間に二人の間を行き来したボールの速度はおかしかった。銃弾とか砲弾とか言われた方が納得できるぐらいの、人間離れした速度を叩き出していた。それを軽くキャッチし合っているのだから、二人してドラフト一位指名候補である。
「お前行けよ」
「お前が三番だろ」
「俺、死にたくない」
まだ試合は一回表。一方通行が既に二人アウトに追い込んでいるので、彼以上の野球特化型の怪物が現れない限りは残り一人で一回が終わる。野球は基本的に九回まであるので、どんなに順調に行っても二十五回は同じ作業が繰り返される。三球でアウトにしたとして、単純計算で七十五球。
時速二百キロを軽く超えそうな硬球が、人体など知ったことかと縦横無尽に曲がるのだから、打者からすればたまったものではない。
「もォちょっと楽しそォにしろよ」
無理な話である。彼をアーシアと一緒に引き摺り出してきた町内会長ですら、既にドン引きしてしまっている。平然としているのは、一方通行とミルたんのみ。ニコニコとしているのは、アーシア・アルジェントただ一人。半ばお通夜ムードだった。
「なァ」
「ひいっ」
頭頂部から足首の辺りまで落下する豪速球。もはやフォークボールなどではない。野球の形をした戦術兵器か何かだ。それを難なくキャッチするミルたんも中々の怪物である。
そんな二人組に挟まれているバッターはといえば、顔を真っ青にして震えていた。前門の虎がどうこうという言葉があるが、それよりも恐ろしい何かを味わっている真っ最中なのだ。当たり前である。
『フリードさん、後二回で交代ですよ』
幸いにも異国の言葉のおかげで周りに伝わっていないが、アーシアもアーシアで鬼畜だった。野球のルールは一応知っている。ルールブックで一方通行と覚えたばかりだ。
だから、最少で三球で終わることを知っている。けれど、あくまで最少だ。本来はファールやボールで球数が嵩む。一方通行の実力を疑っていないせいで、後二回などという言葉が出てきたのだ。バッターがもし言葉を理解していたなら、この鬼畜少女の言葉に涙を流していただろう。わざとではないにしろ、彼のボールは絶対に打てないと言っているようなものなのだから。
「神父様、次は斜めが見てみたいにょ」
「めンどくせェ」
そう言いつつも、彼は遅めのボールを投げた。球速は先ほどよりもかなり緩やかで、どうにか目で追えるレベル。先ほどのモノと比べれば失投でしかないが、駒王町の若者枠三人組は特に気にしていない。
「は?」
「にょっ」
捉えた。そう思った瞬間にぐにゃりと曲がったボールは、再びキャッチャーの手の中に。バットを振っていなければ、判定でボールを狙えたかもしれない。しかし、判定は空振り扱いでストライク。バッターは完全に意気消沈していた。
「次、真っ直ぐお願いしますにょ」
「相手の前で言ってンじゃねェよ」
普通はサインを出すべきなのだが、そんな練習は二人ともしていない。片方は超能力者で、片方はナチュラルボーンフィジカルモンスター。どちらが恐ろしいかは個々人で差が出るかもしれないが、どちらにしても力で捩じ伏せることができる人種なのである。
「お、お手柔らかにお願いしっ!?」
目で追えたのは投球直前まで。白い球は放たれた瞬間に加速をし、銃でも撃ったような音と共にミルたんが捕らえていた。
『凄いです!流石フリードさん!』
少し離れた場所で無邪気に喜ぶアーシア。通常の野球をあまり知らないことに加え、フリードは何でもできるという何とも言えない固定観念。それらのせいで彼女の感覚が狂っているだけで、普通なら卒倒していてもおかしくない。
事実、彼女以外の野手は軒並み棒立ちで、中には味方であるのに震えている人間までいた。単なるというのもおかしいが、単なるプロ顔負けの豪速球なら、まだ彼らも怯えていなかっただろう。一方通行が軽く放っているのは、大抵のプロが完全に下位互換になってしまうような、怪物球威の豪速球なのだ。それがぐねぐねと触手のように曲がるのだから、強い弱いとかそういう次元の話ではない。
「スリーアウト、チェンジ……」
落ち着きを取り戻した審判が攻守交代を言い渡し、駒王町チームは攻撃側に。一番二番と凡退をしてしまったものの、三番は駒王のフィジカルギフテッドことミルたん。大人が使うバットを持っているはずなのに、その威圧感のせいで爪楊枝か何かのように見えてしまう。
「よろしくお願いしますにょ」
「よ、よろしく」
礼儀正しいのか、変わっているのか。相手のピッチャーとキャッチャー、そして審判に一礼し、ミルたんはバッターボックスに入った。
「にょっ、にょっ」
掛け声と鳴き声が合わさったような声を漏らしながら、軽くスイング。それだけで土煙が舞い上がっているのだが、ミルたん本人は気にしていない。相手投手の姿だけをその視界に収め、白球の中心にバットの芯を当てることだけを考えている。
「あっ、やべ」
完全に怯えてしまった投手の第一球は、見るからにすっぽ抜けていた。超スローボールというほど遅くもなく、速球というほど速くもない。変化球のような動きもなければ、回転が掛かっているわけでもない。
そんなへろへろなボールを、魔法少女志望のミルたんが捉えられないわけがない。普段は悪い心を持った人間を改心させる為に使っている力を、バットに込めてフルスイングした。
「にょぉぉぉお!」
しかし、当たりどころが良くなかったらしい。ホームラン間違いなしの轟音は鳴らしたものの、ボールが向かった先は地面だった。ガリガリと異常な音を立てながら、ボールは三遊間を通過。そのままの勢いで地面を抉り続け、フェンスにぶつかって漸く停止した。その道中に外野はいたのだが、流石に立ち塞がろうとは思えなかったようだ。
「に゛ょ゛ぉ゛!」
もし立ち塞がっていたとしても、結果は変わらなかったかもしれない。ミルたんは土煙を上げながら、ラインに沿ってフィールドを爆走していた。水の上も走れてしまいそうな足の回転に、純粋な脚力。陸上競技でも十分戦っていけそうな動きを披露している。
外野がモタモタとしている間に、ミルたんは既に二塁を踏んでいた。まだ三塁があるとはいえ、外野手はそこらのおじさんだ。レーザービームのような送球はできない。頑張ってボールをキャッチャーの元へ投げていたが、ミルたんの方が速かった。おかしな話である。
「ラ、ランニングホームラン……」
駒王町メンバーの誰かが声に出した通り、ミルたんは純粋な脚力と腕力で一点をもぎ取っていた。
「やったにょ」
「……そォだな」
幼少期から様々な能力を目にして、現在は堕天使や悪魔とも関わっている一方通行ですら、少しばかり引いている。そして最悪なタイミングではあるが、自分をバケモノとして忌み嫌ってきた人間の気持ちを、何となく理解することもできた。
『振る時はこうですからね』
『オマエ、歴は俺と大差ねェだろ』
『動画で見たんです。ボールを下から叩く感じで飛ばす、みたいなことを言ってました』
『ンなことは知ってる』
妙に様になっている素振りを披露しつつ、アドバイスを送ってくれるアーシア。それなりに的を射た内容ではあるのだが、アドバイスをしている相手が悪い。彼は常日頃から電卓必須の物理学を片手間に解いている超能力者だ。その瞬間に吹いている風を観測し、向かってくるボールの速度とブレを導き出し、それらのベクトルを纏めてバットで打ち上げることができてしまう。
「まさか打つ方もやばいのか?」
「流石にないだろ」
「あの筋肉よりはマシじゃね?」
「それはそう」
見物客がガヤガヤと騒いでいる前で、一方通行は不必要なヘルメットを被り直した。もし仮にデッドボールになったとしても、一方通行は無傷でピッチャーは重傷という事態になるのだから、防具の類の必要性はゼロなのだ。
「俺が打つ必要あンのか?」
今更ながら、彼は疑問を抱いた。ミルたんが無理矢理一点を取った以上、一方通行が完璧に抑えてしまえば、それで勝ちは確定である。奇跡的に点を取られたとして、ミルたんとその他数名が頑張れば勝てるはずだ。
「まァ、イイか」
大して気張ることなく、軽く振るう。それなりの速度の球はカコンと気持ちの良い音を立てたものの、一方通行の真左へ転がってファールに。続く二球目も似たような結果に終わり、カウントはツーストライク。ファールとボールで粘ることは十分に可能だが、前者はともかく後者は審判の気分次第でもある。
『フ、フリードさん、だだ、大丈夫です!落ち着いて見てください!』
落ち着くのはオマエだろォが。そう心の中で呟きながら、彼はベンチの方へ軽く手を振った。
それと同時に投げられた三球目は、本当に真っ直ぐな球。先ほどよりも速度は出ており、コースも一方通行の顔の方に寄っている。それ故に打ちづらそうな雰囲気はある。けれども、彼が未知の存在でも何でもないボールに恐怖を抱くはずもなく、瞬き一つせずに動きを捉えていた。どれぐらいの回転をしていて、どの方向に力が働いているのか。物体が動いているのだから、そこには確かにベクトルが存在している。ベクトルが存在しているならば、彼がそれを観測できない道理はない。
そもそもの話、地球上で勝負している時点で、一方通行と一般人の間で勝負が成り立つことはない。それは単純な殴り合いに限った話ではなく、過半数のスポーツを含めた話だ。ボードゲームでその道のプロに初見で勝つのは難しいかもしれないが、多少の練習期間があれば話は違う。素の状態が比較的貧弱とはいっても、その能力の汎用性の高さと学習能力の高さは相当なのだから。
「凄いにょ」
野球中継で度々聞く音を鳴らし、ボールはバットに跳ね返された。ミルたんの時のように下の方には向かわず、空に向けて。斜め四十五度に加速しながら飛んでいくボールは、フェンスの上を悠々と通過していった。
「まァ、こンなモンか」
ルールに則ってダイヤモンドを一周し、ベンチで楽しそうにしていたアーシアに抱きつかれ、それを鬱陶しそうに引き剥がす。遅れてやってきたミルたんと所謂ハイタッチを交わし、そのまま座り込んだ。
続く打者は多少粘ったものの、ヒットは叶わずに凡退。二回表の守備の為にボールを持ち、一方通行はマウンドに向かった。
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結局、一試合目は完全試合になった。敵がバッターボックスから一塁に向かうことは誰一人として許さず、ミルたんと一方通行、時々町内会のおじさん達によって得点。九回表の時点で二十点もの差がついていた為、特に抵抗されることもなく終わった。
流石に可哀想だという大会運営の判断により、二試合目以降は一方通行とミルたんがポジションを交代。それでも異様な球ではあったが、一方通行のようにぐねぐね曲がる速球ではなく、単なる重たくて速いストレートばかりだったので、それなりに試合にはなっていた。
『良かったですね、フリードさん』
『まァ、中々見ねェモンではあるな』
現在は二人で教会への帰路に就いており、いつも通りの祭服に身を包んだ彼の片手には、高そうな肉の塊が入った袋が下げられていた。大会のMVPに贈られる景品だということで、同時受賞したミルたんと分けたものだ。
ちなみにミルたんは肉を片手に颯爽と帰っていった。オレンジ色の恐竜のような生き物と、電子世界を救うのだという。一方通行もアーシアも言葉の意味は分からなかったが、ミルたんが意味不明なのはいつものことなので、特に気にすることもなく見送った。
『普通に焼いても良いですし、赤ワイン……は買えないので、赤ワインの煮込みはできないですね。普通に煮込むか、牛丼?牛丼には向いてなさそうですよね。どうしましょうか』
『……買えはしねェが、手に入る』
『本当ですか?』
『あァ』
懐から携帯電話を取り出し、仕事以外で特に連絡することのない少女の名前を、電話帳から引っ張り出す。通話ボタンを押せば、三回と少しのコールで年齢の割に色気のある声が返ってきた。
「どうしたのかしら。今は部室にいるから、用があるならすぐに向かうけれど」
「赤ワイン一本。値段はどォでもイイ」
困惑するような、怒るような。そんな声が僅かに漏れ出た瞬間に、彼は通話を終了した。もはや協力者というよりは便利屋のような扱いになってしまっている。
『またやりましょうね』
『……そォだな』
若者枠ではあまり目立っていなかったアーシアも、一応は楽しめていたらしい。いつもの屈託のない笑みを少年に見せると、少しだけ前に出た。
『最初のミルたんさんも凄かったですけど、フリードさんのも凄かったです!最初はもうダメかなって思っちゃって、でもフリードさんなら大丈夫だとは思ってたんですよ?本当ですからね?』
ここが凄かった。誰が上手かった。ピョンピョンと飛び跳ねながら、身振り手振りで大袈裟に表現をしている。普段は割と大人しい方だが、やはり彼女もまだ十代の学生なのだ。
『フリードさんって、野球も上手いんですね。子供達としてたんですか?』
『初めてだ』
『え!?』
異国の言葉で楽しげに話す二人組を、町の住民は特に気にしない。まだ一ヶ月ほどではあっても、既に二人は駒王町では当たり前の存在になっているのだ。
母子のようで父子のような。兄妹のようで姉弟のような。そんな奇妙に見える二人の姿は、いつも通りに教会の方へと消えていった。