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朝から机が光ることがあるだろうか。丁度その場所だけ懇切丁寧に磨かれていたとか、妙な薬剤が塗られているとかではない。本当に突然、朝食中の一方通行の目の前で光り始めたのである。触れてみると、そこに渦巻いているのは魔力だと理解できた。魔力の流れは特に問題ない。危害を加えるような動きではなかったので、彼はアーシアが作ったサンドイッチを齧りながら、それがどうなるのかを静観することにした。
「グレモリーじゃねェな」
何度か見たリアスの家の紋様ではない、何処かで見た覚えのある謎の紋様が光り輝き、ポフンという間抜けな音と共に封蝋のついた手紙が現れた。一方通行が交流のある悪魔となると、グレモリーが第一候補。第二候補はシトリー。他に候補があるかと考えると、つい先日の一件があったことを思い出した。数秒前のことを思い返すと、確かに焼き鳥ホストの現れた紋様と同じだった。
「……アポ取るだけマシか」
どんな用事なのかはともかく、唐突に訪問してくるよりはマシである。
一方通行の中での悪魔とのファーストコンタクトは、基本的にまともではない。突如襲い掛かってきたはぐれ悪魔に、騒動の後の穏やかな昼食の最中に現れたリアス。風呂に入っている最中に襲来したグレイフィア。リアスの紹介で少しだけ話した生徒会長のシトリー。
そう考えれば、フェニックスの連絡の仕方は常識的な方だ。人の家の机の上に突然送りつけるのはどうかという話だが、比較的マシであるのは間違いない。
「裁判の呼び出しってとこか?」
一方通行とフェニックスの絡みは例の一件しかない。ライザーの腕を捥いで、精神に少しばかりの傷を負わせた件だ。他に接点などないのだから、手紙を送りつけられるとすれば、それに関する文句か何かだとしか思えない。
心底面倒臭そうにため息を吐き、一方通行は封筒の上部を爪の先でピリピリと裂いた。そのままひっくり返すと、中から出てきたのは一枚の小切手と、長ったらしい上に堅苦しい文章が並んだ便箋。しかし、食べながらでも十分に目は通せる。左から右へ、上から下へ。ほぼ流し読みではあったものの、中身も理解できた。
読み切ったそれは破ってゴミ箱の中へ。同封されていた小切手は、いつの間にか、アーシアからの指令が書かれた紙の上に落ちていた。
「詫びなンざ、コレで十分だろ」
それなりの額が記されている小切手をピラピラと指の間で動かしつつ、一方通行は顔を顰める。形式上必要なのは理解している。けれども、面倒なものであることに変わりはない。そもそも彼は謝罪というものをろくに受けたことがない。それは彼が全て突っぱねていたとかではなく、単純に能力と襲撃者の性質上、そういったことが生じなかっただけだ。
それ故に面倒臭い。単なる子供の喧嘩ならまだしも、相手は貴族だ。堅苦しい礼儀やら何やらがあるのは確定事項。一方通行は怪我などしていない。怪我をしたのはライザーの方だが、彼の怪我も特性上治っているはずなので、もはや小競り合いなどあってなかったようなもの。謝りたいとは思わない。謝られたいとも思っていない。
「つってもなァ」
一方的に届けられた手紙に書いてあるのは、長々とした謝罪の文章と、人が昼過ぎに出向くということだけ。返信用の封筒もなければ、メールアドレスも電話番号も書いていない。つまりは既に決定してしまったということ。連絡をしてきただけマシだが、やはり人間とは文化が違うのだということが分かる。
一方通行は抵抗することを諦め、歯形のついたサンドイッチを口の中に放り込んだ。現在の時刻は九時過ぎ。昼過ぎというのが何時かは個々人によるが、少なくとも十三時以降になるだろう。アーシアからの頼み事を終わらせるには、十分な時間があった。
「……仕方ねェか」
皿を洗う為に流しに向かおうとすると、唐突にゴンゴンという鈍い音が教会に響いた。発生源は玄関。つまり、来客である。アーシア目当ての変質者か、何らかのセールスか。単純に礼拝に訪れた人間という可能性もあるので、一方通行は面倒臭そうな態度を隠すことなく、渋々扉を開いた。
そこに立っていたのは、見るからに警察官だと分かる二人組。彼らの世話になる覚えなどない為、少年は面倒臭そうな顔を更に歪めた。何かしらのトラブルが近隣で起こった可能性があるからだ。
「セルゼンさん、どうも」
そんな態度だったにも拘らず、警官の片割れはニコニコとしている。一方通行の態度は別段珍しいものではないと理解している類の、言うなればアーシアのような雰囲気を醸し出している。
「オマエ、どっかで会ったか?」
そう聞いてしまうのも無理はない。彼の風貌、雰囲気、その他諸々は彼自身が一番理解しているのだから。
「この前の引ったくりの時に対応したヨシダですよ。ほら、セルゼンさんがバイクを片手で止めて、お婆さんの鞄取り返したでしょ?」
手帳を見せてきた男の姿は、確かに見覚えがあった。
「あァ、アレか」
そんなこともあったと納得しつつも、依然として彼らの用事は分からないままだ。近場で事件でも起こったのか。それとも単なる警邏的な何かなのか。度々非常識な面を見せるアーシアが、何かしらのトラブルを起こしたという可能性もある。それを聞こうとした矢先に、ヨシダではない方が若干震えた声を出した。
「ま、迷子を届けに来たんですが」
「迷子?」
当然ながら、一方通行に子供はいない。学園都市にいた頃ならともかく、今に至っては血縁がいるのかすら分からない。フリード関係なら誰かしらいるかもしれないが、そんな話を彼は何一つとして知らない。
アーシアにもいるはずがない。いるとすれば、既に一方通行にも話は届いているはずだ。けれど、子供と関わりがないわけではない。彼女が世話をした孤児院の子供などは、それなりに存在しているだろう。日本の一角に丁度訪れるかは分からないが。そして今現在、彼女は子供の世話はしていない。度々町で出会った子供の相手はしているが、本当にそれぐらいしか子供との接点はない。
つまるところ、届けられる迷子に心当たりがなかった。これが常日頃から教会を迷子センター代わりに使っているならまだしも、そんなことは今まで一度たりともないのだ。一方通行は首を傾げ、顔を顰める。やや恐ろしい表情に警官の一人が短い悲鳴を上げるものの、彼は別段怒っているわけではない。ただ単に困惑しているのだ。
「アルジェントさんの親戚か何かだと思ったんですけど、違いました?でも確かに目的地は教会で、用がある人はフリード・セルゼンって言ってましたよ」
言い終わるや否や、彼らの後ろからひょっこりと顔を出したのは、少し前にオカルト研究部の部室で見た少女だった。如何にもお嬢様といった格好に、頭の両側でバネのようにした金髪。ヒラヒラとした服は色こそ違うものの、部室で遭遇した時と似たような雰囲気である。
金髪という一点だけはアーシアと似ているが、それ以外の部分は似ても似つかない。かくいう一方通行も、もし事前知識が警官と似たようなモノなら、親戚だと勘違いしていた可能性は十分にある。
「レ、レイヴェル・フェニックスですわ!」
とりあえず理解できたことは一つ。この何故か自慢げな少女が、まず間違いなく、フェニックス家の関係者であるということ。
「……手間掛けさせたな。俺の客で間違いねェ」
正直なところ、客とは言いたくなかった。教会の中に入れた瞬間、面倒な話が始まってしまうから。けれど、今更追い返すこともできない。もし今すぐに一方通行が扉を閉めたとしても、すぐにドアを叩いて騒ぐのは目に見えているし、どちらにしても相手をする必要があるのであれば、早めに終わらせてしまう方が良いに決まっている。
何れにしても、彼の機嫌は最低値になってしまっていた。元々機嫌が悪そうな顔つきはしている。所謂、仏頂面とでも言うべき顔だ。しかし、今はそれが可愛く思えるぐらいの雰囲気を醸し出している。
「いえいえ!ではまた何かあったら連絡を!」
そんな彼の様子を見て察したのか、それとも単に能天気なだけなのか。バイブレーション機能を実装した片割れを引き摺りながら、ヨシダと名乗った警官は笑顔のまま去っていった。
「ピッ」
残されたのは、一方通行に睨みつけられて震える令嬢。喉を唐突に締められたような、もはや奇声に近い悲鳴を僅かに漏らしつつ、少女は後退りを始める。その姿は間違いなく可哀想ではあるのだが、自業自得であるのも間違いない。
「連絡してきたからマシかと思ったンだけどなァ」
側頭部に手を当て、バキバキと首を鳴らす悪魔祓い。立っている場所は教会の真正面。悪魔であるレイヴェルの立場で考えると、敵陣の中で天敵と相対していることになる。いくらフェニックスであっても、本来ならば重傷は避けられない場面だ。
「……悪魔ってのは、人間にも予定があンのを知らねェのか?」
白い拳を振るい、開きっぱなしの扉に叩きつける。一方通行としては、単に脅かしてやろうといった程度。決して我慢の限界だったとかではない。確かに腹立たしいが、そもそも人間と悪魔は根本から違うのだから、ある程度は我慢できる。
アメリカの人間が日本のハンバーガーのサイズに文句をつけていても、大抵の人間は仕方ないで済ませるだろう。若干毛色は違うかもしれないが、一方通行の中ではそれぐらいの認識だ。
「なァ、なンとか言ったらどォだ。オマエ、何しに来たンだよ」
つまるところ、一方通行は不機嫌ではあるものの、別段そこまで怒ってはいない。何かしらの事情があるのは察しているし、元々来るのは知っていたのだから。リアスやグレイフィアの訪問の数倍マシである。
しかし、付き合いの浅いどころか、ほぼゼロのレイヴェルにそんなことが分かるはずもない。唯一の交流は兄の腕を放り投げられたこと。個人的に抱いている印象は、怒らせたら途轍もなく面倒で、その上で腕も立つ恐ろしい悪魔祓い。怖くないはずがなかった。
たった今の行動も、開きっぱなしの扉を叩いただけ。それだけの行為であるにも拘らず、自身の立っている地面が揺れたように思えてしまった。ほんの一瞬。気のせいかもしれないと思うぐらいではあったが、それが目の前の白い人間の行動と無関係であるとは思えなかった。
「ご」
そんな人間と真正面からの睨み合いなど、彼女にできるはずがない。そもそもの戦闘経験が少ない上に、レイヴェルはフェニックスの特性を持っているだけ。特性を活かした殴り合いならともかく、諸々のスペックが高いというほどではない。
自分より強い兄を一方的に打ち負かした、明らかに格上の悪魔祓い。それを怒らせてしまった。そう考えている彼女から出てくる言葉など、ほんの数種類に限られてしまうだろう。
「ごめんなさい」
頭を下げた少女の目は、既に決壊一歩手前。それを一瞥して、さっさと中に戻る一方通行。先程拳を叩きつけた扉は閉めず、少し前まで座っていた椅子の元に足を進める。
「オマエはまだマシみてェだ。兄貴が最後まで頭下げなかった分、余計にな」
そして一向に動く素振りを見せない少女にもう一度視線を向け、顎で教会の中を指した。
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机を挟んで対峙する二人。両者の前には缶コーヒーが一つずつ。一方は悪魔祓いで、もう一方は悪魔の家の御令嬢。ライトノベルの一つや二つ書けそうな組み合わせだが、残念ながら間にあるのは男女の雰囲気などではない。しかし、険悪な雰囲気でもなかった。
「観光ついでに早めに来たら、道に迷った挙げ句、フラフラしてたから警察に通報された……恥ずかしくねェのか」
ゲラゲラと大口を開けるでも、嘲るような短い笑いでもない。可哀想な人でも見るような目をして、彼はため息を吐いていた。
「人間界なんて、滅多に来ませんもの」
対峙する彼女はというと、一方通行の言う通り、恥ずかしかった。貴族としてのプライド以前に、一人の少女として。これが一桁の子供ならともかく、人間ならば中学生になっている年齢だ。まだ短い悪魔としての生の中で、トップクラスに恥ずかしかったのは確実である。
「なら、尚更迷わねェよォにするべきなンじゃねェの」
駒王町の地図。携帯端末に内蔵されている位置情報。何らかのナビゲーションシステム。道行く人に聞かずとも、頼れる道具は今時いくらでもある。どんなにアナログでも地図ぐらいはあるのが普通だ。しかも、駒王町を統治しているグレモリー家と繋がりがあるフェニックス家出身。少し話せば、地図の一つや二つは譲ってもらえただろう。
「まァ、転移ばっかしてるオマエらには無理な話か」
座標を計算して細かな転移を繰り返す学園都市の能力者とは違い、悪魔のそれは粗雑だ。
「す、少しは足も使いますわ!」
その結果が迷子である。どう考えても、歩き慣れている者の結果ではない。道に迷ったら人に聞くということすらできていないのだから、出歩くことや人と話すことにも慣れていない可能性もある。
「オマエ、結局何しに来たンだ。座って駄弁りてェなら、喫茶店で暇そォなオッサンと相席でもしてろ」
「お兄様の件の謝罪ですわ」
だろォな。心の中でそう呟きながらも、一方通行は違和感を覚えていた。それは警官の後ろから登場した時の態度だ。貴族だから馬鹿にされないようにしているだとか、元々の気質だとか色々と理由は考えられるが、それでももう少ししおらしくすべき場面だった。
「謝罪って面じゃねェと思うンだが」
「それは、その」
唇を尖らせて言いにくそうにした後、目をキョロキョロと動かし、大きく息を吐く。そして、ゆっくりと口を開いた。
「そういうのは面倒臭がるタイプだから、程々にして世間話でもすれば良いと」
「グレモリーか」
一瞬でバレてしまい、慌てふためくレイヴェル。
「ど、どうしてバレたんですの!」
「オマエと俺の交友関係照らし合わせて考えりゃァ、アイツかあのメイドぐらいしかいねェだろォが」
「あ、あのメイド……」
リアスに相談したことも一瞬で看破された挙句、魔王の女王であるグレイフィアに対し、あのメイド呼ばわり。何処から突っ込めば良いのか、レイヴェルには分からなかった。
「グレイフィア様って呼べばイイのか?悪魔祓いの俺が」
傍若無人ここに極まれり。別段問題がないのは分かっていても、悪魔である彼女には微妙に受け入れ難い事実だった。
「あの方をそんな風に呼べるのは、貴方ぐらいだと思いますの」
冥界の女性悪魔の憧れを挙げるとすれば、確実に二番目には入ってくるグレイフィア。彼女を呼び捨てで呼ぶ悪魔など、旧魔王派の連中ぐらいだ。貴族社会が染み付いてしまっている悪魔の世界において、トップクラスの悪魔である彼女に様をつけないなど、無礼極まりない。もし無礼講の場であったとしても、様をつけてしまうだろう。
「まぁ、フリード様はそういう方なのでしょうし」
そう言い終えると、レイヴェルは缶コーヒーに口をつけた。
「苦いですわ……」
ちなみに、レイヴェルが飲んでいるのは一方通行が既に飲むのをやめた種類のコーヒーだ。気に入った物を大量に買い、飽きるまで飲み続けるというのが彼の習性。だが、飽きるまでというのが曲者だ。飽きるまでの量とペースが誰にも分からないのである。そういう理由で完成したのが、冷蔵庫の横にある缶コーヒーの山だ。アーシアがちびちび飲んだり、コーヒーゼリーにしてみたりと消費してはいるものの、そこそこな量が残っている。
丁度良い機会なので客人であるレイヴェルに押しつけてみたのだが、どうやら口に合わなかったらしい。太陽の下で迷子になっていたせいで、喉は乾いている。しかし、苦過ぎて口に含み難い。言葉にしていないだけで、顔で全てが丸分かりだった。
「生憎、貴族様仕様の茶葉なンざ置いてねェンだ」
茶葉自体はある。アーシアが学校に持っていく為の麦茶のモノだ。けれど、流石に紅茶の類の買い置きはない。そういうのを好む客人が来なかったというのも、理由の一つだ。
「せめて砂糖とミルクが欲しいですわ」
「立場ってもンが分かってねェのか、オマエ」
実際にはろくにあの一件の話はしていないものの、一応は謝罪をしに来た悪魔と、謝罪をされる側の人間。本来であれば、前者がもう少し謙るべきだ。にも拘らず、図々しく要求をするレイヴェル。
一方通行は舌打ちを隠そうともせず、近くの引き出しを乱雑に開けた。中に転がっているのは、何かに使うだろうと放置している割り箸やら何やら。その中から手に取ったのは二つ。何かについていたスティックシュガーとフレッシュである。大した計算も挟まず、彼はそれらを少女に向けて放り投げた。
「へぶっ!」
普段運動をしないお嬢様が、飛んでくる物体を二つ同時に取れるはずもなく、左目と右目にそれぞれが直撃。怒り心頭で立ちあがろうとしたものの、眼前に立っているのは相変わらず仏頂面の一方通行。文句を言えるはずもなく、レイヴェルは僅かに乱れたスカートを直しながら、椅子に座り直した。そもそもの話、彼女は文句を言える立場ではないのだが。
「使わねェなら、さっさと返せ」
「つ、使わせていただきますわ!」
缶コーヒーの小さな口に向け、砂糖と白い液体を注ぎ込む。しかしながら、それだけで苦味がどうにかなるはずもない。普通ならば、混ぜる工程が必要だ。
「マド」
「オマエ、俺が召使いだとでも思ってンのか?」
「お、思っていませんわ。ホホホ」
プルプルと震えながら、缶の蓋を摘んでユラユラと円を描くように回す少女。それで混ざるのかは本人も分かっていない。変な味の液体を口に含むよりも、赤い目に睨まれる方が嫌だったが故の策だ。
「ふぅ……」
そして、混ざったのか混ざっていないのか分からない液体を口に含み、一息。先程よりは相当甘くなっていたコーヒーは、レイヴェルの麻痺していた思考を上手く動かすのに丁度良い塩梅だった。
「とりあえず、えーと……」
ただ、その程度で慣れていないことができるようになるわけではない。ポケットから折り畳まれた紙を取り出し、なるべくそれから視線を逸らしながら、少女は悲しげな雰囲気で言葉を紡ぎ始める。
「この度は、兄が」
「やる気あンのかねェのかどっちなンだ」
十数回の指摘を受けつつも、彼女の対外的な初仕事は無事完遂された。相手方が納得しているかどうかは置いておくとして、初めてにしては十分に立派にこなしたと言えるだろう。
「それから、こちらがお詫びの品ですわ」
続けてレイヴェルが何処からともなく取り出したのは、果物が入っている類の段ボールだった。箱にプリントされているのは、リンゴのような形の何か。一方通行が能力を行使するまでもなく、箱はあっさりと開いた。中に入っていたのは、均等に並んだ十二個の梨のような物。何とも微妙なチョイスである。
「毒リンゴか?」
「私達を何だと思ってますの!?」
「悪魔だろ」
「それはそうですけれど!」
一方通行もボケようとしているわけではない。ただ、悪魔の持ってくる果物が人間に何らかの悪影響を及ぼさないのか、という単純な疑問を抱いただけだ。悪魔や堕天使の跋扈する世界に慣れてきたとはいっても、彼がいるのは人間の生活圏内なのだ。悪魔とも必要以上に関わっていないのだから、子供のような疑問が湧くのも仕方がない。
「貴方はこう、何と言うか……」
言いたいことはあったが、彼女は我慢して椅子に座り直した。相手は人間で、悪魔祓いで、男だ。何もかもが違うのだから、妙なことを言われるのも当然。そう考えたのである。
「ところで貴方、お兄様に何をしたんですの?」
そして、あからさまに話題を変えた。間違いなく、謝罪ついでに聞きたいことではあったのだ。けれど、切り出すタイミングがなかったのも事実。初っ端から怖い顔をされ、苦いコーヒーに文句をつけてしまって更に怖い顔をされた。そんなタイミングで話を切り替えるなど、無謀にも程がある。
しかし、良い感じに空気の緩んだ現在なら、唐突に言っても大丈夫なはず。レイヴェルはそう考え、なるべく凛とした声で問い掛けたつもりだった。実際には体も声も僅かに震えているのだが、それに関しては原因である一方通行自身も理解している。それ故、特に指摘をすることなく、いつものように顔を顰めた。
「ンなこと聞いて何になンだ」
「あの日から、魔力が上手く扱えないと言ってますの。あの有様だと、レーティングゲームで絶対に勝てませんわ」
「負けりゃイイだろ」
負けても勝っても、一方通行に害はない。仕事がなくなるのは困るので、婚約破談、つまりリアス達が勝つ方がやり易いというだけだ。
「私もそれはどっちでも良いですけれど、そういう問題ではなくて」
「そもそも、俺はあの日特に何もしてねェよ」
目を丸くし、首を傾げる少女。不死鳥と呼ぶよりも、梟の方が近いかもしれない。
「……何も?」
「そンな意味不明な症状が出るよォなことはしてねェ。あの場じゃァめンどくせェから魔力は散らした。が、何日も使えなくなるよォなことはしてねェってことだ。まァ、軽いトラウマってとこか?」
攻撃が一切通用せず、逆に自分が負傷する。炎を浴びせても眉一つ動かさず、腕をへし折られる。最終的には能力が使えなくなり、グレイフィアが無理矢理離脱させるまで、離れることもできなかった。
たった一瞬ではあっても、浴びた恐怖の量は膨大だったのだろう。一方通行は例の日の状況を客観的に捉え、そんな適当な推測をし、ライザーの症状を心的外傷と仮定した。
「ま、魔力を散らす?」
「ニュアンスで理解しやがれ」
理解は何となくできる。魔力の流れを断ち切ったとか、流れを掻き乱したとか。きっと、そういう意味なのだということは分かる。ただ、それを人間が容易く行なったという事実を、レイヴェルは恐ろしく感じていた。
「まさか、神器」
「そォかもな」
多分だが、違う。少年の反応から、彼女はそう判断した。神器保持者であれば、ある程度の異常事態は引き起こせる。天変地異ならまだ可愛いものだ。神をも滅ぼせるという物すら存在しているのだから、魔力や光力ぐらいなら操れない道理はない。
「なら、時間が解決してくれるのを待ちますわ」
「グレモリーとの試合は本気でどォでもイインだな」
「女の立場になってくださいまし。婚約自体は良いとしても、リアス様の意思も約束も蔑ろにしているのは、少し気分が悪いですわ」
意思も予定も無視されて、現在進行形で悪魔の話し相手をしている人間もいる。そんな嫌味が頭に浮かんだものの、一方通行がそれを口に出すことはなかった。
「それはそうとして、私にも同じことをしてくださいますか?」
「同じこと?」
「お兄様にしたことです」
「……被虐趣味でもあンのか?自分で言うのもアレだが、鬱血するよォなもンだぜ?」
「ち、違いますわ!何を言ってらっしゃいますの!?」
両手を顔の前で振り始め、騒がしさが増していく令嬢。当然のことながら、彼女の前の少年の顔は段々と機嫌が悪そうになってくる。
「お兄様のカウンセリングをする為に、同じ経験をしようと思っただけですわ」
「ンじゃまァ、遠慮はしねェよ」
顰めっ面の一方通行は、騒いでいる真っ最中のレイヴェルの腕を、躊躇いなく掴んだ。ライザーにやったのとほぼ同じ構図で、やることは全く同じ。悪魔の体内を巡っている魔力のベクトルを掴み、捻じ曲げる。一方通行からしてみれば、たったそれだけのことだ。
「き、気持ち悪いですわ……。流れてるはずなのに、行かないで良い方に……どういう仕組みですの?」
「オマエらみてェな信用ならねェ種族に、手の内明かすよォなバカはいねェだろ」
「悪魔に対するイメージが悪いのは仕方ないと思いますけれど、その言い方は酷いと思いますわ」
そんな言葉を交わしながら、レイヴェルはどうにか魔力を流そうと試みる。とはいっても、本来なら血液と同じように無意識で流しているモノを、流してみようなどと考えたところで大して変わらない。
「手足が痺れた時みたいですわね」
結果、抱いた感想はそのレベルだった。ライザーの置かれた状況なら、混乱して狂ったように暴れても仕方がないかもしれないが、やられるということを理解していれば、別に恐怖を抱くほどのことでもなかった。レイヴェルとしては、扉を叩かれた時の方が数千倍怖かった。
「理屈は似たよォなもンだ。だから、あの鳥頭のは俺のせいじゃねェ。アイツ個人の問題だ」
「と、とりあたま……」
もはや鳥しか残っていない。レイヴェルだから大丈夫だが、これがライザー本人やフェニックス家の他の面々が相手だった場合、確実に良い顔はされないだろう。
「ま、まあ。とりあえず納得しましたわ」
彼女の言葉を聞いて、一方通行はため息と共に手を離した。
「なら、さっさと帰りやがれ」
「爺やの迎えの予定が夜の九時過ぎですの」
ナメてンのか。口を突いて出そうになった言葉をギリギリで抑え込み、両側のコメカミを左手で押さえる。
「……俺も用事があンだよ」
「留守は任せて下さいまし」
何言ってンだ、コイツ。近くに誰かいたら、彼は確実にそんな問いを投げ掛けていただろう。
「オマエ、一旦頭千切って作り直した方がイインじゃねェの」
「ざ、残虐非道過ぎですわ!」
確かに残虐かもしれないが、一方通行は別にやるつもりはない。やっても良いのならば、実験も兼ねて喜んでやったかもしれないが、流石に誰が来るか分からない状況で、初対面の少女で活け造りをしようとは思わない。暗部を転々としてきた少年にも、それぐらいの良識は存在しているし、そもそも彼はそういう極悪で残虐な人間ではない。
「もォイイ、オマエも来い。居座られるよりマシだ」
「どちらへ?」
「スーパーマーケット。社会見学に丁度イイだろ」
昨日卵を買い忘れたので、行けそうだったら買いに行ってください。他にも欲しい物は買っても良いですけど、刺激物は一個までですよ!
そう書かれたメモ用紙をピラピラと左手の指の間で動かしつつ、一方通行はアーシア愛用のファンシーなエコバッグを手に取った。