レイヴェルが教会を訪れた翌日のこと、一方通行は朝から意味の分からない光景を目にすることになっていた。
「どォしてオマエがいンだ」
長い髪を後ろで束ね、エプロンを着用している金髪の少女。それは説明するまでもなく、彼の同居人であるアーシアだ。問題はその隣にいる、少しばかり奇妙な格好をした女である。
銀色の髪にメイド服。何故かフライパンと菜箸を巧みに操って料理をしている、若く見える女。何処からどう見ても、数日前に教会に侵入したグレイフィアその人だった。
「一応、ご挨拶に伺いました」
彼女が駒王町に来るという話は聞いていた。管理人であるリアスが、レーティングゲームに向けた修行で暫くの間留守にする為、代わりにグレモリーの関係者が監視に来るのだとか。
「挨拶に来た奴が、なンで人ン家のキッチンで飯作ってンのかって聞いてンだよ」
しかしながら、グレイフィアが教会にやってくるという話は聞いていない。来るかもしれないとは思っていたものの、まさか朝から来ているとは思ってもみなかった。
それを半ば受け入れそうになっている、この世界というよりも悪魔達に毒され始めた自分の頭を小突きつつ、一方通行は半目でアーシアの方を見た。
『おはようございます、フリードさん』
『……オマエはそォだったな』
残念ながら、特に文句はないらしい。アーシア・アルジェントという人間は、例え相手が狂人だろうが堕天使だろうが、普通ならば接するのを躊躇うであろうミルたんだったとしても、分け隔てなく対応することができる人間なのだ。今更悪魔が朝から訪ねてきたところで、別段何とも思っていないのである。もしかしたら、一方通行がまた友達を作ったぐらいの、非常に緩い認識しかしていないかもしれない。
「リアス様の代わりを務めるといっても、手持ち無沙汰だったのでつい……」
「百年単位だか千年単位だかの職業病ってのは、中々にイカれてやがンな」
半ば本気で言っていそうなグレイフィアに雑な返答を返していると、彼女の隣にいたアーシアが、いつの間にか一方通行のすぐそばまで寄ってきていた。何やら興奮している様子だが、彼にはその要因に見当がつかない。
『フリードさん、グレイフィアさんって凄いんですよ!半熟のトロトロの目玉焼き、簡単そうに作っちゃうんです!』
『……そォか』
一方通行は基本的にキッチンに立たない。アーシアに呼ばれたら手伝いに行くぐらいで、彼が使う調理器具は基本的に二つ。湯を沸かす用の鍋と、冷食や作り置きを温める電子レンジだけだ。後者に関しては調理器具と呼ぶべきなのかも曖昧なラインである。
けれども、料理ができないということはない。半熟の目玉焼きも、タンパク質と火加減の兼ね合いを計算すれば済む。それを抜きにしてやるとなれば、難しいのは百も承知。故にアーシアの気持ちも分かりはするのだが、どうにも凄さが分かりづらかった。
『ほら、お箸で突いたらトロ〜って!』
『そォだな』
「アーシアさんの分もできましたよ」
食卓に並んでいるのは、何の変哲もない白米に豆腐の浮かんだ味噌汁、そして焼いたベーコンと件の目玉焼き。グレイフィアも同席するつもりらしく、空の皿がそれらの横に並んでいる。それに一方通行が最近飲んでいる缶コーヒーと、アーシア用の牛乳。
「卵の賞味期限が近かったので、和洋折衷になってしまいましたが」
『ありがとうございます。助かりました』
いつの間にかグレイフィアの分も完成しており、そのまま食卓へ。アーシアの音頭で手を合わせ、教会の中で白米を食べる銀髪と金髪と白髪。一体全体何処の光景なのかと思わされるが、日本の比較的中心に位置するそれなりの町だ。
「お二人とも、箸の扱いが上手いですね」
『こンなもンだろ』
手に持った箸の先同士を軽くぶつけ、カチカチと音を鳴らす。生まれはともかくとして、一方通行が育ったのは日本の中にある学園都市だ。研究所の中でも、箸を使って食べる物は大量にあった。フォークやスプーンも当然使えるし、テーブルマナーも叩き込まれている。それを真面目に使ったり、守ったりするかは別の話だが。
『フリードさんは上手いですけど、私はまだまだです。豆とか卵は難しいですし』
「その二つは日本育ちの方でも難しいのでは?」
そう言いながら、グレイフィアも器用に箸を使っている。三人の中で誰が一番下手かという話ならば、間違いなくアーシアにはなってしまうが、そこまで気にするほど酷くもない。日本に住んで一ヶ月の少女としては、上出来と言って差し支えないだろう。
『最悪刺せばイイだろ』
「それはダメです。メイド的にはNGです」
『そうですよ、行儀が悪いです』
マナーを無視した妥協案を提示するも、料理担当且つ国外出身の二人にダメ出しされ、ため息を漏らす一方通行。落ち込んだとかではなく、単純に面倒臭くなっただけである。
仲良さげに話す二人を視界から外し、調味料の並ぶトレイの上に手を伸ばす。その中から迷わず醤油差しを手に取ると、既に塩胡椒が目立つ目玉焼きに、その中身を躊躇いなく垂らした。
「唐辛子を混ぜた方が良かったですか?」
『俺は別にミックスしたゲテモノ食うのが好きなイカれ野郎じゃねェ。元からそォいうコンセプトならまだしも、単体で完成してるモンブランにブートジョロキア突っ込むのはイカれてンだろ』
『ブート?』
「唐辛子の一種です。普通の料理に使うような辛さではありませんね」
我が物顔とまではいかないが、友人のような面で居座るメイドを交えて歓談しつつ、朝食を食べ進めていく。特に何かトラブルが起きることも、起こすこともない。グレイフィアがいることもトラブルではあるかもしれないが、既にノーカウントである。この程度のことをトラブル扱いしていたら、悪魔だらけの駒王町で生活することはできない。
そうこうしているうちに、一方通行とグレイフィアの皿は空になっていた。アーシアは元々が若干のんびりとした性格である上、まだ慣れていない箸での食事だ。もうそろそろ食べ終わりそうではあるものの、二人よりは若干遅れている。
そんな彼女の姿を横目で見つつ、一方通行は缶を僅かに傾けた。チャポチャポと黒い水面が揺れる音を耳に入れ、そのまま抱いていた疑問を口にする。
『ンで、オマエは本気で飯作りに来たのか?』
リアス・グレモリーは確かに土地の管理をしているが、実力的にはグレイフィアよりも数段どころか数十段は劣っている悪魔だ。家族であるとはいえ、代理として呼ぶには些か過剰な戦力である。
疑問を抱いた理由はそれだけではない。駒王町にはもう一人、生真面目そうな魔王の妹がいる。一人に全てを任せるというのは荷が重いかもしれないが、牽制に使うネームバリューとしては十分過ぎるだろう。
そもそもの話、リアスの不在を周知しなければ済む話でもある。何れにしても、グレイフィアは魔王の側近にして相応の実力者だ。そんな存在が来ているのは、リアスの代わりとはまた別に何かしらの事情があるのだと、一方通行はぼんやりと考えていた。
「……アーシア様、少しだけ彼を借ります」
一瞬だけ目を泳がせたかと思えば、二人分の皿を重ねて流しに置くグレイフィア。急に動き出した上、尋常ではない速度である。どうやら観念したらしい。
『は、はい?分かりました』
アーシアは急な切り替わりについていけていないようで、了承の返事を反射的に出すだけだった。そんな状態の少女を一瞥し、一方通行は一足先に中庭へ。
グレイフィアを待つ時間は、ほんの一分程度で終わった。まだ指先に水滴がついている状態で現れた彼女は、先程までとは打って変わって神妙な顔つきになっている。元々キツそうな顔はしているが、それとは種類が違った。
「一つ耳に入れておきたいことが」
「なンだ」
どうせろくなことではない。そう考えながら、一方通行はいつものように顔を顰めた。悪魔が持ってきた話というだけでも胡散臭いのに、悪魔の中でも最上級の悪魔だ。如何に核でも耐えられる一方通行でも、身構えない方が難しい。
「このはぐれ悪魔を狩った覚えは?」
グレイフィアがポケットから取り出したのは、何処にでもいそうな男の写真だった。彼女の言う通り、男は人間ではない。一方通行もリアスからの情報で知っているが、危険度の高いはぐれ悪魔の一人だ。
「ねェな」
そして、一方通行は写真の中の悪魔と対峙したことがない。もし殺すなり何なりしたなら、彼は間違いなくリアスに連絡していただろう。グレイフィアからの質問も、もう少し違うモノになっていたはずだ。
「……なら、これは少しマズいかもしれません」
「結局、ソイツがどォしたってンだ」
「リアス様が出発した日の夜、駒王町の外れで殺されていました」
別に知り合いでも何でもない悪魔が死んだところで、大した衝撃はない。アーシアのように悲しげな顔をして祈りを捧げることもなければ、一体誰がやったのかと正義感を持って憤ることもない。しかし、殺されたとなると話は少し違う。
「悪魔祓い関係っつーケースは」
人間よりも血生臭い悪魔社会。普通に生きているだけで殺される可能性は大いにある。その中で一方通行が真っ先に思いついたのは、やはり同業者の犯行という線だった。
「光力の痕跡はありませんでした。代わりにあったのは、二種類の魔力の残滓だけです。なので、教会関係者や堕天使ではないと思われます」
片方がはぐれ悪魔の魔力だとすれば、その場にはもう一人の悪魔がいたことになる。はぐれ悪魔を狩る為に出向いたか、偶然遭ってしまったか。どちらにしても、かなり面倒臭い輩であることは間違いない。
「この悪魔は」
「確かSS級って書いてたな。主人と自分以外の眷属、討伐隊複数を虐殺したンだっけか。潜伏先不明の奴らの一人。違うか?」
グレイフィアは小さく首を振り、彼の言葉を肯定した。
「それから、少し気になる物がありました」
悪魔の顔写真の代わりに現れた写真を見て、一方通行は目を細めた。そして一旦目を閉じて、もう一度見開く。しかし、その写真に写っている物は変わらない。
「……加工アプリでも使ったのか?」
「いえ、実物もこうなっています」
真っ二つにされた木の幹。巨大な刃物で上から丁度半分になるように切ったような、そんな形をしていた。しかし、その周りには残り半分がない。その場で半分にしたのなら、その形状的に転がっていくことはない。悪魔同士の争いによって消し飛んだのなら、その余波で立っている幹も何かしら起きているはずだ。
「元々そォいうもンってことは」
「ないでしょう」
一方通行も植物に関する知識はあまり持ち合わせていないが、物理的にあり得ないのは理解していた。故に無駄な問答である。それでも彼がこの質問を投げ掛けたのは、最後の抵抗だった。
「まァ、何にしても」
抵抗を諦めた彼は、普段通りに雲を流す空を睨みつけた。
「近くにめンどくせェのが来てる。そォいうことだろ」
「そういうことです。暫くは私もいますが、気をつけてください」
一方通行が気をつける必要は大してないが、アーシアはかなり危ない。普段から十字架と聖水を持ち歩いていても、悪魔だと気づけなければ対処できない。もし仮に気づけたとしても、アーシアはそれを相手に叩きつけることができるかと問われれば、彼女を知る人間は全員首を振るだろう。それができるのなら、彼女は辺境の地に追いやられる前に、自分から教会を出ているはずだ。
用心するに越したことはない。とはいえ、何をすべきか。一方通行の中で次々と浮かんでくる案を吟味する間もなく、グレイフィアは重たそうに口を開いた。
「それから」
「まだなンかあンのか」
「リアス様の兵士が持つ神器を知っていますか?」
「あのうるせェ赤い籠手だろ」
その言葉に、グレイフィアは顔を顰めた。本来なら、うるさい籠手で済むような代物ではない。目の前の少年が単なる自信過剰な人間なら、彼女は軽く笑って流していただろう。しかし、ライザーとの一件を見た後では、彼が自信過剰だとは思えなかった。
「はい、正確には『赤龍帝の籠手』と呼ばれていますが。一誠様の持つ赤龍帝の能力は、十秒ごとに力を倍にするという、シンプルかつ強力なものです」
「そォだったな」
興味なさげな返答をしたのも束の間、一方通行の眉間に皺が寄った。グレイフィアが言おうとしていることに、何となく見当がついたからだ。
「それの対になる白龍皇は、十秒ごとに半減と吸収をする能力。ただ、両者共に別の能力も持っています」
「それがアレか」
彼の頭に浮かんだのは、先程見せられた木の写真。彼女も少年と同じ思考に至っていたようで、小さく頷いた。
「私の推測ですが、この一件は白龍皇も絡んでいるかと」
二種類の魔力の残滓。半分になった木。単純に考えれば、悪魔と白龍皇、もしくは悪魔と悪魔がやり合っている最中に、残る一人が乱入したと考えるべきだろう。もう一つの可能性としては、白龍皇が何らかの方法で魔力を扱えており、実際には一対一でしかなかったというモノ。何れにしても、グレイフィアの持つ情報が乏しすぎて、一方通行の脳でもその場で起こったことのシミュレーションは行えない。ただ一つ分かるのは、神器という対処が難しいものが近くに来ているということ。
「……赤龍帝に釣られたのかもな」
「可能性はあります」
他に可能性があるとすれば、一人残されているもう一人の魔王の妹。単に通りすがり。アーシアという線も捨て切れない。
「ンで、どォしろってンだ」
「気をつけるだけで構いません」
「は?」
殺してこいだとか、捕獲してこいだとか。うけるかどうかはともかくとして、そういう類の依頼を押し付けられると思っていた一方通行は、口をポカンと開ける羽目になった。
「貴方が噂通りの危険人物なら、対消滅を狙って依頼という形でぶつけていたでしょう」
一方通行がグレイフィアの立場だったら。そう考えれば、確かにやっていることは正しい。それを本人に言うのは正しくないが。
「ですが、噂とは全く違いました。本当に貴方が気の狂った悪魔祓いなら、あの善性の塊のようなアーシア様が懐いているはずがありません」
一方通行がフリードについて知っていることは少ない。財布に残されていた何かの会員証のようなカード。彼が残したと思われる荷物から得られる情報。レイナーレと愉快な仲間達からの評価と、リアスとグレイフィアからの評価。そのどれもがろくなものではない。
一方通行自身、学園都市にいた頃の自分の評判に自信はない。人殺しとまではいかずとも、暴力的で人をしょっちゅう怪我させていた人間。それが周囲からの人間の評価だろうとは思っている。学園都市から駒王町に移って、一方通行の精神に大きく変わった点はない。相変わらず粗暴で、ガラが悪い。にも拘らず、フリードとしての評価は高くなっている。
相当酷かったというのは、本当のフリードを知る人間に聞かなくても十分に理解できる。学園都市の不良達が可愛いと思えるレベル。それが一方通行の考えるフリード・セルゼンだ。
「そもそも、貴方はフリード・セルゼンとは別人。違いますか?」
だから、周囲は違和感を覚える。フリードの知人であるレイナーレは、一瞬でそれを覚えた。リアスも疑っている節はある。まだ数回の対面であるグレイフィアもそう思っているのだから、相違点は数え切れない程あるのだ。
「……さァな。俺は俺だ」
それでも、一方通行は否定も肯定もしない。偽名だったとしても、自分自身を指す名前があるということに、若干の居心地の良さを感じてしまっていたから。記憶の片隅にある字の形も思い出せない名前より、第一位を指す能力名より、偶然貰い受けた名前の方が好きだった。
「それで良いです、それが良いです。貴方達の形を崩すのは、私個人としては嫌ですから」
そう言うと同時に、仕事用の薄い表情が崩れた。髪の色と似た瞳を細め、唇で若干の弧を描く。遊んでいる子供達を見守るような、優しげな笑みを浮かべていた。
・
教会にグレイフィアとアーシアの二人を残し、一方通行は町を歩いていた。二人に追い出されたとかではないが、料理談義に花を咲かせている二人がいる場所では、どうにも居心地が悪かったのだ。
「にしても、白龍皇か」
学園都市にはなかった魔力と光力。この二つに関しては、一方通行もキチンと把握している。解析も既に済んでおり、反射も上手く機能している。自身から発することこそできないものの、周囲に存在していれば手足のように操ることもできる。
だが、神器は違う。聖書の神が作り出したという、持ち主に摩訶不思議な力を与える異能。それの代表例である一誠の籠手を、彼は理解することができなかった。彼の打撃は反射できる。そこに存在しているのは、単なる運動エネルギーでしかないのだから。けれど、ドライグと呼ばれる龍の魂も、倍化の仕組みも上手く解析できなかった。
一方通行の持つ世界最高峰の演算能力が、ここ最近で急激に衰えたというわけではない。単純に知識が足りていなかった。加減しか知らない小学生が、資料もなしに無限等比級数に挑むような。そんな事態に陥ってしまったのだ。それは一誠の神器だけに留まらず、アーシアのモノも同様。何が起こっているのかは漠然と理解できていても、そこに存在している理屈が何一つとして理解できないのだ。
聖書や魔術に関する本を読み漁っても、解答は得られなかった。悪魔の振るっている魔力は、単なるエネルギーでしかない。それらを変換して色々な電気量や熱量として使用しているだけで、基本的にはそこらのエネルギーでしかないのだ。堕天使や天使の持つ光力も似たようなモノ。
しかし、神器は根本的に違う。どう足掻いても干渉できない場所に存在している。確かに持ち主の体内に存在しているのに、決して触れられない何処か。それこそ、魂や心とでも呼ぶべき場所に。そこに触れる手段を、そこに辿り着く手段を、今の一方通行は持ち合わせていない。
「つーか、俺のコレも似たよォなモンだな」
『自分だけの現実』と呼ばれる能力の根幹。実際に脳の何処が司っているのか、科学者達ですら把握していない何か。一方通行が神器に干渉できないのと同様、基本的に他人のソレに干渉することはできない。
「……心霊スポット巡りでもしてみっかァ?」
手っ取り早く霊魂について知ることができそうなのは、幽霊そのものと会うことかもしれない。そんな間の抜けた考えを口に出した瞬間、一方通行の周囲の空気が変わった。
「今度はなンだってンだ」
疎らに歩いていたはずの人影は消え、昼前の青い空は赤黒く変わっている。そして、決定的なのは漂っている魔力の量。彼を囲っている不可視のモノの正体は、魔力によって形成された結界。悪魔が人を襲う時に使う常套手段であることを、はぐれ悪魔と何度も交戦している一方通行は知っている。
「フリード・セルゼン。噂通りの風貌だな」
開けた道の先には、先程までは影も形もなかった少年が立っていた。暗い銀色の髪を揺らしながら、一歩ずつゆっくりと歩み寄ってくる姿に、一方通行は見覚えなどない。何処かですれ違ったとしたら、かなり目立つ容姿の彼を見過ごすことなど、そう簡単に起こらないはずだ。
銀髪の少年の言葉通り、一方通行のことを一方的に知っているだけらしい。
「気持ち悪りィ。個人情報保護とかプライバシーってのは、発展途上の冥界にはねェのか?」
「それだけ名が売れ始めているということだ。喜ぶべきじゃないか?」
「俺は芸人でも役者でもねェンだ。知名度なンざいらねェよ」
挨拶代わりに右手を振るい、自動販売機程度なら軽く吹き飛ばす風を放つ。その行き先は真正面で突っ立っている少年。体勢的にも体重的にも、まともに受ければ空に舞い上がるのは確定している。
しかし、その正確な演算にノイズが叩き込まれた。彼の演算を狂わせたものの正体は、少年の背中から突如現れた翼。悪魔のソレとも、堕天使のカラスのような翼とも異なる、機械のような形をした真っ白な翼。本来起こるはずだった結果は、その機械風の翼から放たれた音声によって、平然と捻じ曲げられた。
『Divide』
直訳すれば、分ける・分割する等々。そういう類の言葉になる英単語。つい先程、一方通行は似たような話をしたばかりだ。半減する能力を持つ、面倒臭い輩が近くにいるという話を。
「あァ、オマエが白龍皇ってヤツか」
本来なら、銀色の少年は遙か後方で倒れていただろう。しかし、結果はよろめいただけ。それなりに鍛えられた体幹があってこそだろうが、道端の石ころで躓いたぐらいの反応だった。
「腕を振るだけでこの出力。それに聞いた通り頭も回る。中々厄介そうだな」
値踏みするような視線に対し、真っ向から睨み返す一方通行。抱いた若干の怒りによって、演算能力が損なわれることはない。その程度で演算に支障をきたすようでは、彼は学園都市の第一位に君臨していなかっただろう。
「上から喋ンのは止めねェけどよォ」
祭服の少年が地面を踏みつけた瞬間、アスファルトに亀裂が走った。縦横無尽に駆け巡っているようにも見えるが、その目的地はたった一つしかない。それを察した銀髪の少年は、背中の白い翼を羽ばたかせ、慌ててその場から飛び退いた。
「空は別にオマエのもンじゃねェだろ。なァ、白トカゲ」
しかし、その派手な破壊行動はブラフでしかない。
一方通行が取り出していたのは、フリードから受け継いだ武器の一つ。レイナーレ達によって光力が込められている、悪魔祓いの為の特殊な銃だ。
一方通行はそれを自身の側頭部に突きつけ、口を三日月のように裂いた。銀髪の少年は口を開け、目を丸くしている。何をしているのか。そういう疑問が生まれるのは、一方通行の持つ能力を知らないからだ。
「何を」
その疑問を口に出そうとした瞬間、銀髪の少年は体勢を崩した。翼は健在。魔力も尽きていない。ただ、いつ迫っていたのか分からない光の弾丸が、彼の肩を容赦なく貫いたからだ。
「流石にコレだけじゃァ落ちねェか」
続けて三発。今度は自身の頭に向けず、宙をフラフラとしている少年へ向けて。構えも何もない、非常に乱雑な射撃だった。
射撃訓練などしていない一方通行にとって、空中の的を狙い撃つのは難易度が高過ぎる。静止しているならまだしも、上下左右に飛び回っている上に警戒度は数倍。どれだけ運が良かったとしても、当たるのは至難の業だ。事実、最初の二発は当たり前のように魔力弾で相殺され、もう一発は難なく躱されることになった。
「確かに、自分の方が上だと思っていた。自分が世界一だとは思っていなかったが、知らず知らずのうちに思い上がっていた」
一瞬だけ体が輝いたかと思えば、銀の少年の体は白い鎧に覆われていた。何処かで見た籠手のデザインと似ている、龍を模したような鎧だった。
「あの堕天使達の戯言だと侮っていたが、認識を改めよう」
「堕天使?」
一方通行と交流のある堕天使は、レイナーレとその部下三人だけだ。相手が一方的に知っているというケースを抜きにすれば、その四人以外から一方通行の情報が漏れるはずがない。
堕天使から得た情報。自由自在に操る魔力。人間にしか宿らないはずの神器。それらの情報を統合すると、異常な人物像が幾つか浮かび上がってくる。ある意味で幸運な少年に若干同情するものの、喧嘩を売ってきたという事実は変わらない。
「胸を借りるつもりでやらせてもらう、フリード・セルゼン」
「貸すつもりなンざねェよ。一生壁打ちでもしてろ」
そう言いながらも、結界を壊して出ていこうとはしない。このまま目の前の少年を外に出せば、更に酷いことになるのは目に見えている。そもそもの実力が未知数であることに加え、どう動くか分からない神器。単なる神器ならまだしも、神器の中でも上位の存在である神滅具であることも問題だ。その言葉通りなら、駒王町が半壊で済めば良い方だろう。
「俺の名前はヴァーリ。ヴァーリ・ルシファー。悪魔祓いの君にとっては、垂涎ものだろう?」
顔まで覆う鎧のせいで、その表情は全く見えない。けれど、好戦的な笑みを浮かべているのは分かった。一方通行にとって、喧嘩を売られたり襲われたりは珍しいことではない。学園都市では下剋上や復讐、金銭目的というのが多かっただろうか。しかし、今目の前にいる存在はまた別だ。
下剋上に近いかもしれないが、正確には違う。どうせなら勝ちたいと思っているとしても、根幹にあるのは戦闘への欲求だ。つまるところ、戦闘狂とでも呼ぶべき類の人種、もとい悪魔種というわけだ。
「こォいうバカもいンのか……」
そう呟くと共に懐に銃を仕舞い込み、一方通行は右足を少しだけ上げた。別にそうする必要はない。単なるパフォーマンスだ。ノーモーションで周囲の建物を倒壊させることも、決して不可能ではない。
「飯は食ってきたばっかなンだよ。まァ、腹ごなしには丁度イイかもな」
足が下ろされても、地面に亀裂が走ることはなかった。代わりに跳ねたのは、サッカーボール程の土瀝青、即ちアスファルトの塊。それを爪先で軽く叩きつつ、一方通行は白い鎧の動きを観察し始めた。