迫り来るコンクリート片や土塊をバレルロールのような動きで回避しつつ、避け切れなかった一部を拳や魔力で迎撃する。そして隙だらけの少年に向け、魔力弾を叩きつける。そうしているだけなら、ヴァーリも一日や二日は戦い続けることが出来ただろう。
しかし、相手はそれを一週間は続けられそうな状態だった。その場から全く動かず、地面や浮いた物を蹴るだけなのだ。それだけならまだしも、攻撃しても効いているようには見えなかった。魔力か何かを使って障壁を展開しているのなら、消耗させているのかもしれない。だが、フリードは障壁に似た何かを展開する素振りは見せていない。ただ突っ立っているだけだ。
「話に聞いた通りだな」
フリード・セルゼンという存在をヴァーリが初めて認識したのは、ほんの数週間前のこと。神器保持者の殺害を命じられた末端の堕天使達が、いつまで経っても帰って来なかったことが全ての始まりだ。
神器関連の仕事だったということで、何か起こったのではないかという堕天使もいたのだが、結局は下っ端が帰って来なかったというだけ。最初こそ心配されていた。しかし、すぐに忘れ去られた。血生臭い堕天使組織では、よくあることだ。皆そういう認識だったから。
そこで終われば不運な事故で終わったのだが、その後にひょっこりと帰ってきてしまったものだから、逆に怪しまれることになった。そこから神器関連ということでアザゼルに話が伝わり、更にヴァーリに伝わった。
その際に聞いたのが、フリード・セルゼンという奇妙な異能力者の話だ。本来は単なるはぐれ悪魔祓い。神器は持っていないし、聖剣や聖遺物を持っているわけでもない。それなのに異常な力を振るい、堕天使四人を一方的に倒してしまったのだという。
それだけ聞いても、ヴァーリは何とも思わなかった。実際のところ、つい数分前まで何とも思っていなかった。神器と異なる異能を持っていたとしても、証言者は末端の堕天使だ。中級の悪魔にやられるような力しかない堕天使達の報告で、いくら強いと言われていても、ヴァーリの求めるレベルにあるのかは分からなかった。精々、堕天使の幹部以下。その程度の印象を抱いていた。
それでも彼がやって来たのは、アザゼルに様子を見てくるように言われたからだ。フリードの根城が現魔王の妹の領地だとしても、危険人物なら警戒しておくに越したことはない。それがアザゼルの考えであり、ヴァーリも同意した。
「すげェすげェ。何処の航空団所属だ?」
不快な笑い声を響かせながら、無尽蔵にも思える弾丸を打ち出すフリード。その姿には隙しかない。つい数分前にヴァーリが彼を視認した時と同じ、目が見えているのか怪しく思える程に杜撰な警戒だ。
相手が一般人ならまだしも、白龍皇を相手をしているのなら、警戒しておくに越したことはないはずなのに。けれど、馬鹿にしているわけではないことも、ヴァーリは何となく理解していた。
彼がフリードを見た時の第一印象は、チグハグな強者。そう表現するしかなかった。歩く姿も立っている姿も、何処を切り抜いても隙だらけ。不機嫌そうな顔はしていても、それは周りの敵を警戒しているとかではなく、単に元々そういう表情をしているだけ。つまるところ、そこらの学生よりも弱そうな動きしかしていなかったのだ。
窮鼠猫を噛むという言葉が表す通り、弱者が相手であっても、侮れば手痛いしっぺ返しを喰らうことはある。それを更に上回り、弱者が強者を喰らうこともある。万年弱小チームが前年王者を下す展開。ミツバチが集団でスズメバチを殺す戦法。陸上でも上位に入る狩人のチーターが、獲物であるはずのガゼルの蹴りによって大怪我を負う。そういう事例は幾らでもある。それは悪魔祓いと悪魔による殺し合いでも起こり得ることだ。ヴァーリ自身、弱者側にも強者側にも回った経験がある。だからこそ、強者であれば警戒は怠らない。警戒しないタイミングはあっても、していれば怠らない。それが戦いを生業にする生き物。少なくとも、ヴァーリはそういう風に考えていた。
「
「勿体ねェな。それだけ曲芸できンなら、引く手数多ってヤツだろ」
しかし、フリードは違った。戦いを生業としている生き物ではなかったのだ。
「見誤ったか」
その能力故に彼は戦闘をしたことがない。ヴァーリはそう判断した。
確かに世間一般から見れば、戦っているように見えるだろう。しかし、フリード・セルゼンはヴァーリを敵性生物だとは認識していても、自分の命を脅かす相手としては見ていない。彼は戦闘をしているのではなく、ただ一方的に嬲っているだけ。それは戦闘ではなく、単なる蹂躙でしかない。
強者を目指す少年は、五臓六腑が煮え繰り返る程に憎悪を覚えさせられた。神でも悪魔でもない、神器や聖剣すら所持していないような一人の人間が、ヴァーリ・ルシファーを敵とすら認識していない。檻越しに吠えているポメラニアンだとか、人間に敵意を抱いているミジンコだとか、その程度にしか見ていないのだ。その力を妬ましくも思っていたが、それ以上に腹立たしかった。そしてそれをどうこうできる力がない自分のことも、殴り飛ばしたいと思っていた。
空を白い翼で駆け回りながら、ヴァーリは頭を振った。熱くなってしまった頭を冷やし、そのまま冷静に思考する。フリードの防御方法は一体どういうものなのか。それさえ理解すれば、突破口は見えなくもない。そこから一発でも入れることができれば、フリード・セルゼンの貧弱そうな身体を崩すのはすぐ。そう考えたのである。
「まずは全方位」
フリードを中心に大きく旋回し、多数の魔力弾を送り込んでいく。爆撃のような景色になってしまっているが、爆心地からは未だに弾丸が飛び出していた。つまり、効いていない。効いていたとしても、動きを止める程ではない。
「まァ、総当たりってのは悪くねェ手段だよな。知らねェ式を自分で導出するぐらいなら、そっちの方が早く終わるパターンもある。そォいやァ、アイツも分かンねェ確率問題全部書き出してたっけか?」
響いてきた声にも、痛みや焦りは微塵も含まれていなかった。土煙の中にあるシルエットは、相変わらず動く気配はない。足を度々動かしてはいるものの、それは移動や回避の為ではなく、単なる攻撃の為。ヴァーリの攻撃は何一つとして届いていなかった。
「ヴァーリ、観察するなら視界は良好な方が良いだろう」
「ああ、そうだな」
自身に宿る龍の言葉に同意し、少年は軽く爆発を起こした。土煙を払う程度の風を起こす、小さな爆発だ。しかし、それが引き起こされるのとほぼ同じタイミングで、フリードを中心として竜巻が起こった。轟と鳴いた風が天まで届く渦を作ったかと思えば、それはヴァーリの起こした風を巻き込んで、ほんの数秒で消え去った。
その中心に立っていた少年は、キョロキョロと辺りを見回した後、ヴァーリの方をジッと見つめ始める。先程までは大した興味もなさそうだったのに、一体どうしたのかとヴァーリも見つめ返してみれば、すぐに興味を失ったように目を逸らした。
「……あァ、オマエの中のトカゲの声か」
一人で納得したらしく、それ以上は何もない。何かを探しているのか、ゆらゆらと視線を彷徨わせていた。その動きは確かに不気味ではあるものの、観察する時間に繋がるのもまた事実。
仮説を立てて、一つずつ検証していく。フリードの言う通り、まずは総当たりで計算をしていくしかない。障壁を突破できるかはともかく、障壁の仕組みぐらいはそれで理解できる。仕組みが理解できれば、突破の糸口を掴める。
「俺をトカゲ呼ばわり。余程のバカか、それとも」
「分かってるだろう。フリードはバカだったとしても、それだけの力のあるバカだ。そもそもバカではなさそうだが」
自身に宿る龍と言葉を交わし、ヴァーリは翼を動かして舞い上がった。相当派手な動きだ。飛行機の離着陸を目の前で見るより、余程派手だろう。しかし、フリードは赤い双眸をヴァーリに向ける素振りなど見せず、何かを求めて足を動かし始めた。
その背中に向けて、容赦なく魔力の塊を叩き込む。卑怯などとは思わない。現在行われているのは、騎士同士の誇りを賭けた戦いなどではない。ヴァーリが吹っ掛けた、単なる路上での喧嘩だ。礼儀作法は存在していないし、規則も禁じ手もない。
「……無意味、か」
けれど、少年神父は見向きもしない。直撃したのを認識しているのかすら、その反応だけでは分からなかった。実際のところ、何も感じていないのかもしれない。魔力弾は跳ね返るような挙動を見せただけで、本来の攻撃という役割を、一切全うしていなかったのだから。
「なら足元。いや、足の裏。地面に接しているなら、地面からの攻撃なら通るはず。それをするなら、何が必要だ?俺が地中に潜り込む……いや、簡易的な地雷を」
全方位の攻撃。背後の一点狙い。その他諸々の空中からの攻撃。どれもが無駄に終わったのだから、残る手段はかなり少ない。銃撃でもしてみるか、徒手空拳でも試みるか。
ヴァーリが思いついたのは、直下からの攻撃だった。頭上や背後を含む全方位からの攻撃が通じない。魔力の軌道から察するに、跳ね返されている。何もかもを跳ね返しているように見えるが、足はキチンと地面に接している。なら、真下から攻撃したらどうだろう。その程度の単純な考えである。
「……罠か?」
それを少年神父が認知していないとも思えず、白龍皇は首を傾げた。片手上段で待ち構えられているような、何とも言えない気持ちの悪さ。それを感じ取ってはいても、無視せざるを得ない。それをやってみるしか、道はもうないのだ。
諦めて術式を構築し始めるものの、それを設置するのは難しい。ヴァーリが作ろうとしているものは、文字通りの地雷だ。つまるところ、トラップ。それに相手を引っ掛けるにはどうするべきかというと、相手の油断を誘わなければならない。馬鹿正直に目の前で設置したとして、引っ掛かるのは余程のバカか罠を無視できる怪物だけだ。
目眩しも兼ねて、もう一度魔力の塊を射出しようとした。しかし、標的であるフリードの姿が、ヴァーリの視界から消えている。慌てて周囲を見渡してみると、丁度近くの路地に入ろうとしているところだった。
「何をするつもりだ……」
逃げるにしては、あまりにも緩慢。誘い込んでいるにしても、それをする意味はあまりない。追うべきか否か。そんな自問自答をする間もなく、フリード・セルゼンはすぐに戻ってきた。手に灰色の筒のような物を持って。
「オマエの実験に付き合うのもイインだが、こっちのにも付き合ってくれよ」
神父が悪魔のような笑みを浮かべた次の瞬間、灰色の筒が宙を駆けた。そこで漸く、ヴァーリはその正体を理解する。それでも、速すぎて詳しい文字は見えない。ただ、正体を理解するには二文字で十分だった。
「ガス」
冷静な声色でその二文字が口から飛び出るも、頭の中はぐちゃぐちゃだった。鎧はある。既に展開している。それで防ぎ切れるか。分からない。魔力による障壁を展開した方が良い。
何度も窮地に追い込まれているからこそ、それだけの判断を咄嗟にすることができた。もしこれがヴァーリでなければ、文字を読み取ることすらできていなかっただろう。
「結界の範囲に何があンのか、ちゃンと確認した方がイイぜ?」
続けて飛来したのは、何処かから引き千切ったらしき鉄板。ガスボンベに向けて、寸分の狂いなく突っ込んでくる。その間に入れば、次の事態は防げるかもしれない。だが、高速で飛来する金属片を防いだとしたら、それなりの傷を負うのは間違いない。防いだところで、別の物を投擲されれば終わり。それなら、その数秒を使ってキチンとした防御の型を作り上げた方が良い。そんな判断を下した。
「まァ、こンな町中にンな大層なもンは置いてねェがな。そこらのガスと一緒だ」
衝突。衝撃。飛び散る金属片。弾ける炎。
至近距離で起こった爆発によって、ヴァーリの視界は赤く染まっていく。防御はできている。ダメージも大してない。それでも生じた熱はキチンと伝わってくる。瞳が熱くなり、乾くような感覚を抱く。慌てて顔を逸らすものの、それだけで逃れられるものでもない。
しかし、逃れることはできずとも、その熱そのものを減らすことはできる。そういう能力を、彼の神器は保持しているのだから。
『Divide』
特殊な音声が響くと同時に、炎が弱まる。鎧越しに伝わっていた熱も同様に。何度も何度もそれが響いた後、ヴァーリの視界に残ったのは僅かな炎と砕けたボンベの一部のみ。
だが、それで安堵はしない。まだ戦闘中に行われた一撃を凌いだだけで、凌ぎ切ってはいないのだ。
「もォ食っちまったのかァ?」
そして、第二射。いつの間にか取ってきていたらしく、形状も書いてあることも先程と全く同じ物が、ヴァーリの元に迫ってくる。しかし、今度は油断も隙もない。投げられた物の正体も、その先の相手の動きも把握している。
「何度も同じ手は食わない」
「遠慮すンじゃねェよ」
近くに来る前に迎撃し、続けて飛来する金属片も拳で弾き飛ばす。弾けた炎の中を高速で突っ切り、フリードへと急接近。その足元には、次の弾にされるであろうボンベが転がっている。自爆覚悟の至近距離になってしまうものの、それはヴァーリにとって好都合でしかない。
「流石に無謀過ぎたか」
たった今吐き出した言葉も、一連の動きも。それらは全て陽動でしかないのだから。本命は足元からの攻撃。
爆発に巻き込まれ、ヴァーリは地面を転がった。その際に半ば強引に手を突き、即席の地雷を設置する。手首を軽く捻ってしまうものの、それは必要経費だ。出費に見合う成果が得られるかどうかは分からない。けれど、何かやらなければジリ貧なのも間違いないのだ。
「炙られンのが趣味なら、人の迷惑にならねェよォにしてくれ」
爆炎の中から聞こえてくるのは、相変わらず不機嫌そうな少年神父の声。どうしてコイツは無傷なのかと苦笑しつつ、白龍皇はゆらりと立ち上がった。攻撃が効かないと理解していても、やはり受け入れ難いのである。
「……なンかしたか?」
「何も」
炎を裂くように現れたフリードの体には、煤の欠片も付いていなかった。火の中にいたと言われても、全く信じられない格好である。その真っ白な頭にも焦げ目一つ存在しない。どういう理屈なのか。
ヴァーリを思考を巡らせながら、目の前の少年の動きを注視した。次はどういう挙動から何が繰り出されるか。足を振り上げるようなら、弾丸はどのように飛んでくるか。頭の中で予測と試行を繰り返し、悪魔祓いの一挙手一投足を見逃すまいと、兜越しに睨むような視線を浴びせる。
「ンで?オマエの予想はどォなンだ」
だが、彼は攻撃をしようとしなかった。目元まで伸びている前髪の一部を人差し指に巻き付け、くるりと弾けさせただけ。それが何かのトリガーになっているということはなく、風がヒューと音を立てたぐらい。周りの何かしらが動き出すこともない。
「今のところ、二つある」
いつでも動き出せるように視界は広く保ち、ヴァーリはフリードの質問の意図を汲み取った。彼がジロジロと見ていたことを、少年神父は知っている。今までの交錯が単なる小手調べにも満たないモノだったということは、両者共に理解している。
戦闘狂には、培った経験と持ち前の観察眼がある。数分間の戦闘にもなっていない状態を経た今ならば、レイナーレ達からの話だけでは分からなかったことも、多少の推測を織り交ぜて語るぐらいはできた。
「自分の周りの自然現象を操る能力。似たような神器は知っているが、あれは教会の所属だったはずだ。はぐれ悪魔祓いが持っているはずがない」
「そンなのもあンだな」
彼が興味なさげな声を出した時点で、ヴァーリは薄々答えを理解していた。けれども、一応は問いの形を成すことにした。
「亜種、もしくは新種か?」
「そォ思うンなら、そォなンじゃねェの」
鼻で笑うようなことはしない。だが、それと大差ない雰囲気を醸し出す。直前の適当な返答を合わせずとも、それだけで答えを得たようなものだ。ヴァーリは目の前の少年に僅かな苛立ちを覚えながらも、もう一つの仮説を口に出した。
「自分に接触した物を弾く能力。攻撃が跳ね返されるのも、物を飛ばして攻撃してきたのもそれで説明はつく。地面を砕いたのも、能力の応用だと考えれば納得できないことはない」
「へェ」
対面している少年が僅かに頬を吊り上げたのを、彼は見逃さなかった。しかし、それの意味するところは分からない。馬鹿にはされていないということが分かるぐらいで、完全に外れているのか、当たらずとも遠からずといったところなのか、皆目見当がつかなかった。
フリードは沈黙した兜に当てていた視線を外し、鎧に埋め込まれている宝玉へと移した。
「中のトカゲはどォ思ってンだ?」
籠手の宝玉が光り、声が響く。不満そうな呻き声が第一声だったものの、体の主導権はヴァーリのモノだ。その程度の反抗しかすることはなく、渋々といった様子で言葉を紡ぎ始めた。
「ヴァーリと変わらん。見ている限りでは、その二つを合わせたとしても説明し難いことは多いがな」
宝玉の光は消えると同時に、フリードはその赤い双眸を覆うように手を貼り付け、喉の奥から絞るように笑いを漏らし始めた。
「何がおかしい」
問い掛けに対し、まず見せたのは残虐な笑み。頭のネジが外れてしまったように見える、酷く嗜虐的な顔。他人に戦闘狂と呼ばれることのあるヴァーリも、あまりの変化に一歩だけ後退ってしまっていた。
「喧嘩吹っ掛けてくるよォなバカでも、頭回すぐらいはできるもンなンだなって、心の底から感心してたンだよ」
きひ。けひゃ。奇声のような笑い声を響かせながら、薄暗い結界の中を悠々と歩くフリード。当然、進行方向にあるのはヴァーリの策の一つだ。つい数十秒前に設置したそれに躊躇なく踏み込んだ結果、祭服の少年を中心として爆炎が巻き上がる。普通の人間ならば、炎に巻かれて悲鳴を上げていただろう。しかし、反応はない。
「イイねェ、派手な演出ありがとォ」
本当にそう思っているわけがなかった。そんな良いトーンの言葉ではなく、羽虫を手で払うような声。術を踏み砕いたにも拘らず、何でもないことのように言ってのけたのだ。
それによる負傷などは見受けられず、少年は歯噛みするしかなかった。予想はしていた。そうなることもある程度は見越していた。けれど、弄した策が真正面から打ち破られるというのは、かなり気分が悪いのである。
「丁度火力が足りなかったンだよ。まァ、コレでも足りねェンだけどな」
そんなヴァーリの心情など知ったことかと、フリードは再び笑い声を上げた。術によって生まれた炎を蛇のように這わせ、その動きに合わせて両手を空に向けて広げる。
ヒュウと風が鳴き、砕けたアスファルトがパラパラと地面を転がり始める。数秒後には可愛らしい音など完全に消え去り、轟々と全てを薙ぎ払いそうな音に変わり果てた。アスファルトの欠片達は既に地面から離れており、その殆どが宙を駆け巡っている。
「これは……」
ヴァーリ達のいる区画だけを覆うように形成されていたのは、奇妙な色をした風の檻だった。その色の原因は大小様々な素材だ。大部分はフリードが散々砕いたアスファルト。それに加えて道端に溜まっていた砂や石ころ、砕けたガラス片に金属片。子供が放ったらかしたであろうカラフルで小さな球体や、何処かの店の前にあったらしきコンクリートブロックまで巻き込まれている。
「楽しい実験の時間だぜ?ヴァーリクン」
ギャリギャリと砂礫達がぶつかり合い、火花が散り始める。それは段々と音と火力を増していき、火災旋風のようになっていく。範囲はかなり狭いとはいえ、それを一体全体どのように生み出したのか。単なる炎を発生させたのではなく、砂礫による加熱で引き起こしたのだ。どれだけの手間を掛けたのか。いつの間にそれだけの布石を仕込んだのか。
そんな疑問を消化する間もなく、少しずつ熱量は増大していく。白龍皇としての力も効果を発揮しているものの、辺り一面の温度を下げることは叶わない。ヴァーリ一人の状況を最適に保つのが精一杯といった程度で、フリードによって掌握された盤面をひっくり返せる程ではなかった。
「ヴァーリ!」
アルビオンの焦った声に返事をしようとして、鎧の中で口を開く。その瞬間、酷い刺激臭が彼を襲った。咄嗟に鎧の上から口元を手で覆ってみるものの、大した効果はない。何が起こっているのかも分からないまま、本能的に空へと逃げ出す。
「オマエの神器は、近くにあるモンを手当たり次第に半減させてるわけじゃねェ。基本的に対象もエネルギーみてェだしな。今も減らしてンのは熱量だろ?悪魔相手なら魔力。天使みてェなのが相手なら光力。確かに真面目に相手すンのは面倒だが、やり方は腐る程ある」
空飛ぶ鎧に向け、巻き込まれた瓦礫が迫る。ただでさえ暴風の中で動きづらい状況。その上で不規則に飛んでくる大小様々な物体を全て迎撃できるはずもなく、ガツガツと手足や翼の端に衝突していく。
大したダメージにはならない。けれど、姿勢の制御が上手くいかなかった。当然ではある。炎渦巻く暴風の中を飛ぶ経験など、ヴァーリのような戦闘経験豊富な神器持ちでも中々ないことなのだから。
「例えば、オマエがどォにもできねェもンで相手する、とかな」
目の前でコンクリートブロック同士が衝突し、砕け散る。直接的な被害はないものの、飛来する破片から反射的に顔を逸らした。龍を模した兜が守ってくれるのだが、避けるという習性を持つ生き物である為、仕方がないだろう。砕けたと同時に舞い散った白い粉も、少年の視界を若干見えづらくした。何も見えない程ではない。しかし、若干でも目眩しは目眩しだ。
「まずこンな場所でやろォとすンのが間違いだったな、白龍皇。俺の庭なンて気色悪りィことは言わねェけどよォ、市街地で喧嘩売られた経験はオマエより何百倍も多いンだ」
視界が晴れた瞬間、ヴァーリの目の前に現れたのは、カラフルな棒状の何かが並んだ赤い直方体だった。その正体を理解する間もなく、正面衝突。どうにか押し返すものの、鎧の一部は砕けてしまっていた。風に攫われていく鎧の破片と共に、直方体から飛び出したらしい小銭も飛んでいく。それを見送る暇もなく、彼の視界が急に暗くなった。
「四桁行かねェぐらいの玩具も結構あンだよ」
突如自身を覆った影。慌てて真っ赤な上空に目を向けるも、既にそれは数十センチの距離まで迫ってきていた。黒い四つのタイヤ。白い車体。所謂軽自動車に分類される物体。
基本的に空中から攻撃するヴァーリには、上を警戒するという癖がなかった。それだけの油断と、度重なる不思議な現象。それらのせいで虚を突かれてしまった結果、彼は避け切ることに失敗した。
「流石だなァ、白龍皇」
数百キロの鉄の塊と衝突するも、地面とサンドイッチにならなかったのは流石の一言だ。しかし、スラスターのような推進機能を利用してバランスを保ちはしたものの、どうにも制御が上手くいかない。平時ならば気を張らずともできることに対し、思考領域の大半を行使する必要があった。
「まァ、自慢してもイイと思うぜ?こンなに頭使って相手したのはオマエが初めてだからな」
思考が安定しなかった。脳に酸素が行き渡っていないような、首を絞められているわけでもないのに、酷く朦朧としていく意識。翼を上手く動かすことも叶わず、枯葉のように風の中を舞う自分。それを自覚しながらも、目眩と頭痛の中で動き回ることはできず、派手な音を立てながら墜落した。
「……こンなもンか」
嗜虐的な笑みが消え失せ、再び現れた心底つまらなそうな仏頂面。口元を僅かに歪ませると共に、彼は口の中で舌を弾いた。
「どォすンのが正解だ?」
・
倒れ伏したヴァーリを見遣り、一方通行は大規模な演算を止めた。火災旋風擬きは消し飛ばし、低層に溜まっていた気体も撒き散らしていく。
それでもかなりの規模だった為、すぐには収まり切らない。視界の端々で燃え残りの何かは点在しているし、腐卵臭も多少はある。それらを抜きにしても、壊した物は一つや二つではない。一方通行一人でどうにかできるものでもないが、肝心の証拠隠滅係は現在合宿中。代わりは誰がいたかと考えれば、すぐに一人の存在が浮かび上がった。
「あのメイドがいたっけか」
周りの状況を確認しつつ、彼は懐から携帯電話を取り出した。グレイフィアの連絡先は知らないものの、彼女が今現在一緒にいるであろうアーシアの連絡先は当然知っている。ポチポチと電話帳の画面に移ろうと指を動かしていると、唐突に声が響いた。それは先程も何度か耳にした、渋めの男の声だった。
「何をした」
気絶している少年の体から響く声。アルビオンと呼ばれている伝説の龍。その魂。
一方通行はピカピカと声に合わせて光る宝玉に触れ、暫しの間目を瞑り、ため息を吐いた。やはりどうしようもなかったのだ。何かあるのは分かる。そこに誰かが封じ込められているという事実も受け入れている。けれどやはり、何かしらに対する理解が足りていなかった。
「聞きてェのか?」
「ヴァーリが聞きたがるだろうからな。俺には妙な気体を使ったことしか分からん」
「生かされると思ってンのか」
「殺すなら、とうの昔にやっているだろう」
年の功と言うべきか。自分のことが少し見透かされていることに若干の苛立ちを覚えながら、一方通行は散乱しているアスファルトの一部を拾い上げた。先程の熱のせいで若干溶けているが、キチンとしたアスファルトである。
「一酸化炭素と硫化水素。コイツは特定の条件下でその二つを吐き出すンだよ。普通ならこンな真似できねェが……強いて言うなら、オマエらが結界張ったせいだな」
「その為の炎か」
「逃げ道潰すのと、派手な演出も丁度イイだろ?調子崩しちまっても、最初は熱のせいっつー勘違いも引き起こせる」
「何故お前は」
そこまで言って、アルビオンは口を閉じた。能力を行使している人間が、その能力で自滅するなど間抜けにも程がある。一方通行も吐き捨てるような笑い声を短く飛ばし、宝玉をわざとらしく見下ろした。
「愚問だな。あンだけ気流があンだから、自分の分ぐらいは確保できる。それでもちっとはキツかったけどな」
「結界がなかったらどうするつもりだった」
「頭掴ンで引っこ抜くか、電線に巻き込んで感電死」
それを簡単にできるとも思えなかったが、できないとも思えなかった。アルビオンは僅かに黙り込むと、再び存在しない口を開く。
「神にでもなるつもりか、一介の神父が」
「悪くねェかもな。そこまで行ったら、色々と楽そォだ」
悪態を吐こうとしたのか、それとも別の意図があったのか。それを判別するつもりはそもそもなかったが、更に別の理由が一方通行の思考を阻害した。
「あァ?」
ズズズ、と。空間が歪んだのである。まだ世界の事象について疎い一方通行には、そう捉えることしかできなかった。水面越しに見た景色が若干歪むのとはまた異なる、異質な歪み方だったのだ。
「ヴァーリ、迎えに来……」
そこから現れたのは、猿のような男だった。西遊記を彷彿とさせる格好をしているせいで、一方通行の頭の中で孫悟空という名前が浮かび上がる。
「えっと、何が起こったんだ?」
「喧嘩を売る相手を間違えた。それだけだ」
どうやら知り合いらしいアルビオンと男が話し始めるのを眺めつつ、一方通行はとりあえず電話を掛けた。回線が悪いということもなく、繋がるまではほんの一瞬。
『どうかしましたか?』
『メイドは』
『隣にいますけど』
『代わってくれ』
聞き慣れた声が少し離れ、続いて聞こえてきたのは今朝から何度も聞いた女性の声だった。
「何かトラブルが?」
「白龍皇だ。とりあえず気絶させてる」
「すぐ向かいます」
ブツリと途切れたのを確認し、懐に携帯電話を仕舞い込む。その一部始終を目撃していた不審人物は、慌てた様子でヴァーリを担ぎ上げた。
「だ、誰を呼んだんだぜぃ?」
「グレイフィア・ルキフグス」
魔王の女王。最強格の女悪魔。ただ、一方通行が彼女を呼んだのは事後処理の為だ。別にヴァーリをどうこうしようというつもりはない。厄介なのは間違いないが、やられたことは学園都市にいた頃と大差ない。妙な因縁をつけられて、適当にのした。それだけの話だ。
「撤退!撤退だぜぃ!」
流石に分が悪いと判断したらしく、猿顔の男は名乗ることもせずに出てきた場所を歪ませ始めた。ヴァーリは抵抗することもなく、男の肩に乗せられている。しかし、既に目を覚ましていたらしい。ギラギラとした目を一方通行の方に向け、掠れた声を上げた。
「フリード・セルゼン」
手に持ったままだったアスファルトを放り投げるも、歪みは既に消え始めていた。ヴァーリの顔も半分程隠れてしまっており、当たるかどうかは五分といったところ。
「次は一撃入れる」
「諦めろ」
コンマ数秒遅れて、黒い塊が歪みのあった場所を通過した。結界は既に消え去っており、街の惨状を野次馬達が見に来始めている。それに紛れてやって来たメイド服姿の悪魔を僅かに睨んだ後、一方通行は歪みのあった場所に触れた。
「お怪我は」
「ねェ。あっちは傷だらけだけどな」
特に何も掴めず、少年は舌打ちを漏らした。
明日こそはトラブルに巻き込まれまい。そう考えながら、一方通行はヴァーリに激突していた赤い直方体の残骸の元へ向かった。筐体自体はベコベコに凹んでおり、中身も大半が潰れてしまっている。財布から人の描かれた紙を取り出し、筐体の中へ突っ込む。その代わりにまだ無事な缶コーヒーを引っ張り出し、封を開けた。
「喧嘩売ンなら、俺じゃねェだろ」
グレイフィアが情報操作するのを眺めながら、コーヒーを口に流し込む。溢れそうになっていた文句の大半は、それで胃の底に落とすことができた。