ただ、二巻部分というよりも二巻終了時点での関係値のような。最後以外は最後を装飾する為の部分です。人によっては蛇足かもしれません。
それから、評価の文字数制限を取っ払いました。まだの方は何度か画面のタップをお願いします。感想を見たくてつけていたのですが、五十音の羅列をして低評価をつける方などがいたので、むしろない方が良いと思いまして……。感想自体は嬉しいので、感想欄でも評価欄でも書いてくださると嬉しいです。
次回は早めに投稿するつもりですので、しばしお待ちを。それでは。
_
誰もいない、真っ白な教室。
そこは彼に割り振られた、彼だけの教室。級友の姿はなく、教師もいない。子供を教え導く為の部屋ではなく、彼の名前を借りる為に用意された部屋。学園都市の最高傑作に知恵を授けようという人間の姿はなく、その名前を使って稼ごうという薄汚れた大人がいた。
登校する意味もないというのに、何となく顔を出したことがある。何もなかった。学校特有の当番表だとか、時間割の張り紙だとか。そういう学校らしいものは何一つ存在せず、机と椅子が一組あるだけ。思い出はそれぐらいだ。それ以上、思い出すのは無駄だろう。
誰かがいたはずの、小さな部屋。
テレビがあって、本棚があって、ベッドがあった。綺麗なリモコンだったが、ある数字だけ押し易かった。誰かのお気に入りの番組が放送されていたのだろう。それがいつの時間だったのか、どういう番組だったのか。彼には知る由もない。
図鑑は一部のページに癖がついていた。背表紙をトンと床につけると、決まって開くページがあった。コーカサスオオカブト。ヘラクレスオオカブト。知識としては存在するものの、実物を見る機会はあまりない。図鑑を読み込んでいた誰かは、本物を見ることができたのだろうか。
そこにいたはずの誰かを、彼は知らない。他の部屋に移ったのか、或いは。学園都市の『置き去り』を思い遣る人間は少ない。科学者達にとっては、少し大きいマウスでしかないのだから。
名前も聞けなかった、顔もろくに思い出せない誰か。
通路ですれ違ったのは、死んだ目をした同年代の子供達。思い返せば、助けを求めようという気すらなかったのだろう。自分達がどうなってしまうか、薄々気づいていながらも、その行く末が救いになる可能性を見出してしまう程、酷い環境に置かれていたから。
そんな他の子供達と比べれば、彼は恵まれていた。学園都市の誇る最高傑作。素晴らしい能力を持ち、最上級の頭脳を持っていた。研究者達には丁重に扱われ、機嫌を伺われるような立場だった。彼が何か言えば、名前も知らない誰かは助かっただろうか。
文字の形すらあやふやな、自分自身の名前。
物心ついた時には、その能力を身につけていた。研究者達からしてみれば、価値があるのはソレだけだ。少年の名前には個体名以上の価値はない。偶然にも、その能力が彼にしか発現しなかった。その結果、能力名が個体名になってしまった。名前で呼ばれることは段々と少なくなっていった。
そう呼ばれることに抵抗はなく、気づいた時には自分でもそう名乗るようになった。研究者相手ならば、その方が早く伝わることも多かった。だから、消え去った五文字に未練はない。分かったところで、特に反応を示すこともないだろう。今更だ。
無人となってしまった、悪名高い研究所。
所謂、暗部と呼ばれる世界。法律の存在を知っているのかも怪しい場所。幼い頃から、彼はそういう世界の研究所を転々としていた。実験用のラットは当然のこと、人間を生き物だと思っているのかも分からない、まさに地獄のような施設。
その中でも、少年は異物だった。化け物、怪物、悪魔。子供に対する言葉ではない。暴言だけでなく、意味もないのに物を投げつけてくる研究者もいた。頼んでもいないのに、召使いか奴隷のように謙る研究者もいた。視線を向けただけで悲鳴を上げる研究者もいた。そんな扱いをされている子供を見て、周りの子供達が同調しないはずがない。虐めという程ではなかったが、それに近しい疎外感を味わうことになった。結果として、自分がそういう人間だと、そういう生物なのだと自覚させられた。せざるを得なかった。
そんな化け物の飼育小屋と化した研究所が長持ちするはずもない。世間一般では十二分に異常者に分類されるような研究者達であっても、自分の命を惜しんで逃げ出していった。それだけなら良い。過酷な実験を重ねた結果、他の実験体が暴走することもあった。そのせいで死ぬ人間も少なくはなかった。いつも無事だったのは、少年一人。
それら全てが彼一人のせいではなかったかもしれないが、間違いなく要因の一つにはなっていたはずだ。その世界ではそれなりに有名だったはずの研究所であっても、二ヶ月ももたなかった。
いつも誰かが集まっていた、ちゃんと使ったことのない公園。
ハイテクな遊びに興じる子供もいれば、昔ながらの遊びに勤しむ子供もいる。金銭の有無、友人の数。それらに左右されながら、子供達はその日の競技を決める。その日選ばれたのは、昔懐かしの缶蹴りだったらしい。空き缶と少しのスペースがあれば、特に何の道具を持ち寄ることもなく始められるのだから、確かに選択肢としては上位に入るだろう。
それをぼんやりと眺めていた。仲間に入れてと言うわけでもなく、ただ見ていた。やったことはなくとも、ある程度の知識はあるのだ。テレビで見たり、本で見たり。漫画の中のキャラクター達がやっているのを読んで、やる機会もないだろうけれど、少しは中身が気になって。ローカルルールはともかく、基本的なルールはキチンと把握している。
そんな彼の足元に、蹴り飛ばされた空き缶が転がってきた。「きなこ練乳」と書かれた見慣れない缶は、そのまま彼の爪先に。拾い上げると、手を振りながら駆け寄ってくる少年がいた。自分と同年代か、少し上ぐらい。
渡そうとして、やめた。持ち上げた缶はベンチに置いて、去ることにした。追われることもなく、振り向くこともない。それ以上の思い出は生まれなかった。
そうやって、一人で薄暗い場所を生きてきた。
自分の居場所はそういう場所で、自分はそういう人間と変わらないのだと思って生きてきた。何かに手を染めたわけでもないのに、周りの色に染まってしまったのだと思い込んで。
光のある場所に行く資格はない。自分は決してその道を歩けない。歩いてはならない。人と並んで歩くことはできない。真っ暗な道を一人で歩くのが似合っているし、正解なのだから。
そう思っていた。
・
悪魔祓いとして過ごし始めて暫く経ち、彼も異形を見るのには慣れ始めていた。
SFホラーにでも登場しそうな容姿をした、自身の三倍はありそうな怪物を目の前にしても、何か大きな反応を示すこともない。いつもと変わらない仏頂面のまま、ポケットに手を突っ込んでいた。
「昼食の邪魔をするな、人間」
目の向く先も悪魔の顔や体ではない。目の前の悪魔の話などろくに聞かず、少年はソレが手で握り締めているモノを見つめていた。
「女子供の肉は良い。お前も食うか?」
それは半裸に剥かれた少女だった。口には悪魔の指が突っ込まれており、少年神父に対して何かを言っているものの、呻き声にしかなっていない。ただ、その言葉の内容は予想ができる。
助けて。もしくは逃げて。どちらであっても、少年の行動は変わらない。彼のやるべきことは依頼の遂行だ。
「悪りィな。悪食に付き合う気はねェ」
「悪食?オレは美食家だ」
悪魔祓いのことを鼻で笑い、はぐれ悪魔はSFの化け物のように顎を開いた。四つに裂けた顎が少しずつ少女の足に近づいていく。
「血抜きもしねェ原始人が美食家気取ってンじゃねェよ」
いつも通りの仏頂面のまま、彼は人差し指と親指を丸めて、何かを弾くような動きをする。しかし、その何かは目に見えなかった。石ころや砂粒ですらない。
はぐれ悪魔も馬鹿ではない。主を殺し、今日この日まで生き延びてきた、それなりの力と実績がある強者だ。それが何かしらの引き金であることは分かった。ハッタリだという可能性もないわけではなかったが、目の前で女が一人喰われそうになっているというのに、何もしないのが悪魔祓いをしているわけがない。
横目でそれを見つつ、どう対処しようかと考える。しかし、見えないものはどうしようもない。様子見で良いだろう。そういう結論に至り、顎を閉じようとした。
「ほら、血抜きの手本だ」
その矢先、バシュッという奇怪な音が響いた。
僅かに遅れて聞こえたのは、掴んでいたはずの女が地面に落ちる音。女の体は顎の中に収まることなく、地面の上で肉のクッションの上に転がっていた。そのクッションは悪魔も見慣れている。毎日確実に見る肉だ。
「SFみてェなツラしてる癖に、血は酸性じゃねェンだな。ちっと警戒してたンだが、無駄だったみてェだ。期待して損したぜ」
あひゃ、ぎゃは。不快な笑い声が悪魔の耳を突き刺すが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
本来ならあるはずのものがなく、出てくるはずのないものが出てきていたのだから。赤黒い液体が地面を汚していく。その量は尋常ではない。放っておけば、意識の維持すら出来なくなる量だ。
「オ、オレの腕が……どうやって」
落ちていたのは女だけではなく、女を掴んでいた悪魔の腕もだった。骨も肉も完全に切り落とされている。その方法は全く分からない。刃物でも使ったように綺麗な断面をしているが、そんな物を目の前の悪魔祓いは持っていない。
「神器保持者か!」
「ちょっと理解できねェ相手見たらソレだ。なンでもかンでも、安易にソレで終わらせよォとすンなよ。もォ少し考えりゃァ、オマエでも対策は思いつくと思うぞ」
切り落とされた腕の中で怯えている半裸の少女に向け、少年神父は祭服を被せるように放り投げた。
「カマイタチって知ってっかァ?」
嘲笑うような問い掛けと同時に、少年が行ったのはごく普通のフィンガースナップ。しかし、それは見た目だけだ。
見えない刃は容赦なく悪魔の腕を削り取っていく。化け物にとって幸いだったのは、その腕が既に落とされた方だったことだろう。もしもう一方が削られていれば、ただでさえ少なくなっていた手数が更に少なくなっていたはずだ。
「指を動かすのがトリガーか。分かり易くて助かる」
痛みを堪え、直進する。
目的は一つ。目の前の少年を叩き潰すこと。それさえ完了してしまえば、後は化け物がやりたいように出来る。自分の腕を治療するのは当然のこと、腹いせに女を生きたまま細切れにしても良い。久々にそういう目的で女の体を使うのも良い。
下卑た思考を表情に出しながら、無防備な少年の頭上に握った拳を振り下ろす。まともな人間であれば、それだけで命を失うだろう。
「あァ、そっかそっか。そォ思っちまったのか」
はぐれ悪魔にとって不幸だったのは、彼がそういう類の人間ではなかったことだ。もしも、そういう人間だったならば、彼はこの場に立つことすら出来ていない。
軽快な音を鳴らしていた指をポケットの中にしまい込み、彼は猪のように突撃してくる化け物を眺めていた。
「別にそンなことしなくてもイインだよ」
真っ白な頭に直撃したと思われた拳は、鈍い音を立てて静止した。静止せざるを得なかった。
「何が起きた」
痛みよりも先にやって来たのは、理解できない情報の数々。
どのような衝撃を受けたのか、叩きつけた拳はぐちゃぐちゃになっていた。骨は確実に折れており、白い物が飛び出ている指もある。
その下でほくそ笑む少年神父の体には、血の一滴もついていない。攻撃が通じていないだけならば、百歩譲って理解できただろう。しかし、大量に流れ出ている血の一滴も浴びずに、拳の真下で突っ立っているのはおかしい。冷静さの足りない頭であっても、それぐらいは判断できた。
「何をした」
一番おかしかったのは、痛みの種類が違ったことだ。
骨が砕けた痛みではない。骨が皮と肉を突き破ったような痛みは何処にもなく、先程なくなった片腕と同じような痛みが走っている。
「見りゃ分かンだろ。そのツラでアシンメトリーは似合わねェから、シンメトリーにしてやったンだよ。鏡でも見てきたらどォだ。ついでにその薄汚ねェ髪も剃ってやってもイインだぜ?」
はぐれ悪魔は絶望した。戦闘をする意欲など、これっぽっちも残っていない。頭の中は逃走の二文字が支配している。両手を失った化け物には、戦闘を放棄する選択肢しか残されていなかった。
「逃げてェなら逃げろよ。ほら」
悪魔祓いの言葉通りに体を反転させ、必死に逃げようとするも、後ろから軽く小突かれて転倒した。起き上がろうにも、上手くいかない。いくはずがなかった。数十秒前まであったはずの腕が、どちらも失われてしまっているのだ。
足だけでどうにか起き上がろうにも、やはり腕を頼ろうとして失敗してしまう。他の方法を模索するものの、腕がなくなったことでバランスを保つのが難しくなっている。腹筋の力で起き上がろうとして、滑稽な起き上がり小法師のようになってしまった。
「無理みてェだから、さっさと諦めろ。オマエの処遇を決めンのは俺じゃねェ」
無様に地べたを転がる怪物の眼前に座り込んだ少年神父は、どんな武器よりも恐ろしい腕を伸ばし始めた。はぐれ悪魔はそれを避けようと必死で首を上下左右に振り、無事な足を少年に叩き込もうとした。
しかし、足は接触したはずの部分が砕けてしまった。その痛みに悶絶する間もなく、伸ばされた白い腕が怪物の顔を鷲掴みにする。体格の関係上、その手だけで顔全体を包み込まれているはずがない。にも拘らず、その威圧感は悪魔の体全体を包んでいた。
何者なのか。単なる悪魔祓いだとしても、明らかに最上位の存在だ。名前が分かれば、噂程度の情報からでも絞り込める。神器保持者だとしたら、どういう能力を持っているのか。カラクリを暴くことができれば、隙を見て転移魔法陣で逃げることは可能だ。
思考を巡らせ、目の前の化け物から逃げることだけを考えた。元より恥も外聞もない身。どれだけ醜かろうが、生き残れば勝ちなのだ。
「まだ足掻くのか。美食家気取ってやがった癖に、潔くねェ奴だな」
そうやってコソコソと練っていた魔力が、何の前触れもなく霧散した。意味が分からなかった。
魔法陣を展開したのならば、干渉されるのも仕方ない。しかし、魔力を練っている段階で邪魔をされてしまうとなると、最早出来ることは残っていない。肩から先が少しだけ残っている腕と、骨の折れた足を振り回すぐらいしか出来ない。
どうにかして逃げ出そう。どれだけ無様でも良いから、この場を脱出しよう。目の前の悪魔祓いも、食おうとしていた女もどうでも良い。最優先事項は自分の命なのだから。
「まァ、情状酌量の余地はねェし、罪状が罪状だ」
体がおかしくなるのが分かった。思考が狂い始めた。何を考えていたのかも分からなくなった。壊れた手足が思い通りに動かない。
「遅かれ早かれ処刑だろォな。諦めろ」
バチッと頭が弾けた。
・
意識を失った怪物を前にして、一方通行は携帯電話を取り出した。すぐに電話帳を開き、カ行に登録されている悪魔に連絡を入れる。
「例のヤツだ。さっさと回収しに来い」
それだけ言って終わらせようとして、止まった。視界の端に立っている少女がいたからだ。
「……それから女物の服。背格好はアルジェントと大して変わンねェ。そォだ、巻き込まれてたンだよ。あァ、さっさと来い」
通話を終了し、祭服で体を覆い隠している少女の方を向いた。未だに恐怖は拭えていないのか、それとも服装のせいで寒いのか、足はガクガクと震えている。
「見てたのか」
「見てました」
「……そォか」
人の言葉を発しておらず、尚且つ可愛らしさの欠片もない生き物だった場合、多少はショックも軽減されるだろう。それこそ大きいだけのムカデの体を切断したところで、そこまでの精神的ダメージは生まれないはずだ。
今回の相手は可愛らしさがないとはいえ、人語を解する化け物だった。痛がっていたし、恐怖心も抱いていた。それの腕を切り落としたのだから、ショックを受けていても仕方がない。
こればかりは年齢など関係ない。まだ幼稚園に通っている五歳児だろうが、杖が必須の腰が曲がった老人だろうが、血が噴き出るシーンを見て無反応というのは難しい。それこそ、何度も死屍累々の戦地に赴いていたような人間であっても、そんな状況で何も感じないというのは厳しいだろう。
「見てましたけど、大丈夫です」
声を震わせながら、少女は頭を下げた。
やや臭ってはいるものの、それも仕方がない。普通の人間が生命の危機に陥れば、そうなってしまうのは当たり前だ。それだけで済んでいるのだから、むしろ強い少女である。
「ありがとうございました、神父様」
「成り行きだ。気にすンな」
助けに来たわけではなかった。依頼をこなそうとしたタイミングで、丁度良く命を奪われそうになっていただけ。少女を囮にして依頼を達成するというのは、何処となく嫌だった。
背格好が彼女に近しいから、姿が被って見えたのかもしれない。似ても似つかない少女だというのに、もしそう思ってしまったのなら。一方通行はコメカミを抑え、頭を振った。
「少しビックリしましたけど、ヒーローみたいで格好良かったです」
「そンなガラじゃねェ」
「似合ってるじゃないですか。見た目的にも」
「見た目だけならヴィランだろ」
「……アーシアちゃんの言う通りだなぁ」
「あ?」
どうやら同居人の知り合いらしい。それが分かったところで、一方通行が何か行動に移すことはない。アーシアは学園内外問わず知り合いが多く、老若男女から人気がある。今更詮索する必要などない。
「それは良いとして、アタシってこれからどうなるんですか?」
「記憶は消されるだろォな。詳しくはこれから来る奴に聞け。事後処理はアイツの仕事だ」
今もこの場に向かっているであろう協力者に全てを丸投げしたところ、少女は目に見えて落ち込み始めた。
「消されちゃうんですか……」
「なンで惜しンでンだ」
「秘密を知ってしまった以上、組織に加入してもらう的なことはないんですか?」
「ねェよ。秘密って程のことでもねェ」
はぐれ悪魔のことはともかく、悪魔の存在を知っている人間は多い。それは裏社会の人間に限った話ではなく、一般人にもそこそこ知られている。悪魔の情報管理が甘いのではなく、悪魔にとって必要なことだからだ。
例えば、グレモリー眷属。彼女達は駅前で度々配っているチラシを活用して、悪魔に必要な契約をしている。一方通行とアーシアも何枚か渡されているが、使ったことはない。そもそも、一方通行個人とリアスが契約している以上、それ以上に何かの契約をする必要もないのかもしれないが。
つまるところ、悪魔の存在自体は隠しておく程のことではないのだ。
「なのに消しちゃうんですか?」
「化け物に喰われそうになった記憶なンか、あってもイイことはねェだろ。夢で見て寝不足になっても、俺は保障しねェぞ」
納得したような顔をしたものの、すぐに少女は不満そうにし始めた。
「物語のヒロインみたいで、少し嬉しかったんです。化け物に食べられそうになって、町のちょっとした有名人に助けられるって」
「今度はこっちを化け物扱いすンだろ、普通は」
何を言ってるんだろう、この人。
そう言いたげな瞳を向けられるものの、一方通行は不機嫌そうに顔を背けるだけ。これは根が深いのだろうと少女は勝手に納得し、首を振った。
「確かにちょっと怖かったですけど、助けてくれた人をそんな風には扱えません。それにアーシアちゃんがあれだけ慕ってる人を化け物扱いなんてしたら、バチが当たっちゃいますよ」
「……そォか」
ザクッザクッという音が聞こえ始め、二人はそちらの方へ目を向ける。先程の怪物は未だに倒れ伏しており、動き出す気配はない。音の発生源はそれよりも更に向こう側。
紅色の髪が目立つ少女が一人、紙袋を片手に歩いて来ていた。その目は明らかに一方通行の方を見ており、若干怒りが込められているのが遠目にも見て取れた。
「本当に人使いが荒いわね、貴方」
「悪魔だからイイじゃねェか」
「あのねぇ」
反射のフィルターに音を加えることもせず、一方通行はわざとらしく耳を塞いだ。リアスも彼に言ったところで無駄なことは理解しているので、特にそれ以上口を開くことはない。ため息と同時に軽く睨むだけだ。
「記憶については契約次第だと思うぜ。コイツはそォいう奴だからな」
少年はそのまま地面を蹴り、その姿を消す。高速移動をしたのか、カメレオンのように姿を消したのか、はたまた空を飛んでいったのか。少女には判断できなかったものの、確実なのは彼が既にその場から消えたということ。
「あら、確か貴女は」
「え、グレモリー先輩?神父様とどういう関係が……」
「協力者ってだけよ。とりあえず、これが服」
「まさか浮気!アーシアちゃんが悲しみますよ」
「違うわよ」
騒ぐ少女達に視線を向けることすらせず、一方通行は家路に就いていた。
・
居住スペース付きの教会。それが本来の形だったのかもしれないが、今となっては教会の方がオマケのようになってしまっている。
やって来る人間が少なくなったというわけではない。アーシアは駒王町の人間から人気があり、彼女目当てで来る人間も多い。一方通行に相談事を持ち込んでくる人間もある程度はいる。
一番の理由はアーシアが気を抜く頻度が前よりも増えたことだろう。修道女としての活動もしていないわけではないが、一人の少女として過ごす時間が少しずつ増えているのだ。
アーシアが何を望んでいるのか、一方通行は知らない。まだ教会で修道女として暮らすことを望んでいるのか、それとも一人の学生として平凡な生活を送ることを望んでいるのか。どちらを選ぼうとしているにしろ、一方通行の左右できることではないと分かっているし、他人の人生に足を踏み込もうとも思っていない。
彼がやらなければならないことは、彼女が巻き込まれてしまった事件の黒幕を潰すことだ。後にも先にも、それをしなければ彼女の平穏は訪れない。
『あぇ、フリードしゃん。お帰りなさい』
カクカクと船を漕いでいた少女は、扉の開く音で目を覚ましたらしい。一方通行に向けてヒラヒラと小さく手を振って、そのまま両手を天井に向けて伸ばした。
『寝ちゃってました』
『そォみたいだな』
テーブルの上に広げられている課題には、シャーペンで何かを書いた痕跡がある。しかし、文字や数字が書かれているわけではない。眠気と戦いながらペンを握った結果、何の意味もない曲線が書かれただけだ。
『あ、ご飯が作れてないです』
『なンか頼めばイイだろ』
適当に積まれているデリバリーのチラシを幾つか抜き取り、眺める。あまり考えるのも面倒なので、パッと目についたピザ屋の電話番号を携帯電話に打ち込み、連絡を入れる。
通話時間は数十秒。一方通行は冷蔵庫から缶コーヒーを取り出すと、そのままアーシアの正面に腰を下ろした。
『今日のお仕事はどうでしたか?』
『普段通り……あァ、オマエの知り合いみてェな女と会ったな』
『私の知り合いですか?誰でしょう』
『誰だろォな。名前も聞いてねェし、グレモリーに任せたからどォなったのかも分かンねェ』
缶コーヒーの蓋を開け、一方通行は少女の顔を見つめる。いつもと変わらない顔だ。初めて会った時から変わらない、純粋無垢を人間の形にしたような存在。
この少女と出会ったから、一方通行は今もここにいるのだ。彼女と出会わなければ、悪魔祓いとして活動することも、町の人間から神父扱いされることも、何よりこの世界に留まっていることもなかったかもしれない。
『何やってンだろォな』
誰に向けたわけでもない独り言。首を傾げる少女に向け、一方通行は首を振る。
『なンて言うンだっけな』
駒王町に来たから、やり直せたのだろうか。それはきっと違うだろう。
フリード・セルゼンの名を奪ったから、やり直せたのだろうか。それもおそらく違う。
名を奪って神父という役職を得たことも、文字通りの新天地にやって来られたのも、確かに理由の一部にはなっているのだ。しかし、根本的な部分は違う。
もう一度だけ、誰かの手を取ってみようと思えた理由の大部分は別のところにある。長らく触れていなかった、純粋な優しさというものに触れてしまった。
『アルジェント』
怪物を怪物として扱わなかった。
はぐれ悪魔と一方通行が対峙し、一方通行が無傷でその場を乗り切った時。アーシアは彼の持っている力を理解したはずだ。それがどれ程の力であるのか、オカルト研究部の部室で分かったはずだ。
彼が化け物であると理解したはずなのに、化け物だとは言わなかった。いつかの研究者達のような、いつかの子供達のようなことは言わなかったのだ。それだけで彼は多少なりとも救われた。彼女の居る場所に近寄りたいと思った。それが叶うか叶わないかは分からないが、そう思えたのだ。
『どうかしましたか?』
たった五文字の言葉を絞り出そうとして、喉を震わせる。しかし、声にならない。その言葉を吐き出すには、少しだけ何かが足りていない。
『……なンでもねェ』
一方通行は缶コーヒーを手に取り、喉元まで来ていた言葉と共に飲み干していく。そんな彼の姿を見ながら、アーシア・アルジェントは微笑んだ。
届かない距離ではない。少しだけ、足りていない。
自分は怪物だ。
今でもそれは変わらない。
でも、そう思わない人間もいる。
貴女の近くに辿り着くには、まだ遠いけれど。