時計も携帯電話も持っていない一方通行に、正確な時間を口に出すのは難しい。仕方なく上を向き、太陽の位置を確認する。それだけで判断するならば、時刻は大体十五時ぐらい。季節やら場所によっても多少変わるので、自身の記憶にある日付とアーシアの持っていたメモも考慮して判断したものである。
一方通行は上空の太陽から視線を外し、隣に立っているアーシアへ視線を向けた。落ち着いてはいるが、まだ頬の赤みは抜け切っていない。自分を見る赤い瞳に気づいたアーシアは、逃げるように顔を背けた。人前で泣くという幼子のようなことをしてしまったのだから、仕方のないところではある。そんな彼女の行動に大きなリアクションを取ることもなく、一方通行はポキリと首を鳴らした。
そもそも彼に彼女を辱めるつもりなど微塵もなく、これからの行動を決める為にアーシアを見ただけだ。彼女のプロフィールを簡潔に表すとすれば、日本語も覚束ない状態でやって来た修道女。赴任予定の教会にいるのは、日本にいるのに日本に関する知識のない妙な女。フリード・セルゼンという変な神父がいることも分かっているが、無知な女の言葉が確かならば、あまり良い人間性だとは言えないだろう。
「どォすンだ、コレ」
一方通行が現在するべきことは三つ。まずは自分の現状を把握すること。それが必ずしなければならないことだが、急を要するわけではない。能力が自由に使えている以上、食事さえあれば死ぬことはないのだから。最悪の場合はアーシアと共に教会に戻り、勝手に居座るという手段もある。彼女が赴任することを考えると、最低限のインフラはあるということなのだから。
そして目先の仕事は二つ。一つ目はアーシアをファミレスか何処かに連れて行くこと。二つ目は廃墟のような教会に案内すること。だが、その二つ目がどうにもきな臭かった。
『何か言いましたか?』
『何でもねェ』
そもそも教会として機能しているのか怪しい場所。そこに派遣されたのは、怪我を癒す神器を持つ聖女。教会を再興する為なら、まだ理解出来る。企業や学校のような場所でも、敏腕コンサルタントや凄腕教師を呼んでより良い場所を目指すことはある。それが慈善事業のように見える教会でも出来るのかはともかくとして、あり得ない話ではない。
しかしながら、アーシアは聖女として扱われていた経歴があるだけ。一方通行が話を聞いた限りでは、何らかの功績を残している様子はない。功績を自慢げに話すとも思えないが、何でもないことのように話すのは目に見える。そう考えると、同じように聖女と称されてきた人間には一段も二段も劣るだろう。
実績がある聖女が不祥事で左遷され、辺境の落ちこぼれ教会の再興を命じられた。そういう話なら理解は出来るが、アーシアの一件は単なる追放だ。アーシアの持つ能力と性格を知っていて、彼女を疎んでいる同僚が起こした事件だという可能性すら考えられる。それを教会が捜査したかどうかは置いておいて、問題は追い出された先だ。
教会上層部が管理しているにしては、あまりにもボロボロな建物。国や市町村の機関が管理しているにしても、老朽化し過ぎていることに変わりはない。いくら左遷や追放だからといって、来る場所があまりにも異質過ぎる。一方通行は教会の管理方法やシステムなど知りもしないが、どうにも妙な企みが介在しているようにしか思えなかった。
考えごとをしつつ、一方通行は視線を彷徨わせる。住宅街を抜けたことで色々と店は増えてきた。コンビニやスーパーマーケット、一応の目的地だったファミレスに加え、暖簾の靡く開いているのか分からない居酒屋。他にも色々と飲食店自体は並んでいたが、日本に慣れていない少女が好きなように食べ物を選ぶとなると、やはりファミレスになるだろう。
『あそこでイイか』
白い指で少し先のポップな看板を指差し、一方通行は問い掛けた。彼には見覚えのない、何処にでもありそうなファミリーレストラン。風でバサバサと揺れる旗には、その店のオリジナルらしきキャラクターとよくあるハンバーグが描かれている。
つまるところ、外観上は良くも悪くも普通のファミレス。アーシアもそれに警戒心を抱くわけもなく、何の躊躇いもなく首を縦に振った。
『フリードさんのオススメなら、何でも良いですよ』
残念ながら、一方通行はフリードではない。そもそも初めて来た場所である為、オススメも何もあったものではない。まだ知っているチェーン店なら多少の保証は出来たが、名前もロゴも見覚えがないのだ。それらの事実を今更言えるわけもなく、彼はただ顔を顰めた。
『ならコーヒーと冷食で済むンだけどな』
『意地悪です』
少女はぷくと頬を膨らませ、ツカツカと突き進む一方通行の後に続く。二人が店内に足を踏み入れると、電子製の鐘の音が響いた。中にいる人は疎らどころか、端の方にすら誰も座っていない。昼とも夕方とも言えない時間である為か、それとも元々閑古鳥が鳴いている店なのか。
現れた店員は愛想良く二人を窓際の席に案内し、一礼してさっさと厨房の方へ姿を消した。一方通行は机の端にあったタブレット端末を手に取り、明らかにファミリー向けではない刺激物の類に目を通す。アーシアも宝の地図でも見るようなキラキラした目で、ラミネート加工の施されているだけのよくあるメニューに見入っている。
『凄いですね』
突然何の話をするのかと思えば、アーシアの視線の先には自走するロボットがいた。何故か客もいないのに店内を徘徊し、上部のパネルにはデフォルメされた猫のような顔が表示されている。形状から判断する限りでは、客の元へ料理を持っていく機械。一方通行の知るファミレスにも似たような機械はあったが、今現在彼の前で動いている物は、それよりも一段も二段も劣っている仕組みである。
『そォだな』
しかしながら、アーシアにとっては初めて見る物らしい。子供のように凄い凄いと口に出し、一方通行の持つタブレット端末にも興味を示していた。文字の表記を変更したそれを彼女に差し出し、彼は頬杖を突いて窓の外に目を向ける。
特に珍しい物はない。歩いている二人組。道端の何かを啄む小鳥。交通ルールに則っていない人間に操られる自転車。信号機に捕まる自動車。何もかもが普通の光景。学園都市の中でも見られるぐらい、日常的な景色である。
『フリードさんはもう決まったんですか?』
『あァ』
コーヒーしか淹れるつもりのないドリンクバー。一方通行が注文する予定なのはそれだけ。そもそも空腹は特に感じておらず、目ぼしい食べ物も見当たらない。コーヒーには甘い物という人間もいるかもしれないが、彼にとっては論外。最後に残った選択肢はドリンクバーしかなかった。
『どうしましょう』
『俺に聞いてどォすンだ』
アーシアの好みすら知らない状況で、あれは甘いこれは辛いとアドバイスを出来るはずもない。もし行きつけの飲食店だったとしても、一方通行の食べる物はほぼ刺激物の類。ブラックコーヒーに真っ赤な鶏肉という舌が狂いそうな食べ合わせをするのだから、彼は食べ物のオススメを聞くような相手ではない。まだ小学生の方がマシだ。無難に美味しいハンバーグやら何やらを勧めてくれるだろう。
『じゃあこれにします』
『そこの端のヤツタップしろ。そこじゃねェ、その下だ』
一方通行に指示されながら、慣れないタブレットをトントンと突くアーシア。一応は言語も慣れ親しんだモノになっているのだが、それでも慣れない物に触れるのは難しいらしい。
少女が電子機器と格闘し終わるのを確認し、彼は彼女を伴って目当てのコーヒーの為に席を立った。あまり好き好んで飲む類のコーヒーではないが、妙な甘ったるい液体を飲むよりはマシ。もしかしたら公園で飲んだモノよりも良いかもしれない。その程度の考えだ。グラスの中に大きめの氷を数個放り込み、黒い液体を注ぐ。それに鼻先を近づけるも、やはり香りは良くない。
「こンなもンか」
期待を低く設定していたおかげで、彼は特に残念がる素振りも見せなかった。その傍らで新たな機械と戦い始めたのは、言わずもがな。グラスを片手にボタンの色とアルファベットを睨み、おっかなびっくりといった様子で機械に指を伸ばす。
『何やってンだ』
『は、初めてなので』
その能力故に恐怖という感情がどうにも薄れている一方通行と異なり、アーシアは何処にでもいる少女だ。それでもディスペンサーと戦っている姿は、中々に面白い光景ではある。何か攻撃を仕掛けてくるわけでもない、平和主義的な機械であるというのに、アーシアの動きはまるで猛獣を突くような動きだった。
『出来ました!』
そう言ってズイと彼の方に差し出されたのは、グラスの五分の一程しか注がれていないオレンジジュース。出来たか出来てないかの話ならば、確かに出来ている。点数を付けるなら、甘く見積もって三十点といったところか。お高い料理店ならともかく、ドリンクバーの使い方としては赤点だろう。
『食ってる間にシャトルランでも始めンのか?』
『シャト……?』
首を傾げるアーシアの手から、一方通行は容赦なくグラスを抜き取った。そしてそのままディスペンサーの下に差し入れ、もう片方の手でオレンジジュースを注ぎ込む。その行為の何が恐ろしいのか、アーシアは彼の隣でオロオロとしている。
『俺もよく知らねェ』
淵から数センチ程まで注いだグラスを少女の手の中に戻し、一方通行はコーヒーを片手に席に戻った。アーシアも僅かに遅れて席に座り、キョロキョロと視線を動かし始める。何かあったのかと一方通行も視線を彷徨わせるが、妙な人影や目新しい存在はない。店内の温度も光量もこれといった変化はなく、異常な音が響いたわけでもない。
そこまで思考を巡らせて、少年は真っ白な頭頂部を前方に向けた。それと同時に漏れ出たのは、色々と感情の込められたため息。彼女の行動が何から生じたモノなのか、理解してしまったからだ。
『……飼い犬じゃねェンだ。好きに飲めばイイだろォが』
未だにキョロキョロとしていた少女は、彼の言葉で頬を赤く染めた。
『気にし過ぎだ。オマエが前の場所でどォいう目に遭ってたかは知らねェが、日本でちょっかい掛けてくる奴なンざいねェンだから、堂々としてろ』
恥ずかしさも垣間見えるものの、根幹を占めているのは悲壮感。それでもアーシアは小さな笑みを浮かべて、持っていたままのグラスをコトリとテーブルの上に置いた。
『そこまでバレちゃうんですね』
『オマエが分かり易いンだよ。こンなもン、誰でも分かる』
悪魔という生き物と教会の関係。単純に二つのワードを結びつけるとすれば、それは十中八九敵対関係。敵対組織の人間を治療して逃したと考えると、治療した人間がどのような扱いを受けるかは簡単に想像出来る。
携帯電話について言葉を濁したのも、今回の周りを気にするような素振りも。それらの背景で実際に何があったのかは、流石の一方通行にも予測は出来ない。ただ、大人しい上にお人好しで罪を犯した少女が一人。いくら修道院であっても、そんな恰好の標的がいたとしたら。
『オマエのことなンざ、この町じゃ誰も知らねェよ』
傷つけるようにも思える言葉だった。言い方はぶっきらぼうだったし、顔も笑顔とは程遠い仏頂面。クリームだらけのケーキを食べているわけでもなく、頬杖を突いたままコーヒーを啜る姿は十分怖い。
にも拘らず、少女が感じ取ったのは温かさだった。教会で自分が言ってきたモノとも、同僚達が迷える子羊達に与えた言葉とも大きく異なっているが、込められた本質に大きな差はない。確実にその言葉は他人を想っていて、不器用な優しさが滲み出ているモノだった。
『はい。堂々としますね、フリードさんみたいに』
にへら。表現するとしたら、そんな緩んだ笑顔。少女は両手で握ったグラスを傾け、中身をグイと一気に喉に流し込む。一緒に顔も傾けたせいで背中の方にヴェールが落ちたが、アーシアはそんなことを気にも留めず、一方通行に向けてもう一度緩んだ笑顔を見せた。
『美味しいです』
『あァそォ』
一方通行が顔を顰めていると、それを狙い澄ましたように通路の角から現れる配膳ロボ。ウィンウィンと音を立てながら、白いソースに塗れたパスタを輸送している。
『来ましたよ!』
『そりゃ来るだろ』
注文した物が来ないとしたら、人間かロボット、もしくはその両方による職務怠慢だ。もしロボットが仕事をサボっているようなら、数週間後には人間社会に反抗するロボットの軍団が現れるかもしれない。
『あれ?フリードさんは食べないんですか?』
『これでイイ』
一方通行が氷の浮かぶグラスをカラカラと揺らすと、アーシアは渋々といった様子でフォークを手に取った。ベーコンや黒胡椒と一緒に麺をクルクルと回し、そのまま口に運ぶ。
『カルボナーラ、美味しいですよ?』
その一塊を咀嚼して飲み込んだ後、もう一回同じようにフォークを回したかと思えば、今度は一方通行の方にフォークが向けられた。その下には手が添えられている。その行動に含まれている彼女の思考は単純明快。
自分だけが食べてしまうというのは、何となく申し訳ない。それも美味しい物なのだから、フリードさんにも味わってもらおう。アーシアの思考としてはそんなところで、何かを狙っているつもりなどなかった。
『ンな甘ったるいもン食うぐらいなら、カフェオレでも飲む』
年頃の少年ではあるが、一般的な少年とは異なる一方通行。間接キスなどという甘ったるい文言を差し置いて出てきたのは、彼自身の好き嫌い。刺激物という観点で捉えるなら、黒胡椒がギリギリ含まれるか否か。味の大部分はクリームが占めているのだから、ブラックコーヒーと真っ赤なフライドチキンを食べ合わせる彼の口に合わないのは明白だ。せめてペペロンチーノであれば、彼も僅かに齧るぐらいはしたかもしれない。
『なら、今度とびきり苦いパスタを作りますね』
苦いパスタとは何か。妙な野菜でも放り込むのか。一方通行の頭にパッと思いついた疑問はそれらだったが、実際に言葉を出すのは一拍遅れた上、出たモノも疑問とは何の関係もないモノだった。
『……まァ、機会があればな』
自分がどういう状況なのかも分からない彼には、当たり障りのない言葉を吐き出すので精一杯だったのだ。いつまでいるかも分からない場所で、約束を取り決めることは難しかった。
・
空の色には複数ある。空色と形容される水色っぽいモノだったり、真っ黒な夜空だったり。曇り空は灰色と呼ぶべきだし、夕焼けの時は真っ赤に染まっている。他にも月食やら日食やら、金環日食のようなケースを挙げていけばキリがなくなってしまうが、それでも異質な色というのがある。
『アルジェント、この空ってのは普通なのか』
『そんなことはないと思います』
ファミレスを後にした二人。暫く歩いた後に彼らの上空を覆ったのは、明らかにおかしな赤黒い空だった。
「めンどくせェ」
そう呟いた理由は色々あったが、一番はアーシアを連れているという状況だ。アーシアが護身術を嗜んでいたとしても、一方通行を狙うような輩の能力行使や、単純な暴力に巻き込まれるのはマズい。反射という絶対的な壁が存在する以上、一方通行が負傷することはない。
一兆度の火球が雨のように降り注ごうとも、強酸性の津波が襲い掛かってきたとしても、理論上は無傷で生き延びることが出来る。それが一方通行という人間なのだ。
しかし、アーシアは違う。奇妙な治癒能力を保持しているというだけで、自分の身を守るような能力はない。体の構造が人と異なっていたり、異常な耐久性を持っていたりもしない。耐久力という点においては一般人と大差ないのだから、悪い言い方をしてしまえば、一方通行にとっては足手纏いである。
『動くンじゃねェぞ』
斜め後ろを歩いていたアーシアの前方に腕を伸ばし、自身の背後に隠れさせる。それが一方通行に出来る最善の選択だった。手段を選ばないのであれば、少女を教会に向けて吹き飛ばすことも出来る。しかしながら、そもそも教会という場所自体も怪しい場所であることに加え、現状の確認すら出来ていないのだ。
「どォいう原理だ」
そう、出来ていない。一方通行の演算能力をフル活用しても、赤黒い空の正体が導き出せていないのである。気温も太陽の位置も何もかもが正常であるにも拘らず、突如血反吐のような色になってしまった空。何らかの能力が用いられたという仮定で逆算しても、何をどうすれば目の前の景色を生み出せるのか。
カオス理論を含んだ計算すら片手間に行うことが可能な彼の頭脳が、解き明かせていない状態の異常性。明らかに科学とは全く異なる観点から捉えるべき何かが働いていた。
「オカルトってヤツか?」
一方通行が漏らしたのは、吐き捨てるような笑い。しかし、彼の表情に笑顔などは一切なかった。いつもの仏頂面ですらない。目の前で起こっている異常事態に対する、明確な怒りを孕んだ目で空を睨みつけていた。
オカルトを忌避しているのではない。少なくとも、彼の暮らしていた学園都市にも都市伝説はあった。一方通行も友人はいなかったが、その内容を道端で小耳に挟んだことはある。それらにも科学的ではないモノは幾つも存在していた。だが、そんな都市伝説も最終的には科学で嘘だと明かされ、新しい噂話に取って代わられる。唯一明かされなかったモノとなると、奇妙な右手の話ぐらいだ。
つまるところ、彼は理屈が分からない現象に苛立ちを覚えていた。恐怖よりも先にそれが表出したのは、彼から恐怖心というモノが少しばかり欠落しているからなのか、それともそういった感情を上回ってしまったからなのか。何れにしても、彼の思考の渦は収まる気配がなかった。
『似たよォな経験は』
『ありません』
ブルブルと後ろで震えている少女からの情報はゼロ。与えられている変数は未知の何か。赤黒い空は少しも変化する様子はなく、段々とその薄気味悪さが増してきていた。
流れる風からは爽快感が消え去り、ドロドロとした液体が触覚に直接纏わりつくような流れに変わり果てている。空で輝いていたはずの太陽は黒い雲に覆われ、周囲の景色も固まった血のような色に変わり始めた。街の一角がそうなっているのか、街全体がそうなっているのかも分からない。
ただ一つ分かることがあるとすれば、異常事態を引き起こしている何かは、確実に一方通行とアーシアの二人を狙っているということだけ。
『ふ、フリードさん、うう、う!』
一方通行が脳内で書き出していた計算式は、少女の言葉になっていない叫びによって掻き消された。続けて祭服の背中が何度も引っ張られ、外国語の悲鳴が耳に刺さるように響き渡る。少年が後ろの状況を確認する為に首だけをグイと傾けると、そこには人間でも動物でもない何かがいた。
「……は?」
思わず漏れてしまった困惑の声。無理のない話だ。
まず彼の目に入ったのは、アスファルトに接している足の本数。二本でも四本でもなく、昆虫のように六本の足が地を踏んでいた。その足のうち一つは人間のモノ。他の足はおそらく全て異なるモノ。毛むくじゃらの四足歩行の動物のような足だったり、図鑑で見る恐竜の脚部のようなゴツゴツしたモノだったり。蜘蛛のような細長いのもあれば、人間の手をそのまま引っ付けたようなのもあった。
『はぐれ悪魔……』
ヒシと一方通行にしがみついたアーシアが漏らした言葉に対して、一方通行は疑問を抱くことも納得することも出来なかった。悪魔と言われれば、確かに悪魔と呼んでも良いのかもしれない。
足の生えている部分は哺乳類のようになっていた。猫かもしれないし、犬かもしれない。だが、そのどれに該当していたとしても、足の本数も生えているモノもおかしい。
そしてその哺乳類の胴体には頭がなかった。正確には、首から上に当たる部分が人間の上半身だった。スタイルが良いというのもおかしな話だが、その上半身にはくびれがあった。衣服はない。布の一枚も存在しておらず、胸部は完全に曝け出している。そこは大きく膨らんでおり、まず間違いなく女性のモノ。
両腕はそれらと比べると普通。十本の指全ての爪が異様に伸びており、それらがやけに硬そうだということさえ除けば、十分に普通の人間と変わらないだろう。
しかしながら、そこで生じた普通は一瞬で掻き消された。頭部に明らかな問題があったのだ。それは角。羊とも鹿とも異なる、妙に禍々しく捩れ曲がった角。側頭部から天に向けて伸びているソレらは、大体三十センチ程だろうか。頭と大差ない大きさの角を両方から伸ばし、はぐれ悪魔は口を大きく開いた。
「学園都市製の生物兵器か?趣味が悪りィのは相変わらずだが」
狼よりもサーベルタイガーの方が適切だろう。異常に発達した犬歯を剥き出しにし、化け物は白い少年を睨みつけている。上下の顎の間からダラリと溢れたのは、引き摺り出されたのかと思う程に長い舌。それからポタポタと落下した唾液は、ジュッという音と共にアスファルトの表面を削っていく。
鼻も目もキチンとしたモノではあるが、本当に見た目通りの機能を有しているかは分からない。いつの間にか象の鼻のようになる可能性もあるし、眼球から電撃を撒き散らす可能性も十分にある。それをしてしまうのが、学園都市の闇の部分。一方通行もその程度で驚きはしない。底に蔓延る薄汚いモノぐらい、幼少期から腐る程見ているのだから。
「人間も混ぜてンだとしたら、いよいよ終わってンな」
吠える怪物を前にして、一方通行が浮かべたのは嗜虐的な笑みだった。アーシアを背中ではなく物陰に隠し、片手をポケットに突っ込む。計算式は必要ない。迫ってくる不要なベクトルにマイナスを加えるだけ。
「イイぜ。オマエが何しに来たのかは知らねェが、こンだけ歩き回って収穫がゼロってのも気分が悪りィ」
もう片方の自由な手をヒラヒラと動かし、怪物に向けて挑発するような素振りを見せる。その動きは十二分にソレの神経を逆撫でしたらしく、再び唾液を撒き散らしながら、天に向かって咆哮を放った。周囲のアスファルトやら電柱が煙を出すものの、一方通行にその液体は届かない。
「情報が吐けねェなら吐けねェで、適当に料理してやンよ。挽き肉と腸詰め、どっちが好みだ?」
容赦なく振るわれた左手が巻き起こしたのは、アスファルトを抉り取るような突風。聞いたことのないような音と共に地面を削り、化け物の体に激突した。たかが風、されど風。台風やハリケーンも結局は風だが、その破壊力はそこらの兵器を凌駕している。
しかし、その突風が生み出した結果は、一方通行の計算とは大きく異なっていた。十メートルは吹き飛ばすはずだったにも拘らず、怪物は二メートル程を滑っただけ。
「……クソみてェなもンの正体が先か」
一方通行のことを明確に敵と見做した怪物は、先程とは桁違いな咆哮を彼に叩きつけた。それに怯えることも、それと共に飛んできた酸で傷つくこともない。一方通行はただ顔を顰め、一歩一歩距離を詰める。
そんな一人と一体の様子を、アーシア・アルジェントは震える瞳で見つめていた。