Re: 一方通行、狂人神父に成り代わる。   作:ミツヒコ

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第四話

 

 アーシア・アルジェントという少女にとって、戦場は馴染み深いモノではない。修道院と教会で日々を過ごしてきたことに加え、そもそもの気性が温厚そのもの。争いごとに巻き込まれるような立ち位置にはいないし、喧嘩を自ら引き起こすような人間ではない。

 最も身近な戦いとなると、同僚達の喧嘩だろうか。次点で挙げるとすれば、悪魔祓いの男達が度々自慢げに話してきた、悪魔を退治したという話。彼女にとっての戦場とは、もはや御伽噺の類だった。

 

「ンで、オマエは何が混ざってンだ?」

 

 だが、少なくとも。

 

「なァ、オイ」

 

 フリード・セルゼンが行っていることは、戦闘ではない。喧嘩すらロクにしたことのない彼女でも、それぐらいは理解することが出来た。

 

「口が利けねェなら、オマエの体に聞くしかねェか」

 

 ポケットに手を入れたまま、握ってもいない拳を近くの電柱に叩きつける。本来なら、その行為で生まれる現象など高が知れている。異常な力の強さがあるのだとすれば、電柱がへし折れるという可能性もあるかもしれない。

 しかし、アーシアの目の前で起こったのは、そんな想像出来る範疇の現象ではなかった。

 

「バッタも混ぜられてンのか?」

 

 怪物が跳ねた。正確には、跳ねさせられていた。どういう理屈で起こったのかは分からなかったが、それを行なった人物は彼女にも分かる。後ろ姿しか見えない、真っ白な少年。自分と大して年の変わらない少年神父が、その身一つで怪物を跳ね飛ばしたのだ。状況的にフリードの顔を見ることは出来ない。けれど、その顔が普段の仏頂面でないことは分かった。

 嗜虐的な笑い。赤黒い空の下で響いているソレの主は、他でもない彼だから。どちらが怪物なのか。何も知らない人間が通り掛かったら、アーシアに対してそんな質問を投げ掛けてくるかもしれない。

 

「まァ、そンな単純な話じゃなさそォだな」

 

 理解不能な攻撃に怯え、地に伏せたまま雄叫びを上げる怪物。少年はその首根っこを子猫のように掴み上げ、ボールでも投げるように軽く放り投げた。サイズは明らかに少年神父の方が小さいのに、扱われ方は真逆である。怪物はそのままコンクリートの壁に激突し、ズルズルと血を擦りつけながら地面に落ちた。

 

「……コレか」

 

 フリードの口にしている言葉の意味を、アーシアは理解することが出来ない。後ろからの視点で理解出来るのは、手を開閉して少し楽しげにしているということだけ。

 怪物の正体は、おそらくはぐれ悪魔。悪魔祓い達の退治する主な対象であり、理性を失った悪魔達の総称。夜な夜な人を喰らう存在。戦地に赴かない修道女の持つ知識としては、その程度しかない。それらも悪魔祓い達から聞いたものである為、事実かどうかは分からない。

 ただ一つ確実なことは、明らかにフリードの行動がおかしいということ。悪魔祓いの使用する剣や銃を使うことなく、まるで友人の家の扉をノックするような動きだけで、怪物を吹き飛ばしているのだから。

 

「電気信号、血流、赤外線。人間じゃねェとしても、体から出るもンなンざ大して変わンねェ」

 

 いつの間にやら、彼は小難しい単語を羅列しつつ、壁際に怪物を追い込んでいた。両手をポケットに突っ込むという、どう見ても臨戦態勢とは程遠い姿勢。にも拘らず、怪物は襲い掛かる素振りを見せていなかった。

 やろうと思えば、いくらでも攻撃することは出来ていた。禍々しい爪も生え揃っており、異様に延びている犬歯も折れてはいない。足も一本は明らかに折れているが、他の五本は未だに動いている。それだけの武器を持ち合わせていながら、怪物は挑むことを避けてしまっていた。

 

「普通の生物の構造じゃねェが、基本的にはオマエも同じだ。ただ、異常な構造が成り立ってやがるのが問題だな。遺伝子操作されたにしても、もォ少し見れる姿になンのが普通だ」

 

 怪物は未だに吠えている。酸性の唾液を撒き散らし、牙を見せつけるように騒いでいる。だが、その様子は子犬のようだった。人を喰い殺そうという気迫は既に消失しており、必死に悪魔祓いを追い払おうと、怯えを覆い隠した虚勢でのみ意識を保っている状態。

 

「その異常性が成立してンのも、この気味悪りィ空も」

 

 敵を前にして、少年は空を睨んだ。完全にソレの存在を侮っている。にも拘らず、怪物は怒りを向けることすらしていなかった。目の前に立っている真っ白い少年が、怒鳴り声やら何やらで怯えるような人間ではないことは、理性を失った頭でも理解していたのだ。

 

「ついでに、俺の演算にノイズが生じてやがンのも」

 

 不機嫌そうに指で側頭部をコツリと叩いたかと思えば、その手を虚空に伸ばして何かを掴むような素振りを見せる。

 

「コイツが原因ってわけだ」

 

 掴んだモノを振り払うようにヒラヒラ動かし、彼は三日月のように口を裂いた。たったそれだけの動きだと言うのに、今までの無造作な攻撃のせいで、怪物の警戒心はドンドン高まっていく。

 

「なら、コイツの存在を組み込ンで、世界を再定義しちまえばイイ」

 

 言い終わるかどうかというタイミングで、怪物の剛腕が振るわれた。細身なフリード・セルゼンの胴なら、簡単に薙いでしまうであろう巨木のような腕。

 それは怪物にとって、全力で逃げに徹する為の一手。意味の分からない攻撃を繰り返され、強制的に跳ね飛ばされた結果、着地時の負荷で足が一つ使い物にならなくなった。怒りの矛先は目の前の白い少年ではなく、己自身。それらの事象に怒りを覚えるよりも先に、恐怖を覚えていた自分自身に対して。

 

「フリードさん!」

 

 単なる神父ではなかったのか。悪魔祓いだったとしても、強者特有の覇気はなかったではないか。自分の主だった悪魔のような、それ相応の気配はなかったではないか。

 様々な可能性を度外視し、はぐれ悪魔は飢えを満たすことを優先した。その結果がコレだ。ろくな抵抗も出来ず、無様に足をへし折られた。何度も何度も攻撃を受けたというのに、未だに対処法は導き出せない。獲物だと思っていた存在に、逆に殺されそうになっている。

 それぐらいのことは、理性を失った頭でも理解出来ている。だからこそ、ソレは逃げることを選んだ。生物として、一番避けるべきは死ぬことだから。腕や足を失ったとしても、生きてさえいれば何とかなる。

 

「え?」

 

 恐怖で震える心を雄叫びで押さえつけ、全力で腕を振るったにも拘らず、はぐれ悪魔の眼前で生まれたのは、あまりにも理解したくない光景だった。当然、当事者ではないアーシアですら、呆然とした声が漏れ出る。

 

「自慢の爪も粉微塵。次はどォすンだ?」

 

 砕けた爪がアスファルトの上に散乱し、鈍い音と共に怪物の五指があらぬ方向を向かされる。あまりにも凄惨な絵面だが、白い少年は相変わらず突っ立ったままだった。ポケットに手を入れたまま、ジーッと痛みで叫ぶ怪物の方を見つめている。

 その姿を見てホッとしたのも束の間、そういうモノに耐性のない少女は、見事に顔を青くすることになった。流石に胃の中身を撒き散らすようなことにはなっていないが、かなり衝撃的だったらしい。

 

 そんな獲物にしやすそうな少女のことなど、もはや怪物の眼中にはない。逃走経路を確保する為、目の前の白い怪物を退かすことに必死になっていた。

 無事なもう片方の手を振るい、砕かれる。噛み砕こうとし、逆に牙が粉砕される。酸を撒き散らそうとしても、どうしてか自身の体が焼かれる羽目になる。はぐれ悪魔の持つありとあらゆる武器が、その力を発揮する前に無効化されていた。

 

「もォイイか?」

 

 慈しむような笑みを浮かべるでもなく、嗜虐的な笑みと共に怪物を痛めつけることもなく。彼はただ見つめていた。駄々を捏ねるように、ブンブンと砕けた拳を振るう怪物を。

 

「TPO弁えて出直せ」

 

 舌打ちを一つ挟み、彼は右足でアスファルトを踏みつけた。一見すると、それは単なる足踏みと変わらない。毒虫が這っていたので踏み潰した。その程度の若干乱雑な行動だったのだが、それと同時に生じる物理現象は、単なる足踏みで生じるようなモノではなかった。

 彼と怪物の周囲だけで発生した、異常な強さの上昇気流。少し離れた位置で未だに顔を青くしている少女が受け取れる情報は、本当にそれぐらいだった。起こっている現象は本当にそれだけ。自然に起こり得る、科学的な物理現象。それがおそらく人為的に引き起こされていて、それの力が明らかに人為的に引き起こせるモノではないということを除けば、単なる物理現象でしかない。

 その渦中にいるというのに、真っ白な少年は眉一つ動かさず、相変わらずの姿勢で立っていた。彼より何倍もの重さがあるであろう怪物が既に宙に浮かんでいるというのに、彼自身は二本の足でしっかりと地面を掴んでいる。

 

「オマエの耐久性なら、早贄にはならねェよ」

 

 彼が片手を軽く振ると、風の軌道とでも呼ぶべきモノが変化を見せた。単純な上方向への強風から、斜め上に向かう強風に。弱い者イジメのような蹂躙によって生まれた、道路や外壁の残骸、血のついた建材やら千切れてしまったであろう肉片を巻き込み、局所的な台風は怪物を山の方へと運んでいった。

 物陰から眺めていただけのアーシアには、何が起こったのかは分からなかった。ただ一つ曖昧ながらも理解出来たのは、フリード・セルゼンの手によって厄災が振り払われたこと。空の赤黒さは既に払拭されており、日本に着いた時と変わらない青空になっていることが、その何よりの証拠だろう。

 

『アルジェント』

 

 突然声を掛けられ、アーシアはビクリと肩を震わせた。

 

『は、はい!』

 

 慌ててフリードの元に駆け寄り、その顔をペタペタと触る。続けて手のひらを確認し、手の甲にも目を向ける。祭服の袖を捲り、その白い肌に傷がないことを確認していく。

 その全てに対して鬱陶しそうな顔をしつつも、彼は一切振り払う素振りは見せなかった。されるがままになりながら、ただ疑問を口にするだけ。

 

『何してンだ』

『怪我の確認です。小さい擦り傷でも、悪化しちゃうと大変なんですよ?』

 

 少年は頭をガシガシと引っ掻きつつ、空に向かって息を吐いた。そして、未だにペタペタと自分の体を触っているアーシアの額に向け、手刀を軽く振り下ろす。

 

『気にし過ぎだ』

 

 特に痛くなかったものの、反射的に両手で額を押さえた。当然、その動きで少年神父は解放されることになる。ポケットに片手を突っ込んだまま、一人でツカツカと歩き出す彼の後ろを、アーシアは慌てて追いかけ始めた。その更に後方。ほんの一瞬の攻防で一部が削れた電柱の陰に、小さな動物が張り付いていた。それは真っ赤な蝙蝠。より正確に言うならば、紅色の蝙蝠が一匹、彼らを盗み見ながら腕をパタパタとさせていた。

 

 

 

 

 

 

 二人が教会に辿り着いたのは、日が傾き始めた頃だった。教会なのは間違いないが、そこは一方通行が出発した時と変わらない廃教会。左遷されるにしても、あまりにも酷い場所だ。一方通行の中にある違和感は、やはり拭うことが出来なかった。

 唯一変わった点があるとすれば、入り口から少し離れた場所に放置された、可愛らしい色合いのキャリーケースぐらいだろう。持ち手の部分には国際便のタグが括り付けられており、そこに記載されているのは、異国の文字で書かれた『アーシア・アルジェント』という文字。

 

「オイ、レイナーレ!」

 

 ソレに駆け寄った少女がゴロゴロと引っ張ってきている間に、一方通行は平然と教会を揺らしていた。呼び鈴やドアノッカーでもあれば話は別だが、それらも目につく場所には存在していない上、一方通行が教会にいたのはほんの一瞬のこと。目覚めてすぐに出会った黒髪の女、アーシアの言うレイナーレだと思われる女の定位置も、把握する暇などはなかった。

 何となくは予想も出来る。振動や音を利用した魚群探知機ならぬ人間探知機になれば、確実な場所も割り出すことが出来る。手っ取り早いのが、柱を殴りつけることだった。それだけである。

 

「一体何なの!」

「これが日本の地震ってヤツっすか!」

 

 奥から飛び出してきたのは、二人組の女だった。片方は言わずもがな、一方通行が教会で目覚めて最初に出会った女。アーシアの言うところの、レイナーレその人である。

 そしてもう一人。こちらはあまりにも特徴的な姿形をしていた。金髪を二つに纏め、ゴスロリ衣装に身を包んだ小柄な少女。ボロボロの教会という場所には合っているように思えるが、もう少し綺麗な場所ですべき格好にも思える。そんな少女が槍のような棒を片手に、レイナーレの後ろに引っ付いていた。

 

「誰かと思ったら……面倒だからフリードで良いかしら」

 

 少し考え込むように俯いた後、レイナーレは言葉を絞り出すのを諦めていた。一方通行も面倒臭いのが半分、既に呼ばれ慣れてしまったのがもう半分という状態である為、特に拒否をしようとも思わない。

 それに加えて、レイナーレの口振りからして、今も本物は姿を見せていないらしい。そう判断した一方通行は、一時的に彼の名前を借りることにした。

 

「それでイイ」

 

 彼が代わりに名乗る名があるとすれば、学園都市での通り名且つ能力名ぐらい。本名は引き出せる記憶の中にはないし、パッと思いつく偽名もなかった。同姓同名などこの世にはいくらでもいる上、当の本人であるレイナーレがフリードと一方通行を区別出来ているのなら、別段問題が生じることもない。

 

「あ、フリードじゃないっすか。久しぶりっすね」

「誰だオマエ」

 

 人懐っこい笑みを浮かべてブンブンと手を振る少女に対しても、一方通行の反応は素っ気なかった。とはいえ、仕方がない部分もある。

 相手は一方通行のことをフリード・セルゼンだと思い込んでおり、相手からしてみたら初対面ではない状態。自己紹介などをすることもなく、知人と接する態度で迫ってくる一方で、一方通行にとっては知り合いでも何でもない赤の他人である。 

 まだ陽気な人間の演技でも出来れば話は別だが、彼はその能力故に演技を強いられた経験もない。演技以前にコミュニケーションを取った経験も少ない。コミュニケーション能力自体も若干問題がある状態で、そんな愛嬌に溢れた行動が取れるはずがなかった。

 

「酷いっすよ!」

「知らねェもンは知らねェ。ガキはどっか行ってろ」

 

 結果的に行われたのは、シッシッと手で追い払うような動き。あまりにも雑な対応をされ、一方通行に掴み掛かってこようとする少女。その額を小指一本で抑え込み、彼は赤い瞳でレイナーレを見据えた。

 

「……ミッテルト、下がってなさい」

 

 彼とのファーストコンタクトを思い出し、彼女はミッテルトと呼ばれた少女のゴスロリ衣装の首元をギュッと掴む。それと同時に一方通行が小指を離したせいで、少女の喉から出るべきではない類の音が漏れるも、彼女の不平不満の向く先はレイナーレの方だった。

 

「なんでっすか」

 

 どうしたものか。そんな風に視線を一瞬彷徨わせ、彼女は説明から逃げ出した。

 

「冷蔵庫にあるエクレア、食べてて良いから」

「分かったっす!」

「ガキじゃねェか」

「聞こえてるっすよ!」

 

 一瞬騒ぎ出しそうになったものの、ミッテルトはすぐに一方通行の顔から視線と指を外し、タッタッと冷蔵庫があると思われる方へ走り去っていった。二人はそれを見送った後、揃ってため息を漏らし、改めて顔を見合わせる。

 

「それで?何か用事?」

 

 探りを入れるべきか。入れたところで自分は何をするのか。そこまでしてやる義理はあるのか。悪事を働くとして、あまりにも平和的な能力で何をするつもりなのか。そもそも自分の状況把握すら出来ていないのに、他人の心配などしている場合なのか。

 湧き上がってきた様々な疑問が、彼の喉元まで来ていた質問を抑え込む。おかしい部分が多いのは間違いないが、彼が邪推している部分があるのも事実だ。本当に単なる左遷という可能性も捨て切れていない以上、下手に動くのは逆効果。何から話し出すべきか。

 会話の途中だというのに、若干思考に沈みかけていた彼の意識を引き上げたのは、ゴロゴロという特徴的な音だった。

 

「……アイツだろ、オマエが言ってたのは」

「アイツ?」

 

 思考に蓋をし、会話を適当に誤魔化す。音のする方向へタイミングの合うように指を差し、それと同時に扉から現れたのはキャリーケースを重そうに引く修道女。

 

『初めまして、アーシア・アルジェントです』

 

 入り口で行儀良く頭を下げ、金髪が垂れ下がる。流石にヴェールを落とすことはなく、少女は綺麗な姿勢のまま顔を上げた。そして緑の瞳が瞼に隠され、フワリとはにかんだ。

 それに対してレイナーレが浮かべた笑みは、何処となく意地が悪そうなモノ。元々の素材が良いせいで、単なる美人の笑顔に見えなくもない。しかしながら、暗がりで長い間生きてきた一方通行には、似たような笑顔を目にした経験が何度もある。子供を食い物にする研究者達の多くが、同様のモノを持っていた。

 

「気が利くのね」

「……偶然だ」

 

 もはや、彼女の視界に一方通行は存在していなかった。彼の言葉を聞いていたのかも怪しいぐらいに、その瞳はアーシアにしか向いていない。込められているのは、悪意とはまた異なる類の感情。様々な欲望が入り混じった、何とも人間臭い瞳。

 既に見慣れてしまったモノに対し、彼が嫌悪感を覚えることはなかった。それが自分に向けられていないことに、若干の違和感を覚えただけである。数年前ならば、それらの視線は彼に集まっているのが普通だったから。

 

「歓迎するわ、アーシア」

 

 今いる場所は研究施設でもなければ、そもそも学園都市ですらない。自分の知っている日本かどうかも怪しいものだが、少なくとも一方通行という人間を知らない町。

 自分の置かれた状況を今更ながら実感させられ、一方通行は調子を崩される感覚に襲われた。もう何度目になるかは本人にも分からなかったが、常識だけが挿げ替えられた町に唐突に放り込まれ、そうならない方が難しい。むしろ何度かで済んでいるだけマシかもしれない。

 どうでも良い思考を振り払う為、軽く頭を振るう。視線を元に戻すと、女の姿は既にそこになかった。いつの間にやら、先程の酷い顔を取り繕った薄っぺらい笑顔を貼り付け、アーシアの手を取っている。

 

「長旅ご苦労様。夕食は用意するから、それまで部屋でゆっくりしてて」

 

 警戒心が強い人間ならともかく、性善説を信じ切っているような少女がそう言われれば、本当にその言葉通り休んでしまうだろう。アーシアが一方通行に見せてきた姿が仮初ならともかく、彼女がそんな器用な真似を出来る人間ではないのは、公園で出会ってすぐに理解させられている。

 

『フリードさん、また後で』

 

 言語に妙な違和感を覚えながらも、彼はそれを一旦置いておくことにした。

 

『あァ』

 

 談笑しながら去っていく二人。広間に一人取り残され、一方通行は仕方なくボロボロのソファに腰掛けた。クッション性が完全に消え去っているのは難点だが、警戒を解かない為には満点でもある。

 

「めンどくせェ」

 

 生憎、缶コーヒーは彼の手元にない。だが、今の彼に必要なのは苦味でもカフェインでもなく、レイナーレ達に関する情報だ。既に彼女に対する彼の疑念は最大値。ロジカルな一方通行にしては珍しく、感情やら何やらが判断基準になってしまっているが、何となく確信に近いモノがあった。

 

「らしくねェな、ホント」

 

 ギシギシと悲鳴を上げる背もたれに体重を預け、天井を見上げる。薄汚れた石材で視界を埋め尽くし、無駄な情報をシャットアウトしていく。

 正面突破は出来る。戦闘などろくにしたことがない一方通行ではあるが、蹂躙なら突っ立っているだけでも十分に出来るのだ。しかし、問題はアーシア・アルジェントの存在。彼女が人質にされた場合、ベクトル操作が如何に万能であったところで、出来ることは限られてくる。

 

「まァ、まだ動かねェだろォな」

 

 まずは警戒心を解く。それが人を騙す時の常套手段だ。詐欺を働く時に公の身分を詐称したり、子供を誘拐する時に親の知り合いだと嘘を吐いたり。それらも人の警戒を薄める為の一つの手段。警戒が完全に解けてしまえば、後は薬を盛るなり犯すなり、いくらでもやりたいように出来る。

 アーシアの警戒心のなさはともかく、レイナーレという人間の一方通行に対する落ち着いた行動を思い返せば、多少は用意周到な部分が垣間見える。何をするのかにもよるが、猶予は最低でも一日。大規模な何かをやらかすとすれば、例えば神器による一大宗教を築き上げるような計画なら、何年もの月日が必要になるだろう。

 思考を一時中断し、ゆっくりと腰を上げる。猶予自体はそれなりにあると考えれば、出来ること自体は多い。だが、Xファクターによって計算が全てズレている可能性も考慮し、彼は一応釘を刺しておくことにした。

 

「ミッテルト」

 

 今度は建物を揺らすことなく、ただ音波をなるべく反響させるように動かす。

 

「なんふか?」

 

 奥からひょっこりと顔を出してきたのは、頬にクリームを塗りたくったようなゴスロリ少女。右手にエクレアを握っているが、まだ齧った形跡もない。明らかにいくつか食べ終わった後である。

 

「少し出る。面白れェことすンなら、俺も呼べ」

「わかったっふ」

 

 一方通行のことをフリードだと勘違いしているミッテルトは、適任という他ないだろう。フリードがイカれているという周囲の評価を考えれば、面白いことは一般人と若干ズレている可能性が高いのだから、アーシアを使って何かをすることも、『面白い』という判断になる可能性も十二分にある。

 ミッテルトがフリードにとっての『面白い』を理解しているかはともかく、レイナーレに警戒されるよりはマシ。彼はそう考えた結果、彼女にだけ伝えることにした。

 

「何やってンだか」

 

 一方通行は頭を掻いてボヤきながら、オンボロの扉を押し開けた。行く場所は決まっているわけではない。情報収集の続きを行う予定だが、アーシアの案内をしていたこともあり、そもそも周囲に何があるのかもキチンと把握出来ていないのだ。

 強いて行きたい場所を挙げるとすれば、ブラックコーヒーが飲めて、情報誌を読めるような場所。そうなってくると、行き先は何ヶ所かに絞られる。喫茶店やコンビニは当然候補に入ってくるし、ネットカフェも情報収集には打ってつけの場所だ。

 地面を足底で軽く叩き、近くの鉄塔の上に飛び上がる。まだ日が落ち切っていない為、周囲の建物は何となく把握出来た。金銭面にやや不安は残っているが、一方通行もバカではない。ファミレスで後先考えず散財もしていない為、まだ十分に硬貨も紙幣も残っている。改めて財布の中身を確認し、周りにあるベクトルを適当に統括していく。

 

「オマエが何してェのかは知らねェが、邪魔するってンなら潰すぞ」

 

 それに返答するように、キチキチと鳴き声が響いた。外国語が堪能な一方通行であっても、流石に動物の言葉は分からない。サンプルがあるなら話は別だが、新種と見紛う生物の鳴き声など彼の脳内データベースには存在していない。

 結局、何を言っているのかは分からなかったが、特に何かをしてこようという様子もなかった。何となく分かるのは、誰かが背後にいるということぐらいだ。そもそもが会話にならない相手である為、それ以上話が進むこともない。腹いせに超音波を適当な場所に反射し、真っ白い少年は不機嫌そうな顔のまま、やや乱暴に鉄骨を蹴り飛ばした。

 

 

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