パズドラで電撃文庫コラボがあったので、死ぬ気で石集めをしていたら、軽度の熱中症で二日ほどダウンしてしまいました。その甲斐(?)あってか、上条さんは無事に確保。第三位さんだけ取り逃がしました。
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アーシアからの軽い説明を受けた後、一方通行はソファに座ったまま、本をアイマスク代わりに寝息を立てていた。本当は彼に寝るつもりなどなかったのだが、やはり慣れない場所では多少なりとも疲労があったらしい。気づかない間に蓄積されたソレによって、少年は夢の世界に誘われてしまっていた。
並行世界に移動してしまったらしいことは、別段大した問題ではない。問題は全く別の部分。ゲームやファンタジーのような事象が、現実に適応してしまっているという状況にあった。悪魔や天使達が実在しているということに加え、一般人はともかく、聖職者達にとってはそれが常識だという話。そしてレイナーレ達は堕天使であり、光力という力を操るということ。一方通行が吹き飛ばした悪魔の持っていたモノは、光力とはまた異なる魔力と呼ばれるモノだということ。
理解は出来るが、あまりしたくない。情報が一つ一つ少女の口から飛び出す度、一方通行が学園都市で積み上げてきた常識が、ダルマ落としのように崩れていった。アーシアの口から出た情報だけでもそんな状態なのに、その知識も聞く限りでは上辺だけのモノ。詳しい情報は曖昧な部分が多かった。数字を一から十まで数えられるようになったところで、平行四辺形の面積は求められないのだから、流石の一方通行でも頭を抱えるしかない。
そんな状況下に置かれていること。レイナーレ達の牙城をどのようにして打ち崩していくか。何が必要で何が不要か。彼が思考の為に目を瞑るまで、そう時間は掛からなかった。そしてその結果、隣でアーシアがチューとストローを鳴らしているのをBGM代わりに、彼はあまりにも遅い眠りについたのだ。
そして寝始めてから数時間。特に誰かから邪魔されることはなく、アイマスク代わりの聖書が自然にずり落ちた拍子に、彼は夢の世界から帰って来ることになった。
「……気ィ抜き過ぎだな」
一方通行が一方通行であると知られていない以上、見知らぬ誰かに襲われる可能性は捨て切れない。知られていても襲われていたが、学園都市での一方通行にとっての日常と、彼が置かれている現状は大きく異なっている。魔力と呼ばれる何かで計算を阻害された以上、光力が同様の事態を引き起こす確率も少なからず存在している。最低限の演算を組み込まなければ、上手く反射も機能しない可能性があるのだ。故に僅かな時間であっても、比較的無防備な姿を晒すのはかなり拙い。
レイナーレ達を脅すなり何なりすれば、すぐにでも仕組みを暴くことはできるだろう。だが、その際に問題となってくるのは、今現在一方通行の隣で寝息を立てている少女。
『ふりぃど……さん』
寝言で一方通行の偽名を呟きながら、幸せそうに寝息を吐いている。寝床としては最悪級のソファの上で、心地良さそうに。
「オマエも警戒心ぐらい持ちやがれ」
ため息を漏らし、立ち上がる。それと同時に、身に覚えのない布が落下した。一方通行に掛けられていたのか、それともアーシアが使っていたのか。そのどちらかは定かではないが、それは温もりの残っているタオルケットだった。
一方通行が持って来ていないのであれば、その候補者は三人に絞られる。しかしながら、少し前に彼自身が口にした通り、お互いにそこまでしてやる義理はないのだ。それを考慮すると、自ずと答えは見えてくる。アーシアの性格を少しでも理解していれば、何の為に持ってきたのかは明白だろう。少年は床に落ちたそれを拾い上げ、乱雑に手で叩いた後、未だに眠っている少女の体を覆った。
「合ってンのか、コレ」
残念なことに、一方通行には経験がない。見様見真似とも異なる、ただの知識に基づく行動。それが正しいのかどうかも曖昧なまま、彼は側頭部をグイと押して首を鳴らした。
そしてゆっくりと肉食動物のように視線を巡らせたかと思えば、徐に床を踏みつけた。音自体は大したことはない。ただ、妙に響いていた。一方通行はその発生源で佇み、視界以外からの情報を一つずつ汲み取っていく。
それは一種のソナーに近い。音波によって物体を探知する方法を、彼はその身一つで再現していた。今回の対象は教会の内部。自分とアーシア以外の存在を把握する為、最も手っ取り早い方法を選んだのだ。
「……二人。動く気配はなし」
邪推せず、ありのままを受け入れるのであれば、レイナーレとミッテルトの二人と考えるのが妥当。どちらも堕天使であり、使う物質は光力と呼ばれる何か。
「アイツの話が合ってンなら」
懐から取り出したのは、玩具のような銃と妙な形状の筒。アーシアの話が正しいのであれば、そのどちらも悪魔を祓う為の武器である。光力が用いられている道具であり、悪魔を効率的に殺す為の猛毒。
どちらも世間一般で知られている武器とは違う。銃とされている物は火薬が使われている様子がなく、剣だと思われる物も筒の状態。一方通行は銃を懐に戻すと、残された筒を握り込んだ。そのまま手の中でクルクルと回し、仕掛けになっていそうな部分を探ること数秒。出っ張りの部分を押し込んでみると、さながら有名な洋画の武器のように光る刀身が現れた。
一方通行にとって、武器は脅威に値する物ではない。それが自分に向けて寸分違わず落下してくる核弾頭でも、そこらの主婦が握り締めた切れ味の悪い包丁でも、危険度自体に差はない。前者の方は酸欠になりかねないが、それも能力を少し行使するだけで凌げる。
今現在彼が握っている物は、言ってしまえば単なる剣だ。だが、問題は材質が普通の物と異なっていること。一方通行の豊富な知識の中にも存在しない、完全に未知の物質で生成された刀身。そんな物を相手にしているのだから、流石の彼もやや躊躇して触れていた。
「単なる光じゃねェ。高温ってわけでもねェ」
しかし、その躊躇というのも、あくまで一方通行の普段と比べてという話だ。その道の人間でなくとも分かるぐらい、かなり危なっかしい触り方をしている。何か別の物で突いてみるとかはなく、躊躇いなく自身の指を用いているのだから、やはり怖いとか危ないの感覚がズレているらしい。
「が、理解できねェもンでもねェ。魔力ってヤツと同じだろォが。コイツの存在を既存の世界に落としちまえばイイ」
二日前の一方通行にとって、魔力は未知の物質だった。それを既知の物質に変えることができたのは、はぐれ悪魔と遭遇したからだ。異様な空間を形作っていた法則を逆算し、はぐれ悪魔の体を流れている魔力を捉え、通常の場合と魔力が介在した場合を比較する。その他にも大量の簡易な実験を数回の交錯で実施し、未知の物質に働く未知の法則を導き出した。
人が知らない現象を見た時、特にそれが発生する理屈を考えず、そういうモノなのだろうと納得することがある。面倒臭がっているだとか、理屈を調べたり理解したりするのが難しいだとか、色々な理由はあるかもしれないが、結局は思考を放棄してしまうということだ。それは決して悪いことではない。深く考えずにありのままを受け入れるというのも、難しいことなのだから。
今回重要なのは、納得に至る過程に存在する『そういうモノ』だ。既存の現象ですら、そこを理解することは難しい。鳥はどうして飛べるのか。昼にオフィス街を歩いている人間から、無作為に数人選んだとして、答えられる人間は何人いるだろうか。もし仮に都合良く鳥が羽ばたいていたとして、そこから理由を説明できるに至れるだろうか。
一方通行が魔力に対して行ったことは、そんな『そういうモノ』を詳しく解き明かしただけのこと。言葉にすると簡単そうだが、実際に行っていることは異常そのものだ。既存の法則ですら、それこそ鳥が羽ばたく姿を見て、そこから全てを理解するなど不可能に近い。普通の人間には当然無理であるし、一般に天才と呼ばれる人種にも難しいのは間違いない。
今回の彼が相手取っているのは、更に難易度の高い未知の物質。それらに働いている法則を、目の前で起こっている現象から逆算し、既知の存在と呼べるまで次元を引き下げる。複数の科学者が電子計算機を用いて、何年もの間ああでもないこうでもないと言い続ける作業を、彼はその頭脳一つで解決しようとしていた。
ほんの数分という短い静寂を挟み、学園都市の誇る最高傑作の手によって、また一つの未知が既知に落とされる。
「これで二つ」
ボソリと呟いたかと思えば、一方通行は剣でバトントワリングのようなことをし始めた。指先で刀身に触れながらクルクルと回し、爪で小突いて宙で弧を描かせる。無重力下のような挙動だが、決してそんなことはない。
側から見れば、指は確実に落ちている動きだ。腕が切り落とされていてもおかしくはない。しかし、彼の白い肌には赤い筋の一本すらなかった。それが意味するところはたった一つ。彼が現在弄んでいる武器が、彼に対しては武器としての力を失ってしまったということ。
「呆気なかったな」
クルクルと回りながら落ちてくる剣に向け、右手の人差し指を突き立てる。先端同士を衝突させて止めようという魂胆だったのだが、それを妨害するように、甲高い叫び声が教会全体に響き渡った。
「あァ?」
恐怖心やら何やらが欠けている一方通行であっても、流石に叫び声が響いたとなれば、顔を向けずにはいられない。それも聞き覚えのある少女の声なのだから、尚更である。
『あ、す、すみません』
声の方向にいたのは、何処かのウサギの如く口の前に手でバツを作り、ペコペコと頭を下げているアーシアだった。何がどうなって叫んでしまったかなど、彼女の性格を知っている一方通行には、質問せずとも分かることだ。それ故に、彼の口から責めるような文言は出てこない。ただため息を漏らすだけ。そして間抜けな格好を解消するのとほぼ同時に、彼の後ろで別種の甲高い音が鳴った。音源は言わずもがな。落下場所を失った剣である。
『なンで謝ってンだ』
RPGに登場する剣のように突き立ってしまっていたが、一方通行には大して関係ない。そもそも彼以外の人間であっても、剣の構造的には力む必要すらないのだ。
『でも、危ないことはしちゃダメですよ』
『俺はガキか』
アーシアの注意は間違っていない。普通の人間なら、最悪の場合は見るも無惨な姿で死んでいた可能性もある。一方通行の持つ能力を知らないのだから、剣の落下地点に突っ立っている彼を見て悲鳴を上げてしまうのも、仕方がない話だろう。それが分かっているから、一方通行も若干バツが悪そうな顔をしていた。
そんな顔のまま、彼は柄に仕込まれているカラクリを弄る。刀身の部分を消してしまえば、残るのは柄の部分のみ。それを懐に突っ込み、ため息と共に頭を引っ掻く。
『怪我しちゃうかもしれませんよ?』
『そォかもな』
そっぽを向いているわけではないが、二人の瞳は合っていなかった。さながら説教中の親子のようだ。当然、親はアーシアの方である。
『もう』
彼に反省する必要がないのは、アーシアも百も承知だ。はぐれ悪魔を無傷で撃退しているのを目の前で見せられれば、その強さは疑いようがない。しかしながら、心配なものは心配なのだ。だからこそ注意をしてみたのだが、一方通行が示したのは改善しそうにない態度。それに対して、彼女は僅かばかりに頬を膨らませたものの、すぐにハッと表情を変えた。
『もしかして、悪魔祓いの練習……とかでしたか?』
見当違いである。そう考えるのも仕方はないが、それはフリードが本当にフリードだった場合のこと。彼はその名を語っているだけの別人だ。
『練習も何も、半殺しにして十字架に磔にすりゃイインじゃねェのか』
極論も極論である。確かに悪魔を祓うことはできるかもしれないが、あまりにも非人道的。学園都市にいた頃の一方通行であれば、創作物のイメージで祈祷やら何やらの単語を口に出していたかもしれないが、はぐれ悪魔があまりにも物理的に悪魔だったせいで、対処法もかなり物理的なモノになってしまっている。場所に適応しているのは間違いないが、若干危ない方面に適応してしまっていた。
『剣を扱う練習、とか』
『ンな高尚なもンじゃねェ』
確かに一方通行は剣を扱ってはいた。しかし、正確には光力を支配下に置いたことの確認も兼ねて、玩具のようにして遊んでいただけだ。当然のように剣術には該当しないし、見た目通りに素振りのような基礎基本を行なっていたわけでもない。曲芸師としての修行の方が近いだろう。
『……アレだ、単なる遊びだ』
『コマ回しとか、あや取りみたいな感じですか?』
『全然違う。つーか、どォしてそンなこと知ってンだ』
『日本に来る前に少し勉強したんです。子供達と遊ぼうと思って』
『今時い……』
いねェだろ。そう言おうとしたものの、一方通行の考える一般的な子供というのは、学園都市の中にいる子供達だ。彼のイメージする子供と、駒王町の子供が一致するとは限らない。最初は否定しようと思ったものの、合っているかどうかも分からない為、一方通行は出掛かっていた言葉を飲み込んだ。そして話を切り替える目的で、当たり障りのない質問を適当に吐き出す。
『……オマエ、今日はどォすンだ』
『今日ですか?暫くはお休みで良いって、昨日レイナーレさん達が言っていたので……そうですね、まだ少しだけ残ってる荷物を片付けようかと』
堕天使性善説を唱えるとすれば、旅の疲れを癒してほしいという思い遣りが真っ先に出てくる。しかしながら、一方通行には堕天使達を信用することができなかった。間抜けそうなミッテルトはともかく、レイナーレの方は確実に何かを企んでいる。
遅かれ早かれ何かを仕出かすのが分かっているのなら、目を離す必要はない。だが、ことを起こす前にとっちめるのも良くはない。天文学的な確率で歓迎パーティを開く可能性がある以上、一方通行の立ち位置は未だに傍観者、あるいは調停者のままである。
『フリードさんは、この後何か予定が?』
『いつもと変わンねェよ』
間髪入れずに答えたが、フリード・セルゼンのいつも通りというのを、一方通行は知らない。悪魔祓いという称号だけで考えるならば、そこら中で悪魔を殺し回るべきなのかもしれない。しかし、一方通行は別に血や死体を好むサイコ野郎ではない。ただ少し嗜虐的な笑みを見せたり、残虐にも思える行動を取ったりしてしまうだけで、基本的に面倒ごとを自ら引き起こす類の人間ではないのだ。
それに加えて、レイナーレという不穏分子が居座っている以上、彼のやるべきことはソファでダラダラと過ごしつつ、教会の内部を定点カメラの如く監視することなのかもしれない。
『えっと、ミサとかですか?』
アーシアの疑問に対し、少年は顔を顰めた。昨日まではそういうことに縁遠い人間だったが、今は一応その言葉も知識に入っている。しかし、普通の教会ならまだしも、すぐにでも補修工事が必要そうな廃墟同然の教会で、そんなことが行えるとは思わなかった。もし仮に行っていたとしたら、管理人は明らかにおかしいし、迷える子羊も本当に路頭に迷っているレベルの人間ばかりなのは目に見えている。
『ココでか?』
伽藍堂と言っても何ら問題ない場所で、一方通行は見せつけるように両手を広げた。彼ら以外には人っ子一人おらず、扉を叩く人間が来る気配もない。一方通行は他にも二人いることを把握しているが、その二人も出てくる気配は未だにない。漫画ならば、彼の後ろでピューッと風が吹いていただろう。
そんな状態であることを察した上で、冗談混じりで言っているのか、それ以前に理解できていないのか。そんな状態の少女に対し。
『こンな教会で真面目にやってンのはいねェだろォな。見ての通りだ。参拝客もいねェし、ガキを世話する場所もねェ。そもそもがまともな教会じゃねェンだよ』
彼は容赦なく。本当に一切合切情け容赦なく、いつもの調子で事実を告げた。それぐらいは知っておくべきだという、彼なりの優しさの一端でもあった。
『じゃ、じゃあ……』
オロオロと何もない周囲に目をやり、最終的に緑の瞳が行き着いたのは、正面に立っている一方通行の顔。
『どうしましょう?』
『サボタージュに勤しンどけばイインじゃねェの』
半ば放り出すような発言である。しかし、彼が真剣に考えたとしても、適切な回答は出てこないだろう。そもそも一方通行の本職は学生だ。ろくに通学はしていなかったし、勉学に励むようなことはしていなかったが、学籍は一応持っていた。住んでいた場所も学生寮に分類される建物の一室だ。故に本来の教会での仕事というのが何なのかは詳しく知らないが、今彼が立っているこの場所が、本来の教会の姿ではないということは知っている。
アーシア・アルジェントという騙されやすい少女は、そんな場所で一生懸命に働こうとしていたらしい。素人である一方通行でも抱く違和感を、彼女は一切感じ取っていないようである。
『どうしましょう……』
繰り返し、俯く。やらなくて良いなら、それで良いのではないか。そんな風に考えている一方通行は、決して怠け者ではない。アーシアが馬鹿がつくほど真面目かと言われれば、そうでもない。確かに真面目ではあるが、それ以前に彼女は修道女だ。それも、生まれてこの方ずっと修道女として暮らしてきたような少女だ。
誰も真面目にしていない教会というだけなら、アーシア一人が迷える子羊達を誘うということもできる。孤児院が併設されているならば、子供達に勉強を教えたり、何かしらのボランティア活動に取り組んだりもできただろう。
だが、そもそも人がいない。聖職者としての活動に従事する人間も、それらを頼る人間も、孤児達もいない。それは町の人間全てが心や懐にゆとりが存在していて、神に縋る必要がないという意味にも捉えることはできるが、それはそれこれはこれというヤツだ。毎日毎日そんな状況が続くとなるというのは、アーシアにはあまり想像ができなかった。
元々辺境の地の教会にいたならともかく、彼女は少し前まで聖女とまで言われていたシスターなのだから、そんな場所にいたはずがない。それに教会における聖女となると、悪い言い方をすれば、アイドルだとかマスコットキャラクターに分類される存在だ。その知名度に加えて、愛らしい顔立ちや姿も持っているのだから、特に用事がなくとも来る人間は多かっただろう。閑古鳥が鳴く教会とは無縁だったのかもしれない。
それと比べれば、今の状況は最悪そのもの。アーシアのネームバリューはゼロ。もしあったとしても、今となっては聖女ではなく魔女としてのそれ。これに関しては、知名度がゼロであるのは救いかもしれない。それらの要素に加えて、場所はヨーロッパの辺境などではなく、日本の町の一角だ。宗教という存在は当然知られているものの、幼少期から慣れ親しんだモノではない。属している人間が周囲にいたとしても、「へーそうなんだ」で終わってしまうことが多い。
アーシアの可愛らしさ自体は健在でも、活かせる部分は容姿のみ。いくら母国語で物腰柔らかく話せたところで、この土地にいるのは日本人ばかりだ。つまり、日本語がほぼ分かっていない状態なのも良くないということ。宣伝活動ぐらいはできるかもしれないが、彼女一人では優しそうな詐欺師に騙され、教会の土地をあれよあれよという間に奪われるのがオチだろう。
そしてトドメはグレモリーという悪魔の存在。敵対関係にある組織の発展を、悪魔がそう簡単に許すだろうか。そう考えてしまうと、宣伝活動すらもできるかは怪しくなってくる。二人が今いる廃教会が、アーシアが前までいたような教会になるには、件の悪魔が立ち去るのが前提条件になってしまう。
『……まァ何にしても、オマエはまず日本語からだろォな』
それが、教会を立て直す以前の問題である。レイナーレ達がどうにかなったとして、その後はどうなるのか。アーシアが一人で教会を切り盛りできるのか。一方通行がいつまでも面倒を見れるわけもなく、土地の管理者とはいえ、教会と敵対関係のグレモリーが助けてくれるとも限らない。十中八九、右も左も分からないアーシアでは無理である。
もし仮に教会という場所を失った時、彼女が独り立ちする為に必要な物。包み隠さずに世の中の真理を出すのなら、金という言葉に帰結するだろう。金さえあれば、衣食住はどうにでもなる。だが、その金を稼ぐには働く必要がある。
『最低限の意思疎通も取れねェなら、日常生活すら無理だ。まずはスタートラインに立て』
何をするにしても、必要なのはコミュニケーション能力だ。身振り手振りや筆談でもどうにかなるし、最近では翻訳機や翻訳用のアプリケーションなどもある。だが、やはりその土地の言語は身につけておくべきだ。ローマではローマ人のように振る舞う……のとは少し違うが、似たようなものである。
『は、はい……』
彼の相変わらず歯に衣着せぬ物言いに対し、アーシアはしょんぼりと肩を落として、少し悲しげに目を伏せていた。だが、文句があるわけはなかった。彼の言葉を否定できるなら、昨日のアーシアと一方通行は出会っていないのだから。住所のメモは持っていたが、それ以外は壊滅的な状態。挨拶と感謝の言葉ぐらいは知っていても、それで道を聞くことはできない。そのせいで、彼女は公園の付近をウロウロとした挙句、ヴェールを風に奪われて転倒する羽目になったのだ。
急な転勤だったとはいえ、準備不足だったことは否めない。昨日の自分を思い返し、少女は考える。子供達に言葉を教える時に行ったこと。新しい言葉を覚えるなら、何が必要か。心の中で自問自答を行い、その答えから次の行動を決める。
『なら、後で本屋さんに連れて行ってもらっても良いですか?』
図々しいとは分かっていたが、アーシアには頼れる人間がいない。レイナーレやミッテルトに頼むこともできたが、上司であるせいか若干接しづらい。接しやすく、心強く、ついでに優しい相手。彼女にとってお誂え向きな存在は、丁度良く目の前に立っている。
『は?』
どォして俺が。彼は言外にそう言っていた。
彼女の思考回路は当然理解している。語学の勉強なのだから、映画やドラマを見たり、実際に喋ってみたりは必要になってくるが、まずは基礎基本を座学で押さえるというのは重要である。学園都市製の学習装置がない以上、地道且つ手っ取り早い学習となると教科書を手に入れることだ。
『いえ、あの、ダメなら大丈夫です。頑張って一人で行きますから』
『昨日見つけたのは偶然だぞ』
アーシアはキョトンとして、一方通行の顔を見つめた。何を言っているのか、一瞬分からなかったから。だが、仏頂面の彼と数秒間見つめ合ったことで、すぐにそれが意味するところを理解した。そして顔の前で手をパタパタと揺らし、頬を僅かに赤くする。
『迷子にはなりません!』
『あァそォ』
頬を膨らませてムーと可愛げのある唸り声をあげるも、一方通行は若干鬱陶しそうに顔を天井に向けて逸らすだけ。
『……まァ、俺も多少仕入れたかったから、丁度イイ』
彼の視線の先にあったのは、ソファの前で散乱しそうになっている本の塔。その中身は九割型宗教関連のモノであり、残りの一割も神話やら悪魔やらの話ばかり。一方通行の求めている情報ではあったが、他にも欲しい情報は大量にある。本屋ならば、コンビニに置いている話のネタのような情報だけでなく、世界中の人間が積み重ねてきた、一方通行の持つモノとは異なる知識を仕入れられる可能性も高い。
無意識でそうだと思っているだけで、時間の流れや公転周期が異なっている可能性もあるのだ。重力加速度のような定数(多少の差異はある)が、地域によって大幅に増減する変数に変貌しているかもしれない。そういった情報を手に入れるのであれば、本屋というのは最適解の一つだろう。
『ありがとうございます!』
『俺も用事があるってだけだ』
グイッと体を寄せてきたアーシアを避けるように、少年は体を逸らしつつ、手で追い払うような仕草をしてみせる。
『なら、早く片付けてきますね!』
ただ、彼女はそんなこと気にも留めず、大急ぎで自室に戻っていった。どうやら先ほどの言葉通り、部屋の片付けを行うつもりらしい。バタバタと石床を蹴る音が響いたかと思えば、やや乱雑に扉を開閉する音が響く。そして何故かもう一度、彼の後方から似たような音が響いた。
「フリード、楽しそうだな」
アーシアに閑古鳥が鳴いていると説明した手前、子羊なら少々バツが悪かったのだが、そういう様子の人間ではない。紳士のような出立ちの、長身で怪しげな雰囲気の男。フリードという個人名を知っていたことを考えると、同僚というのが妥当な判断だろう。
「誰だオマエ」
だが、一方通行は彼のことを知らない。そもそもの話、名前を知っている存在が少ない。アーシアと女堕天使二人組。学園都市にいた頃も他者との交流は少なかったが、それでも三人以上は名前を知っていた。しかし、交流が少ない人間としては、新天地初日で三人と知り合ったのは大成果とも言えるかもしれない。
「ドーナシークだ。まさか忘れたのか?」
不機嫌そうに返され、彼も似たような声色で返した。
「……あァ、いたな」
「相変わらず妙な男だ……いや、今日は若干陰気臭いか」
男の物言いに、一方通行は僅かに顔を顰める。レイナーレの口振りから、人間という種族を見下しているのは察していた為、特に言い返すことはなかったが、目つきはあからさまに悪くなっていた。知らない人間に陰気臭いと言われれば、誰だって機嫌は悪くなる。彼も例外ではないというだけだ。
「あの娘に情が湧いたか?」
問い掛けに対し、沈黙を貫く。情報を吐かせるのであれば、指を圧し折れば済む話だ。しかし、動けば動いた分だけ警戒度は上がってしまう。アーシアという人質になる人間がいる以上、無駄に動くのは悪手である。
故に自分は口を開かず、妙にお喋りなドーナシークに好きなだけ喋らせる。彼らが墓穴を掘るのを待ち、一方通行がそれを元にして、奈落の底に突き落とす準備をするだけだ。
「まぁ、お前に限ってそんなことはないだろう。遊ぶのは良いが、くれぐれも計画の邪魔はしてくれるなよ。あの娘さえ無事なら、レイナーレの計画は完遂される。そうすればお前も好きなように殺せるし、金も手に入るんだ。邪魔をする理由はないだろう?」
低い声で高笑いをし、レイナーレ達がいると思われる場所に向かうドーナシーク。それを追うことはせず、一方通行は指先で前髪を一束掴み、誰にも聞こえないぐらいの声で呟いた。
「……確定だな」
何処かへ去っていくドーナシークの後ろ姿を横目で睨みつけ、そのまま視線をアーシアの部屋の方に流す。耳をすませば、ガタガタと何かを開いたり閉じたりする音が響いていた。自分の置かれている状況も知らず、お出掛けを楽しみにする子供のように、一つずつやるべきことに向き合っているのだ。
「オマエも、アイツらも」
ファミレスの窓から見た、日常的な風景。そこに一方通行は似合わない。暗がりからその光景を眺めているのが、今の一方通行だ。
しかし、アーシア・アルジェントは違う。一方通行のように暗がりにいるのも、堕天使達のように暗闇から手を伸ばしているのも、彼女には似合っていないだろう。彼が勝手にそう思っているだけだが、大きく間違ってはいないという確信もあった。
「運が悪りィな、ホント」
そして、一方通行は口の端を吊り上げる。凶悪極まりない形相が向けられるのは、不運な少女ではない。蓮の花のような少女を貶めんとする、まさに堕ちた天使達である。