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四人の堕天使の治療を終え、アーシアが眠りに就いたのが朝の六時過ぎ。簡易的な病室の前で門番を務めつつ、一方通行がそれを追うように眠り始めたのが七時頃。結果、二人とも起きたのは昼前だった。十分とは言い難いが、もう一度寝るかと言われたら微妙なラインである。
「フリード!フリードはいるっすか!」
ちなみに二人とも、自然に目が覚めたわけではない。起きて早々大騒ぎしたミッテルトのせいで、強引に起こされてしまったのだ。他の面々も多少なりとも困惑はしていたが、彼女以上に騒いだ者はいなかった。
その後、リーダー格であるレイナーレが遅れて現れ、一頻り騒いだミッテルトを小脇に抱えたかと思えば、今度は仮の病室を陣取った。だが、別に立て篭もり事件を引き起こそうというわけではなく、単に堕天使達で話すことがあるとのこと。そうなると、人間二人は邪魔者である。
彼らを気遣って教会を出る必要はなかったが、教会を出る理由は十分にあった。教会の修繕依頼であったり、生活用品の買い出しだったり。しかし、最優先事項はそれらではなく、遅めの朝食兼早めの昼食である。妙な時間に活動していたせいで、二人は食事もろくにしていなかった。普段からリズムが半ば崩壊している一方通行はともかく、アーシアはギュウと腹部から鳴き声を上げる始末。顔を真っ赤にした彼女の提案によって、第一の目的はいつかと同じように食事となっていた。
『ンで、何処で食うンだ』
教会を出て、駒王町を彷徨く二人。どうやら世間では休日らしく、小学生ぐらいの子供達が親らしき大人の周りで走り回っている。それをやや鬱陶しそうに見る少年と、微笑ましそうに見る少女。気が合わなそうな二人だが、歩調は不思議と合っていた。
『あそこにしませんか?』
暫く歩いた後にアーシアが指差したのは、ファストフードのチェーン店だった。デカデカと記されている名前は違うが、学園都市で一方通行が利用していた店と似たようなモノである。その為、ある程度は利用方法やら何やらを理解している。けれど、アーシアは何も知らない。ファストフード店を選んだ理由も、単純に物珍しかったから。その結果、彼女は慌ててメニューに目を通す羽目になった。
『私、日本語がまだ』
ややのんびりとしたアーシアには、ファミレスのシステムの方が性に合っている。それは一方通行も理解していたが、既に店員は目の前という状況。休日の昼間であるのに空いているのは、間違いなく幸運ではあるのだが、今この場においては不幸という他ない。
『……写真で決めろ。ンで、さっさと場所取りしとけ』
『なら、このマフィンと……ミルクにします』
言い終わると同時にアーシアは窓際の席に座り、机の上の物を興味深そうに眺め始めた。それを確認し、一方通行はいつも通りの態度で二人分の昼食を注文する。アーシアの分は言われた通りに。自分は相も変わらず赤いチキンが目立つハンバーガーとブラックコーヒー。
ファストフードの名を冠しているだけあって、代金を支払い終わってからの待ち時間はほんの数分。役者の並んだトレイを持って、一方通行はアーシアの待つ席に腰を下ろした。
『上手く食べれると思いますか?』
唐突に意味の分からない質問を投げ掛けられた一方通行は、剥いた包装を片手に何とも言えない顔をした。ハンバーガーやマフィンというのは、形状が多少違うだけでサンドイッチと大して変わらない。ナイフとフォークを使うわけでも、前菜からメインディッシュまで流れるように出てくるわけでもない。非常に庶民的且つ上手い下手のない食べ物のはずだ。
『こンな食いもン一つ食うのに、上手いも下手もねェだろ』
相手がアーシアだからマシだったが、これがミッテルトであれば、何言ってンだオマエと一蹴されていただろう。
真っ赤を通り越して赤黒いソースを怪しく光らせ、単なる衣にしては赤過ぎる外見のフライドチキン。一方通行はバンズごとそれを食い千切り、平然と咀嚼して飲み込む。世間一般の常識に疎いアーシアですら、どちらかと言えば目の前の少年がおかしいのは理解できた。
それを食べていること自体は問題ない。辛味が好き、苦味が好き。そういった嗜好は人それぞれなのだから、文句を言う人間は少ないだろう。アーシアだってそうだ。ただ、普段と大差ない仏頂面でそれを食べているというのは、好きで食べているのか何なのか。そんな疑問が一瞬だけ浮かんだものの、彼女が口に出すことはなかった。その理由は至極単純。仏頂面ではあったが、顰めっ面ではなかったからだ。
『おいひいでふ』
勝手に納得した少女は、一方通行の一挙手一投足をなるべく丁寧に改変し、マフィンに優しく齧りついた。やや厚めのベーコンと、丸く加工された目玉焼きの挟まったモノ。だが、アーシアの小さな口では上手く上下から噛み切れなかったらしい。
『いや、あったな。ついでに言うなら、オマエはド下手だ』
指の力の入れ方も問題だったのかもしれない。目玉焼きとベーコンが仲良く逆側から飛び出してしまっていた。幸いなことに落下してはいないが、もう一口進んでしまえば、具材がトレイの広告の上で散乱するのは間違いない。
『え!』
ショックを受けつつも、歯形と逆側の惨状を発見した彼女は、せっせと包み紙の上でマフィンを元の形に戻し始めた。既にパーツごとの大きさがかなりズレてしまっているが、まだ取り返しがつく範囲ではある。
刺激物と刺激物を交互に摂取しながら、一方通行は窓の外に視線を向けた。ただ、見ているものは風景ではない。ガラスに映る少女が一人。そうやってマフィンと格闘を続けるアーシアを眺めていると、突然店内が騒めいた。それは何かの事件による悲鳴ではなく、歓声に近い騒ぎ声。そしてその中心から現れたのは、赤よりも更に赤い、何処かで見たような色の髪を持つ制服姿の少女だった。
『アルジェント、口閉じとけ』
一方通行がそう言うや否や、いつかのはぐれ悪魔の時のように、空間に大量の異物が混ざり込んだ。
「やっと見つけたわ」
モデルのような美しい歩き方。その体から滲み出る高貴さ。誰かを見下したり、貶したりする類の生き物ではなかった。腐った貴族ではなく、本来あるべき貴族。施しを与える者としての振る舞い。
それを感じ取ると同時に、一方通行は近づいてきた少女の正体を何となく察した。自分に接触してくる悪魔で、そのような立ち振る舞いが身についている存在。日本語がネイティブのように流暢で、尚且つ外国の人間のような風貌。一方通行が度々目撃した、自然界にいるとは考えにくい紅色のコウモリ。そして現在、彼の目の前に立っている少女の紅髪。
「フリード・セルゼン、それとアーシア・アルジェントで合ってるかしら」
「知らねェ名前だな」
ほぼ見当はついていたが、彼が取ったのは知らぬ存ぜぬという態度だった。
「あら、自分の名前を忘れたの?」
「あァ、文字数ぐらいしか思い出せねェ」
両者睨み合い、沈黙。
一方通行としては、明らかな面倒ごとに巻き込まれたくない。アーシアを連れているという理由もあるが、昨日の今日で問題の渦中に放り込まれるのが嫌だという、非常に分かりやすい理由もあった。
これが何処かのツンツン頭ならともかく、彼はトラブルとはあまり縁がない。不良に絡まれたとしても、突っ立っていれば終わる。研究所に呼び出されても、能力の応用やら何やらをするだけで、命の危険に晒されることはなかった。
「……私はリアス・グレモリー。この町の管理人をしているわ」
だが、彼女の名乗り通り、この町は学園都市ではない。そもそも学園都市がある世界とは異なる場所だ。核も効かないという売り文句の一方通行でも、多少なりとも警戒はしてしまう。それがまだ見ぬ普通の悪魔相手となれば、尚更だ。
「ンで?管理人様が今更出てきて、何が目的だ。家賃滞納者を追い出そォってか?」
惚けても引く気配のないリアスから視線を外し、一方通行は紙コップの中のコーヒーを口に含んだ。彼の正面ではアーシアがブルブルと震えており、ライオンに睨まれたチワワのようになっている。マフィンは両手の中にあるものの、口が動いている様子はない。そもそも口を開いていない。
そんな彼女の様子を見て、一方通行は僅かに目を見開き、頭を左右に小さく振って、トドメに大きく息を吐いた。
『……アルジェント、喋ンなって意味だ』
『お話の邪魔になるかと思って』
『そンな程度で邪魔にはならねェよ』
そうだったんですか。そう言いたそうなアーシアから視線を外し、少年は改めてリアスと目を合わせる。彼女も天然少女に何か言いたいことがある様子ではあったが、既にモグモグと口を動かしていたせいで、その言葉の行き先を失ってしまっていた。
このアーシアという少女、肝が据わっているわけではない。一大事では前線を張れるかもしれないが、基本的にはビクビクとしている類の人間である。それがここまで大胆に振る舞っているのは、一方通行の存在があるからだ。話が飲み込めていない自分よりもキチンと状況を理解し、知っている中では誰よりも強い人間。彼女が安心感を得るには、それだけでも十分過ぎた。
「……違うわ。話が聞きたいだけよ」
「ほぼ把握してンじゃねェの」
僅かな沈黙を挟み、会話が再開される。一方通行は相変わらず突き放すような物言いで追い払おうとしているのだが、リアスは離れる気配を見せない。しかし、多少は響いているらしく、段々と困り顔にはなっていた。
「貴方達の諍いはね。でも、知りたいのは貴方達二人について」
「プライバシーって言葉知らねェなら、国語辞典でも読ンだらどォだ。日本語の勉強にも丁度イイと思うぜ。和製英語じゃねェから、意味の違いはほぼねェはずだけどな」
チマチマと齧っていた刺激物の最後の一片を口の中に放り込み、モゴモゴと口を動かし終えると、一方通行は頬杖をついた。興味を示していないというよりも、心底面倒臭いという顔をして。
さっさと帰れ。もはやそう言っているも同然なのだが、リアスも土地の管理人として、彼を見過ごすことはできない。突如現れた神器持ちが一人と、実力が未知数の悪魔祓いが一人。この時点で看過できる問題ではないのに、その内の一方は危険人物として多少名の知れている、はぐれ悪魔祓いのフリード・セルゼンなのだから、無視できるはずがなかった。
「生憎、日本語はほぼ完璧なの。定期試験でも上位常連よ?」
「定期試験ねェ……」
そんなリアスの思考など、一方通行はとうの昔に理解している。しかし、素直に従うというのはよろしくない。それは一方通行の面子以前の話で、対等な立場として見られなくなるからだ。一回従ったのだから、今後も従うだろう。そういう見方をされるのは問題である。
力で無理矢理上下を分からせるというのも有りではあるが、それは未知による手痛いしっぺ返しを受けるリスクも孕んでいる。その対象が一方通行だけならまだしも、アーシアも入るとなるとやはり無し。故に求める立場は対等なモノ。
けれど、それを求めるには一つの問題があった。一言で纏めてしまうと、単なる情報量の差だ。相手は自分達のことを多少なりとも把握しているのに対し、一方通行の出せる手札はあまりにも貧弱過ぎる。学園都市ではトップシークレット級の情報だったとしても、彼が今立っている世界では塵芥と変わらない可能性だって十分にあるのだから。
「日本の土地を勝手に統治した挙句、管理人に二十にもなってねェ奴据えるってのは、悪魔の中じゃ常識なのかァ?横暴にも程があンだろ」
良い案が浮かばず、粘る。一番良いのは、リアスから一方通行側にメリットのある提案をしてもらうこと。二番目はリアスが諦めて帰ること。一方通行としてはどちらでも良かったのだが、彼女の次の言葉によって、彼の仏頂面は僅かに歪んだ。
「色々と事情があるの。それに、貴方達にとって悪い話をするつもりはないわ」
悪魔の契約。そんな言葉が頭を過ぎったものの、一方通行はその甘言に乗ってみることにした。色々と解決すべき問題があるのも事実だからだ。土地の主人を名乗っているが、実際のところはその称号以上のパイプを持っていそうな悪魔が、やけに下手に出ていることに加え、悪い話ではないと言ったのだ。
まず、彼の寝床である壊れ掛けの教会の修繕。本来は廃棄された建物なのだから、管理責任は土地の持ち主にあるべきだろう。一連の騒動の背後も分かるかもしれないし、何より今後の行動も楽になる可能性が高い。
「オマエ、悪魔ってどォ書くか知ってンのか?」
「信用され難いのは理解してるわ」
しかし、まだ足りない。まだ単なる誘い文句しか吐き出されていないのだ。何かしらの約束を取り付けるか、弱みを絞り出すか。もしくはその両方を手中に収めるか。それらの条件が整って、悪くない話から良い話になるのだから。
「これでどうかしら」
そう言ってリアスが何処からともなく取り出したのは、一枚の紙だった。上部には大きめの字で契約書と書かれているが、所詮は紙一枚。破り捨てて知らない振りをされてしまえば、そこでゲームセットだ。そもそも契約書の内容も、両者にとって公平なものかは分からない。少なくとも、足元を見ている可能性がある。
「紙一枚で信用しろってか」
一方通行が不機嫌を露わにした声色で問い掛けても、リアスの表情は変わらない。瞳を閉じて、大きく息を吐く。そして自分の胸元に手を当て、頬杖をついたままの少年を見据えた。
「私はグレモリー家の次期当主。その名に恥じない行いをするつもりよ」
サラサラと書かれたサインは、確かに筆記体でリアス・グレモリーと書かれていた。拇印を押せと言えば、今すぐにでも押しそうな勢いである。
交渉成立とは口に出さない。だが、良家の令嬢らしき悪魔がそこまで言ったのだから、信頼度がそれなりに上がったのは間違いない。少なくとも、学園都市の胡散臭い研究員達よりは上だ。
「場所は」
「駒王学園の旧校舎……って言っても分からないわよね」
一方通行がアーシアと出会った日、高台から見下ろしたり、駒王町を散策したりした結果、駒王学園らしい場所は見ている。しかし、旧校舎というのは分からない。見た目で新旧の判別がつく可能性はあるものの、目の前により確実な判別装置が立っているのだから、それを利用しない手はない。そもそも彼らは客人なのだ。まずはエスコートをしてもらうべきである。
「あァ、案内ヨロシク」
ニヤと笑う一方通行の正面で、アーシアはキョトンと首を傾げたまま、呑気にストローを咥えていた。
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一方通行は学校に通った経験が少ない。幼少期は研究所で生活することを余儀なくされ、その段階で既に学園都市の叡智の結晶とでも呼ぶべき存在になってしまっていた為、学ぶことなど皆無だった。
学籍自体は存在していたが、友人と学舎で勉学に励んだことはない。偶に登校したとしても、彼だけの為に用意されたクラスで一人座るだけ。教師から教わることなどないのだから、当然といえば当然の話だ。つまるところ、ほぼ名義を貸しているだけだった。超能力者の第一位が在籍している学校。そんな称号の為に在籍させられていただけで、一方通行にはメリットが大してなかった。
「すご、真っ白じゃん」
「ホントだ。隣の子も可愛い」
「留学生かな、グレモリー先輩もいるし」
部活帰りなのか、ジャージ姿の少女達が玄関付近で姦しくしていた。学園都市でも度々目にしていた光景で、一方通行には縁のなかった光景でもある。羨ましくはなかった。ただ、彼の隣を歩く少女は違ったらしい。
『初めて見ました』
質問はしなかった。学校指定のジャージ、真新しい校舎、学校に通っている同年代の少女達。そのどれか、或いはどれも。世間知らずの少女にとっては、全てが珍しいのだろう。学園都市という箱庭と、教会という箱庭。世間知らずという括りで纏められてしまう二人の間にも、明確な差が存在していた。彼女の緑色の瞳の中には、一方通行が抱かなかった憧憬があった。
「試験さえ合格すれば、貴女も通えるわよ?」
『本当ですか?』
アーシアの話すイタリア語と、リアスの発する日本語。多少は日本語を勉強しているアーシアでも、流石にリスニングと共に翻訳してイタリア語で解答を口に出すことはできない。当然、一方通行の脳があまりにも高性能だから、勝手に翻訳機能が働いているなどということもない。人外特有の奇妙極まりない性質だ。堕天使や悪魔には標準的に備わっている機能なのだと、一方通行も理解はしている。理解はしているのだが、未だに飲み込めていなかった。
「便利だな」
「でしょ?なってみる?」
「ンな簡単になれンのか」
彼が口に出したのは、単純な疑問。当たり前ではある。悪魔になれば、先程の言語における特殊な技能や、堕天使とも異なる翼、人間には扱えない魔力、その他にも様々な能力が付与されることになる。
それを行う際に何が必要かと問われたら、マッドサイエンティストに囲まれて育った一方通行は、迷わずに人体改造と言うだろう。彼でなくとも、そこらのサラリーマンが似たような問いをされたとしても、改造人間と類似した言葉が吐き出されていたはずだ。
「ええ、貴方も」
リアスが何処からともなくチェスの駒を取り出した瞬間、一方通行は顰めるという言葉が可愛く思えるほど、心底嫌そうな顔をした。
「なるわけねェだろ」
「話ぐらい聞いてくれてもいいじゃない」
今までの美しい所作から一転して、年相応の若干拗ねた表情を作り、リアスは駒をポケットに戻す。そしてそのまま一方通行から顔を背けるかと思えば、今度は色々と質問責めが始まった。
出身地、年齢、身長体重。英会話の初歩でありそうな簡単な質問だらけだったが、その全てを曖昧な言葉で返答していく一方通行。それを信じているのかいないのか、リアスは適当に相槌を打つ。二人でのラリーに時々アーシアも混ざりつつ、一行はボロボロの校舎に辿り着いた。とは言っても、アーシア達が仮住居にしている教会よりは相当マシだ。校舎と呼ばれるだけあって、窓も壁も穴はない。
「ようこそ、オカルト研究部へ」
「……ちんけな隠れ蓑だな」
酷い物言いだが、リアスは否定しなかった。身を隠すにしては雑であるし、堂々としているにしては若干日陰である。しかも、グレモリーという家名は隠していない。その道の人間でなくとも、そういう話を多少齧っている人間ならば、普通に透けるレベルの隠蔽だ。
ガタが来ていそうな扉を通り抜けると、そこでは既に四人の人型が壁際に並んでいた。黒髪をポニーテールにした、大和撫子という言葉の似合う少女。猫っぽい雰囲気のある、小柄で全体的に白い少女。金髪で優しげな風貌だが、一方通行に対して明確な敵意を見せている少年。そして、アーシアに対して気味の悪い視線を向ける少年。
「紅茶?それともコーヒー?」
「いらねェ」
「こういうのって、貰った方が良いんでしょうか」
「ヒ素、ソラニン、チャコニン、テトロドトキシン、多量のカリウム」
「毒類の名前を列挙しないでくれるかしら。そんなわけないでしょう」
本来なら彼女の仕事ではないのだろう。やや危なっかしい手つきでカップを三つ用意したリアスは、一つにはコーヒー、残り二つには紅茶を注いだ。
「説明はもう良いかしら」
「あァ」
「まず一つ目、悪魔になれるとした」
「ならねェ、二度も言わせンな」
食い気味に拒否されてしまい、リアスは一応アーシアの方にも視線を向けた。一方通行が声に出していたのは日本語だったが、リアスと彼の反応から、状況は何となく察したらしい。
『私も、このままが良いです』
一方通行の方をチラチラと見つつ、少女は言った。完全に追放された(という体の)少年とは異なり、アーシアはまだギリギリ左遷ぐらい。まだ戻れるチャンスはあるかもしれないが、今の彼女にはそれより少しだけ、ほんの少しだけ優先したい存在があった。
「そうね。きっとその方が良いわ」
その視線を見て、リアスは羨ましそうな顔を僅かに覗かせた後、すぐに小さく首を振る。健気な少女の振る舞いを見て、無理強いしようとは思えなかったからだ。
「二つ目、貴方の目的は何なのかしら」
「さァな」
「友好関係を結べるとは思ってないわ。その子とは立場が真逆だし、貴方も面倒な身分でしょう?」
「それは否定しねェが、目的っつー目的は……多分ねェな。アレだ。聖剣の回収とかじゃねェの?多分な」
「多分って」
呆れたような、諦めたような。何とも言えないため息を漏らすリアス。もし仮に目的がなかったとしても、それはそれで扱いに困るのだ。一応は悪魔の領地。そこに住むはぐれの悪魔祓いと、追い出された修道女。三大陣営のごった煮になってしまう。
リアスが黙り込んだのは、ほんの僅かな時間だった。数秒か、長くとも十秒そこら。だが、その隙に動いた少年がいた。彼の名前は木場祐斗。神父や教会、そして聖剣という存在に対し、悪感情ばかりを持っている少年である。
「のらりくらりとするのが得意なのは分かったけど、そろそろハッキリとしてくれないかな」
「客人に対する態度がソレか?」
「君みたいな神父を客人と思うのは、少しだけ難しいんだよ」
一方通行の喉元に、一振りの剣が突き出された。殺意も敵意も隠すことなく晒されたソレは、そこらにある普通の剣ではない。彼の神器を用いて作り出された、普通の人間からしてみれば、尋常ではない力を持つ魔剣である。
「おい木場、どうしたんだよ!お前らしくないって!」
「祐斗、やめなさい!」
ややツンツンした頭の少年と、彼らの主が静止の声を上げるものの、それを叫ぶには少しばかり遅かった。既に一方通行の手は首元の剣に向けて伸ばされ、彼の周囲の力の向きは、完全にその手の中に収まっている。
「そンな鈍一つでどォしよォってンだ」
真っ白な手がその剣に触れた瞬間、まるでガラス板のように罅が走った。単純な握力だけでは、絶対に起こらない異常な現象。祐斗はその現象に顔を引き攣らせ、自身の持つ駒の特性を全力で引き出そうとし、無駄に終わった。
「オイ、喧嘩売ったンだから、ブルってンじゃねェよ。ほら、次はどォすンだ?」
リアス以外の悪魔が、壁に叩きつけられていたのだ。部屋の中では起こり得ない暴風によって、情け容赦なく。当然、アーシアと一方通行には何の被害もない。彼らを中心にして発生した、小型の台風のようだった。
何が起こったのか。引き起こした張本人、そして完全に怯えてしまっているアーシアを除いた五人の脳内は、その疑問で埋め尽くされていた。神器を使われたのか。それとも何らかの魔法か。少なくとも、体術ではない。
「なァ、グレモリー。コイツらはどォやって処理すればイインだ?臓物全部引き摺り出して、聖水漬けにでもしてやンのが正解か?」
面白おかしく語り掛けていたが、その顔は笑っていなかった。ファストフード店で見せた、面倒臭そうな顔でもない。脈絡のないギャグを見せられたような、心底つまらなさそうな顔。悪魔の命を何とも思っていなさそうな、それこそ、そこらの羽虫と同じようにしか見ていない目。
「非礼を詫びるわ、フリード・セルゼン」
恐怖を覚えた。頭一つ抜けた魔王である兄より、最強の女性悪魔の名を争う二人より。冷たい目で圧倒的な力を振るう少年の姿を見て、リアスは眷属を守る為に頭を下げた。本来なら、はぐれ悪魔祓いなどに下げる頭ではない。しかし、家族同然の存在の為なら、多少の誇りなど惜しくはなかった。
「貴方が望むなら、ある程度のことはするわ。非常時以外の干渉はしない。相互不干渉の方向でも」
相手の顔色を伺う為、リアスはほんの少しだけ視線を上げた。未だに指一本で場を支配する怪物に対し、懇願する為に。
が、そこにはリアスの方をジッと見つめる少年の姿があった。視線が交錯し、少年の赤い瞳がスッと細められる。それと同時に、暴風の中で短い笑い声が響いた。
「……いや、それはイイ。聞きてェことがある」
やられた。リアスがそう思ったのも束の間、部屋の中の暴風はピタリと収まり、悪魔より悪魔のような少年の口元が、意地悪そうに歪んだ。