青春記録のキヴォトス 作:ねらー
「──せい、先生。起きてください、先生」
「ん、むぅ……」
闇の底から引っ張り出されるように俺の眠りは寸断された。
随分と長い夢を見ていた気がするが、もう内容は思い出せそうにない。
寝惚けていたせいか定まらなかった視界は徐々に落ち着きを取り戻し、俺を小さく揺すっていた女性にピントが合う。
彼女は黒髪で、険しい目元をしていた。
「……誰だ?」
「連邦生徒会所属、七神リンです。ようこそ先生、学園都市キヴォトスへ。と言っても、我々はあなたがこちらに来た経緯を詳しくは存じ上げませんが」
「先生?俺が?」
──HAHAHA、リンターロには案外似合っているかもしれないね!ラボで着ていた白衣も、随分様になっていたじゃないか。
冗談じゃない。
俺は先生じゃなく狂気のマッドサイエンティストだ。世界の支配構造を覆す──
そこまで考えて、俺の思考は淵に立たされた。
何も思い出せない。自分がここに来た経緯も、ソファに寝こける前にしていたことも、そして自分の名前さえ。
断片的な記憶はあるが、全てが水と油のように混じり合わず、結んで像を成すことはできそうもなかった。
更に眉をひそめて怪訝な顔をする彼女を直視できず、視線を逸らして身を起こす。
その時自分の首にかけられていたネームタグが目に入った。
すがるようにそれを手に取り、記載された名前を読み上げる。
“岡部 倫太郎”
しっくりはくる。
もっと仰々しい名前だったような気もするが……。
「混乱しているようですが、悠長にしている時間はありません。ですので、道すがらお話します」
立てますか?と差し伸べられた手を取った時、着ていた白衣のポケットが着信と共に震える。
断りを入れて携帯電話を開う。届いていたのはメールが一件だけ。
数行しかない内容に目を通してからそれを定位置にしまった。
「随分と古めかしいものを使っているんですね」
「え?あ、あぁ」
確かに。
窓の外に映る景色は俺の主観からすると随分未来を走っていた。
そんな都市に住む彼女たちからすればこの携帯電話はとっくに行き遅れた時代の遺物に見えるかもしれない。
だけど、多分これは大切なものだ。
手元にこれがあった時、俺は心の底から安心することができたんだから。
そうして俺はリンから説明を受けた。
岡部倫太郎は数千の学園が集まってできた学園都市キヴォトスに“先生”として外部からここへ赴任してきた。
指名したのはキヴォトスを統率する連邦生徒会の会長。しかし当の彼女は数週間前に失踪している。安否、原因は不明。
最終管理者たる生徒会長の失踪によってシステムダウンした学園都市の中枢──サンクトゥムタワーの制御権を取り戻すことが、俺が先生として行う初のお仕事である。
「元々、先生はある部活の顧問として生徒会長が指名していたはずだったんですが……」
連邦捜査部『シャーレ』
各学園から制限なしに生徒を加入させ、自治区において制約なしに戦闘活動を行うことが可能な超法規的機関。
「戦闘……戦闘!?」
「何か?」
よく見なくてもリンのベルトに装着されていたのは紛れもなく銃だった。
途中ですれ違う人は各々形は異なるが、一目で銃と分かるものをぶら下げている。
「ああいや、前に俺がいたところは……」
戦闘なんてほとんどなかった。
そう言おうとしたのに、声が出なかった。
それどころか少女が銃を携行している事実に手が震え、冷や汗が浮かぶ始末だ。
先ほどリンが説明してくれた中で“岡部倫太郎”が身を置いていた場所とは色々な事が違うと言われたばかりだった。
静かに唾を飲み込み、「いや、何でもない」と声を絞り出す。余計な顰蹙を買うものではない。
チン、と到着を鳴らす合図に思考が脳内から現実へと引き戻され、自然と背筋を伸ばした。
促されるままエレベーターを降りると、そこには多数の生徒が出口を囲っていた。
絶対に逃さんとばかりに通せんぼする彼女たちは、連邦生徒会長に各地で起こっている混乱のツケを取らせるために来ているようだった。
「あぁ……面倒な人たちに捕まってしまいましたね」
生徒たちの中でも発言権のある生徒会や風紀委員の訴えを一身に受け、リンは一層穏やかでない雰囲気を醸し出している。
「うん?そういえば、隣の大人の方は?」
ひとしきり吐き出したところで彼女以外を見る余裕ができたのだろう。
ツーサイドアップの少女が気がつくと同時にほとんどの生徒の視線が俺へと注がれた。
どうやら、視線に晒されることは慣れたものだったらしい。
それほどの緊張もなく、朗々と俺から口上が流れ出る。
「俺は、連邦捜査部『シャーレ』の顧問、岡部倫太郎だ。
以前にもこんなことをやった気がしていた。
わざとらしい態度で大きく自分を見せ、生徒たちの興味を引いていく。
「集まってもらった諸君には残念な知らせになるが、聞いて欲しい。現在連邦生徒会長は失踪中だ。安否も行方もまるで分からん。故に、彼女に頼ることはできん」
「だが安心するといい。この岡部倫太郎には
話を振られるとは思わなかったのだろう──正直その場のノリでしかなかったが──リンは少々の時間を要したものの期待通りのパスを寄越してくれた。
「………………はい、先生の推察通りです。現在サンクトゥムタワーは最終管理者である生徒会長が不在のため、その制御を連邦生徒会が担うことができません。しかし先生にはそこへアクセスできる方法があります」
「心配は無用だ!初仕事で失敗など、俺の矜恃が許さないのだからな!フゥーハハハ!!」
高笑いを終えたところで俺にも周りを見る余裕ができた。
……いや、ない方が良かったかもしれない。
“岡部倫太郎”の教師生活、そのスタートは余りに痛々しい第一印象から始まってしまったのだった。
Vol.1 砂神降臨のアビュドス
Vol.2 無銘王女のパヴァーヌ
Vol.3 楽園失墜のエデン
Vol.4 正義交錯のヴォーパルバニー