ハッピーな話ではないので苦手な方は注意してください。
――どうしてこうなってしまったのだろう。
いずこかの倉庫の中だろうか。石造りの一室にエリスは捕らえられていた。
ルーデウスが怖い顔をして、また誰かを傷つけようとしている、それを止めたくて挑み、そして負けた。
気が付くとこの場所に居た。椅子に縄できつく縛られ、動くことができない。椅子も土魔術を使って固定されている様子だった。
部屋の中を見回すと、隅に自分の荷物と剣が置いてあるのが見える。
もはや逃げられまいと油断しているのだろうか。ルーデウスらしいわねと、エリスは思った。
どのくらい時間が経っただろうか。部屋の扉のかんぬきを外す音がした。
扉が開き、ローブ姿の男が入ってくる。ルーデウスだ。
ルーデウスは土魔術で簡素な椅子を作ると腰掛けて、エリスに問いかけた。
「ヒトガミという言葉に聞き覚えはあるか?」
「そんなの、知らないわ」
ルーデウスは憎しみに満ちた瞳でエリスを見ている。ルーデウスを守り、誤った道に進んでいるなら正したかった。ただ、それだけなのに。エリスは胸が痛くなった。
「なら、なぜ俺の邪魔をする。ずっとつきまとってくるのはどうしてだ? お前があの時、邪魔をするからシルフィを助けられなかったんだぞ! 今度こそ、本当のことを吐いてもらう」
部屋の中に何かを叩いた音が響き渡る。ルーデウスがエリスの頬を打ったのだ。ルーデウスはエリスの髪を掴み、引っ張り上げて、言った。
「さあ、言えよ。捨てた俺になぜ執着するのかを」
「捨ててないわ。だって、私はただ、ルーデウスの……」
言い返そうとしたエリスの顔に水魔術がばしゃりと浴びせられた。
「ヒトガミからの指示で俺に近づくように言われたんだろ? 言い逃れをしようとしても無駄だ。奴から聞いたことを話せ」
「だから、ヒトガミなんて知らないって……ぐっ、あぁぁぁぁああ!!!」
バチンと、強烈な衝撃がエリスを襲った。雷魔術がエリスに放たれたのだ。
ヒトガミなど、聞いたことが無いエリスには答えようがなかった。知らないと言う度に、ルーデウスは電撃を浴びせた。
――尋問の最中、エリスはそれまでのことを思い出していた。
街の入り口で再会した時、ルーデウスは何か焦っている様子でお前の相手はできないと、冷たく拒絶した。
その後、ルーデウスの後を尾けるとアスラ王国に向かっていることがわかった。
アスラ王国にはレイダとイゾルテ、オーベールが向かったのを知っている。例えルーデウスでも彼らと戦えば、死ぬだろう。それだけは避けなければ。
ルーデウスの行先がピレモン邸であると突き止め、一度は捨てたボレアスの名を使って上がり込み、先回りした。そして、ルーデウスを叩きのめし、拘束した。ルーデウスならば自力で抜け出せるし、駄目なら助ければいい、そう思った。とにかく、今王宮に行かせてはならない。レイダとオーベールの二人を相手にして、魔術師が勝つのは無理なのだ。
その後、ルーデウスは処刑される前に自力で逃げ出したそうだ。助けられたことにほっとした。
ルーデウスは妻の一人を助けようとして向かっていたと、後で知って心が痛んだ。
自分のことを忘れ、浮気をしたことには腹が立ったが、その妻を二人とも亡くしてしまったと噂で聞いた。
ルーデウスと話をしようと思った。浮気くらい、許してあげようと思った。支えになりたいと思った。
――だが、うまくいかなかった。
酒場で飲んだくれているルーデウスを見つけ、話をしたが噛み合わなかった。
「今なら許してあげる! 」とも言ったが、ルーデウスは恨みがましい目で見てきた。その時、腹が立って、ルーデウスを殴ってしまった。
それからだ、本格的にこじれ出したのは。
それから、何度もルーデウスと話をしようとした。だけど、ルーデウスは姿を見るなり逃げた。
遭う度、ルーデウスが荒んでいっているのがわかった。自分に逆らう者を殺し、いつも違う女の人や娼婦と一緒に歩いていた。そんなルーデウスを叩き直せるのは、家族である自分だけだと思った。
ルーデウスが誰かを殺そうとしたり、女の人に乱暴しようとする度、それを止めようと戦いを挑んだ。
何年か前までは、勝つことができた。だけど、体力が衰えてきたのか、最近は勝てなくて逃げるのが精いっぱいになってきていた。
ルーデウスが自分を見る目が、憎しみの籠ったものになっていくのがつらかった。
ギレーヌは何度もルーデウスのことは諦めろと言ってきた。
でも、ルーデウスを見捨てたくなかった。未だ愛しているし、人生を懸けて守り抜こうと誓っていた。そのために、あの日ルーデウスの元を離れ、力を得たのだから。
その結果が今のこの状況だ。ルーデウスに話を聞いてもらえず、痛めつけられている。
ヒトガミとかいうルーデウスの敵の手下と間違えられて、憎まれている。
ただ、ルーデウスが間違った道を歩んでいるように見えるから止めたい。
ただ、ルーデウスのそばに居たい。
それだけなのに、ルーデウスはわかってくれないのだ。
エリスの目からは自然と涙が溢れていた。
「ぐすっ、ぐすっ……」
すすり泣く声が部屋に響いた。ルーデウスは狼狽した様子を見せ、尋問を一時打ち切った。
「逃げるなよ。また後で来るからな」と言い残し、ルーデウスは部屋から出て行った。
扉の向こうの足音が聞こえなくなった後、エリスは脱出に向けて動き始めた。
このままだと、ルーデウスは自分を殺すかもしれない。
勘違いされたままで死にたくないとエリスは思った。
身体に巻かれた縄を見やる。
鎖ではない、普通の縄だ。
歯を闘気で強化すれば嚙み切れるかもしれない。
幸いなことに、猿轡はされていなかった。
ルーデウスは立ち去る時に動揺した様子だったので、し忘れたのだろう。
エリスは上体を曲げる。剣術の修行で身体を柔らかくしていたため、何とか届いた。
縄を噛み始めると少しずつ千切れていく。
しばらく噛み続けていると縄が遂に千切れ、拘束を解くことに成功した。
部屋の隅にある己の愛剣を取り戻すと、部屋の扉を壊し脱出するのだった。
◆ ◆ ◆
宿まで戻ったエリスの襤褸雑巾の如き姿を見て、ギレーヌは憤慨した。ルーデウスを斬るとまで言ったがエリスは止めた。
「いいのよ。私が好きでやってるんだから、何があってもルーデウスを手を出さないでよ!」
「お嬢様がどんな想いかも知らないで、拷問までした。あんな男、もう見捨てるべきです。サウロス様にこのままでは顔向けできん」
「嫌よ! 私はルーデウスを見捨てないわ。……決して」
エリスは笑みを浮かべていた。ルーデウスの為ならば燃え尽きても構わないという、凄絶な決意の笑みだった。
――ギレーヌはもうそれ以上の追及はしなかった。
◆ ◆ ◆
後日、ルーデウスが魔王アトーフェラトーフェに挑みに行くと聞いたエリスは、こっそり後を尾けていた。
魔王と付く者が相手では、ルーデウスにもしものことがあるかもしれなかった。
先日ルーデウスに捕らえられた件があった為、ギレーヌも一緒だ。
物陰に隠れて、エリスとギレーヌは様子を見る。
ルーデウスはしばらく会話した後、魔王アトーフェと親衛隊を相手に戦いを始めた。
魔導鎧の圧倒的な力で優勢に戦いを進めていたが、ムーアに魔術をレジストされ、アトーフェに鎧を破壊される。追撃の刃が振り下ろされんとした、その時――。
ギレーヌが危ないと思った時、エリスは既に駆け出していた。
ルーデウスが突き飛ばされて、地面に転がる。エリスを守るものは、何も無かった。
鮮血が飛び散った。
アトーフェは突然の闖入者に驚いている。ルーデウスは信じられないという表情を一瞬浮かべたが、隙を逃さず岩砲弾を放つ。
岩砲弾はアトーフェを粉々に吹き飛ばした。
ギレーヌも駆け付けたことで、親衛隊もアトーフェの破片を集め、退散した。
ルーデウスはすぐさまエリスに駆け寄った。治癒魔術をかけようとして彼女を見ると、愕然と肩を落とした。
エリスは事切れていた。
その顔は安らかだった。溢れんばかりの愛に身を焦がし、燃え尽きた。その生き様が表れていた。
全てを悟った男の慟哭が、その場に響き渡るのであった――