ピアノが弾けない少女たち   作:エビフライ定食980円

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第26話 善良な大人

 ひなのさんの気持ちと私の気持ち。

 その双方に自覚したのは、あの日――日帰りで水着の温泉に行ったときのこと。

 

 けれども、自分が好かれているな、ということを全く感じたことが無かったと言えばそういうわけじゃない。そこに恋愛感情が含有されているかどうかの判断が、ずっと付かなかっただけ。

 

 ――そして、これからは。そこの部分は私の中ではほぼ『確定情報』となった。

 

 

 だからこそ、大事となるのはこれからの振る舞い方だ。

 それを考える上で、私がまず最初にすべきだと考えたことは――職員室の半個室スペースを借りることであった。

 

 

 

 *

 

「――というわけで、飾城先生? 私はひなのさんにどういったアプローチを取るべきでしょうかね?」

 

「……これまで教師生活をしてきて、ここまでストレートに恋愛相談をぶつけてきた生徒は、澄浦さんが初めてですよ」

 

 話が長くなりそうな部分はカットしたが、それでも学校生活の相談からは逸脱した設問を投げかけている自覚は私にもある。

 私たちの音楽教師であるとともに、ひなのさんに第3音楽室の鍵を貸しているのがこの飾城先生。私はこの先生のサポートを借りることが最も適切だと判断していた。

 

「それでも。全くの相談未経験……というわけでもないでしょう?」

 

「……そうですね。外部の生徒との交際について意見を聞かれることもありますし、澄浦さんのように『学内での恋愛』について相談を受けることはありましたが……。

 それでも、相手をぼかさずにそこまで堂々としている生徒は中々居ませんよ」

 

「ああ、そういうことでしたか。

 私とひなのさんの『ピアノ』部分の関係を知るのは飾城先生だけですので。そこをぼかすと、ほかの先生よりも先に飾城先生に相談をした意図がぼやけるかと思いまして」

 

 正直なところ、先生方の間では共有されているとは思うが、でもそれをこちらからつつく必要もない。

 しかし、飾城先生は驚いた素振りを見せた。

 

「……『第3音楽室』の件。誰も知らないのですね?」

 

「はい、そうです。

 加えて言えば、ひなのさんの『天才性』。これについても1組の彼女の友人がどこまで掴み切っているかすら割と未知数です。

 ……前に先生も言っていた通り、ひなのさんの才能は『音楽』のみに留まらないので」

 

 ここまで好意を持たれている私相手にすら、明確に自分がやりたいことを話してくれたのはあのプールで泳ぎたいと言っていたときが初なのだから。

 人付き合いを卒なくこなすひなのさんだから、他者との決定的な対立――それどころか些細な対立すらをも避けるために、彼女は徹底的に身を引き、自身を隠蔽する。適度な距離感を演出するための努力を怠らない。だから、ひなのさんの周囲に友人が集まるのは自然と言えよう。だって、彼女の周囲は……快適なのだから。

 

 ひなのさんはお互いに傷つかない位置で、人の感情に土足で踏み込まないことは――七夕のときの一件から知っている。

 しかしその『踏み込まず、踏み込ませず』の関係は、時として相手を深く知ることができないというデメリットがある。

 

 だからこそ、ひなのさんという人物を誰しもが掴み切れていないのだ……それは恐らく、私も含めて。

 

「……それで、澄浦さんの懸念点を整理させてください。

 その様子ですと……。東園さんが貴方のことをどう思っているかに、思い悩んでいるのでは無さそうですが――」

 

「はい。ひなのさんが私のことを好ましく思っているだろうというのは確信があります」

 

「す、凄い自信ね」

 

 私の勢いに飾城先生は少し気圧された様子で、先生の素のリアクションが出る。

 

 だから、ここで畳み掛ける。

 

「……ですが、好意を持っていることと告白などのアプローチを受け入れることは別の話です。

 そして、ひなのさんは……相思相愛だと分かってもなお。恋人関係になることを躊躇する可能性がそれなりに高い、と私は考えています。

 ……まあ女性同士ですしね。一番あり得そうなのは私の世間体のことを考えて拒絶するってパターンでしょうか」

 

「――っ!」

 

 飾城先生は感服と驚嘆が織り交ざった表情をしていたが、私としては一番怖いのはそこである。

 そして……これを解決するにあたって一番適任そうな相手はこの先生だった。

 

 

「だからこそ、飾城先生にお伺いしたわけです」

 

「……どういうことですか?」

 

「先生。

 『天才』との恋愛で……失敗経験、ありますね?」

 

「ど、どうしてそれを――」

 

「……確信したのは今ですけどね」

 

「――ブ、ブラフだったってこと……」

 

 私は無言で飾城先生に頭を下げる。

 傍証はいくつかあったが、それでも半信半疑だったので誘導尋問的に引っ掛けてみたが、上手く釣り上げることができたようだ。

 

 この飾城先生がひなのさんを通して『別の天才』のことを見ているのは前回の相談で発覚済である。

 そしてそもそも飾城先生自体が音大時代にはコンクールで入賞するくらいのクラリネット奏者。ともなれば、そんな先生が『天才』と称する人物が一切の情報が存在しないとは思えず、その音大の近い世代の生徒の情報を調べていたら、どうもそれらしい人物は数名ヒット。

 

 前に天才への対処法として『放置が正解』と言っていたことも鑑みて、更に絞り込みをすれば……。音大時代には『これからの音楽界を担う者』くらいの主語の大きさで称賛されていたある1人の女性クラリネット奏者が、卒業以降はパタッとその活躍の声が途絶えているのを発見してしまった。

 同じ楽器で、ほぼ同世代。それが恋愛感情に起因する問題かどうかまでは判別できなかったが。

 とはいえ飾城先生に関係自体はしてそうな雰囲気は感じたので、聞いてみたらどうやら本当に恋愛的な話も踏まえてのものだったようである。

 

 

 しかし、踏み込むためにはやはり『教師と生徒』という私たちの関係が邪魔をする。恋愛に繋がったことで想像以上の回答が期待できる状況となった一方で、そもそも回答を引き出す難易度は上昇したと言えよう。

 一般論として、滅多なことでは学校の先生が自分の恋愛経験を一介の生徒に話すことはない。私はそれを突き崩さねばならなかった。

 

「ただ誤解して欲しくないのは、先生の恋愛遍歴について野次馬根性だとか興味本位で知りたいというわけではないということです。

 私と飾城先生は全く違いますし、同様にひなのさんと先生の『天才』さんも違うということも理解しています。

 

 ただ……飾城先生がした『失敗』が、私にも起こり得ることなのかが知りたいだけなのです」

 

 

 先生は目に見えて分かるくらいには悩んだ。そして長考した。

 

 

「澄浦さんの質問に答えることはできないように思えます。

 ……先生は、東園さんのことを深く知りませんし、そして今しがた聞いたことしかあなた方の関係を知りません。

 ですので、澄浦さんが今考えていることは全て杞憂になるかもしれません。逆に東園さんには、予想だにしない重大な問題が存在する可能性もあります――」

 

 

 何というか、真摯であるとともに自己の裁量権を越えてまでの発言をしない……無茶をしない先生だ。感情的な面に流されない一方で、安請け合いはしないという安心感はある。

 だからこそ、飾城先生は安易に自身の『失敗』を答えない。

 

 であれば、方向性を変えてみよう。

 

「……では、私がすべきことは?」

 

「知るべきでしょう。東園さんが今、何を考え――そして、これからどうしたいのか。

 あるいは、貴方がどうしたいのかも含めて」

 

「どうしたいか……ですか」

 

「ええ。……あるいは、こう言い換えましょうか。

 澄浦さん、あなたの将来の夢はなんですか?

 そして、東園さんの夢を貴方は知っていますか?」

 

 

 ……どちらも、分からなかった。

 だから答えに窮してしまった私をみかねてか、飾城先生からフォローが入る。

 

「もちろん、そんな深いことを考えずともアプローチをかければ成功するかもしれません。……というか、話を聞いている限りではそちらの可能性の方が高いでしょう。

 大多数の人はそこまで頭を使って恋人を決めていません。『なんか知らないけど告白された』とか、『最近ヒマだし』くらいの勢いで恋仲に発展することだって幾らでもあります。

 ええ、そういう意味では澄浦さん。貴方は現時点でも充分に既に真剣に向き合っている――」

 

 誰も彼もが劇的な恋愛をしているわけではない。

 いつでも最愛の人と確信できる人物と出会えるとは限らない。

 

 

「それでも飾城先生は、もっと知るべきだと言うのですね」

 

「……これでも、高校教師という職業に就くことを選択したのは自分自身ですからね。

 一応、『善良な大人』としての意見も言っておきましょうか。

 高校生のときの恋愛なんて所詮お遊びです……それが同性相手ともなれば尚更。

 長続きなんてどうせしない。まあ、ほどほどに付き合って、ほどほどに遊んで……そしてなんて事の無いことで飽きが来て、終わり。

 

 でも『大人』たちは、そんな恋愛をこぞって『良い思い出』として語り、ただのお酒の席の肴として消費するだけになる。

 

 ……澄浦さんもそういう『善良』なだけが取り柄な『大人』になりたいですか?」

 

 

 この質問に対しては私は即答できた。

 

 

「それは私の口から『いいえ』という言葉を引き出したいがための、誘導的な問いかけですね」

 

「結構。

 ――同時に、澄浦さん……貴方は最早そのような『善良な大人』にはなることができませんね。この質問に感情的に反発した元学生の多くは、きっと素晴らしい大人になっていることでしょうから。

 

 だからこそ。先生は『教師』として、貴方は本気で向き合うべきだと思っています。自分のこと、相手のこと、更には周囲のことを全てひっくるめて、もっと知り。そして考えるべきだと――」

 

 

 私はもう善良な――善良なだけの大人になることはできない。

 その飾城先生の言葉は、どこかストンと胸の中に落ちた。

 

 私――澄浦明菜には、幸いなことに知識や教養はあった。

 だが学力は並で、才能は……無い。

 

 何にもなれない自分は、大人になったとき一体何をしているのか見当がつかなかった。

 これまで音楽を続けてきたけれども、それを仕事にしている姿は全く描けなかった。

 あるいは美術とか建築なども。

 

 

 これまでの私の将来像――そこには大人になっている自分だけがあった。

 何の仕事をしているか分からない……そう。『善良な大人』な私の姿。

 

 

 ――しかし、今現在。

 そんな幸せ(空虚)な未来には、僅かに。しかし確実にヒビが入っていた。

 

 

 ……もしかすると、ひなのさんという女性は。

 大人になった私の未来すらも……変えてくれるのかもしれない。

 

 

 飾城先生は、今と過去しか見えていなかった私に未来を提示してくれた。

 

「……ありがとうございます。ここまで親身になってくれるとは――」

 

「感謝は不要です。むしろ1つ忠告をしておきます。

 澄浦さんと東園さんの選択こそが最大限に尊重されるべきです。

 だからこそ今、先生がしたアドバイスは全て無視するくらいの気概でいて下さいね?」

 

「それは、どういう……?」

 

「……分かりませんか?

 先生の選択の先には――今の私しか居ませんよ」

 

 それは、つまり……『失敗』しかねないということ。

 同じ轍を踏まないように警鐘を鳴らしている。そこまで身を削っている相手に、更に言葉を紡いで長居するつもりは無かったので、席を立ち、どうしても気になった1点だけを尋ねる。

 

 

「では、そろそろ時間ですし先生。最後に1つだけ答えられれば。

 ……飾城先生の『天才』さんとは――いつ(・・)出会ったのですか?」

 

「……高校生のときでしたよ。

 他校の生徒でしたが、コンクールでお会いしました――」

 

 

 ……ああ、この先生は。

 自分の『恋』が破れるまでに、一体どれだけの苦難と絶望を味わったのだろうか――。

 

 そして、それだけのことがあっても尚。

 飾城先生の右手親指にはずっと『タコ』があるから。

 ――クラリネットを演奏することを辞めていないのだ。

 

 

 

 *

 

「……ひなのさん」

 

「なーにー? 明菜?」

 

 今日は私の部屋に集まっていて、12月の期末試験のテスト範囲がプリントで配られたため、ひなのさんと一緒に計画を練るって話をしていた。

 一通りテスト勉強の日程組みを行って一息つくと、職員室で相談したことがリフレインする。

 

 だから、ひなのさんの前でこんな呟きが出てもしょうがなかっただろう。

 

「……大人ってすごいね」

 

「ふぇっ!? 一体、何があったのさ明菜……」

 

「うーん……教えない。ひなのさんには秘密」

 

「えぇー、そこまで言ってヒミツとか意味分かんないよっ!

 うー、気になってもやもやするー……」

 

 

 ……ただ、まあ。

 私は飾城先生ほどには周囲の大人に悲観的じゃないし……あれから考えてみたけれども、ひなのさんの夢を絶対に知るべきとも思っていない。

 

 そういう意味では先生と私の違いというのは結構大きい……あ、それよりももっと大きな違いがあった。

 

 

 ……私。

 先生のような身の程を弁える、みたいな性格じゃないし――

 

「あ、そだ。ひなのさん、本格的にテスト週間が始まる前に、一度お買い物に付き合ってくれない?」

 

「おお、露骨な話題転換……。別に良いけど、何を買うつもりー?」

 

「ちょっとアロマ用のエッセンシャルオイルを買いに行こうかなって」

 

「へえー、オッケーだよ!」

 

「ひなのさんの分も……選んであげるね?」

 

「ひゅっ……。あ、ひゃい……」

 

 

 ――好きなものは、自分色に染め上げたいって思うタイプなんだよね。

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