ピアノが弾けない少女たち   作:エビフライ定食980円

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第43話 癒し手

 意外に思うかもしれないが、ピアノにおいて長期間のブランクを取り戻すことはそこまで難しいことではない。

 

 世の中に溢れるピアノの練習方法は大体『毎日やれ』で共通している上に、実際何日かピアノに触れないだけで露骨に指の動きが悪くなるのは事実である。だから長期ブランクが許されない世界かと思われがちだが、案外練習し直せば、元の水準に近いところまでは戻るものだ。

 

 もっとも、私の場合はほとんど弾いてなかった期間が高校1年の1年分ということもあって、これくらいでは長期ブランクとは言わないのかもしれないが。

 

「……うん。まあ体感8割くらい戻ったから満足すべきなのか……。それとも、足りないことに不満を持つべきなのか……」

 

 今居る場所は第3音楽室。ボランティアコンサートに臨むにあたって飾城先生からは『練習不要』と言われていたが、しかし流石に1年ブランクでぶっつけ本番で挑むほどの度胸は私には無かった。

 

 ひなのさんにも事前に相談して。とりあえず、ひなのさんの誕生日までは毎日ピアノを弾くことにした。

 とはいえ、私は演奏に際して楽譜が必要なので、実家の両親に連絡して使っていた楽譜を郵便で送ってもらうことを頼むと、次の日の午前中には簡易書留の速達で届いてびっくりした。そんなに急ぎでも無かったのに。

 

 児童館でのコンサート。この児童館ってのが私にはいまいち馴染みが薄いが、まあ地元で言うところの学童とかトワイライトみたいなものなのだろう、きっと。というか名古屋に児童館なるものは存在するのかな? もしあるなら、私の小さいころの行動圏外だったのだろう。

 学童辺りと似たようなものならばメインのターゲットは小学生になる……え、委員長の小さい彼氏さんとか来ないよね、大丈夫だよね?

 

 まあ、それは一旦置いておくとして。大事なのは小学生相手ということ。そんなに長々と演奏すると退屈だろう。また1曲10分オーバーのものとか弾いたら苦痛に思いそう。

 変にマイナーぶったクラシックを選曲して『こんな曲知らないでしょ?』みたいな自己顕示欲を満たす行動とかも論外である。私の手持ちの楽曲で、比較的メジャーどころを選んでいくしかない。そこそこの長さの曲を5、6曲。そんなものだろう。

 

 適当にパラパラと楽譜を見ながら通しで弾いてみて、何とかなりそうな曲をチェック。この時点でひなのさんが弾ける曲のレパートリー数を超えていた。

 そして、その中で大丈夫そうなのが、先ほど独り言で呟いた『体感8割』であった。

 

「……でも。元に戻っただけ、なんだよね……」

 

 確かに、楽観的に見れば多くの曲は『元に戻った』……それはいい。

 それは良いことには違いないのだけれども――同時に、元に戻っただけなのだ。

 

 

 つまり。

 今の私のピアノスキルは、どんなに好意的に見ても中学生レベルのピアノコンクールで並程度。……明らかに、高校生としては習熟度不足となっていた。

 

 1年間という空白を取り戻すのは難しい作業ではないけれど。1年間努力し続けたピアノ奏者の背中を追うには、それは隔絶した『差』として現れる。……それは最初から分かってはいたし、そもそもこの学園に入学するときにお父さんがピアノを持っていかないことに苦言を呈したのも、これがあったからだと思う。

 

 飾城先生もその辺りは織り込み済みだったからこそ、技量が問題とならない場所を選んでいた。だから、例え私が中学生レベルの演奏を披露したところで、それを悪く言う人間は居ない。

 

 

 ――ゆえに。

 私の懸念点は、ただ1点。

 

 ……この演奏。即ち中学時代のコピーが、ひなのさんに初めて聴かせる私の『音楽』として、本当に相応しいものなのか――ということである。

 

 

 

 *

 

 中学3年生のとき以来、使うことが無かった吹奏楽部時代に入れたメトロノームのスマートフォンアプリが、ようやくデータ容量節約という名目の自動削除候補から逃れた頃、私はひなのさんとの『友だち時代』から続く清水寺のお水飲み定例会に誘われた。

 

 これは本当にひなのさんの思い付きで行われるので開催は不定期である。春休み中はやらなかったと記憶しているので、おおよそ1ヶ月ぶりだろう。

 

「……もしかして。今日が1周年記念?」

 

「おー、当たり当たり」

 

 案外、ひなのさんは何かを意味や意図を込めたりする。今は『日付』に意味があって、それは私が去年初めてひなのさんの部屋に招待されたお水飲み会の初回と同じ日であった。

 

 いつも通り変わらずひなのさんの部屋で。いつもと同じように私は紅茶でひなのさんはコーヒー。ただ座卓を囲むことなく私たちの座る座布団は重なるように隣り合っていた。

 

 あ、さらにいつもと違うところがあるとするならば。

 蹴上(けあげ)インクラインで撮ったひなのさんとのツーショット写真。それが着物デートの写真と現代音楽CDの間に新しく飾られている。

 満開の桜の中、線路の上で2人で手を繋ぎながらひなのさんの自撮り棒で撮った写真だ。写っている角度か解像度の関係かは分からないが、この写真だけで恋人繋ぎしているかまでは判別できなかった。

 

 思えば、着物も桜柄のやつをお揃いで着ていたので、そこに飾られている写真の桜含有率は100%である。

 

 横を見れば、少し冷めてきたコーヒーカップを両手で包み込むようにして持ちながら、私をガン見しているひなのさんの姿があった。所作は申し分ないくらいに可愛いが、何か言いたげでもあった。

 

「……ひなのさん?」

 

 暗に向けられた視線についての問いかけとして名前を呼んでみる。ひなのさんはそれだけでも私の意図を正確に悟ったようだ。

 

「あー……うん。明菜。ちょっと、言おうか迷っていることがあるんだよね」

 

 困りながら笑うひなのさんの顔には、しかし字面ほどの深刻さは無い。

 だから、私はティーカップを置き、なんとなくひなのさんの銀色の髪先を優しく触った後に、彼女の頭を撫でてみた。

 

「……ひゃう」

 

「やっぱりひなのさんの髪、さらさらして気持ちいいねえ。

 ひなのさんも頭撫でられると、気持ちいいかな?」

 

「え、あ……うん。

 ……でも、どうして?」

 

「いや、なんかそんなに深刻な悩みじゃなさそうだったから、自分の欲望を優先しちゃった」

 

「――勝手だなあ、明菜は」

 

「はいはい、自分勝手だよ私は。

 ……で、何を言おうとしていたの?」

 

 この話の流れ方はひなのさんも予想していたのだろう。彼女の所作に驚きは見られなかった。

 けれども、言おうかどうかの瞬刻の躊躇いの後に、彼女は声を発する。

 

「……私の判断では、まだ言わなくて良い……って思っているんだけど。でも今の明菜は私が知っている明菜じゃないし……。だけど、言葉の節々から昔の明菜はストイックな一面があることも仄めかされていたから、今の状況自体にそんなに違和感は感じないけれども……」

 

「ひなのさんにしては珍しく要領を得ない説明だね」

 

「まあ、うん。今のタイミングだとまだ問題ないって脳では思っているからね。

 ――でも、言っちゃおう。

 明菜。私の誕生日のことで頑張り過ぎてない? 大丈夫?」

 

 

 その言葉を皮切りにひなのさんが何に思い悩んでいたか至る。

 これに対する私の回答は単純だ。本心からまだ全然頑張っていないと思っている。努力らしい努力はまだ何もしていないし。

 

「……私が第3音楽室のピアノを毎日借りていることは誰から?」

 

「そりゃ、飾城先生に聞けば一発。

 ちなみに、放課後すぐに鍵を借りて、返しに来るのは夕ご飯前なのも先生から聞いた。

 ……気にはなってたけど、演奏自体を聞くのは私の誕生日って話だったから第3音楽室にまでは行っていないけどね」

 

「おおー、流石の情報収集力だ、ひなのさん」

 

「茶化さないの、明菜。

 でも、1日2時間とか3時間くらい弾くのって、別に明菜の感覚からすればきっと普通なんでしょ? ほら、ちょうど部活の練習時間って大体それくらいだし」

 

「まあ、そうだねえ」

 

 私の感覚として1日2時間程度楽器に向き合うことは、普通である。吹奏楽部では指揮者だったので、中学時代に向き合っていたのは狭義で言えば指揮棒で楽器じゃないけども。

 それでも音はずっと浴びていたし、代理で楽器に回ることもあったし、何より家でピアノを弾く時間もさらに別にあった。

 

 だから、それがキツいとかツラいことって思われる方が正直心外だ。

 けれども、高校生の私しか見ていないひなのさんやこの学園に入学してから出来た友人からしてみれば、私は帰宅部女子でしかなく、そういう青春的な努力とは無縁の人物と判断するのも理解はできる。

 

 その辺りの微妙なギャップをひなのさんは的確に理解していたからこそ、現時点において私が『頑張りすぎていない』という判断を下せている。

 だから彼女の迷いは徹頭徹尾正しくて。

 

 

 ――でも、ひなのさんは。それでも私に対して、心配を口に出した。

 

 それは、もっと深いところまで考えてのことだろう。

 多分、私が今懸念している『私の音楽』に対しての悩み――これを、把握しているかは分からないが、しかし『悩みがある』という部分はひなのさんにバレているのだ。

 加えて言えば、その悩みが『ひなのさんの誕生日』関連であるところまでは。

 

「多分、今の時点で『私のために無理しなくても良いよ』って明菜に言っても、その言葉に従うことはないよね?」

 

「……そうだね」

 

「うん。それに明菜とはこれから最低10年間は私に付き合ってもらうから、きっとどこかで――明菜にも、努力を強いる場面ってのはきっとくるかもしれない。

 そういうことを考えると、ここで明菜の手を止めようとする言葉をかけるのは、過保護すぎるというか、逆に信用していないってメッセージにもなりかねないな、って思って……私は話すのを躊躇った」

 

「……なんというか。ひなのさんらしくないね」

 

「まーね。相手が明菜じゃなきゃ、こんなの悩みすらしてないよ。

 明らかに、時期尚早だもん。……友達へ言葉をかけるタイミングとしてはね」

 

「――でも、ひなのさんは今、話すことを選択した、と」

 

 ……そういう意味では、分かっていたことではあるけれど、ひなのさんの中での私の影響というのは相当に大きくて、ちょっぴり嬉しい。

 こういうことでも、彼女の初めてであるというのは、ちょっと優越感を感じる。おそらく人間関係で大きく困ったことのないひなのさんが、けれども私の関係を進めるにあたっては色々と悩みながら選択をしてくれている、と思うと心がなんだかじんわりと暖かくなってくる。

 

 

「それに……ね? ここで全部話したからこそ、私に出来ることもあるんだ――」

 

 ひなのさんは、そう言うと立って、スキンケア用品の中から円柱状のアイテムを取り出して、座卓の上に置く。

 これって、もしかして。

 

「ハンドクリーム?」

 

「……そ。明菜……手、出して――」

 

「……はい」

 

 私がやや照れを感じつつも左手を出しておあずけ状態を喰らっている間に、ひなのさんはハンドクリームを自分の手に塗り始めた。

 ……あれ? 違くない? と内心思いつつも、ひなのさんは話す。

 

「明菜、ブランクがあるから手のピアノ弾く用の筋肉はちょっと落ちているかもって、飾城先生から聞いたよ?

 それで、思いついたんだけどさ。明菜の手が疲れているかも、と思ったから……マッサージする……ね?」

 

 ハンドクリームはハードタイプではなく、かなり柔らかいともすれば泡なのではと思う見た目をしていて、ひなのさんはそれを自らの手のひらにちょっと厚めに塗った。

 そして、そのひなのさんの両手が、私の左手を包み込む。それはさながら、先ほど両手で持っていたコーヒーカップのよう……いや、それよりも丁寧に。

 

 触れた瞬間に、いつもとは明らかに異なるしっとりとしたひなのさんの手の感覚に私の心臓は跳ね上がる。厚めに塗られたハンドクリームは私の手に移るようにして塗られていき、ひなのさんの指がクリームを私の手に塗り込むような動きをする。

 

「……ひ、なのさん」

 

「……っ」

 

 私の手もしっとりしてくると、まるで私の手とひなのさんの両手から、水音がしているかのような錯覚が出るほどにお互いの手は質感と滑らかさを感じるようになり、それが逆にひなのさんの肌の温度をより鮮明にする。

 

 普段絶対他人に触られることのない、指と指の間……そこにひなのさんの細くて長い指が滑り込む。

 

「これ……ちょ、まずい……って」

 

「……」

 

 ひなのさんは顔を彼女の瞳に引けを取らないほどに赤く染めながらも、無言でマッサージを続ける。

 

 恋人繋ぎもしたし、お互いに手を握ってきた時間は長いと思っていたけれども……。今感じているこの時間はそれを遥かに凌駕していた。

 

 

「……明菜。反対の手」

 

「……うん。ど、どうぞ……」

 

 左手が終わって、右手を出すように促される……まだ、半分なのか。

 

 ひなのさんはもう一度自身の手のひらにハンドクリームを塗り、そしてそれを私の手へとおすそ分けするように丹念に塗りたくってくる。

 

 ……や、やっぱり……これは、慣れない。

 

 片手1回の経験だけじゃ、全く慣れない未知の感覚が刺激される。背筋がぞわぞわっとしながらも、手からは確実にひなのさんの手のひらの暖かさが伝わって。

 

 

「……あ。明菜、中指にペンだこあるんだ……ふふっ」

 

「……や、やめ……ひなのさ、ん……」

 

 ひなのさんは私のペンだこを重点的に触ってきたりして。私の手をくまなく触られたと思うほどにひなのさんは執拗にかつ丁寧にマッサージを行っていた。

 

 

 そんな、たっぷりと時間をかけたハンドマッサージは終わって。

 一息ついて、まだ心臓は平常通りではなかったけれども、ピーク時よりかは落ち着いたので、無言でひなのさんと見つめあうのはやめて、こう告げる。

 

「……あの、ひなのさん。このマッサージはちょっとマズすぎかも。

 ぶっちゃけ……哲学の道の、猫扱いのときと同じかそれ以上には恥ずかしいんだけど」

 

「――わ、私だって、こんなにとんでもないものだとは思ってなかったよっ!」

 

 

 それでも。ひなのさんの誕生日までの間、『ハンドクリームがもったいない』、『明菜の手の疲れを癒すため』という免罪符のもとに、ひなのさんは定期的に私の手のマッサージをすることをやめることはなく。

 

 ついでに先のことを言えば、彼女の誕生日が終わった後は、私がマッサージする側に回るようにもなって……まあ。

 ハンドマッサージに、お互いハマってしまったのであった。

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