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目の手術をしてきました。
人生初の手術室。椅子の座り心地がよかったです。
斑目は自室のベッドで寝転んでいた。
次第に暗闇に目が慣れ、微かに天井が見えてくる。
しかし、斑目の意識は外界に向けられているわけではなかった。
『それがたとえ虚しいことであっても、抵抗し続けることを止めるべきじゃない』
昼間のアズサの言葉が反芻される。
マリーの目的は、アズサに会うことだった。
何でもアズサは、いじめられていた生徒を助けたらしい。
マリーはその生徒に頼まれ、代理としてその感謝の言葉を伝えにきたのだ。
それに対しアズサがマリーに頼んだ、いじめられた生徒への言伝。
関係者ではない、斑目の心にもそれが響いていた。
「……いい言葉だな」
未だアビドスの借金が全額返済されたわけではない。
ならず者による襲撃も、頻度は減ったとはいえ起きている。
それにより本来返せた筈の金が、修繕費で消えるのを見るとやるせない気持ちになった。
でも。
「抵抗を止めれば、事態は悪化する。なら、止めるべきじゃない」
よしっと斑目は身を起こす。力が漲るようだ。
この合宿に参加できてよかった。何というか、原点に立ち返れた気がする。
アズサには勇気が出る言葉を貰った。
そのお礼を、自分もしなければならない。
斑目は先生の部屋に向かうべく、自室を出た。
何か補習授業部のためになることをしたい。その一心で。
(裏切り者を見つければ、それ以外の人は退学されずに済む筈。見つけられなかった時のために、全員の学力を上げるのも重要だ)
自分でもできることはある筈だった。
今日も先生とヒフミが集まっていることを祈りつつ、走って斑目は廊下を駆けた。
斑目が先生の部屋の前に立ったと同時に、その扉が開く。
ドゴッ‼
その勢いは凄まじいものだった。
鈍い音と共に額に痛みが走り、斑目は尻餅をつく。
額を押さえながら、痛みを緩和するため身体が叫び声を上げた。
「いっっったい⁉」
「あぁぁぁぁぁ⁉ ユウさんごめんなさい! ごめんなさい! でも今は来ない方がよかったかもです!」
「ユウさん⁉ ここで男性が登場ですか⁉」
「ハナコちゃん見逃してあげてください! ユウさんもハナコちゃんと先生の関係を知らなかったんです! 何も私達、下心があったわけじゃないんです! でも駄目ですよね⁉ 夜な夜な会いにきちゃ駄目でしたよね⁉」
「3Pですよね⁉ エッチなことをしたんですよね、これからするんですよね⁉ 侮っていました……やはりユウさんは童顔プレイボーイだったんですね‼ 私は構いませんよ、いっそ今から私の目の前で実際に再現を……‼」
もう訳が分からない。
ヒフミとハナコも会話が嚙み合っていなかった。互いに違うものを見ている。
指摘したいものの、額の痛みでそれどころではない。斑目は諦めたように天井を見た。
先生は溜息を一つ吐く。ハナコ、ヒフミ……そして斑目を視界に収め。
「二人共、お願いだから落ち着いて……。あと、斑目君を中に入れてあげよう」
部屋の中は先程のテンションとは程遠い静けさだった。
ベッドの長辺で4人は腰掛けている。これも先生の手腕によるものだ。
既に皆、落ち着きを取り戻している。
正気を取り戻したヒフミが、まずしたことはハナコへのお説教だった。
斑目は見ていなかったが、どうやらハナコは水着で先生の部屋に訪れたらしい。
それはあらぬ誤解が生じても仕方がない。
性別なんて関係ないのだ。
妥当な説教だと、斑目は心の中で一つ頷いた。
ヒフミの説教により、今ここにいるハナコは体操着に着替えている。
そして今は、互いの目的を確認し合う時間だった。
「……なるほど。先生と一緒に、これからについてのご相談を……」
「ハナコちゃんも相談したいことがあって、ここに……」
「僕もヒフミさんと一緒です。何かできることがないか、居ても立っても居られずに……」
斑目はハナコに顔を向ける。
「ハナコさんは、一体先生に何の相談を……」
「……」
「……ごめんなさい。聞いちゃ駄目なことでしたかね」
ハナコは首を振った。
「いえ、お二人も一緒に聞いていただければと思います。……アズサちゃんについてです」
毎晩、どこかへ出かけては夜明けまで戻ってないことが続いている。
ハナコがそう続けたとき、斑目は言葉を失った。
(そんな……それじゃ、まるで)
白昼堂々行動せず、今のような誰も活動していないときに外部と連絡を取る。
まるでそれは、斑目が想像する裏切り者のイメージそのものだった。
ハナコはそれ程、深刻に考えていない様子だ。
ため息交じりに、自らの頬に手を添えている。純粋に心配をしているのだろう。
「最初は慣れない場所で眠れないのかと思ったのですが、そうではないようです。アズサちゃんが何をしているかは分かりませんが、そろそろ多少無理矢理でも寝かせてあげないといけないのでは、と」
「……組織を相手に、籠城戦で3時間戦えるアズサさんを寝させられますかね?」
マリーによるとアズサに怒られた者が正義実現委員会と連絡を取り、何故か正義実現委員会vsアズサという構図が出来上がってしまったらしい。
アズサは催涙弾の倉庫を占領。トラップを駆使し、3時間以上戦い続けたようだ。
これを聞いたとき、斑目は冗談かと思ったがヒフミ達の反応を見るに事実だと察せられ、驚いたのを覚えている。
そんな軍神のような少女を、今いるメンバーで力ずくで眠らせる術など考えられなかった。
ハナコがウィンクを飛ばしてくる。
「そこは男の子であるユウさんに頑張ってもらいましょう♡」
「何という無茶ぶり……」
目覚めてから、身体を鍛えてはいるが斑目は一度も戦闘を行ったことはない。
理由は単純で、アビドスの全員から止められているからだ。
彼自身、ヘイローがあるにも関わらず、頑丈になった気がしない身体でアズサに勝てる自信はなかった。
「……冗談です♡ でも、本当に心配なんです。アズサちゃん、どこか凄く不安そうで」
「不安そう、ですか?」
「はい。どんな事情なのかは分かりませんが、どうにかその不安を少しでも軽減してあげたくって……このままじゃ、いつか倒れてしまいます」
いつ自分が裏切り者だとバレるか。そういう不安だろうか。
そこまで考えて、斑目は首を振る。
早くもアズサを裏切り者と前提とした上での、自らの考察を恥じた。
(馬鹿か僕は‼ 今までのアズサさんを思い出せ。僕達を裏切る筈がないっ。彼女は、そんな女の子じゃないだろう!)
斑目は結論付けるのは早計だと判断する。
そういうことにしたのだ。まだアズサを、裏切り者として断定したくなかった。
ふと、ハナコと目が合う。斑目だけでなく、先生、ヒフミのこともハナコは視界に入れていく。
その顔は少しだけ怒っているように見えた。
「これは皆さんにも言えることです。確かに試験も大切ですが、落第というだけですよ? 身体の健康と比べられるようなものではないと思いませんか? 実際にユウさん、顔色が悪いですよ?」
「あはは、白い照明が当たってそう見えるだけですよ。全然元気です」
ヒフミと先生の視線を感じたので、斑目はそう苦笑する。
特に追及はされなかった。ヒフミに顔を向けると、でもっ、と体操着のズボンの上で拳を握っていた。
「ただ、落第で済む話ではないんです……! あと2回、どちらの試験も不合格だったら……退学なんです! 私達は、トリニティを去らないといけないんです……‼」
「退学……? ヒフミちゃん、それはどういう……?」
ハナコは目を瞬かせ、苦笑しながら言った。
「そ、そんなこと、校則的に成り立ちません。退学は色々な手続きと理由が必要で、そんな簡単には……」
だが、自分以外の全員が真剣な顔であることに、ハナコも苦笑をなくしていく。
先生がしばらく考えるように目を瞑り、言った。
「分かった。知っていること、全部話すよ。斑目君も聞いて。まだ、話してなかったと思うし」
それから先生は話した。
補習授業部の裏の事情について、知っていることを全て。
これより前に、斑目は盗み聞きでそれを知り得ている。
まだ話されていない、裏切り者についても。
だが初めて聞いた体で頷いた。
……後者に至っては、その容疑者を見つけるため単独行動を行っている。
斑目は我ながら無茶したと思う。自分に対し、少し過保護だと思う先生とヒフミにバレたら大変だ。
「なるほど、そうだったのですね。全て不合格であれば、全員退学……この仕組み自体そもそもおかしいですが、シャーレの超法規的権限が……」
「そ、そういえばハナコちゃん、本当は成績良いんですよね? 1年生の時に、3年生の難しい試験まで全部満点でしたよね……⁉」
納得したように頷くハナコに、ヒフミが尋ねた。
沈黙が流れる。ヒフミは尻すぼみになりながらも、言葉を発していく。
「あの、ごめんなさい……模試のために昔のテスト用紙を探す途中に、見つけてしまって……」
だが今しかないのだ。
補習授業部の裏の事情を知った今なら、堂々と聞き出せる。
「ど、どうして今は、あんな点数を……? わざと、ですよね……?」
「……ごめんなさい、知らなかったんです。失敗したら、まさか『全員が退学』だなんて……。いえ、知らなかったと言って、許されるものではありませんね……」
ハナコはわざと低い点数を取っていたことを認めた。
そして小さく、顔を伏せる。
「先生にも、ヒフミちゃんにも……アズサちゃんとコハルちゃんにも、申し訳ないことをしました」
「何で、そんなことを……?」
「ごめんなさい、ユウさん。言えません。私の、すごく個人的な理由なので……」
そう言われると追及するのは気が引けた。斑目は押し黙る。
ハナコは笑みを浮かべた。
「安心して下さい。これ以上、私の個人的なエゴに皆さんが被害を受けてしまうのは、望むところではありません。最低限皆さんが退学にはならないよう、今後の試験は頑張りますので」
「……ありがとう、ハナコ」
「いえ、そんな先生に感謝されることでは……⁉ 謝罪は私がすべきです。裸で手をつくだけで足りますでしょうか?」
慌てて、ヒフミが制止のためにハナコの肩に手を置いた。
彼女は揺らされながら小さく笑っている。
もしかしたら、純粋に人に感謝されることに慣れていないのかもしれない。
そう考えたら、普段のハナコの言動も微笑ましいものと思える気がした。
(……いや、それにしても限度があるな。やっぱりだめだ。ちゃんと駄目だと思ったら注意しよう)
斑目は頭を振り、一つ頷いた。
それを他所に、ハナコはヒフミに事実確認を行う。
「……ところで、この事実を知っているのは先生・ヒフミちゃん・ユウさんだけですか?」
「そうですね……。私達以外はまだ誰も……今回、ユウさんとハナコちゃんに話したのが初めてですし」
「ユウさんも……ですか。その割には、あまり驚いたようには見えませんね……」
「や、やだな。驚きを通り越して、リアクションも出来ないだけですよ」
……特に悪いことをしていない筈だが、何か居心地が悪く感じた。
推理小説の犯人になったような、そんな気分だ。
ハナコの瞳に見られると、心の中を覗かれている感覚がして妙な寒気を感じる。
「……成程♡ 取り敢えずアズサちゃんの不安は試験に起因するものではないことが分かりました。そして、何となくこの補習授業部についても」
ハナコはにこりと笑った。
「エデン条約を邪魔しようとしている疑惑がある容疑者達の集い。この解釈で合っていますか?」
「えっ? えっ⁉」
「凄い……どうして分かったの?」
ヒフミと先生は驚きを露わにする。斑目も言葉を失っていた。
自分のように盗み聞きしたわけではないのに、何故分かったのか不思議でならない。
だから、ハナコがこちらを見た時、その意味が分からなかった。
「うふふ。ユウさんのお陰です♡」
「ぼ、僕?」
予想外の発言に、つい声が裏返ってしまう。
それがおかしかったのか、小さく笑いながらハナコは言った。
「正しく言えば、決定打になる情報を教えてくれたのがユウさんでした」
「え?」
「プールで遊んだ日の夜のこと、覚えていませんか? 私とアズサちゃんにホットミルクを振舞ってくれた時のことです」
「……あ」
当時のことを思い出し、斑目は間の抜けた声を出す。自分の発言を思い出したのだ。
そしてその際、ハナコがした一拍置いて小さく笑ったことも。
今思えば、まるで情報を咀嚼しているように見えた。ハナコは嬉しそうに頷く。
「『まさか僕が怪しまれていたとは……』。ユウさんはそう仰いましたよね? まるで、この中に不届き者が紛れ込んでいることを知っているけど、その正体までは掴めていない序盤のミステリー小説の主人公のように」
「ま、待ってください、ハナコちゃん! ユウさんには、今話したばかりですよっ?」
「先生とヒフミさんはユウさんの看病をしてらっしゃいましたよね? もしかして、補習授業部の事情についても部屋の中で話されていたんじゃないですか?」
ヒフミと先生の瞬きが増える。斑目は冷や汗が流れそうだった。
先生は小さく言った。ゆっくりと。
「……うん。話してた」
「であるならば、目を覚ましたユウさんが聞いていてもおかしくありません。内容だけに、起きるタイミングを逃して息を潜める姿が容易に想像できます♡」
二人の異性からの視線が突き刺さる。
無言だが、ハナコの推理は正しいのか。そう問われているようだった。
斑目は項垂れる。言い逃れできる自信はなかった。
「……ごめんなさい。その時から、補習授業部の事情についても、裏切り者についても知ってました」
「何か……無茶はしてないよね?」
「う」
「……ユウさん」
「……ちょっと、裏切り者を見つける手助けができればなぁって、武装して巡回してました」
先生とヒフミは小さく息を吐いた。
そういう無茶に対する抵抗がないところは、本当に似ている。
もういない男の後ろ姿がちらついた。
ハナコは興味深そうに、斑目に顔を向ける。
「こうなると、ユウさんがここにいるのも何か理由があるのかもしれませんね♡」
「理由……ですか? これに関しては多分、ない、と思います……。ここに来たのも偶然に近いですし……」
「と、いいますと?」
斑目は説明した。
自分がアビドス高等学校の生徒であること。勉強に集中できる環境を欲していたこと。
そのためにシャーレに入部し、先生に悩みを相談したこと。結果、今ここにいることを。
ハナコは一度、斑目の額の上を見た。
口元を隠し、真剣に考えこんでいる。
「……別人? しかし……」
「ハナコさん?」
斑目の呼びかけに、ハナコは動きを止めた。
顔を上げ、またいつもの柔らかな笑みを浮かべる。
「ふふ。ごめんなさい。考え込んでしまいました♡ 確かに聞いた限りだと、偶然に思えますね」
「そうですよ。あの求人サイトを経由してきたわけでもないですし」
「……求人サイト、ですか? このトリニティで」
ハナコが不思議そうに言った。
斑目は頷く。そして頬を掻いた。
「はい。内容は試験監督や施設の清掃で、トリニティ総合学園の大きな校舎や広い廊下の写真が貼られてました。……怪しいって、同級生の女の子が止めてくれたんですけど」
「……何故、その子は怪しいと? アルバイトが、学園内に立ち入れるわけがないと思ったとか、ですか?」
「えっと、募集要項が『男子生徒限定』とあったからだと思います。該当するのは僕だけだから、誘われてるんだって」
「それは確かに怪しいね……。よかったぁ。出張っていう形で一緒に斑目君と来れて」
「あはは、僕もそう思います。校舎じゃないけど、ここも十分掃除し甲斐がありますし、一人ぼっちじゃないですから」
ヒフミと先生と斑目が小さく笑い合っている。
唯一、ハナコだけは違った。
(やはり……ユウさんは偶然ではない。意図されて、ここにいる)
ハナコはこれまでの情報を積み重ね、その結論に至ったのだ。
アビドス高等学校。男子生徒。
トリニティの求人広告。
そして今では姿を見せなくなった、凄腕の便利屋。
最後に耳にしたのは、その身体が男のものであったことだった。
斑目が呼ばれた理由。
それは推測したハナコにとって、自分でも信じられない奇想天外なものだった。
妄言といってもいい。故に彼女は口を開かない。
(まだ……言うべきではありませんね)
それにこのことを受け止めるのは、今の彼にはまだ早い。そんな気がした。
今迄、反応を確かめたことがある。
しかし毎回、思うような反応は得られなかった。
つまり自覚がないのだ。自分の推測を話すことで、変に混乱させてしまうかもしれない。
ハナコは息を吐いて、小さく首を振るうのだった。