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最近、台風やら地震が多い希ガス……。
コミケの日にそれがぶち当たらないでほしいものですねェ。
言葉を出したのかも分からない。
それぐらい、斑目が発した声は弱弱しいものだった。
「……どうして、突然……そんな」
「ホシノからね、私に連絡がきたんだ」
先生の言葉に、斑目の身体が硬直する。
それを見た先生は、悲しそうに目を伏せた。
「……斑目君言ったよね? ホシノには、自分から連絡するって」
「っそれは」
出張に行く直前、確かに斑目はそう言っていたのだ。
だから先生は、その言葉を信じて連れてきた。
しかしだ。
「ホシノはそんなこと聞いてないって言ってた」
あの時の彼女の必死さ。それは相当なものだった。
先生は自然と、深夜に起きた出来事を思い返していた。
斑目がトリニティのスイーツ屋で、クロノススクールを引き止めている頃。
先生達は美食研究会の無力化に成功していた。
そして先生は……。
「ここで待ってればいいんだよね」
無力化された美食研究会と共に、トリニティの外郭の大橋にいた。
ハスミからの依頼で、美食研究会をゲヘナの風紀委員会に引き渡す役目を受けたからだ。
エデン条約を控える今、正義実現委員会が能動的に動くのは控えたい。
その理由も納得がいくものだったので、引き受けるのに時間はかからなかった。
(久しぶりだな……)
傍に補習授業部はいない。離れた位置でハスミ達と共に成り行きを見守ってくれている。
だから周囲は静かだ。
アビドスでも。補習授業部でも。
先生は生徒に囲われている時間の方が長く感じられた。きっと楽しかったからだろう。
だから、久しぶりの静かな時間は……妙に悲しく感じられた。
『深夜の散歩のつもりが、とんだトラブルに巻き込まれたものだな? 先生』
きっと『顔無し』がいれば、こんなことを言ってきたことだろう。
今思えば、戦闘だけではない。助けられていたのは。
一人になることが増えた今、先生は実感する。
こういう時、傍にいて、孤独を和らげてくれていたのは『顔無し』だった。
本人は対して意図していなかったかもしれない。
自分もそれが当たり前だと思っていた。
でも今は分かる。あれは当たり前の時間ではなかった。かけがえのない時間だったのだと。
「……もう一度、味わえたらいいのに」
そう言って、先生は首を小さく振った。
『顔無し』はもういないのだ。起こり得ないことを考えても仕方がない。
それに彼はビデオで言っていた。死んだら元の世界に戻る可能性もあると。
元の世界に戻り、元気に暮らしている。そう考えよう。……そう、考えるんだ。
でないと、心が張り裂けそうになった。
その時、遠くからサイレンの音が聞こえてくる。
先生ははっとして顔を上げた。救急車だろうか。一台の車が迫ってきていた。
ブレーキと共に停車する。
中から降りてきたのは、一人の少女だった。
「お待たせしました。死体はどこですか?」
「……はい?」
「失礼。死体ではなく負傷者でしたね。たまに混同してしまって」
「混同するには差が大きいと思うよ……」
先生の言葉を気にした様子なく、淡々と少女は手元の紙を読み上げる。
その姿は、青いワンピースと白いエプロン風の前掛けという装いもあり、様になっていた。
「えー……納品リストには、新鮮な負傷者3名と人質1人……と書かれていましたが」
「納品……? 新鮮な……?」
見た目は看護師。発言の内容は卸売業者のようだ。
先生は頭が混乱しそうだった。そんな彼女に、少女は金色の瞳を向ける。
「……ところであなたは? 正義実現委員会ではなさそうですが……?」
「えっと……」
「その方は、シャーレの先生」
名乗る前に聞き覚えのある声が、先生の耳に届いた。
もしや、と顔を声の方向に向ける。
車から降りて、こちらに歩いてきたのは先生もよく知る人物だった。
「ヒナ!」
「久しぶりね、先生。いつぶりかしら。……ところで、ここで何をしていたの?」
「この子達を引き渡しにきたの。ハスミ達の代わりにね」
視線で美食研究会を示す先生に、ヒナは小さく頷く。
「成程。このタイミングで政治的な問題にしないために、先生が……」
「流石ヒナ! そこまで分かるんだ」
「こちらも同じ。だからこそ、公的には今回こうして風紀委員会ではなく、こっちの『救急医学部』が来たってことになってる。私は基本的に、ただの付き添い」
「心強い付き添いだね。えっと……」
自己紹介をしていないことに気付いたようだ。
先生の視線に気付いた少女は、丁寧なお辞儀をする。
「……救急医学部の部長、氷室セナです。以後よろしくお願いいたします、先生」
「うん。よろしくね、セナ」
「死た……いえ、負傷者がいたらいつでもお呼びください。配送料は頂きませんので」
そんなわけで、美食研究会はゲヘナへと送り返された。
遠ざかる救急車を眺めていると、先生の通信端末から着信音が鳴っている。
画面に表示された名前を見て、先生は首を傾けた。
「ホシノ……?」
何故だか妙な胸騒ぎを覚える。
先生はすぐに電話に出てみた。
「もしもし?」
『先生! どうしてユウがトリニティにいるのさ⁉』
ホシノの悲鳴に似た叫びが、先生の鼓膜を大きく揺らす。
たまらず先生は顔を顰めた。恐る恐る、端末を耳に運び直す。
「どうしてって……出張、だよ? トリニティに出張するって、斑目くんから聞いていない……?」
『……聞いてないっ。トリニティになんて、聞いてないよ!』
「えっ……⁉」
ホシノの声は普段より硬かった。
情報共有がホシノにされていないこと。先生は驚きが隠せなかった。
「そんな、どうしてっ……だって斑目くん。出張の件は自分で連絡するって……!」
先生の慌てようを聞き、冷静を取り戻りしたのか。
ホシノの息はゆっくりとなっていった。そして、そのまま先生に確認を行う。
『……出張に行く前から、行き先はトリニティって分かってた? ユウは』
「う、うん。私が伝えたから」
『はぁ……だからだ、きっと。おじさんに怒られると思ったんだろうね』
ホシノは話す。
求人サイトに『男性生徒限定』と書かれた求人があったこと。
その依頼主がトリニティであったこと。
斑目の身柄を狙っているためだと推測し、トリニティに気を付けるよう忠告したことを。
『なのにトリニティに出張に行きますって正直に伝えたら、人の話を聞いてたのかって怒られると思ったんじゃないかな。きっと』
「……ごめん。ホシノ」
『先生が謝ることじゃないよ……。先生に直接確認しなかった、おじさんも悪いし』
「ううん、一番悪いのは私だよ。誘ったのは、私だから……」
先生は斑目から、勉強のことで悩んでいることを打ち明けられたことをホシノに話す。
そんな彼の力になりたく、補習授業部の勉強合宿があるため、そこで勉強に力を入れたらどうか。
そう提案したことを話した。
真面目で、勉強に悩んでいる斑目にとっては、さぞ魅力的な話だっただろう。
ホシノとの約束を破り、彼がトリニティへの出張に前向きにさせるには十分な動機だ。
話を聞いたホシノは溜息を吐いた。
『……そんなこと気にしていたのか。別にそれくらい、話してくれればいくらでも解決策はあるのに』
「取り敢えず、斑目くんを早く帰らせたほうがいいよね……?」
『うん……お願い先生。トリニティに置いておいたんじゃ、今後何が起こるか分からないしね』
それから、とホシノは続ける。
『迷惑かけてごめん。ユウは、こっちでちゃんと叱っておく』
「だから……斑目くん。お願い。荷物を纏めて、アビドスに帰ろう?」
「……嫌、です」
「斑目くん」
先生の諭すような優しい声。
それに被せるように、斑目は叫んだ。
「やっと『対等』になれたんですっ……! 守られるだけ、尽くしてもらうだけの存在じゃない。一緒に何かをすることができたんですっ!」
「守られるのは恥ずかしいことじゃないよ。斑目くんは私と同じで、その身体は脆い。無理に皆と並ぼうとしたら、取り返しのつかないことになるかもしれない」
『顔無し』のように。
「……そんなことになったら、私は絶対後悔する。ホシノも、アビドスの皆も。君はそれでもいいの? 残された人達が、君がいない教室や君の私物を見て、もう戻らない君のことを思うことしかできない苦痛を味わうことになるんだよ⁉ それがどれだけ苦しいことか、想像できない⁉」
「っ」
先生の気迫に、斑目は息を呑む。
普段の彼女からは想像できない、大きな悲痛に満ちた声。
例え話ではない。
本当にその苦痛を味わったかのような説得力ある迫力に、斑目は圧された。
目を背け、かすれた声で言う。
「僕は、そんなつもりじゃ……ただ、今の自分を変えたくて」
「その過程で傷付いて、ホシノ達を悲しませる覚悟はある……?」
「っ」
そう問われると、覚悟があるという確固たる自信はなかった。
今の自分を変えたい。とはいえ、その過程で傷付くことでホシノが悲しむのなら、踏み止まってしまう。
僕は、どうすればいいのだろう。
悩む斑目の耳が、扉が開かれる音を捉えた。
そしてその手を、自分より少し小さな手が掴んだ。
「大丈夫だ、ユウ。ユウは傷付かない」
力強い言葉だった。
手の持ち主は、笑みを浮かべて、こちらを見ていた。
「私が守る」
「アズサ、さん……?」
「アズサ……どうしてここに?」
「私だけじゃない」
アズサは先生の部屋の扉を指差す。
開いた扉からは廊下が広がっている。その横から、ヒフミ・コハル・ハナコがゆっくりと身を出してきた。
隠れる必要がなくなったからか。
ハナコは開き直るように笑みを浮かべた。
「先生とユウさんが二人で部屋を出て行かれるのを、偶然にも見かけてしまいまして♡ ……お二人共、表情が優れなかったので心配になって様子を見に来たんです」
笑みを消し、心配そうに目を伏せるハナコ。
コハルとヒフミも同様にしていた。
「ユウ、もう帰るの? そんなの、早過ぎよ……まだ試験に合格する姿も、見せてないのに」
「コハルちゃん……」
泣き出しそうになるコハルの肩を、ヒフミが優しく支える。
ハナコは二人を見た後、先生に目を向ける。
「先生。既にお気付きかもしれませんが私達、今までの話、隠れて聞いていました。先生にも並々ならぬ事情があるのでしょう。ですが……あまりにも酷ではありませんか? これからというときに、ユウさんだけを帰らせるなんて」
「仲間の離脱は士気に関わる。それも自分の至らなさを見つめ、変わろうとしている善良な者なら尚更だ。私はユウの意思も尊重すべきだと思う」
「……私も、アズサに賛成。このまま帰らせるなんて、ユウが可哀想よ」
コハル・ハナコ・アズサは斑目の残留を支持する側のようだった。
それでも先生は、自分の思いを曲げない。
「私も可哀想だと思う。それは本当。でも、ハナコも知っているでしょ? 斑目くんは今、トリニティにいるべきじゃないの。求人サイトを使ってまで、斑目くんをトリニティに誘き寄せようとした人がいる今、安全のためにも帰す必要があるんだよ」
「うう……私も、先生に賛成です。もしユウさんを守れなかったことを考えたら……考えるだけで、胸が苦しくなります」
ヒフミは先生を支持するようだ。即ち、斑目をアビドスに帰す側に立っている。
実際、彼女は美食研究会と戦闘したばかりだ。もしあの場に斑目がいたら、守れたか自信はない。
そして今後、またあのような場面に出くわさないなんて保証はないのだ。
もしその際、斑目を守り切ることができなかったら……。
アビドス対策委員会にも、もう会えない『顔無し』にも合わせる顔がなかった。
「前々から気になっていたのですが……」
ハナコは、先生とヒフミを見る。
「お二人共、一体、『誰』に向けてそんな顔をしているんです? それも、ユウさんへの過保護に関係があるのですか?」
「「⁉」」
先生とヒフミは、動揺からくる身体の揺れを抑えるのに精一杯だった。
ハナコは見抜いていたのだ。
二人が、少しでも斑目が無茶をしようとする際に制止しようとすることを。
その関係性は未だ推し量れずにいた。だから聞いてみたのだ。
先生は慌てることなく、冷静に言葉を紡ぐ。
「アビドスの皆だよ。アビドスの皆は一緒に巨悪を倒した仲間だからね。そんな彼女達が大切にしている斑目くんを傷つけるわけにはいかない。そう思ってるだけだよ」
「本当ですか? 残された者の下り。えらく具体的でした。まるで……本当に味わったかのように」
「私は大人だからね。肉親との別れ、友達との別れ、ペットとの別れ、ここにくるまでの色々な別れを経験してきた。その時に抱いた気持ちを話しただけだよ。例え話にしては、笑えない重さだと思うけど……でも残された側の気持ちは一番分かり易いと思って、話させてもらったんだ」
「……」
「……」
黙って見つめ合う、先生とハナコ。
先生は悲しそうに目尻を落とした。
「……そうですか。分かりました」
ハナコは目を瞑り、そう言った。
これ以上、追及しないでほしい。
先生の表情がそう物語っていたからだ。
敵ならともかく、仲間が本当に暴いてほしくないなら、ハナコは追及しようとは思わない。
彼女はいつもの笑みを浮かべ直した。
「ユウさん。先生がユウさんを、アビドスの皆さんを大切にされているのは聞いた通りです」
「……はい」
「その思いを押しのけ、自分の意思を貫くというのなら……私達はユウさんを応援します」
「っ」
斑目は、ハナコが自分にしてほしいことを理解した。
アズサとコハルを見る。二人共、こくりと頷いた。
改めて自分の心の内を叫べ。
そう言いたいのだろう、彼女達は。
「僕、は……守られてばかりから、卒業したい。……『顔無し』、のようになりたい」
「『顔無し』……⁉」
「どうして、その名前を……っ」
「クロノススクールの人が教えてくれたんです。僕と同じ、男性の凄腕の便利屋がいるって」
先生とヒフミのこめかみから、冷や汗が流れる。
気を強く持たねば、血の気が引き、顔が青く染まりそうだった。
ハナコは黙って、彼等のやり取りを見守る。
「彼はとても強くて、とても凄い身体をしていたと聞きました。それに比べて、僕は弱くて……身体も細い。皆に甘えて、守られてきたから」
「……」
先生は押し黙る。
元々、斑目の身体は『顔無し』だった。その身体は同じでなければおかしい。
だが今はどうだ。
その身体はすっかり萎んでいる。彼だった時の面影は見られなかった。
『顔無し』の意思を継ぐために、自分達で『顔無し』のいた証を消してしまったのだ。
そのことに気付き、先生とヒフミは瞼から熱がこみ上げてくる。
『男にしてはやせ過ぎだろ。無茶をさせるのも大事だぞ、二人共』
「「っ」」
背後から、そんな声が聞こえた気がした。
幻聴であると自覚はしている。
でも、確かに彼なら今の斑目を見たらそう言いそうな気がした。
「……負けたよ」
先生は力なく項垂れる。
でもその顔は、すっきりとしたものだった。
「若いっていいね」
「あはは。先生。ホシノさんみたいです」
ヒフミもそう言って笑う。
先生と同様、もう斑目を止めるつもりはないようだった。
「それじゃあ……!」
表情を輝かせる斑目に先生は首を振る。
自らの通信端末を差し出し、言った。
「君の思いを直接伝えるべき人が、まだいるでしょ?」
『小鳥遊 ホシノ』
その画面には、彼女の連絡先が表示されていた。
斑目は端末を受け取り、喉を鳴らす。
覚悟を決めたように力強く、その連絡先をタップし通話を始めた。
「……もしもし、ホシノさん」
『! ユウっ』
身を案じてくれていたのだろう。
通話口から、安堵するホシノの姿が容易に想像できた。
罪悪感を抱きながらも、斑目ははっきりとした口調で言う。
「君に、伝えたいことがあるんだ」