【コクーンメイデン討伐ミッション】
◇ミッションコード
7410FS121
◇ミッション目的
作戦エリア内に出現するアラガミの討伐。
◇ミッション概要
対象エリアにて、コクーンメイデンのオラクル反応が確認された。対象エリアに出現するコクーンメイデンを掃討し、近辺の安全を確保せよ。
◇ミッション参加者
片桐キョウヤ(上等兵)
桜田チハル(上等兵)
【備考】
・対象となるコクーンメイデンは、異常個体もしくはフラックメイデン化している可能性があります。
・付近にコクーンメイデン寄生体が潜んでいる可能性があります。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「車の運転なんて久しぶりだな……」
「そうだね……」
屋根のないタイプの軍用バギー。実利と機能性だけを詰め込まれたそんな車体のハンドルを握り、キョウヤは小さくつぶやいた。
車のハンドルを握るのは本当に、本当に久しぶりのことだ。あまりに久しぶり過ぎて、最初はアクセルを踏むのにも若干ビビったくらいである。この軍用車は四輪駆動だからよほどの悪路でない限りは問題なく走れてしまう──それ相応にパワーがある。うっかり運転ミスなんてしたら、どうなるかなんてわかったものじゃない。
「くっそ……ケツが痛ぇ……」
「……」
そして、だいぶ年季が入っているかなりオンボロな車だ。サスペンションの効きが悪いというか、乗る人の事なんて本当に最低限しか考えられていない節がある。ルーの背中というふかふかでやわらかく、温かいそれを知っているキョウヤ達からしてみれば、それはあまりにも耐えがたいものであった。
「おい、ちゃんとシートベルトはしとけよ?」
「うん……」
隣に座る相棒。ここしばらくずっと、何をしていてもほとんど上の空のような状態だ。一応仕事はきっちりやるし、日常生活も破綻していないとはいえ……これはあまりよくないのではないか、とキョウヤとしては思わないことも無い。
「……結構良い風、感じられるな」
「……ルーちゃんだったら、もっと気持ちいい風を楽しめた。お尻もこんなに、痛くならないもん」
「なにより、お前みたいなちんちくりんでも運転できる……うん? あいつに乗るのは運転って言っていいのか?」
「わかんないけど……私だって、小さい車なら座席をめいっぱい前に寄せれば運転できるもん」
「そこまでしないとダメなんじゃないかよ……」
ゆえに、目的地まで車で移動するときはいつもキョウヤがハンドルを握る。そして、こんな風に軽口をたたき合いながら束の間のドライブを楽しむというのが通例だったのだ。
「……コクーンメイデン、最近妙に勢いづいてやがるんだよな」
「いろんなところで、被害が出始めているって言ってたね」
「ゲートの所もなんかヤバそうな連中が集まって騒いでたよな……フェンリルには我々を保護する義務があるだとか、人道的な観点から支援をするのは当然であるとか」
「……アレって、要はお金や配給を寄こせ、安全な住処を提供しろーって言ってるんでしょ?」
「おう。しかしその割には、連中は妙に綺麗な身なりで不思議なことにいつも同じ顔ぶれだ。フェンリル側もそれなりの支援はしているはずなのに、なーんで文句を言いに来る人間が毎回同じなのかね?」
「……」
「しかも目ン玉かっぴらいて、瞳孔がガン開きで……ありゃあ、キマってる人間のツラだよ。アラガミなんかよりよっぽどタチの悪いやべー連中だ」
そんな連中でさえも助けなきゃいけないからやってられない……と、キョウヤは心の中だけで愚痴を呟く。こうして
「何も考えずに、アラガミだけ狩ってるだけでいいのなら……それが一番幸せなのかもな」
「……ルーちゃんみたいな生活だよね」
「だな」
土煙を挙げながらその軍用車は悪路を進んでいく。頬を撫でる風はちょっぴり冷たく、そしてやっぱり埃っぽい。もう少し車高があればこんな汚れた空気を吸わなくても済んだのだろうが、こればっかりはどうしようもないことだ。
「……」
「……」
なんとなく、無言。
話ことが無いのなら、無理に話す必要もない。
よほどのことが無い限りは、チハルのおしゃべりが止むことなんてない。けれど、たとえチハルのおしゃべりがなくとも、別に気まずい雰囲気にはならない程度には二人の間には信頼感がある。
そうして、車を走らせてどれだけの時間が経っただろうか。
「……ついたぞ」
「うん」
かつて聳えていたのであろうビルが悉く瓦礫と化し、良くも悪くも見晴らしだけは良いそこ。普通の車でここを突破するのはなかなかに厳しく、足場も悪いものだから徒歩での移動もそれなりに難儀するようなそこが、今回の作戦エリアだった。
「こちらキョウヤ。作戦エリアに到着しました。……ヒバリさん、聞こえてますか?」
『──はい、聞こえております。五分ほど遅れておりますが、概ね予定通りの到着ですね。周囲の状況はいかがでしょうか?』
「あー……300mくらい先にコクーンメイデンが何体か固まってますね。一応、色は普通のやつですけど、ちょっと量が多いような」
『……異常個体が紛れています。異常個体のオラクル反応が強すぎて、そのエリアに潜むコクーンメイデンの正確な数がわかりません。レーダーを見る限りでは……おそらく一体。間違っても三体はいないはずです』
「ヤバいやつが多くて二体ってことか……」
『周囲一帯に身を潜められる場所はありませんよね? 撤退も選択肢に入る状況だと判断しますが……』
「……倒しちゃいます。今ここで放っておいたら後が大変だし、なんだかんだ言っても攻撃が強いだけのコクーンメイデンだもん」
『チハルさん……』
「私たちだって、ブラッドアーツ使えるもん。それに、異常個体程度に勝てないようなら……その程度でいちいち逃げ帰っていたら、ティターニアなんて絶対に倒せない。遅かれ早かれ戦わなきゃいけないなら、早い方がいい」
『──わかりました。現場の判断を尊重します。ですが……絶対に、無理だけはならさないように』
「……はい」
『キョウヤさん──チハルさんのこと、よろしくお願いします』
「うっす」
積んであった神機を引っ張り出した二人は、彼方に見える敵を見据える。異常個体が紛れているとはいえ、なんだかんだで相手はただのコクーンメイデンだ。油断さえしなければ問題なく勝てるはずの相手であり──そして、この程度で怖気づいているようではティターニアの討伐どころか、先輩たちの支援すらできない。
故に──少なくとも、これくらいなら自分たちで対応できることを示す必要があるのだ。
「念には念を、だ。幸いなことにこいつは結構な在庫がある……使用期限もあるし、出し惜しみなしでいくぞ」
「……」
【強制解放剤 極】。ルーのオラクル細胞から作られた、体力の消耗無しで神機開放状態になれる優れもの。神機開放状態が戦闘にもたらす恩恵は今更語るまでもなく、これさえ使用すれば戦闘準備は万端だと言っていい。
そう、もはや何が起きるかわからないのだ。できることは事前に全てやっておくべきで、注意のし過ぎなんてことはありえないのである。
「いつも通りだ。サクッとぶっ殺して土産《コア》獲ってさっさと帰ろう」
「……うん」
上着のポケットから取り出したアンプルのキャップを外して。
そしてチハルとキョウヤは、それをお互いの腕に突き刺した。
「「──神機開放」」
▲▽▲▽▲▽▲▽
戦闘は概ね、順調であった。
「ラス
「うん!」
固まって生えていた七体のコクーンメイデン。チハルが前衛でキョウヤが後衛のいつものスタイル。神機開放状態で開幕から弾幕を叩き込んでやれば、だいたいのコクーンメイデンは既に瀕死となって……そこにチハルがバスターブレードの一撃を叩き込めば、ほとんどの決着は着く。
──!
「……しぶといっ!」
「いったん離れろ!」
コクーンメイデンの異常個体。通常のコクーンメイデンに比べて明らかに攻撃力が高く、そしてちょっぴりタフだというそいつ。何度か放たれているオラクル弾はヴァジュラでさえも一発で消し飛ばしてしまいそうなほどの威力があるが、しかしそれだけだ。動きそのものは普通のコクーンメイデンと同じで、他に横槍を入れてくる相手がいないのであれば、チハルとキョウヤの二人でも普通に戦うことが出来ている。
「焦るこたぁねえ! 確実に削っていくぞ!」
針の攻撃をチハルが避ける。その隙を埋めるかのように放たれるキョウヤの銃撃。たかがコクーンメイデンを相手取るにしては弾のサイズが大きい──威力の高いバレットを選択しているのは、それだけそのコクーンメイデンのことを脅威と認識している証左だろう。少なくとも、相手を侮っているわけではないというのだけは確かだ。
「こンのぉ!」
──ギャアアアア!?
銃撃でひるんだところに叩き込まれるチハルの攻撃。巨大なバスターブレードが脳天に叩き込まれる──普通であればそれで決着がつくはずなのに、そいつはまだまだ倒れない。異常個体にしても少々タフ過ぎるところをみると、もしかしたら既にこの個体もフラックメイデン化が進んでいるのではないか……と、キョウヤはそんなことを考えた。
「チッ……今のままじゃ時間がかかりすぎるか……?」
たぶん、このまま戦っていれば勝つことだけならできるだろう。
ただし、それはあくまで状況が変わらなければというだけで……時間をかけている間に敵の増援が来るかもわからないし、単純に時間をかければかけるほど、
加えて。
『──緊急連絡!』
「なんすか!?」
悪いことばかり実現する、というか。
嫌な予感と言うのは、往々にして現実となってしまうものらしい。
『せ、赤乱雲の発生を確認! 異常な速度で発達しています! このままだと──60分以内に赤い雨が降ります!』
「うっそだろオイ……天気予報の精度あがったんじゃねえのかよ……!」
赤乱雲。言われてみれば、西の方の空がなんとなく赤くなっているように思えないことも無い。というか、今こうしている間にもみるみる赤く染まっていって……それはもう、憎々しいくらいに大きくて立派な雲になっている。
とはいえ。
「60分もあれば釣りがくる……! こいつをさっさと始末すりゃあいいだけだ!」
赤乱雲のゲリラ豪雨があったとしても。さすがにコクーンメイデン一体にそこまで時間がかかるはずがない。さっさと始末して車でアナグラに戻ればいいだけの話で、よくよく考えてみればそこまで悲観するようなことじゃないのだ。
「聞いたなチハル! 連携してさっさと止めを──!」
「……うん、こいつをぶっ殺せばいいんでしょ」
「チハル!?」
自分も前に出て、ブラッドアーツを叩き込もう──なんて考えていたキョウヤは。
敵の前で動きを止める
「お前が……お前たちが」
ブツブツと小さくつぶやきながら、チハルは腰を落として神機を構える。ヴヴヴ、という独特な鳴動が周囲に響き、それに呼応するようにチハルの中でオラクルが急激に活性化していく。さらけ出ているチハルの手元や首筋には、普段は見えないはずの血管がはっきりと浮き出ていた。
「お前たちのせいで……!」
紛れもなく、チャージクラッシュの構え。それも、ただのチャージクラッシュではなくブラッドアーツだろう。チハルが扱える攻撃の中では最も強力──単純な一撃の威力だけでみれば、このアナグラの神機使いの中でもトップ5に入るほど強力な攻撃だ。
ただしそれは、決して敵の前で棒立ちして繰り出すものじゃない。チャージクラッシュは確かに強力だが、放つ隙があまりにも大きすぎる。普通にそれを使おうとしたら、まず間違いなく放つ前にアラガミに攻撃されることだろう。
「謝ったって……許さない……ッ!」
──!
幸か不幸か、チハルの立ち位置はコクーンメイデンの針の攻撃の間合いのギリギリといったところだ。それゆえに、そのコクーンメイデンも少しばかり悩んでしまったのだろう。針で攻撃するか、オラクル弾で攻撃するか……そんな一瞬の迷いが、結果的にチハルたちにとって悪くない形で現れた。
「なにやってんだお前はァ!?」
「──ぬおりゃぁぁぁぁーっ!!」
──ッ!!
怒声がひとつ。雄叫びがひとつ。悲鳴がひとつ。
発砲音がひとつ。大地を揺らす衝撃音がひとつ。そして──ちょっと遅れて、空気の震える轟音が一つ。
──……。
「……ふう」
物言わぬ残骸と化したコクーンメイデン。頭から足元にかけて押し潰されていて、びちゃびちゃした内臓のようなものがぺしゃっと飛び散っている。所々に特有の焼け焦げたような痕跡があるのは、きっとチハルのブラッドアーツの影響によるものだろう。
真っ赤になるまで熱した鉄製の靴で、配給の缶詰を踏み潰したのなら。きっと、こんな感じになったに違いない。
「ふう、じゃねえだろ!」
「……キョウヤくん」
なんとも言えない虚無感に浸っていたチハルを現実に連れ戻したのは、他でもないキョウヤであった。
「なんであんな危ない真似した!? あいつの最後の砲撃、下手したら当たってたんだぞ!?」
「……針の攻撃には当たらないってわかってたもん。それに……あいつを確実に始末するなら、ブラッドアーツで一気に倒すのが一番だったでしょ?」
「バカ野郎! 俺の銃撃が間に合わなかったら、お前にあの砲撃が直撃してたんだぞ!?」
「キョウヤくんなら、なんとかしてくれるって信じてたもん。それにほら、実際になんとかなったじゃん」
「……ッ! ンなもんただの結果論だろうが! 最後っ屁を許している時点でダメなんだよ!」
「はーい……もう、わかったってば。次からは気を付ければいいんでしょ」
「チッ……まァいい、説教は後でリッカさんにしてもらうからな! 今はとにかく、さっさと、はな、れ……!?」
「……キョウヤくん?」
中途半端なところで途切れた言葉。はて、妙だな──とチハルがキョウヤを見てみれば、キョウヤはどこか遠くを見つめて口をぱくぱくとさせている。なんだかんだで後衛として常に周囲に気を配っているキョウヤとしては珍しい光景と言うか、あまりにも無防備で隙だらけな姿だ。
「どしたの……? ……ヒバリさん、アラガミ反応って残ってますか?」
『い、いえ……先ほどのすごい音とほぼ同時に、周囲のアラガミ反応はすべて消えていますけど……』
周囲にアラガミの姿はない。どこかで何かが戦っている気配もない。
見えるのなんて、瓦礫の山と立ち込める土煙くらい。あとは、最後の砲撃の名残の黒煙くらいしかない。
「……ん? なんであそこ、あんなに煙が出てるんだろ?」
「やられた……! あの野郎、
遠方に見える、黒々とした煙。細く長く空へと昇っていくそれは……紛れもなく、チハルたちが乗ってきた自動車より出ているものだ。
そして、それが意味するのは。
『え……アシって、車ですか……!? まさか、そんな……だって、そこにはもうすぐ──』
「……う、そ」
『──赤い雨が降るんですよ……!?』
「ええ……この
瓦礫しかない──雨避けになるものなんて何もないこの戦場。あと60分以内に赤い雨のゲリラ豪雨が予想されている中で、唯一の移動手段を失ってしまったというこの現状。当然、いくら神機使いの身体能力と言えど自動車の速度で移動できるはずもなく、赤い雨が降る前にアナグラに帰投するなんて不可能だ。
「ど、どうしよう……! 赤い雨が降ったら、私たち……!」
「……落ち着け! いざって時のための防護服がある!」
防護服。それは、赤い雨が降っている中でも活動できるように作られた特注の装備品。言ってみればレインコートみたいなものだが、万が一にも赤い雨に被液することのないように、普通のレインコートにはない様々な特殊な工夫がされている逸品だ。
もちろんこれは、あくまで止む無く赤い雨の中で活動をせざるを得ない非常時のことを想定したものであり、戦闘に耐えられるほど丈夫なものではない。だがしかし、着用していればひとまずは安心できると言える程度には、しっかりとしたものだ。
「で、でも……その、防護服が積まれている車が……!」
『──落ち着いて! フェンリルの特殊コンテナは耐衝撃性、耐熱性、難燃性を備えた超耐久性の特別製です! 車体が燃えたとしても、中身はきっと無事なはずです!』
「その通りだ! さっさと回収しに行くぞ!」
そしてキョウヤは、チハルの手を引いて走り出す。なんとなく、そうしないといけないと思った──チハルの今にも泣きだしそうなその顔を見て、自然とそう動いてしまったのだ。
『こちらヒバリ! 赤い雨が予想される中で、キョウヤさんたちが戦場に取り残されました! 周囲に回収可能な部隊は──!』
オープンチャンネルとなった回線。耳元の通信機で慌ただしくヒバリがやりとりしているのをどこか他人事のように聞きながら、キョウヤは走る。目的のそこに近づくほどに黒煙特有の嫌な匂いが鼻を衝き、そして赤黒い炎が躍っているのが見えてきて……嫌な予感が、どんどん大きくなっていく。
『フランさん! 近くに展開中の部隊はいませんか!?』
『い、いいえ……! 赤乱雲の発生を受けて、ほとんどの部隊が撤退に入っています! 一番近いリンドウさんの部隊でも、合流するのに120分はかかります! 加えて、お二人を回収できるほどの設備・資材的余裕はありません!』
黒い煙。赤黒い炎。近づけば近づくほど──ああ、こりゃもうダメそうだという落ち着いた絶望がキョウヤを包み込んでいく。オンボロでありながらもそれなり以上に丈夫だったはずの車体はもはや元々が車であったとは思えないほど悲惨な姿になっていて、スクラップにする手間すら要らない状況だ。
『──緊急の特別回収班の結成を宣言します! 赤い雨対策を実施した特殊車両と、曹長以上の神機使いを二名以上! 直ちに準備を行います!』
『し、しかし……! 我々にはその権限はありませんよ……!?』
『──俺が許可しよう』
『ジュリウス隊長!?』
『状況は聞いていた。今、ヒロと二人で出撃ゲートに向かっている。各種準備を頼む……今は二人の救出が最優先だ。後のことは後で考えよう』
『……ありがとう! ……お二人とも! ジュリウスさんたちが迎えに行くまで、何とか身を潜めておいてください!』
ああ、この人たちは俺たちのことを信じてくれている──と、嬉しくなる自分。
いや、どう考えてももう無理だろコレ──と、冷静な自分。
防護服が無事なら、あとはアラガミに見つからずに息をひそめているだけで自分たちは助かる。ジュリウスとヒロが来てくれるのなら、きっと何とかなる。いったいどれだけ時間がかかるのか考えたくもないが、逃げに徹するだけなら──なんとかならないこともない。
でも。
そもそも、防護服が無事でなかったとしたら。
「……キョウヤ、くん」
「……久々だなあ。マジに今日が【その日】だって思えちまうのは」
砲撃跡地。
キョウヤ達の目の前には──車だったモノがある。
そう、もはや原形を留めていないそれしかないのだ。
『──バカなこと言わないで! 早く、コンテナを探してっ!』
「いやァ……コンテナどころか、跡形すらないというか……」
『……っ! 諦めないでください……っ! あのコンテナは、車体なんかよりもよっぽど丈夫です……! 爆発の衝撃でどこかに吹き飛ばされていませんか!? よく探せば、きっと、どこかに……!』
「……あっ! あれ!」
車の残骸からちょっと離れたところ。揺らめく炎に紛れるように、フェンリルのエムブレムが刻印されたどこか見覚えのあるひしゃげた箱がある。
「おい、迂闊に近づくな! 火傷すんぞ!」
慌てて飛び出していこうとしたチハルの肩をぐいっと引っ張って押し戻してから、キョウヤは炎の中にあるそいつを蹴って押し出す。ぎりぎり、がらがらと耳障りな金属音と同時に足に伝わってくる重い感覚。なるほどたしかに、見た目こそ結構ボロボロであるものの丈夫であるというのは嘘ではないらしい。
「くっそ、重いな……」
「で、でも! 重いってことは、頑丈ってことでしょ……!? 見た目はボロボロだけど、これなら……! は、早く開けようよ!」
「……落ち着け、チハル。ここまで来たらもう、焦ったって変わらねえよ。……今開けるから、ちょっと離れてろ」
この分なら、もしかしたら。
もしかしたら、本当に──中身も、無事かもしれない。
どうか、お願いします──と柄にもなく神様に祈りを捧げたキョウヤは、素手では触れないほど熱くなったその蓋を、慎重に蹴り開けた。
『ど、どうですか……!?』
「きょ、キョウヤくん……?」
通信機から聞こえてくる、ヒバリの声。
すぐ後ろから聞こえてくる、チハルの声。
「…………」
その箱の中身を見たキョウヤは。
生まれて初めて、心の底から──この世界に存在するかもしれない神様に感謝の気持ちを捧げた。
「喜べ、チハル。防護服、あったぞ」
──びり、びりり。
『あったんですね……! よかったぁ……!』
「……う、そ」
──びりり、びりり。
「な、な……に……なに、やって、んの? キョウヤくん……なに、やってんの……!?」
『……どうされました? 早くお二人とも、防護服を着用してください! そしてできるだけ雨をしのげそうな場所へ移動し──』
「なにやってんのさキョウヤくんッッ!!」
防護服は、あった。
そう──キョウヤはただ、事実だけを伝えている。
『ど……どうしました? というか、さっきから聞こえてくるこのびりびりって音は……』
「あー、ヒバリさん」
心の底からの安堵と、そしてちょっぴりの申し訳ない気持ち。
そんな二つの気持ちが入り混じった、なんとも言えない妙に清々しい気分で──キョウヤは、目の前でぽろぽろと大粒の涙を流す相棒の頭を優しく撫でた。
「
『え……』
「俺が着られるやつは、残ってねえっす」
『そ、んな……』
箱の中にある、もはやボロ布同然のその防護服。
そして──キョウヤの手の中にある、チハルが着るのにちょうどいいサイズの防護服。
「……うん、大丈夫。腕も足もこれならきっちり赤い雨を防げる。こっちのボロも、服にゃ出来んが体に巻くくらいなら十分だ」
『キョウヤ、さん……』
「──
▲▽▲▽▲▽▲▽
なんとかかんとか、チハルに防護服を着せて。
ついでに、ボロボロのそれを念入りに──隙間なんて絶対にできないようにチハルの体に巻き付けて。
どうにかこうにか、ひと段落したところで──ぽつり、ぽつりと頬に感じる冷たい感覚。
「……雨、か」
ふと気づけば──空は真っ赤に染まっていて、そして地面に少しずつ黒い点が増え始めている。どうやら、予想よりもずっと早く赤い雨が降り出したらしい。
「キョウヤ、くん……!」
「おーおー、不細工なツラしやがってよぉ……ラケル博士が言ってただろうが。女の子がそんな顔しちゃいけませんって」
「キョウヤ、くぅん……!!」
「……おい、やめろってば。ここからだと
「キョウヤくん……! キョウヤくん……!」
「……ま、しょうがないか」
ざあざあと強く降ってくる赤い雨。
キョウヤの心は、どこまでも晴れやかであった。
▲▽▲▽▲▽▲▽
約90分後。
土砂降りの赤い雨の中、特別回収班が見たのは。
ゆったりとした防護服に全身を包まれて、わんわんと泣く桜田チハルと。
そんな桜田チハルに抱き着かれた──全身が赤い雨でずぶ濡れとなった、片桐キョウヤの姿であった。
【NORN:データベース更新】
◇片桐キョウヤ
片桐キョウヤ(17)
2072年フェンリル極東支部入隊。現在の階級は上等兵。
出生:1月11日 身長:178cm
ミッション中にアラガミの攻撃を受け、移動手段を喪失。アナグラへの帰投が困難となり赤い雨を全身に被液。防護服は未着用の状態で、被液時間は九十分以上。黒蛛病の感染および発症の可能性が非常に高いため、黒蛛病患者隔離病棟への隔離処置とする。
現在、黒蛛病感染確認のための精密検査の実施中。なお、隔離処置は精密検査結果が出るまで継続するものとする。