「嘘、だろ……」
右手前方にシユウが二体。左手前方にコンゴウが二体。それだけでも絶望的だというのに、その上さらに……ヴァジュラが一体に、ボルグ・カムランが二体。おまけとばかりにそのボルグ・カムランは荷電性の堕天種と来た。
「……ははっ」
自分の口から漏れ出た乾いた笑い声。人間、本当に絶望するとそんな声が出ると言うことを、ケイイチは初めて知ってしまった。
ボルグ・カムラン。神機使いの座学で聞いたことはあるが、実物を見るのはケイイチはこれが初めてだ。
非常に硬質で一部の攻撃以外は一切弾いてしまう強力な盾に、鎧と表現される全身の甲殻。太く長い尾は単純に振り回すだけでも驚異的だというのに、その先端には鋭い針が付いていて、生半可な神機のシールドなんて易々と貫く威力があるという。
それだけでも泣きたくなってくるというのに、雷の力を操る堕天種と来た。通常種でさえ新人が対処するような相手じゃないし、堕天種ともなればベテランが複数人で挑んでようやく対処するような相手である。
そんなのが、二体もいる。
「ど、どうするんですかチハルさん……!」
我ながら情けないとは思いつつも、ケイイチは声の震えを止めることができなかった。この小さな先輩に、縋るように問いかけることしかできなかった。
「どうもこうも……やるしかないでしょ」
ガチャ、とチハルは銃形態の神機を構えた。
──もう、ヴァジュラもボルグ・カムランもすぐ目の前だ。
「ヴァジュラとボルグ・カムランも──私がなんとかする」
「チハルさんッ!?」
止める間もなく。
どこにそんな力があったのか信じられないくらいほどのスピードで、チハルがアラガミたちのど真ん中に突っ込んでいく。
「あああああッ!」
──ギャアアアア!?
コンゴウの顔面への銃撃。奴らが怯んで動きを止めたところで、今度はシユウへ銃撃。側方から襲い来るヴァジュラの雷を纏った爪の一撃を、まるで見ていたかのように飛んで避け、いつのまにやら剣形態に戻していた神機をその後ろ脚に叩きつける。
「こンのぉ!」
足は止めない。止まらない。
ヴァジュラの振りむきに合わせてその背後を取ったチハルは、
──ガアアアッ!?
「っ!?」
凄まじい悲鳴。半ば千切れかけた尾っぽから崩壊したオラクル細胞がぼたぼたと零れ落ち、地面を染めていく。
「神機、開放ぉっ!」
アラガミの細胞を取り込み、チハルの中のオラクル細胞と神機が活性化する。ただでさえ力強く素早かったチハルの動きが、より一層顕著なものとなった。勢いに乗ったチハルはその勢いのまま、鬼神の如き気迫を纏ってヴァジュラを滅多打ちにしていく。
──キァァァァ!
「危ないっ!」
後ろに迫っていたボルグ・カムラン。体全身で回転することで行われる、太い尾による薙ぎ払い。あの巨体から放たれる遠心力が乗った一撃は、今回はさらに雷というオマケもついている。
「うううううっ!」
ギャリリリ、と酷く耳障りな金属音。さっきまで完全に無防備なところを狙われたはずのチハルだったが、目にもとまらぬ早業でシールドを展開してその重い一撃を防いでいる。
俗にいう、ジャストガード。ほんの一瞬、タイミングよく敵の攻撃に合わせてシールドを展開することでその威力を大幅に削ぐという、一部の熟練の神機使いだけが使える技術。
「なめ、んなあーっ!!」
攻撃をきっちり防いだチハルは、その鬱憤を晴らすかのようにボルグ・カムランの盾にバスターブレードを叩きつけた。
(すげえ……!)
七対一という絶望的な状況。だというのに、チハルは一人でアラガミと切り結んでいる。全身のオラクル細胞を活性化させ、人の領域を超えて神機を振るっている。
「受け取ってっ!」
「!」
射出された特殊なオラクル。ケイイチとレイナの全身を包む熱い感覚。ドクドクと心臓が早鐘を打ち、それに呼応するように神機と連結している腕輪が脈動するのをケイイチは確かに感じ取った。
「
「それもリミッター限界の……レベル3! そっか、これなら……!」
神機開放し、全ての能力が向上しているチハル。この段階でも七体を相手にすることができているのなら。
いくら新人とはいえ──そこに、レベル3の神機連結開放によって大幅な能力向上を受けている神機使いが二人も手助けに入ったのなら。
もしかして、もしかすると。
「行ける……! これなら勝て──」
「逃げてぇッ!!」
ケイイチの希望をかき消したのは。
他でもないチハルの──悲鳴にも似た叫び声であった。
「ここは私が引き受けるから! 二人は早く──逃げて!」
冗談でも何でもない。泣きそうなほどの必死の形相で、チハルは心の底から叫んでいた。
「い、嫌ですっ! 先輩を置いて逃げるなんて、そんなの……!」
「ばかっ! 通信機器が壊れてるんだよ!? 二人以外に誰がこの情報をアナグラに伝えるの!? 二人が伝えなきゃ、もっと多くの人が犠牲になるんだよ!?」
「だったら! 三人で戦って勝てばいい! 今の俺達ならきっと──!」
「ばかやろぉッ!!」
それは、チハルが初めて誰かにぶつけた罵声であり──そして、心の底からの懇願であった。
「──私じゃ守れないって言ってるのぉッ!!」
悲しいことに、ケイイチにはそれが真実であると分かってしまった。
あの、小さな体でアラガミをバッタバッタとなぎ倒していた先輩が。
今この瞬間でさえも、信じられない身体能力を以てアラガミの攻撃を捌いている先輩が。
誰よりも頼りになって、小さいのにとても大きな背中を持つ先輩が。
──限界ギリギリの、紙一枚の厚さも無い薄氷の上で踏ん張っている。全力で食らいついて、それでなおこの一瞬の均衡をなんとか作り出しているのに過ぎないということに。
「そん、な……」
ちら、と隣を見れば。
同じく今の状況を理解してしまったレイナが、すっかり戦意を喪失して呆然としてた。
「何をぼさっとしてるの!? 今の二人なら逃げられるからっ! 早く、持ちこたえている間に逃げてよぉッ!」
むしろ、レイナの方が普通の反応なのじゃないか──と、こんな時だというのにケイイチはそんなことを思った。
「ケイイチぃ! しっかりしなさいっ! あなた、男の子でしょ! 男の子なら、女の子の手ぇ引いて守り通すんだよ!」
チハルの体に、細かい傷が増えている。アラガミの集中砲火を受けているのだから、当然の話だ。むしろ、七体に囲まれてまだなおその程度で済んでいるのは奇跡と言ってもいい。
「くっそ……!」
レイナを連れて逃げるべきか。
それとも──助けに入るべきか。
自分が加勢したところでどうにもならないことは、ケイイチが一番よく分かっている。正直言って足手まとい以外の何者でもない。だったらむしろ、何もせずに物陰に潜んでいたほうがまだしも戦闘に貢献できることだろう。
でも、もしかしたら。加勢はできなくても、囮にはなれるかもしれない。チハル一人で戦うよりも、もう少し時間を稼げるかもしれない。その間にレイナがアナグラまで……いいや、通信機器を搭載しているヘリまで戻ってくれれば、救援を要請できるかもしれない。
「ふふ……ケイイチにしか頼めないんだよ。ううん、ケイイチは優しいから、こう言わないとダメかな?」
「え──それって、まさか……!?」
そんなケイイチの考えを見透かしたかのように。
チハルは儚く笑って……懐から取り出した挑発フェロモンのアンプルを、パキっと握りつぶした。
「──命令ぇッ!! お願いだから──逃げてッ!」
「……っ!!」
「あっ!? やだ! 放してよ!」
レイナの腕をひっつかみ、ケイイチは全力をもってその場を離脱する。
シユウも、コンゴウも、ヴァジュラも、ボルグ・カムランも。さながら光に導かれて群がる虫のようにチハルへと突っ込んでいく。チハルの事しか目に映っていないかのように──その挑発フェロモンに惹かれて、本能のままに雄叫びを挙げている。
──ありがとね……カッコいい先輩のままで、いさせてくれて。
土煙の向こうから、そんな声が聞こえた気がして。
「いや! いやいやいやぁっ!」
泣き叫ぶレイナの腕をしっかりつかんで、必死に走って。
「放して! チハルさん! チハルさん!」
自身が泣きそうになりながらも、それでも初めての
「チハル、さん……!」
そうやって、ただただ何も考えずに走って走って、走りぬいて。
──ルゥゥゥゥッ!!
「……くそぉぁああああッ!!」
はるか背後から聞こえてきた落雷のような爆音と、凶悪な雄叫び。
ヘリとの合流ポイントにまで届いてきた戦闘音と、その戦闘が今なお続いているというその事実。
そして──行きと帰りのヘリの乗員数が違うというその現実に、ケイイチは自身の拳を地面に叩きつけた。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「なるほど、紅茶か……! その手があったか……!」
ミッションも無事終了し、アナグラへと帰投する車の中で。未だにチハルに送る記念品を決めかねていたキョウヤは、エミールが出した妙案にすっかり感心していた。
「確かに程よくオシャレだし、女子ってそういうの好きそうなイメージがあるな……!」
「ほかならぬキミの頼みだ、僕の秘蔵の紅茶を分けてあげるのもやぶさかではない……が、あくまで最終手段にしてくれたまえよ? キミ自身が選んだものの方が、チハルくんも喜ぶだろうし」
「なぁに、それこそ気持ちの問題だろ? 大事なのは出所じゃなくて、贈ったっていう事実そのものだ。それに最悪の場合は……」
「ふむ?」
「──腹ァくくってバンダナ着けてやる」
「うっわ……」
キョウヤの隣に座ったエリナが、何かとんでもないクズ男をみるかのような顔つきになっていた。というか、文字通りドン引きしているのだろう。普段は空気を読めないエミールも、今回ばかりは表情が固まっているところにその心の内が見て取れた。
「キョウヤぁ、紅茶はあくまで保険にしてちゃんと選んでやれよ? そうじゃないと俺が紅茶にできないじゃん」
「うっわ……先輩まで……」
「しょ、しょうがねえだろ。急に記念品選べって言われても良いのなんて思いつかないんだし……」
ミッション後の、なんてことのない雑談。とりとめのない話をしている間にはアナグラに到着して、四人は車庫から専用通路を通ってエントランスへと向かっていく。
「お茶会の段取りはカノンが整えてるんだっけ?」
「ええ。リッカさんやヒバリさん……それにムツミちゃんほか、時間の都合がついた人には片っ端から声をかけたと言ってました。今頃はもう、ラウンジに軽食の準備ができているはずですよ」
だから、あとは軽くシャワーでも浴びてラウンジに集合すればいい。そこでゆったりとチハルが帰投するのを待って、みんなでお祝いすればいい。
そうやって今日という一日を労って、また明日も頑張ればいい。
そう思っていたのに。
「……ん?」
エントランスに入った瞬間に覚えた、奇妙な違和感。
なんだか妙に、空気がぴりぴりとしている。緊張感が走っていると言っても良い。いつもの賑やかな喧騒は無く、その代わりに──どこか不安を掻き立てるような、有体に言って不穏な空気が流れている。
「……なんか、あったのか?」
別段、こういう空気になるのは珍しい事じゃない。こんな仕事をしている以上、
「──キョウヤ、さんっ!」
「お前……ケイイチ?」
だけれども。
「おかえりなさい、キョウヤさん。……それと、落ち着いて聞いてくださいね」
「ヒバリ、さん? いったいどうし……待て、ケイイチもレイナもなんでそんなボロボロなんだ? というか、そもそもとして……」
まさか、自分がその当事者になるなんて、キョウヤは想像すらしていなかった。
「チハルはどうした?」
「チハルさんは──MIA(作戦行動中行方不明)となりました」
挑発フェロモン、使ったことないっていう。