GOD EATER:救雷の神鳴   作:ひょうたんふくろう

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111 黒蛛病患者隔離病棟

 

「おっ! なんかちょっと久しぶりっすね!」

 

 黒蛛病患者隔離病棟──その中でも、ほんのちょっぴり広くて豪華な個室。よく言えば清潔感で溢れていて、悪く言えば無機質で生活感のないその部屋を見て、九条はどことなく居心地の悪さを覚えてしまった。

 

「あ、あの、その……」

 

「なーに辛気臭い顔してんですか。こっちとしてはマジでめっちゃ嬉しいんですよ? もう、暇で暇で死にそうだったんですから」

 

 少し厚めのガラスの向こうにいるのは、薄緑の患者衣を着てベッドで暇をつぶしていた少年だ。こんな状況(・・・・・)だというのにそれを感じさせない屈託のない笑みを浮かべており、文字通り、友人や知人に会えてうれしそうな姿を見せている。

 

 ──それがなおさら、九条の心を締め付けた。

 

「……元気そうだね、キョウヤ」

 

「割と本気で、どう声をかけようかなって心配してたんだけど」

 

「ヒロ! ……それに、コウタさん!? もう歩けるようになったんですか!?」

 

「うん。まぁ、俺は大丈夫だけどさ……」

 

 一瞬だけ迷うそぶりを見せてから、コウタは改めてキョウヤの頭のてっぺんからつま先までをじっくりと眺める。釣られるように九条もそれに倣う──も、少なくとも目に見える範囲では例の黒蛛病の紋様は見当たらない。患者衣を着ている以外は、この前と話した時と何も変わらない……これが、致死率100%の病気の末期症状が出ている人間であるのが信じられないくらいであった。

 

「あー……やっぱ、気になります?」

 

「……うん。こうして話していると、本当にいつも通りだから。……なあ、マジに例の紋様が出てるのか?」

 

「──残念ながら、それについてはマジなんですよ」

 

 ほんの少しばかり、悲しそうに微笑んで。

 

 キョウヤは、患者衣の裾をゆっくりと持ち上げる。

 

 露になった(すね)には──悍ましく禍々しい、蜘蛛にも見える赤黒い痣が浮かび上がっていた。

 

「顔とか腕とか、すぐにわかる場所には出てないんですけどね。下半身はだいぶびっしり出てますよ」

 

「……そっか」

 

「一応、この痣に直接触れない限りは感染(うつ)らないって話ですけど。万が一があるので、間違ってもこの部屋に入ろうとなんてしないでくださいよ?」

 

「……」

 

「俺なんかより、コウタさんのほうこそ本当に大丈夫なんですか? ケガもかなりひどかったし、オラクル機能不全もあったんでしょう?」

 

「……あとちょっと遅れていたら、内臓が半分くらい零れてたかもって言われたよ。でも、エリナたちの応急処置と、ルーの癒しの雷のおかげでなんとかなったんだ。だから、飯食って寝てるだけでだいたい全部治った」

 

「……」

 

「一応、今日が復帰初日。最初から無理する気はなかったから、近場でコクーンメイデン倒してきた。で、思ったより早く終われたから、お見舞いに来れたんだ」

 

「マジっすか……今はもう、ここらじゃコクーンメイデンが一番ヤバいアラガミに指定されているはずなんですけど……」

 

 今目の前で話しているキョウヤは、そう遠くないうちに黒蛛病で死ぬ運命にある。そうだというのに、コウタのことを──他人のケガのことを心配している。

 

 心配されたコウタのほうも、ちょっと前まではほぼ寝たきりだったと九条は聞いている。内臓を一部損傷するほどの大怪我をして、大量出血に伴う多臓器不全で非常に危険な状態であったと報告書に記載があったのを確かに覚えている。だから、そんな人間が当たり前のようにアラガミ討伐任務に出ていたと聞いて──ただただ、衝撃的すぎて頭の中が真っ白になったほどだ。

 

 そして、何より。

 

 死に瀕しているキョウヤも、死ぬ一歩手前であったコウタも──九条からしてみれば、17歳と18歳の子供だ。かつての時代であれば高校生と言う扱いの、軍人でも何でもない成人すらしていない子供でしかないのだ。

 

 そんな子供が──死を当たり前に受け入れ、それが自らの傍にあることに何の疑問を抱いていないのだ。

 

「……なあ、ヒロ。病み上がりのコウタさんが駆り出されるほど、今ってヤバい状況なのか?」

 

「……まあ、ね。少しずつだけど、コクーンメイデンによる被害は確実に増えている。フラックメイデンというか、ティターニアの勢力範囲も広がっているみたいで、民間人からも異常な砲撃の目撃例が挙がっていたり」

 

「……」

 

「なんとかギリギリ拮抗している感じ、って言えばいいのかな。普通のアラガミよりも率先してコクーンメイデンを倒してはいるけれど、正直追い付いていない。一応、この辺では被害らしい被害は出ていないけど……」

 

「向こうが本気になれば、いつ攻撃されてもおかしくない……ってか。まぁ、ここも安全じゃないってのは前から言われちゃいたが……」

 

 ティターニアのその異様な生態を初めて聞いたときのことを、九条は今でもよく覚えている。本来であれば絶対に安全であるはずのこの極東支部内でさえも、いつ危険に晒されるかわからない状態だと聞かされて……冷静でいられる人間が果たしてどれだけいるというのか。

 

 かつての平和な時代を知っている人間にとっては、それは紛れもなく──あの日、アラガミの出現によって世界が平和でなくなってしまった時と同じ絶望を突きつけられたに等しいことだ。

 

 おまけに、ティターニアはそのまま放置していると終末捕喰まで引き起こすという。つまり、ただ耐え忍んだり逃げているだけでは問題は解決せず、こちらから凶悪極まりないアラガミに立ち向かう必要があるということだ。

 

「とはいえ、最終的にコクーンメイデンどもをぶっ殺すってことに変わりはないんだよな。……抜け駆けなんてするなよ? その時は絶対俺にも声をかけろよな」

 

「はは……たぶんだけど、嫌だって言っても出撃してもらうことになると思う。ブラッドアーツが使える戦力は、貴重だから」

 

「や、できるだけ俺たちだけで何とかしたいとは思ってるんだぜ? でも、正直……だいぶ、キツいと思う。戦力は一人でも多いほうが良いんだ」

 

「当然っすよ。たとえ命令違反になろうとも、ここ抜け出してついていきますからね」

 

 九条はその話を聞いただけで震えが止まらなかった。あの日と同じ絶望に打ちひしがれて、その日の夜は十数年ぶりに酒を飲んでしまったほどだ。酔ってすべてを忘れたい……ああ、これはきっと悪い夢なんだと思いたかったのに、翌朝もしっかりそのことを覚えていて……その時ほど、九条は自分の脳ミソを恨めしいと思ったことは無い。

 

 なのに、この少年たちは。

 

 自分たちがそんな凶悪な絶望に立ち向かうことに、何の疑問も抱いていない。

 

 どうやって(・・・・・)立ち向かうかは考えていても──立ち向かうことそのものは、確定事項として当たり前のように受け入れているのだ。

 

「あー……そうだ、ちょいと聞きたいことが」

 

「なんだい?」

 

「……チハルのやつ、どうしてる? あの野郎、薄情なことに相棒の見舞いに一回も来てないんだよ」

 

 キョウヤのその言葉。部屋の空気が確かに重くなり──そして、どこか後ろめたそうに声を上げたのはコウタであった。

 

「……ふさぎ込んでるよ、ずっと。それこそ……チハルがKIA判定された時のキョウヤと同じくらいに」

 

「……」

 

「アリサがずっとそばについているから、ちゃんと飯とかは食べているんだけど。夜もずっと泣いているらしくって……正直あんまり眠れてないんだって」

 

「……そう、ですか」

 

「続くようなら、睡眠導入剤で無理矢理眠らせないといけないかもってアリサは言ってた」

 

「……俺が言うのもおかしいですけど、できればそうしてあげてください。サラッと流しそうになりましたけど、アリサさんが毎晩添い寝してやってるってことですよね。アリサさん自身の負担も大きいでしょうし、たとえ無理矢理でもちゃんと寝られる方が絶対いいですから」

 

「アリサのことは気にしなくていいよ。あいつも……昔、けっこー不安定な時期があったからさ。自分はその時周りに助けてもらったんだから、今度は自分が少しでも助けになりたいって言ってた」

 

 桜田チハル。ルーと初めて接触した神機使い。思い返せば、初めて会った時には既にその秘密を抱えていたわけだが、彼女もまた、九条にとっては小さな子供に過ぎない。例え神機使いで通常の人間を遥かに凌駕した身体能力を有していたとしても、どこにでもいる義務教育すら終わっていない子供でしかないのだ。

 

「ありがとう、ございます……でも、思った以上に酷いな……」

 

「……」

 

「アリサさんに任せるのが一番……なのかな。気にすんなって言っても逆効果だろうし……どうしたものかね」

 

 少し前に、九条はチハルと話している。他でもないルーの蛹の前で、ルーのことを頼む──と、そんなお願いをされている。既にその時点で初めて会った時に比べてかなり暗い雰囲気を纏っていたわけだが、今はそのときとは比べ物にならないほど精神的に参っているという。

 

 その事実が、余計に九条の心を苦しめている。自分でもどうしてこんなにも苦しい気持ちになるのかわからないが……ともかく、悲しくて、辛くて、そして情けない気持ちが心の底からずっとずっと湧いてきてしまうのだ。

 

「……あ、あの」

 

 だからこそ。

 

 あるいは、ある種の怖いもの見たさと言うべきか。

 

 視線をさ迷わせ、顔は床の方に向けたまま。気づけば九条は、これはデリカシーが無いだろう──なんて思いながらも、その言葉を発してしまっていた。

 

「ひ、被液事故の報告書を、確認させてもらったのですが……」

 

「あー……アレまだ完成してないんですよ。すみません、中途半端なものを読ませてしまって」

 

「……コンテナの中に、入っていたのは。破れていた防護服は、本当は」

 

「待ってください」

 

 はっきりとわかるほどの、決意に満ち溢れた声。

 

 おそるおそる、九条が顔を上げると──そこには、どこか晴れ晴れしい笑みを浮かべたキョウヤがいた。

 

「俺が着られる奴はあそこになかった──それが全てです」

 

「……」

 

「あいつが着ていた防護服、俺じゃ着られない大きさだったのは明らかでしょ? で、ボロいほうなんて着ていても仕方ないから、適当に破って簡易的なシートにしたって感じです。報告書に記載の通りですってば」

 

 キョウヤは嘘はついていないのだろう。その言葉に偽りも無いのだろう。

 

 けれど、必ずしも本当のことを言っているというわけでもないのだろう。少なくとも、九条がそう思えてしまう程度には報告書の状況説明は違和感のあるもので──そして、今のこのキョウヤの表情を見れば、九条のそんな違和感は予想通りの形で解消しつつある。 

 

「ど、どうして……どうしてキミは、そんな」

 

「どうしてって……さっきから言っているじゃないですか。俺が着られる防護服が無かったから、その時に出来る最善の行動をしただけですよ」

 

「……で、でも」

 

「まぁ……もしも(・・・)破れていたのがチハルの防護服だったとしても、俺の防護服をあいつに着せていたと思いますけど。どこにでもいる神機使いの俺と、ルーを最もうまく扱えるチハルだったら……チハルを生かすべきだ。俺の替えなんていくらでもいるけど、チハルの替えは効かない……あいつの方がはるかに価値がある。どう考えてもそっちの方が合理的だ」

 

「……」

 

「あの時現場でできた最善と、純粋な損得で判断した結果が一致したんだから、それでいいじゃないっすか。もし、感情的な観点での理由づけも欲しいというなら……」

 

 その時のキョウヤの表情を、今の九条ではとても言い表すことはできない。

 

 ただ、それはどこか照れくさそうで、嬉しそうで、幸せそうで──でも、悲しそうな雰囲気でもある、はかなげなものであったのは確かだった。

 

「──女の子を守るってのは、(おれ)の役割です。それが年下の女の子だというのなら、なおさら。……俺は俺の美学と誇り(プライド)に従っただけ。たったそれだけのことでしかないんです」

 

「……っ!」

 

 ここまで言われれば。もはや、本当の答えは明らかになったも同然だろう。

 

 九条も──コウタもヒロも、もちろん気づいている。キョウヤの今の気持ちを、その覚悟を理解できない神機使いなんて、おそらくどこにもいないことだろう。

 

 けれど、それ(・・)を口に出すことなんてできはしない。そんなことできるわけがない。

 

 だって──本当のことなんて、あの場にいた人間にしかわからないのだから。そうである以上、キョウヤの口から語られたそれこそが、紛れもない唯一にして絶対の真実となるのだ。

 

「キョウヤくん……キミは……」

 

「……ま、そういうわけです。ただまぁ、黒蛛病って言っても別に今すぐ死ぬってわけじゃない。見ての通りピンピンしてますし、割とマジで体の方は全然問題ないんですよね」

 

「……」

 

「いや、ちょっと微妙にダルいかなって思ったりしないこともないんですけど、どっちかっていうとこれは……黒蛛病じゃなくて、単純に薄着で雨に打たれたから風邪ひいたんじゃねえかって」

 

「……そうだね。一時間以上もあんな格好で雨に打たれていたら、いくら神機使いでも風邪引くよ」

 

「だろ? それに……俺が神機使いだからかわからんけど、病気の進みも見た目のわりにかなり遅いらしい。この辺は結構個人差があるらしいけど……ともあれ、まだまだ俺は普通に働けるってわけだ」

 

 だから、そんな悲しそうな顔をしないでください──と、冗談めかしてキョウヤは笑う。今にも泣いてこの場から逃げ出しそうになっている九条を見て、あくまで普通になんてことのないおしゃべりを楽しもうとしている。

 

 一番泣きたいのは、死ぬことが確定しているキョウヤ自身だというのに──少なくとも、表面上はそんな様子を全く見せていない。これじゃあむしろ、九条の方が死の宣告を喰らった人間に思えてしまうほどだ。

 

「そんなわけで、俺のことは気にしないでください。こんな仕事をしている以上、それなり程度には覚悟もしていましたから。……だから、俺のことは病人とは思わずにこれからいくらでもこき使ってください。もう、マジでなんだってやりますから」

 

「……」

 

「どーせ老い先短いのはわかりきってるんです。命の無駄遣いをする気はありませんが、有効活用はすべきでしょう? 今まで生かしてもらった分の働きはするつもり……いいや、させてほしいんですよ」

 

「……」

 

「九条博士」

 

「は、はいっ!」

 

 おそらく、きっと。

 

 もし許されたのなら……こんな分厚いガラス越しでの会話では無かったとしたら。きっとキョウヤは、九条の肩を掴んでいたに違いない。無理やりにでもその顔を持ち上げて、真っすぐその顔をのぞき込んでいたに違いない。

 

 そう思えてしまうほど、その声はある種の凄みで溢れていた。

 

「頼みます、九条博士……俺の体は、どうなってもいいんです」

 

「……」

 

「髪の毛でも、血でも。何なら内臓でも。俺の体から採れるサンプルはいくらでも取って使ってください。どんな薬だって飲みますし、どんな治験にだって参加します。たとえそれが非合法のヤバい人体実験だったとしても──構いません」

 

 それはきっと、覚悟と言っていいものなのだろう。

 

 それはきっと、自己犠牲と言ってもいいものなのだろう。

 

 確かなのは──自分の目の前にいるその少年は、自分なんかよりもはるかに誇り高く、そして決してこんなところで死ぬべき人間ではないということだ。

 

 そして同時にまた──どんなに間違ったとしても、こんな覚悟を示していい人間ではないということだ。

 

「だから、どうか──どうか、チハルのことを頼みます」

 

 しっかりと下げられた頭。

 

 どうか頭を挙げてくれ、自分はそんな大層な人間じゃない──と、九条は心の中で悲鳴を上げる。キョウヤのその悲痛な願いを叶えられるほどの能力が自分にあるとはとても思えないし、期待されてもどうしようもない。何とかしてあげたいとは思っても、たかが一個人がどうにかできるほど簡単な話じゃないのだ。

 

 そう──九条はどこまで行ってもただの人間でしかない。博士だなんて大層な肩書で呼ばれてはいるが、どこにでいるただの技術者なのだ。そんな自分に比べたら、命懸けでアラガミと戦うこの少年たちの方がはるかに立派で尊敬されるべき存在だろう。

 

「あ、あの、その……」

 

 逃げ出したくてたまらなくて、精いっぱいに振り絞った勇気。

 

 震える声はあまりにもみっともなく、どこまでもみすぼらしい自分の姿を容赦なく突き付けてきて。

 

 それでも九条は、もはや爪の先ほども残っていない誇りを胸に声を上げた。

 

 

 

「さ、ささ、差し入れでチョコレートを、持って来たのです……」

 

 

 

「……ちょ、チョコレート?」

 

「あ、甘くておいしいと……つ、つつ、疲れた頭にも、弱った心にも、これが効くと……」

 

「……は、はあ」

 

「そ、それに……こ、子供はチョコレートが好きでしょう……?」

 

「……」

 

「だ、だから……これを食べて、元気だしてください……そ、そんな悲しいことなんて、言わないでください……」

 

「……」

 

「ち、チハルくんも。きっと、そう思っているのではないか……なんて」

 

「……」

 

「ええ、はい……」

 

「……」

 

 何一つ、まともにできなくて。

 

 元気づける言葉すら、ろくに思いつかなくて。

 

 大人として、あまりにも情けなさ過ぎて。

 

「は、はは……」

 

 

 

 九条は、何もかもから逃げ出したくなった。





【カルネアデスの板】
 古代ギリシアの哲学者、カルネアデスが出したと言われる問題。「カルネアデスの舟板」ともいう。一枚の板を巡る「他者を犠牲にして自らが生き残る事は罪に問われるか?」という問題が提起されている。
 (原作ゲーム:ターミナルのデータベースより引用)
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