「貴様は一体何を言ってるんだ?」
不機嫌そうな様子を隠そうともせず、フェンリル極致化技術開発局局長兼フェンリル本部特別顧問──グレゴリー・ド・グレムスロワは吐き捨てた。
「え、ええと、その……つまり」
目の前の男──九条が言葉に詰まるたびに、グレムのイライラはすさまじい勢いで募っていく。声は小さく、目も合わせることもせず、そしてその陰気でみすぼらしい雰囲気──と、九条の何もかもがグレムの神経を逆なでる。よくもまあここまで人をイラつかせることができるものだと逆に感心してしまうと同時に、こんな男の話に一瞬でも耳を傾けている自分は聖人なのではないかと思えてしまうほどだ。
そう、九条とは普通に会話するだけで、想像を絶するほどの不快感を伴うのだ。腹立たしいことこの上ないが、仕事だからしょうがなくそれにグレムは付き合ってあげているのだ。仕事じゃなければ視界に入れることすら癪に障るというのに──今回に至っては、その内容もひどく度し難いものときた。
「……おい、もう一回言ってみろ」
「で、ですから、その……」
「……」
どうか、聞き間違えであってほしい。
どうか、何かの間違いであってほしい。
どうか──そんな馬鹿げた話なんてしないでほしい。曲がりなりにも自分と同じプロジェクトに携わる人間が、そんな愚かの極みたいな話をするなんて真似はしないでほしい。
そんなグレムの切実なる願いは、見事に裏切られることになった。
「じ、神機兵を。今開発しているすべての神機兵を、ティターニア討伐の戦力に充てたく……」
自分が思っていたよりもはるかに間抜けだった痩せぎすのその男を見て、グレムの眉間に深い皺が寄る。
「何を言い出すかと思えば……」
ティターニアというアラガミ自体は、グレムも聞き及んでいる。なにやら最近この極東に出現した凶悪なアラガミらしく、そいつのせいで陸路も空路も絶たれ、この移動要塞フライアの移動すら制限されている──事実上、この極東から出られなくなってしまっている。
それだけでも腹立たしいというのに──神機兵の開発すら一時的に凍結されてしまっているのだから、グレムとしては苛立ちを隠せない。ただでさえ神機兵開発計画には遅れが出ていて、それのリカバリーをするためにこの東の最果てという辺鄙なところまで来たというのに、これでは何の意味が無い。
なのに。
そんなこと、フライアの人間であれば誰でも理解しているべきことのはずなのに、
あろうことか、この男は。
「開発途中の、いまだにまともな戦闘データの収集すらできていない神機兵を」
「……」
「いきなり実戦投入しろ──と、お前はそう言ってるのか?」
「……あの、そ、その」
こめかみがぴくぴくと脈打つのを自分でも感じながら。
怒鳴りたくなる気持ちを必死に抑え込んで、グレムは告げた。
「許可するわけないだろうが。バカかお前は?」
「……で、ですが」
反論。口ごたえ。大して自信も無く、人の顔色をうかがうことしかできない人間なのにそんなふざけた真似をする九条のことを、グレムは冗談でも比喩でもなんでもなく、ぶん殴りたくなった。
「なあ、九条」
「……は、はい」
「お前の仕事は何だ? え? いつからお前はアラガミの討伐方針に口を出せるほど偉くなったんだ?」
「……う」
「お前の仕事は神機兵の開発だろ? それすら計画から大きく遅れているってのは……そのおつむでも理解できているよな?」
「……は、はい」
「──理解できていて、どうしてそんなバカなことが言える? なあ? 少しでも遅れを取り戻さないといけない状況の中で……なんで、極東の連中の尻拭いをこっちがしないといけないんだ? そのせいで余計に計画が遅れたり、損害が出たり……最悪の場合、神機兵開発そのものを中止せざるを得ない可能性があるってのは……いくらお前でも、理解できてるよな?」
部屋に満ちる重い空気。じっと睨みつけると九条はびくりと体を震わせ、そしてぎこちなくあちこちに視線をさ迷わせる。その姿がさらにグレムの神経を逆なでし、例えようのない不快感がグレムの胸を満たしていく。
「今一度、バカなお前に教えておいてやる」
「……」
「お前が神機兵の研究をできているのは、俺が金を出しているからだ。神機兵をどう扱うのかを決めるのは俺であって、お前なんかじゃあない。余計な口出しをする暇があるのなら、自分の仕事をこなして俺が満足する成果を出せ」
「で、ですが……」
──ドン!
拳で机をたたき、盛大に舌打ちをして。
目の前で怯える九条を無視して、グレムはこの部屋にいるもう二人の人物に声をかけた。
「──レアくん。それに、ラケルくんも」
返事を待たずに、グレムは続ける。
「君たちがついていながら、どうしてこんなことになっている? 部下の管理くらいはきちんとしてもらわないと困る。今こうしてやり取りしている時間でさえ、損失が発生しているんだぞ」
「ふふ……グレム局長の仰る通りだと思いますわ……」
本当にこいつ、意味わかってるのか──と、グラムは儚げにほほ笑むラケルを見て内心で毒づく。有能で社交的なレアはともかくとして、このフェンリルで随一の頭脳を持つとされる車椅子の女は、良くも悪くも浮世離れしているというか、つかみどころがない。こうして自分が威圧感を見せてもまるで堪えていないようで、どこか他人事のように振る舞っているのだ。
それでも、仕事はきっちり全うするし、神機兵の開発には欠かせない存在だからこうして付き合いがあるが──そうでもなければ積極的に関わることはない人間だというのが、ラケルに対するグレムの印象であった。
「ですが、グレム局長……九条博士がお話していることは、無視できない事実なのですよ……?」
「……たかが新型のアラガミだろう? それも、コクーンメイデンと言う話じゃないか。あんな雑魚にどうしてそこまで過剰に構える必要がある?
「……」
「そんなもの、極東の神機使いに任せておけばいい。
「もはや他人事ではないから、ですね……敵はあまりにも強大で、正直なところ極東支部とブラッド隊が協力しても、討伐はかなり厳しいのです……」
「そ、そうなのです! く、加えてブラッド隊のロミオくんも重傷を負って……! アナグラの神機使いも酷い状態で……! だ、だから神機兵を……!」
いきなり語りだした九条。そのあまりにも楽観的で何も考えていない間抜け面を見て、グレムは淡々と言い放った。
「──バカか、お前は?」
「……ひっ」
「報告書は読んだ。お前がそうも神機兵に固執しているのは……ティターニアとやらに近づくために、大量の戦力を同時投入する必要があるからだろ?」
「……そ、そうです! ま、まさにその通り! これぞまさしく、神機兵の活躍が──!」
「──神機兵を捨て駒にしろと、お前はそう言ってるのか?」
グレゴリー・ド・グレムスロワはバカではない。当然、このミーティングの予定を入れられた段階で……というか、神機兵開発が保留となった時点で関連資料には目を通してある。だから、ティターニアの生態についてもある程度理解しているし、最新の報告書類は逐一全てチェックして現在の状況を正しく理解するよう努めている。
そう──現在の状況を正しく認識している人間であれば、【神機兵を投入する】という行為の意味なんて、簡単にわかるのだ。
「神機兵を捨て駒にして、極東の連中にティターニアを討たせる……なあ、真面目に聞きたいんだが、どうしてこれを俺が認めると思った?」
「……う」
「一刻も早い神機兵の実用化が、我々の使命だ。それなのに、どうして──それと正反対の意見が、よりにもよって、神機兵開発者であり、その責任の一端を担うお前の口から出てくるんだ?」
「……」
「なあ? 黙ってたら何もわからないだろう? 早く教えてくれよ。どうか、納得できる答えを教えてくれよ──
どう考えても、許可できるわけがない。今までかけた金も時間も、そしてこれからの未来でさえも潰すような真似を、できるはずがない。こんなバカげた提案をしたのが目の前の痩せぎすの不健康そうな男でなかったとしても──神機兵開発者の口からそんな言葉が出てくるだなんて、グレムは本気で信じられなかった。
「……こ、ここで」
「……」
こいつの妙な諦めの悪さは何なんだ──と、グレムは本日何度目になるかもわからない舌打ちをした。
「こ、ここで戦力の出し惜しみをしたら……それこそ、取り返しがつかなくなります! アナグラが壊滅したら、神機兵開発どころではなくなってしまう! 我々だって無事でいられる保証はどこにもない! 我々の決断に、未来がかかっているのです!」
「──バカか、お前は? ……いいや、確認するまでも無くバカだ」
「……は?」
「仮に、神機兵を出すことでティターニアを討伐できたとしよう。……神機兵を出すことでこの局面を切り抜けられたとして、
「……い、いや」
「どう考えても、神機兵が壊滅的被害を受けるのは間違いない。その損失の補填はどうやってやる? リカバリーするのに何年かかる? そもそも、リカバリーなんて出来るのか? すべてを失った我々に手を差し伸べる人間がいると、本気で思っているのか?」
「……う」
「ティターニアを討伐できたとしても、負債だけが残って惨めに苦しみながら生きるだけだ。であれば、アナグラだけが壊滅的な被害を受けるほうが、トータルで見れば損失は少ないのは明確だろう?」
「そ、そんな……」
単純な計算。
グレムたちが何もしなければ、おそらくアナグラは壊滅的な被害を受ける。ただし、神機兵については全くの無事が約束される。一時的な戦力低下やアラガミ被害こそ増える可能性はあるだろうが、神機兵さえ無事であれば、将来的にはその問題も解決する。【神機使い】といういろんな問題を抱えているシステムよりも、【神機兵】というシステムの方が、将来的には遥かに有用であるのは疑うまでも無い。
もし神機兵を出撃させたとしたら、そんな希望の未来がほぼ間違いなく潰えることになってしまう。ほんの一時の判断の誤りのせいで、訪れるはずの平和が訪れなくなってしまう。単純に今と同じだけの神機兵を用意するのだって数年はかかるし、そのときにそれだけのオラクルリソースを確保できる保証はどこにもない。今までの割いてきた時間や金……その他あらゆる全てが無駄になりかねない。
であれば。
大局的に見れば──今この瞬間の多少の犠牲に目を瞑ってでも、神機兵を優先するべき。そうすれば、神機使いと言う非人道的極まりないシステムも無くせるし、アラガミによる被害も大きく減らすことができる。アラガミの完全撲滅だって夢ではないのだ。
「そ、そんな……それは、あまりにも……あまりにも」
「あまりにも……なんだ?」
「ひっ……」
「言ってみろ。あまりにも……なあ、なんなんだ?」
「う、うう……」
いったいどうして、ただ話しているだけでこうもイライラするのだろう。いったいどうして、ただ話しているだけでこうも人をイライラさせることができるのだろう。【普通に話す】というたったそれだけのことができないだなんて、この男は今までどうやって人とコミュニケーションを取ってきたのか、グレムは本気で不思議に思った。
「だいたい……そんな後ろ向きな考えでどうする? 未来がどうだとか偉そうな講釈を垂れる割には、終わった後のことを考えていないのはどっちのほうだ?」
「……」
「今のお前の仕事はティターニア討伐のための補助なんだろう? しかしそれは、あくまで神機兵開発の妨げになっている障害を取り除くためのもので、本当の使命は神機兵の開発だ。それ以外にあり得ないんだよ」
「……」
「であれば、神機兵を使わずに何とかするのがお前の仕事だ。それがお前の役割で、果たすべき責任だ」
「……せき、にん。わたしの……責任」
「ああ、そうだ。そうだな、アナグラの連中をうまいこと動かして、なんとかしてどうにかさせ──!?」
柄にもなく、グレムは言葉を詰まらせた。
九条がまっすぐ自分の目を見つめてきたから──ではない。その目に、ある種の覚悟の光が灯っていたから──でもない。いや、それはそれで驚くべきことではあるのだが、そんなことすら忘れてしまうほどの衝撃的な光景が、今目の前に広がっているのだ。
「えっ……!? く、九条博士……!?」
そしてそれは、どうやら幻覚でもなんでもないらしい。普段から何を考えているかわからないラケルは置いておくにしても、あのレアまでもが……ぎょっとした表情で、目を見開いている。
「──どうか、お願いします」
両膝を床について、直に座って。開いた両手も床につけて──そして文字通り、その額も床に押し当てて完全に平伏した姿勢。
「……どうか、どうかこの通りです。どうか……神機兵の出撃を、認めてください……!」
そう、九条は。
この局長室の中で──土下座をしてみせたのだ。
グレム局長のフルネーム、実は知らない人が多いんじゃないかと思っている。