「今この瞬間、私たちを見ている……そこの
誰も手を付けていない、その缶の向こう側。何もないはずのそこを見て、榊は確かにそう宣言した。
「ここまで来たんだ。もう、黙っている理由もないだろう?」
まるでそこに誰かがいるかのように、榊はそこに向かって話しかけている。少なくともリンドウにはそういう風に見えて、そしてあえて語るまでもなく、そこには誰もいるはずがない。
「あるいは……こちらから話しかけないと応えられない、みたいなルールでもあるのかな?」
当然だ。いくらなんでも、こんなところに人が潜めるはずがない。最初から隠れていることも不可能で、後から紛れ込むことだって不可能だ。どんなに気配の薄い人間であろうと目の前のすぐそこにいたら気づかないはずがないし、もしそんな人間がいたのだとしたら──それはきっと人間ではなく、幽霊とか透明人間とか、そんなオカルトあるいはファンタジーな存在だろう。
しかし、それでも。
「…………」
リンドウには。
榊が、いたって真面目に──真剣にそこに語り掛けているようにしか、見えなかった。
「おやおや。……少しくらい、返事をしてくれてもよくないかい?」
「……どこの誰に話しかけているのかしらないが。
「ふむ──まぁ、想像していた通りではあるね」
やっぱり、どこかの誰かに話しかけていたんだな──なんて心の中でつぶやいてから。
リンドウは、改めて榊に問いかけた。
「なぁ、榊博士」
「なんだい?」
「これが最後だ──俺にわかるように、過不足なく、はっきりと一般的な言葉を用いて、簡潔に説明してくれ」
これだけ言っても、たぶん聞いちゃくれない。何度も何度も言っているのに、いつだって榊は肝心なことだけは応えてくれない。
それでも、言わないよりかはマシだから。だからリンドウは、半ばあきらめの境地に達しながらも、言わずにはいられないのだ。
「善処しよう」
「対処してくれ」
なんだかすごくすごく疲れたような気がして。リンドウは、視線だけで榊に続きを促した。
「気づいたんだ。たった一つだけ──都合の良いものがあるんだって」
「あん? そいつは……いつも言っている、辻褄はあうけれど、限りなく低い可能性ってやつか?」
「そういうことになる……のかな。ただ、あえてこう言わせてもらうが──それはもともと、そういうものなのだ」
「…………全然わからねえ。あんたが何を言いたいのか、何を言っているのか。……ああいや、違うな。俺の言い方が悪かった」
「……」
「まず、結論から言ってくれ。そのうえで、俺のほうからわからないことを聞く」
「──じゃあ、遠慮なく」
どこか愉快そうに、榊は語りだした。
「終末捕喰は……地球の大いなる意志によって引き起こされるものだ。この地球は、大いなる意志は、確かに我々を滅ぼそうとしているのだ」
「……」
「──
──世界がしん、と静まり返った。
「──我々を救おうとする、
ティターニア。赤い雨。終末捕喰──人類を滅ぼし、地球上の生命をリセットして再分配しようとする何か──大いなる意志。
そんな、大いなる意志があるのであれば。そんな、大いなる意志というものが存在しているのであれば。
同じような、別のものが存在していたとしても──何ら、不思議はない。
「私はね、ずっと不思議だったんだ──いったいどうして、アラガミがこの地球上に発生したのだろうかって」
「……」
「ただの生物──かつての生物とは明らかに異なる存在であるのは明白だ。我々も含め、生物というのは種族としての繁栄を究極の目標としている。自己を確立し、他者と交わり、そして殖えていく……人も、動物も、植物も、昆虫も、すべての生物がそれを目指す。けれど」
「アラガミは、違う……奴らは喰うだけだ。それ以外には、何もない」
「ああ。しかしそれは、手段の一つに過ぎなかった。アラガミが喰うのは……この地球上のすべての生物を滅ぼすため。アラガミ同士でも喰らいあい、最終的に一つの生物となって
「……」
「では、その生命の再分配はなぜ行われる? いいや、誰がそれを求めている? いったい何のために、どうして?」
「それは……それがよくわからないから、地球の大いなる意志ってことにしてるんだろ?」
改めて考えてみると、たしかによくわからないこと。終末捕喰は地球の大いなる意志によって引き起こされるとは言うが、その大いなる意志とは一体何なのか。生命の再分配をどうして行おうとしているかなんて、それは誰にもわからない。
「むしろ、それはあんたの専門だろ? 終末捕喰を理論上実証したのは、あんたなんだから」
「……終末捕喰とは地球再生のためのエコシステムだ。けれど、誰が、何のために行っているかなんてわからないから【地球の大いなる意志】としているだけだよ」
「……」
「──
「それは……」
「かつての時代。生態系や自然環境というものにも、似たような再生のためのシステムはあった。というか、そう言ったシステムを備えていないものは存在しない。けれどそれらのシステムは、あくまでバランスをとるためのものだ。こんな根こそぎ奪い尽くすようなことはしないし、たとえそういう風に見えても──もっと大きな
だから、アラガミという存在は異質だ。だから、榊はそんな異質なシステムに対する一応の説明として、それを【地球の大いなる意志】と呼称した。今の技術では解き明かすことができない存在を、大いなる畏怖を込めてそう呼んだのだ。
「わかりやすく言うとだね──我々には理解できない何かが存在していて、それがアラガミを生み出して我々を滅ぼそうとしているということだよ」
「それが、【地球の大いなる意志】ってか……でも、少しばかり飛躍し過ぎじゃないか? 自然や摂理ってのはもともとそういうものだろ?」
「……だからだよ」
「……あん?」
「三年前。終末捕喰は確かに起動した。もし、これがただの自然現象なら──それで終わりだ。また、何千万年か経つまで起きることは無い……はず」
「……」
「けれど、実際は違った。終末捕喰をしたはずなのに、一向に地球上の生命は減らない。だから、今度は──
「【地球の大いなる意志】ってのは、ちゃんと世界を見ていて、その都度やり方を変えるだけの知恵があるってか?」
「うむ──【観測】と【干渉】の二つができるのは間違いないと思う」
「……【干渉】? 【観測】はまだしも、【干渉】ってのはちょっとこじつけっぽい気もするが」
「いいや? ほかでもないキミたちが、一番それを実感しているだろう?」
「それは──」
「──《意志の力》次第で如何様にも扱えるのが、オラクルじゃないか」
例えばブラッドアーツ。それは、意志の力でオラクルを顕在化させて武技として扱う技法だ。
例えば《血の力》。それは、意志の力で特別な感応現象を起こし、周囲のオラクルに干渉する特殊能力だ。
例えばリンドウの右腕。それは、意志の力でオラクル細胞を急激に増殖させて──神機によく似た戦闘器官を形作ることができる。
「オラクルはもともと、意志の力に応えて様々な現象を引き起こすという性質を持つ。もしかしたらそのために生み出されたのかもしれないが──ともかく、それは【地球の大いなる意志】、すなわち【すべてを滅ぼしたい】という意志を汲み取り、アラガミという存在を生み出した」
【地球の大いなる意志】そのものの正体はわからない。
けれども。
【地球の大いなる意志】の目的と、【オラクル細胞の性質】が組み合わさった結果生まれたのがアラガミであるとしたならば。
「何でも喰らう。喰らったものの形質を取り込んで強くなる。同じ姿のものは喰わない。だから加速度的に進化して、どんどん手が付けられなくなる。挙げればキリがないが、つまりは」
「アラガミが、こうも地球を滅ぼすのに都合のいい特性を持っているのは──【地球の大いなる意志】にオラクルが応えたからだってのか……?」
「──そうとしか、私には思えなくなってしまった。……オラクル細胞は、約三十年前に発見されたのは知っているね? ある日突然、何の前触れも予兆もなく、突如として見つかって……そして、アラガミが大量発生した」
「……」
「オラクル工学の基礎──すなわち、オラクルの保存技術。オラクル細胞は適切な処置を施さなければ、急速に変異、活性化して周囲のものを喰らい尽くす。それこそがオラクル細胞の性質で、だからこそそれを取り扱う我々が一番最初に学ぶのが、オラクルの保存技術なわけだが」
「……」
「そんなモノが──どうしてあの日あの瞬間まで、大人しくこの地球上で息をひそめていたのだろう? 何千万年も前から確かにこの地球上に存在していたのに、いったいどうして?」
何でも喰らい、その形質を取り込み進化し続けるのがオラクル細胞の性質だというならば。その
「そんなモノが、見つかるまで大人しくしていたのはおかしいから──だから、あんたは【地球の大いなる意志】を見出したってか? そいつの意志でオラクル細胞が活動を始めたのか、あるいはそいつの意志によってオラクル細胞がこの地球上に現れたのかはわからんが」
「うむ……長くなったが、そういうことになる。大いなる意志は常に我々を観測して、自らが望む結果を得ようと何かしらの形で干渉しているというわけだ」
「……」
「──そして、ルーくん。ルーくんもまたアラガミで……そして、我々にとって非常に都合が良い特性を有している。まるでこの時のために産まれたかのような、ね」
「……アラガミは、オラクル細胞はもともとそういう性質を持ってるから。【都合の良い特性を備えて生まれる】ってのは実測済みで、俺たちに都合の良い特性を持っているあいつは……あいつを生み出した意志ってのは」
「我々を滅ぼそうとする地球の大いなる意志──それとは別の、我々を生かそうとする大いなる意志。そんな意志によってもたらされたのが、ルーくんなのではないか?」
「……」
「──加えて、これもやはりこじつけに近いかもしれないのだが」
どこまでも愉快そうに微笑みながら、榊は言葉をつづけた。
「リンドウくん──【心】はどこにあると思う?」
唐突に突き付けられた、よくわからない問いかけ。いいや、おそらくこれもこれからの話に深くかかわってくることではあるのだろう。単純に、リンドウの頭ではそれが理解できないだけで……そして今まで何度も、後になってからその質問の意味に気づいてリンドウは少しばかり悔しい思いをしている。
「…………冷静に考えれば、脳みそだろ。子供だったら、胸って言うかもしれないな」
「──百点満点の回答だね」
だから話し相手として声をかけてしまうんだ──と、榊はにっこりと笑った。
「科学的に考えれば、心……つまり思考や感情は脳が司っている。けれど体感として、心は胸の中にあるように感じることも多い」
【胸に秘める】、【胸が痛い】、【胸を打つ】……などなど、胸と心がそのまま置換できるような、胸を心と同義であるように用いている比喩表現は昔からあるし、そこに誰も疑問は抱かない。科学的に考えないと──科学的に考えてようやく、心は胸の中ではなく脳にあると認識することができるわけで、つまり人間はみな、大なり小なり【心は胸の中にある】という共通認識を持っているのだ。
「そして、ここでの……心としての胸とは、何を指す? キミはいったい、どういうイメージを抱いている?」
「普通に考えりゃ、心臓だな。肺って答えるヤツはよほどのひねくれものだろうよ」
「うむ──そう、心は心臓にあるという漠然としたイメージを我々は抱いている。だからこそ、全身に血液を送るポンプの役割を果たす
「……」
「では、なぜ我々はそんなイメージを抱いているのだろう? ただの血液ポンプにどうして心が宿っていると思っているのだろう? もし心が本当に宿っているとして──それを解き明かすとしたら、どうすればいい?」
「あー……アレか、心としての脳と、心としての心臓の共通点を探せばいいってか?」
「──花丸もつけてあげよう」
「貰ってもあんまりうれしくねェなあ……」
この年になって座学をするだなんて思ってもいなかった──なんて心の片隅で考えながら、リンドウは頭をひねる。確かに言われてみれば、【心は心臓にある】と言われてもそれなりに納得ができるというか、『ああ、子供ならそういう風に考えるかもね』……なんて思える程度には理解ができる。少なくとも、トンチンカンな戯言と聞き流すようなことはない。
「ふーむ……どっちも生き物としての急所だからか? 脳も心臓も、潰されて生きていられる生物はほとんどいない。死ぬってことは魂が無くなるってことだから、そこに魂……つまりは心があると感じている、とか?」
「なるほど……! その発想は私にはなかったよ……! いやはや、実に
「……
「──そこに《意志の力》があるから、だね」
意志の力。心臓にはあくまでポンプの役割しかないと言ったその口で、榊は心臓に意志の力が宿っていると確かにそう言ったのだ。
「おっと、そんな怖い顔しないでくれよ」
「……」
「──意志とは何か? その答えを明確に出すのは我々の今の科学では不可能なのだろう……けれども、わかっていることもある」
「次、もったいぶったことを言ったら怒るからな」
「──電気だよ。脳というのは電気信号で情報をやり取りしている。感覚も、思考も、感情さえも……突き詰めて言えば、その最小単位はただの電気でしかない。そう、意志とは──つまりは、電気なのだ」
「あっ……!?」
「そして心臓は常に動いている。この世に生まれ、そしてその生を全うするその瞬間までずっと。そんな心臓を動かしているのは」
「──それも、電気か!」
心臓とは全身の血液を循環させるためのポンプの役割を果たす器官である。そしてそんなポンプは、洞結節と呼ばれる部位が生み出した電気信号によって動いている。
そう──思考にも、感情にも関係なく。自分の意志に関係なく、死ぬまでずっと、そこに電気が満ちているのだ。
「心臓には脳と同じ
「無論、科学的な証明はできないが──しかし、全くの眉唾な話というわけでもなくてね。……記憶転移という言葉は知っているかい?」
「知ってると思うか?」
「──心臓移植前後で、
「もし、心臓に心が宿っているなら──意志を生み出す心臓が違うのなら、説明ができるってか」
「脳で生み出す
「……」
「──これで、《意志》とは電気の力であるとも受け取れることが理解できたと思う。思いも、感情も、祈りも──そして、【大いなる意志】でさえも。今の我々に理解できないだけで、その本質はきっと電気と同じところにあるのかもしれないんだ」
「──そうか! だから、だからあんたは……!」
ガルム神属。炎の力を操るアラガミ。原種のガルムも、そしその感応種たるマルドゥークもすさまじい炎を操っているのに。
同じガルム神属であるルーが操るのは。その白き荒神が司るのは──雷だ。
「オラクル細胞は、意志の力に応えて変化する。であれば」
それが意味することは、すなわち。
「我々を救おうとする大いなる意志──その化身は。雷を纏い、神鳴を轟かせて現れる……そんな、救いと豊穣の象徴たる
リンドウたちにとってあまりにも都合が良すぎる存在であるルー。
アラガミとは、オラクルとは意志の力に応えて生まれるものであり。
そして、意志の本質は電気で──人々に豊穣を齎すその神明もまた、神鳴すなわち雷なのだ。
「だから、ルーは雷の力を操ることに長けている……もともとが、そういう本質のものだからか」
「うむ。そして、《意志》と電気が本質的には同じもので、今の我々では解明できない繋がりがあるとしたら──最後に残った謎も、なんとなくその正体がつかめてくるんじゃないかい?」
「あん? なんだよ、それって……」
「──蒼い雷から見つかった、九つの《血の力》の最後の一つだよ」
「あっ……!?」
「電気とは意志。そして《血の力》も意志の力なのだから」
「九番目の《血の力》は……あの蒼い雷に残っていたのは【救う意志】の痕跡だってのか!」
この極東エリアに轟いた蒼い雷。それはルーの能力の一つとされているが、より厳密に言うと──ルーが蛹から復活する前に、あの蒼い雷は発生している。つまり、ルーの蛹に落ちたと思われる──
「【救う意志】が、あの蒼い雷を使ってルーくんの復活のきっかけを与えたのだとしたら? あるいは……チハルくんをはじめとした、みんなの意志に【救う意志】が応え、それに呼応してあの蒼い雷──オラクルによる放電現象が発生したのだとしたら? どちらであったにせよ、そうであるならば蒼い雷に《血の力》……すなわち、意志の力の痕跡が残るはずだ」
「ルーと同じく解明できないものを……あんたは、同質のものであると解釈したのか……」
救う意志。意志と電気。電気──雷を司る、意志に応える
「最初から……最初から、ヒントはそこら中にあったんだ」
「……」
「ルーくんはなぜ、ヒトを襲わない? なぜ、ヒトを喰わない? 普通のアラガミのはずなのに、いったいどうして?」
「……」
「少なくとも、我々の今の科学力ではルーくんは普通のアラガミであると結論付けるほかない。ルーくんに特別な何かがあると思ったけれども……そういったものは、一切見つけられなかったのだから」
「……」
「普通のアラガミであるにもかかわらず、ヒトを捕喰対象として認識しない。捕喰衝動にも飲まれない。どう分析しても普通のオラクル細胞にしか見えないのに、ルーくんのオラクル細胞は……その一点のみにおいて、既存のそれとは明確に異なる挙動を示す。どうしてそうなるのか、我々では解明できない」
「けど……あんたは、蒼い雷から【救う意志】の存在を仄めかすものを見つけちまった。九番目の《血の力》と、意志に応えるオラクル──アラガミという都合の良い存在を紐づけて考えた」
全ての事実と、そこから想定され得る可能性。
想像の翼をはためかせ、星の彼方の更にその向こうの世界に辿り着いた榊の結論。
「──ルーくんは、アラガミでありながらアラガミではない存在だ」
ルーは普通のアラガミだ。それは間違いない。
ルーは特別なアラガミだ。それも間違いない。
二律背反のその事実は、【大いなる意志】という大前提が崩れることで、両立するのである。
「ヒトを滅ぼそうとする地球の大いなる意志に応えて、ヒトを滅ぼすのに都合の良い特性をもって生まれたアラガミ」
「……」
「ヒトを救おうとするまた別の大いなる意志に応えて、ヒトを救うのに都合の良い特性をもって生まれたルーくん」
「……」
「どちらも同じアラガミで、オラクルという原材料は同じだけれど……製造元も、設計コンセプトも異なるんだよ。だから、ルーくんはヒトを喰わないんだ」
本質は同じであっても、それをこの世界に遣わした存在が違うから。
本質は同じであっても、それを造った目的が違うから。
だから、榊たちには同じにしか見えなくても……その存在意義が、決定的に異なるのだ。
「結局のところ、終末捕喰はルーくんがどうにかしてくれた……が、ルーくんは終末捕喰を喰い殺したわけじゃない。厳密に言えば、ルーくん自身がノヴァになって終末捕喰を起こしている最中と言える」
「……三年前とは違って、終末捕喰は間違いなくこの地球上で発動している。だから、赤い雨や感応種みたいな【対応策】は現れない?」
「少なくとも、しばらくは大丈夫のはずさ。今回の終末捕喰は、なぜだか非常にゆっくり進行し、なぜだかとても好き嫌いが多いだけなのだから。【地球の大いなる意志】がそれに気づくのにどれだけかかるのかはわからないし……もし別の策を打たれたとしても、【また別の大いなる意志】の介入がきっとあることだろう」
「ルーの存在が……終末捕喰を封じ込めるのに都合の良い能力を有しているという事実が、それを証明している……
「もともと、アラガミ自体が滅びの意志──終末捕喰のためにある日突然生まれたものなんだ。であれば、救済の意志──人類の終焉を防ぐためにルーくんがある日突然生まれたとしても、不思議はないというわけだ」
普通でありながら特別な存在であるルー。
そんなルーは、【地球の大いなる意志】による人類の滅びを防ぐため──【ヒトの救いを願う大いなる意志】によって、ある日突然この世界に生まれ落ちた。
どこまでも自然で、果てしなく奇跡的なこの出会いの裏には。
そんな意味があったのではないか──と、榊は推測したのだ。
「それが……あんたの辿り着いた
「うむ。長くなってしまったが……これらすべての偶然や奇跡は、大いなる意志によって運命的にもたらされたものではないか、ということだよ。奇跡というそれそのものが、理外の枠からの干渉を受けているというのであれば、私も納得ができる……というわけさ」
それこそが、榊の辿り着いた結論。偶然や奇跡を受け入れつつも、さらにその先へと思いを巡らせた結果得られた答え。この世界の中だけではなく、世界の外まで──観測する自分すら観測する立場となって、榊はそこに至ったのだ。
「言いたいことは理解できた。もったいぶった言い方をするのも、話すのを渋った理由もわかった」
「それはよかった。さすがに荒唐無稽すぎて疑われるのでないかと、内心ひやひやしていたからね」
「けど……さすがに、ロマンチックが過ぎやしないか?」
「ふむ?」
三本目の缶をちらりと見て、リンドウは榊に問いかけた。
「結局その最後のジュースは【俺たちを救おうとした意志】……要は、俺たちの話を聞きに来た神様に出したものってことなんだろ?」
「うむ。先ほど言った通り、大いなる意志は我々をいつだって見ているからね。そして、もし私がその大いなる意志だとすれば──私とキミのこの会話は、ぜひとも聞いておきたいと思うだろうから」
「……」
「そうでなくとも、相手は本気で我々のことを救おうとしてくれるほど友好的な存在だ。気持ちばかりではあるが、お供えの一つくらいはあってもいいだろう? ……神前に供えるなら、神酒──つまりは酒にするべきかとも思ったのだが。酒が飲めない可能性も考慮して、ジュースにしたというわけだ」
「なんだよそのよくわからん配慮は……というか、大いなる意志ってのがマジにいたとして、ジュースなんて飲めるのか? というか、この場で話を聞くとかそういう感じになる……のか?」
「さあ……もしかしたら、カメラで撮った映像を見ているような感じなのかもしれないし、本を開いて小説を読んでいるような感じなのかもしれない。それこそ透明人間や幽霊のようにこの場で実際に見聞きしているような感じなのかもしれないし……あるいは、我々では想像すらできない知覚方法を使っているのかもしれない」
「……」
「いずれにせよ、神様のような大いなる意志であれば──時間や空間なんて関係あるはずがない。好きな時に、好きなように、知りたいことをしれるはず。そして、当然【干渉】もできる」
「……それって、つまり」
最後に残った、三本目の缶。
何の変哲もないはずのその缶が──リンドウには、なぜだかとても恐ろしいもののように思えてしまった。
「うむ──
「………………飲む、かも」
ルーという存在を遣わしてまで、人間を救おうとするほど人間に友好的な存在であるならば。なんだかんだで一連の立役者である榊のその心遣いを無碍にすることなんてしないだろう。むしろ、自分たちに気づいてくれて嬉しい……そんな感情すら抱く可能性も捨てきれない。
つまり。
「私たちを見守ってくれる意志がいるのなら──飲んでくれている、はず」
「それを俺に確かめろってか……!!」
榊は黙って、にっこりと笑っている。こんなあまりにも榊好みの展開なのに、どうやら自分で確かめるつもりはないらしい。あるいはそれこそが、《星の観察者》としての榊の在り方なのかもしれなかった。
「なぁに、ただのジュースの缶だ。ちょっと調べてくれるだけで良いんだよ」
「けっ」
リンドウは改めて、そのオレンジジュースの缶を見てみた。
「……」
パッケージは紛れもなくオレンジジュースのそれだ。プルタブにおかしなところはなく、開封された形跡はない。この場に出されてから随分と時間が経ってしまったために、缶の表面には汗が──結露によって水滴がついている。
けれども。
「──普通の、何の変哲もない缶だな」
程よい重さ。冷たくはなく、だいぶぬるくなっているこの感じ。そして──左右にゆっくり揺らすとちゃぷ、ちゃぷ……と、小さく音が聞こえる。
──誰がどう見ても。どう考えても紛れもなく、未開封のぬるくなったオレンジジュースでしかない。
「当然っちゃ当然だが、中身が減っているってことも無さそうだ」
「……そう、か」
「どうやら、俺たちを助けてくれた大いなる意志ってのは……ずいぶんと、控えめな恥ずかしがり屋みたいだな?」
そう、缶ジュースは──どこまで行ってもただの缶ジュースでしかないのだ。
「まぁなんだ、言っちゃなんだがこれが当然の結果ってやつだろ? それに考えても見てくれ──もし、本当に中身が減ってたらどうするんだよ?」
「…………そこまでは、考えてなかった」
もし、ここに【大いなる意志】がいたとして。もし、三本目のジュースを使うことでその存在を証明することができたとして。
そのあとのことを──榊は、全く考えていなかったのだ。
「おいおいおい……なんだよ、それじゃあマジにその【大いなる意志】がいるかどうかを確かめたかったってだけなのか? そのためだけに、俺をこうして呼び出して、ジュースを使った小細工までしたってのか?」
「ははは……そうなるね。いや、せっかくだからお礼の一つでも言うべきなのかな? 向こうにとっては勝手にやったことだろうけれども、それで我々が助かったのは事実なのだから」
それはきっと、ただの自己満足にすぎないのだろう。そこにはきっと、大して意味なんてないのだろう。
しかし、それでも。
榊は──ここではないどこか遥か遠く、
「はるか遠くのキミたちへ。助けてくれて、本当にありがとう──願わくば、今後もずっと仲良くやっていきたいと思っているよ」
「……あー、俺からも礼を言わせてもらうぜ。……なんかちょっと気恥しいな、コレ」
────こん、こん。
静かな部屋に響く、ノックの音。
二人の体が、ぴしりと固まった。
「……えっ?」
「いや……まさかそんな」
ただのノックの音だ。きっと、誰かがこの部屋を訪ねてきたのだろう。榊の立場上、来客というのはそう珍しい話ではないし──このアナグラは、とてもアットホームな笑顔あふれる職場だ。一番偉い人の部屋であろうとも、割と気兼ねなく訪問することはできたりする。
けれども、今回に至っては。
あまりにも、タイミングが運命的すぎる。
「──空いてるよ、入ってきてくれ」
慎重に、少し震える声で榊が入室を促す。
ほとんど音を立てることもなく、その重厚な扉がゆっくりと開いて。
「榊博士ぇ! ピクニックにいきませんか!!」
「うふふ……嫌だと言っても、ついてきてもらいますからね?」
──入ってきたのは、ラケルとその車椅子を押したチハルであった。
「……どうされました? 二人してびっくりしたような顔をして」
「ああ、いや……なんでもないんだ」
「……ふふ。もしかして、
「ははは……そういうラケル博士こそ、ジュリウスくんとの秘密のお茶会を何度も開いているようだが」
「……もぉーっ! よくわかんないけど、喧嘩はしないって約束しましたよね! そーゆー偉い人同士のお話は、今は禁止っ!」
頬を膨らませたチハルが、怒ってますよ──と全身でそれを表現している。そんなチハルをラケルは楽しそうに眺めていて、そしてリンドウは、出会った瞬間にまるで示し合わせたかのように二人だけの世界で牽制しあった榊とラケルのことを、呆れたように見つめていた。
「……嬢ちゃんの言う通りだな。どうせもう何も気にすることなんてないんだ。いい加減あんたらも、腹ァ割って話したほうがいい」
「ふふふ……なら、ちょうどいいとっておきのお話がありますよ」
「うん?」
「ヒロくんが、みんなでピクニックをしようって! ここのところずっとみんな頑張ってたし、ここらで息抜きを兼ねてパーっと騒ごうよって企画してくれているんですよ!」
ピクニック。リンドウの記憶が確かならば、それはお弁当などを持って外に遊びに出かけるというイベントの一つだ。あいにくリンドウもピクニックをした記憶はなかったが、それでもそれがどんなものなのかくらいかは知っているし、パーっと騒ぎたいというその気持ちには大いに賛同することができた。
「ジュリウスさんもすっごく乗り気で! もちろんコウタさんたちもやる気満々で! ……あとはもう、リンドウさんと榊博士だけなんです!」
「おっ、そりゃあ嬉しいお誘いだが……けど、どこに行くんだ?」
「訓練室です!」
「…………えっ?」
「訓練室なら、その……前みたいに変なことにはならないかなって。それに、アナグラの中ならラケル博士も一緒に参加できるし……あと」
「そうだね──ルーくんもまた、我々の仲間だ。訓練室であればルーくんも参加できるし、エイジスにピクニックに行くよりもよっぽど安全だ」
だからつまり、これはピクニックという名のおつかれさま会だ。絶対安全なアナグラの中で、ルーも入れるほど大きな部屋が──というか、ルーが入った実績のある部屋が訓練室だけだから、だからそこでみんなで楽しく仲良く飲み食いをしようということなのである。
「あの、その……榊博士もリンドウさんも、お忙しいことはわかっているんです。でも、せめて……ほんの少しだけでも、参加してくれたら嬉しい……です」
「ははは──もちろん、喜んで参加させてもらうよ」
「だな。さすがにそんな顔でお願いされたら、断れるはずもねえや」
ぐうっと大きくリンドウは伸びをする。先ほどまでのどこか緊張した空気はすっかり霧散して、なんだか支部長室の中が明るくなったかのよう。やっぱり若者が一人いるだけで随分と違うもんだな──なんてどこか失礼なことを考えながら、リンドウはようやく訪れた平和な空気の余韻を楽しんだ。
「そうだ、嬢ちゃん」
「……ぬ?」
「オレンジジュース、飲むか? 一本余っちまったんだよ。ちょっとぬるくなっちまったが……それでもよければ」
最後に残っていた、三本目のオレンジジュース。何の変哲もない、すっかりぬるくなったその缶を手に取ったリンドウは、きょとんとしているチハルにそれを手渡した。
「え……いいんですか?」
「おう。俺も榊博士も一本飲んだからな。……おっと、ほかの連中には内緒にしてくれよ?」
「……ありがとうございます! じゃあ、この場で飲んじゃいますね!」
良かったら、ラケル博士もはんぶんこしますか──なんて笑いながら、チハルはそのプルタブを景気良くひねった。
そして。
「……あれっ?」
「どうした?」
「いえ──これ、オレンジジュースじゃないみたいです。なんかすごく甘い匂いが……」
「「……えっ?」」
「……あら? チハルさん……ちょっと失礼」
「……ラケル博士?」
「…………これ、【初恋ジュース】じゃないですか! ま、まさか再販していたんですか!?」
「「えっ」」
とんでもない劇物を見てしまったかのような目で、チハルがラケルの手にある缶を見つめる。
同じく──いいや、それとはまったく別の理由で、リンドウはその缶から目を離せなくて。
そしてやっぱり──榊もまた、信じられないと言わんばかりにその缶を凝視していた。
「ええ……【初恋ジュース】って、コウタさんたちがすっごくマズ……美味しくないって言ってたやつですよね……? ……あっ、もしかしてピクニックの余興に使うってことですか? でも、だったらどうして私に飲めって……」
「……どういうことだよ、榊博士。あんた、アレは自販機で買ったって」
「…………この前、自販機に入れたものが混ざった……のか?」
「……オレンジジュースのパッケージだぞ」
「だ、だが……それしか考えられない。そうでなければ──ありえない」
「…………よくわかんないですけど、面白いから混ぜたってことであってます? そーゆーの、コウタさんとか好きそうだし!」
にこにこと笑いながら、それでいて信じられないものを見ているかのように、チハルは初恋ジュースを嬉しそうにちびちびと飲むラケルを見つめている。漂ってくる甘い香りは間違いなく初恋ジュースのもので、少なくともオレンジのさわやかな香りでないことだけは間違いない。
そう──最後の三本目の中身は。オレンジジュースの缶に入っていたそいつは。
ここにあるはずのない、初恋ジュースだったのだ。
「…………面白いから、か? 中身が減るよりも、そのほうが面白いから……だから、そうなった?」
「神様ってのは随分と気まぐれで、わけがわかんねえ存在なんだな……まぁいい」
大いなる意志。そんなものが存在していたとしても。
どうせリンドウは──いいや、この世界にいる誰もが、自分の足で一歩一歩歩いて、そして生き抜いていくしかないのだ。
「さぁ、さっさと残りの仕事を片付けて──ピクニックに出られるように、頑張らないとな」
次
回
、
最 終 回
GEにおける【スターゲイザー】の和約が【星の観察者】なのか【星の観測者】なのか調べてもよくわかんなかったっていう。少なくとも公式設定資料集には特に記述はありませんでした。
なお、あえて語るまでもないですが137話からのお話の多くは独自解釈です。でも「オラクルの保存技術はオラクル細胞の研究者が初歩に学ぶものである」等はNORNにも記載がある公式設定だったり、「心臓移植すると性格や好みが転移する」は現実で確認されている事象だったりと、割といろいろごちゃ混ぜになっています。
結局、なんで我々は「こころ」が心臓にあると思っちゃうんでしょうね……?