「──ルーくんは、もしかするとアラガミ化した元人間ではないだろうか?」
「……っ!?」
何を言われたのか、一瞬リンドウは理解ができなかった。
さっきまで自分たちは、ルーという非常に賢いアラガミについて話していたはずだ。そのアラガミが、どうやって意思の疎通をしているのかについて長々と話していたはずだ。実際の調査結果の報告書を読みながら、ああでもない、こうでもないと意見を交わしていたはずだ。
なのにいったいどうして──そんな物騒な話が出てくるのか。
「ソーマくんの指示を理解できなかったのが、言語そのものが理解できなかったからだとして。つまりそれは、他の指示については言語を直接理解していたということになる。そうであれば、右に進め、左に進め、また右に進め……という【ジグザグに進め】という指示を、乗り手の指示ではなく、課題そのものを言語として理解していたためにスムーズにこなせたという説明も付く」
「だけどそれは、あり得ないって話だったよな? 言語を伝えることは可能でも、それには時間もかかるし技術がいる。それに、シオという前例もあるからって……」
「その通り──
「おいおいおい、待ってくれよ……! あいつ自身、今回初めて見つかったアラガミだぜ? そんなアラガミが誰に言葉を教わるってんだ? まさかサテライトの連中が隠れてあのアラガミを飼いならしていたとでも言うのかい? それとも……フェンリルの上層部が極秘で研究していたサンプルだとか?」
「それこそまさかだよ。サテライトにそんなことができるはずもない。悲しいことに、フェンリルの件については否定ができないが……だとしたら、とっくにこのアナグラに強制介入されているはずさ」
「じゃあ、いったい──ああちくしょう、そういうことか!
「そう……ルーくんが最初から言葉を知っていたのは、元々が人間、すなわちアラガミ化した元人間であるから。そしてアラガミ化して生きているのは──リンドウくん、キミしかいない」
指示に対する聞き分けが良いのは、命令そのものを言葉としてはっきり理解しているから。そしてアラガミなのに言葉を認識し、理解できるのは……元々が人間だったから。だからこそ、人と触れあう前から人の言葉を理解し、そして友好的な態度を見せているのではないか。
長くなったが、榊博士が言いたいのはそういうことであった。
「もちろん、アラガミ化して意識を保っていた人間は今までに存在しない。もっと言えば、ここ最近でアラガミ化してしまった人間も──少なくとも、このアナグラの管轄の中では存在しない。念のため本部のデータベースの確認もしてみたが、該当するものはなかった」
「なのにどうして、アラガミ化した元人間って可能性を疑った? たまたまソーマとは感応現象としての相性が悪かっただけって可能性もあるだろ? むしろ、元人間ってよりはそっちの方がよっぽど説明もつく」
「……チハルくんのオラクル反応が確認されたあの日。状況を説明する中で、キミたちの目の前で私はこう言ったね。……『わざわざゆっくりアナグラに向かってきているのは、同行しているチハルくんが指示をしているからだ』と」
「ああ、言ったな」
あの日。ロストしていたチハルのオラクル反応が突如と復活して、そして大きなアラガミのオラクル反応と共にこのアナグラへと向かっている事実が判明して。推測されるアラガミの機動力の割には随分とゆっくりとした動きであることに対し、榊はたしかに、そう言ってのけた。
「だけど、実際のチハルくんのヒアリングでは……特に、そういった指示はしていないという話だった。あれは純粋に、ルーくん自身の意志にほかならない」
「……」
「ではなぜ? どうして? どうしてあの時だけ、ルーくんはゆっくりとこちらに向かってきたのだろう? いいや、それ以外にも……なぜあの日、ルーくんはジャミングを解除した? そもそもいったい……どうして、アラガミなのにチハルくんを助けた? シオくんの時とは違い、ルーくんと我々人間の姿形はあまりにも違いすぎているというのに!」
「……」
「そう……実に、実に都合が良すぎるのだ! まるで──我々の内部事情を知っているかのようではないか! そして我々の内部事情をこうも理解しているのは、神機使いを除いて存在しない!」
「……だから、アラガミ化した元人間だって考えたわけか」
未だ燻り続けていた小さな謎。そして今回の報告例を以って──榊は、その結論に至ったのだ。
「本当に面倒くさい人だよなあ……! 最初からそう言ってくれれば、こっちだってそのつもりで話を聞いたんだが」
「だって……『聞き分けが良いのにソーマくんの指示を聞かなかったから、ルーくんは元人間です』といって、キミは聞く耳を持ってくれたのかい?」
「……」
持つはずがない。そんな素っ頓狂なことを言われてはいそうですか──と黙って話を聞けるほど、リンドウは耄碌していない。いいや、たとえリンドウでなかろうとも、詳しい説明とその根拠を求めたことだろう。
「いきなりそんなこと言ったら、【順を追って説明してくれ】って言うだろう?」
「……」
「だから、言われる前に順を追って説明した──と、いうわけだ」
「……わかったよ、降参だ。俺が悪かった」
「別に、言い負かそうとしたわけではないのだが……」
「けっ」
加えて言えば。人間がアラガミ化するというこの
「さて。話は長くなったが……アラガミ化した時のこと、教えてくれるかい? 何か重要な手掛かりがつかめるんじゃないかと、結構期待しているんだ」
「センシティブな話ってのはそれか……嫌だっつっても、聞くんだろ?」
「本気で嫌というのなら、控えるつもりだけれど」
お互い、長い付き合いである。もはやそんなの、答えるまでもなかった。
「
「……
「その辺はさっぱりだ。だが、仲間を守ろうとして、仲間を傷つけそうになって……必死にこらえて、逃げ出したってのはぼんやりと記憶にあるような? だけど、自分が自分だって認識もほとんど無かった気がするな……」
「ふーむ……僅かなりとも意識があったのは間違いなさそうだが。キミの主観で構わないのだが、ルーくんがアラガミ化した元人間だとして、今のルーくんに人間としての意識はあると思うかね?」
「可能性としては無くはない、と思う。だけど、アラガミ化しているのに関わらずあんなにも落ち着いて、あんな風に人間を助けたり言葉を理解したりってのは絶対に無理だ。個人的な意見としては、アラガミ化した元神機使いってのは無いと思うぜ。それに……」
「それに?」
少しだけ思案してから、リンドウは小さく告げた。
「もし、人間としての意識があったとしたら──そんなクソみたいな現状に、堪えられるはずがない。真っ当な人間が、アラガミとの喰らい合いを常に強要される環境に放り込まれて精神を保てるはずがない」
「それは……」
「少なくとも俺ァ、人の意識を保ったままアラガミになっちまったとしても……アラガミを喰いたいとは思えねえだろうな。美味そうに見えないってのもそうだが、神機も使わず、この口でアレらを喰うのは……ヒトとして、強い忌避感がある」
「……」
「
「正真正銘、人間ではなくただのアラガミというわけだね……いやはや、実に参考になる意見だよ」
いつも通りの、どこか胡散臭い笑みを浮かべたまま榊は手元の端末に情報を入力していく。この話にいったいどれだけの有効性があるのかはリンドウにはさっぱりわからなかったが、榊としては随分満足する結果であったのだろう。 いつもよりほんの少しだけ、榊の口角が上がっている──ご機嫌であるように、リンドウには思えた。
「しかし……ふむ、自覚か」
「……そんなに気になる言葉か、それ?」
「うむ。キミはアラガミ化していた時のことを、夢現だとか自分が自分であるという認識がないという表現をしていたが……ルーくん自身は自分のことをどう思っているのだろうか」
「……」
「ルーくんがアラガミ化した元人間だとして。人間としての知識や知能を備えていても、人間としての自覚がない……そんな可能性はあり得るだろうか?」
「……どうだろうな。いや、なんでそう考えたんだ?」
「ルーくんはアラガミを食べるのを嫌厭していないように見える。キミの話を素直に受け取るならば、それはもうすでに人間としての精神は残っていないということだ。しかし、ルーくんはあまりにもアラガミとしては大人しくて人に友好的だ……つまり、人間寄りの性質であることは疑いようがない」
「……」
「であるならば……心は人間でありながら、自分のことを人間だと認識していないのかもしれない。もしかすると、アラガミとすら思っていないのかも」
「それはつまり、人間としての意識がないってことと同じじゃないのか?」
「……例えばリンドウくん、キミがアラガミ化したうえで明瞭な意識があったとしたら……どうする?」
「どうって、そりゃあ……」
三年前のあの出来事をなんとなく思い出して。
リンドウは、心の中に浮かんだことをそのまま口に出した。
「みんなに迷惑かけないように、どこか遠くへ行く……かな」
「それは、自分で自分を止められなくなることを危惧して、だろう? ルーくんのように完全に自身をコントロール出来ていたら、どう考える?」
「どうにかして、俺だってことをみんなに伝えようとする……?」
「だけど、ルーくんはそうしない。チハルくんを助けたり、我々のことを慮ったりすることはできるのに……その必要性は感じていないんだよ」
「だから、心は人間でも人間としての自覚が無い……ってか。自分が人間だという意識が無ければ、それを伝えようとすら思わないもんな」
「うむ。言うなれば──人間であった個人としての記憶、人間としての社会常識、そして生物としての人間というアイデンティティも含めた記憶喪失状態にあるとも言えるかもしれない」
尤も、これらはすべて元人間であるという前提の話だけど──と、榊は少し疲れたように笑った。
「……確かめる方法はあるのか?」
「現状、限りなく難しいというほかないね。ルーくんの意識や自覚の有無、もっと言えば感応能力での意思疎通なのか言語での意思疎通なのかに関わらず、判断のしようがないんだよ」
「……」
「ルーくんが感応現象で我々の意志を理解している場合──例えば【人間ならば吠えろ】と伝えても、【意味はよくわからないが、そう期待されていると感じたから吠えた】という可能性が残る。そこに本当に意志の元の判断があったかの証明は、誰にもできない」
「……だな」
「ルーくんが言語で我々の意志を理解している場合は──【吠えろ】という意味が分からなかったから吠えない可能性がある。あるいはもっと単純に、【ホエロ】という合図を聞き入れただけなのか、意味を理解したうえで吠えたのか……明確に判断したのか、どう考えたのかの判別はつきようがない」
「ほかのパターンとかで考えても、いくらでも反論の余地があるってわけか?」
「うむ。ルーくんの学習能力の高さを考えれば、指示しているうちにその言葉の意味を理解するかもしれないし、言葉を理解していない状態でも、観察力の高さから【我々が喜ぶリアクション】を学んだ結果としてその行動を起こすという可能性も捨てきれない」
「……お手上げじゃねえか」
「それだけ意識や自覚の証明というのは難しい話なんだよ……というか、もはや倫理や哲学の領域にまで行ってしまうね」
こうして言葉を交わすことができる我々個人のこの「意識」さえ、本当の意味で証明するのは非常に難しいことなんだよ──とゆったりと榊は笑う。いい加減口を動かすのにも疲れてきたのだろうか、大きく息を吐いてから乾いた喉を湿らすべくマグカップに口を付けた。
「少々長くなったが……どのみちまだまだ、検討の余地は残されている。キミがさっき言った通り、たまたまソーマくんとの相性が悪かっただけという可能性もある……というか、ルーくんが妙に人によって態度を変えることを考えると、そっちの可能性の方が強いくらいと言っても良い。アラガミ化した人間なんて、該当する人間がいない以上話が飛躍しすぎている……と言われれば、それまでだし」
あまりにもあっけらかんとした榊のその物言いに、リンドウはがっくりと肩を落としそうになった。
「おいおい……今までの時間は何だったんだよ……」
「ははは、しかしそれでも可能性としては考えなきゃいけないからね。ルーくんにとっても、我々にとっても初めてなことばかりなんだ。注意をし過ぎると言うことは絶対に無いし、お互いの共存のためにできることは惜しむべきじゃないだろう? それに……」
「それに?」
「さっきキミも言っていた通り、第一世代の神機使いでは本来であれば感応現象は起きない。確認されている唯一の例外は……アラガミ化による浸喰を受けている場合、つまりはアラガミ化している場合だね」
「まさしく俺のことか……つまりなんだ、感応現象の場合であったとしても、アラガミ化した元人間の可能性は残り続けるってことだな」
「その通り。もちろん、表向きはそんなことは言えないけど……キミだけは、そういう可能性も含めてルーくんの観察をしてほしいんだ」
確かにこれは、あの嬢ちゃんたちには話せないな──と、リンドウは心の中だけでため息を吐く。いくら荒唐無稽な可能性であっても、悲しいことに辻褄だけはあってしまうのだ。そして幸か不幸か、この極東では【想定外】の事態というのは別に珍しくもなんともなく、そもそもとしてあの白いアラガミ自体が想定外の塊である。
「りょーかい、その極秘任務、確かに承りましたよっと」
「記録に残せないから、形式的には個人的な“お願い”になるんだけどね……今度ビールの配給が来たら、私の分を融通してあげようか」
「そいつぁいいや、最高の報酬だね」
話は終わりだとばかりにリンドウは立ち上がり、ぐうっと大きく伸びをする。やっぱりなんだかんだで、リンドウは現場向きの人間なのだ。みんなに内緒であれこれ頭を悩ませるよりも、現場で神機を振るうほうが何倍も性に合っているのである。
「たしか、今度は実地での戦闘訓練をするって話だったよな? 俺も一回、あいつには乗ってみたかったんだよ」
「うむ、よろしく頼むよ。キミの視点から見ても間違いなく安全だと分かったその時は……私もぜひとも、ルーくんと対面してみたいと思っている。それに近々──今回の疑問を一気に解決し得る可能性を持つ強力な助っ人が加わる予定だ。ますますルーくんの研究が捗りそうだよ」
「助っ人? いったい誰のことだ?」
リンドウのその問いに、榊はにんまりと笑って答えた。
「チハルくんと同じ第二世代の神機使いである女性で──そしてこの極東にて、最も感応現象に関する実績データを作ってくれた人物さ」
感応現象、GE2じゃ全然見なくなりましたね……。