「やっべ、迷った……!」
アナグラ内、某所。支部長執務室に呼び出された榎本ケイイチは、変わり映えのしない連絡通路で途方に暮れていた。
「ちっくしょう……! 前から思ってたけど、造りが似すぎていてわかりづらいんだよ……!」
アナグラという施設は非常に広く、大きい。そして軍事施設に近しい性質を持つため、飾り気はほとんどなく、とことんまで実用性や機能性を重視した造りになっている。その結果として……慣れない者からしてみれば、少々迷いやすい構造になっていることは疑いようがない。
機械の工場みたいだよな、というのがケイイチが一番最初に抱いたアナグラの印象だった。天井にはむき出しのケーブルが這いまわっているし、連絡通路も一部がグレーチングになっていて、その隙間からはやっぱり何かの太いケーブルが伸びていることが確認できる。居住区フロアでさえこんな状態で、自室を貰える喜びに随分な水を差されたことを、ケイイチは今でも覚えている。
ついでに言えば、窓がない。耳をすませばそこかしこからファンが回る特徴的な音が聞こえるのだが、奇妙な息苦しさを覚えずにはいられないほどだ。
「一回知ってる場所まで戻るべきか……?」
居住区フロアからエントランスへの道──いつもの道であれば、迷うはずがない。エントランスから支部長執務室へと向かうだけならば、きっとなんとかなったことだろう。だけど今回はちょっと横着して、「せっかくだし普段使わない近道でも開拓してみるか」……なんて思ったのがいけなかった。
「よし、戻ろう」
現在地がどこなのかはわからずとも、大きな通路に出ることさえできればエレベーターに乗れる。そしてエレベーターに乗ることさえできれば、エントランスに向かうことができる。エントランスに戻ることさえできれば、後はどうにでもなる……というのが、ケイイチが下した判断であった。
「時間は……よし、まだギリなんとかなりそうだ」
ちら、と時計を確認して、そしてケイイチは小走りで通路を進んでいく。
いくらなんでも、新兵である自分がこのアナグラで一番偉い人の呼び出しに遅刻することなど絶対に許されるはずがない──そんな風に考えていたのが、いけなかったのだろうか。
「……わっ」
「うぉぁっ!?」
通路の曲がり角。ちょうど死角となっていたそこで──ケイイチは、誰かとぶつかりそうになってしまった。
「す、すみませ──!?」
「いえ、大丈夫です──が、そんな風に通路を走るのはあまり感心しませんね」
驚異的な反射神経を以ってケイイチを躱した、見事なプラチナブロンドの髪のその女性はふわりと優しく微笑む。
そのあまりの姿に、ケイイチは呆然……いいや、釘付けになってしまった。
「緊急事態、というわけではないのでしょう? それに神機使いも、時には市民の前に立って先導する立場になることもあります。神機の扱いだけでなく、それにふさわしい立ち居振る舞いと身嗜みを身につけるのも大事ですよ」
ほら、襟元が乱れてますよ──と、その女性はごくごく自然な動きでケイイチの襟元を直す。当然と言えば当然なのだが、初対面にしてはいささか近すぎる距離。年頃の男子であるケイイチが真っ赤になってしまうのもしょうがないし……そうでなくとも、たいていの人間であれば動揺していたことだろう。
もし、この場に別の誰かが居れば。
ケイイチの乱れた襟元よりも、もっと気にするべき場所があるんじゃないかと突っ込んだはずだ。
「──これでよし、と。それでは、ごきげんよう」
上品な、されど優しげな雰囲気を纏った彼女は、ケイイチと同じ赤い腕輪が嵌った右手をひらひらと振って、通路を歩いていく。
その背中には──明らかにサイズの合わない白金のジャケットには、オリーブをくわえたフェンリルのエムブレムがあしらわれていた。
──が、もちろん。ケイイチの目にはそんなの映ってすらいない。あらゆる意味ですさまじい衝撃から、未だに回復しきっていないというほうが正しいだろう。
「……あれ、ケイイチ? 通路の真ん中でなにやってるの?」
それから、約三分後。同じように呼び出しされていたレイナがやってきて。
ケイイチは、信じられないものを見たとばかりに呟いた。
「ヤバいぞ、レイナ。このアナグラに──ち、じゃない、露出狂がいるかもしれない」
「……えっ?」
▲▽▲▽▲▽▲▽
「──紹介しよう。彼女はアリサ・イリーニチナ・アミエーラ少尉だ。元々は第一部隊所属で、ほんの少し前からクレイドルとしてサテライト拠点に関する仕事に就いていたわけなんだが……」
「この度の事案を受けて、急遽こちらに戻ることになりました。……まさか、ほんの数か月で戻ることになるとは思いませんでしたけれども」
目の前で人当たりの良さそうな笑みを浮かべる、プラチナブロンドの髪の女性を見て。ついこの前配属されたばかりの新人神機使いであるケイイチは、あんぐりと口を開いた。
ここはアナグラ、支部長執務室。【例の案件】の強力な助っ人が到着したから、顔合わせのために集合してほしい──なんて指示にホイホイ従ってやってきたケイイチが目にしたのは、つい先ほど通路でぶつかりかけた……自分とそう大して変わらない年頃の外国人の少女であった。
「え……あなた、が……?」
「ふふ。まさかこんな形で再会できるとは思いませんでしたよ。あなたも、関係者だったんですね」
元第一部隊所属の、現クレイドル隊員。その肩書がどれだけ凄まじいものであるのかなんて、新人であるケイイチにすらわかる。極東所属の神機使いってだけで一騎当千の猛者であるのは周知の事実だし、その上さらに階級も少尉と来た。あらゆる意味で、ケイイチの想像をはるかにこえた天上の人間と言ってもいいくらいだろう。
もし、自分に三年ほどのキャリアがあったとしても。これだけの活躍ができるとは、ケイイチにはとても思えない。
「久しぶりだなあ、アリサ! ……いや、やっぱそうでもないのかな? 正直次に会えるのは一年は先だと思ってたけど!」
「ふふ、そうですね。なんだかちょっと照れくさいというか、妙に気恥ずかしい気分ですよ」
ただ、それ以上に。
もっと根本的な所から、ケイイチは驚いているのだ。
(なんで、どうして──)
同じクレイドルであるコウタとソーマが、アリサと笑って旧交を温めている。何てことのないごくごく普通の光景であるはずなのに、どうしてもそれがケイイチには信じられなかった。
(どうして……コウタさんたちは普通に喋っていられるんだ!?)
この部屋の主であるペイラー・榊も、その様子を穏やかに笑って見つめている。普段は飄々としながらも、凄まじく頼りになる実力者……リンドウでさえも、どことなく嬉しそうな表情だ。
そう。この場にいる誰もが、アリサについて
(もしかして、俺がおかしいのか……?)
ちら、とケイイチは隣にいる同期の神機使い──同じようにここに呼び出された、松宮レイナの横顔を伺ってみた。
「う、うそ……!?」
(……そうだよな!?)
ある意味で、ケイイチ以上に動揺したレイナは……なんだか見ていて気の毒になってくるほどに顔を真っ赤にしていた。
それもそうだろう。だって、この凄まじい肩書を持つ女性神機使いは──
「ケイイチぃ。男の子だからしょうがないかもだけど、あんまりジロジロ見んなよぉ?」
ぺしん、と叩かれた尻。【例の案件】に関してもっとも重要な人物──チハルが、悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「レイナ、お前もだ……いや、言いたいことはよーくわかる」
とんとん、とレイナの肩を叩いたのは──チハルの相棒とでもいうべき銃撃狂のキョウヤだ。ケイイチから見れば信じられないほどの冷静っぷり……否、平常心を以ってアリサに釘付けになっていたレイナを諫めていた。
「い、いえ! やっぱりおかしいですよ! いったいどうしてあの人──!」
我も忘れて、レイナが大きな声を出す。
いいぞ言ってやれ、お前にしかできないことなんだ──と、ケイイチは心の底からレイナのことを応援した。
「おっ……おなか丸出しで、ファスナーも閉めずに素肌に直で上着着てるんですか!?」
その反応が見たかったとばかりに、先輩二人は示し合わせたかのように笑って答えた。
「「極東では、これが普通だよ!」」
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「まったく……ちょっと見ない間に、随分とお調子者になりましたね」
「ごめんなさぁい……!」
「いやもうホント、久しぶりにアリサさんに会えて浮かれてしまったと言いますか……」
「……まぁ、良しとしましょう。いろいろあったようですが、お二人とも、元気そうで何よりです」
報告で聞いていたよりもずっと元気そうで明るい様子の二人をみて、アリサは内心でほっと安堵の息を吐いた。
想定外のアラガミに襲われてKIAとなっていたチハルはもちろん、チハルの生存が確認されるまでの数日間、キョウヤの精神状態が酷く悪いものであったこともアリサは簡単にだが伝え聞いている。似たような経験を自分もしている分、もしかするとトラウマレベルのダメージを引きずっているのでないか……なんて懸念も抱いていたのだが、こうしてふざける余裕があるという事実そのものが、アリサの懸念を否定していた。
「でもでも、いったいどうしてアリサさんが戻ってこられたんですか? クレイドルの任務があるから、しばらく戻れないって話だったのに……」
「クレイドルの任務よりもずっと重大なことが、ここで起こったからですよ。……ここ最近の報告書はすべて目を通させてもらいました。チハルちゃんに何があったのかも、例の白いアラガミ──人と共存し得る可能性を持ったアラガミのことも、ね」
「……信じて、くれるんですか?」
ちょっぴり不安そうに揺らめく後輩の瞳。なんだか堪らなく愛おしい気持ちになったアリサは、安心させるようにチハルに語り掛けた。
「ええ、もちろん。後輩の言うことを疑う先輩なんていませんから」
「そうそう。それにアリサには俺が報告書でばっちり説明しておいたしな!」
「……あなたの報告書には改善点が山ほどありましたけどね。まぁ、それは後でじっくり指導するとして」
「え」
「さしあたり──これからの調査内容について、簡単に共有しておきましょう」
ぴこん、とアリサは手元の端末を操作する。それに呼応して、モニターには今までの調査結果の概要がずらりと表示された。
「まず、このアラガミのことを知っているのはこのアナグラでも一部の人間のみ。調査が進むまでは公的には秘匿するため、あんまり大っぴらな動きはできない……で、あっていますか?」
「うむ。そう言う事実もあって、
ほんの少しだけ別の意味が込められた言葉。それを正確に察したのは、アリサと同じクレイドルの上着を羽織った者たちだけだ。
榊の言葉に満足そうにうなずいたアリサは、言葉を続けてく。
「これまでの調査から、この白いアラガミには非常に高度な知性と、人間に非常に友好的であるという特性があることがわかっているそうですね」
「ですです。正直な所、知能テストは全部余裕でクリアしちゃうせいで……成績が良すぎるせいで、逆に取っ掛かりがないかもってリッカさんが言ってました。どんな人の言うこともよく聞くし、ルーちゃんがアラガミだなんてとても信じられないくらいです」
「……やっぱり、もう名前はついているのか」
少しだけ残念そうな表情を浮かべてから、アリサはさらにその次の話について踏み込んでいく。
「では、次に行うのは感応実験となります。……ちなみにチハルちゃんは、感応現象を体験したことはありますか?」
「いえ、一回もないです」
感応現象。第二世代の神機使い同士が物理的に接触することで、記憶の共有がされるらしいとされている現象のことだ。
ただ、現象そのものは確認されていても、詳しいメカニズムなどは未だに解明されておらず、そしてそう頻繁に起こるものでもない。事実として、チハルも座学でそれを習ったものの、体験したことは一度たりともなかった。
「あの、感応実験って具体的に何をするんですか? 私とアリサさんで……その、感応現象を起こすってことですか?」
「いいえ。
「え」
「上手くいけば、彼……あるいは彼女が、いったい何を考えて行動しているのかがわかるかもしれません」
言わずもがな、神機使い同士でさえあまり報告例のない感応現象を、よもやアラガミと行おうとするなんて初の事例である。それがどれだけ無謀、あるいは奇妙な試みであるのかは、この場にいる全員が理解することができた。
「いやいや、アリサさん……そりゃ、理論上はできなくはないだろうけど。チハルはもちろん、俺もそこにいるケイイチやレイナも、あいつに触れたところで感応現象なんて起きませんでしたよ?」
「しかし報告書を見る限り、白いアラガミとあなたたちとで感応現象かそれに近しい現象が起きている可能性は高そうです。それに……どうも私、感応現象を引き起こしやすい体質みたいなんですよね。今までに何度も体験してますし」
「この極東において、アリサくんは感応現象のエキスパートの一人と言って良い。アリサくんとルーくんの接触によって何かが起きるのか、それとも何も起きないのか……どういう結果になるにせよ、貴重なデータとなるだろう。そもそも、今まで神機使いとアラガミとの間で感応現象が確認されていないのは、単純にそれに付き合ってくれるアラガミがいなかったからってだけなんだ。一研究者として、非常に興味深いと思っているよ」
感応現象に対する感受性が高いアリサであれば、よりはっきりと
「大仰なことを言いましたが、やること自体は触れるだけですね。チハルちゃんはもちろん、他の皆さんにも改めて感応現象を起こせないか検証してもらいたいと思っています」
「まぁ、アリサさんが言うなら俺らとしては問題ないっすけど……しかし、感応現象ねぇ」
「……何すんだよぉ?」
「いや、ちょうどいいところにちょうどいい頭があったから」
へらへらと笑ったキョウヤが、ぽんぽん、とチハルの頭に手を被せる。お返しだとばかりにチハルもキョウヤの尻をぺしんと叩くが──結局は、それだけだ。
「
「体感的な話になりますが、良くも悪くも精神的に不安定な時の方が発生しやすいですよ。あとは単純に、相性の問題もあると思いますけど」
「実は気づいていないだけで、既に感応現象が起きてる……とか?」
「白昼夢というか、明晰夢というか……はっきりとその光景が見えたうえで、時間がいきなり動き出したかのような感覚になりますから。自覚できないってことはないですね」
ともあれ、実際に試してみるまでは議論のしようがない。この場ではそう結論付けたチハルたちは、感応現象についてはひとまずこれまでとし、改めてこれまでの検証結果をアリサに伝えることとなった。
【おなか丸出しで、ファスナーも閉めずに素肌に直で上着着てる】←婉曲表現