GOD EATER:救雷の神鳴   作:ひょうたんふくろう

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56 邂逅(後)

 

 ヘリコプターから降りて。一番最初にルーとの接触を試みたのは、事前の取り決めの通り榊であった。

 

「──初めまして、だね。普段から報告を聞いているから、どうもそういう気分にはなれないが」

 

 先行していたアリサたちや、ブラッド隊の面々に囲まれながらのその邂逅。極東支部支部長という重要な役職を持つ人間に万が一にも何かがあっては大変だ……ということで各々の神機を持つ手には力が入っているが、どちらかというとこれは、ルーが榊を襲うというよりも、普段通りにじゃれついて「うっかり」してしまったときにすぐ対処できるように、という意味合いが強かった。

 

 ──ルゥゥ。 

 

 初めて見る人間を珍しがっているのだろうか。その大きな白いアラガミはいつもとは少し違った様子で榊に近づき、その鼻面をついついと榊の体にあてて匂いを確かめている。元よりわかりきっていたことではあるが、敵意を示して襲い掛かってくる──なんてことはなく、純然たる興味の元、好奇心でそうしている、というのははっきりとわかる光景であった。

 

「……ふむ?」

 

 そして、榊の方は全くこのアラガミを恐れていない。神機使いでもない人間が、神機使いでさえも恐れるほどの力を持つアラガミの前に無防備で立っているというのに、いつも通りのその表情を一切崩さない。

 

 そればかりか、自分の方からその白いアラガミの顎の下へと手を伸ばして見せた。

 

 ──ルゥ。

 

「なるほど……話で聞いていたよりも、ずっと聡明で賢いようだ」

 

 わしわし、わしわし。

 

 ゆったりと優しく、そのアラガミの顎の下を撫でながら。

 

 ほんの少しだけ目を見開いた榊は、白いアラガミの仮面の下の瞳を静かに覗き込んだ。

 

「生きているアラガミをこんなにも間近で、こんなにも心穏やかに見ることが出来るだなんて……良い意味で、アラガミと触れあっているという気は全くしないね」

 

 ──ルゥ?

 

「キミに人間と同じ声帯があったのなら──いいや、そんなものが無くとも。キミならば、きっと……」

 

 そのまま榊は目を閉じる。白いアラガミ──ルーもまた、榊にされるがままで大人しい。良くも悪くも人と触れあうことで何かしらのポジティブな反応……具体的には喜んだりはしゃいだりするような反応を示すことが多いルーにしては、あまり見かけないちょっと珍しい反応であると言えた。

 

「……センチメンタルな気分なのか、おっさん」

 

「そうじゃないと言えば嘘になる……ソーマくんなら、私の気持ちもわかるだろう?」

 

「……まあ、な」

 

 榊と同じようにルーの顎の下を撫でたソーマは、さっきからルーの背中の上で黙ってしまっているチハルに声をかけた。

 

「おう、チハル」

 

「は、はいっ!」

 

「一応聞くが、今こいつに何か指示は出したか?」

 

「い、いえ……あっちの降りてきた人の所に向かって、って言っただけです」

 

「なるほど……しかしそれだけの情報のはずなのに、ルーくんは私に対して明らかに神機使いと接触する際とは全く異なる様子を見せた。ヒバリくんやリッカくん……つまりは保護対象となる若い女性ならまだしも、私の場合は成人男性だ。今までの行動傾向からして見ても──」

 

「話が長い。結論だけ言え」

 

「理屈は不明だが、神機使いとそうでない人間を明確に区別できているね。いや、この場合は強い人間と弱い人間と表現するべきか。チハルくんには普通に接触している以上、神機の有無や腕輪の有無といった外観的要素で判別しているわけではない……と、思う」

 

 故に、神機使いと「じゃれつく」時とは違って大人しく、自分から積極的に触れ合おうとしてこない。しかしスキンシップそのものを嫌っているというわけではなく、顎の下を撫でられれば逃げることなく、それをそのまま受け入れる。

 

「やはり……ヒバリくんの指示に対してぎこちない動きをしていたのは、神機使いに比べてヒバリくんがか弱い存在だと理解していたからか? それとも別の何か……オラクル細胞の反応で識別している? 性別や年齢以外の要素があるのは間違いなさそうだが……ふむ」

 

 そこでいったん思考を打ち切って、榊は名残惜しさを込めながらルーの顎の下を撫であげる。あとでキミの背中に乗せておくれよ──なんて耳元に声をかけ、そしてくるりと後ろを振り返った。

 

「見ての通り、安全を保障しよう。……最初はどちらからかな?」

 

 ヘリコプターの外。少々腰が引けながらも興味津々な様子でルーのことを見つめるレアと、ジュリウスに抱きかかえられながら穏やかに微笑むラケル。レアの傍らには神機を担いだギルがいて、そしてラケルの傍らにはやっぱり神機を担いだリンドウがいる。本当だったらリンドウのいる場所にはジュリウスがいる予定だったが、「万が一が起きた時、車椅子に乗っていたら咄嗟の行動が出来ないから」という理由で、初回に限りジュリウスがラケルを抱きかかえることになったのだ。

 

「ね、お姉様……」

 

「はいはい、わかってるわよ」

 

「ふふ、大好き」

 

 姉妹間の短いやり取り。【甘える妹に姉が最初を譲る】……というどこの家庭でもよく見るような微笑ましい光景。しかしながら、今から起きることは決して普通の家庭では……いいや、長い地球の歴史の中でも滅多に起きない歴史的な光景となることだろう。

 

「……本当に、やるんですね」

 

「もちろんよ、ジュリウス。ここまで来て【おあずけ】なんてされたら、私はきっと泣いちゃうわ」

 

「御冗談を」

 

 【泣く】だけで済むなら、きっとこんなにも胃が痛くなっていない。【泣く】だけで済んでくれるなら、心を鬼にしてそうしていた。しかし事実としてこんな事態になってしまっているのは、【泣く】だけじゃきっと済まない──そうなってしまったときにラケルが何をしでかすのか全く想像がつかないという確信が、ジュリウスの中にあるからだ。

 

「……こちらからで頼みたい! ゆっくりと近づいてきてもらえるだろうか?」

 

「はいっ! ……ルーちゃん、あっちのジュリウスさんの方へ!」

 

 ジュリウスの呼びかけに対し、ルーの背中に乗ったチハルが明るく答える。とんとん、と踵でルーに合図を送り、そしていつも通り優しくルーの背中を撫でて。

 

「……」

 

 静かに、されど確かにルーが近づいてくるのをジュリウスははっきりと知覚した。これほど大きな体で、こんなにも凶悪な相貌をしているというのに、不思議なことにアラガミが持つ特有の気配──飢えた生き物がもつギラついた悪意のようなものは一切感じない。戦場だけで感じる肌がピリピリするような感覚は一切なく、却ってそれが不気味というか、まるで白昼夢を見ているかのようにさえ思えてしまう。

 

「……」

 

 彼我の距離、およそ五メートル。決して近くはないが、遠いとも言えない距離。もし次の瞬間このアラガミが本気で襲い掛かってきたのなら、もうジュリウスにはどうにもできない距離ともいえる。かろうじて、自らを犠牲にラケルを逃がすことはできるだろうが……まぁ、結局はそれだけでしかない。

 

「ああ……とうとう、会えましたね……!」

 

(とうとう、会ってしまったか……)

 

 アラガミのものか、それともラケルのものか。

 

 妙に粗い息遣いがジュリウスの耳にいつまで残って、そして。

 

 

 

 ──ルゥ。

 

「…………えっ」

 

 

 

 そのアラガミは、腕を伸ばしたラケルを完全に無視し、その傍らを通り過ぎた。

 

「え……ルーちゃん?」

 

 その代わりに。

 

「きゃ……ちょ、ちょっと!?」

 

 ──ルゥ!

 

 はっきりとわかるほど上機嫌に、ルーはレアにじゃれついている。すんすん、すんすんと鼻面を押し当てたり、甘えるように顔をこすりつけようとしたり。尻尾は上機嫌にゆらゆらと揺れているし、シエルやナナにしてみせたように──その尻尾で、レアを包み込もうとしたりしていた。

 

「ちょ、もぉ……やん、くすぐったいったら!」

 

「……」

 

 安心して良いのか、悪いのか。言葉の割に、レアは楽しそうに身をよじらせている。目の端できらりと輝いているのは涙である……が、これは恐怖で流した涙ではなく、脇腹をくすぐられて流した涙なのだろう。

 

 ──ルゥ?

 

「あらやだ、この子ったら……もしかしてちょっと、イタズラ好きなのかしら?」

 

「……イタズラ好きというより、もしかするとちょっとえっちなのかも」

 

「一応聞きますが……レア博士、助けは必要ですか?」

 

「いいえ、大丈夫よギル。……あはっ、やっぱりダメかも!」

 

 ──ルゥ!

 

 白いふかふかの毛皮に包まれて、レアが今までに見たことが無いくらい顔をほころばせている。恐怖心の一切を見せず、ただただその心地よさに身を委ねている。それは誰がどう見ても明らかなことで、本来護衛であるはずのギルでさえも、既にその任務を忘れて……というか、その必要性を感じていないのは明白だった。

 

「おいおい……マジかあ」

 

(……ん?)

 

 すぐ隣から感じた、張り詰めた空気。どういうわけかリンドウが表情を少し強張らせ、そして神機を持つ手に力を入れたのがジュリウスにははっきりとわかった。

 

「……」

 

「リンドウ殿? いったいどうし──」

 

「──ひッ」

 

 引きつったような、女の声。

 

「……いたっ!?」

 

 それと同時に感じた、首筋の鋭い痛み。

 

 女の声の方は、すぐにわかった。顔から血の気が失せて真っ青になったレアが、どういうわけか何かに怯えるようにして体を震わせている。先ほどまではあんなにも笑っていたというのに、そんな面影なんてもう一切残っていない。

 

 ここにきて、アラガミと相対しているということに自覚したのか……とジュリウスは一瞬思ったが、そういうわけでもないとすぐに考えを改め直す。

 

 だって──レアは、ルーの事なんて全く見ていないのだから。レアが見ているのは、ジュリウスのほう……いいや。

 

「お姉様……ずるい……」

 

 気付く。

 

 この首筋の痛み。ラケルに抱き着かれ……いや、ラケルに触れられているところが痛い。

 

 つまりそれは……ラケルがものすごい力で自分に触れているか、あるいはその爪が食い込んでいるかのどちらかでしかありえない。

 

「それはちょっと……ずるすぎませんか……?」

 

「ラケル、先生……?」

 

 ゾッとするほど冷え込んだ声。なんだか悪い意味で背筋が粟立つような、悪意の塊のような声音。

 

 首筋の痛みをすっかり忘れて。ジュリウスは確かめずにはいられなかった。

 

「ね、ねえ……っ! お願い、お願いだからラケルとも遊んであげて……?」

 

 ──……。

 

「お願い、お願いよ……! いい子だから、どうか……!」

 

 ──……。

 

 レアの問いかけに、しかしルーは反応しない。ぐしぐしとレアに体を押し付けるばかりで、その言葉なんて一切届いていなかった。

 

「ち、チハルさんっ! あ、あなたの方からも言ってあげてっ!」

 

「は、はい……。おーい、ルーちゃーん?」

 

 ──……。

 

「ルーちゃーん? ほら、ラケル博士にも挨拶しよ?」

 

 何か様子がおかしいな、とジュリウスは心のどこかで考えた。どうやらそれはアナグラの面々も同じなようで、奇妙な困惑というか、多少のざわつきのようなものが伝播しているのが確かに伝わってくる。

 

 そして、隣にいるリンドウの体から放たれる緊張感は時間を追うことにどんどんと高まっている。

 

「おっかしいなあ……そんなにレア博士のことが好みだったのかなあ……」

 

「こいつがお前の言うことを聞かないのなんて初めてだよな……いや、聞こえていないのか? ラケル博士だって俺よりは友好度高いはずだし……おい、ルー」

 

 ──……。

 

「お前が何考えているのかなんてわかんないけどよ。チハルの言うこと聞かないと、チハルの立場が悪くなんぞ」

 

 ──ルゥ。

 

「あ」

 

 キョウヤのその一言を聞いて。ようやくルーはレアにじゃれつくのを止めて、ゆっくりとジュリウスたちの方へと体を向ける。そして、声を上げるでもなく唸るでもなく、何とも形容しがたい雰囲気……少なくとも、レアにじゃれついていた時の楽しそうな雰囲気は一切感じさせないまま、ゆっくりと歩き出した。

 

「やっぱ聞こえてんじゃねぇかコイツ……!」

 

「なんだったんだろ……? まぁいいや、ラケル博士にもちゃんと挨拶しようね、ルーちゃん」

 

 もう、ジュリウスのすぐ目の前にそのアラガミはいる。チハルの指示に従って、ジュリウスたちの前で身を伏せてじっとこちらを伺っている。

 

 普通のアラガミでは絶対に考えられない反応。敵意も悪意も何もなく、凶悪性の一切を感じさせないその様子。アラガミがそんな態度を取るというのは確かに奇跡的で、それはジュリウスを安心させるものであるはず……なのに。

 

「ほらルーちゃん、ラケル博士に挨拶!」

 

「……」

 

(……なんで)

 

 ジュリウスの心はざわついたまま、一向に落ち着く様子を見せない。

 

 凶悪なアラガミに睨まれたときの方がまだ冷静でいられると言って良いくらいに、何か良くない予感が体を駆け巡る。

 

(どうしてこのアラガミは……俺だけを見ている?)

 

「……」

 

 ラケルが腕を伸ばしても。

 

 チハルがそれを促しても。

 

 ──……。

 

 そのアラガミは、ジュリウスだけを見つめている。

 

 ラケルのことを、一切見ようとしていない。

 

「……ルーちゃん? どうしたの?」

 

「……今日は機嫌が悪いのかもな。こいつだって生き物なんだ、そういう日だってあるだろう。いったん出直すってことで良くないか?」

 

「……リンドウさん?」

 

「ブラッド隊との接触はできたし、榊博士とレア博士の接触も確認できたんだ。サンプルデータとしては十分集まっただろ。どうせ時間はいくらでもあるんだ、今日はこの辺でお開きに──」

 

「いいえ、それには及びませんわ」

 

 強い言葉ではっきりと否定の意を示したのは、他でもないラケルだった。

 

「ジュリウス。待ってるだけではきっとダメなの……こちらから歩み寄らないと」

 

「ラケル先生? しかし、その……」

 

「──ジュリウス(・・・・・)

 

 有無を言わせぬ迫力。なぜだかジュリウスは、自分が今抱えているか弱いはずの女性が、何か強大で畏れるべき存在に思えてならなかった。

 

「……良いでしょう、ここまで来たら最後まで付き合います」

 

「ふふ、ありがとう……大好きですよ、私の可愛いジュリウス」

 

 一歩、二歩、三歩。

 

 ジュリウスはラケルを抱きかかえたままゆっくりとルーに近づき、そして。

 

「ようやく……やっと、会えましたね」

 

 ──……。

 

 ラケルの伸ばした手が、ルーの頬に触れた。

 

「ふふ……!」

 

 ──……。

 

 笑っている。自分のすぐ近くで、ラケルが笑っている。

 

 あれだけ楽しみにしていて、今まで見たことが無いくらいにはしゃいでいた。どうしても実際に見てみたかったその奇跡の産物ともいえるアラガミと触れ合うことが出来て、きっとラケルは天上にも上る気持ちなのだろう。

 

 だからきっと、すごい笑顔であるに違いない。こちらの心が洗われるような、優しい笑みを浮かべているに違いない。

 

(俺は、どうしてしまったんだろう)

 

 そうに違いないはずなのに……どういうわけか、ジュリウスはほんの少し横を向いて、ラケルの笑顔を覗き込むというたったそれだけのことができなかった。

 

「ふふ……?」

 

 ──……。

 

「……」

 

 ──……。

 

 妙に張り詰める空気。ラケルとルーは、じっと見つめ合ったまま動かない。

 

 匂いを嗅ごうとすることも、尻尾で体を包み込もうともしない。ただただお互い無言で、生き物同士で見つめ合っているというよりかは、虚空を見つめるかのようにして向かい合っているだけ。

 

 一種独特の異様な光景に周りにいる神機使いたちは声も出せずにいるし、チハルやキョウヤも少しオロオロしているというか、明らかにいつもと違う様子に戸惑いを隠せないでいる。

 

 もし、ジュリウスを含め……この場にいる誰かが、もう少しだけ冷静に周りを見ることが出来ていたのなら。

 

 榊が大きく目を開いてこの様子を凝視し、そしてリンドウが【その瞬間】を逃すまいと神経をとがらせていたことに気付けただろう。

 

「ラケル、先生……?」

 

「……」

 

 ──……。

 

 見つめ合って、どれくらい経ったことだろうか。

 

 とうとう耐えられなくなったジュリウスは、錆びついた歯車のようなぎこちない動きでラケルの方へと顔を向けた。

 

「え……」

 

「……」

 

 ──……。

 

 無表情。曇ったガラス玉のように光を映していない瞳。感情が無いというよりかは、これはむしろまるで──。

 

 

 

「これが……? こんなものが……?」

 

 

 

 色褪せていく瞳。

 

 それはまるで、この世の全ての興味を失ったかのような、あるいはこの世の全てに絶望したかのような暗い深さを湛えていた。

 

 

 

こんなものが(・・・・・・)?」

 

 

 

 ──ルゥ。

 

「きゃーっ!?」

「うぉぁああ!?」

 

 ほんの一瞬の出来事。

 

 大きな大きな、真っ赤な舌で──一切の遠慮も躊躇いも無く、ルーはラケルの顔面をべろりと舐めた。

 

「ちょ、ちょーちょちょちょ、何やってんのルーちゃんッ!?」

「おまっ!? ペッしろ、ぺッ!」

「ら、ラケル先生ッ!?」

 

 べろべろ、べろべろ、べろべろ、べろべろ。

 

「おいジュリウス! 止めるか!? 止めるぞ!?」

 

「榊博士!」

 

 ぼたぼた、ぼたぼた。なされるがまま顔面を舐められるラケルと、当然の帰結として足元に規則的についていく涎の染み。

 

 慌てたギルが神機を突き付け、リンドウもまた戦闘態勢に入り……それでなおジュリウスがその場を動けずにいたのは、自分の首筋に添えられたラケルの手が、問題ないとばかりに優しくジュリウスのことを撫でていたからだ。

 

「まだ……止めるな……ッ!」

 

「リンドウくんもだ。……顔を舐めるのは、親愛表現の一つとして珍しいものではない」

 

 ラケルは確かにアラガミに顔を舐められている。呼吸が心配になるほど舐められていて、ともすれば喰われかけている最中にさえ思える。

 

 しかし、そうはなっていない。唯一絶対のその事実こそが、今この場における現実だった。

 

「しゃぶるのなら俺かチハルにしろ! その人だけはマジにヤバいッ!!」

 

 べろべろ、べろべろ、べろべろ──べろり。

 

「お、終わりっ! いつまでやってんのさルーちゃんッ!」

 

 べろべろ、べろべろ、べろべろ……ペッ。

 

 ──ルゥ!

 

 存分に「堪能」できたのだろうか。地面に盛大に涎の染みを作ったルーは、ラケルから顔を離し、いつもと変わらない様子で元気に鳴いた。

 

 一方で、ラケルは。

 

「ら……ラケル?」

 

「ラケル、先生……?」

 

 涎塗れの、酷い顔。

 

 髪はぐしゃぐしゃ、服はべしょべしょ。顔中がでろでろで──とても他人様には見せられないような酷い有様。

 

 そんな有様なのに、そんな様子を一切気にせず……ただ、ここではないどこか虚空を見つめている。

 

 ただし、そこには──先ほどには無かったものがある。

 

「……こんな、ものが」

 

 小さく小さく呟かれた、その言葉。

 

 それを聞けたのは、ジュリウス一人だけだった。

 

 

 

「こんなモノが──アラガミ?」

 

 

 

 ラケルの顔は、どうしようもないほどの失望に染まっていた。




【おしらせ】

 ストックが尽きました。このメッセージが皆さんの目に触れているころには、わたしは既にしゃちくに戻っていることでしょう。
 定期更新はひとまずストップします。あと2~3話で「振り返り」をして第三部前半が終了の予定です。お盆休みに書けたらいいなって思ってます。
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