「──アラガミだけを対象にした、コントロールされた終末捕喰もできるかもしれないね」
それこそが、ラケルが終末捕喰を目論む理由。彼女の行動理念と実際の行動に基づいた、想定される現実的な未来。
「……でも、そんな。そんなうまくいくわけないだろ。いくら人の意識があるって言っても、捕喰衝動に飲み込まれない保証はない。もしそうなったらマジの終末捕喰になっちまう。そんなのあまりにも危険すぎるぜ?」
アラガミ化を経験してなお生き残った唯一の事例……リンドウだからこその意見。生きたサンプルの実体験というあまりにも説得力のありすぎるそれを、榊は淡々と否定して見せた。
「仮にルーくんの意識が無くなってしまったとしても、関係ないんだ。ルーくんのオラクル細胞は、
「……あっ!?」
チハルがアナグラに生還した直後。一番最初に行われた偏食因子の調査。その調査結果を、リンドウはまさしくこの部屋で他でもない榊から聞かされている。
「そうだった……! 偏食因子とか関係なしに、あいつのオラクル細胞はヒトを襲わない……!」
特定の偏食因子があるわけでもないのに、ヒトの細胞を取り込まないルーのオラクル細胞。そして本人も、決して人間を食べようとはしない。アラガミとしては明らかに異常なこの性質も、ルーが人造アラガミであるならば……元々そういう風に造られたというのであれば、説明がついてしまう。
「その通り。ルーくんのオラクル細胞は見かけ上は普通のオラクル細胞で、偏食因子に特徴はないのに人間の細胞を喰らわなかった……つまり、オラクル細胞ではあるが、アラガミの細胞とは根本から性質が異なるんだ。偏食因子云々とは違う次元で、人間を喰わないようになっている」
「まさか、そんな」
「ヒトの意識のあるアラガミ──シオくんの時は、ノヴァに取り込まれても彼女の意志は残っていた。しかし、終末捕喰としてのノヴァの捕食衝動は抑えられなかったために、彼女はノヴァ諸共月に旅立った。でも、ルーくんなら」
「理性を保てる人造アラガミの体なら、終末捕喰の衝動は抑えられる……? いや、そもそも自身がノヴァになるなら最初から人間に対する捕喰衝動なんてない……! 仮にあったとしても抑える必要はない……! だってあいつは、細胞レベルで人間を食べない!」
「こうなると、もはや普段のルーくんと何も変わらないね。終末捕喰という性質を持っただけの、ただのアラガミでしかない」
終末捕喰を引き起こしたアラガミとして、その本能に身を任せたとしても。結局アラガミしか襲わないのなら、それは普段と何ら変わらない。いいや、終末捕喰としてその使命を全うするのであれば……アラガミだけをこの地球上から喰らい尽くすという、全人類の救世主と言ってもいい存在と成り得る。
「キミが知っているかはわからないが……私は、シオくんという存在に一方的な期待をしていた。限りなく人間化したアラガミを生み出すことで、世界を維持しようと考えた。完全に自立し、捕喰本能をもコントロールできる存在として育成していくことで、終末捕喰の臨界手前で留保し続けようと試みた……結果は、知っての通りだけども」
「……」
「だけど。もしルーくんが終末捕喰を引きおこすための存在だとしたら。ラケル博士もまた、この世界を救おうと考えているのだとしたら──人を救済しようとしているラケル博士が造った、人を襲わないアラガミによる終末捕喰が行われたのだとしたら」
「……」
「私の浅はかな考えよりも、二歩も三歩も上を行く。ヨハンの考えよりも、はるかに上を行く。もちろん、懸念点はゼロじゃないだろうが……それでも」
「コントロールできる終末捕喰として……いいや、現実的な対応方法として、現状で最も良い方法……ってか」
机の上に置いてあるビールの缶。あまりに時間が経ったからか、周りはすっかり濡れてしまっている。この分だと、炭酸も完全に抜けていることだろう。口にしたところで、ビールっぽい味の温い液体を飲む羽目になるだけだ。
だけれども、今のリンドウは全くそれが惜しいとは思わなかった。
「じゃあ、ルーが回復オラクルを使えるのも……もしかして、人間を助けられるようにってことか?」
「確かに……言われてみるとそうかもしれないね。……そういう観点で考えると、ルーくんにユーバーセンスや嗅覚による索敵能力が備わっているのも頷ける話だ。地上からアラガミを殲滅するために必要なのは、視覚や聴覚よりも確かな索敵能力なのだから」
「あいつの能力自体が、人間を助けたり終末捕喰を円滑に進めるために設計されて組み込まれたものってことか……」
「ルーくんのユーバーセンスが、シエルくんの血の力である《直覚》とそっくりなのは……果たして偶然だろうか?」
「ブラッド自体が、研究の副産物である可能性もあるのか……? 確かに、神機兵を開発しながら新たな偏食因子を見つけ出すってのも脈絡が無いというか、突拍子もない話だもんな。研究の副産物で生まれたものって言われたほうがよっぽど納得できる……でも、これって」
「うん?」
「ルーの中に、元となった人間がいるってことだよな? 人間の体を捨てて、アラガミになっちまった人間がいるって……そういうこと、だよな?」
「……そうだね。どう考えても人道的とは言い難い……けど」
「……」
「チハルくんにじゃれつくルーくんは、とても幸せそうに見えるんだ」
アラガミ化したことのあるリンドウだからこそわかる。
あの飢餓感に、体全身が燃え焦げるような熱く苦しい気持ち。もはや自分が自分であることすらわからず、ほんの少しでもその苦しみを癒すために、わけもわからぬまま暴れまわらずにはいられなかった──そんな、おぼろげだけれど確かな地獄の記憶。
「……幸せそうだよな、本当に」
苦しんで苦しんで、どうしようもなかった自分とルーは明らかに違う。自分とは違い人造のアラガミであったとしても、ルーは誰がどう見ても幸せそうに生きている。好きな時に起きて、好きな時に食べて、神機使いたちとじゃれあって遊んで……そして、好きな時に寝ている。いっそ羨ましいと思えるくらいの生活で、そしてそれは、決して地獄の苦しみで心を蝕まれている状態だとは思えない。
「自分から人造アラガミになったのか、強制されたのか……あるいは事故か偶然か、もっと別の何かかもしれないが……まぁ、誰がどう見たって今のあいつは幸せそうだよ。俺が言うんだ、間違いない」
「……他でもないキミがそう言ってくれると、私の心も軽くなるというものだよ」
「何考えてるかわかんないけどよ、あんたが責任感じる話じゃないだろ?」
「……そうかな。いや、そうなんだろうね。本人が納得しているのなら、それでいい……そこに私が変に気を回すのは、きっと余計なおせっかいなんだろうね」
沈黙。何を言ったらいいのかわからなくなったリンドウと、疲れたように天井を見上げて動きを止める榊。
なんとなくそのまま、時間はゆっくりと進む。かちり、かちりと時計の秒針が動く音が静まり返った部屋に妙に大きく響いていた。
──まぁ、手放しに受け入れられる話じゃないよな。
ぐびり、ぐびりと温くなったビールでリンドウは喉を潤す。正直あまり美味しくはなかったが、それでもないよりはマシだし、今この場では他にすることもない。
リンドウと榊はもう随分と長い付き合いだ。二人きりのこの空間で沈黙に包まれたとしてもお互いなにも気にしない。どちらかがしゃべりたくなるまでその沈黙を受け入れるのみで──そしてやっぱり、先に口を開いたのは榊の方だった。
「ここまでの話で、ルーくんがラケル博士に作られた人造アラガミの可能性が高いということが共有できたわけだが……おそらく、ルーくんは何らかの理由で記憶を失っているのではないかと思う」
「それは、元は人間なのに平気でアラガミを喰っている……つまり、人間としての意識がないからってか?」
「うむ。他でもないキミの意見だし、可能性としては低くはないと思う。人造アラガミとの神経接続にトラブルが起きただとか……理由なんていくらでもこじつけられてしまいそうだが、ここで重要なのは、【ルーくんがラケル博士の元から逃げ出した】というその事実だ」
「……ルーが造られた存在なら、フライアから離れて
「あるとしたら……ラケル博士の元に居なきゃいけない理由を忘れて、ずっとフライアに閉じ込められているのが嫌になって逃げだした、とか」
可能性としては、ゼロじゃないだろう。少なくともブラッドとルーの面識は無いようにリンドウには見えた。つまり、ラケルは身内にさえもルーの存在を隠し通していたというわけで、そうなると当然、ルーはどこかの研究施設か何かに隔離、幽閉されていたと考えるべきだろう。
あんなにも大きな体を持ち、あんなにも俊敏に動けるというのにそんな施設に閉じ込められたのなら。きっといつしか、のびのびと外を走り回りたくなる衝動を抑えきれなくなることもあるはずだ。
「ありそうっちゃありそうだが……推測の域は出ないだろ?」
「そうなんだけどね。ただ、そうだとするといくらか説明が付くことがあってだね……」
「うん?」
「ルーくんが逃げ出したのなら、彼女はルーくんを追跡しようとするだろう。アラガミの追跡には当然レーダーを使うことになるわけだが……」
「あいつの場合、ジャミングがあるからレーダーじゃ追跡できないな」
「個別の反応が追えないのなら、ジャミング領域そのもの……不自然なレーダーの空白領域を追うしかないわけだが」
「……あいつ、その辺自由に調整できるって話だよな? 領域を自分の周囲までに留めていたら、広域レーダーじゃ捉えられねえだろ」
「そうだね、普通の空白領域と見分けがつかないと思う。かといって高精度レーダーで追跡しようとしても、ルーくんの行動範囲はあまりにも広すぎる。もしレーダーで捉えられるとしたら……」
「ジャミング領域を広げざるを得ない場合……つまり、戦闘の時か」
「そう。戦闘時にユーバーセンスとしてジャミングを使ってくれたのなら、ルーくんを捕捉できる可能性がある。そしてルーくん自身はレーダーに検知されないのだから、それは原因不明の通信障害という形で表面化する可能性が高い」
「だから、ラケル博士は通信障害の報告書を読み漁って……例の報告書に辿り着いたってか」
「……おそらく」
「ん?」
「ルーくんも、そんなことはわかっていたはずだ。フェンリルの内情を知っている人間であれば、当然自分がどうやって追跡されるのかも理解していることだろう。実際、ルーくんはチハルくんをここに連れてくるとき、あえてジャミングを解除し、あえてゆったりとした速さで向かってきた……明らかにレーダーを意識した動きをしているのだから」
「……それで?」
「ただでさえ通信障害がよく発生するこの極東は、ルーくんが潜伏するには非常に都合がいいということだよ」
「…………あっ」
「フライアから逃げるだけだったら、全力でヨーロッパの方にでも行けばいい。ジャミング状態で完全に逃げに徹したのなら、もうルーくんを捕まえることなんてできない……が、物理的に捕まらなくともアラガミとの戦闘がある以上、レーダーで捕捉される可能性は常に付きまとう」
「だけど、常に似たような通信障害がどこかしらで起きてる
「あの機動力と好奇心を併せ持ちながら、数か月も極東に留まり続けていた理由が気になっていたんだよね。案外、極東なら食料が豊富にあるから……なんて理由かもしれないが。でも、アラガミの絶対数も少なくて通信障害も少ない、ここ以外の地域に行っていたら……一度捕捉されたら再び潜伏するのは困難を極めるし、間違いなく、もっと早くにその存在は露呈していた」
「で、バレたら今回みたいにラケル博士が乗り込んでくる……と。ルーのやつ、能天気そうな顔して変に小賢しいこと考えてんのな……」
確かに言われてみれば、とリンドウは改めて振り返る。ルーは普段あれだけ能天気に過ごしているが、その割には要所要所での判断力というか、その立ち居振る舞いが妙に理知的だったりする。大人が子供のように振舞うことはできても、子供が大人として振舞うことは難しい以上、ルーの本来の能力……あるいは素としては、知性を備えた大人のようなものなのだろう。
「しかしまあ、突拍子も無いが言われてみれば納得することばかりだ……で、榊博士よぉ」
ルーの秘密はわかった。
ラケル博士の目論見もわかった。
およそこれまで謎であったほとんどすべてのことに対して、理由付けが出来た。
「これからは……どうするんだ?」
であれば、次は「これから」について話さなくてはならない。
「『こっちは全部わかってんだぞ』って突き付けて、一緒に研究していくってことでいいのか? 少なくとも敵じゃあないだろ」
「それなんだけどね……結論から言うと、現状維持になるんだ」
「……理由は?」
これだけ長い時間をかけて話して、そしてこれだけちゃんとした理由による説明が出来るのに、最終的な結論が【現状維持】となる。さすがにそれでそのまま「はい、わかりました」でうなずけるほどリンドウは耄碌していないし、何よりそんな答えで納得できるはずがない。
「まず、第一に……私のこの推論が全て外れていた場合や、あるいは部分的にあってはいるけれどもヨハンと同じように、多くの犠牲を前提とした別の何かを企てていたりした場合が怖い。もしそうだとしたら……」
「……情報の有利が無くなるし、事態の好転にはならないってか」
「そうだね。あるいはもっと単純に……彼女が破滅主義者だったりとかしたら。なにをしでかすかわかったものじゃない」
これまでの全ては、ラケルが善性の人間であるという前提で話をしている。故に、もしラケルが悪人であった場合はその前提が全て崩れ去ってしまう。そんな中でこちらから情報の有利を手放すというのは、あまりにも愚かな選択であるのは論ずるまでもない事だ。
「第二に、こちらから情報を開示するメリットがない。彼女が善性の人間であろうと悪人であろうと、こっちが何も言わないことで何か損をしたり、リスクになることなどはあるだろうか?」
「……ない、のか?」
「限りなくゼロに近い、と私は思っている。あと、これが一番大事なんだが……」
「うん?」
「──下手に突きたくない、状況を掻きまわしたくない……というのが本音だね」
榊の話は全て推論だ。状況証拠としては決定的だが、本当の意味での決定的な物的証拠は存在しない。そんな中で、こんなにも突拍子もない話を突き付けて下手に警戒心を持たれるのは、あまりいい手だとは言えないだろう。
「彼女がルーくんを造ったとして。彼女にとっても、今の状況は決して悪くないんだよ」
「そうか? 貴重な研究対象に逃げられた上、そんな研究対象を俺たちに横取りされているようなもんだろ? 何とかして取り返したいと思ってるんじゃないのか?」
「我々が代わりに勝手に研究を進めてくれるんだよ? それに何かあった時は我々を共犯者にできる……というか、現段階では我々が主犯になるじゃないか。隠れ蓑としては不十分かもしれないが、
「……確かに」
「加えて、我々は現状ルーくんを管理下に置けていない」
「……どういうことだ? ルーはチハルの言うことを聞くし、エイジスに居着いているじゃないか」
「
「……無理だな」
ルーが本気でエイジスから逃げ出そうとしたのなら、アナグラにそれを止める術はない。機動力自体が段違いだし、戦闘力を以って止めることも難しいだろう。ジャミングがある以上レーダーでの追跡も難しいし、ヘリコプターや飛行機で物理的に追跡することも不可能ではないかもしれないが、それも雷で撃墜されたらそれまでの話である。
「故に、ラケル博士としては今すぐルーくんを回収する必要はない。その気になれば、【もういいですよ】と一言ルーくんに声をかけるだけで、片付いてしまう問題なのだから」
「だから、お互いにとって現状維持の方が良いってか」
「少なくとも、今はまだ。……あと、まだわからないことがあってね」
「なんだよ、まだあるのかよ……」
「まぁまぁ、これが最後だから」
本当に最後なんだろうな──と、リンドウは疑いの目を向ける。そのことに気付いているのかいないのか、榊は今までと全く変わらない調子で語りだした。
「ラケル博士は、何でルーくんに無視されていたんだろう? 少なくともラケル博士自身は、ルーくんと会えることを楽しみにしていたように私には見えたのだが」
「……まあ、実際めちゃくちゃ楽しみにしていたんだろうな。俺が大尉殿の胃を心配する程度にははしゃぎまくっていたし」
「ルーくんの性格なら、あれだけストレートな好意を向けて来る女性であれば、同じように好意で返すと思うのだが。それにラケル博士も、ルーくんに無視されてショックを受けているようだったし」
「ふーむ……」
榊の言わんとしていることはわからないでもない……というか、納得できるというのがリンドウの率直な意見だ。基本的にルーは誰に対しても友好的だし、特に相手が女性となれば誰にでもじゃれついて甘えたり、逆に甘えさせようとする様子を見せている。
だというのに、ラケルに対してだけはそっけないというか、明らかに特異な反応を示している。元から面識があったにしても、【心底どうでもいい】、【うっすら嫌っている】、【あまり関わり合いになりたくない】という評価になるとは、ちょっと考えにくいように思えた。
「険悪な関係だとしたら、もっと激しい拒否反応を見せるはず。ラケル博士が一方的に好意を向けているだけなのは間違いないだろうが、無視されてショックを受けていたということは、大なり小なり好意で返されるという思いがあったということだろう?」
「……あっ」
リンドウは、気付いてしまった。
「あのよぉ、博士。もしかしたら……って話なんだが」
「構わないよ。むしろ、私には無い視点での意見は大歓迎だ」
一方的な好意。うっすら嫌っていて、しかし明確に険悪な関係というわけではない。好意を返されるという期待があったということは、かつて好意で返されたという実績があってもおかしくないわけで。
リンドウはそんな現象に、聞き覚えがあった。
「……これって、反抗期ってやつじゃないのか?」
「……は?」
頼むから、マジな顔でそんな風に見て来るなよ──という言葉を飲み込みつつ、リンドウは言葉をつづけた。
「ラケル博士は慈愛に満ちた人物だろ? でもって、ブラッドの連中を家族と呼ぶあの態度をみれば……あえてこの言葉を使うが、母性に溢れた母親ってわけだ」
「……」
「もっと言えば、母性に溢れすぎている。行き過ぎた母性と言ってもいい。時にそれは子供に対する過干渉を起こしてしまい、その結果として……」
「…………反抗期が来る? いや、そうでなくとも母親を煩わしく思う?」
「一方的な好意ってのは、まさしく母親の愛だろ? そして、思春期の子供にとっちゃそんな母親の愛が照れくさくて煩わしい。母親のことが嫌いになったり、無視しようと思うのも不思議はない……よな」
「………………ありえる、のか?」
「久しぶりに子供に会えると知ってはしゃいでいたのに、いざ会ったら反抗期の子供に無視されてショックを受けた……ありそうだろ? 母性が強ければ強いほど、その分ショックも大きいだろうし」
「………………じゃあなんだ、ルーくんはもしかして」
「……
チハルはルーのことを「子供みたい」と表現している。そしてラケルは明らかに「行き過ぎた母親」だ。リンドウの頭ではこれ以上しっくりくる理由は思いつかないし、そして何より、考えれば考えるほどそうでなきゃありえないとさえ思えてきてしまう。
「いやはや驚いた……! 確かにそれなら、全てのことに説明がつくね……! 反抗期というのも、ルーくんの発生……自我の芽生えや精神の熟達を考えれば、十分に可能性のある話だ……!」
「反抗期ってのは1歳から3歳ごろの第一次反抗期と、11歳から17歳ごろまでの第二次反抗期があるって話だからな。ヒトだった頃のあいつが俺より年上だったとしても、アラガミ化してから記憶もヒトとしての自覚も失ったって言うなら……まぁ、生まれたての子供みたいなもんだろ」
「そうだね。ルーくんがルーくんになってからどれだけ時間が経っているのかはわからないけれど……十分にあり得る話だ」
「もう自分の反抗期の事なんて覚えちゃいないけどさ。母親がベタベタ干渉してくるってんなら、その気持ちはわからなくはないんだよな」
「確かに……遠い記憶だが、私にもそんな覚えがあるようなないような。……というか、リンドウくん?」
「……なんだよ?」
今日一番と言って良いほど、榊は穏やかに、楽しそうに笑っていた。
「失礼ながら、随分と反抗期に詳しいようだね?」
「……ちゃんと育児にも参加しろって、サクヤのやつが。だからそれなりに勉強を」
「本当に?」
「……」
「そういえば、レンくんは確か2歳くらい……ちょうど、反抗期の真っ盛りと言って良い頃合いだね。この場合、イヤイヤ期になるのかな?」
「……」
「いやあ、パパだねえ……おっと、平和だねと言うべきか」
育児に関する資料なんて、探すのは大変だっただろう──と、榊はとてもとても楽しそうに笑う。こんなふうに突かれるのが嫌だったからそこはかとなくボカしたのに、どうやら榊にはリンドウの考えなんて筒抜けであるらしかった。
「さて。あまり新米パパを引き留めるわけにはいかないからね。そろそろ締めに入ろうか」
「へーへー、どーせ俺は反抗期が怖くて怖くて仕方のない新米パパですよっと」
「何もそこまでは言ってないのだが……というか、誰だってそれは不安だと思うよ?」
「…………ここしばらくずっと、画面越しにしか話せてないからよぉ。割とマジに、『たまに家にやってくる変なおじさん』と思われてる可能性が」
「…………クレイドルの労働状況の見直しを検討するよ」
ごほん、と榊は大きく咳払いをする。
リンドウは、僅かに残った温いビールを一気に喉に流し込んだ。
「さっきも言った通り、方針としては【現状維持】だ。ラケル博士が終末捕喰を企てている場合……おそらく、ルーくんを特異点化させるために、何かと理由をつけて様々なアラガミのコアを捕喰させようとすることだろう」
「止めなくて、いいんだよな?」
「うむ。特異点化なんてそう簡単にはできないからね。そもそも特異点とは超高密度の情報集積体だ。情報を集積するだけでも大変だし、ただ集めるだけでは意味がない。それらの情報を特異点として完成させるためのトリガーが必要となる……少なくとも、理論上は」
「じゃあ、抑えるべきはそのトリガーか。……つまり、何かしら妙なふるまいをしていないか注意しろってことだな」
「具体的には、特殊なアラガミのコアを捕喰させようとしたり、外部からのオラクル的な干渉……そうだね、妙な偏食波を照射しようとしたりだとかかな?」
「オーケー、滅多に起きないあからさまにヤバそうな何かだってことはわかった」
ラケルが悪意のある人間だったとして。その場合は、特異点化のトリガーを抑えることで終末捕喰を阻止することが出来る。
ラケルが善意の人間だったとして。その場合は、特異点化のトリガーを抑えることでその終末捕喰に対するアプローチやプロセスが早まったものではないか、議論の余地や懸念事項が無いかどうかの確認ができる。
「最後に、私のこの推論の全てが間違っていた場合……つまり、ラケル博士は本当に偶然ルーくんのことを知って、ただ単純にルーくんに興味があるだけの場合」
「……今さら必要か、その話?」
「もちろん。自分の考えが上手くいっている時こそ、自分の考えを疑うべきさ。……実際、私はついさっきやらかしかけたばかりなんだよ?」
「……わかった。で、その場合は?」
「なるべく誠実に、いつも通りに過ごそうか。これもやっぱり現状維持だね」
「………………おい」
「言いたいことは、よぉくわかるとも。だが、ちょっと考えてもみたまえよ」
どこかバツの悪そうに、遠くを見ながら。
うっかり花瓶を割ってしまったのを告白する子供のように、榊は語りだした。
「ラケル博士がルーくんと何も関係が無かった場合……彼女の目には、我々はどう映るだろう?」
「……どういう意味だ?」
「三年前に人造アラガミを造って終末捕喰を起こそうとしていた連中が、また何か秘密裏にアラガミを研究しているんだよ? それも、明らかに既存のそれと逸脱したものを飼育して……きっちり
「……あっ」
「前科のある組織。そのトップはかつての事件の犯人の友人で強い繋がりがある。
「……」
「……だから、その、つまり」
「以前やらかした連中が、性懲りもなくまたやらかそうとしている……再び終末捕喰を起こすために、新たなノヴァを造ろうとしているようにしか見えない、ってか」
「…………そうなんだよねえ」
「そうすると、【正義の味方】は向こうになるな。ラケル博士は、体を張って悪の組織の目論見を防ごうとした女傑ってわけだ」
「……我々があちらを怪しげな組織と思っているように、向こうもまた、我々のことを危険な存在だと思っているのかもしれない。もしそうだとしたら、なるべく早くお互い腹を割って話して誤解を解くべきだろう。そうじゃないと」
「そうじゃないと?」
「……あまりにも不毛すぎる。これまでの長い話も、ラケル博士らに対する警戒も、全部無駄だということになるのだから」
「……」
「あらゆることにおいて、最も大事なのは誠実であること……なのかもしれないね」
そしてとうとう、長い長い話は終わる。夜もすっかり深くなり、あともう少しで日付が変わってしまいそうなほど。さすがにもう話すことは無いし、あったとしてもこれ以上は明日に響く。リンドウも昔ほど若くは無いし、そうでなくとも戦場に立つ人間が、寝不足でミスなんてできるはずもないのだから。
「じゃあな、榊博士。あんま夜更かしすんなよ。またリッカのやつに怒られんぞ」
「ははは、肝に銘じておくよ……ところで」
退室しようとするリンドウを、榊は呼び止めた。
「実は、この前キミに見せた【青春ドリンク】はジュースではなく……神機使いの疲労回復用に私が直々に特別な調整を施した
「……」
「……せめてものお詫びというわけではないが、ジュリウスくんに渡したほうが良いだろうか? これもまた、誠実に歩み寄る一歩だと思うんだ」
「【誠実】って言葉の意味を、辞書で調べ直したほうが良いんじゃないか?」
返事を待たずに。
リンドウは大きくあくびをしながら、支部長執務室から退出した。
第三部、(一応)完結です。
一区切りがついたので、またしばらく書き溜め期間に移ります。相も変わらずおしごとはやばやばですが、皆様の感想はすべて目を通しており、大変励みになっております。
この後は3.5部(?)としてちょこちょことやり残したことを回収しつつ、最終部(第四部)に移ります。100話で綺麗に完結できると良いなって感じですね。なお、当初の予定ではこの三部までを45話で終わらせて、60話で完結だったので、たぶんだいぶ長引くと思います。