「さて……それじゃ改めて、報告を聞かせてもらおうか」
極東支部──アナグラにおいて、一番偉い人である支部長。その支部長の執務室にチハルたち四人は招かれていた。
目の前にいるのは、インバネスコートを羽織り、チェーン付きの眼鏡をかけた初老の男性。キツネを彷彿とさせる細い目にいつだって崩れない張り付けたような胡散臭い笑みがなんとも警戒心を掻き立てるが、このちょっぴり怪しい男性こそが、チハルたちの実質的なトップ……すなわち、支部長であるペイラー・榊その人であった。
「
その細い目がほんの少しだけ開いたような気がして、自然とチハルの背筋が伸びていく。良い人だということはわかっているのだが、その胡散臭い笑みと一番偉いというその肩書から、チハルは榊のことがちょっぴりだけ苦手であった。
「ええ。俺とエリナ、チハルの三人で現場に行ったら……その時はもう、見事にバラバラになっていました。そりゃもう、目も当てられないほどでしたよ」
「ふぅむ。まぁ、なんだかんだと言っても普通のヴァジュラだ。それを成すことができるアラガミは決していないわけではない」
「え……」
チハルもエリナも、ぴしりと表情が固まった。
そう──チハルたちが現場で見たヴァジュラは、いいや、ヴァジュラだったものは思わず顔をしかめたくなるほど酷い有様だったのだ。仮にも大型アラガミであるあのヴァジュラが、まるでボロ雑巾か何かのような状態で、腕も、足も、発電器官であるマントも、無事であるところなんてどこにもない程痛めつけられていたのだ。
手足はバラバラで、おなかはぐちゃぐちゃに食いちぎられていて。ぽきりと折られた大きな首は、明後日の方向を向いていて。何にも映していない虚ろな瞳は一個だけしか無くて、頭の半分は思い出したくないほど陥没していて。
熟練の神機使いであってもあんな風にヴァジュラを痛めつけることなんて出来はしない。あんなことができるのだとしたら、ヴァジュラよりもずっと大きく、ずっと力の強いアラガミでしかありえない。
でも、そんなアラガミなんて存在しない。存在しないからこそ、奇妙な事件としてこうして支部長の執務室まで呼び出された……と、そう思っていたのに。
「い……いるんです、か? アラガミを、あんな惨たらしい
「……あまりにも危険すぎて、一般の神機使いには公開されていないアラガミがいる。それこそ、第一部隊の精鋭がチームを組んで対応する相手だ。キミたちが知らないのも無理はない」
「そんな……」
「──しかし、どうもこいつは不可解な点がある。……ヒバリくん?」
神機使いとしてではなく、オペレーターとしてミッションに参加していたヒバリ。榊に促されたヒバリは、まるで準備してあったかのようにすらすらと話し出した。
「はい……あの時、周囲にはそれらしいオラクル反応はありませんでした。もし
ヴァジュラを甚振ることができるほどの強力なアラガミであれば、絶対にレーダーに反応がある。これが貧弱な小型アラガミならまだしも、強力なアラガミであればあるほどそのオラクル反応は強いのだから、捉え逃すなんてことはほぼあり得ないと言って良い。
つまり、あの場にはそんな強力なアラガミなんていなかったということになる。
「ど……どういうことなんですか? 強大なアラガミがいなかったって言うのなら、あのヴァジュラはいったいどうして……」
「そのヒントを探るっていうのが、今回のミッションのもう一つの目的だったんだよ」
「え……」
なんでもない事のように、コウタは告げた。
「実は、最近こういう事例が多発していてさ。現場に到着したら、見るも無残な残骸だけしか残っていなかったってことが……この数か月で、数十件も」
「中型以上のアラガミだけでそれだけの件数です。比較的脅威度が低く、レーダーでの捕捉をしていない小型アラガミも含めれば、おそらくもっと……」
「あ……そう言えばキョウヤくんも、アラガミがいなかったって言っていたっけ。……でも、どうして今回のミッションもそうだってわかったんですか?」
「実はですね──」
モニターに映されたこのアナグラ周辺の地図。ミッションで出撃するたびに確認するものだから、もうチハルもすっかり見慣れたものだ。
「最初の報告があった時の場所がここ。次の報告がここで……その次が、ここ。このように時系列順にその場所を並べていくと……」
「少しずつ移動している、の……?」
「はい。だから、次にこれが起きるポイントを大まかにですが予想することが出来ました。これがいろんな場所で散発的に起きていることか、あるいは一か所だけで起きていることならレーダー不良の可能性も考えられたのですが」
「どう見ても、何かがアラガミを喰い漁りながら移動しているようにしか思えない……」
明らかに指向性のあるその動き。だからこそ、オペレーターとしてミッションの管理をしているヒバリが真っ先に疑いを持ち、上層部と一部の神機使いの間でこの件は共有されていた。
ただの偶然である可能性も捨てきれないから一部のみにしか情報は共有されていなかったが、今回の件で確定的になったと言ってもいい。
「あの、コウタさん」
「どした、チハル?」
「……その、何か凄く凶暴なアラガミが本当にいるとして。そんな疑いがある場所に……
「あー……それなんだけどさあ」
奥歯に物が挟まったかのような、なんとも言えないスッキリしない顔。
「人的被害、一切出てないんだよ……」
「……えっ?」
「チハルもなんとなくわかると思うんだけどさ。この手の異変が起きた時って、それに応じて何かしらの被害が出るだろ? 神機使いが襲われたとか、物資の輸送隊が襲われたとか……あるいはもっと単純に、ヤバいアラガミの報告例が増えただとか。でもそういうの、一切ないんだ」
「それどころか、ここ最近のアラガミによる被害は明らかに減っています。大型アラガミの出現自体も、はっきりとデータに出てくるレベルで減っていますね」
「んんん……?」
ぴこん、とモニターに映し出された映像が切り替わる。チハルはあんまり学がある方ではないが、そんなチハルでさえもはっきりわかるほど、何かを示したその棒グラフはある一時期から明確な減少傾向を示していた。
「えっと、えっと……つまり、どういうこと?」
「つまりだね──レーダーに反応しない強大なアラガミが、非常に積極的にアラガミだけを狩っている可能性があるのだよ。そしてそのうえで、どういうわけか我々人間の活動圏内に入らないようにしているらしい」
チハルの疑問に簡潔に答えた榊は、まるで夢を語る少年のような弾む声で言葉を紡いでいく。
「実に、実に興味深いことだ。人間の活動圏内に入り込むことなんて造作もない移動力があるのになぜかそうしない。強力な力を持つのに、アラガミだけを襲っている。意図的に我々から姿を隠して行動している節さえ見受けられるということは、知能も高いのだろう」
チハルの知っている──世間一般の認識としてのアラガミは。
その本能のまま人間を襲うし、人間の領域を容赦なく侵してくる。まるで自身がこの世界の頂点であるかのようにこの荒廃した大地を闊歩し、知性も悪意も一切なく人類を滅亡へと導いている。
「故に私は、ある一つの可能性を考えている。希望を見出していると言ってもいい。それ即ち──」
「ま、まさか……人を助けてくれるアラガミってことですか? 私たちとおしゃべりができて、分かり合えるアラガミってことですか……!?」
「ふむ。おしゃべりができるかは
どこまでも穏やかに、榊はゆったりと笑っていた。なぜだかチハルには、榊のその笑みに……もう二度と帰れない故郷や会えない人を偲んでいるような、そんな何かが含まれているように思えてならなかった。
──もう少し、チハルが冷静に周りを見ることができていれば。意味ありげに目を見開いて驚いているコウタとヒバリに気付くことができただろう。
「……そんなアラガミ、いるわけないじゃん」
「……ははは、そうかもね。確かに私は科学者として少々ロマンチストだと、旧友にも指摘されたことがある」
不貞腐れたようにつぶやかれたエリナの言葉。それに気分を害した様子もなく、榊はにこりと笑ったまま再びチハルたちに問いかけた。
「故に、私は知りたい。そのアラガミがどんな形態をしているのか……現場を見てきたキミたちの生の声を聞きたいというわけだ」
長くなったが、つまりはこれこそがチハルたちがここに呼び出された理由なのだろう。
「あー……神機で付けられたような感じの傷はなかったっす。噛み痕っぽいのはありましたけど、捕喰形態で付けられたような感じじゃない……もっとでっかい何かが、無理やり引きちぎったような感じでしたね」
「……アラガミの話してるのに、なんで神機使いに付けられる傷の確認してるの? そんなの当たり前じゃん」
「……いろいろあるの、大人には!」
どういうわけか、エリナの機嫌はあまりよろしくないらしい。なんとなくあまり長引かせないほうが良いと察したチハルは、あの時見た光景をなるべく詳細に思い起こそうと、自らの記憶を呼び起こしていく。
「すごく、すごく大きくて力の強いアラガミだと思います。首は綺麗に折れていたし、ぺしゃんこになって押し潰れていたところもありましたから。……あ、あと鋭い爪もあるかも。背中の所とか、ざっくり切れていたし」
「そうか……ありがとう、他に何か気づいたことはあるかね?」
なんだかちょっぴり残念そうな顔をしていたような──なんて思いつつ、チハルはさらに言葉を続けていく。
「あと、えーっと……あちこち焼け焦げた痕があったから、火属性のアラガミかも」
「あ、それはちょっと怪しいかもしれない。あの焦げ方は、燃えたっていうよりかは内側からやられてる感じっぽかったし。なんとなく雷属性っぽい感じがするんだよなー」
「えー? 確かにそういう風にも見えたけど……でも、ヴァジュラですよ? ヴァジュラが雷でやられるとは思えないし、火属性のアラガミだとすればあっさりヴァジュラを倒せる辻褄も合うと思うんですけど……」
「そーなんだよなぁ……けど、火属性のアラガミが戦ったならもっと周りにも焼け焦げた痕ができるはずだろ? それに、地面が燃えた痕跡が一切なかったんだよな」
「あ……確かに、言われてみれば」
そうして、半ばブレインストーミング的に気づいたことを出し合って。これ以上の情報はどう頑張っても出せそうにないと断言できる頃には、決して少なくない時間が経っていた。
「ふむふむ、ありがとう。やはりというか、今までの情報をまとめると既存のアラガミではなさそうだね。引き続き、調査依頼を出すかもしれないが……今日ここで知り得たことは、全体への告示があるまでは他言無用で頼むよ」
ミッションは成功扱いになるから心配しなくていい──なんて、榊はにこりと笑いながら告げて。
チハルたちは、支部長執務室を後にすることとなった。