チハルがブラッドアーツに目覚めたという話は、関係者の間に衝撃をもたらした。
それもそうだろう。確かにチハルは《喚起》実験の際にヒロの近くにはいたが、しかしそれだけだ。チハルよりも明らかに長い間ヒロと行動を共にしているナナやロミオは未だに《血の力》に目覚めていないし、あれだけ必死にアプローチをしていたルーにも全くその兆候が見えない。そんな中で、本人でさえ意識していなかったチハルが《喚起》されたというのであれば、騒ぎにならないはずがない。
そもそも、チハルはブラッドでも何でもない普通の第二世代の神機使いだ。《喚起》のサンプルがいまだにシエルのそれしかないという事実を差し引いても、今まではブラッドしか扱えなかったはずのブラッドアーツが扱えるようになるだなんて、いったい誰が想像したことだろう。
──確かに、理論上ありえない話ではないが……。
──ふふふ。こういうことがあるから、人間の意志の力は侮れないんですよね。
榊もラケルも、その報告には大いに驚き、そして喜んだ。完全に予想外の事態とはいえ、一つの検証結果としてそれは非常に大きな意味を持つ。ルーの《喚起》こそいまだに達成できる見込みはないが、それを補って余りあるほど、それがもたらす事実は大きいのだから。
──これはもしかすると、感応種への対抗策が見つかったかもしれないね。
そんなわけで、チハルの調査は早急に行われた。
その結果、いくつかわかったことがある。
ブラッドアーツを扱えるようになったチハルであったが、《血の力》は発現していなかった。どうやら《血の力》はあくまでブラッド──より厳密にいえば、P66偏食因子に適合した人間だけがもつ能力で、ブラッドアーツは感応能力が高まった結果できるようになるものであるらしい。
つまり、《喚起》さえすることができれば。言い換えると、何らかの手法により潜在化している感応能力を強化することができれば、誰でもブラッドアーツを扱うことができるのだ。
そして感応能力が高まったおかげか、チハルは感応種による神機封じの影響も受けなくなっていた。
従来の神機使いは感応種の神機封じの影響を受けるのに、ブラッドは影響を受けない理由。それは、ブラッドは従来の神機使いに比べて意志の力が強い──感応能力が高く、感応種が発する特殊な偏食場パルスの影響を受けないためである。
そう、ブラッドアーツを扱えるほど感応能力が高まっているのなら……偏食場パルスの影響を受けなくなるというのも、当然のことなのだ。
──少し、方針を変更しようと思う。
──ええ、私もそう思ったところです。
で、だ。
チハルという、ごくごく一般的な普通の神機使いがブラッドアーツを扱えるようになった──感応種と戦えるようになったというその事実は、決して見過ごせることじゃない。それもやり方はわかっている……《喚起》をするだけで何のデメリットもなく扱えるようになるうえ、検証するのにコストもかからない。
そもそも、今一番問題となっているのが感応種への対抗手段だ。現状ではブラッドとルーしか感応種とは戦えないわけで、あえて語るまでもなくこれは非常に由々しき問題である。いくらアナグラには歴戦の兵が多数所属していると言えど、神機が使えなければ抗うことすらできないのだから。
つまり。
──ルーくんと並行して、
──とっても言いにくいのだけれど……すでに《喚起》しているあなたは、任務から外れてもらうことになるわ。
──おっと、責めるのなら私にしてくれ給えよ。彼女は約束を反故にしようとはしていない……今回の決定については、私の都合なのだから。
──本当に、ごめんなさい。代わりというわけじゃないですが、今度みんなでピクニックに行きましょう? だから今はそれで……ね?
博士たちがそんな判断を下すのも、しょうがない話であった。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「オトナってずるい……! もう絶対信じないもん……!」
「なんだよお前、それで不貞腐れてんのか」
「だって! だって! ラケル博士は長くても一か月で終わりって言ってたのに!」
「ブラッド以外でも《喚起》できるって実例ができた以上、期間を延ばすのは当然の話だろ。でもって、《喚起》ってのは心を通わせることで発動するんだろ? じゃあ、既に《喚起》済みのお前がヒロの近くにいたら、ほかの人が《喚起》できる機会を無駄に奪うことになるじゃねえか」
「……」
「もっと言えば、
「……キョウヤくんのばか! 人でなし! 正論マン!」
「おうおう、好きだなけ言ってろ。……こうしてみると、反抗期の子供にしか見えないよなあ」
「もぉぉーっ!」
キョウヤの言うことはどこまでも正しくて、誰がどう聞いても正論だ。そんなのチハルにだってわかっている。
でも、わかっているからこそ納得ができない。理解はできても、心がそれを受け入れようとしない。
だからチハルは、駄々をこねる子供のように、ぽかぽかとキョウヤを叩くことしかできなかった。
「……ま、チハルのことは置いておくとして」
「置いておくなぁーっ!」
「……今日は新開発の携行品の検証を行うって話でしたよね? なんかその……その割には、アサインされたメンバーがガチすぎるような」
オロオロとしながらチハルを宥めようとしているアリサ。
いつも通り、我関せずと言わんばかりに神機を肩に掲げているソーマ。
そして、チハルを宥めようとするアリサをなんとも言えない表情で見ているコウタ。
三人ともが白銀のジャケットを着ている──つまりは、クレイドルの所属だ。本来であれば、チハルやキョウヤたちとは比べ物にならないくらい重要で危険な任務をこなす人達なわけで、たかだか携行品の検証などという任務に三人もアサインされることなんてあるはずがない。
「まさか、クレイドルが集まらなきゃいけないほどコレ──【強制解放剤 極】ってヤバいやつなんですか?」
この前と同じ、アナグラ内部の訓練所。チハルたちがここに集ったのは、新しく開発されたというこの携行品──【強制解放剤 極】の検証を行うためだ。当然、アラガミと戦うわけでも何でもない検証なので、任務としての危険度は最低クラスと言っていい。本来ならば、入隊したばかりの新入りがやるような雑務と言えるだろう。
『半分あたりで、半分外れってところかなー?』
インカムから聞こえてきた、リッカの声。キョウヤがふと目線を上にあげると、訓練所の三階にあたる部分に併設されているモニタールーム──ガラス張りで訓練所内が一望できるあそこだ──にいるリッカがひらひらと手を振っているのが見えた。
『キミたちにテスターをお願いできる程度には安全性を確認済み……なんだけど、こちらの想定を超えた強力な効果がでるかもしれない。あたりってのはそういう理由』
「ああ……だから、今回はモニタールームにいるんですね」
『そそ。で、外れの理由は……単純に、今アナグラにいる中でちょうどいい人がキミたちしかいなかったから。……本人の強い希望により参加した人もいるけどね!』
本人の名誉のために、名前は伏せておくよ──とリッカは冗談めかして笑う。
『時間がもったいないから、さっそく説明をするね。キミたちに渡した【強制解放剤 極】はその名の通り、【強制解放剤】の性能をより強化した改良品!』
チハルたちの手元にある、割とよく見かけるタイプのアンプル。キャップを外し、注射針でぶすっと刺すだけで使えるという優れもの。規格品として量産されている容器は使い捨て品であり、Oアンプルや挑発フェロモンなんかも基本的には同じものが使用されている。
その中身を識別できるのは容器に貼付されたラベルだけであるが……今回渡されたそれには、大きく【試作開発品】と記載されていた。
『その効果は……ま、使ってみたほうが早いかな?』
リッカのその言葉を聞いて、その場にいる五人全員が自らの腕にその細い注射針を突き刺した。
「……おっ?」
「ぬ……?」
どくん、と心臓が大きく鼓動し、そしてチハルたちの体にある種の全能感にも似た高揚感が満ちていく。何もしていないのに力が漲ってくるし、体が熱くてしょうがない。ちょっとびっくりするくらいに脈が速くなり、耳の奥でその強すぎる鼓動が聞こえるくらいなのに……不思議と、体への負担はほとんど感じない。
ここまでは、いつもと同じ
──だからこそ、普通じゃなかった。
「……へえ」
何かに感心したように、ソーマが小さく笑った。
「体への負担がねえな。……リッカ、継続時間は?」
『普通にちゃんとアラガミを捕喰したときと同じくらい……の、見込み!』
「そ、そんな……!? それってまさか、強制解放剤のデメリットが一切なくなったってことですか……?」
『そのとーり!』
強制解放剤。その名の通り、使用した神機使いを強制的に神機開放状態にすることができる携行品だ。神機開放状態における飛躍的な戦闘能力向上効果はもはや語るまでもなく、戦闘においていかに素早く神機開放状態になるか、ひいてはそれを維持できるかは任務の成功率に直結するくらい重要なことであると言ってもいい。
そんな神機開放状態にアラガミを捕喰せずともなれる強制解放剤は、神機使いたちの御用達のアイテムである──と思われがちだが、実際はそんなことはなかったりする。
そう、強制解放剤には【手軽に神機開放状態になれる】というメリットを台無しにするほどのデメリットが存在するのだ。
「強制解放剤って……使った瞬間にすっげーだるくなる奴だったよな……!?」
「う、うん……! 研修で使った時、正直こんな状態でアラガミと戦うなんて絶対無理だーって思ったくらいのやつだよ……!?」
強制解放剤のデメリット。単純に、使用者への身体的負担が大きい。慣れていないものが使えば一瞬で立てなくなるほどで、慣れているものであっても……それこそ、直後に回復錠を使わないといけないと判断してしまうくらいに疲弊する。
いくら神機開放状態になって身体能力が向上したとしても。本来の体力がごっそり削られてしまっては何の意味もない。
加えて、強制解放剤で神機開放状態になった場合、アラガミを捕喰して神機開放状態になった場合に比べてその維持時間は半分ほどもない。体力を著しく削ってもあっという間に効果が切れてしまうものを、わざわざ使うもの好きなんてほとんどいない……というのが、実情だ。
が、しかし。
この【強制解放剤 極】はそんなデメリットが一切ない。
それが持つ意味の大きさを、わからない神機使いはおそらくいないだろう。
「すっげーなあ……! 正直俺も、強制解放剤を使った時の心臓がどくん! って一気に跳ね上がる感じが好きになれなかったんだけど……これなら使ってみたいかも!」
「万全の状態でアラガミとの戦闘を開始できる……作戦行動の
「一応聞くが、繰り返して使用した場合はどうなる?
『さすがにそこまではできないかな。でも神機開放状態の維持には効果があるから……そうだね、その【強制解放剤 極】の効果は【アラガミを捕喰するのと同じ】だと思ってもらえれば大体オッケー!』
アラガミを捕喰せずとも神機開放状態になれる代わりに、体力が大きく削られてしまうという強制解放剤のデメリットが、【強制解放剤 極】には一切ない。こうなるともう、戦闘中にアラガミの捕喰を行うという今までの常識すらひっくり返ることになるだろう。あえてわざわざそんな危険な真似をしなくても、アンプルを注射するだけで事足りてしまうのだから。
「いやでも本当にすごくない……!? 強制解放剤なんて使ってる人みたことないけど、これからは必須になるかも!」
「開発者の人にゃ悪いが、アンチジャミング剤と同じがっかりアイテムだと思ってたぜ……」
「おいおいキョウヤぁ。さすがにアンチジャミング剤と同じってのはひどすぎないか? 強制解放剤って昔は必需品だったんだぞ?」
「えっ」
自前の神機──第一世代の銃型神機をわざとらしく掲げながら、コウタは笑った。
「俺みたいな旧型神機の銃の場合、捕喰ができないだろ?」
「でも……普通に神機連結開放してもらえばいいだけじゃ」
「それができるようになったの、新型神機が出てきてからだよ。つまり、三年前からだ」
「……あ」
旧型神機──すなわち第一世代の銃型神機の場合、神機の捕喰形態が機能として存在していない。だからアラガミを銃撃で倒すことはできても、そのコアを回収することができない。当然、アラガミから銃撃のためのオラクルを回収することもできないので、剣型神機の使い手と行動を共にし、戦闘時には剣型神機が回収したオラクルを分けてもらうことで、銃撃用のオラクルを補給する。
そんな神機使いでありながら捕喰ができない第一世代の銃型神機が神機開放状態になるには、強制解放剤を使うしかない……使うしかなかったのだ。
「ま、俺は
「……それこそツバキやサクヤくらいだろ。衛生兵が倒れるわけにはいかないからって、サクヤのやつはほとんど使ってなかったが」
『ジーナさんは信念から使わないって言ってたねー。カレルも使ってなかったけど、あいつは無駄な出費なんてしたくないーって言ってた気がする』
ちなみにカノンも衛生兵であるため、サクヤと同じような理由で使っていない。使っていないというか、隊長であるタツミが使わせなかった。『あんな危ないもの使う必要ないだろ!?』、『俺たちは防衛班なんだぞ!?』、『後生だからそんなこと考えないでくれ』……とカノンを強く説得している姿を、リッカは何度か目にしている。
「しかし、そうなると……リッカ先生、質問いっすか?」
『どしたの、キョウヤ?』
「なんでいきなり、こんなすげえのができたんですか? 普通の【強制解放剤】も【強制解放剤 改】も、実運用にはかなり課題がありましたよね? ちょっとやそっとの改良でこの【強制解放剤 極】ができるとは思えないんすけど……」
『おっ、良いところに目を付けたね! ……神機開放状態が終わるまでまだ時間がかかりそうだし、ちょっと説明してあげようかな!』
「あざっす!」
「わくわく!」
「いえーい!」
「や、やったー……?」
「…………」
「ノリ悪いよな、こいつ」
どん、とからかうようにコウタがソーマの肩を叩く。そんな姿をガラス越しに見届けてから、リッカは語りだした。
『まず初めに……キミたちはアラガミを捕喰することでバースト状態になるわけだけど、ここで質問。どうして、アラガミの死体を捕喰したときはバースト状態にならないのかな?』
神機使いがバースト状態になる条件。それは、
「あれ……そういえば、なんでだろ?」
「バーストってのはアラガミのオラクル細胞を取り込んで体が活性化した状態……だよな? 死体からでも銃撃用のオラクルの回収はできるんだから、理論上はバースト状態にもなれる……のか?」
「でも、実際はなれない……まさか、オラクル細胞の活きがよくないから……とか?」
「まさか、そんなわけ──」
『チハルちゃん、正解』
「「えっ」」
『究極的には【活きが良くないから】なんだよね。バースト状態ってのは、外部から活性状態のオラクル細胞を取り込むことで自身のオラクル細胞を活性化、つまり励起状態にすることを指すんだ。活動を停止したアラガミは、オラクル細胞としては生きていても活性状態ではない……つまり、こっちを励起状態にさせるだけのエネルギーは持ってないの』
温かいご飯を食べるとおなかが膨れて体も温まるけど、冷たいご飯だとおなかは膨れても体は温まらない──そんなイメージであると、リッカは補足の説明を入れる。
『この前話したリンクバーストの仕組みでも言ったけど、この活きたオラクル細胞を取り込むってのがとにかく大事なんだよね。強制解放剤も神機使いをバースト状態にさせる以上、原理としては似ているんだけど……』
「新鮮なオラクル細胞……じゃないっすよね、アレは」
『うん。アレはオラクル細胞としては活きが悪いものを使っている。それ単体じゃバースト状態には至れないんだけど……ちょっと特殊な調整がしてあってね』
「特殊な調整?」
『自身が触媒的な役割を果たし、神機使いのオラクル細胞を強制的に励起状態に持っていく作用があるの。オラクル的な強心剤……というか、もはや興奮剤に近いかな? 瞬間的な異常活性による強すぎる賦活作用で、周囲のオラクルを活性状態に持っていくんだ』
「えーっと……」
『神機使いのオラクル細胞を無理矢理使ってバースト状態にさせてるって言ったほうがわかりやすいかな? だからまぁ、めちゃくちゃ体力を使うし持続時間も短いんだ』
外部から与えられた活きの悪いオラクル細胞と、自身のオラクル細胞を使って無理やり励起状態に移行する。活きの悪さを自身の細胞で補うことで励起状態に持っていくわけだから、身体への負担は激しくなるのは当然の話であった。
『これが強制解放剤で体力が削られる理由だね。【強制解放剤 改】は原料のオラクル細胞の保存状態を良くして、少しでも使用者の負担が減るように加工、調整を施した物なんだ。その分手間とコストがかかってるんだけど……そんな都合よくオラクル細胞の安定供給なんてできないから、しょうがない』
「…………ん?」
普通のバースト状態が、活性状態のオラクル細胞を取り込むことで自身を活性化させることで。
「……いや、まさか」
従来の強制解放剤によるバースト状態が、自身のオラクル細胞も使用することで活性状態になることであるならば。
「…………ない、よな?」
【強制解放剤 極】によるバースト状態とは。使用者の負担がない強制解放剤のその仕組みとは。
「どしたの、キョウヤくん?」
「…………リッカさん、こいつの原料って」
『──ルーの涎だけど?』
【NORN:データベース更新】
◇桜田チハル
桜田チハル(15)
2072年フェンリル極東支部入隊。現在の階級は上等兵。
出生:3月24日 身長:144cm
「スプリング・フェスティバル(ミッションコード:7404NO003)」にて原隊復帰したが、神機が原形を留めないほど破損していたため、長らくオブザーバーとして活動していた。その後、神機の修理完了に伴い神機使いとして正式に復帰した。
復帰後最初の任務にて、ブラッドアーツを扱えるようになっていることが発覚。オブザーバーとしてブラッド隊と共に任務に出撃していた際に、ブラッド隊の神威ヒロの血の力である《喚起》の影響を受けて発現したものだと推測される。《喚起》の発動例としてはシエル・アランソンに続いて二例目、また第二世代の神機使いとしては初の事例となるため、その原理・条件を解明すべく、本人へのヒアリングを含めた継続的な調査が行われている。
非常に小柄な体格で子供と間違われることが多いため、同行者は常に注意し適宜フォローすること。特に、フェンリルに倫理道徳に反した児童強制労働の疑いをかけられた場合は必ずその場にて確実に訂正を行うこと。
片桐キョウヤと同期入隊であり、彼とのミッション同行回数が最も多いほか、彼と出撃したミッションの成功率はほぼ100%となっている。
神機:バスターブレード・ブラスト(第二世代)