「……が、はッ!?」
痛い。
とんでもなく痛い。
直接ブッ叩かれた左の脇腹もそうだし、地面に叩きつけられた背中も痛い。その衝撃で肺の空気が物理的に押し出され、声を上げようにも上げることができない……呼吸をしようにも、うまくできない。
「な、ん……!?」
やられたのは左の脇腹。つまり、カリギュラは右半身を使って攻撃したことになる。
でも、右半身の武器──ブレードは、ほかでもないギルが叩き壊した。そして、カリギュラの左腕ではどう頑張ってもギルの左半身を攻撃することはできない。
油断をしていたつもりはない。けれど、いくらなんでも何もないはずの場所から攻撃が飛んでくるだなんて、予想しろというほうが無理だろう。
「こいつ! 尻尾!」
「器用な真似しやがる……!!」
──ガァァァ……!!
何のことは無い。
右腕が使えないのなら。相手が、そう思い込んで隙を晒しているのなら。
意識の外から、尻尾を叩きつければいい──そう、カリギュラが判断しただけの事であった。
「ルーちゃん!」
──ルァァァ!
優しい緑色をした癒しの雷がギルの体を貫く。じんわりと体の芯から温まるような心地よさ。あれほど酷かった痛みはすっと静かに引いていき、擦り切れた手からの出血も止まっていく。体にできていたであろう酷い打撲の跡も、今頃はすっかり消え失せていることだろう。
「ギル! だいじょ──」
──アアアアアア!!
優しさから生まれた、ほんのわずかな隙。それはきっと、普通のアラガミが相手であれば隙ともいえないほどの刹那の出来事だったのであろう。ヒロだって油断しているつもりはなかったし、そうでもなければこの非常事態にそんな真似をするはずがなかった。
いや、非常事態だからこそ反射的にそうしてしまったのだろうか。一つだけ確かなのは……それは、そのカリギュラに対してだけは決して晒していけないものであった。
「……あっ!?」
「ぐっ!?」
「ハルさん!? ヒロ!?」
ブースターを噴射してのその場回転──ただし、左腕のブレード付き。遠心力とその巨躯がもたらす体重が乗った、この世のすべてを切り裂こうとする斬撃。
そのカリギュラから目を離さなかったからこそ、ガードという選択肢を取ってしまったハルオミは吹っ飛ばされた。
一方で、装甲の展開は間に合わないと咄嗟に判断し、回避を選んでしまったヒロは。
「神機……!」
神機使いの相棒。その命綱とも言える神機を吹っ飛ばされてしまっていた。
そう──ヒロ自身にケガはなくとも。凶悪なアラガミの目の前で、丸腰状態になってしまったのだ。
(……また俺は、こうやって大切な人を失うだけなのか?)
紅いカリギュラと対峙するヒロ。その背中が、三年前のケイトの背中と被る。それも、あの時のケイトは神機を持っていたが──今のヒロは、その神機すら持っていない。凶悪なアラガミを目の前にして神機がないというその意味を、知らない神機使いはこの世にいない。
「何やってんだよギルッ!!」
「!?」
ギルの思考を暗い思い出の淵から引っ張り上げたのは、ほかでもないヒロの声であった。
「注意を引くのが俺の役目! ギルの役目は──こいつをぶっ飛ばすことだろ!?」
ブレードの薙ぎ払いを、カリギュラ自身の体の下に潜り込むことで躱したヒロは、この戦場に響き渡るほどの声で叫んだ。
「だから──信じろ!」
──ルアァァァァアア!!
──!?
紅いカリギュラにルーが飛び掛かる。いまだ健在の左のブレードをガントレットで叩き落し、地面にしっかり抑えつけて。左前足はカリギュラの尻尾を抑え込み、そしてその凶悪な咢はカリギュラの首を捉えて離さなかった。
──アアアアア!!
──ルァ……!?
が、カリギュラのほうもルーの首筋にかみついている。その太い首を噛み千切らんとする……いや、噛み千切れないまでも致命傷を与えようとしているのだろう。牙の隙間からは白煙──ではなく、絶対零度を誇るとされる冷気が漏れ出ていることを見るに、傷口から直接あの氷の
「なんで……ルー、お前どうして……」
──どうして、そんなヤツすぐにぶっ殺さないんだ?
自分の口から漏れ出そうになったその言葉。ルーだったら、あんな風に飛びつく必要もなければ、あんな風に攻撃を食らうこともない。それこそ、あのカリギュラがやっているように噛みついたところから電撃を放てば、それで勝負はつくことだろう。
なのに、そうしない理由。
──ル……ゥ……ッ!!
──ア……ァ……ッ!!
「……だよな」
それはきっと、ヒロと同じ理由。いや、ヒロだけじゃなく、ハルオミやチハルも同じ気持ちなのだろう。
というか、たぶん。
ギルはずっと前から、
でも。
「そうだよな……これだけお膳立てしてもらって、俺が日和るわけには……」
神機を握る手に力が戻る。
どくん、どくんと心臓が静かに、されど力強く跳ねていく。
「──諦めるわけには、いかねえよなぁ!?」
──ア、アア、アアアア……ッ!!
──ル……ッ!?
「嘘だろコイツ……!? ルーを引っ付けたまま飛ぶ気か……!?」
ハルオミの驚愕の声。
いったいどうして、そのカリギュラがいきなりそんな行動をしようとしたのかはわからない。
けれど、事実として──カリギュラはその背中のブースターを轟轟と唸らせ、上体を持ち上げ始めた。
極寒の冷気が吹き荒れ、その余波だけで甲板が白く凍り付いていく。その鳴動はジェットエンジンと比べても遜色ないほどの大きさで……そして、カリギュラのその巨躯はルーという特大級のアラガミと組み合ったまま、静かに空中へと浮き上がっていく。
「ギル!」
「──ああ!」
このままでは、カリギュラが逃げる。
けれど──ギルは、ヒロの言葉と共に走り出した。
「ルー! 背中、借りるよ!」
「ヒロくん!?」
尻尾、背中、そして頭。
カリギュラにぶら下がったルーをヒロは
「あああああッ!!」
落下と回転。そして神機使いとしての身体能力による全力の一撃を以て。
ヒロは、カリギュラの肩に刺さっていた神機を蹴り込んだ。
──ギャアアアアア!?
鼓膜が破れるほどの大きな悲鳴と共に、カリギュラの巨躯が堕ちる。
「ルーちゃん!」
──ルゥ!
落下と共にカリギュラから離れたルーは、落下するヒロをその尻尾で優しく受け止めた。
そして──大地に叩きつけられたカリギュラのすぐ目の前には、神機を構えたギルがいる。
「逃がさねえって、言ったよな……!」
──ア、アア、アア……──ッ!?
「いい加減、しつこぉい!」
「そうだよ、ギル……それでいい!」
カリギュラの、最後の抵抗。槍を構えたその人間を吹き飛ばすはずだった絶対零度の吐息は、左右から叩き込まれた銃撃によって不発に終わった。
(ケイトさんが言っていたこと……少しだけ、わかったような気がします)
無音。限りなくスローになった世界。
カリギュラの瞳に宿るその怨嗟の光を見つめながら、ギルは神機を握る手に力を入れた。
(ヒロは、俺を支えてくれました。いや、ヒロだけじゃなく……みんなが、俺を支えてくれている)
何かが焼けこげるような匂い。カリギュラの悍ましすら覚える牙がすぐ目の前にあるのに、ギルの心は不思議と落ち着いている。
(そして俺も、こいつを……みんなを支えたいです)
耳の奥でうるさく流れる血の音。急速に流れ出す時間。紅く煌めくその体は眩しくて、口の中からは微かに血の匂いがする。
目の前には、ボロボロになったカリギュラの胴体。
(だから──)
自分は今、仲間のおかげでこうしてこの場にいることができる。
ならば、ギルがやることは──やらなくてはならないことは、たった一つだけだ。
「──届けええええ!!」
全身全霊の、神速の刺突。
荒ぶる紅のオラクルをも刃に纏わせたその一撃。
──…………ァ。
紅い紅い、カリギュラのその体。その上半身には、丸くて綺麗な大空があった。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「大丈夫、ギル!?」
「は、はは……あんな無茶するやつに心配されるほどじゃねえよ」
カリギュラの躯の元で荒い息をしながら腰を下ろしているギルと、そんなギルに手を差し伸べているヒロ。
差し出された手を意外にも素直に受け取ったギルを見て、ハルオミはぼんやりと思った。
(ケイト……俺も聖人君子じゃないからさ。今でも、ギルに対する割り切れない思いが……多分、あるんだよ)
「そうだよ! ヒロくんってばなんであんな無茶したの!? すぐに逃げなかったのもそうだし、他人の神機に触れるような真似してさっ!!」
「言われてんぞ、ヒロ」
「う……でも、神機なしでアラガミと立ち向かうってのは、チハルだってやっただろう?」
「私の場合、ルーちゃんと一緒だったもん!」
見るからにお冠なチハルと、たじたじになって困ったように笑うヒロ。そして、ギルはそんな様子をどこか嬉しそうに、あるいは安心したように見つめて静かに笑っている。
その光景は、三年前のあのグラスゴーでのひと時とそっくりで……それでいて、少し違う雰囲気も纏っていた。
(だから、我ながららしくもない……仇討ちなんて考えて、いろんな支部を渡り歩いていたんだけどさ)
「……おい待て、そういやそのルーはどうした?」
「……あっ」
──ルゥ!
「……あーっ!?」
「わぁ……すっごく美味しそうに食べてるね……もうすでに、下半身ほとんど残ってないや……」
「あのブースターって食えるんだな。……うぉっ、中は意外と普通というか、筋繊維みたいなものがブチブチって……ケーブルに見えてたのはこれか」
「だ、だめっ! ルーちゃん、ブースターは良いけどコアだけは残して!?」
「──いいや、全部残さず食っちまえ。お前だけ報酬がないのはかわいそうだからな……現物支給で悪いが、そいつが報酬だ。仕留めた俺が許可する」
──ルゥ!!
(ギルに偉そうに言っていた割に……まあ、俺もお前を失ったことに耐え切れず……ずっと、止まってたんだな)
きゃあきゃあと騒ぎながら、ハルオミの前でその三人はカリギュラの遺骸を検分している。より正確に言えば、ルーの食べっぷりを鑑賞しているのだろう。そこは食べちゃダメだとか、そんなところまで食べられるのかだとか……おっかなびっくり、その様子を笑いながらみている。
(でもな、ケイト……あのまっすぐな若いやつらのおかげでさ。ギルが前を向いて、歩きだしたんだ)
それはあの日以降、どう頑張ってもハルオミがギルにもたらすことができなかった光景だ。どんなに努力しても、ギルに与えてやることができなかった大切な何かだ。
(俺もいつまでも、くすぶっている場合じゃないよな……)
年長者として、兄貴分として。あるいはもっと単純に──ギルの本当の心の痛みを慰め得る唯一の人間として、ハルオミはギルの心に寄り添ったつもりだった。しかし結局、自分はなんだかんだと理由を付けてグラスゴーから離れ、そしてギルは自分以外の誰かの隣で、あの日と同じように笑っている。
そう──ギルがこんな風に笑うまで、こんなに時間がかかってしまった。それこそが、ハルオミが胸に抱えていた言葉にできない何かの答えだ。
(だから、そろそろ……歩き始めるよ)
ほんの少しの嫉妬にも似た何かを覚えなくもないが──ただそれだけの事実が、ハルオミの心に温かい何かを満たしていく。
(いいよな? ケイト……まあ、気長に待っててくれよな)
ぱしんと両の頬叩いて、そしてハルオミは立ち上がる。ぐうっと大きく伸びをして、降り注ぐ陽の光に少しばかり目を細めた。
「よっしゃ」
「わっ!?」
「ハルさん!?」
こっそりと背後に忍び寄り、ギルとヒロの肩にがしっと腕をかける。少々驚いた様子の二人の顔がすぐ目の前にある……のは良いとして。
「む……チハルのポジションを考えてなかった」
ハルオミの腕は二本しかない。そして、身長差というひどく物理的な理由もあって、ギルたちと同じようにチハルの肩を抱くことができない。
「え……仲間外れってことぉ……?」
「そうしたくないから、何か考えなくっちゃいけないわけだが……俺としては、チハルのほうからこう……腰のあたりにぎゅっと抱き着いてくれると、良い感じにフィットすると思うんだが」
「……せくはら!」
にこっと笑ったチハルは、ハルオミの背中へと飛びついた。
「しょうがないから、これで勘弁してあげる!」
「うむ、これはこれで悪くない……んじゃ、改めて」
嬉しさと万感の思いを込めて、ハルオミはギルとヒロの肩を強く抱き寄せる。
すぐ右にはどことなくあどけないヒロの顔があって。
すぐ左にはずいぶん大人っぽくなったギルの顔があって。
そしてすぐ上には……きっと、得意げな顔をしているチハルの顔があるのだろう。
たったそれだけのことが堪らなくうれしくて。
「──帰るかあ!」
ハルオミは、久しぶりに心からの笑みを浮かべた。
神機を弾き飛ばされて丸腰になってなお、逃げるどころか立ち向かい、そして純粋な身体能力のみであのルフス・カリギュラにダメージを与えた神威ヒロ(入隊してわずか数か月の新人)。神機キックを見たときは「マジかこいつ」ってなりましたねえ……。
なお、神機を使わずに、かつ肉弾戦(?)でアラガミに攻撃を仕掛けた例としては……。
・ルフス・カリギュラに行ったヒロくんの神機キック。
・キュウビに行ったリンドウさんの『大人しくしてろ!』。
・オウガテイルに行ったツバキさんの鉄骨ぶっ刺し。(漫画版)
……の三例くらいですかね? ちなみに、ヒロくんやリンドウさんは現役バリバリの神機使いですが、ツバキさんは既に引退しています。