「──ルーくんを《喚起》できる可能性は、限りなく低くなってしまうね」
榊は、ただただ事実だけを述べていく。
「良くも悪くも、我々は人間でルーくんはアラガミだ──より正確に言えば、その役割も、その実力も大きく異なる。そんなルーくんが、本当の意味で心を通わせる……つまり、ヒロくんに対して何かしらの特別な思いを寄せ、そして受け入れることがあるのだろうか?」
「……無い、な。ましてやあいつは、ブラッド隊の連中を子供扱いしているんだろ? それって言い方を変えれば……格下に見ているってことだ」
「チハルくんはヒロくんに同情した──同じ人間として、同じ立場だからこその気持ちを抱いたが、ルーくんはそうではない。我々のことを庇護対象としてみている……それは決して悪いことではないが、同じ目線に立っているとは言い難い……と、私は思う」
「そもそも、人間に対する理解力があって、人間との意思疎通もできるとはいえ……たとえ元が人間であったとしても、今のあいつは大なり小なりアラガミとしての部分がある。倫理道徳は間違いなく人間のそれと同じだと思うんだが……行動基準というか、判断はだいぶアラガミ寄りなんだよな」
つまり、そもそもとして同じステージに立っていない。上とか下とか関係なく、単純に人間とルーとでは立っている場所が違い、そしてその考えも、見ているところも違うのだ。
「ヒロくんがどれだけルーくんにアプローチしようとも、これではルーくんが《喚起》されることはないだろうね。何か手を打つにしても……」
「……あるのか、そんな方法? 正直俺は……ルーに受け入れてもらう方法なんて、山盛りのコクーンメイデンをプレゼントするくらいしか思いつかないんだが」
「……私も同意見だ。そのうえであえて言わせてもらうが」
「……」
「……それで、行けると思うかい?」
「………………無理だろうなあ」
ルーに何かしらの特別な感情を抱いてもらう方法。人間的な触れ合いも難しく、戦場での絆を深めることも難しい以上、出来ることと言えば好物で気を引くくらいだろうが、それで《喚起》に至るほどの強い思いを抱いてもらえるとは思えない。その程度で《喚起》できるのであれば、既にブラッドの全員が《血の力》に目覚めていることだろう。
「実に厄介な話だ。《喚起》はあくまでヒロくんの力だが、能力の発動は受動的で、被験者側での心境変化が無いと発動しない。ヒロくんがその対象を選ぶことはできないし、ヒロくんの努力でどうにかなるようなものじゃない」
「そもそも完全に対象外だった嬢ちゃんが《喚起》されたってこと自体がおかしな話だし……考えてみれば、最初のシエルの時だって《喚起》しようと思って《喚起》したわけじゃないもんな」
「しかも、こうなるとさらに困ったことがあってだね……」
「あん?」
「発動条件が掴めてきたわけだけど……下手に公開すると却って《喚起》が発動しにくくなってしまいかねない」
「うわ……」
ヒロに対して特別な思いを抱いて受け入れろ──と言われたとしても、具体的にどうすればいいかなんて誰にもわからない。かなり感覚的な話になってしまうし、明確な指標があるわけでもない。
そして──《喚起》されていないということは、つまりヒロに対して特別な思いを抱いていない、ヒロのことを受け入れていないということにもなってしまう。
「……至急対応すべき案件ということもあるが、それを抜きにしてもラケル博士はこの《喚起》の発動条件の解明について力を入れているんだ」
「……」
「ブラッド隊では、まだロミオくんとナナくんが血の力に目覚めていないわけだが……その、ロミオくんのほうがそれを結構気にしているみたいでね。『なんとか力になってあげたいんです』……なんて、彼女は言っていたよ」
「……優しい人なんだな。マジに母親みたいじゃないか」
「ロミオくんの心境は察するに余りある。後輩であるシエルくんが《喚起》され、あとから入隊したギルくんも《喚起》されて。そして、誰も予想していなかった──ブラッドでも何でもないチハルくんも《喚起》されたのに一向に自分は《喚起》されないのだから。ブラッド隊として一番付き合いが長く、仲の良い友人であるはずのヒロくんと心を通わせられていないと、暗に突き付けられているんだ」
「そりゃあ……まあ、気にもするか」
「もっとうがった見方をすると……ロミオくんは史上二人目のブラッドで、ヒロくんの先輩だ。神機使いの経歴としても、ブラッドの成り立ちからしてもロミオくんのほうが『格上』で、それがなくともヒロくんはまだ入隊して数か月の
「……」
「先輩として面倒を見るはずだった後輩は、自分よりも先に《血の力》に目覚めた。ブラッドアーツを駆使して数々の戦功を上げ、そしてその《血の力》の重要性により周囲からの大きな期待を受けている。単純な神機使いの力量としても目を見張るものがあり、その人間性やカリスマも申し分なく、とうとう……古株であるはずの自分を差し置いて副隊長にまで抜擢された」
「……それって」
榊が言わんとしていることを、リンドウにははっきりとわかった。
「……ロミオが《喚起》するのって、かなり難しいんじゃ」
「現状だと、そういう判断をせざるを得ないね。事実だけを羅列するならば……まっとうに考えて、それなり以上の嫉妬心を抱くのが当然だ。本人に自制があったとしても、心で感じてしまうのは止められないし……もしかすると、自分で気づいていないか、気づかないふりをしているだけかもしれない」
「……」
「こんな状態では、ヒロくんに特別な思いを抱き、受け入れる──【心を通わせる】なんて無理な話だ。もし、この状況でロミオくんへの助けとして……《喚起》の発動条件なんて教えてしまったら」
「ヒロに対して後ろ暗い気持ちを抱いているって言っているようなものか……」
「《喚起》の発動条件をロミオくん以外に教えた場合は……」
「周りの連中はどんどん《喚起》していくのに、自分はいつまでたっても《喚起》できない。どうして自分はダメなんだって……ってそんな負のループに入っていく」
「そして、《喚起》の発動条件を公開しない……つまり、現状維持の場合でも」
「普通に友好を深めるって形で、《喚起》される奴らが増えてくるだろうな。しかも、順当に考えればロミオより先にナナが《喚起》されるだろ? そうなると、ブラッドで《喚起》されてないのは大尉殿に次いで古株であるはずのロミオだけになっちまう」
「…………どうしよう?」
「俺に聞くなよ……」
人の心はままならないものだ──と、リンドウはなんとなく思った。自分はヒロのことを素直にすごいやつだと受け入れられたし、変なこだわりも確執もないが、しかしロミオはそういうわけではない。ヒロのありのままをそのまま受け入れるにしては、ロミオはあまりにも若すぎるのだ。そしてそれは、人間としてごく普通のことなのである。
「しかしまあ……ルーの《喚起》どころかロミオの《喚起》も難しいとはな。つくづく、心ってのは難儀なもんだね」
「うむ。ゆえに私は……《喚起》の発動条件を公開するかどうかについては、ラケル博士に一任しようと思っている。この手のことは私よりもラケル博士のほうが詳しいし、適任だろうから」
「ま、そのほうが良いだろうな。
半分ほど残ったビールを、リンドウは一気に呷る。今日もまた、話し込んでいるうちにずいぶんとぬるくなってしまったが……幸いにして、この前の打ち合わせほどではない。まだまだ炭酸は感じられるし、それなりに満足できる程度にはのど越しも爽やかだ。
「飲むものも飲んだし、俺もそろそろ──」
「話はまだ終わってないよ?」
自分の目の前で相変わらず胡散臭そうな笑みを浮かべる榊を見て。
そういえば、この人はそういう人だった──と、リンドウは今更ながら思い出した。
「ずいぶん寄り道してしまったが、この【アンエスケーパブル】において、ルーくんの行動が人間にしてもアラガミにしても少々不自然であること、そしてルーくんの《喚起》が非常に難しいであろうことがわかったわけだが」
「あれだけ話して、得られた結論はそれだけなのかよ……」
げんなりした様子のリンドウを完全に無視して、榊は言葉を紡いだ。
「そもそも本当にルーくんは《喚起》できるのだろうか? できたとして……ラケル博士らに何のメリットがあるのだろうか?」
「……そこから? ……いいや、そもそもの話として──ルーを《喚起》させたいってのは、どっちから言い出した話なんだ?」
「──私とラケル博士、両方から言い出したことなんだよ」
おや、とリンドウは訝しむ。
榊とラケルは表向きは協力的な態度をとっていつつも、裏では相手の真意を見抜こうとバチバチにやりあっている──というのがリンドウの認識だ。それはもはやリンドウの想像の及ばない
なのに、意見が合うというのは……どうにもすこし、引っかかる話であった。
「《喚起》によってルーの感応能力を強化して、感応現象で意志の疎通をできるようにしたい……ってのが理由だよな? ほかに何か裏の目的でもあったのか?」
「私の場合はそれであってるよ。ただし──」
「ただし?」
「……正直なところ、うまく行くとはほとんど思っていなかった。《喚起》は《血の力》を目覚めさせるもの……つまり、あくまでP66偏食因子にのみ作用するものだと思っていた。P66偏食因子が《喚起》の影響を受けることで感応能力が強化されると、そう思っていたんだ。……チハルくんがブラッドアーツに目覚めたのは、本当に予想外だったよ」
「おいおいおい……いや、そりゃあ確かにそう考えるほうが自然だけどさ。だったらどうしてルーを《喚起》するだなんて言い出したんだよ?」
「──ラケル博士の、反応を見たかったんだよ」
「……」
「ラケル博士の真の目的が平和的な終末捕喰で、そしてルーくんの正体がラケル博士によって造られた人造アラガミである場合。今この時点にて、ルーくんが感応現象で意志の疎通ができるようになったとして──ラケル博士に、何のメリットがあるのだろう?」
「…………えっ」
「以前話した通り、今のルーくんは人間としての記憶がない状態だと思われる。つまり、人造アラガミとして生まれた後、ほぼ赤ん坊同然の状態でラケル博士のもとで過ごし……そして、何らかの理由でこの極東まで逃げてきた」
「お、おう……」
「……感応現象で意志の疎通ができるようになってしまったら、余計なことまで我々に伝わってしまいかねないのでは?」
「…………あっ」
ラケルが平和的な終末捕喰を目論んでいたとして。その計画の要であろうルーは当然、その計画の概要を把握していることだろう。来るべきその日のためにある種の指導、教育がされていたかもしれないし、ルーの知能と理解力であれば、ラケルが何をしようとしているのか、何をしたいのか……なんてことは、簡単に把握できるはずだ。
「そう……感応現象での意思疎通ができるようになった場合、ラケル博士の平和的終末捕喰の計画が我々に漏洩してしまう可能性がある。そして、いくら平和のためとはいえ……終末捕喰は終末捕喰だ」
「まっとうな人間だったら、止めに入る……どんな形であれ、計画の妨げになるのは間違いないな」
「終末捕喰を起こしても人を襲わない──アラガミ化しても人の意識は残るという、人造アラガミの特性を我々も知っているとはラケル博士も思っていないだろうしね。我々が本当に手を携えてよい相手なのかどうかを探っているというのが、ラケル博士の実情だろう。そんな中で、感応現象による情報漏洩が起きたら非常に困ったことになる」
「……だからあんたは、可能性は低いと考えながらもルーの《喚起》を提案した。ラケル博士がリスクを恐れてそれを否定すれば、自分の考えが正しいという根拠の一つになると思った……だけど実際は、向こうからも同じことを言い出した」
「その通り。この場合……そもそもの私の推測が間違っているか、万が一にも《喚起》によって感応能力の強化なんてされるわけがないと彼女が判断したか、もしくは」
「……」
「──計画がバレるデメリットを考慮してなお、それを上回るメリットがあるか、だね」
「……なるほど」
榊の考えが根底から間違っている場合は、もはやそこで終わってしまう話だ。それ以上考えることなんて出来ないのだから、今ここでその可能性を論ずる意味は無いのだろう──と、リンドウは考える。
そしてラケルが感応能力の強化なんてありえないと判断した場合については……おそらく、それは無いだろうとリンドウは考える。あれだけ頭が回る人間がそんな適当な判断をするとは考えにくいし、《喚起》は感応能力を強化する力であるとほかでもないブラッドがそう言っているのだから。理屈が通って原理の説明ができる以上、その可能性を除外するというのはあまりに軽率と言わざるを得ない。
おそらく。榊は既に【メリット】の目星がついていて、そしてそれの裏付けとなる何かについても感づいているのだろう。
「……あんたには、そのメリットってのがわかってるんだろ? ……毎回言ってる気がするが、そろそろ結論を話してくれよ」
「──ラケル博士は、《喚起》によってルーくんの失われた記憶を呼び起こそうとしているのではないだろうか?」
一切の脚色なく、ストレートに告げられたその言葉。たしかに結論を話してほしいとは言ったが、それにしたってこんなにも唐突に突っ込んでくる必要はないのではないか──と、リンドウはぼんやりと思った。
「ヒロくんの《喚起》の効果については……実は、前々から少々引っかかる点があってね」
「……」
「ジュリウスくんの《統制》は【周囲のオラクル細胞を制御し瞬間的に活性させる】というもの。シエルくんの《直覚》は【知覚した敵の状況を伝達し感応現象を通じて味方に共有する】というもの。そして今回目覚めたギルくんの《鼓吹》は、その報告書に書いてある通り【周辺のオラクル細胞と感応現象を通じて共鳴し活性化させる】というものだ」
既に周知の事実となっているそれらの情報。榊はただ単に、データベースに記載してあるその文章を読み上げているだけにすぎない。
「一方で、ヒロくんの《喚起》は……【心を通わせた者の『真の力』を呼び覚ます能力】とされている」
「それは……なんて言うか」
「うん──言っては何だが、すごくフワッとしてるんだよね」
ターミナルに記載される情報にしては、ヒロの《喚起》は妙に抽象的で内容が掴みにくい。ほかのメンバーの血の力は専門用語も交えてその原理が説明されているというのに、ヒロの《喚起》だけはその仕組みも、それによって具体的に何ができるのかも記載されていない。
「もちろん、ヒロくんの血の力の特殊性のためにそういう表現しかできなかった……という部分もあるのだろう。事実、本来部外者である我々がこうして議論を重ねる程度には、わかっていないことも多いのだから」
「だけど、あのラケル博士がヒロの《喚起》だけこんな曖昧な表現にしたってのは……なんか、おかしい気がするな」
「うむ。それにそれ以外にも……少し前にシエルくんが言っていただろう? 《喚起》とは、心を通わせた者の意志の力を増幅させる能力だと。意志の力云々については、データベースにも記載されているわけだが」
「意志の力……ねえ。確かにブラッドと関わりだしてからちょこちょこ聞くようになったフレーズだが……あれ、待てよ?」
【答え合わせ】がうまく行ったのがよほど嬉しいのだろう。何かに気づいたリンドウのその様子を榊はとても嬉しそうに眺め──そして、視線だけでその続きを促した。
「《喚起》ってのは、潜在的な感応能力を強化、増幅する力だろ? というか、だからこそ俺たちはルーを《喚起》しようとしていたのに……なんで、データベースにそう書かないんだ? そっちのほうがよっぽどわかりやすいだろ」
「そう……まさに、そこなんだよ!」
《喚起》を科学的に、かつ具体的に説明するならば【潜在的な感応能力を強化、増幅させる力】となる。それで十分で、それ以上にわかりやすくて適切な説明はほかにはない。
そうであるにもかかわらず、《喚起》は意志の力を増幅する能力だと──第一印象としてそのフレーズが出てくる程度には、そういう認識を持たれている。
「これはつまり、その内容を理解し周囲に説明した人間にとって、【意志の力の強化】というその事実こそが非常に重要であった……と、そんな風に思えないかい?」
「まぁ……第一印象って意味じゃそうなるのか?」
「で、あれば。《喚起》がもたらすものはあくまで意志の力の強化であると確信している人間が、ルーくんを《喚起》させようとする理由とは……ルーくんの
「《喚起》によって意志の力を強化することで、失われた……いいや、眠っている記憶を呼び起こそうとしている?」
「──と、私にはそう思えてならない……というわけだ」
意志の力。失われた記憶。そして《喚起》。今までわかっていた事実と、今回新たに分かった事実。そして──ヒロの《喚起》だけに纏わりついていたほんのわずかな違和感をもとに、榊はそんな結論を出したのだ。
「我々の推測……ラケル博士が平和的終末捕喰を計画しているという考えが正しいとして。その場合、彼女にとって最も困るのはルーくんの記憶が無い状態がいつまでも続くことだ」
「そんな状態で終末捕喰を起こしたら……人間は襲わなくても、それ以外の生き物を喰らい尽くしかねない。地上の設備をぶっ壊しちまうかもしれないし、発動タイミングもコントロールできないかもしれない……制御された終末捕喰にできない可能性が高いし、そうでなくとも不確定要素が多すぎるってか」
「うむ。であれば、本懐を達成するために……多少のリスクに目をつむってでも、ルーくんの記憶を呼び戻したいと考えるのは不思議じゃない」
「下手に終末捕喰が起動して計画がおじゃんになるよりかは、平和的終末捕喰とかいう荒唐無稽な計画の説明をする方がマシ……つまり、俺らへの説得のほうがまだ楽そうだもんな。あるいは、元の記憶が戻ってさえしまえばその説得も確実になるってか?」
「その通り。それに、意志の力の強化という面で考えると……完全なる人間性に目覚めてくれるだとか、より強い理性を持ってくれるかもしれないというのも大きなメリットだ。さっきキミも言っていたが、ルーくんは大なり小なりアラガミ寄りの考えをしているのだから」
「制御された平和的終末捕喰に、アラガミ的な考えは要らないもんな……いや、人間のメンタルでアラガミを喰うのは拷問みたいなもんじゃないか?」
「…………そこはまぁ、ラケル博士は知り得ない情報だ」
「なるほど、それについては考えてなかったと」
もちろん、これもまたすべて状況証拠からの推測に過ぎない。合っているかもしれないし、間違っているのかもしれない。ただの考えすぎで、全然的外れなことを話しているという懸念も否定はできないだろう。
だけれども、一応辻褄だけは合う。明確に断言することはできなくとも、明確に否定することもまたできない話なのだ。
「しかし、記憶を呼び起こすために《喚起》するとは……ん? でももしそれが本当だったとして、《喚起》ができたらいよいよもって平和的終末捕喰を起こすってことか?」
「さすがにまだそこまでの段階には至っていないと思うよ。もしルーくんの記憶が目覚めたとしても、結局は人の意志を持つただのアラガミでしかない。特異点が無ければ終末捕喰は起動できないのだから……そうだね、本格的に我々と【共犯】になる準備が整うといったところかな?」
「……」
「さっき話した通り、どこまで行っても終末捕喰は終末捕喰だ。リスクの洗い出しや検証を
「そうだよなあ……向こうからしてみれば、俺たちは人類初の人為的に終末捕喰を起こした組織になるもんな」
「人為的というか、終末捕喰の発動自体があの一回切りなわけだけれども。技術的には可能であると立証されているとはいえ、相当に難しい挑戦であるのに違いはないからね」
「……
「……うん?」
「【現実的には不可能】……って意味じゃなかったか?」
「時と場合によるねえ」
今度こそ、話は本当に終わったのだろう。わずかばかりに張りつめていた空気──いつもの【お話合い】をするときの空気が霧散し、執務室には夜のどこか物寂しげな雰囲気が満ちていく。悲しいことにそれを肌で感じ取れるようなってしまうほどリンドウはここに呼び出されていて……そして、ディスプレイに表示されている時刻はきっかり2130を示していた。
「……そういや、リスクでふと思ったんだが」
「おや。まだ話につき合ってくれるのかい?」
このタイミングでリンドウのほうから話を振ってくるとは思っていなかったのだろう。榊は少しばかり驚いた声を上げた。
「《喚起》ってのは感応能力を強化する現象だ。でもって、俺とカノンが《喚起》対象に選ばれたのは偏食因子……オラクル細胞への適合率が高くて、感応能力の強化がされやすいと思われたからだよな」
「うむ。尤も、適合率と《喚起》のされやすさは関係ないと判断しても良いと思うが……それで?」
「……例えば、の話なんだが」
リンドウの中にふと浮かんだ、ある突拍子もない考え。
少々こじつけが過ぎると言えないこともないが、やっぱりこれも否定はできないから……だから、リンドウは聞いてみたくなったのだ。
「今の俺の適合率は、この体になってからの記録だろ? 元々高かったが……でも、ここまでは高くはなかったんだよ」
「以前のキミは、平均の3.2倍程度の適合率だったが……確かに、今はそれ以上にあるね」
「まぁ当然の話だ。適合というか、右腕自体が丸々アラガミになっているんだから。俺はもう偏食因子の投与も必要じゃないし、神機使いとしての活動限界も……たぶん、ない」
「……それで?」
「……ソーマの感応能力も高い。あいつは直感でアラガミの気配を感じ取ることができる。正直なところ、すぐにポンコツになるレーダーよりも、俺はあいつの直感のほうが信じられる」
「ソーマくんの適合率、および感応能力が高いのは……一般的な神機使いに投与される偏食因子とは少々異なる偏食因子の影響だね。つまり──」
「──俺とソーマは普通の神機使いに比べて、かなりアラガミに近いってわけだ」
「……」
「純粋な事実として、感応能力が高い人間はアラガミに近いんだよ。だから……」
「……」
「──《喚起》によって感応能力を必要以上に高めると、今は潜在状態にあるルーのアラガミとしての本性が目覚めちまうんじゃないか?」
感応能力とはオラクル細胞に起因する能力だ。そして、オラクル細胞の塊であるアラガミは感応能力が非常に高い──純粋なオラクルの力だけで物を破壊したり、電撃や高熱、冷気を操ったりすることができる。また、アラガミが活性化すればその特有の感応波がオラクル反応という形で周囲に放出される。
つまり、感応能力が高い存在は、よりアラガミに近しい存在と言い換えることができるのだ。
「この極東でも感応現象による意思の共有ができた事例は少ない。そしてあんたも知っての通り、感応現象は第二世代の神機使い同士でなければ理論上発生しないが、第一世代の神機使いが感応現象を起こした例外がある……俺のことだ」
「その時のキミは、アラガミ化が進んで黒いハンニバルになっていた。最後の意識が消え失せようとしているときに……ユウくんが、アラガミとしてのキミのコアに触れることで感応現象が起きた──
「経緯は違えど、人造アラガミもアラガミの肉体に人の意志がある状態なわけだから、あの時の俺と同じだろ? 《喚起》で感応現象をできるようにする──
第一世代の神機使いであったリンドウが感応現象を体験できたのは、アラガミ化が進んでからだ。そして少々状態は異なると言えど、あの時のリンドウも人の意志を持つアラガミであった。
アラガミ化が進むことで感応現象ができるようになったということは、それ即ち感応現象ができるほど感応能力が強化されるとアラガミ化してしまうというようにも取れてしまう。そしてそこまでアラガミ化が進むと、もはや人間としての意志はほとんど残らない……アラガミとしての本性に塗りつぶされてしまう。
「……やはり、キミに相談して正解だったよ。その可能性については考えてすらいなかった」
「……ま、あんまり真剣に受け止められても困るんだけどよ。人造アラガミに同じことが言えるのかはわからないし、そもそもあいつのオラクル細胞は人間を喰わない……捕喰衝動に目覚めたとして、普段と何が変わるんだって話でもある。感応現象を起こしまくっているユウとアリサがアラガミ化しているかって言われると、全然そんなことは無いし」
「感応能力が高いからアラガミなのか、アラガミだから感応能力が高いのか……《喚起》でアラガミに近づくのだとしたら、ブラッド隊もアラガミ化しているだろう。それこそ、《喚起》せずとも《血の力》に目覚め、何度もそれを行使しているジュリウスくんなんて最も感応能力が高いわけだから、既にアラガミ化していても不思議じゃない」
「だろ? だからまぁ、所詮は素人意見だ。あんま気にしないでくれよ」
「……
「……それ、一種の嫌味じゃないのか?」
「時と場合によるねえ」
とても上機嫌にほほ笑み、そして榊はつぶやいた。
「喚び起こされるのが人間の意志ないしは記憶になるのか……それとも、アラガミとしての本性になるのか。現時点では判断のしようがない。希望的観測を言わせてもらえば、ラケル博士自身が《喚起》しようとしている以上、致命的な事故にはならない……と、信じたい」
「あの博士の目的はあくまで平和的な終末捕喰だもんな。さすがにマジにルーがアラガミになっちまったら、それどころじゃなくなっちまうか」
「うむ。あるいは何かしらの指標を以てその判断ができるのかもしれない。ルーくんのオラクル反応や感応波のデータは毎日取っているからね。その兆候が表れたのなら、何かしらのデータにその影響が出てくるはずだよ」
「もしアラガミの本性が抑えきれないほど感応能力が強化されたとしても、その兆候を拾ってラケル博士が直接ストップの指示を出せるってわけだ。……じゃあなんだ、もし今度あの博士が方針の変更を切り出してきたら、その前後で何か変動があったパラメータを追えば何かしらの手掛かりになるのか?」
「そうなるね。……いずれにせよ、我々のやることは変わらない。このままルーくんとラケル博士の動きを観察しつつ、何か致命的な事態が起きそうになったら介入して止めに入る。……いろいろ苦労を掛けてしまうが、引き続き頼むよ?」
「りょーかい、任されましたよっと」
大きな大きなあくびをして、今度こそリンドウはそのふかふかのソファから腰を上げる。一方で榊はと言えば、まだまだこの部屋で作業を続けるつもりらしい。こんなに遅い時間だというのに一向に切り上げる気配はなく、何なら今の打ち合わせを経て得られた知見をまとめに入る気配すらうかがえた。
「じゃあな、榊博士。前にも言ったけど、あんま夜更かしすんなよ」
「うむ。リッカくんに怒られない程度の程々で切り上げるとするよ……ただ、夜の誰にも邪魔されない時間にする研究というのは、なかなかに楽しくてね」
「寝不足がたたると早死にするらしいぞ?」
「肝に銘じておくが……夜のお供は別に用意してある。栄養不足にはならないし、うっかり寝ぼけてここで夜を明かすようなことはしないと断言させてもらおうか」
「……エナジードリンクとか言わないだろうな?」
「カフェインを多く含有する飲料ではないね。……そんなに気になるなら、キミも一本飲んでみるかね?」
「…………」
リンドウは無言のまま、逃げるようにして支部長執務室から退出した。
一区切りついたので、インターバルを挟みます。予定ではあと4つくらい小話を挟んで3.5部は終了となり、その後最終部に入ります。ここまで長いと3.5部というよりは普通に四部って言ってもいいような気がしてきました。