「──生まれる前の胎児に、偏食因子を転写
胃の奥底から、どこまでも不快なものが込み上げてくるのを、ジュリウスは確かに感じていた。
「オラクル細胞がヒト化しないのは、既に余計なものが含まれているから。ヒトの細胞がアラガミ化しないのは、やっぱり余計なものが多すぎるから」
「……ぅ、ぇ」
「でもね? もっと純粋で混じりっ気のない状態なら? 具体的には──まだ未分化の幹細胞なら? 様々な細胞を生み出す分化能と、同じ性質を持った細胞に分裂できる自己複製能……幹細胞はこの二つの能力を有するわけですが、そんな幹細胞を有する──ありとあらゆるモノになれる可能性を秘めた存在、すなわち」
「……っ、ぅ」
「──胎児に直接偏食因子を転写したのなら?」
「……っぷ」
「すごく自然に、綺麗な形で──ヒトの形をもったアラガミができると思いませんか?」
アラガミに捕喰されにくい体を持った、ヒトの形をしたアラガミ。そんなアラガミを研究すれば、いつかきっと、完璧な形での「ヒトを食べない」という捕喰傾向を見つけ出すことができる。その細胞を使えば、アラガミへの攻撃手段にもなり得るし、アラガミに対する防御手段にもなり得る。まさに、夢のような細胞と言えるだろう。
だけれども。
「そんな……ッ! そんな、あまりにも……ッ!!」
生まれる前の胎児に、偏食因子を転写する。
技術的には、可能なのだろう。理論的には、それがベストなのだろう。
だけど、それは。
ジュリウスの生物としての本能が、形容することのできない忌避感を覚えている。
「それではまるで……まるで、人体実験ではないですか……!」
「あら……ジュリウス。あなた、おかしなことを言うのね……?」
「ラケル先生! 私は──!!」
「
もう、嫌だった。
できることなら、今すぐこの部屋から抜け出して、外の空気を吸いたかった。
ラウンジに行って、わいわい騒ぐみんなの姿を見て、冷たいジュースを飲みたかった。
だけど……それは、許されない。できるはずがない。
だってジュリウスは、聞いてしまった──知ってしまったのだから。
「結論から言うと、この偏食因子転写実験は失敗してしまったの。動物実験を経て、胎児の段階であれば母体を介した投与による組み込みが成功することを確認していたらしいけれど……母体への影響は不明であるにもかかわらず、人体実験へと踏み切ってしまった。その結果……」
「母親が、死んでしまった……?」
「……暴発捕喰事故が発生したの。母親はアラガミ化して、実験参加者は一人を残して死亡したわ」
「そん、な……いったいどうして、そんな危険な真似を……」
「……あの時代は、それが普通だったんです。まだ人類はアラガミに抗う術を持たず、一刻も早く対策を考える必要があった。……たとえ、わが身を犠牲にしてでも、です」
「……」
「人体実験とは言ったけれど。お互いの合意は合った……単純に、自分自身を実験体にしただけ。……親として後悔はあったでしょう。ですが科学者として後悔はしていないでしょうね……無念では、あったでしょうが」
「……」
「母親であれば、100%の安全を求めたでしょう。科学者もまた、100%の安全を求めます」
「……」
「ですが、一方で……科学者は、1%でも可能性があるのなら。不可能ではないのなら、追い求めてしまう生き物なのです。同じ立場の人間として、私にはそれが理解できてしまう……自分でも、愚かだとは思いますが」
「……」
「それに……彼女の死は、決して無駄ではなかったの。彼女の……いいえ、彼らのその行いが、今の仮初の平和の礎となっている」
「……ラケル先生! あなたは人の命を──!」
「生き残った主任研究員の名前は、ヨハネス・フォン・シックザール。自らを実験体としたその女性は、彼の妻であるアイーシャ・ゴーシュ」
「…………ばか、な」
「偏食因子を転写されて生まれたその子の名前は──ソーマ・シックザール」
「はじまりのゴッドイーター……まさか、コレは……」
「ええ……マーナガルム計画と呼ばれる一連のこの研究は、神機使いというシステムそのものを生み出すきっかけとなった研究なのですよ」
神機使いの成り立ち。ヒトの形をしたアラガミが持つ意味と、偏食傾向が持つ基本的な特性。
そのすべてが線で繋がり……繋がってしまい、ジュリウスはもう、何が何だかわからなくなってしまった。
「このプロジェクトは、アラガミ総合研究所と呼ばれる……フェンリルの前身となる企業によって設立された研究機関で行われていました。結果的には偏食因子転写実験の事故によって解体されてしまいましたが……ここには、榊博士も所属していたのです」
「うそ、だ……あの榊博士が、そんなことをするわけ……」
「……反対では、あったのでしょうね。前支部長を除いて実験の参加者は全員死亡しているのに、榊博士は生きている……つまりそれって、榊博士はその実験に参加していなかったってことだもの」
「……」
「……ねえ、ジュリウス」
ラケルはゆっくりとジュリウスの傍まで車椅子を動かして……ジュリウスのことを、優しく抱きすくめた。
「私もお姉さまも、グレム局長も──もちろん榊博士も。ある程度の立場にいる人間で、本当の意味で清廉潔白な人なんていないのですよ」
「……」
「でもね? たとえこの手を汚したとしても、守りたいものがあったというだけなの。未来を紡ぐあなたたちに、少しでも何かを残したい……希望を託したいと、みんなが一生懸命だったってだけ。あなたが気に病むことはないし……悪いのだとしたら、そんな選択しかできなかった私たちだけよ」
「違う……違います……。ラケル先生は決して、そのような……」
「うふふ、ありがとう……でも、幼いあなたたちに偏食因子の投与をしている以上、私も同類なのですよ。……いいえ、守るべき子供たちを戦場に立たせている時点で、大人としては失格ですから」
「……ラケル、先生」
「あの時代は、それが普通だった……なんて嘯いてしまうけれど、詭弁であるとわかっています。この罪には一生向き合っていくつもりです。……本当に清い身であるのは、九条博士くらいかしら?」
ぽん、ぽんとラケルは赤ん坊をあやすようにしてジュリウスの背中を撫でる。ただジュリウスを落ち着かせるようにして、優しく慈愛を込めてジュリウスを抱きしめる。
いったいどれだけ、そんな時間が続いたのだろうか。
やがて、ラケルは──名残惜しそうに、ジュリウスから体を離した。
「……あまり夜更かしするのも良くないわ。今日はこの辺りでおしまいにしましょうか」
「……いいえ。最後まで、聞かせてください」
「……わかりました。……今度は私が、紅茶を淹れましょうね」
何度目になったのかもわからない紅茶のお代わり。紅茶のその深い香りは確かにジュリウスの心を落ち着かせてくれるが……しかしどういうわけか、今のジュリウスにとっては、紅茶の香りよりもラケルのぬくもりのほうが欲しくて欲しくて堪らなかった。
「だいぶ話が遠回りになってしまったけれど……これまでの話で、特異点と成り得るヒト型アラガミ、すなわちヒトを襲わない偏食傾向を持つアラガミを造れる可能性があることと、そしてそれを使った平和的終末捕喰をアナグラの彼らが計画していたらしい、ということが理解できたと思うわ」
「……」
「さっきも言ったけれど、ヒトを襲わないアラガミという前提を知っていなければ、【スプリング・フェスティバル】の時の彼らの行動が不可解になるの。あれだけ巨大で屈強な生き物に対し、彼らはあまりにも無防備すぎる……最初からそういうものだと知っていたと考えるほうが自然だわ」
「……その前例というのが、平和的終末捕喰のために用意された特異点……つまり、ヒト型アラガミということですね。そしてそれは、あの明らかに不自然な隔離施設──ナナが運び込まれたシールドルームで飼育されていた。あの部屋ならレーダーでも見つけられないし、隠す場所としては最上です」
「ええ。その性質上、特異点はきっと生まれたばかりの子供のような知能であったはず……お部屋の落書きは、そういうことだと思うの。むしろそうでもなければ、私室同然のシールドルームにあんな落書きがある意味が解らない……」
「……もし、ヒト型アラガミ以外の可能性を考慮するなら? それと同じくらいにあり得そうなほかの可能性は、本当にないのでしょうか?」
「確かに……部屋に落書きがあったというだけで人型アラガミがいた、というのは少々性急な気はしますが……ほかの可能性となると」
「……」
「………………榊博士が隠し子を育てていた、とか?」
「は、はは……」
「おかしな言い方ですが、そういう意味でもヒト型アラガミであってほしいものですね……」
極東支部が過去に終末捕喰を計画したと思われるいくつかの証拠に、ナナが隔離されたシールドルームにあった落書き。神機使いの成り立ちおよびその背景にある技術と、榊博士らがジュリウスたちの信じる善人であるというそれらをつなぎ合わせることで──ラケルは、ヒト型アラガミの存在を導き出したのだ。
「おそらく、途中までは平和的終末捕喰を行う方向で話を進めていたのでしょう。だから榊博士も、アーク計画を止めることはしなかった」
「だけど、アーク計画は失敗している……終末捕喰は起きていない。……おまけに、隔離されていたはずのヒト型アラガミもいなくなって、る?」
「こればっかりは、想像で語るしかありませんね……。ヒト型アラガミに情が移ったのか、前支部長が強硬的に計画を進めたのか。ともかく結果としてアーク計画……前支部長の終末捕喰は失敗し、あの隔離施設も空になった」
「……」
「同じ日に、月が緑化したのは気になりますけれども……」
エイジスが崩壊したのと同じ日に、緑になった月。どう考えても何か関係がありそうだが、何をどうしたら月が緑化するというのか、やっぱりジュリウスには想像すらつかない。案外、アナグラの機密ファイルを漁れば真実が見えてくるのかもしれないし、リンドウあたりに酒を飲ませればポロっと話してくれそうな気もするが……いずれ、ろくでもないことなのだろうと、半ば確信に近い予感があった。
「先ほど私は、ナナの隔離施設を見て考えを変えた……と、言いましたが」
「……ふむ?」
「……あの部屋に、妙な穴があったでしょう? 冷蔵庫やベッドも、まるで齧られたかのように抉られていました」
「それは……件のヒト型アラガミが暴れていたからでは? ヒトを襲わずとも、アラガミとしての捕喰本能はあるでしょうし……もし子供のような知能しかないというのであれば、それほど不思議ではない気がしますが」
「……ヒトの子供のお口で、あんな風な傷ができるかしら?」
「……あっ!?」
「ふふ……ブラッドの中ではナナのお口が一番大きいけれど。それでも、あんな噛み痕なんてつけられないですね」
ヒト型アラガミがいたのはほぼ間違いない。そして、あんな厳重なシールドルームを傷つけられるのなんて、アラガミくらいしかいない。だから、ヒト型アラガミが中で暴れていたのは間違いないはずなのに……どういうわけか、あの部屋にできている傷は、曲がりなりにもヒトの形をした存在がつけたものとは思えない。
「なら、アレはいったい……?」
「アレこそが、ルーがつけた傷ではないかしら? それも、うんと小さかった頃のルーですね」
「……えっ? いったいどうして、ここでルーが出てくるんです?」
「お忘れですか? ルーもまた、
「……あっ!?」
ヒトを襲わないアラガミであるルー。ある意味ではこの一連の騒動の始まりにして、今まですっかり記憶の彼方に忘れ去ってしまっていた存在。本来であれば忘れたくとも忘れられないその特徴を、ジュリウスがすっかり失念していたのは……もしかしたら、今日知ってしまったその事実の衝撃が、あまりにも強かったからかもしれない。
「ヒトを襲わない……つまり、彼らが望んでいた特異点!? ヒトの形をしていなくても、在り得るのか……!」
「より正確に言えば、特異点候補でしょうか。その偏食傾向さえ有していれば、ヒトの形にこだわる必要はないですからね……。平和的終末捕喰を目論む彼らが、新たなる特異点を造ろうとするのは自然なことですし」
「そんな……いや、そもそもルーは【スプリング・フェスティバル】で見つかったばかりの……アラガミに囲まれたチハルを助けたときに、最初に確認されたのでは……」
「だからこそ、です。あの時唯一、チハルさんを助けられる方法がルーを使うことだった……だから、今まで隠してきていたルーをああいう形で公にするしかなかった」
「……」
「むしろ、そっちのほうが……私たちの知っている榊博士たちの行動として、しっくりこないかしら?」
「……た、確かに」
ルーという特別なアラガミを秘匿していたいというのは紛れもない本音だろう。下手に横槍を入れられたら敵わないし、アラガミから人類を守る組織であるはずのフェンリルがアラガミを飼育しているだなんて、あまりにも外聞が悪すぎる。
だけど、それは決して人命に勝るものではない。ジュリウスが知っている──ジュリウスが信じるアナグラの面々は、きっとそういう風に行動する。ラケルのその言葉は、自分で思っている以上にジュリウスの心にすとんと収まった。
「そもそも、ヒト型アラガミという前例を知っていたとしても、極東の皆さんのルーに対する態度は無防備すぎるんですよ……私も特別なアラガミということで、すっかり見落としてしまっていたけれど」
「……それは、どういうことです?」
「単純な話よ。いくらヒトを襲わず友好的だとは言っても、その体はアラガミなんだもの。普通に興味本位でじゃれつかれただけで、私たちはぺちゃんこだわ。なのに彼らは、全くそれを恐れていない」
「……あっ!?」
「いくらルーが感応能力で人の心を読めたとしても、ヒトに対する力加減まではわかるはずがない。なのにルーは、その存在が確認されてから
「その力加減を覚えられるのだとしたら……! もっと力が弱い頃、
「ええ──つまり、ルーは小さい頃からヒトと触れ合っていた。……彼らはルーを見つけたのではなく、ルーを育てていたということです」
「だから、最初からチハルはルーとコミュニケーションをとることができた……! 確かに言われてみれば、人間とアラガミが普通に触れ合えているという時点で最初からおかしかったんだ……!」
ルーの知能が高くて、人間に友好的であったとしても。そのまま普通に人間と触れ合えば、それだけで人間は物理的にバラバラになる。本人がじゃれついているだけのつもりであっても、その圧倒的な質量差で人間は簡単につぶされる。
しかし事実として、ルーは人間を傷つけたことは一度もない。それは「どこまでなら人間は傷つかないのか」を理解していないとできないことで、それを理解するには実際に人間と触れ合う必要がある。
つまり──チハルと出会うずっと前から、ルーは人間と触れあい、ヒトとの正しいコミュニケーションのやり方を理解していたということに他ならないのだ。
「まだ体の小さいうちは、あのシールドルームで面倒を見ていたと思うの。そうすれば、その存在は絶対に露呈しない……けれど、子供らしくはしゃいで壁や備品を齧ってしまった。それが、ヒト型アラガミでは作れるはずがないあの傷の正体ですね」
「ある程度知能が発達し、そして体が大きくなった後は……それこそ、エイジスにでも移せばいいということですね。ルーのジャミング能力であれば、レーダーに捕捉されることは無い」
「振り返ってみればすごく単純なことですが……そうであれば、すべての説明がついてしまうのです。マーナガルム計画もエイジス計画も、アーク計画も……何もかも。すべては平和的終末捕喰を行うためで、そしてルーはその計画の要となるヒトを襲わないアラガミ──特異点の、候補でしょう」
「……そういえば」
先ほどから少しばかり引っかかっていた、その言葉。ジュリウスはただ、思ったことを口に出した。
「特異点ではなく、あくまでその候補……なのですか?」
「ええ。推測ですが、ルーはヒトを襲わない偏食傾向こそ持っていますが、特異点としては完成していないと思うのです」
「その理由は?」
「前回彼らが企てた終末捕喰は失敗に終わっていますが……これは、アルダノーヴァが想定通り起動しなかったためだと思います。ではなぜ、想定通りに起動しなかったのか?」
「……特異点が、特異点として作用しなかったから?」
「ええ。榊博士が提唱した終末捕喰理論によれば、特異点とは超高密度の情報集積体となったコア。つまり、特殊なアラガミのコアをたくさん捕喰させなければ、特異点化しないのです」
「前回の失敗でそれを理解したから……少なくとも、前回以上にアラガミを捕喰させようとしている?」
「その通り……ルーが大っぴらに動けるようになったのはつい最近の話です。もちろんジャミングでレーダーをごまかすことはできるでしょうが、それでも姿を直接隠せるわけではありませんし、
「……」
「ちなみに、ルーの存在を最初から知っていた……実際に研究に関わっていたのは、クレイドルの皆さんでしょうね」
「……《
ヒト型アラガミと、神機使い誕生のきっかけとなったマーナガルム計画。そもそもの目的が人類の救済だとしたら……いろいろな
「彼らはフェンリルの庇護下にない地域の人々の支援やアラガミの氾濫によって人間が接触できなくなった地域の奪還、開拓を主な任務としていますが……それってつまり」
「通常の神機使いの行動範囲を超えたエリアでの活動となる……より珍しいアラガミのコアを取得できる可能性も高い……」
「そもそも、主要任務に【感応種に関する情報収集、追跡】……なんてありますからね」
なんてことのないはずのこの文章も、その裏を知ってしまえば。本当に、いろんな思惑が見えてきてしまう。今までほとんど何も考えずにその事実を受け入れていたことに、ジュリウスは少しばかりの羞恥と焦りを覚えた。
「ちなみに、最近の話で言えば」
「……?」
「純血のアラガミ──キュウビの追跡作戦が、クレイドルを中心に展開されていたそうね。キュウビが純血と呼ばれる由縁が、キュウビだけが持つオラクル細胞……レトロオラクル細胞」
ぴこん、とラケルが操作した端末に躍り出てきたその説明を見て。
ジュリウスは、腰を抜かしそうになった。
「な、なんですかコレは……!?」
「すごいですよね……。これを使えば、自動的に更新され成長し続ける自立型アラガミ装甲壁に、一般人でも扱える携行型シェルターなんてものまで作れてしまいます。ちらっと見ただけでも、ほかにもいろんなことに転用が出来そう……。もし量産が出来たら、文字通り世界が変わるほどの大発明になりますよ」
「自立型アラガミ装甲壁……? 一般人でも使える携行型シェルター……?」
「……」
「
ジュリウスは、目の前にあるはずのその文字がどうしても信じられなかった。
「
通常のオラクル細胞が、その性質上何かしらが「混ざった」状態であるのに対し、このレトロオラクル細胞は【周辺環境の変化に高速で対処する】という、オラクル細胞本来の特性だけに特化した──否、それだけを有しているという、最も基礎的かつ原始的でありながらも今となっては特異と言える状態を保っている。
「これは……まさしく、ヒトを襲わない偏食傾向を造るために必要なものじゃないか……! これに髪の毛一本だけでも入れれば、ヒト型アラガミを造れ得る……! 私にでさえ、その想像がついてしまう……!」
「……」
「これを原料にすれば、ルーの特異点化に必要なオラクル細胞を直接造ることだってできる……! いいや、それどころか……これを直接特異点に仕立て上げることすら可能なのでは……!?」
「ルーをもう一体造ることだってできるかもしれませんね……。ルーの毛を与えれば、そのままそれを模倣するんですもの。緊急用のバックアップを造る手段としては、最高だと思わない?」
「……しかも、このレトロオラクル細胞の加工技術の研究をしているのは」
「ソーマ・シックザールさんですね。……気のせいかしら、何かとよく見かける名前ですね」
気のせいでも、偶然なんかでもない。
まるで運命で決まっていたことであるかのように──ジュリウスの発見の先々で、過去と今が複雑につながっていく。
「そんな……こんなにあからさまに書かれている……。なのにどうして今まで、気づこうとすらしなかったんだ……」
「今だから、気づけたのです。最初からヒントはあちこちにありましたが、それを紐解き想像を膨らませて……
「バカな……そんな、そんな……」
「そうとしか思えないのに、まるでそういう風には思えない……いいえ、思わせない。この極東の、こういうさりげない印象操作技術のレベルは目を見張るものがありますね」
「……」
「さりげないことのはずなのに、「さりげない」を超えた効果があるんですもの。……ねえジュリウス、とても勉強になりますね」
あの【スプリング・フェスティバル】の報告書に隠された数々の偽装工作を見てから、ジュリウスは常に情報の真偽や作成者の意図に注意するように心がけていた。何気ない発言やちょっとした表現の違和感に敏感になり、その裏にある真実を見抜こうと──ただ踊らされるだけの人間にはなるまいと意識していた。
そして実際、今までに見えていなかったことにも気づけるようになって……最近は、ラケルの話もかなり理解できるようになってきていたし、その意図に言われる前に気づけるようにもなってきた。
そのつもり、だったのに。
「は、はは……」
それだけで、満足してしまっていた。
「マーナガルム計画の時は、より原始的で純粋なヒト細胞にオラクル細胞を与えていました。そちらの方が用意しやすかったから、というのが大きな理由でしょうけれど……でも、偏食傾向や【食べたものの形質を取り込む】性質を有しているのはあくまでオラクル細胞なのだから、純粋なオラクル細胞にヒト細胞を与えるべきなのでしょうね」
「……ですが、純粋なオラクル細胞なんてめったに手に入るものではない。だから彼らは、このレトロオラクル細胞を持つキュウビをなんとしてでも確保したかった」
果たして本当にそうなのだろうか、とジュリウスは自分を戒める。もしかしたらまだ何か見落としているか気づいていない真実があるかもしれないし、今までの会話の中でさえも、実はラケルが自分を試しているという可能性が捨てきれないのだから。
「……あっ」
「どうしたの、ジュリウス?」
とてもとても楽しそうに、ラケルはジュリウスに問いかけた。
「クレイドル……リンドウ殿はレトロオラクル細胞の確保に動いていたとの話ですが」
「……」
「【桜田チハル救出任務】では、たまたま補給でアナグラを訪れたため、そのメンバーにアサインされたとあります。しかし、今考えるとこれも……タイミングとして、出来過ぎている気がします」
「……」
「どういう理由にせよ、レトロオラクル細胞が必要なのは間違いない。そしてチハルが襲われたのは偶然で……榊博士らが秘密にしていたルーを解放せざるを得なかったのも、おそらくは偶然。なのにどうして、あまりにも都合よくリンドウ殿たちはアナグラに補給に寄ったのでしょうか?」
「言われてみれば……まるで誂えたかのようなタイミングですね。最終的に、【スプリング・フェスティバル】はああいった形で落ち着きましたが……」
「もしかすると……リンドウ殿は、もっと別の理由でアナグラに向かっていたのでは? 結果として穏便にルーを迎えるために最適な人員であったわけですが、偶然近くにいたと流すには、あまりにも状況が出来過ぎています」
「……それは、大いにあり得るかも。ねえジュリウス、雨宮少尉の昔話って知ってる?」
「いえ……」
「彼は三年前、KIA判定を受けているの。……そういう意味ではチハルさんと同じですね」
「え……リンドウ殿が?」
KIA。すなわち、任務中に死亡。リンドウの神機使いとしての総合的な実力は、おそらくこのフェンリルの中で五本の指に入ることだろう。そんなリンドウがKIA判定となるだなんて、ジュリウスはあまり信じられなかった。
「ええ。いくら優れた神機使いと言えど、絶対はないということなのでしょう……ですがもちろん、そのあとに生還しています」
「さすがですね……一度KIA判定となってからの生還だなんて、そうそうな──」
「──KIA判定になってから、数か月後に生還しているんですよね」
「…………は?」
「MIA判定になった後、アラガミの腹の中から腕輪と神機が見つかったためにKIA判定に更新されたそうです。なのにその数か月後に、ひょっこり戻ってきているんですよ」
「いや……いやいや……何をそんな、バカな……。そんな状態で、生きているわけが……腕輪を失っていて、偏食因子の投与リミットだってあるのに……」
「彼がKIA判定となったのは例のアーク計画……つまり、最初の終末捕喰が起きる少し前で、彼が生還して復帰したのはその少しあとです」
KIA判定になった神機使いが生きていることなんてまずありえない。そもそも、生還の見込みが無くなったからKIA判定が下されるのだから。神機もなしに戦場に取り残されたらアラガミに襲われても抵抗すらできないし、補給することすらままならない。
KIA判定となったチハルが、神機なしで五日間も生き延びていたというだけで奇跡的なことなのだ。その奇跡でさえも、ルーという奇跡的な存在がいて初めて成立したことなのだ。
だというのに──神機もほかの助けも何もない人間が、数か月も戦場で過ごすことなんて在り得るはずがない。
「……KIA判定となっている間、いったいどういう風に過ごしていたんでしょうね? いえ、そもそも……本当に、アラガミに襲われていたのかしら?」
「……まさ、か」
「例えばですが……アーク計画の本当の真実を知った榊博士と協力して、一時的に身を隠していたとか? 自由に動ける身になって、アーク計画を阻止しようと動いていたとか?」
「方法はわかりませんが、どうにかして腕輪を外せば……動きを追跡されることは無い……。そもそも数か月も戦場で生き延びるなんて無理な話だ……」
「別に腕輪を外す必要なんてないかもしれませんよ? あのシールドルームにいれば、レーダーで検知できませんから」
「……あっ!?」
「あの終末捕喰の前後のみ姿を消している……あまりにも、何かありそうですよね。今も榊博士と時折こそこそ内緒話をしているみたいですし……私たちのまだ知らない何かをしている可能性は大いにある、かも」
ルーをはじめとして、このアナグラが隠していることはあまりにも多すぎるとジュリウスは確かに実感している。であれば、リンドウのその謎の失踪にも意味があるように思えてくるし、これだけ情報操作や偽装に長けているこのアナグラであれば、神機使いの一人や二人を匿うこともそう難しいことではないように思えてならなかった。
「……ラケル先生」
「なぁに、ジュリウス」
なんだか少し悲しくなったジュリウスは、その言葉を呟かずにはいられなかった。
「リンドウ殿は……警戒すべきなのでしょうか」
「ふふ……あなた、雨宮少尉と仲がいいですものね。最近はよく一緒に飲んでいるんでしたっけ?」
「……」
「……冗談です」
ジュリウスの、そのあんまりにしょんぼりした顔を気の毒に思ったのだろう。小さく咳払いをしたラケルは、先ほどまでとは打って変わった真剣な表情で、その言葉を口にした。
「──結論から言えば、警戒すべきは藤木コウタ少尉です」
リンドウさんの行方不明期間ですが、私が調べた限りでは明言されていませんでした。アーク計画の少し前にKIA判定になり、その後神薙ユウが隊長になって仕事を引き継ぎ、アーク計画に関する一連の事件が解決して、しばらくしてからGEBのシナリオが始まって追跡調査が行われる……という流れだったので、ここでは数か月間行方不明だった、としています。