ブタ野郎に親友を作っただけのお話   作:ノラン

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ハツコイ少女と空野天④

 

 

 天が翔子に会いに七里ヶ浜に行くのは、基本的に不規則だ。

 

 

 学校が夏休みに入り、部活も引退したことで時間の余裕はできたものの、残念なことに彼は受験生。

 部活が終わったところで塾がある。塾がなかったところで自宅での勉強がある。

 

 進路に関しては「行けるところに行けば良いかなぁ」程度にしか考えていない天。

 そのため毎日が勉強一択というわけではないが、それでも一日の半分程度は勉強に奪われてしまう。

 

 故に不規則。三日連続で会いに行けることもあれば、四日連続で会いに行けないこともある。

 

 そうして彼女と会っては、天は取り止めもない会話をだらだらと続けた。

 特に意味のない会話を海辺を散歩しながら交わしたり、その際に思いっきり塩水をかけられることもあったり。

 会う度に「あ、また来ましたね」と言って、温かく迎えてくれる彼女と笑い合う。

 

 いつしか、それが癖になっていた。

 この場所に来ることが当たり前になっていて、行くことができない日は変に彼女の姿が脳裏にチラついてしまう。

 

 多分、勉強しかない自分にとっての良い気分転換になっているのだと思う。

 彼女と接するうちに異性に対する抵抗も徐々に薄れていって、楽しいと思えるようになってきたから。

 

 この人と話すのは、楽しいから。

 

 

「こんばんは。天くん」

 

「こんばんは。牧之原さん」

 

 

 今日も彼は、牧之原翔子に会いに来た。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

「天くんは、どうしていつもこの場所に来てくれるんですか?」

 

 

 いつもの階段に腰掛けて、いつもと変わらない夕暮れの海を眺めながら、いつも通りの翔子が問いかける。

 その横には、こちらもいつも通りの天がいた。数日後に全国模試を控えた彼は、夜遅くまで勉強していることもあってか、眠たそうにあくびをしている。

 

 その疑問に深い意味はないだろう。聞きたいから聞いただけの疑問。

 そう考えた天は頭の中を空っぽにした状態で「んー」と、少しだけ考えると、

 

 

「海を見に来てるから」

「私を見に来てるから?」

 

「海を見に来てるから」

「海と書いて翔子さんを見に来てるから?」

 

「海を見に来てるから」

()を見に来ているんですね。嬉しいです」

 

「当て字にも程がある」

 

 

 相変わらずの翔子の平常運転ぶりに苦笑し、天は横目で翔子のことを見る。

 嬉しい。そう言いながらクスッと笑う彼女はこちらを一直線に見つめていて、その視線はどこか熱っぽい感情を孕んでいた。

 

 夜の静けさがほのかに漂い始めた、午後六時を半分過ぎた七里ヶ浜。浜辺を歩く人はほとんどおらず、周辺には二人以外に誰もいない。

 

 夕方に塾を終えた天が、ダメ元で翔子に会いに来た形だ。

 基本的にどの時間帯にも彼女は砂浜にいるらしく、いよいよ『翔子暇人説』が自分の中で濃厚になってきた天である。

 

 暇人な翔子。海を見に来ていると言って譲らない天に彼女は「でも」と前置き、

 

 

「私を見に来ているのもありますよね? 見に来ているのではなく会いに来ている、でもいいですよ」

 

 

 既に定位置として二人の意識に定着した、拳三つ分の距離。

 絶対にその距離以上は離れようとしない翔子が確信めいた風に言いながら、天に期待の眼差しを送っている。

 

 本当に海を見に来ているかなんて、聞くまでもないだろう。

 分かっていて、敢えて言わせようとしてくる彼女の年下イジりには対応に困る天だ。本音を言えば揶揄われるし、嘘を言っても見抜かれるし。

 

 どう転んでも、結局はイジられる。

 

 

「まぁ、そうですね。どちらかと言えば牧之原さんに会いに来てます。海が二割、牧之原さんが八割です」

 

 

 だから、心のままに思いを声に乗せた。

 

 生憎と女子を揶揄うスキルは持ち合わせておらず、下手に揶揄ったらカウンターで倍になって返されそうだから変な真似はしない。

 翔子も素直な答えに満足したのか、一瞬だけ面食らったような表情を見せながらも「やっぱり、思った通りです」と、謎にドヤ顔を光らせている。

 

 こうした発言をすっと言えるようになったのは彼女のお陰だ。

 彼女と会ったばかりの自分なら、異性に対して素直な気持ちを簡単に表現することなんてできなかった。

 確実に、彼女に鍛えられている。彼女のぐいぐい迫ってくる態度と、心を揺さぶってくる言動によって。

 

 

「牧之原さんは?」

 

「私ですか? それはもちろん……」

 

 

 一旦、言葉を止める翔子。

 言葉と言葉の間に数秒間の静寂を挟むと、小悪魔的な笑みを浮かべながら、天との距離を拳一つ分にまで埋め、

 

 

「天くんに会うためです」

 

 

 囁くように告げた。

 

 鼓膜を舐めるような声は甘く、声と共に僅かに耳元にかかった吐息は生温かい。

 顔を横に向けると人懐っこい笑みが眼前にあって、悪戯心満載な上目遣いでこちらを見つめているのが見えた。なにそれ、可愛い。

 

 これが彼女の平常運転。年下を揶揄って遊ぶ年上のお姉さん。

 

 

「それはどうも。嬉しいです」

 

「あれ?」

 

 

 至極冷静な返し方をされて、翔子が目の色を変えながら小首を傾げる。

 その反応は予想していないと態度で語る彼女に、天は落ち着いていた。

 

 当たり前だ。一体、どれだけ揶揄われてきたと思っている。牧之原翔子というお姉さんに、どれだけ遊び道具にされてきたと思っている。

 距離が近く、体に触れてきて、勘違いさせる発言をしてくるのが翔子——何度も経験すれば流石の天にだって耐性くらいつく。

 

 ちょっと前の自分なら頬が真っ赤に染まりそうな発言を軽く受け流し、驚く翔子を彼は「ふっ」と鼻で笑い、

 

 

「もうその手には乗ってやりませんよ。牧之原さんがそうやって俺を揶揄っても、俺は照れません」

 

「私は本気で言ってますけど?」

 

「乗りません」

 

 

 あの小悪魔のような目を見た以上、なにを言われても態度を変えるつもりはない。

 真剣な時とそうじゃない時の区別が曖昧で、けれど前者のときはずっと真剣に向き合ってくれる彼女が、今はその時の目をしている気がするが。

 

 だとしても、揶揄われた事実に揺らぎはない。

 「そっかぁ」と残念そうにため息を吐いている様子を見ても、天の態度は変わらなかった。

 

 

「牧之原さんって、誰にでもそーゆーことを言うんですか? そうやって年下の男の子を誑かして、なにが楽しいんですか?」

 

「はぇ!?」

 

 

 前々から薄々思っていたことをぶつけた途端、変な声を上げる翔子の肩が大きく跳ねる。

 以降、様子を一変させる彼女は驚愕してショックを受けたように悲劇的な表情になると、天に寄りかかる勢いで詰め寄り、

 

 

「天くんにそんな尻軽女みたいに思われていたなんてショックです! 私は天くん以外にこんなことはしてませんし言ってません!」

 

「そうハッキリ言い切られると、それなりに照れるんですけど……。てか、寄りかからないでください。そーゆーことをするから——」

 

「ですから天くんにしかしてませんし言ってません!」

 

「分かりました分かりました。分かりましたから一旦落ち着いてください、離れてください」

 

 

 話を持ち出した天が引くレベルで力説する翔子に詰め寄られ、あまりの鬼気迫る勢いに天の表情が引き攣った。

 天の言葉を遮ってまで早口で捲し立てる翔子の様子は、普段から能天気っぽくてマイペースな彼女にしては珍しい。分かりやすく取り乱している。

 

 尻軽女と思われたのが相当ショックなのか、あるいは別の理由か。

 なんとなく思っていたことを聞いた反応が、天の想像を遥かに上回った。

 

 ひどく怒った様子の翔子。離れろと言われても離れない彼女は、自分のよくないところに触れてしまった少年の名を「天くん!」と強めに呼び、

 

 

「今の、取り消してください」

 

 

 キッと睨みつけ、ムッとして眼光を鋭く尖らせた。

 

 自分から刹那たりとも外れない視線に身動きを封じられたような錯覚を起こして、天の心は時間と共に大きくなる緊張感に締め付けられる。

 目の前の怒った表情から目が離せなくなり、掴まれた服の袖に意識の半分が集まった。

 

 優しくて、穏やかで、マイペースで、怒ることなんてないと思っていた。

 けれど、全然そんなことはなくて。自分のことを一心に見つめて怒る姿は、それ以外にない。

 

 今、彼女は怒っている。

 自分は、彼女を怒らせてしまったらしい。

 

 

「……すいませんでした。取り消します」

 

 

 このような場面では基本、下手に言い訳せず素直に謝る天だった。

 なにか機嫌を損ねて、嫌な思いをさせてしまったのなら謝るのが一番。

 

 

「もう言わないと言ってください」

 

「もう言わないです」

 

 

 背中に冷たいものが流れる気がして、天は翔子の言葉を間髪入れずに復唱する。

 声色が明らかに沈む翔子に『傷心』という単語を当てはめてしまったお陰でヒヤッとし、失態を取り返そうとする意志が行動に繋がった。

 

 そして訪れるのは、無言の時間。

 双方が黙ったことで二人が周囲に漂う静けさに溶け込み始め、浜辺には波の音しか響いていない。

 

 天の謝罪をゆっくり咀嚼して完全に飲み込むまでの間、翔子は視線を彼から離さないまま怒った顔を継続している。

 その言葉が本当であるかどうか、天の顔を見て見極めているのだ。

 

 

「天くんには、そう思われたくないんです」

 

 

 二十秒程度、気まずい沈黙が二人の間に流れると、不意に翔子が口を開く。

 その声一つで二人を包んでいた静寂が破壊され、二人の世界に声が戻った。

 

 二人しかいない空間で、他の存在が許されない世界で、翔子は天の服の袖を掴んだ手にぎゅっと力を込め、

 

 

「絶対に、イヤなんです」

 

 

 深刻な声で語り、翔子は言葉を切る。

 天にそう思われることを強く否定——違う、これは否定なんて言葉で計れるものではない。

 

 拒絶だ。牧之原翔子という一人の少女は、空野天という一人の少年にそう思われることを嫌がり、拒絶している。

 こちらを一直線に見据える真剣な目が、袖をつまむ神妙な態度が、そうだと天に教えていた。

 

 その目の奥にはきっと、自分が計り知ることのできない『なにか』があって。

 その『なにか』に触れてしまったから、彼女を怒らせてしまったのだと天は反省する。

 

 

「すいませんでした。二度と言いません」

 

「……約束ですよ?」

 

「はい。約束です」

 

 

 謝る天の感情を汲み、固くなった表情を和らげる翔子。

 それが許しの合図だと勝手に判断した天に即答されると、彼女は「もぅ」とため息混じりに微笑み、

 

 

「なら、許します。もし、同じことを言ったら大変なことになりますからね」

 

「肝に銘じておきます」

 

「はい。銘じてください」

 

 

 それが、天が意図せず翔子を怒らせた一件に終止符を打ったのだった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「あ、そうだ。今日は牧之原さんに、ちょっとした映像を見せようと思ってたんですよ」

 

 

 翔子の傾いた機嫌は立て直せたものの、その余韻は二人の周辺に漂い続けるもの。

 故に、どうにかしてこの気まずい雰囲気を完全に払拭せねばと考えた天は、話題を一つ持ち出す。

 

 思い当たる節が見当たらない翔子が「映像?」と興味を示すのを横目に、ポケットからスマホを取り出して、

 

 

「牧之原さん、言いましたよね。俺がバレーしてるところを見たい、って」

 

 

 言った瞬間、「あ!」と声色の明るくなった翔子の目が光る。

 彼女の中で先ほどの一件は消し去られたのだろうか、一瞬で言葉を理解した凄まじい切り替えの早さだ。

 

 

「私が言ったこと、覚えててくれたんですね!」

 

「当たり前じゃないですか」

 

 

 表情がぱぁっと明るく染まる翔子を横目に、スマホのロックを解除し、慣れた手つきで写真アプリを開く天。

 あらかじめ作っておいた『バレー』と表記されたアルバムを開くと、中には二分程度の映像が二つと、ぴったり四分の映像が一つ。

 

 彼女と最後に会った日に、自分がバレーをしている姿を見たいと言われたのを忘れるわけがないだろう。

 今日来たのは、この映像を見せるためでもある。それに、せっかく撮影してもらったのだから見てほしい。

 そんな思いから天はスマホを差し出したが、

 

 

「せっかくなら、一緒に観ませんか?」

 

「嫌だよ。なにが嬉しくて、自分が必死になってボール追いかけてる動画を観ないといけないんですか」

 

「まぁまぁ。一緒に観た方が楽しさも二倍ですし」

 

 

 と。差し出し拒否をされてしまい、スマホを彼女の手に渡すことはできなかった。

 渡そうとしても受け取ってくれず、ニコニコする彼女に「天くんが持ってください」の一言で片付けられる。

 そのため、スマホの画面が小さいから必然的にくっついて動画を見ることになるわけで。

 

 つまり、

 

 

「ちょ、暑いです。あんまりくっつかないで」

 

「くっつかないと画面が見えませんよ」

 

 

 左側に座る翔子が画面を見やすいよう右手で横向きにしたスマホを持ち、なるべく彼女にスマホを近づける天。

 その彼の左肩に翔子が己の右肩を当てるように近づき、ぴたっとくっつく。

 この瞬間、二人の距離は拳三つ分(定位置)の距離から、拳零つ分となった。

 

 さも当然のように密着する翔子に動揺の色が表情に浮かぶ天だが、当人はポカンとした顔つき。

 その上、天が離れた分だけ距離を詰め、バレーの動画を天と観ると言って聞かない。

 

 「それなら」と、天はスマホを再び差し出し、

 

 

「牧之原さんがスマホを持てばいいじゃないですか」

 

「私、ついうっかり手が滑って他の画像とか動画を開いてしまうかもしれませんけど?」

 

 

 見慣れた悪戯顔でニヤリと笑う翔子。このときの顔は悪戯心に溢れた子どものようで、こちらを揶揄いにきているのだと察せられる。

 言葉の意味が分からない天に「だから?」と真顔で言われると彼女は「だって」と、

 

 

「天くんだって思春期真っ只中な中学三年生。えっちな画像や動画の一つや二つ、保存してると思いますし」

 

「してませんよ。つか、してても見えるような場所に置いてませんし、この映像だけしかないアルバムを作ったので問題ありません」

 

「入念な対策。つまりしてるんですね?」

 

「してません。もしもの話です」

 

「ほんとぉですかぁ?」

 

 

 語尾を伸ばしながら、疑いの眼差しを向ける翔子。

 くっついた体に体重を乗せ、「お姉さんに隠してるんじゃないんですかぁ?」とだる絡みしながら問い詰める様子は、なんだか彼氏のスマホを確認したがる彼女っぽい。

 

 しかし、彼女経験など一度もない天にはそんなことを考えれる頭はない。

 彼は今、相変わらず我が強くてマイペースな翔子の横暴ぶりに困り、呆れているところだ。

 

 尤も、呆れたところでどうしようもないことなど分かっている。

 基本的に自分の意見を引っ込めないのが自分の知る牧之原翔子という少女。

 

 それを天は理解している。

 

 

「面倒くせーなぁ。……分かりました。スマホは俺が持つので静かに観ててください」

 

「はい。天くんのバレー姿、この目に焼き付けます」

 

 

 だから彼は変に抵抗せず、やれやれとため息を吐きながらも素直に頷いて動画を開いた。

 今さっき送られてきたから特に確認作業はできていないが、きっと大丈夫だろうと信じて。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 映像は全部で三つ。どれも引退試合の日に撮られたものだった。

 

 一つ目の動画は、ウォーミングアップ。

 試合開始前に設けられる時間を使ってスパイクを全員が打ち続けている映像。

 ただひたすらに、天がチームメイトのスパイクを拾う映像が流れていた。

 

 二つ目の動画は、試合直前。

 アップを終えた選手たちが、自チームのベンチ付近で試合開始を待機している映像。

 誰もが目前に迫った試合にそわそわしている中、一人だけ天がベンチに座って目を瞑っていた。

 

 最後の動画は、試合中。

 選手たちが入り乱れ、互いの総力を武器に点を奪い合う戦場。一つのミスが大きなズレとして失点を招く、痺れる攻防戦。

 そんな光景が映像には映し出され、その中で動き回る天を翔子は熱心に観ていた。

 

 サーブから始まり、レシーブで拾い上げ、スパイクで叩きつける。

 スパイクを拾い上げ、セッターが託し、アタッカーが負けじと叩きつける。一進一退の殴り合い。

 

 繰り返される熾烈なラリーの中、天はひたすらにボールを繋ぎ続けていた。

 コースに入って正面で受け、反応が遅れたものには飛びつき、意地でも落とさないという意志がひしひしと伝わってくる。

 

 映像の視点は、全部が体育館のギャラリー。

 翔子に見せる用として、自分の姿を撮影するようにと、応援に来てくれた颯と咲太にお願いしたのだ。

 映像は颯のスマホから。そのため、撮影者も颯となる。

 

 上から見下ろす視点で観る、天のバレー姿。

 ギャラリーから撮影する颯が、コートの全体が画面いっぱいに映るような位置で撮影してくれたこともあって、映像としては申し分ない。

 

 再生される動画を、翔子は終始熱心に観ていた。

 

 天がボールを拾い上げる度に「わっ!」やら「痛くないんですか!?」やら「かっこいい!」やらと、興奮した様子で目を輝かせ。

 拾い損ねたボールに本気で悔しそうな表情をする天に「天くんもあんな顔、するんですね」と、嬉しそうに笑い。

 

 とても、楽しそうな様子だった。

 

 そうして動画を全て観終わったのは、一つ目の動画を見始めてから十五分後。

 三つ分の再生時間の合計を越えたのは、翔子が「今のところ、もう一度見せてください!」と巻き戻しをせがんだから。

 

 

「——どうでしたか?」

 

 

 アプリを閉じた天が、スマホをポケットの中に入れながら聞く。

 興奮した様子の翔子は「はい!」と、目をきらきらさせながら言った。

 

 

「普段からのほほーんとしてる天くんしか知らない私としては新鮮でしたし、一つのことに本気で熱中する姿はとてもカッコよかったです。新しい天くんって感じがして魅力的でしたし、ボールを必死に追いかけていたところは絶対に諦めないという天くんの意地がすごく感じられました。ボールを取り損ねた天くんの悔しそうな顔が———」

 

「ストップストップ。そんなに言われるとこしょばゆい」

 

 

 ぐいぐい来ながら情熱的に感想を語る翔子。

 一つ一つの動画を食い入るように観ていた彼女には有り余る感想があるようで、あまりの勢いに天が急ブレーキをかけさせる。

 

 動画の感想に込められる熱量が、翔子の満足度を雄弁に語っていた。

 動画の再生中は画面から一切目が離れることがなく、何か起こる度に嬉々とした反応を見せてくれていた感じから好調だとは思っていたが、天的にはここまでの反応は予想外。

 

 本人からすれば、嬉しいリアクションだ。

 

 

「楽しんでもらえてなによりです。撮影してもらった甲斐がありました」

 

「どうせなら、実際に見てみたかったなぁ」

 

「今になって言われてもね」

 

 

 自分の目で興奮を体験したかったと残念がる翔子が「残念です」と感情を口にするのを横目に、天は微苦笑。

 残念に思うことが動画に満足してくれたことを裏付けていると気づくと、心の中でほっと一安心する自分の存在を悟った。

 

 この動画は残しておこう。彼女に見せたら消すつもりだったけど、また観たいと言われるかもしれない。

 くっつく翔子を見ながらそんなことを天は思い、その横顔に「ふっ」と笑いかけた。

 

 

「なんですか?」

 

「なんでもないです。ただ、楽しそうにしてる牧之原さんを見てると俺まで楽しくなっちゃって」

 

 

 「なんか、変な感じ」と。

 

 笑みを拾った翔子から視線を逸らし、天は海に視線をやった。逸らしたのは、ゼロ距離の彼女に恥ずかしくなったからだ。

 

 天の目に映る世界は、既に夜の準備を終えようとしている。

 日が西に傾き切りつつある空はオレンジ色から紺色に染まり、視界の手前から奥にかけて夜の空が夕方の空を侵食していた。

 一筋の光を残しながら灼熱の太陽をどっぷり飲み込んでいく海は、もう沈み切る斜めの陽光を受けて色褪せた鈍い光沢を放っている。

 

 もう間も無く、夜が訪れる。

 太陽が沈み、月が昇り、海が姿を変える。

 

 

「ねぇ、天くん」

 

 

 しんとした、七里ヶ浜。

 波の音のみが響く世界で、不意に翔子の甘い声が天の鼓膜を撫でる。

 

 視線を向けると、微笑む彼女の姿。

 一筋の陽光を一身に浴びる表情は大人の凛々しさと子どものあどけなさの二つを宿していて、反する二つが混ざり合う魅力的なものだった。

 

 

「今。ドキドキしてますか?」

 

 

 寄りかかった天に身を寄せ、翔子は言葉が喉につっかえる天の目を見つめる。

 その目の中にいるのは天だけだ。彼女は今、天しか見ていない。

 

 口元から溢れる呼吸音。その小さな音すらも聞こえるほど近い距離にいる天。

 そんな少年に「私はね」と、翔子は頬を赤くしながら言った。

 

 

「天くんとくっついて、すごくドキドキしてるよ」

 

 

 一瞬、時が止まった天。控えめな声で囁かれた甘い一言に、彼の表情が固まる。

 何か言葉を返さなければと即座に止まったものを動かし、口を開いて出てきた言葉は、

 

 

「………変なこと言わないでください」

 

「ドキドキしちゃうから?」

 

 

 苦し紛れの照れ隠しを見抜き、翔子は悪戯な目で問うてくる。

 それに対して天は言葉を生まず、無言で視線を海に逸らし、喉に詰まった息を深く吐くことを答えとした。

 

 その答えを受け取っても、彼女が揶揄いを重ねてくる様子はない。

 赤く色づいた天の頬に「ふふっ」と喉の奥で高い笑声を弾けさせ、密着した体にゆっくり身を委ねるだけだ。

 

 静かで、邪魔の入らない、甘美な時間が流れていく。

 もう何度話したか、数えるのも面倒なくらい接した少女が少年に体を預け、少年が少女の行為を何も言わずに受け止めて、受け入れている。

 言葉の侵入が無粋であると思わされる静寂。声を交わさずとも思いは伝わる彼らは、沈みゆく夕陽を見ながら体温を感じ合った。

 

 

 ーーやべ。寝そう

 

 

 温かい温度に瞼が重くなり、ふとした瞬間に目が閉じそうな予感。

 このまま黙っていたら確実に寝る。ここのところ遅くまで勉強をしていることもあって尚更、まずい気がする。

 

 徐々に膨らむ睡魔の訪れを察し、堪え切れずに輪のようなあくびを大きくした天。

 目尻に浮かび上がる涙を右の人差し指で拭う彼は、「なんかさ」と前置いて話し始めた。

 

 

「俺、牧之原さんに鍛えられてる気がします」

 

「なにがですか?」

 

 

 翔子がこちらを見るのが、視界の左側に見えた。けれど天は彼女を見ない。視線は海に固定したまま、

 

 

「俺、今まであまり女の子と接点なかったんで、接するのとか苦手なんですよ」

 

「その見た目で?」

 

「傷つきました」

 

 

 心に言葉の刃が突き刺さった音がして、天の表情が僅かに歪む。揶揄っている声のトーンではなく割とマジな声だったことに、更に歪む。

 

 以前、颯にも咲太にも同じことを言われたことがある。

 颯には「お前、普通にカッコいいくせになんで女友達いねぇんだよ」と怒られて。

 咲太には「天はあれだな。圧倒的に宝の持ち腐れ」と鼻で笑われた。

 

 自分は、カッコいいのだろうか。否、基本的にそのような意見は信用しないのが自分だ。気にしない気にしない。

 翔子の言葉を受け流す天。彼は心の傷口を絆創膏で塞ぎなから「でも」と言葉を繋げ、

 

 

「こうやって牧之原さんと接するうちに、なんか慣れてきた気がします」

 

「それ、この状況にドキドキしない、って言いたいんですか?」

 

「そんなことないですよ。前の自分だったら恥ずかしすぎて破裂してる、って言いたいんです」

 

 

 不満にムッとする翔子を宥め、ジト目に横顔で笑いかけながら天はしみじみした様子で過去を振り返る。

 

 絶対、彼女に出会ったばかりの自分だったらこの状況に耐えられなかった。

 実際、その頃に彼女に寄りかかられて顔を真っ赤にしていた記憶があるし、そうでなくても自分のことが分からない天ではない。

 

 彼女に鍛えられたんだろう。空野天に対する距離感が初期からバグりまくっている牧之原翔子と接するうちに、知らず知らずのうちに異性耐性がついたのだ。

 

 その証拠が、今だ。

 

 

「友達からも言われましたけど。俺、こんな見た目でも本当にそーゆーのと接点なかったんです」

 

「なるほど。まぁ、人は見かけによらないと言いますし。……それで? 翔子さん以外の女の子とまともに話せない初心(うぶ)な天くんは、一体私になにを鍛えられたんですか?」

 

「知ってて言ってますよね?」

 

「さぁ?」

 

 

 わざとらしく小首を傾げ、「なんのことだか」と(とぼ)ける翔子。

 ここまで言われて分からないわけがないのだが、彼女は知らない自分を貫かんとしている。

 

 その様子があまりにも楽しそうに見えて、幸せそうに見えて。

 天は思わずにニヤけそうな己を制するとその感情をため息として発散し、

 

 

「女の子と接することが、ですよ」

 

「でしたら、もっともっとこの翔子さんが鍛えてあげましょうか?」

 

「別にいいです。もう十分」

 

 

 くっついた体を揺らし、ニヤニヤしながら誘惑してくる悪魔の囁きを左から右に聞き流す。しかし、悪魔はその程度では流されなかった。

 天の心が拒もうとも、翔子の心は既に行動に移している。彼が離れようとも、彼女は絶対に離れない。

 

 ——ちょんと。静かに翔子の右手が、膝上に置かれた天の左手に触れた。

 

 

「………手を繋げと?」

 

「それ以外にあるんですか?」

 

 

 右手に触れた冷たい感触。それ一つだけで密着する少女の意図を理解し、怪訝な目をしながら翔子を見る天。

 そんな彼のことを、翔子は本気の目で見つめていた。冗談で聞かれたことを冗談で済ませず、現実にしようとしている。

 

 ちょんちょん、と。翔子の指先が天の右手の平を突いた。

 いつでも手を繋げる雰囲気を醸し出し、彼女は彼が動いてくれるのを待っている。

 

 

「………マジで?」

 

 

 その姿勢に絶句し、天は翔子から目が離せない。

 普段から崩さないようにしている敬語が見事に崩れ、心の動揺が分かりやすく表に浮き出ている。

 

 視線を膝下に落とすと、白くて華奢な翔子の指が煽るように動いているのが見えた。

 もう既に彼女の小指が自分の小指に絡められて、繋ぐ用意を済ませている。

 

 繋げ、と。態度で語っているのが考えずとも理解できた。

 

 

「……ほんとに繋ぐの?」

 

「変なところで奥手ですね……。慣れたと言っていたのに、お姉さんと手を繋ぐのが恥ずかしいんですか?」

 

「そんなことは——」

 

「なら、できますよね?」

 

 

 今更すぎる天の控えめな態度に焦ったさを感じた翔子が、天の本能を刺激するような発言を呟く。

 自分とここまでくっついておきながら手を繋ぐことに躊躇してどうする——そんな風に手を触り、彼の心を逆撫でした。

 

 数秒間、眉間に皺を寄せて難しそうな顔をする天。彼は己の中で踏ん切りがついたのだろう。

 煽る言葉に対して言葉は発さず、若干の躊躇は見せながらも、動かなかった左手を動かした。

 

 ——そっと、天の左手が、翔子の右手と合わさる。

 

 

「天くんの手、やっぱり大きい」

 

「牧之原さんの手は小さいですね」

 

 

 触れた途端、翔子の指が天の指と指の間に滑らかに入り込む。

 その指は温もりを求める生き物のように、天の指と強く絡みつき、自分の手と彼の手をくっつけた。

 互いの手の平が合わさる。余分な隙間はない。肌と肌が直接触れて、確かな温もりが伝わっていく。

 

 

「どうですか? 初めて女の子の手を握った感想は?」

 

「柔らかくて、小さい」

 

 

 にぎにぎ。

 

 握った手の感触を確かめるように指を動かし、天が人生初の女の子の手の感触を味わっている。

 その頬は照れ臭そうで、僅かに漏れたニヤけ顔には初々しさがあった。

 

 握られる翔子はくすぐったそうにみじろぎ。唇を柔らかく綻ばせる表情は、とても幸せそうだ。

 こちらも頬は照れ臭そうで、紅色に紅潮している。

 

 

「牧之原さん」

 

 

 呼ぶと、ふわりと微笑む翔子が「ん?」と喉を鳴らす。

 頬を赤くしながらのそれには破壊力があって、不意にもドキッとさせられた天はすっと視線を海に戻すと、

 

 

「手ぇ繋がせてくれてありがとう」

 

「お礼なんて要りませんよ?」

 

「俺が言いたいから言ったんです」

 

 

 律儀に感謝を述べ、口元を暇な右手で隠す天は「へへっ」と表情を笑みで彩る。

 情けない笑みを晒していると自覚しているから、彼女に見られないようにしたのだ。

 

 そうして、翔子の手の感触を心に刻む。余計な言葉は口にせず、左手に伝わる優しい力と温もりに意識を集めた。

 今この瞬間の幸福を噛み締めるように。彼女と過ごす一秒一秒を惜しむように。

 

 今はまだ緊張して心臓がうるさいけど、続けていたら慣れるものもあるだろう。

 

 

「しばらくこのままでいたら多分、慣れると思います。そうしたら牧之原さんの思惑通り、俺の異性耐性が上がりますね」

 

「でしたら、次は抱き合って——」

 

「それはちょっとハードル高いかなぁ」

 

 

 飛躍しすぎな提案を遮る天が苦笑し、「そうですか?」と翔子が可愛らしく小首を傾げる。

 揶揄っているわけではない。彼女の声色は、手を繋ぐ提案をしたときと同じだった。

 

 身を寄せ合い、手を繋いでいる時点で、それと近しい行為をしているとは思う。けれど、流石にそれはまずいと思うのが天だ。

 

 

「抱き合うのは、流石にね」

 

 

 断っておくのが無難。

 

 やんわり断られて「そっかぁ」としょんぼりする翔子を意識から逸らし、彼はこの甘い時間に浸るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——あ。すんません。塾の帰りにどこでなにしてんだ、って親から連絡がきちゃったので帰りますね」

 

「分かりました。ご両親には、年上の彼女と海で遊んでました、と。そう伝えておいてください」

 

「色々な意味で問題になるので却下です。………ちょっと、お姉さん。帰るから手ぇ離してください」

 

「どーしよっかなぁ」

 

「マジかこの人」

 

 

 

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