一気に駆け抜けます。
「颯、咲太。ちょっと聞いてほしいんだけど」
「なんだ?」
「どうした?」
「進路のことでさ、ちょっと決めたことがあって」
「おう」
「どこに進学するんだ?」
「えっとね………」
「俺———峰ヶ原高校に行く」
☆☆☆☆☆☆☆
晴れた空の下、朝の日差しを浴びながら、一本の線路の上を電車が走っていた。走る速度はゆっくりで、車内に伝わる揺れは弱い。
窓から見える町並みは極めて近く、手を出せば住居の石垣に触れられるのではとすら思える。
JRの電車ではあまり見られない光景。いつもならずっと遠くにある家々が、すぐ目の前にあった。
町の中に無理やり一本の線路を敷き、唯一の長距離交通手段として走らせた電車。
そんな印象を抱かせるそれは、藤沢と鎌倉を往来する江ノ島電鉄線だ。
今日も今日とて、電車は様々な乗客を乗せて走る。
ランドセルを背負った小学生や、制服に身を包んだ中学生。これから出勤するであろうスーツ姿の社会人やご老人などなど。
割と観光路線として認識されているが、地元の住民にとっては通勤通学の足として利用されている。
今日は、中学生の姿がやや多め。
「あー。やばい、マジで緊張する」
「僕も緊張する。心臓が痛い」
「しっかりしろよ、お前ら」
そんな電車の中で、少年三人の小さな声が立っていた。
車両の一角、断続的に開閉する出入り口の前を陣取り、自分たちの間でしか聞こえない声量で言葉を交わしている。
同じ制服を着用した、中学生っぽい三人組。
一人は、背負うバックを前に抱え、扉に寄りかかった緊張気味な少年——空野天。
一人は、天と同じくバックを抱え、扉に寄りかかった緊張気味な少年——梓川咲太。
一人は、その二人を前にしながら吊り革を両手で握りしめる堂々とした少年——神崎颯。
緊張が二人と平然が一人。
バランスの悪い三人組は、電車の弱い揺れを感じながら、目的の駅に到着するのを待っていた。
「だって試験当日なんだよ? 緊張するに決まってるじゃん。もし問題とか解けなかったら……とか、考えちゃう」
「右に同じだ」
「勝負事には要らねぇ考えだな。今、お前たちが考えるべきことは受かることだけ。それだけ考えて、やることやりゃいい」
じわじわ迫る勝負の時に、無表情の裏で焦る天と咲太。なにかしていないと不安な天はぬいぐるみを抱くようにバックを抱き抱え、咲太は参考書を見返している。
颯は相変わらずだ。自分は勝負事には強いと自負している彼は、吊り革から手を離して腕を組む。仁王立ちをして電車の揺れと密かに戦い始めた。
それから「ふぁ」と輪のようなあくびをして、
「つか、なんで集合時間の一時間前に行くんだよ」
「だってその方が電車とか混まないじゃん。時間に余裕を持つのは当たり前なんだよ」
「それは言えてるな、実際に空いてるし。……ま、僕としては、時間ギリギリに間に合えばいいと思うけど」
「それがダメなんだよ。基本、集合時間の三十分前には集合場所付近にはいないと」
二人に反発する天が当然のように言うが、言われた彼らは微妙な表情。天の語った基本が理解できず、共感しようにも共感できていない。
基本的に二人は、集合時間が設定されれば時間ぴったりかギリギリに行く人間。故に、三十分前に行くと言う思考が意味不明なのだ。
三十分前とか言っておきながら、集合場所に一時間前に向かう天。
しかし、そんな彼に付いてきたのは自分たちの意思だから、強く言い返すことはしない二人だった。
だって今日は、
「受験当日。他のみんなが三十分前に行くのは当たり前だから、俺はその三十分早く行く」
——2月14日。高校入試の日なのだから。
▲▽▲▽▲▽▲
「俺、好きな人ができた」
「マジか」
「あの天に、か」
「お前ら、俺をなんだと思ってんの?」
事の始まりは、そんな友人同士のくだらないコイバナからだった。
勝負の夏休みを終えて二学期が始まったことで進路調査や三者面談が行われるようになり、受験生である三学年が受験一色に染まる中。
一人だけ恋に現を抜かそうとしている天が、昼休み中に二人の前でそんなことを語ったのだ。
語ったのは、この夏に出会った牧之原翔子という一人の少女のこと。
咲太に会いに行ったあの日の帰り。寄り道に七里ヶ浜に行ったら出会って、不思議な関係が始まったこと。
そこから夏休み中は暇なときがあれば頻繁に会いに行って、色々なことを話して、気づかぬうちに惚れていたこと。
否、本気で惚れていたこと。生まれて初めて、本気の本気で誰かのことを好きになったこと。
そんな人が年上のお姉さんだと伝えれば、
「僕の記憶が正しければ、僕の親友である空野天は年下好きで妹属性好きな変態野郎だった気がする」
「どこでそんな曲解がされたのか詳しく聞こうかな。……否定はしないけど」
「じゃあ、曲解でもなんでもないだろ」
という、咲太との変なやり取りが交わされた。
颯は颯で「お前にも春が……」などと言いながら感慨深そうな表情をしていたり。
空野天は、本気で牧之原翔子に恋をしてしまったらしい。その本気度は彼の熱心な目を見れば一目瞭然であり、嘘ではないことくらい二人には分かった。
そういうこともあって、天は翔子が予言した通り峰ヶ原高校に進学したいと思ったのだが———。
「わざわざ遠い高校に入学する必要が、今のお前にはあるのか?」
大きな壁が一枚、彼の前には立ちはだかっていた。父親という、受験よりも大きくて分厚くて恐ろしい壁が。
否定されないわけがない。もっと偏差値が高くて家から近い高校はあるのだから。
担任にも「そっちの方がいい」と言われたし、誰が聞いてもそのような意見が突き刺さるだろう。
でも、それでも、
「俺を納得させろ。それができたら考えてやる」
父親は、子どもの気持ちを考えようとしてくれた。
なるべく両親の期待に応えようと頑張ってきた今まで。反抗心の塊のような姉の背中を見て育ったため、反抗期を迎えると母親に迷惑だからという理由で反抗心を抑えてきた今まで。
その今までを壊すような反抗心を明確に息子に見せつけられた両親は、天の言葉に耳を貸してくれた。
「どの高校に行ったかじゃなくて、その高校でなにをしたかなんだよ。だから、お前が通う高校にそこまで拘らないもりだ。峰ヶ原高校自体、そこまで悪い高校じゃないしな」
だから、わざわざ遠い高校に通ってまで追い求めるものを、父親は知りたがった。自分の息子はどうして引き下がらないのか、知りたがった。
それを示して、自分を納得させたら進学することを認めてくれるらしい。
包み隠さず、天は全てを話した。
追い求める人がその高校にいると。追い求めたい女性がその場所にいると。
中三のガキが何を言ってるのかと思われて、呆れられてもいい。でも、生まれて初めての感情だからどうしても諦めきれない。
そんな稚拙な説得が、夏休みが終了してから約二ヶ月ほど続き、父親に感情という感情をぶつける毎日の積み重ねが、閉ざされた道を切り拓いた。
「分かった。お前がそこまで言うなら納得してやろう」
「親父……!」
「ただ、普通に通うには遠すぎるから少し考えさせろ。願書は出していいから」
天の熱論が、父親の心をこちら側に引き寄せた。母親は進学に関しては金銭的なものが絡むため父親の判断に一任する形だから、必然的に両親の許可を得たことになる。
そんなこんなで、天は峰ヶ原高校の進学を認められた。その前に受験して、合格する必要があるから頑張らないといけないが。
とりあえず、そのときの天の中では一段落したのだった。安心して、家族全員の前で大泣きしたのは黒歴史である。
「……頑張ろう。絶対に合格してやる」
過去を振り返り、翔子と出会ってから今までの苦労を思い出す天が呟く。
独り言の声量なそれは、しかし颯と咲太の鼓膜を強く震わせ、彼らの心を引き締めた。
強い意志が宿っていた。この試験に人並みならぬ決意と覚悟を持って挑む少年の目は、彼を見る二人が息を呑むほどに真剣だ。
触発される咲太。隣の少年が気持ちを整え始めたのを横目に、彼もまた「だな」と頷き、
「合格しような。そのために勉強したんだし」
「咲太の場合は絶対に合格しないとでしょ。妹さんのこととかあるんだし」
「まぁな」
簡単に返し、咲太は小さく笑う。
その笑顔の裏でどれだけ彼が大変な思いをしたのか、否、しているのか知っているから、天と颯は下手な言葉を返すことはしなかった。
思春期症候群を背負い、解離性障害を身に受けたことで『自分』を忘れた咲太の妹——梓川花楓。
理不尽な理由で苦しめられた彼女は、今度は己の置かれた環境に苦しみ続けている。
天と颯が学校を抜け出したあの日、二人と話した咲太は彼らが帰った後に花楓と話したそうな。
その手に一冊のノート——女子が好んで使いそうな可愛いやつで、なるべく多く書ける分厚いノートを持って。
その日にあったことを、思ったことを、自分の言葉で日記として書くといいと医師に言われたらしい。
戸惑う花楓にノートを渡して、彼女が自分の名前を表紙に書こうとしたとき、咲太は強い覚悟を以って言った。
「下の名前は……ひらがなで『かえで』にしよう」
「ひらがな?」
「かえでは『花楓』じゃなくて、『かえで』だから」
多分、それが『かえで』にとっては一番嬉しいことだったんだと天と颯は思う。
言った瞬間にぶわっと泣き出したと話されたし、久しく妹の心からの笑顔を見たと嬉しそうにしていたのをよく覚えている。
それと、
「本当にありがとう。お前たちがいたから、妹と向き合えた。僕はお前たちという親友が持てて幸せだよ」
「やめろよ。水臭ぇな。親友だろ?」
「妹さんが元気になってよかったね」
その一件があってから、そんな感じで咲太から親友認定されたことも。
そうして、咲太の妹は『花楓』ではなく『かえで』として、一歩ずつ歩むことになった。
夏休みが終わってから時は流れ、紅葉の季節になる頃には病院を退院して、その日から自宅療養が開始して。
少しずつ、かえでにも笑顔が戻って———。
「二人とも、ちょっと聞いてくれ」
「深刻な顔してるね」
「なにがあった?」
「かえでが思春期症候群を発症して、母さんが壊れた」
「「は?」」
事態は、最悪へと落ちた。
かえでが退院してから、一ヶ月が経った頃。
咲太がいつも通り学校から帰宅したところ、思春期症候群を発症した花楓と全く同じ症状がかえでにも起こっていたらしい。
その上、母親に助けを求めた咲太は、西陽が差す窓辺で微笑みながら洗濯物をたたむ母親を見たらしい。
「大丈夫よ、花楓。大丈夫だからね」
そう言って、不気味なくらい柔らかく微笑む、母親の姿を。
『かえで』のことではなく、『花楓』のことしか見ない母親の姿を。
「限界なんて、とっくに過ぎてたんだと思う。かえでがいじめられた時点でかなり滅入ってたから」
「それで、どーなったの?」
「かえでは入院することになったよ。僕とかえでの言葉を全然聞いてくれない医師が、母さんがかえでを虐待した、って決めつけたせいでな」
「ひでぇ話だな」
「大人なんてそんなもんだろ。現に、僕のときだって、お前たち以外は誰も僕の話を聞いてくれなかったんだぞ」
学校で二人にそう話した咲太は、理解してもらうことを諦めたように語っていた。
理解してもらおうと頑張って頑張って、生きる気力すら失うほどに頑張って、それでも天と颯以外に信じてもらえなかった咲太だからこそ出せる、最終的な結論だろう。
その一件があってから、かえでと咲太の母親はしばらく距離を置くことになった。
その方がお互いにとっても安全で、変に刺激されることもないと。
二人が距離を置くとなると、どちらかが家を出ることになる。その場合、生活するための家が必要となるが、候補として祖父母の家が挙げられた。
家を出るのはかえでの方。だから、必然的に咲太も家を出ることになる。かえでは、咲太が一緒じゃないと嫌だと言ったらしい。
それに『花楓』を知る人間に会うのが怖いとも、かえでは言っていたと聞いた。
だから、咲太はかえでに提案をした。
「かえで。僕と二人でどこかに引っ越すのはどうだ?」
「お兄ちゃんと?」
自分がいるなら頑張ると笑うかえでに、「これ以上、頑張らなくていいんだ」と優しく言って。
「知り合いのいない場所に、僕とかえでだけで行くんだ。いやでも、一人はいるかもしれない。けど、そいつは世界で二人しかいない僕の親友のうちの一人だから、安心してくれ」
「お兄ちゃんの親友さん……? お兄ちゃんは……それでもいいんですか?」
「うん。実は、その親友の行こうとしてる高校が、ここからちょっと離れててさ。多分そいつ、その高校に通うことなったら、ここから引っ越すことになるんだよ」
少し前、天が父親からそう言われたと話していたのを、提案している最中の咲太は覚えていた。
ここから遠いなら、思い切ってマンションで一人暮らしでもしてこいと言われたらしい。
母親と姉には猛反対されたらしいが、父親と二人で無理やり押し切ったらしい。
一ヶ月に一回は家に顔を出して、一緒に夕飯を食べることを条件に。
それを聞いて、祖父母の家に行くかどうか悩んでいた咲太は思いついた。
「僕はこの近くの高校に通うつもりはないし、そもそもこの地域にいたくもない。だから、そいつと同じ高校に行こうと思ってるんだ」
「かえでも……ここにはいたくないです」
「だよな。でも、当たり前のことだけど、僕もそいつと同じようにここから通うにはちょっと遠くて。だから、かえでをダシに引っ越しができると嬉しい」
「そ、それなら、お兄ちゃんのために、かえではダシになります!」
かえでに前向きな言葉を贈られた後、咲太は父親に事情を話して許可を得ることになる。
花楓のことを誰も知らない街へ、かえでと二人だけで引っ越すことを、彼は認められたのだ。
——これらが、受験当日までの天と咲太の軌跡。二人が峰ヶ原高校を受験するに至った道程。
「……合格するぞ。絶対に」
「うん。絶対の絶対に」
これまでの自分を振り返った二人が、同じ高校を受験する受験生とは比較にならぬ覚悟を呟く。
この三人組以外にも峰ヶ原高校を受験する生徒は車内に見られるが、二人だけが異様な雰囲気を纏っていた。
好きな人を追って。妹のことを想って。
己の中に誓ったものを果たそうと勉強し、今に至った彼らは二人して表情を固くする。
「てゆーか、今まで流してたけど、颯はどーして峰ヶ原高校を受験できたの? 俺らと同じで家から遠いよね?」
「僕や天みたいに特別な理由があるわけでもないし……。そう考えると気になるな。どうしてなんだ?」
ふと思ったような風に天が聞くと、聞いて不思議に思った咲太の声が重なる。
ここまでが色々と忙しくて気にしなかったが、言われてみれば気になる二人だ。
二人が願書を出すときに一緒に出していたのに、その様にあまりにも違和感がなさすぎて聞こうとも思わなかった。
鎌倉高校前駅に到着し、二人が背を預ける扉とは反対の扉が開く中、「俺か?」と腕を組んだままの颯は、そんな二人に平然とした様子で言った。
「行きたい、って行ったら行かせてくれた」
「いいご両親だなこの野郎」
「僕たちに配慮しろ」
謎にドヤ顔を光らせる颯に、天と咲太の鋭い視線が突き刺さる。
自分たちがどれだけ苦労したか知っていながら言い放つメンタルの強さはともかく、二人は目の前の堂々とした男に手刀を叩き込むのだった。
いつも通りの会話をして緊張を和らげる三人を乗せた電車は、もう間なく七里ヶ浜駅に到着する。
決戦は、目の前だ。
▲▽▲▽▲▽▲
「うぉぉー!」
「海だぁぁあ!」
「二人とも元気だなぁ」
空を覆う雲の隙間から僅かに陽光が降り注ぐ砂浜で、はしゃぐ少年二人の声が高く木霊する。
最高潮に興奮した声色は活気に満ち溢れており、頭上の曇り空を快晴に変えてしまいそうな勢いがあった。
そんな声に薄く混じるのは呆れるようなため息をこぼす少年一人の声。少年二人が投げ捨てるように落としたバックを回収する彼は、視界の中で海と戯れる親友たちを眺めている。
語るまでもないだろう。はしゃぐ二人は咲太と颯であり、ため息をこぼしたのは天。
テンションが上がりまくる二人と、そんな二人を見て冷静になる一人の三人組だ。
——結果から述べると、三人とも無事に合格した。
天と颯は2月14日から数日間に渡って行われた試験で無事に合格し、咲太はその後に行われた二次募集で無事に合格。
親友三人は峰ヶ原高校の入学が決定し、短いながらも濃密だった高校受験という戦いは幕を下ろした。
一度目の試験で咲太が落ちたときは、どうなることかと思った天と颯だった。
今までに焦らされてきた場面は数多と経験してきたが、あれはその中でも一番かもしれないと振り返る。
峰ヶ原高校の合格発表は合否通知が入った封筒を手渡される形で、合格発表日に峰ヶ原高校に行って現実を知らされる。
加え、合格した人は入学手続きなどの書類を受け取るために校内に案内されるため、そうでない人間はその時点で何も受け取らずに正門を潜ることになる。
つまり、落ちた人間が全員に一瞬で知らされる公開処刑型。誰もがそうなりたくはないと心から望み、合格を願っていたはずだろう。
一人一人、高校を受験した学生が順番に封筒を受け取る緊張した空間。
早く順番がきてほしい思いと、怖いからきてほしくない思いを抱える中、同じ中学なことで三人は同時に封筒を受け取り、アイコンタクトでタイミングを合わせて封を開け、
「———ぁ」
その瞬間の咲太の表情は、きっと夢に出てくるだろうなと他二人は確信した。
天と颯の二人は表情が固まったまま、校内に案内され。咲太はその場で呆然と立ち尽くし、高校の教師と思われる人に退場を優しく促され。
この日、天と颯は合格し、咲太は落ちた。
帰宅した二人は咲太に声をかけようとしたけれど、今の自分たちが何を言っても火に油を注ぐ行為にしかならない。だから、話しかけられない。
不合格だった彼は学校にも登校しなくなり、いよいよ家に突撃するしか話す方法がなくなっていた。
そんな日々が流れ、合格発表から三日が経った頃。
咲太のことを気にする天がネットで峰ヶ原高校のホームページを眺めていたとき、ある文字に視線が思いっきり引き寄せられた。
——二次募集開始
その瞬間の天は、恐らく光よりも速い速度で行動を開始しただろう。
夜の八時という時間にも関わらず家を飛び出し、咲太の家に直行。インターホンを鳴らして顔を出した、死んだ顔の咲太にスマホの画面を押し付けて言った。
「咲太! 二次募集!! 峰ヶ原高校! 二次募集してる!!」
「にじ……ぼしゅう?」
「初めてその言葉聞いた? ……あれだよ! もう一回遊べるドン……じゃなくて、もっかい受験できる!! お前もう、これしかないよ!!」
これにより、咲太は辛うじて回復。藁にも縋る思いで二次募集に全身全霊の力を注ぎ、無事に合格することができた。
合格発表の方法は一度目と同じ。
故に、彼の合否を知るべく付き添った天と颯が、校内に案内される封を開けた咲太を見てほっと胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
書類を受け取り、峰ヶ原高校の正門を潜った彼が泣きながら二人いっぺんに抱きついていたのは、色々な意味合いでの感謝の証だろう。
「ねぇ、二人とも」
「「なんだ?」」
「今から海に行こうよ」
その後、最後までヒヤヒヤさせられた高校受験を終えた三人は、天のそんな提案で七里ヶ浜に足を運んでいた。
理由はない。なんとなく。敢えて理由をつけるなら、今日やっと三人揃って無事に合格できて嬉しいから。
そして———。
「おらぁ!」
「冷たっ!?」
今に至る。
スマホ等の貴重品が入った颯の肩掛けバッグと高校の書類が入った咲太のスクールバッグ。更に、颯と同じく貴重品を入れた自分の肩掛けバッグ。
自分のを含めて三人分の荷物を体に掛ける天の視界に映るのは、波打ち際で遊ぶ颯と咲太。
足の裾を膝まで捲り、靴と靴下を脱いだ二人は足元の海を蹴り、水飛沫を飛ばし合っている。
この三人の絵図が、はしゃぐ子ども二人と見守る保護者一人になっているのも知らず。
「おまっ、動きがガチなんだよ。ちょっとは僕に手加減くらいしてくれてもいいだろ」
「知らねぇな。遊びだとしても俺は本気でやるんだ。悔しかったら当ててみな。当てられるもんならな」
「そりゃぁぁ!」
「ぶへぇ!? 口の中入った! しょっぺぇ!」
身軽に水飛沫を回避する颯の顔面に、咲太のトーキックで蹴り上げられた塩水が直撃。
「ぺっ! ぺっ!」と唾を吐きながら水を吐き出す様を見ると、咲太は腹を抱えて笑った。
今は、咲太が合格発表を終えた直後。ちょうど、彼のテンションが嬉しさに限界突破してるときだ。
それならこのはしゃぎ様も仕方ないと天は思う。不合格による絶望が大きかった分、その反動が凄まじいのだろう。
ついでに、そんな彼を見る颯のテンションも限界突破している。誰にでも親身になって寄り添える良い奴な颯も、自分のことのように嬉しそうだ。
海で遊ぶ二人の笑顔は、とても眩しい。
「おーい! 天も来いよー!」
「僕と颯だけ濡れて、自分だけ無事でいるつもりなら全力で濡らしにいくぞー」
「……はいはい。行きますよ」
そんな二人に笑顔を向けられると、仕方なさそうに、でも嬉しそうに笑顔を見せながら天は三人分の荷物を砂浜に置く。
それから、脱いだ靴と靴下を荷物の近くに置いて二人の下に駆け出して行った。
天が合流すると、途端に開始するのは情け容赦のないバトルロイヤル。
どうやったら負けで、なにをしたら勝ちなのか意味不明な水の掛け合いが波打ち際で勃発。
颯が咲太を濡らせば、咲太が天を濡らし、天が颯を濡らすという、全員が確実に塩水を浴びるルール無用の戦いだ。
知らず知らずのうちに心に積もっていたのだろう、三人は溜め込んでいた感情から解放されたようにはしゃぐ。
「おわぁ!? やめろやめろ転ぶ転ぶ!」
「颯! それはちょっとやばい!」
「関係ねぇ! まとめてぶっ転びやがれ!」
楽しすぎてはっちゃけた颯が、天と咲太の肩から首にかけて腕を回してヘッドロック。
この中では一番大柄な彼にがっちり掴まれると、拘束から逃れられないと悟った二人が焦った表情で声を上げる。
そのまま颯は砂浜を蹴り上げて背中から思いっきり倒れて、
「「「あーー!」」」
ばしゃーん、と。
浅い塩水の中へと、三人いっしょに仲良く倒れたのだった。
▲▽▲▽▲▽▲
海で遊ぶこと十分弱、はしゃぎすぎて疲れた天と颯は砂浜に降りるための階段に座って休憩していた。
ちょうど空から降り注いできた陽光に、塩水でびしょびしょになった体を乾かしてもらっている。効果があるのかと言われれば、微妙なところではあるものの。
この場には二人しかいない。咲太は二人が見つめる先——波打ち際でスマホを片手に通話中。
波が当たらないギリギリのところに立っている彼は今、親に合格を知らせているところだ。
不合格のとき、咲太は引っ越しができないとひどく絶望していたから、知らせを聞くご両親はさぞ嬉しいことだろう。
「お前、ほんとよく頑張ったな」
「急になに?」
そんなことを考えていると、頭から塩水を被った颯が不意に話しかけてきた。
心当たりのない労いの言葉に頭から塩水を被った天に小首を傾げられると、颯は「だってよ」と足を軽く組みながら、
「もうちょい偏差値の高い高校に入れたかもしれねぇのに、学校と家の距離も離れてるのに、それでも好きな人のためにあの高校に入学したい、って親を二ヶ月もかけて説得するの。マジでカッケーよ」
「流石、俺の親友だぜ」と、嬉しそうな表情で話す咲太を見ながら言い切る。
今、自分たちがいる七里ヶ浜で出会った少女、牧之原翔子をそこまでして追い求める本気さに。
無理なことを二ヶ月もお願いし続け、なにを言われても一歩も引かなかった意志の強さに。
彼は尊敬の念を抱き、同じ男としてカッコいいやつだと心の底から思った。
普段から飄々としているけれど、のほほーんとしているけれど、やるときはやる男なのだと思わされた。
「その代わり、好成績は維持しろって言われたけどね。期末試験とかの平均点は75点以上がノルマ、って言われちゃった」
自分に憧れの眼差しを向けてくる颯を横目に、天もまた咲太を見ながら呟く。若干、その目が遠くなっているような気がしなくもない。
淡々と言った内容ではあるが、かなり難しいことだと天は思う。
峰ヶ原高校のレベルが中の上とそれなりに高いものであるから、勉強の難易度も比例して高いものになるだろう。
その上、高校に上がること自体が勉強の難易度上昇を意味するから、単純に考えて難しくなるのは言うまでもない。
「でも、好きな人のためなら頑張れる」
だとしても、天に揺らぎはなかった。
峰ヶ原高校に通わせてもらうための条件の中の一つだ、断るわけがない。高校に通えるためならなんでもする気概だったから、条件を提示された瞬間に即断した。
飲みます、と。
「頑張れよ」
「うん。頑張る」
決意を新たに天が意気込むと、肩を拳で弱く叩いてくる颯に声援を贈られる。
今回の場合はまだなにも頑張っていないから、その言葉も嫌には思わなかった。
小さく頷き、天はあの日以来、会えなくなってしまった翔子のことを想う。
なんの言葉も残さず突然に消えてしまったから寂しかったけれど、峰ヶ原高校に合格したのならきっと会えるはずだ。
自分が彼女が予言した通りに峰ヶ原高校に通うなんて知ったら、彼女はどんな反応をしてくれるだろうか。
多分、「お姉さんを追って来たんですね?」とか言って天を揶揄ってくるに違いない。今から返す言葉を考えておこう。
恋心に心を燃やし、「ふっ」と笑みが溢れる天。そんな彼を見ていると、隣に座る颯も釣られて笑った。
と、
「……終わった?」
「みたいだな」
笑みを浮かべる二人の視線の先、親と電話をしていた咲太が耳からスマホを離していた。合格の連絡が終わったのだろう。
スマホを持つ手がだらりと垂れ下がり、脱力した様子が外から見てて分かった。
それから、二人に背を向ける咲太は深呼吸をするよう動作を見せた。
大きく胸を広げ、小さく萎む。広げて、萎む。間違えなく深呼吸の動作だ。
大きく吸って潮風を取り込み、深く吐いて体の中にある濁った酸素を吐き出す。
それを繰り返すと、整ったように背筋を伸ばす。そして、スマホを握る手を大きく振りかぶり、
「ふんっ!」
スマホを、海にぶん投げた。
「うぇぇ!?」
「なにやってんのぉ!?」
一瞬、咲太がなにをしたのか理解できずに唖然とした二人が目を見開いて飛び出す。
しかし遅い。咲太の全力投球によって投げられたスマホは緩やかな放物線を描き、青い海の中へと姿を消していった。
取りに行ける距離じゃない。
スマホは既に波に攫われて見当もつかない方向に流れているだろうし。第一、奇跡的に見つけたとしてもスマホは息絶えているだろう。
追いかけようとして断念した二人は咲太の横に並ぶと、信じがたい行動をした親友を凝視して、
「え? なんで? なんで投げたの?」
「むしゃくしゃした」
「むしゃくしゃして投げていいものじゃねぇぞ!?」
海と自分を交互に見ながら目に見えて困惑する天に清々しい表情で言うと、颯に声を上げて動揺される咲太。
流石のこの二人も彼の行動に頭が追いつけていないらしく、目が「なにやってんだお前」という言葉を雄弁に語っている。
そんな二人の声を聞きながら、咲太は言葉の前に一度だけ深呼吸を挟むと、
「僕なりの覚悟だ」
「かくご?」
「なんの?」
言葉の意味がすぐに分からず、小首を傾げる天と颯。二人して同じ反応をすると、彼らは心底困惑した様子で眉間に皺を寄せた。
予想していなかったわけじゃない反応に、咲太は真剣な表情を作る。
こちらを見つめる二人には目を向けず、真剣な眼差しで海よりもずっと遠くを見据えながら言った。
「かえではスマホを見ると怖がるし、僕もスマホはもう見たくない。アレのせいで色々と引っ掻き回されたから、これくらいが丁度いいんだよ」
「それに」と言葉を繋げて、
「一つの区切りとしてな。僕は今住んでる地域から離れて、かえでと二人で新しく生活をしていく。そのために、今までの自分との境界線を自分の中で引いたんだ」
言われて、二人は納得する。
要するに、まるっきり環境を変えるからそれまでにあったものは全て処分してしまおう、ということだろう。多分。
スマホの中には彼が中学で築いてきた様々なものの証が残っているはずだから、それを捨ててゼロから新しく始めていくと。
妹のためにしたと言うのも頷ける。
彼の妹が花楓と同じ思春期症候群を発症したとなれば、スマホは彼女にとって生命を脅かす超危険物。
故に、彼女と二人だけで生活する咲太は捨てる判断をした。彼女を苦しませるものから離れるために引っ越すのだから、兄としてやれることをした。
だから咲太は、ついでにむしゃくしゃした感情を乗せてスマホを海に捨てた。
かえでがいじめられてから今までの全部を乗せて、蓄積した負感情を全て捨てた。
「だから——これは僕なりの覚悟だ。『花楓』を助けることができなかったから……二度と同じようにはならない。しない」
親友二人に心を救われた咲太が、今度は自分が誰かの心を救うと固く誓う。救えなくても、自分ができることはしてあげたいと心に刻む。
この二人に向けられた優しさがとても温かくて、安心したから。孤立していた自分に手を差し伸べてくれた二人が、とても輝いて見えたから。
「咲太。今のお前、最高にかっこいいぜ」
「まぁ……かっこいいと思うよ。あんまし、頑張りすぎないようにね?」
笑顔でこちらを見つめる颯。半笑いでこちらを見つめる天。驚き、困惑こそしたものの、自分の行動を一切否定しない二人。
左右にいる親友二人に褒められて、咲太は「だろ?」とキメ顔をする。
颯に「おう」と笑いかけられて、天に「それ、キメ顔のつもり?」と笑われた。
この二人がいなかったら、自分はどうなっていたんだろう。
三年の始めに、この二人が話しかけてくれていなかったら、自分はどうなっていたんだろう。
ふと、そんなことを思うと、咲太の口は心の声を音にして紡ぐ。
「二人とも」
それは、彼が二人に向けた友情の証だった。
「——高校でもよろしくな」
よし。次回から高校生に上がりますぞー。