ブタ野郎に親友を作っただけのお話   作:ノラン

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高校一年生編
新生活とはじめまして


 

 

 ——少し、時間を早送りしよう。

 

 

 色々とあった高校受験が終了し、波乱万丈の一年間を乗り越え、晴れて中学生を卒業した咲太と颯と天の仲良し三人組。

 勉強という鎖から解放された彼らは、高校が始まるまでの間、勿論の如く遊びたい放題な毎日を送ろうとした。

 

 のだが、

 

 

「引っ越し作業が片付くまでは遊べないよな」

 

「だろうな」

 

「知ってる」

 

 

 中学を卒業した三人を待っていたのは、高校に進学するために必須な引っ越し作業。

 高校から天と颯は一人暮らし、咲太は妹と二人暮らしをするため、基本的に遊ぶ暇などないのだ。

 

 一人暮らし組は二月の合格発表を終えた時点で峰ヶ原高校の進学が決定したため動き出しが早く、親の全面的な協力もあって引っ越し作業は捗った。

 引っ越し前、当日、後の三つに分けられる面倒な作業。分からないことが多すぎてどうしようかと思ったから、手助けをしてくれて本当に助かった二人である。

 

 因みに、颯も峰ヶ原高校を通う上で一人暮らしを始めるらしい。

 親に「普通に通うには遠いんだが?」と言ったら「じゃ、一人暮らしでもする?」と、軽く言っていいことじゃないことを軽く言われたとか。

 

 

「お前の家族マジでなんなの? お前に甘すぎない? くたばれよ」

 

 

 同じく一人暮らしを始める天の感想だ。

 

 自分があれだけ苦労して乗り越えた壁を、颯という男はなんの苦労もなくすっとすり抜けたらしい。

 否、初めから壁なんてなかった。あったとしてもひょいと飛び越えられるものだ。

 

 峰ヶ原高校を異論なく受験させた時点で察していたが、彼の両親は彼に甘すぎる。

 それで一人暮らしを即断する颯もイカれているが、親もそれなりにだ。

 そんな子ども甘やかしな親に育てられて、どうしてあんな屈強な男が出来上がるのか不思議。

 

 そんなこんながありながら、引っ越し作業が完全に終わる頃には三月も終わりに差し掛かり、二人が一段落すると、次に焦点が当てられたのは咲太。

 

 二人とは違い、二次募集で合格した彼は動き出しが遅く、当然のように引っ越し作業が完了したのは彼らよりも後だった。

 ただ、天と颯が引っ越したマンションに引っ越そうと決めたため、引っ越し先選びに悩まなかった分、普通の引っ越しよりは僅かに早い。

 

 そのため、

 

 

「手伝ってもらって悪いな」

 

「気にすんな」

 

「俺らが勝手にやってることだから」

 

 

 このように、咲太の引越し作業の手伝いをすることになった暇人二人だった。

 

 彼の父親は仕事で忙しいらしく、マンションのエントランス内に運ぶまでしか手伝えず。母親は語るまでもない。

 彼の妹——かえでも少しは手伝ってくれているそうだが、弱い少女の力での作業は限られてくるだろう。

 

 重たい家具などは業者が部屋に運んだらしいが、それ以外の咲太やかえでの荷物は手付かずで。

 エレベーターを使うとはいえ、筋力的に咲太が一人で運ぶには厳しい。

 だから、暇人二人が勝手に手伝いを始めた。どうせ同じマンションの、同じ階の、同じ並びなのだから手伝わせろと。

 

 そして完成したのが、

 

 

「颯、あとどんくらいある?」

「あとダンボール十個」

「多いな」

「筋トレだと思え」

「うい」

 

「お兄ちゃん。お荷物、持ってきました」

「サンキューな。あと、そのうちでいいから、二人に挨拶くらいしておけよ。僕の親友だから悪い人ではないぞ」

「わ、分かりました。お兄ちゃんの命を救った親友さんなら、かえでは頑張ります!」

「話が壮大になったな」

 

 

 天と颯の男二人が外から荷物を家の前に運び、それを受け取った梓川兄妹が荷物を家の中に入れるという連携プレイ。

 極度の人見知りなかえでが、男二人が視界に入ると咲太の背中にシャッと隠れてしまうため、必然的にこうなった。

 そもそも、彼女は外に出ると咲太から離れなくなるから、どの道そうなる。

 

 因みに、仲良し三人組は同じマンションに住むことになった。それも、同じ階の同じ並びに。

 天と颯と梓川兄妹の家が横一列に並ぶという、なんとも都合のいい結果だ。

 

 始めに、藤沢駅から近いマンションを探した天が、駅から徒歩十分のマンションに引っ越し先を決め。

 引っ越し先を選ぶのが面倒な颯が、天と同じマンションを選び。

 二人一緒なら自分もと、便乗した咲太が彼らと同じマンションに引っ越した形。

 

 エレベーターで五階に上がり、右を向いて手前から天、颯、咲太の順番で彼らの家が連なっている。

 これなら、仮に何かがあってもすぐに助けを呼べそうだな——とは、咲太の感想。

 

 そうして引っ越し作業が終わる頃には四月に入り、気がつけば高校の入学式も約一週間前。

 作業が終わったとしてもダンボールの開封作業が残っているため、春休みなのに全く遊べない三人であった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「あー、疲れた」

 

 

 ソファーの上にごろんと寝転がり、疲労感いっぱいの吐息を溢したのは天。

 窓から正午を過ぎた陽光が差し込みつつあるのを横目に、昼食が胃の中で消化されるのを感じながら、彼は四肢から力を抜いて脱力する。

 

 その周りには何段にも積み重なった夥しい量のダンボールが置いてあり、それら全ては解体された平べったい状態で束になっている。

 まとめられたダンボールの束は合計で十束。一つ一つが天の膝の高さまであるそれらは、引越しのために使用した、天の私物を入れていたものだ。

 

 それらが全てこの状態でまとめられているということ。

 それはつまり、

 

 

「やっと終わった……」

 

 

 引っ越しが住んでから、ようやく山のように積み重なったダンボールの開封を終えたことを意味する。

 日数にして一週間。買い物に行ったり近隣住民に挨拶に行ったりと、開封作業以外にもすることがあるため遅くなってしまった。

 時間を見つけて、ちょこちょこ進めるスタイルで開封作業を進めていたのだが、それではダメだったらしい。

 

 三日程度で終わらせて、あとはだらだらする天の予定が完全に狂った。

 

 

「まぁ……高校が始まる前に終わったから良しとしよう」

 

 

 吐息し、脱力。

 

 割と柔らかいソファーに全体重を受け止めてもらいながら、彼は腕を組む。

 そうすると溜まっていた疲労を体が思い出し、凄まじい倦怠感となって襲いかかった。

 

 意外と、疲れていたらしい。ここまでが忙しすぎて気にする余裕がなかったが、やっと落ち着ける場に身を置いてどっと疲れが押し寄せている。

 自分の引っ越しに、親友二人の引っ越し。三人一緒に引っ越ししたこともあって精神的な不安はないにしろ、肉体的なものは別。

 

 

「にしても……ほんと、結構な部屋に住めたな」

 

 

 むくっと起き上がり、網戸から外の音が流れ込む部屋の全体を見渡す。

 視界に映るのは壁掛けの時計や、テレビ。食事をするためのテーブルと椅子。システムキッチンなどなど、生活に必要なものが揃っていた。

 

 今、天がいるのはリビング。それも、キッチンとダイニングとリビングが一緒になった、所謂、LDKというやつ。

 そもそも、天が住むマンションは2LDKという一人で住むには少しばかり広いもので、お陰で天の部屋の隣の部屋が完全に空き部屋となっている。

 

 実家と比べたら圧倒的に狭いが、一人暮らしには十分すぎる。梓川兄妹のように、二人で住んでちょうどいいくらい。

 そのせいで颯が「俺と一緒に住まね?」とかほざいたから「無理」の一言で蹴り飛ばしておいた。

 

 と、

 

 

「———ん?」

 

 

 不意に、眠りそうな静けさが漂う部屋に電子的な音が響く。ピンポーン、と。誰かが家のインターホンを鳴らした。

 誰だろう。否、自分の家に来る人間など今のところあの二人しかいない。「へいへい」と言いながら天は立ち上がった。

 

 テレビドアホンが基本なマンション。そのため、わざわざ玄関に出向かなくてもリビングから誰が来たのか確認できる。

 壁に設置されたインターホンの『通話』と書かれたボタンを人差し指で押すと、小さなモニターに表示されたのは咲太と颯の姿。

 

 

「二人揃ってどーしたの?」

 

「ちょっと来れるか?」

 

「なんで?」

 

「かえでが、二人と話したい、って言ってる」

 

 

 言われて、天は思わず「え?」と声を漏らしてしまう。彼女の事情を知っているが故に唖然とし、小首を傾げた。

 

 咲太の妹が極度の人見知りだとは知っている。それに、咲太以外の人間とあまり接したがらないということも。

 事実、この数日間でかえでに会う機会は何度もあったが、天は彼女と話せていない。話すことはおろか、その姿をちゃんと目にすることすら。

 それは天だけに限った話ではなく颯も然り。二人揃って彼女に怯えられてしまい、馴染もうにも全く馴染めずにいるのが現状だ。

 

 ダンボール開封の手伝いで咲太の家に行っても、彼女は自室に隠れてしまうし。

 たまに開けた扉の隙間からひょこっと顔を覗かせてくれるが、目を合わせた瞬間すぐに隠れてしまう。

 

 それも仕方のないことではあるが。

 

 

「……とりあえず、そっち行くよ」

 

「おう」

 

 

 考えていても仕方ない。簡単に返事を済ませた天は通話を切り、半袖では寒いから黒のパーカーを羽織って玄関に直行。

 玄関前の棚に置いてある鍵を手に持つと、扉の鍵を開けて外へ出た。

 

 

「よっ」

 

 

 扉の前で待っていた二人に軽く挨拶され、「ん」と適当に返す天。

 彼はゆるっとした私服姿の親友二人を横目に扉を閉めると、鍵をかけながら、

 

 

「かえでさん。俺らと会って大丈夫なの?」

 

「いや。全く大丈夫じゃない」

 

「うん。だと思った」

 

 

 淡々とした様子で首を横に振る咲太に、天が特に驚く様子もなく頷く。反対に、颯は「え? 大丈夫じゃねぇの?」と少しばかり驚いていた。

 

 大丈夫なわけがないだろう。あれだけのことがあって、あれだけのことが起こって、たくさん恐怖したのだから。

 この数日間で克服できるわけがない。引っ越しをするとき、家の外に出ただけでひどく怯えて咲太から離れていかなくなったのを天は知っている、見ている。

 

 颯も知っているし、見ている人間なのだが。どうやら事態を楽観視しているらしい。なんだか、驚いた顔つきが腹立つ天だ。

 

 

「大丈夫じゃないなら、会わない方がいいんじゃないの?」

 

「それでも、僕の親友の二人には興味があるらしい。怖いけど、会って挨拶くらいしたい、って言ってる」

 

「無理しなくていいと俺は思うけど。初めて会ってから一週間しか経ってないんだよ? 今まで咲太以外の誰とも接してこなかったのに、急にこんな男二人と話すのなんてさ」

 

 

 「難易度、高くない?」と。

 自宅の扉に寄りかかる天が、簡単には癒えない深い傷を負ったかえでの心を慮る。

 

 本人の意思とはいえ、無理していることに違いはない。新生活が始まり、慣れない環境で過ごすことのストレスだってあるかもしれない今、その上からストレスを重ねる必要などないのだ。

 じっくり、ゆっくり、時間をかけて慣らしていけばいい。そして、そのキッカケを掴むのは今ではない。

 

 そういった理由から、かえでに会うのには否定的な天。

 しかし、彼の気遣う姿勢を跳ね返す勢いで颯は「別にいいだろ」と口を挟み、

 

 

「向こうが、会いたい、っつってんなら会ってやろうぜ。嫌々で言ってんなら話は別だが、そうじゃねぇんだろ? なぁ、咲太」

 

 

 天の心配を軽く蹴った颯に、咲太は「ああ」と頷く。かえでが二人に会うリスクは彼も承知の上であるし、それはかえで自身にも言えることだ。

 けれど、かえでは言った。昨日、夕飯を食べている時に「かえでは明日、お兄ちゃんの親友さんにご挨拶をしたいです」と、怯えながらも勇気を出して。

 

 それは、兄としても嬉しい。かえでが記憶を失ってからここ数ヶ月間、彼女は誰とも接していないのだから。

 自分以外の人と接してくれたら、大いに喜ばしいことになる。

 

 

「だから会ってやってくれないか? 妹が僕以外の誰かと話すのなんて久々だし、かえで自身も頑張りたい、って言ってるから。親友として、兄として、会ってくれとお願いする」

 

「そうだぞ、天。せっかく、かえでちゃんが勇気を持って新たな一歩を踏み出そうとしてんだ。なら、俺らはそれを受け止めて受け入れるのが普通だろ? その勇気を応援してやろうぜ」

 

 

 二人から熱心な眼差しを向けられ、目を細める天の眉間に皺が寄る。

 天の親友として、かえでの兄として、妹が大きな勇気を持って小さな一歩を踏み出すための力になってほしいとお願いされて、返す言葉がない。

 

 数秒間、黙り込む。それから、二人の勢いに負けたように「はぁ」とため息を吐くと、

 

 

「分かった。それなら会うよ。俺もちゃんと挨拶したかったし、会わせて」

 

「よし」

 

「決まりだな」

 

 

 かえで自身が会いたいと言っている。そのことが心の懸念を薄くし、頑なだった天の首は縦に振られる。

 若干、心配な気がしなくもないけれど、颯の言葉に共感できる部分がないわけでもなかった。

 

 渋っていた彼の気持ちが二人に傾けば、天を含めた三人は歩き出す。

 謎のガッツポーズを見せた颯を先頭に、満足げな笑みを見せた咲太、柔らかい表情を作り始めた天の順番で咲太の家へ。

 

 天の家から咲太の家までは十秒もかからない。故に、三人が到着したのはかえでへの挨拶が決まった直後である。

 

 

「かえでー。僕の親友が来たぞー」

 

 

 家の扉を開き、二人を玄関の中に招いた咲太がそう言った途端、奥の方でドタドタと騒ぐ音が立つ。

 なにかが落ちたというわけではなく、誰かが走ったような足音。

 

 十中八九、かえでだろう。直後にドアの閉まる音が聞こえてきたことから察するに、自室に避難したのかもしれない。

 

 

「……やっぱり、来ない方が?」

 

「いや、いい。二人はリビングで待っててくれ」

 

「おう」

 

 

 今ので懸念が膨らみ始めた天を他所に、咲太と颯は玄関を抜けてリビングへ。

 リビングに入ると颯は手を洗うために洗面所に向かい、咲太は妹を呼ぶために妹の部屋へ。天は颯の後を追いかけて洗面所へ。

 

 さっと手を洗い、二人は再びリビングに移動する。

 部屋の構造が全く同じなせいで他人の家にいるのに自分の家にいるような感覚を覚える彼らは、部屋の中心、適当な場所に腰を下ろした。

 颯は胡座で、天は正座。初対面に対する心掛けが浮き出る座り方で、咲太が妹を連れてくるのを待つ。

 

 引っ越しの手伝いをする際に、咲太の妹とは軽く会釈程度には顔を合わせているから初対面とは言えないものの。

 しかし、こうしてちゃんと会うことはないから、実質これが初対面のようなものだ。

 

 

「なぁ、颯」

 

「なんだ?」

 

「俺の目つき、確実に怖がられるよね」

 

 

 だから、天は自分の目つきを気にした。人差し指を目元に当てて顔を横に向け、真顔のまま颯のことを見る。

 見られた颯は天を見返すと、顎に手を当てながら「あー」と低い声を溢し、

 

 

「確かにな。お前、奥二重で目つき(わり)ぃし。雰囲気とか空気とか、全体的に尖ってるもんな」

 

「だよねぇ……」

 

 

 膝に手を置き、がくりと肩を落として俯く天。「はぁ」と分かりやすくため息を吐き、彼は「なんでかなぁ」とめんどくさそうに呟いた。

 隣に座る颯が、気遣うつもりでその肩を叩く。

 

 天自身は無自覚だが、彼は雰囲気がとても尖っている。

 一人でいると『俺に近寄ってくんじゃねぇオーラ』を纏うせいで近寄り難く、目つきが鋭いことも相まって、基本的に誰も近寄りたがらない。

 事実、それが原因で中二までは教室ではずっと一人だった。否、三年に上がってからも彼は咲太と颯が教室にいないときは基本的にぼっちだった。

 

 そういう、空気だった。

 

 

「まぁ、物は試しだ。まずは俺らを真正面から見てもらおうぜ。それで怖がられたら考えろ」

 

「わざわざ怖がられろと?」

 

「心構えくらいはしておけ」

 

「へーい」

 

 

 天の発言を否定しないあたり、颯には結果は見えているようだった。仕方ないと割り切っている天もまた、結果は見えている。

 ほとんどの人間が共通して天に『目つきが悪い』という印象を抱くのだから、ほとんどの人間に当てはまるであろう咲太の妹もそれを抱くはず。

 

 せめて、めちゃくちゃに怯えられて一生目を合わせられない——なんてことにならないよう、今から目を柔らかくしておこう。

 そんなことを考えながら、天は気休め程度に目のあたりを指で弄り回し始める。

 

 そんなときだった。

 

 

「——お待たせ」

 

 

 リビングからかえでの部屋に繋がる扉が、ガチャっと音を立てながらゆっくり開く。

 扉の隙間から咲太の声が流れると、咲太が扉からひょこっと顔を出し、

 

 

「今から会うけど。いけそうか?」

 

「俺らはいつでも」

 

「かえでさんのタイミングでいいよ」

 

 

 どっしり構える颯が力強く頷き、極力柔らかく優しい声を心がける天が背筋を正す。

 自分たちが緊張していてはダメだろうという思考の下、彼らは自然体でいることを心の中で頑張り始めた。

 

 その数秒後、「にゃーん」という猫の鳴き声が聞こえたと同時に、咲太が扉を開ける。

 開かれた扉の奥から出てきたのは、一匹と二人。

 

 一匹は、梓川兄妹が飼っている猫——なすのという名を持った、白い毛並みの中に茶と灰色の模様が浮かぶ猫。

 とても人懐っこい性格をしていて、扉から出てくると颯の胡座の上にちょこんと座った。

 

 二人は、扉を開けた咲太と、彼の背中にぴったりくっついて離れない彼の妹——梓川かえでだ。

 やはり難しいものがあるのか、極度の人見知りを発動した彼女は兄の背に隠れていた。

 

 くっつき虫のように、咲太から離れないかえで。

 その表情は完全に強張っており、肩もがちがち。緊張しているせいで変に力が入ってるのが見ただけで分かる。

 それでもこの場から逃げることだけはしないのか、天と颯の前に座った兄を盾にして一緒に座り込む彼女は、その場からは動かない。

 

 動かないのではなく、動けないのではないだろうか。とは、天の思い。

 

 

「ーーーー」

 

 

 横並びに座る天と颯。そして、彼らの正面に座る咲太と、彼の背にくっついて座るかえで。最後に、颯に撫でられて喉をごろごろ鳴らすなすの。

 梓川家にいる全員がリビングに集まると、設けられた挨拶の機会が完成する。

 

 途端、リビングに気まずい静寂が漂い始めたのを少年三人は感じた。

 誰が話し出すのか、かえでが自分から口を開くのを待つべきか否か、その議論が三人の間で目線として交わされる。

 なすのは撫でられてご満悦で、かえでは自分のことで精一杯な雰囲気だから感じ取れていない。

 

 だから、天は動いた。

 

 

「えっと、かえでさん……でいいのかな?」

 

 

 言った瞬間、咲太の背中でかえでの肩がピクリと跳ねる。

 ()が座ったことで隠れる場所が狭くなった彼女は、なるべく二人から隠れられるように身を縮めていた。ぎゅっと掴んだ兄の肩は、離しそうにない。

 

 この静寂を嫌い、話のキッカケを作り出そうとした天は、その小動物のような反応を目にすると、

 

 

「はじめまして。俺は空野天といいます。色々あって咲太の親友やらせてもらってます。えっと……よろしくお願いします」

 

「んで、俺は神崎颯だ。コイツと同じく咲太の親友で、隣の家に住んでる。よろしくな」

 

 

 天の丁寧な挨拶に便乗した颯が砕けた口調で挨拶を言葉にすると、かえでが咲太の肩から恐る恐る顔を出す。

 ニコッと笑いかける少年二人を見ると、はっとしてすぐに引っ込んでしまう。

 

 肩まで伸びた茶髪を一つ結びにして片肩から垂らした、可愛らしい少女だったなと、二人は思った。

 今年で十四歳となる顔つきは童顔で、守りたくなる愛らしさに満ちており、真っ白で純粋無垢な幼な子といった印象を一番に受ける。

 白のブラウスと吊りスカートを身に纏った様は『中学生』の雰囲気を匂わせているが、しかし顔つきを見るとその雰囲気は四散した。

 

 そのかえで。二人の挨拶に対して彼女は、しばらくどうしようか迷うように咲太の肩から顔を出して、引っ込めて、出して、引っ込めてを繰り返す。

 その果てに、「ぁ」と思いついた声を小さく溢すと、隠れる咲太の背中に口を付け、もごもご動かした。

 

 

「えと……はじめまして、梓川かえでです、だそうだ」

 

「え? 今ので伝わったの?」

 

「兄妹ってすげぇな」

 

 

 咲太がかえでの声となった途端、二人が笑声を音にしながら小さく驚く。

 

 音を発さず振動だけで己の言葉を伝える妹の力も凄いが、瞬時に理解する兄もすごい。

 振動一つでコミュニケーションが成立するとは、言葉の壁を乗り越える新たな方法が見つかった瞬間だった。

 

 そのまま、かえでは口をもごもご動かす。背に伝わる振動で咲太は妹の言葉を理解し、

 

 

「お二人はお兄ちゃんの命を救ったすごい人だと、お兄ちゃんから聞きました。だとさ」

 

「命を救った……?」

 

「そんなことしたか?」

 

 

 咲太を間に挟む会話が成立したところで、二人は同時に小首を傾げた。

 兄の命を救った——そんな壮大な出来事があったかと記憶の引き出しを開け始め、それっぽいものがないかと考える。

 

 そんな二人に「あれだよ」と、咲太は人差し指を立て、

 

 

「二人が入院した僕に、学校を抜け出してまで会いに来た日」

 

「あー」

 

「理解した」

 

 

 それだけで合点がいく。たった一言で理解できるのは、その日が人生で一番に入る程に濃い一日だったからだ。

 

 天と颯からすれば、単に学校に来ない友人を心配して、顔を出したら大変なことになっていたから、彼の話を聞いて、それから丸ごと信じただけの日。

 ただそれだけの日なのだが、どうやら咲太にとっては大きかったらしい。

 咲太は正面に座る親友二人を見ながら、

 

 

「あの日、僕は二人に救われた。あれがなかったら今の僕は無いと言っても過言じゃないくらい、救われたんだ。妹と向き合えたのもそのお陰だしな」

 

「それで、命を救ったと」

 

「いや。それは僕から話を聞いたかえでが、勝手に話を壮大にしただけだ」

 

 

 間違ってはいないが、命を救ったという表現にはむず痒さを感じる天が「ふーん」と喉を鳴らす。

 隣では颯が「友達なんだから、当然のことだろ?」と自信満々に語り。

 彼らの反応を受け取った咲太が「ふっ」と、口元から笑みを漏らしていた。

 

 

 ーーだめだ。これじゃ、かえでさんが蚊帳の外だ

 

 

 自分ら三人が作り出す空気を感覚的に察した天は心の中で呟くと、一度だけ咳払いし、

 

 

「かえでさん」

 

 

 瞬間、名を呼ばれたかえでの肩がピクリと跳ねる。

 多分、しばらくは名を呼ぶ度に怯えられるだろうなと天は思いながら、

 

 

「俺らと目ぇ合わせるの、怖い?」

 

 

 壁掛けの時計を見るふりをしながら、天は問う。その声色は颯と咲太が聞いたこともない程に優しく柔らかいもので、内心、二人して静かに驚いた。

 

 そんな二人を他所に、天は言葉と言葉の間に一拍の間を置く。一つ一つ、言葉に対するかえでの反応を見ているのだ。

 一方的に話さず、彼女のペースに合わせる。その結果、咲太の陰から顔を出すかえでが二人のことを見て、一瞬で隠れる仕草が見えた。

 

 

「正直に言っていいよ。大丈夫だから」

 

 

 自分の目つきが怖いのは知っている。咲太以外の人と会うのが怖いのも知っている。だから、この問いかけに意味なんてない。

 それでも、彼女の思いを聞いておく必要があった。彼女が自分たちにそれを教えること自体に意味があるのだから。

 

 少しして、咲太の背中でかえでの頭が小さく頷くのが見えた。頷き方は恐る恐るで、相手の反応を窺うように怯えている。

 まるで、大型の肉食獣を前にした子ウサギのようだった。いつ食われるかも分からない。そんな風な怯える小動物のようだった。

 

 それでいい。それが当たり前の反応だ。

 

 

「じゃ、俺らは後ろでも向こっか」

 

「え?」

 

 

 言った瞬間、颯が気の抜けた声を漏らす。その反応を気にせず、天は回れ右。

 正座を崩して体育座りに体勢を変えると、かえでに背中を向けた。

 

 未だ颯の胡座の中で喉を鳴らすなすの以外が驚く行為をすると天は「だって」と、戯けるように手を広げ、

 

 

「かえでさんが勇気を振り絞ってくれてんだもん。なら、かえでさんの歩幅に合わせるのが普通でしょ。かえでさんが俺らに慣れてくれるまで、こんな感じで接するよ。目は見ない」

 

「天。お前………」

 

「ほら早く。颯も後ろ向いて」

 

 

 なにか言いかけた颯を遮り、天は彼の肩をポンと叩く。彼の意思を汲み取ったのか、「ほんと、お前ってやつは……」と笑いながら颯も回れ右。

 その際、なすのが胡座から飛び降り、のそのそとかえでの下に帰っていく。

 

 完全に背を向けた二人。一直線に伸びた天の背中と、少し曲がった颯の背中を見ると、咲太は思わずといった具合で吹き出す。

 妹に対して気遣いまくる、天の接し方に。

 

 家が近い以上、咲太が二人と親友な以上、かえでが二人と接するのは避けられないだろう。

 だから、どれだけ長くなってもいいから自分たちに慣れてもらう必要がある。

 その一歩目がこれとは、中々に面白い絵面が完成したものだ。

 

 他人と接するのが怖いから根本的な解決には至ってないが、そのきっかけになるなら構わない。

 けれど、なにをすればいいか分からないから、とにかくかえでが怯えないように頑張るしかない二人。

 

 彼らは背中越しに親指を立てると、

 

 

「少しはマシになったか?」

 

「ほんのちょっとでもいい。全く意味がなかったらごめんね」

 

 

 これで彼女の心が和らぐかは分からない。けれど、なにかしないと自分たちに馴染めないのは確かだから。

 この状況のままだと、彼女に負担がかかるのは明らかだから。二人は頑張るのだ。

 

 そんな二人の背を、咲太の肩から顔を出したかえでは見る。音もなくこっそり、二人にバレないように。

 

 

「俺ら、かえでちゃん相手になにやってんだろうな」

 

「知らないよ。でも、これでかえでさんが楽になるならやるしかないでしょ?」

 

「間違いねぇ」

 

 

 こちらを見つめていない分、少しは緊張も軽減したらしい。

 そんな風に楽しげに会話する二人をじっと見つめて、喉を鳴らしながら膝に擦り寄ってくるなすのを無意識に抱き抱える。

 

 必要以上に踏み込んでこず、けれど離れていくことはしない少年二人。

 一人は、怖く見えるけど口調が柔らかくて、不思議と温かさを感じる人。

 一人は、怖く見えないけど口調が荒くて、不思議と兄と似通った雰囲気を感じる人。

 

 その少年たちを見ていると、なんとなく気になって兄のことを見た。

 兄はこちらの心を安心させるような微笑みを浮かべていて、ポンと頭に手を添えてくれた。

 

 その温かい感覚に、背中を押された気がした。

 

 

「あ…………」

 

 

 喉が、震える。

 けれど、言葉にはならない。

 

 言葉を発しようとした瞬間、拒絶反応を起こしたように心が締め付けられる。違う、ように、ではなく、起こした。

 かえでの心は、他人と言葉を交わすことを拒絶している。怖い、話したくないと、閉ざしている。

 

 

「あり……」

 

 

 それでも、かえでは感情に喉を震わせる。

 

 何かを言おうとしている自分を察して、前に座る少年二人が静かになって。

 何かをしようとしている自分を応援して、隣に座る兄が「少しずつでいい」と呟いて。

 

 それが、背中を押してくれるから。

 

 

「あ、あり………」

 

 

 怖い。体が震える。怖い。心臓がうるさい。怖い。呼吸が苦しい。怖い。逃げてしまいたい。怖い。兄の陰に隠れたい。怖い。怖い。怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い———。

 

 

「あり、あり、ありがとう……ございます」

 

 

 小さな掠れ声が、空間に響く。

 

 必死に絞り出した音はひどく震えて、怯え切ったものだった。耳を澄ましても聞き取れるか曖昧な、か弱い声だった。

 けれど、初めて聞いた彼女の頑張った証は、確かな声となって三人の心に衝撃をもたらす。

 

 十分すぎる、これ以上ないまでの頑張り。

 一体、自分の妹が他人と話したのは何ヶ月ぶりか——そう思う咲太の目の奥が不意に熱せられた。

 妹の頭に添える手に力が入りかけ、咄嗟に吐息して力を抜く。

 

 今の彼女の精一杯を受け取った天と颯。兄のような動揺を見せない二人は、数秒だけ沈黙すると、「うん」と深く頷き、

 

 

「俺らの方こそ。ありがとうな」

 

「よく頑張ったね、かえでさん」

 

 

 振り向きかけた自分を天に制されつつ、颯はお礼を返す。

 颯を制した天は、彼に続いて労いの言葉を——翔子に贈られた優しい言葉を贈った。

 

 多分、それが限界だった。

 彼らの声がかえでの心に届いた瞬間、彼女がその場から勢いよく立ち上がる。

 そして、なすのを抱き抱えたまま猫のように俊敏な動きで自室へ飛び込み、扉を閉める。

 

 彼女の中で限界を越えそうになったのだろう。呼び止める隙も与えずリビングから消えてしまった。

 

 

「メンタルケア。よろしくね」

 

「おう」

 

「褒めちぎってやれ」

 

「おう」

 

 

 それを咎める者は、一人もいない。

 振り返った二人が固く閉ざされた扉を見つめながら言い、兄として後のことを任された咲太が粛々と頷いていた。

 

 話せたのはほんの少しだけれど、彼女にとっては大きな一歩。元より挨拶だけの予定だから、今はこれでいい。

 自分たちの中で何度も確認するけれど——ここからゆっくり慣れていけばいいのだから。

 

 

「それで。僕の妹はどうだった?」

 

 

 かえでとなすのがいなくなり、親友三人組の空間になったリビングに咲太の疑問が浮かぶ。

 はじめましての感想を聞かれた二人。颯はかいた胡座の上で頬杖をつき、天は姿勢を崩しながら、

 

 

「健気な子でいいじゃねぇの。頑張る姿は応援したくなるな」

 

「ちょっとずつでいいから俺らに慣れてほしいな、って思った」

 

 

 己の感想を述べる二人に、咲太は笑む。

 この二人だから大丈夫だとは思っていたものの、心配していなかったわけでもないから、はじめましてが上手く終わったようで安心したのだ。

 

 これが一歩目。かえでがちょっとずつ毎日を楽しめるようになる、そんな一歩目。

 この二人のおかげでその一歩を踏み出せたと思うと、自分たち兄妹は本当にこの二人に助けられているなと、感慨深いものを感じる咲太だった。

 

 

「颯、咲太。かえでさんと話して、ちょっと思ったことがあってさ」

 

 

 無意識に張っていた緊張の糸が緩み、心に入った力が抜けていく中、胡座をかく天が話題を広げようとしている。

 またいつものくだらない会話が始まるのだろう。聞く姿勢をとる二人が耳を傾けると、天は「あのさ」と真面目な顔で、

 

 

「かえでさんの妹パワーが、俺にぶっ刺さってる件について」

 

 

 聞いた瞬間、咲太と颯の思考は唖然に止まる。頭が言葉を飲み込むまでの間、表情が真顔のまま固まった。

 それも一瞬のこと。放たれた言葉の意味を理解すると、二人は感情が解放されたように「は?」と同時に声を上げ、

 

 

「なにあの子。咲太の背中にしがみつくところとか、マジでやばい。この世界にあんな、絵に描いたようなお兄ちゃんラブな妹が存在するのかと思ったね。てか、普通にビジュアル完璧すぎだろ」

 

 

 二人にドン引きする目を向けられながら、興奮した様子で拳を握りしめて強く語る。

 年下好きで、妹属性好きで、姉か妹かと聞かれたら圧倒的に妹派な空野天。

 

 年下で、お兄ちゃんっ子な妹。否、ブラコンの極みと言われても納得するレベルのお兄ちゃんっ子な妹、かえで。

 色々と完璧すぎるかえでを見た彼は、彼女と話していたときと同一人物か疑うほどに饒舌で、

 

 

「咲太。俺、マジでやばいかも。かえでさんを見る度に心が暴走するかもしれない」

 

「よし。こいつは警察に連れて行こう」

 

「二度と僕の妹に会うな。今すぐ家に帰れ」

 

 

 真面目な顔して、とんでもないことを言い放った天の身柄を拘束。

 咲太と颯は平常運転な彼を家の外に追い出し、その日は解散したのだった。

 

 

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