ブタ野郎に親友を作っただけのお話   作:ノラン

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初恋は遠く

 

 

 春風吹く澄み渡った青空の下、公園に咲く桜を見ながら、住宅街を歩く男たちがいた。

 

 

「今日から高校かぁ」

 

「ずっと春休みでよかった」

 

「なんでだよ。楽しみじゃねぇのか?」

 

 

 一人は目つきが悪く、尖った雰囲気を纏い。

 一人は目つきが気怠そうで、無気力感があり。

 一人は目つきが活気に溢れ、生気に満ちている。

 

 横並びにして歩く三人は同じく白のワイシャツにベージュのブレザー、紺色のズボン——学生服に身を包んでおり。

 ワイシャツの襟の下から回した赤色の細いネクタイには、汚れが一つもない。否、制服全体に汚れや皺が一つもなく、ピッカピカだ。

 

 ——今日は、高校の入学式。全く遊べなかった春休みを終え、家から出たばかりの三人。天と咲太と颯は現在、初登校中である。

 

 

「僕は楽しみじゃないな。学校と聞いたら嫌な記憶ばかりが過ぎるし、めんどくさいだけだろ」

 

「俺は楽しみだな。高校生活、どんなやつに会えるのか今から楽しみだぜ!」

 

「これだから陽キャは……」

 

 

 期待に胸を躍らせ、目をキラキラさせる颯が拳を握りしめてガッツポーズ。桜の舞う公園を見ながら空を見上げ、夢の高校ライフを満喫しようと意気込んでいる。

 そんな彼を見る咲太の目は相変わらず気怠げだ。いつ見ても眠そうで、マイペースで、ショルダー型のスクールバッグを背負うという、アニメでしか見ない光景を作り出している。

 

 颯の場合、どんなやつに会える。ではなく、どんな強いやつに会える。の方が正しいのではないだろうか。

 くだらないことを考えながら、咲太は颯が歩く右側から左側に視線を移す。颯とは逆サイド、すぐ隣には、胸に手を当てる天が静かに歩いていた。

 

 

「天はどうなんだ?」

 

「高校が楽しみか、って?」

 

 

 どこか緊張感のある天に話しかけると、彼はこちらに視線を向けて小首を傾げてくる。

 咲太を真ん中に横一列に並ぶ都合上、左右の人間が咲太を見れば必然的にもう一人とも視線が合わさった。

 

 咲太と颯の二人と視線を合わせる天。ポケットに手を突っ込む彼は「それ、聞く必要ある?」と、彼らに笑いかけ、

 

 

「俺がなんのために峰ヶ原高校に入ったか……。覚えてんでしょ?」

 

「好きな人との出会いを求めて」

 

「運命の人を見つけるために」

 

「その言い方だと、出会い厨っぽく聞こえるからやめようか」

 

 

 苦笑。

 

 リュック型のスクールバッグを背負い直しながら、天は微妙にズレた正解を語る二人に笑う。

 それから、通り過ぎた公園を横目に前を向き、

 

 

「初恋の人に会うためだよ。やっと牧之原さんに会えるから楽しみ。ちょっと緊張もするけど」

 

 

 それで、胸に手を当てていたのかと咲太は納得。その感覚はよく分からないが、好きな人に会うのはどうやら緊張するらしい。

 基本的になにを考えているのか、否、考えているのかすら不明な彼の真顔には、一抹の緊張感がある。

 

 やっと、やっと会えるのだ。楽しみじゃないわけがないだろう。

 去年の夏——泣きつかれて抱き合った以降、二度と会えなくなった年上のお姉さん。完璧に惚れてしまったその人に会えると思うと、胸の高鳴りが抑えられない。

 

 

「なぁなぁ、俺らもその人に会わせろよ。お前が惚れた女がどんな女なのか気になる」

 

「僕も気になるな。女の子に無関心……性欲あるのかと疑うレベルで無関心な天が興味を示す人がどんな人なのか、是非とも紹介してくれ」

 

 

 待ちに待った瞬間が着々と近づき、自然と暴れ出す心を落ち着かせる天。深呼吸をする彼を見る二人は、興味あり気な様子。

 親友が本気で好きになった人なのだから、気になって当然だ。

 

 初恋の人——『牧之原翔子』の話を語るときの天は、それはそれは熱心で、本気度を示す早口は凄まじかった覚えがある。

 あそこまで天を夢中にさせる人。わざわざ一人暮らしをしてまで会いたいと思える人。

 

 果たして、どんな人なのかと。

 

 

「……無理、って言っても付いてくるんでしょ?」

 

「もちろんだ」

「ったりめーよ」

 

 

 ニヤリと笑う咲太。

 ニカッと笑う颯。

 

 二人の親友に断言された天は「はぁ」と仕方なさそうに、それでいて嬉しそうに笑い、

 

 

「お好きにどーぞ」

 

 

 と。やれやれと言いたげに首を横に振った。

 

 正直、自分一人で学年が上がった三年生の翔子に会いに行くのは心細いし、好都合だ。

 ただ、この二人が来ると彼女と再会した時に茶々を入れてくるに決まっているから、若干の懸念点はあるものの。

 

 

「てかよ。俺ら、三人一緒のクラスになれるといいな」

 

 

 天の初恋の話が着地すると、颯が新たな話題を即座に投げかける。元から用意していたような早さで、会話が途切れるタイミングを見計らった。

 

 この三人はいつもこんな感じだ。

 一つの話題が着地すれば、また次の話題が投げられ、それが着地すれば次の話題が、次の話題が——と、途切れることがない。

 

 会話の続行に「だな」と頷く咲太と、「うん」と頷く天。共感してきた二人に颯は「だよな」と嬉しそうな笑顔を見せた。

 住宅街を抜け、一本の橋を渡る三人。その中で、天が橋の下を流れる川を見ながら、

 

 

「まぁでも、難しいだろうね。峰ヶ原高校って確か五クラスくらいあったはずだし。三人別々になるのが普通でしょ」

 

 

 それが普通だと天は思う。

 クラスが多いのだから三人が一緒になるのは難しい。三人別々なのが当然で、そう思って変に期待しない方がいい、と。

 中学三年のとき、奇跡的に颯と同じクラスになれて彼に喜ばれたことがあるけど、あんなことが二度も起こるなんて思っていないのだ。

 

 その意見は咲太も同じなようで。颯一人だけが三人一緒になれと願うのを横に、彼は「ふっ」と面白がるように笑い、

 

 

「もしかして、この中の誰か一人が別のクラスになったりして」

 

「そんなまさか」

 

「二人一緒で一人だけ違うとか、一番確率が低いパターンだろ」

 

 

 咲太の冗談じみたパターンを天が鼻で笑い飛ばし、あり得ないとする颯が「でも、そうなったら爆笑もんだな」と失笑。

 

 

 そうして、盛大なフラグを立てながら三人は峰ヶ原高校へと向かって行った。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「この一年間、俺は咲太を恨み続ける」

 

「フラグを立てたのは僕だけじゃない」

 

 

 腹を抱えて爆笑する颯を横に、天は咲太を鋭い眼光で睨みつけ、睨みつけられた咲太は半笑いを浮かべながら視線を受け流している。

 その三人の手には太文字で『クラス表』と書かれた一枚の紙があり、天はその紙をくしゃくしゃに握り潰していた。

 その近くには体育館からぞろぞろ出てくる新一年生の流れがあり、三人はその流れに混じって一年の教室がある階に進んでいる最中。

 

 ——一時間程度の入学式を終えた三人は現在、クラス分けが記された紙を片手に、喜怒哀楽の渦に飲まれているところだ。

 

 理由は簡単。それは、

 

 

「なんで俺だけ一人なんだよ。なんでお前らは一緒なんだよ」

 

「知るかよ。運がなかったな」

 

「ま、そう言うな。寂しかったら颯と会いに行ってやるから」

 

 

 神崎颯、梓川咲太——1年1組。

 空野天——1年3組。

 

 どうやら、咲太は無自覚に大きな赤色のフラグを一本、天の背中にぶっ刺したらしい。

 折ることもできないそれは、自然の摂理に従って見事に回収されることになったのである。

 

 自分一人だけ別のクラスと知ったときの反応を思うと、笑いが吹き出す咲太と颯だ。そのせいで颯がずっと笑いっぱなしで、咲太の半笑いも抜けそうにない。

 あの、数秒間だけ表情が固まって、何度も何度も見間違えではないかと見返し、最終的に表情を歪めながらクラス表を握り潰す様は傑作だった。

 

 

「なんか俺、悪い行いでもしたかなぁ」

 

 

 新一年生が作り出す喧騒の中で一人、天は大きなため息をこぼす。

 決まったものは仕方ないと諦めて受け入れる彼は、くしゃくしゃになったクラス表をコンパクトに折ってポケットに突っ込んだ。

 

 割と本気でヘコむ天。彼を真ん中に歩く同じクラスな二人は、その肩にポンと手を乗せ、

 

 

「「どんまい」」

 

「くたばれ」

 

 

 笑いながらの気休めは気休めにならず、逆効果になった結果として添えた手を思いっきり払われた。

 

 その後、一年生の教室が並ぶ三階についた三人は二人と一人に分かれ、自分の教室へと向かった。

 その際、「じゃ、あとでな」と手を振った二人に対して「んー」と適当に返した天。

 

 彼はもう、色々と割り切った様子であった。

 

 

「ここか?」

 

「ここだな」

 

 

 一人は慣れっこな天と分かれ、1年1組の扉を潜った咲太と颯。彼らは、クラス表を見ながら自分の席を探し、特に間違えることもなく無事に着席。

 苗字が『あ』から始まる咲太は教室の窓際、一番前の席。颯は、その隣だ。

 

 

「お、隣だ」

 

「隣だな」

 

 

 二人して一番前の席になった絶望と、席が近かった喜びを分かち合う。絶望を感じているのは、一番前だと何かと面倒だから。

 授業中に寝れないし、軽いお喋りもできない。その上、授業の先生に「これ、答えてみなさい」と当てられる確率が高いのだ。

 

 尤も、この席だと左を見たら絶景が見れるから、必ずしも絶望というわけでもない。

 

 

「うぉぉ……。海だ。マジで海が見える」

 

「すげぇな。天の言った通りだ」

 

 

 1年1組の生徒が続々と教室の中へと流れ込んでくる中、椅子に座る二人は窓の外を見る。

 

 立ち上がり、感嘆の声を漏らした颯、頬杖をつく咲太、彼らの視界いっぱいに広がるのは広大な海の世界だった。

 早朝を抜け、正午に移りつつある太陽の光を浴びた海はきらきら輝き。不規則に揺れる波をじっと見ていると、不思議と引き込まれるような感覚に陥る。

 

 普通の教室からでは見れない光景。こんなに海が見れる学校はそうない。

 事実、教室にいる生徒の何人かは二人と同じように窓際で海を見ている。スマホを片手に写真を撮る者や、「いぇーい」と言って自撮りをする者もいた。

 

 やはり珍しい光景なのだろう。

 咲太と談笑しながら気になって横を見た颯の目には、海を眺める集団に加わる生徒が順調に増えている。

 おそらく、天も教室からこの眺めを見ていることだろう。否、机に突っ伏しているに違いない。

 

 

「にしても……先生、来ないな」

 

「んな。来ねぇと帰れねぇのに。なにしてんだよ」

 

 

 海に視線が固定された咲太を他所に、海を見る一団から視線を外した颯は教室の出入り口を見る。

 先生が入ってくる気配は依然としてなく、外を歩く生徒が見えるだけだった。

 

 来ないと話が始まらず、早く帰りたいのに帰れないのだが。来ないのなら仕方ないか。

 そんなことを考えながら、「この席も悪くないな」と呟く咲太に「だな」と返し、颯はなんとなくぐるりと教室を見渡す。

 

 依然として入室ラッシュは勢いを弱めず、この教室にいる生徒はクラスの七割程度だろうか。

 担任の先生が来るまでの間、彼らは各々の過ごし方をして暇を潰していた。

 

 椅子に座ってスマホを弄る者や、机に突っ伏す者に、知り合いを作ろうと話しかけている者。あるいは、知り合いとなった者と話している者などなど。

 一人でいる者と、そうでない者の区別がはっきり見分けられる光景だった。

 

 颯も友人を作りにいきたいのだが、今は咲太と話しているから後にする。

 

 

「ーー? なんだ、あいつ」

 

 

 そうして教室を見渡していると、颯の目が一人の生徒に留まる。

 声に反応した咲太が「ん?」と喉を低く鳴らしながら颯を見ると、彼は海とは全く違う方向を見ていることに気づいた。

 自然、その視線を辿る咲太。辿った先にいたのは、席で本を読む一人の生徒だった。

 

 背に下ろした灰色寄りの黒髪が胸に届くほど長い、眼鏡をかけた小柄な、ダウナー系っぽい女子生徒。

 騒がしい教室で一人、ひっそりと本を読む絵面は少し異質で、落ち着いた雰囲気を纏う様からは『寡黙』と『秀才』という言葉か似合うと思わされる。

 ぺらっと本を捲る表情には色がなく、ただ無心で読んでいるようにも見えた。

 

 それだけ聞くと、普通の生徒に聞こえる。人見知りで、入学式初日で友人が作れていない、クラスに一人はいそうなぼっちに聞こえる。

 けれど、それだけじゃないから、二人は引っかかった。引っかかることとは、

 

 

「なんであいつ……白衣、着てんだよ」

 

 

 制服の上から一枚、体の輪郭を覆うように白衣を着用していたことだ。科学の先生が着用するような、実験をするときに着るやつ。

 

 普通なら着ない。否、白衣を着るという発想にすら至らない。あれをファッションとしているなら、颯は彼女の感性を疑うだろう。

 それほどまでに異質。他の生徒も同じなのか、「なんで白衣?」といった目を向けている者がちらほら。

 

 しかし、当の本人はどこ吹く風。これが普通だと言わんばかりの態度だ。無表情で、無感情で、本と睨めっこしている。

 まるで、自分の世界に入っているかのように。

 

 

「なんか、雰囲気が天に似てるな」

 

「それ、僕も思った」

 

 

 こちらが視線を向けても気づく様子のない女子生徒を見ると、その影に天を重ねる二人が失笑。二人して同じことを思っていたことが面白かった。

 

 なぜか、あの女子生徒は自分たちの親友と似ている気がする。

 目つきが悪いわけでもないし、雰囲気が尖っているわけでもない。彼との共通点なんて一つもないはずなのに、どこか似通っていると思ってしまう。

 

 一人でいるところだろうか。違う。一人でいても平然としているところだろうか。違う。多分、纏う空気。

 彼女が纏う空気と、天が纏う空気——落ち着いた空気が似ている。自分たちだけが知っている、彼の尖った雰囲気の裏に隠れる落ち着いた空気が、彼女のそれと重なっていた。

 

 

「だとしても白衣はねぇだろ、流石に」

 

「余程の科学好きなんじゃないか?」

 

「今すぐにでも実験したい、ってか?」

 

「そうだ」

 

「違ぇだろ」

 

 

 みんなちがって、みんないい。

 

 そんな言い方で女子生徒改め、白衣女子を肯定しようとする咲太を鼻で笑い、颯は横にしていた体を前に向ける。

 あまりじっと見ているのも迷惑だろうし、無人の廊下に先生らしき人が歩くのを見た。

 

 恐らく、他クラスの担任だろう。あの先生が担当クラスに向かっているとすれば、このクラスにも担任が来るはず。

 自クラスに移動する新一年生の流れも消えたことだし、時間的にもそろそろ来るだろう。

 

 

「はい。席に着けー」

 

 

 そんなことを思った数秒後。男性の声と共に、若い男の人が教室に入ってくる。十中八九、この一年間お世話になる担任の先生だろう。

 やっと来たか。そう思う二人が前を向いて姿勢を正し、教室に散らばっていた生徒が自分の席に戻っていく。

 

 

「えー、まずは入学おめでとう。これから高校生活が始まるわけだが、まずは———」

 

 

 全員が席に着くと、先生が話し始める。

 

 以降、新しい教科書や時間割などの書類が配布され、学校の設備や行事、明日に提出する書類などの説明が淡々と始まった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 自クラスで説明を受け終わり、クラスとして解散となった咲太と颯が天の教室を外から覗いたところ、隣の席に座る生徒と普通に話す彼を見て驚き。

 

 説明後に行われた部活紹介に赴いた三人の中、天がバレー部の紹介を見て「あ、ここは無理だ」と、帰宅部の入部を決意し。

 颯が様々な部活の勧誘にほいほい付いていった末、各所で居合わせた自クラスの人たちと打ち解けて1年1組のライングループを作る先陣を切り。

 

 その颯を見捨てて帰った天と咲太が、帰り道に年下か年上かで議論を交わすなどの一件もありつつ、時間は進んでいった。

 

 ——そんなこんながありつつ、時間は飛んで入学式翌日。

 

 峰ヶ原高校は進学校寄りの高校だと言われているからか、入学式の次の日から普通に授業があることに面倒なものを感じつつ、三人は高校生活をスタートしていた。

 一時間目を越えて二時間目、三時間目と順調に進み。今現在、時間帯は正午を半分過ぎた頃——四時間目と五時間目の間に挟まれる昼休みだ。

 

 

「よし。じゃ、行きますか」

 

「おう」

 

「楽しみだな」

 

 

 他クラスの人が入り混じる自クラスを抜け、天は廊下を歩く。その左右には颯と咲太がいて、両者ともにわくわくした様子だ。

 反対に、真ん中を歩く天は緊張気味。少し頬が強張り、肩に力が入っている。

 

 それもそのはず。だって、

 

 

「牧之原さん……俺のこと覚えててくれてるかな」

 

 

 彼は今から、牧之原翔子に会いに行くのだから。心構えはそれなりにしてきたつもりだが、それでも緊張するものはあった。

 

 昨日は入学式があったから、一年生以外の学年は休み。そのせいで会いに行こうにも行けなかったが、授業が開始した今日からは違う。

 授業と授業の合間に挟む10分休憩だと時間が短すぎるという理由から、動くのは昼休みということになり、ついにその時が訪れたのだ。

 

 向かうは、三年生の教室が並ぶ一階。

 天と話した際、彼女は高二だと話していたから、あれから年が変わった今、彼女は三年生に進級しているだろう。

 昼休みの今だと、翔子は教室のどこかで昼食を食べているはず。

 

 というのが、天の予想。

 

 

「……覚えててくれてるといいな」

 

「覚えてるに決まってんだろ。夏休み中、毎日のように会ってたんだろ? 忘れてるわけねぇって」

 

「忘れられてたとしても、夏休みの時に会った人です、って言えば思い出してくれるだろ」

 

 

 緊張感からか、悲観的になる天の背中を楽観的な颯と咲太が叩く。

 初恋の人に会いに行く親友に喝を入れる一撃は意外にも重く、食べた昼食が逆流してくる予感に天が胸を押さえて咳き込んだ。

 

 咳き込む天が「そう、だといいけどさ」と弱気になりながらも、三人は廊下を歩く。

 三階の階段前にある踊り場を抜け、回り階段を降り、二年の教室が並ぶ二階を通り過ぎて、三年の教室が並ぶ一階へ。

 

 教室から出た三人が一階に到達するのに時間はかからなかった。天の緊張を二人が(ほぐ)していれば、あっという間に到着する。

 

 

「で? どうすんだ?」

 

「虱潰し。一つ一つクラスを回ってくよ」

 

「分かった」

 

 

 覚悟を決めた天が階段を三段飛ばしで飛び降り、身軽に着地。今ので心を弱らせる緊張感を黙らせた彼は、そのままの勢いで3年1組の教室に体を押し進める。

 慌てて追う二人が天の背に追いつく頃には、彼は教室の出入り口から顔を覗かせていた。見覚えのない一年が顔を出したことで、教室内で昼食を取る数人の先輩から視線を受けている。

 

 しかし、天は気にならない。

 三人一緒に出入り口にいるのは邪魔だろうと思う二人に、少し離れたところから背中を見守られながら、彼は教室の中を見渡している。

 

 そして、

 

 

「あっ……」

 

「入ってったな」

 

 

 表情を曇らせたかと思うと、二人の声を無視して1組の中へ。

 一切の迷いも躊躇もなく、一年生の天は三年生の教室へと足を踏み入れた。

 

 

「僕らはどうする?」

 

「待ってようぜ」

 

 

 三年生だらけの教室に入る天の勇気と大胆さが見えたところで、颯は壁に寄りかかる。

 せめて、再会の瞬間くらいは一人にさせてやろうという小さな気遣いの下、自分は天の帰りを待つ姿勢だ。

 咲太もそれには賛成なのか、「おう」と頷くと颯と同じように壁に寄りかかった。

 

 数秒して天が教室から出てくると、二人は小首を傾げる。

 行動の結果を問うそれに、天は首を横に振り、

 

 

「このクラスにそんな人はいない、って言われた。次、いくよ」

 

 

 ここから、天の奮闘は開始する。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 結果からすると、1組から5組までの、どの教室にもいなかった。

 席を外しているとか、今日は休んでいるとか、そんなのではなく、いなかった。

 

 いなかった——そう、いなかったのだ。

 

 教室を全部回って、その教室にいる先輩に「牧之原翔子という名前の生徒はいますか?」と丁寧に聞き回っても、牧之原翔子という存在を知る者は誰一人としていなかった。

 

 単に、彼女の影が薄すぎて名前と存在をクラスメイトに認識されていない——そんなことあるわけがない。あの人に限ってそんなわけが。

 そうだとしても、「あー、なんかそんな人いた気がする」程度には知られているはずだ。

 

 しかし、それすらもなかった。誰も、牧之原翔子という少女のことを、知らなかった。いない存在として扱っていた。

 つまり、彼女は三年の、どのクラスにも存在していないことになる。

 

 その事実に、天が受けた衝撃は計り知れないだろう。

 実際、約10分間の奮闘を終え、三階の踊り場に三人一緒に帰ってくる頃には———、

 

 

「なんで? ……なんでだ? なんでなんだ? なんでいないんだ? なんで誰も知らないんだ? なんで? なんで? え? なんでぇ?」

 

 

 完全に錯乱していた。

 

 咲太の肩に寄りかかりながら歩く彼は今、通算百回は越えたであろう「なんで?」を連呼している。

 俯き、床を見ながら呟く様は動揺した人間の様子に他ならず、目の焦点が合っていない。歩き方も、見ている二人が心配するレベルで辿々しい。

 

 意味が分からなくて、状況の理解ができていなかった。

 牧之原翔子がいない——たったそれだけの事実が心の中をぐちゃぐちゃにして、なにも考えることができない。

 今、彼の中にあるのは『牧之原さんがいない』という言葉だけだ。その言葉が縦横無尽に暴れ回っている。

 

 

「天……大丈夫か?」

 

「いない……牧之原さんがいない……なんで?」

 

「おいおい。しっかりしろよ」

 

 

 咲太が本気で人を心配する声色で声をかけるも、天の耳には届かず、痛々しい彼の姿に颯がその背を叩く。今度のは喝を入れるのではなく、元気づけるために。

 

 10分前の天と同一人物か疑う姿だ。あれだけ期待と緊張に胸を躍らせていた表情が、今では絶望一色に染まり切っている。

 大事な人の死亡の知らせを受け取ったような、そんな様子だ。

 

 彼がそうなる流れをダイジェストで辿ると、

 

 

 ——3年2組。

 

 

「ここにもいない……」

 

 

 ——3年3組。

 

 

「ここも空振り……。あと二クラス。大丈夫だよね? いるよね? いる……いるよね?」

 

 

 ——3年4組。

 

 

「待って。牧之原さん……いるか、不安になってきたんだけど。最後の最後でサプライズだよね? そうだよね? そうだと言ってよね? いないはずないよね? 今のところどのクラスにもいないけど。休みとか、教室から出てるとか、そうじゃなくて、存在しないけど。大丈夫だよね。そうに決まって———」

 

 

 ——3年5組。

 

 

「まきのはらしょうこ………いない」

 

 

 と、最終的に片言になった天の精神が徐々に崩壊していく過程がよく理解できる。

 颯と咲太はその過程を目の前で見ていたし、普段からの彼を知っているから、その変わり様は一目瞭然だ。

 

 こんな空野天、初めて見た。

 なにかに取り憑かれたように「なんで?」を繰り返し、瞳から光を落として希望を失い。

 絶望に精神が崩壊していく親友を前に、元気づける以外に行動が思い浮かばない。

 

 

「俺……なんのために……」

 

 

 ーーこの高校に来たんだよ

 

 

 言葉の続きを、闇に閉じていく心の中で呟く。途端、足を止める天が廊下のど真ん中でへたり込んだ。

 左右にいる二人を含めた何人かの生徒から心配の目が向けられるが、気になんてならなかった。

 

 目に映る世界が、真っ黒に暗転していくような感覚に襲われていた。

 鼓膜を震わせる音が少しずつ遠のき、世界の音が自分の中から消えていく。呼びかける咲太と颯の声が、濁っていく。

 

 

『私は今、峰ヶ原高校の二年生なので、もしも来年に天くんが入学すれば、先輩と後輩の関係になれますね!』

 

 

 不意に、翔子の声が聞こえた。

 自分の外側からではないそれは、心の奥底から響いてきたもの。脳裏に描かれるはずの記憶が心で描かれ、天に思い出させていた。

 

 あのときの彼女に嘘偽りはなかった。天が峰ヶ原高校に入学すると未来予知した彼女の声は、本気だった。

 第一、彼女が来ていた制服は峰ヶ原高校のものに違いない。同じ制服を、高校に入学してから天は何度も見ている。

 

 なら、どうしていない。高校三年生であるはずの彼女は、どうしていない。

 自分が必死に追い求めて、追いかけて、追いつこうとした初恋の人——人生で初めて本気で好きになった初恋の人は、どこにいった。

 

 まさか、あれは自分が見た夢だとでも言いたいのか。

 

 

『人の目の高さから見える水平線までの距離は、約四キロメートルなんですよ』

 

 

 意味の分からない雑学を披露して、急に近づいてきた、去年の青春。

 その日から始まった、海でおしゃべりをするだけの、不思議な関係。

 

 

『——キスしよっか』

 

 

 そう言って、ニヤニヤしながら揶揄ってきた少女との記憶は、全て空想上の出来事だったと。

 彼女は、空野天が作り出した都合のいい存在で、本当は存在などしていなかったと。

 

 そう、言いたいのか。

 

 

『『ありがとう』と『がんばったね』と『大好き』——私は、この言葉が好きです。三大好きな言葉です。子どもの頃、ある人から言われて、そのときの私は救われました』

 

 

 自分に大切なことを教えてくれた人は、この世界には存在していなくて。

 あの優しさは、温かさは、全て自分の夢だと。

 

 あれは全て幻。フラッシュバックのように、この心が見せ続ける牧之原翔子との思い出は、全て夢物語だったとでも言うのか。

 

 

『初恋の人を大切にする、って言ってくれてすごく嬉しかった。やっぱり、天くんは天君だった』

 

「ーーーー」

 

『やっぱり……ここは世界で一番安心します』

 

「ーーーー」

 

『天くんのその姿勢は、その友人さんにとっては一つの救いになっています。寄り添ってあげたい——そう考えてくれる人が一人いるだけで、その人の世界は変わるんです』

 

「——違う」

 

『天くんの胸の中、すごく温かい。温かくて、幸せで、天君って感じがします』

 

「そんなわけあるか……っ!」

 

 

 あの優しさも、温かさも、本物だった。

 自分が感じたものは、決して偽物ではない。そんな言葉で一括りにできるほど、緩いものではない。

 

 自分が本気で好きになった人は、確かにあの場所にいた。胸の中で泣いていた人は、甘えていた人は、絶対に偽の存在ではない。

 

 あの夏の青春は全部全部全部、

 

 

「——全部、本物だった!」

 

 

 瞬間、自分の中でなにかが爆発した音が轟き、抜けていた両足に力が宿る。強く音を立てながら床を蹴り、その場から弾かれるように立ち上がった。

 隣にいた親友二人が「うおっ」と驚きを声にしているが、やはり気にならない。

 

 絶望のせいで気にならないのではない。

 彼は今、絶望から立ち直っているから。

 

 幻にさせてたまるか。夢にさせてたまるか。自分の恋を終わらせてたまるか。

 そんな決意を胸に刻み、爆発的に高まり続ける情熱的な感情に身を包まれている。

 

 

『天くんに会えたら、私はとても嬉しくなっちゃうかもしれません』

 

 

 ならば、会おうじゃないか。例えそれが嘘の言葉だったとしても、そう言われて会わないわけにはいかない。

 自分だって、彼女に会えたら嬉しいのだから。

 

 ーー諦めるな。まだ手はある

 

 

「そうだよ。まだ手はある」

 

 

 ーーやれることは全部やれ

 

 

「やれることは全部やってやる」

 

 

 拳を握りしめ、天は両の足で床を踏み締める。心から己を鼓舞する自分の声に言葉を返した途端、彼は表情を変えた。

 絶望はない、希望しかない。弱々しさはない、力強さしかない。先程とは真反対の天が、そこにはいた。

 

 

「二人とも。放課後、ちょっと付き合って。協力してほしいことがある」

 

 

 そんな自分に驚く咲太と颯に、天は目を向けながら投げかける。

 自分一人の力では難しいから、世界で二人しかいない親友の力を借りようとした。

 

 一体、彼になにがあったのだろう。そんな疑問を二人は抱く。

 けれど、親友にそう言われたら返す言葉は一つだけだった。

 

 

「「もちろんだ」」

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 その後、天は親友二人を連れて放課後に北棟にある職員室に直行。

 三人一緒に必死になりながら教頭に相談し、半ば天が泣き落とし気味に説得。

 在校生の名簿やここ三年の卒業アルバムを見せてもらい、牧之原翔子の存在を探し続けた。

 

 けれど、どこにも牧之原翔子の存在を証明するものはなかった。

 彼女が在籍した証拠は、一つもなかった。天が探し求めた女の人は、言葉そのままの意味でいなかった。

 

 その結果、

 

 

「結局、試験の平均点が75点以上っつー馬鹿みたいなノルマが残っただけじゃね?」

 

 

 と、天が遠い目をすることになったが。

 しかし彼は諦めない、めげない。

 

 

『またね』

 

 

 またねと、そう言われた。

 

 あの夜、月を背景に自分の名を呼んだ、魅入ってしまうほどに可愛かった翔子は、自分にそう言ってくれた。

 なら、いつかきっと、また必ず会えるはずだ。

 

 

「牧之原翔子、マジでいなかったな」

 

「不思議なこともあるんだな」

 

「でも俺は諦めないよ。絶対にね」

 

 

 だから、その言葉を胸に、空野天は牧之原翔子を求め続ける。

 学校を出て、七里ヶ浜駅から藤沢駅に向かう江ノ電の中。翔子と手を繋いで歩いた七里ヶ浜を見ながら、彼は決意を新たにした。

 

 それが、自分がここに来た意味なのだから。

 

 

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