ブタ野郎に親友を作っただけのお話   作:ノラン

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地雷プッシャー咲太

 

 

 

 天と颯が自宅のあるマンションに到着したのは、日が完全に落ちる頃。時刻としては夕方の五時を半分ほど過ぎた頃であった。

 咲太と麻衣を見送り、少し早めの夕食を二人で終え、今はマンションのエントランスでエレベーター待ち。

 

 

「咲太、上手くやってると思う?」

 

「さぁな。聞けば分かるだろ」

 

「そーだね」

 

 

 5階のボタンを押し、エレベーターの現在地を示す階数表示が徐々に降りてくるのを見ながら、二人はそんなことを話す。

 内容は勿論、電車の中で別れた咲太のことだ。空気を読んで麻衣と二人だけにして、以降のことをなにも知らないから普通に気になっていた。

 

 思春期症候群を発症した可能性のある、桜島麻衣。誰からも認識されなくなるという不可思議な現象に苛まれているかもしれない、国民的大スター。

 そんな人と親友が一緒にいる。思春期症候群のことを加味しなくても、それだけで気になるに違いない。

 

「あの後、咲太と桜島先輩、どーしたんだろうね」

 

「なにかしら話したりはしたんじゃねぇの? 咲太のやつ、この機会に桜島先輩とお近づきになりたい、って言ってたし。あと、思春期症候群についてなにか分かるかもしれないから聞きたい、とも言ってたな」

 

「ふぅーん」

 

 

 適当に相槌を打ち、天は喉を低く鳴らす。初めて咲太の真意を知ったにしては薄すぎる反応、否、なんとなく予想していたから驚いていないだけだ。

 どっちが本音で、どっちが建前かもなんとなく分かる。ただそうなると、彼が地雷を踏んでいないかが少しだけ心配になって、

 

 

「桜島先輩に変なこと言ってないといいね」

 

「アイツ、割と無神経なところあるからな。人が言われたくないことをズバッと言うし」

 

「お前も大概だよ」

 

「お前と咲太にしかやらねぇよ。人は選んでる」

 

 

 信頼の裏返しというやつ。親友だからこそ颯は言いたいことは全て言うし、その辺の遠慮はしない。遠慮される間柄でもないから。

 だから、自分に対しても遠慮はしてほしくないとも思っている。言いたいことは全部言う、それが親友というものだから。

 

 そこまで颯が考えていると、ピンポーンという高い音が静かなエントランスに響き、エレベーターが到着を知らせる。

 次いで、『ドアが開きます』と電子の声が聞こえて、横開きの扉が開かれた。

 

 とりあえず咲太に報告でも聞こう。そう思いながら二人はエレベーターに乗り込もうとして、

 

 

「ーーーー」

「ーーーー」

 

「ーーーー」

 

 

 その奥から姿を現した人物にひどく驚き、二人の足が同時に止まる。向こうも向こうでやや驚いたのか、扉から出ようとした足がピタッと止まった。

 

 しかしそれも一瞬のことで、考えるよりも先に動いた天が颯の肩を掴んで道を開ける。邪魔していると思い、横に避けた。

 扉の中にいた人物も動揺を刹那で切り捨てたらしい。天の行動に促されるように扉から出て、二人の真横を過ぎ去っていく。

 

 驚くほどあっさりとした邂逅に呆気にとられ、立ち尽くす颯と、その人物が放つ鋭い空気に嫌な予感を感じる天。

 『ドアが閉まります』と扉が閉まっていくのを横目に、二人はその背を無言で見つめているだけで、呼び止めようとはしない。

 

 二つの視線を背にしながらその人物はエントランスの中央を突っ切り、自動ドアを抜けて外へ。

 最後にその人物——扉の奥から出てきた桜島麻衣は二人に振り返り、

 

 

「咲太君に伝言」

 

 

 気丈夫な立ち振る舞いはそのまま、しかし怒気に熱を帯びた声で言った。

 

 

「しばらく会いたくない」

 

 

 言った直後にエントランスの扉が閉まり、ガラス越しに麻衣が背を向けて遠ざかる。

 腰まで届く長い黒髪を小さく揺らしながら、数秒も経たずに二人の視界から姿を消した。

 

 一方的に伝言を預けられた二人が、示し合わせたように無言で顔を合わせる。

 自宅マンションに桜島麻衣、突然の邂逅、先程の伝言。色々とツッコミたいところがありすぎて理解が追いつかないが、これだけは言えた。

 

 

「地雷踏んだね」

 

「踏んだな」

 

 

 苦笑。

 

 伝言した麻衣の声が反響する中、同じ結論に至った二人が咲太の失敗を悟る。

 追いかけるのも面倒だったので、本人から結果報告を聞くべくエレベーターに乗り込んだのだった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 エレベーターで五階に上がり、扉を出て右手の廊下に入り、三番目の扉の前で二人は止まる。そこが梓川兄妹の住んでいる家。

 因みにその手前には颯の家があり、その更に手前に天の家がある。廊下の手前から天、颯、咲太の順で三人の家が並んでいる形だ。

 

 インターホンを押し、咲太を呼び出す。すると、どたどた音を立てながら駆け寄ってくる足音がして、

 

 

「麻衣さん! さっきは………」

 

 

 扉が開かれた瞬間、二人はまたしても驚きに硬直することになる。先程に続いて今回もまた、その奥から出てきた人物に理解が追いつかない。

 出てきたのは当然、咲太。ひどく焦った様子の彼は勢いよく扉を開き、二人を見て固まっている。

 

 三人ほぼ同時に固まり、気まずい沈黙が流れ始める。基本的にこの三人が揃うと沈黙という言葉が一時的に機能しなくなるが、今回は別だった。

 

 なぜなら、その咲太がパンツ一丁であったから。

 

 

「桜島先輩から伝言。しばらく会いたくない、だってさ。じゃ、俺は風呂に入るから帰るね」

 

「お前マジでなにした?」

 

「まずは誤解を解かせてくれ」

 

 

 目の温度が絶対零度にまで下がった天が真顔で言い、有無も言わさず帰ろうとする。

 ドン引きした颯が微妙な表情をして、咲太の七割裸体を上から下まで一瞥。

 あらぬ想像をされていると理解した咲太が、伝言を伝えてさっさと帰ろうとする天の首根っこを掴み、家の中に放り込む。

 これら全ては一度に起こったこと。

 

 その勢いで弁解の余地を与える颯も一緒に家に招き、咲太は通報される前に扉を閉めた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「わっ、今度は天さんと颯さんがやってきました!」

 

「突然ごめんね、かえでちゃん。咲太が話を聞いてほしい、って言うから」

 

「ちょっとお邪魔するぜ、かえでちゃん」

 

「どうぞ! かえでもお二人にお話ししたいことがあったので、ベストタイミングです!」

 

 

 その後、天は半ば強引に、颯は自主的に、梓川兄妹の家にお邪魔していた。

 今はリビングで待機中。パンツ一丁で話させるのもあれだからまず着替えろ、と。そう促された咲太の着替えが終わるのを待っている。

 

 その代わりに相手をしてくれているのが、二人の前で溌剌として笑顔の花を咲かせている少女、梓川 かえで。言わずと知れた咲太の妹である。

 ちょっと過去に思い出来事がある、生粋のパンダ好き。普段はパンダのパジャマを着ているのだが、今は白のブラウスに吊りスカートと、可愛げのある私服姿を二人に披露していた。

 

 バッグをかけた椅子に腰掛ける天。

 ダイニングテーブルの上に飲みかけのお茶が入ったおぼんが置かれているのを気にしつつ、彼は密かにスマホの電源を切りながら椅子の上で器用にあぐらをかき、

 

 

「そんで? 俺たちに話したいこと、ってなに? なんかあったの?」

 

「はい。ありました。ありありです」

 

「そいつぁ気になるな。教えてくれ」

 

 

 床に直に座り、同じく密かにスマホの電源を切りながらあぐらをかく颯。

 荷物を邪魔にならない場所に置いた彼は、ソファーに座りながら激しく頷くかえでに笑いかけた。

 

 彼女を相手にすると明らかに柔らかくなる颯の声を聞くと、かえではソファーの背もたれに手を置き、やや身を乗り出しながら、

 

 

「お兄ちゃんが知らない女の人を家に連れてきて、世界を滅ぼそうとしているんです」

 

「おー、そうか」

 

「それは大変だぁ」

 

 

 全く理解できていないが、微妙な反応をして不安がらせるのも嫌なので、とりあえず肯定の意味を込めて相槌を打つ二人。

 その間、梓川兄妹の家で飼われている猫の『なすの』が「なー」と鳴きながら颯のあぐらの中に居座り、彼に撫でられて喉を鳴らしていた。

 

 

「具体的にはどーゆーことか、俺たちに説明できる?」

 

「かえでがお兄ちゃんの部屋に入ったとき、お兄ちゃんはパンツ一丁で綺麗なお姉さんと一緒にいました」

 

 

 ゴロゴロとなすのの喉が鳴り続けるのをBGMに、かえでが熱心な声で語り始める。

 「それで?」と天に先を求められると体を横に小さく揺らしながら、

 

 

「かえではそのお姉さんがデリバリーな玄人さんかと思ったのですが、違いました」

 

「違ったのか」

 

「かえでの勘違いでした」

 

「そうなのか」

 

 

 両手の指先でなすのの顎を撫でる颯が、甘ったるく戯れてくる子猫に可愛さを感じつつ呟く。

 天は天で「ふーん」と反応しており、二人ともかえでに対する一回一回の反応が丁寧である。

 

 二人の反応を胸に受けながら、かえでは「はい。そうなんです」と揺らす体を止める。それから落ち込むように背筋を丸め、背もたれに顎を乗せて、

 

 

「お兄ちゃんはデリヘル嬢と制服プレイにご満悦じゃありませんでした」

 

「どこでそんな言葉ぁ覚えたんだよ」

 

「でりへる?」

 

 

 純粋無垢なかえでから思ってもみない言葉が放たれ、戦慄する颯が苦笑う。

 それ以上に今の言葉にピンときていない天の性知識の危うさが気になるところではあるが、今は気にしない。

 

 要らない言葉を覚えたと知って苦笑う颯と、小首を傾げる天。

 二人に見つめられながら、かえでは横にあったパンダのぬいぐるみを抱き抱えると、

 

 

「壺を買わされたわけでも、絵画を見にいく約束をしたわけでも、英会話の教材を勧められたわけでもありません。なのに、お兄ちゃんはかえでに彼女を作ると言ったんです」

 

「なるほど」

 

「だから世界が滅ぶんです」

 

「なるほど?」

 

 

 彼女を作るところから世界が滅ぶところまで一気に飛躍されて、天が傾げた小首を反対に傾げて困惑。

 しかし素直に飲み込む颯は「そりゃぁ、大変だな」と笑っており、尚のこと困惑。

 

 文脈としては全く繋がっていないが、本人としては直結しているらしい。抱きしめたパンダのぬいぐるみ——去年に天から贈られたそれに顔の下半分を埋めて、しゅんとしている。

 が、ぐいっと顔を上げると、しゅんとした顔から覚悟を決めた顔になり、

 

 

「今、かえではかえで史上最大のピンチなんです。お兄ちゃんが彼女を作ると言ってしまった以上、かえでは全力で阻止しなければなりません」

 

「ほう」

 

「なので、天さんと颯さんに協力してほしくてこのお話をしました。あと、なすのにも協力してもらいます。かえでと一緒に世界の危機を救うんです!」

 

「世界滅亡計画を阻止しようとしてるところ悪いが、生憎と僕はそんな大悪党じゃないぞ」

 

 

 声色に情熱的な炎が宿ったかえでの力説が放たれた直後、諸悪の根源たる存在の声がリビングに飛んでくる。

 「わっ!?」と驚くかえでの肩が跳ね、天と颯が声の方向に視線をやると、ラフな私服姿をした咲太が自室の扉を開いているのが見えた。

 

 着替えは済んだらしい。「来たか」と言う颯の声に出迎えられる彼は「おう」と返してリビングに足を踏み入れる。

 キッチンに向かうと冷蔵庫を開け、中から麦茶が作られたポットを取り出した。

 

 

「お茶、淹れてくれんの?」

 

「来てからなにも飲んでないんだろ?」

 

「助かるぜ。サンキューな」

 

 

 気の利く咲太がポットをダイニングテーブルに置き、人数分のグラスを用意。用意されたのは三つで、一人分足りない。

 その不足枠に当てはまる一人、かえでに視線を向ける咲太は「かえで」とその名を呼び、

 

 

「二人と話したいことがあるから、ちょっと自分の部屋にいてくれないか」

 

「よ、横取りはダメです! 天さんと颯さんはかえでが先に味方にしたんですよ、お兄ちゃん!」

 

「世界を滅ぼすつもりはないから、なすのと一緒に部屋にいてほしい。終わったら呼ぶから、世界滅亡計画阻止計画でも考えててくれ」

 

「やっぱり滅ぼすつもりじゃないですか!?」

 

「滅んだら天と颯が困るからそんなことはしない」

 

 

 矛盾しているとやいのやいの騒ぐかえでを適当に言い包め、咲太はなすのと一緒にパンダのぬいぐるみを抱える彼女を自室へ帰らせた。

 扉を閉め、そこで一息。少々強引になったのは否めないから、あとでお詫びに好きなアイスでも買おうと思う。

 

 扉越しに、かえでの気配を感じる。

 こちらの話し声に聞き耳を立てていることを頭の片隅に入れつつ、咲太はダイニングテーブルを挟んで二人の対面の椅子に腰掛け、

 

 

「かえでの相手をしてくれてありがとな」

 

「楽しかったから平気だよ」

 

「かえでちゃんと話すと、なんでか元気になるんだよな」

 

 

 いつの間にか天の横の椅子に陣取った颯が首だけ振り返り、おそらくかえでが張り付いているであろう扉を見ながら微笑む。

 それを視界に入れながら咲太はグラスに麦茶を注ぎ、話し合いの場を整えた。

 

 かえでがいなくなったことで、落ち着いた雰囲気が流れ始めるダイニングキッチン。机を囲んだ三人はその世界で顔を合わせて、

 

 

「んで? なにがあったんだよ。出てきたと思ったらパンツ一丁で来やがって」

 

「そうだな……どこから、いや、どれから話すか……」

 

「俺、咲太にそこまでの度胸はないと思ってた」

 

 

 天からの信頼が地の底に落ちていく音を聞きながら、咲太は顎に手を当てて考える素振り。

 話し合いの始まりを予感した颯が麦茶で喉を潤すのを横目に、彼は「うん。まずはこれからだな」と頭の中を整理して、

 

 

「麻衣さんの思春期症候群だけど、本当だった」

 

「麻衣さん?」

 

「桜島先輩、って呼ばれるのが嫌らしい」

 

「そーなんだ」

 

 

 呼び方が先輩呼びからさん付けに変わったことを天に指摘され、一言で解決。

 沸いた疑問を潰した咲太は、思春期症候群の話題を出した途端に目の色を変える二人に言葉を続けて、

 

 

「麻衣さんが藤沢駅の売店でパンを買おうとしたけど、売店の人には見えてなかった。どれだけ声をかけても無反応だったよ」

 

「耳が遠いだけとか」

 

「目の前で、二回も、声をかけたんだぞ? 気づかない方がおかしい。それに、あとから来た人にはちゃんと対応してたしな」

 

「マジかよ……」

 

 

 真剣な表情で話す咲太の報告を聞き、腕を組んで顔を顰めた颯が、吐息するように呟く。

 隣では麦茶を飲んだ天が両肘を机につき、組んだ手に顎を乗せて「んー」と難しそうに唸った。

 

 なんの疑問も抱かず、話を信じる二人。そんな反応をしてくれる二人だから、咲太は安心してその先の言葉を紡いだ。

 

 

「麻衣さん本人は、江ノ島の水族館に行ったときにそのことに気づいたらしい。誰も自分のことを見てない、って」

 

 

 言葉を切り、麦茶を飲む。喉を軽く潤して、咲太は麻衣の話を思い出しながら、

 

 

「そのときは半信半疑だったけど、その帰りに寄った喫茶店でも売店のときと同じ目に遭って確信を持った、ってさ」

 

「そりゃ、気づくわな。喫茶店なら入ったら店員に声くらいかけられるだろうしよ」

 

「だね」

 

 

 気づけない方がおかしいと思うのは三人共通の認識だ。

 セルフのものだとしても誰かしらには「いらっしゃいませー」と声をかけられるのがそのような場所の当たり前で、それが麻衣なら尚更。

 

 誰も桜島麻衣を見ていない。否、見えていない。その事実に気づいた彼女はさぞ驚き、恐怖したことだろう。

 みんなが自分の存在を忘れるなど人智を超えた出来事であり、決して他者には理解されない感情だから。

 

 しかし、それに関しては引っかかるところが天にはあった。

 

 

「でも、おかしくない? その江ノ島の水族館とか喫茶店の話はともかく、俺らは普通に見えてたけど? 俺も咲太も颯も佑真も、なんならあの大学生カップルも」

 

 

 考え込む天が思っていた疑問を口にし、二人に投げかける。視線を斜め下に下げ、机と睨めっこを始めた。

 表情が難問に取り組むときのそれだ。その視線の先に数学の問題集が幻視()える。

 

 今の話を聞いた感じだと、江ノ島水族館にいた人たちと喫茶店にいた人たちの全員から桜島麻衣は見えていない、そうなる。

 なら、どうして自分たちは見えていたのか。見えない人の条件がさっぱり分からない。

 

 

「見えてる人と見えてない人がいる、ってことか?」

 

「なんで? その違いってなに?」

 

「分からない。分かるのは、少なくとも売店の人には麻衣さんの姿は見えてなかったってことだ。あと、その売店に来た人たちにもな」

 

 

 天の疑問を継いだ颯の疑問の上から、更に天が疑問を重ねると、咲太は首を横に振りながら確かな事実を告げる。

 自分には見えているのに、その場にいた人たちには見えていない。実際に現場を目の当たりにした咲太ですら、意味が分からない事態であった。

 

 

「思春期症候群……その謎は深いね。咲太とかえでちゃんのもそうだけど、原因が全く分からない。見えてない時点で意味不明なのに、人によって見える人とそうでない人がいるときた」

 

「その上、麻衣さん自身はこの状況を楽しんでる節があるっぽいからなぁ」

 

「マジでか?」

 

 

 咲太とかえでの一件を経験しているから動揺は無いが、だとしても困惑はしてしまう天。

 その彼を更に悩ませる発言を咲太がすると、困惑の波紋が颯にも伝わった。

 

 

「今までずっと注目されてきたから、誰も自分のことを知らない世界に行きたい。って思ってたらしい」

 

 

「それが本当の言葉かどうかは知らないけど」と、言葉を付け足して口を閉じる。言われた言葉をそののまま声にして、麦茶を飲んだ。

 相手はあの桜島麻衣。咲太のような一般人が心を見抜ける相手ではない。例え嘘をついていたとしても、演技で簡単に騙されるだろう。

 

 でも、それが本音だとは咲太には思えなかった。嘘だとも思えないけど、本音でもない。嘘と本音が混じった言葉。

 

「……もしかして、それが原因だったりして」

 

 

 考え込んでいた天が、頭の中に浮上した考えをぽつりと漏らす。

 斜め下に下げた視線を上げ、声に反応してこちらを見てくる二人と視線を絡めると、

 

 

「思春期症候群ってさ、別の言い方に変えれば、心の悩み……みたいなものだと俺は解釈してんのね。咲太とかえでちゃんの件を通して、そー思ったんだけどさ」

 

「思春期、ってついてるくらいだからな」

 

「うん」

 

 

 便乗してくる颯に頷き、天は真剣な表情を深める。

 思春期症候群という都市伝説級の単語に対する自分なりの解釈を口にした彼は、自分以上に真剣で真摯な顔持ちで聞いてくる二人に「そんで」と、

 

 

「その悩みが実際の形になっちゃったり、なにかしらの現象を引き起こしちゃったケース。それが思春期症候群、ってあやふやな言い方で呼ばれてるんじゃないかな」

 

 

 前者が楓花と咲太、後者が麻衣のパターンだ。

 

 楓花は学校でいじめられ、ネットの掲示板に悪口を書き込まれたことで心を痛め。その痛みが形となったかのように体に傷が生まれた。

 咲太は解離性障害を発症させた楓花になにもしてやれず、その後悔や自責の念が形となって胸に大きな爪痕のような傷跡が生まれた。

 

 もし、天の解釈が正しいのなら。双方、心の傷が体の傷となって実際の形になったとしたら、

 

 

「誰も自分のことを知らない世界に行きたい。そんな風に願ったから自分の存在を世界から消しちゃった、とか」

 

「誰も自分のことを知らない世界に行くんじゃなくて、誰も自分のことを知らない世界を作った。ってわけか」

 

「馬鹿げた予想だと笑っていいよ」

 

「いや、笑えねぇよ」

 

 

 天の予想をじっくり咀嚼して飲み込み、確実に理解する颯が重苦しい表情で首を横に振った。

 

 確かに突飛な予想ではある。

 けれど、実際に経験した咲太にとってはそう言い切れないものがあって、嫌な緊張感が背筋から這い上がるのが分かった。

 全身に鳥肌が立った。悍ましく、恐ろしく、ぞわぞわとした不快感が拭えず、誤魔化すためにグラスの中にある麦茶を一気に飲み干し、

 

 

「だとしたら、やっぱり麻衣さんは芸能界に復帰した方がいい。絶対に」

 

 

 この心を苛む不快感を吹き飛ばすつもりで、咲太は強く言い切る。

 口周りに付着した麦茶を手で拭うと、断固とした意志の宿る目を二人に向けながら言った。

 

 

「このままでいい、満足してる。って本人は言ってたけど、僕はそう思えない。麻衣さんはきっと今でも、芸能界に戻りたい、って思ってる」

 

「それに芸能界に復帰すれば注目を浴びて、存在が忘れられることもないかもしれない。と」

 

「察しが良くて助かる。麻衣さん、学校じゃ『空気』を演じてる感あるし」

 

 

 咲太の思考を読んだ天の鋭い意見に笑い、咲太は感じたことを言う。

 

 周りが麻衣を『空気』のように扱っているから、麻衣もまた自分が『空気』であることを演じている。

 外から見ていてもそれが分かった咲太には、今のところ解決の糸口は芸能界にあるとしか考えられなかった。

 麻衣にとっても、芸能界という場所は一つの帰る場所でもあるのだから。

 

 

「だから芸能界に復帰した方がいい、って麻衣さんには言ったんだけどなぁ……」

 

 

 そう言った直後、ふっと咲太の表情に陰が差す。数秒もせずに体がへにゃへにゃと揺れ、テーブルに崩れ落ちる。

 「はぁ」とため息をつき、両手を伸ばしてぐでーんとし、力が失われたように突っ伏した。

 

 こう思ったのは何度目か——その反応だけで、天と颯にはなにが起こったのか大方の予想ができた。

 点と点が線で繋がったと言うべきか。麻衣の伝言の意味、会いたくないの理由に合点がいく。

 

 つまり、

 

 

「お前やっぱり、また地雷踏んだのか」

 

「相当怒っていらっしゃった」

 

「地雷踏むの上手だね」

 

 

 見事、一日に二度も女性の地雷を踏んだ咲太の頭を颯の大きな手がわしゃわしゃと雑に撫で回す。

 慰められる彼に皮肉を飛ばし、天は「やれやれ」と言いたそうに手を顔に当てた。

 

 察するに、咲太が無神経なことを言ったのだろう。まさかとは思っていたが、そのまさかだった。

 せっかく咲太にも春が回ってきたというのに、これでは逆効果である。

 

 

「僕はただ、麻衣さんの本音を聞きたかっただけなんだ。でも、『芸能界』と『マネージャー』って単語がよろしくなかったらしくてさ」

 

 

 心の底から後悔している声。そこに嘘偽りなどなく、聞いている二人にやってしまった感がひしひしと伝わってくる。

 無神経で、皮肉の意味で『いい性格してる』咲太だけど、咲太は悪いやつではない。むしろ、優しい方だと二人は感じている。

 だからやらかしたことは責めず、「どんまい」と肩をポンと叩いて、

 

 

「まぁ、触れたところが悪かったんだろ。女ってのはどこが地雷か分からねぇ生き物だからな。俺も何度か踏んで怒らせたことがある。そんときゃ、誠心誠意謝ればいいさ」

 

「そうだね。わざと怒らせて本音を聞き出す手法でブチギレさせたみたいだけど、きっと許してもらえるよ」

 

「どうして僕がそうやって麻衣さんを怒らせた、って分かるんだよ」

 

「俺が咲太の親友だからだよ」

 

 

 当たり前のように天に言われて、咲太はむず痒い気持ちになる。突っ伏した体勢のまま顔だけ上げて不満げな表情をし、天をジト目で睨んだ。

 

 それを言われてしまえば、咲太はなにも言えなくなる。他人からすれば理由として不十分なそれは、この三人に対してはなによりも説得力のある理由なのだ。

 見れば颯も全てを見透かしたような目でこちらを見下ろしており、嘘をついても隠せないことを雄弁に語っている。

 

 勝てないなぁ。そんな風に心の中でぼやき、咲太は「はぁ」と疲労感のある吐息を一つ。何度目かのそれを小さく吐き出すと、

 

 

「ま、そういうことだから。明日、麻衣さんのところに行って謝ってくる」

 

「俺らもついてっていいか?」

 

「来るな、って言っても来るんだろ?」

 

「ったりめーよ」

 

 

 人差し指と親指を擦って指をパチンと鳴らし、歯を見せて颯が笑う。

 分かってるじゃないかと仕草で表現し、仕方なさそうな表情になる咲太に鳴らした人差し指を向けた。

 

 学校という社会の中で弾かれ、人間関係の構築が不可能なレベルにまで追い込まれた咲太の恋路。親友として関わらない理由がない。

 関わるなと言われても関わる。関わって力になってあげたい。そのついでに、思春期症候群のことについてなにか分かればいい。

 恋が一番、思春期症候群は二番。優先順位が逆な気がしなくもないが、気にしないとして。

 

 

「おし。なら、行くなら明日の昼休みだな。俺と咲太で迎えにいくから天は教室で待ってろよ。合流したら、いざ三年生の教室へ、ってな」

 

 

 「それでいいか?」と。拳をがしっと合わせ、戦場に赴く心構えで話をまとめる颯が、二人に交互に目を向ける。

 勝手に巻き込まれた天は「いいよ」と頷き、体を起こした咲太も「分かった」と頷いた。

 

 これで話はまとまった。明日の昼休みの予定が立てられたところで、天はふと思ってリビングの壁にかけられた時計を見ると、

 

 

「それじゃぁ、俺らはここらで帰ろうかな。もう六時にもなるし、咲太も夕飯の支度とかあるでしょ? 俺も勉強しなきゃだし」

 

「だな。話は聞けたしよ」

 

 

 グラスに注がれた麦茶をぐいっと飲み干した天が立ち上がってバッグを背負う。

 彼が帰宅の気配を匂わせると、言われて時刻を確認した颯も椅子を引いて立ち上がった。適当な場所に置いた荷物を肩にかけ、

 

 

「っつーわけで、明日はそんな感じでよろしくな、咲太。謝罪の文章くらいちゃんと考えておけよ」

 

「僕をなんだと思ってんだよ。それくらい即興でできる」

 

「失敗してまた地雷踏んで怒られてもしらねぇぞ」

 

「それはそれでご褒美かもしれない。麻衣さんになら踏まれてもいい」

 

「こんなところで性癖暴露しないでください」

 

 

 年上のお姉さんになら踏まれても喜ぶ咲太のマゾ気質がチラリズムしたところで、簡易ながらに設けられた咲太の結果報告会は終わることになった。

 リビングの扉を開けて玄関に続く廊下に出て、最後尾で変な妄想をする咲太の声を聞き流し、玄関にたどり着いたら靴を履く。

 そうして二人は帰宅の準備をさっと整えると、

 

 

「じゃ、また明日ね」

 

「おう。また明日な」

 

「ばいばい」

 

 

 軽く手を振り合い、玄関扉の鍵を開けて押し開く。開いた瞬間にひんやりとした外気が家の中に入り込み、僅かに身が震えた。

 扉を開けた颯が先に外に出て、そのあとに天が続く。別れの挨拶をしてからは特に言葉を交わすこともなく、咲太は扉が閉まるのを静かに見つめているだけだ。

 そして、扉が閉まる———。

 

 

「あっ、そういえば」

 

 

 閉まる、瞬間。不意に天の声が閉まりかけた扉の隙間からするっと流れ込んでくる。

 なにかと思った咲太が「ん?」と唸って不思議に思っていると、再び扉が開かれて二人の姿が視界の中に飛び込んできた。

 

 

「話の流れで忘れかけてたんだけど、なんで咲太はパンツ一丁だったの?」

 

「そういえば、その誤解を解いてなかったな」

 

 

 言われて思い出し、咲太がはっとして表情を変える。天の隣にいる颯も同じく「そういやそうだな」と興味そうな目をして、咲太のことを見ていた。

 

 出迎えた咲太がパンツ一丁であったという衝撃的な光景が、思春期症候群と麻衣を怒らせた話題のおかげで完全に頭から抜けていた三人。

 危うく天の信頼度が地の底まで落ちたまま放置するところだった咲太は、「それはだな」と前置き、

 

 

「麻衣さんの思春期症候群を信じる証拠に、僕とかえでのことを麻衣さんに話した。それで胸の傷を見せるために脱いだんだよ」

 

「そーゆーことね」

 

「だとしても女子の、それも桜島麻衣の前でパン一になるお前のメンタルが怖ぇよ」

 

「そうか?」

 

 

 羞恥心というものが欠落した咲太が頭の上に大きな疑問符を浮かべ、既に手遅れだと察した颯が「そうだよ、バカ野郎」と呆れ果てる。

 反応に困る天は「まぁ、それが咲太だから」と諦めた様子で呟き、咲太はなんのことだがさっぱり分からず、頭の上にある疑問符を更に増やす。

 

 

 そんなやりとりを最後に、今度こそ二人は梓川兄妹の家から帰宅したのだった。

 

 

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