ブタ野郎に親友を作っただけのお話   作:ノラン

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ただの桜島麻衣

 

 

 

「おはよー、双葉ぁ」

 

「おはよ、空野」

 

 

 咲太が麻衣と一悶着あった翌日、登校した天は例によって親友二人とは別のクラスに入れられたため、暇そうにスマホを弄る理央に話しかけていた。

 朝のホームルームが始まるまで約三十分。早め早めの行動を心がけた結果、だらだらするには長すぎる時間を潰そうとしているのである。

 

 昨日は物理の教科書を読んでいたが、今日は違う理央。正面の椅子に腰掛けてくる天をスマホの奥にとらえると、彼女は視線をスマホから天に移して、

 

 

「今日はなんの用? また桜島先輩のこと?」

 

「正確には思春期症候群のこと」

 

「その話は終わった。私は信じない」

 

 

 ばっさり切り捨てて話を切ろうとする理央が視線をスマホに戻し、親指を下から上にスクロールし始める。

 なにかのサイトでも見ているのだろう。こちらへの興味がまるでない。

 

 昨日、桜島麻衣の身に起こった現象を咲太から聞いた通りに説明した天。

 今、彼女は他者から見えなくなるという不可思議な事態に犯されていると丁寧に説明したのだが、結果は今の通りだ。

 そもそも思春期症候群に対して否定的な印象を抱く彼女にとって、そのようなものは信じるに値しない。色々と話したものの、理央の結論はそれに落ち着いている。

 

 だからそっけない態度で流す理央に、天は「分かってるよ」と、

 

 

「信じる信じないの話をしに来たんじゃない。現状を報告しに来ただけ」

 

「なんで私に?」

 

「双葉は頼りになるから」

 

「面倒事に巻き込まれるのは嫌なんだけど」

 

「ごめんだけど、咲太と知り合ってる時点でその思いは叶わないと思うよ。俺も巻き込まれてるから」

 

 

 呆れ半分で笑いながら言う天に理央は心底嫌そうな目をして、面倒そうな顔をして、最後に憐れむような態度で天のことを見た。

 色々と感情が回って最終的に同情の念すら送ってきそうな双葉は、今の一言で大方の察しがついたのだろう。

 「はぁ」と露骨にため息し、スマホを机の上に置いて、

 

 

「現状ってなに」

 

「ありがとう」

 

 

 話を聞く姿勢を見せてくれた理央に感謝し、天は背筋を伸ばす。腰掛ける椅子の背もたれに両腕を置いて体重をかけると、

 

 

「昨日、七里ヶ浜駅で桜島先輩を見たんだけどね。そのときはその場にいる人たちには、ちゃんと見えてたんだよ。俺も実際に桜島先輩と話したし、姿が見えてない……なんてことにはなってなかった」

 

「なら、梓川の話は嘘ってことになる」

 

「そうでもない」

 

 

 結論を早まる理央に待ったをかけ、天は彼女の興味を惹きつける。

 クラスメイトの楽しげな話し声があちこちから飛び交う三組で一人、声色を深刻に低くして、

 

 

「駅で会った桜島先輩と一緒に帰った咲太が言うには、藤沢駅の売店の人には見えてなかったらしい。それにその売店にあとから来た人にも、先輩の姿は見えてなかった。咲太には見えてたのに、だよ」

 

「本当に?」

 

「俺が見たわけじゃないからなんとも言えない。けど俺は、咲太が面白い話をしようとして嘘話をする人間だとは思ってないよ」

 

 

 理央の疑り深い目に真意を問われても、天の意見は揺るぎない。強い絆で結ばれた親友がそう言うのなら、自分にしてやれるのは素直に信じてあげることくらいだから。

 

 天ほどではないにしろ、咲太がそのような嘘をつく人間ではないことくらいは理央も知っている。

 けれど性格上、そう言った天にこう言わずにはいられなかった。

 

 

「空野は信じてるんだ。桜島先輩の思春期症候群のこと」

 

「正直、自分の目で確かめないことには半信半疑だけどね。けど、咲太の言うことは信じてるつもり。双葉は信じてないの?」

 

「私はそれ以前に、思春期症候群が信じれない。空野も知ってるでしょ」

 

「まぁね」

 

 

 怪奇現象にも、超常現象にも、なにかしらの因果関係が必ずあって。物理的に、科学的に、医学的に、そういった現象は説明することができる。

 天が思うに、それが理央の根底にある考え方。常に実験してる物理大好きな彼女らしい考え方だと思う。

 

 その理央とは違い、思春期症候群に関して天は既に信じている。なにせ、実例を二件も見ている。信じない方がおかしい。

 一つは咲太の胸にできた爪痕。もう一つは咲太の口から聞いた楓花の傷。あれだけのものを見せられ、聞かされたら、信じざるを得ない。

 

 理央もそれは同じで、彼女もまたその二件を見ているし聞いているのだが。

 物事に対する考え方も捉え方も人それぞれだと割り切っているから、深くは聞かないようにしている。

 

 

「それなら、幽霊とかも信じないんだ」

 

「そうだね」

 

 

 現状を報告したところで、天は話題を一旦切り替える。彼女の興味が薄れないように、思春期症候群から離れた。

 頷き、即答した理央。メガネをくいっと上げる彼女はアンニュイな雰囲気を漂わせ、「幽霊に関しては」と前置きながら机に頬杖をつくと、

 

 

「日本だけじゃなくて世界中に記述されてるくらいだから、存在はするのかもね」

 

「へー。なら、テレビでやってる恐怖映像とかの幽霊は本物ってこと?」

 

「そういう心霊現象は科学的に説明ができたり、こっちの勘違いが大多数だと私は思うけどね」

 

 

 思考の根底にあるものを口にし、理央は天のことを見つめる。その目の奥に活気の色が僅かに見えて、興味を惹けたのだと天は一安心。

 やっぱり自分の考えは間違っていない、理央の思考はそれが中心——そういう意味でも安心する彼に理央は「例えば」と、

 

 

「金縛り、ってあるでしょ」

 

「あるね。体が動かなくなるやつ」

 

「それ。医学的には睡眠麻痺と呼ばれていて、睡眠時の脱力と意識の覚醒が同時に起こってしまった際になる現象とされているよ。簡単に言えば、頭は起きていて、体は寝てる状態」

 

「へー。そーなんだ」

 

 

 淡々と説明する理央に感情が込められた声を溢し、天の体が前のめりになる。普通に面白い話に、興味を惹くつもりが逆に惹かれてしまっていた。

 

 「今日、学校終わったらカラオケ行こー」だの「昨日のあの番組みたかよ」やら「爆死したー!」だのと、高校生らしい会話が響く教室。

 その中で周りとは毛色の違う話題に興味を示す天を見ると、顎に手を当てる理央は少しだけ考えて、

 

 

「原因は確か、寝不足と不規則な生活、あとはストレスとかだったかな。どれにしても、夜中十二時まで起きてられない空野には無縁だね」

 

「褒め言葉として受け取っておく」

 

「深夜帯のアニメをリアタイしようとして、放送寸前で力尽きた話は面白かった」

 

「やめて、傷が広がる。しかもその回だけ、ちゃんと録画できてなかったんだから」

 

 

 朝起きて見逃したことを知った瞬間の絶望は今でも忘れられない。その上、機械がバグってピンポイントで録画できていなかったという悲劇。絶望通り越して虚無になったのはトラウマだ。

 だって、その回は最終回だったのだから。原作を追っていない天からすれば致命的にも程がある。

 

 古傷が痛み出したように悶える天。机に額を打ちつけてくる彼にやや驚きつつ、理央は彼に伝わらない程度に唇を綻ばせて「ふっ」と笑い、

 

 

「他には……人魂かな」

 

「人魂ぁ? 墓地に出るやつ? ふわふわ〜って浮いてるやつ?」

 

「そう」

 

 

 天がすっと顔を上げた瞬間、緩んだ唇を刹那で引き締めて理央は頷いた。

 気持ちを切り替える早さには定評がある天。去年の感情を断つ彼に理央は咳払いして、

 

 

「人魂だと思われてるあれは球電と呼ばれるプラズマの一種で、非常に強いエネルギーを持った発光体が空中に漂う自然現象」

 

「それを見てビビり散らかした人間が、その自然現象を幽霊だと勘違いした。と」

 

「その説が一般的だよ」

 

「へぇー、おもろ。話してくれてありがと」

 

 

 雑学を披露されて感心し、知識として蓄えていた理央に小さく拍手を送る天。理央は特に反応せず、澄ました顔で「別に」とだけしか言わない。

 

 興味を惹くためのものが、いつの間にかこちら側が興味を惹かれていた。

 尤も、その代わりに面白い話が聞けたからよしとするとして、

 

 

「桜島先輩の思春期症候群のことだけどさ」

 

 

 心霊現象の話題を着地させ、元の話題に戻す天がその単語を口にした。

 途端、明らかに気怠そうな目をする理央に苦笑し、天は心の中で「ごめんね」と謝りながら、

 

 

「もしかしたら咲太が頼ってくるかもだから、そのときは力ぁ貸してやってね」

 

「面倒だから嫌だ」

 

「とか言いつつ仕方なく貸してくれるところ、双葉の良いところだと俺は思ってる」

 

「黙れ。さっさと席に戻れ」

 

 

 机の下からがしがし蹴ってくる理央に「はいはい」と笑い、天は立ち上がる。

 照れているのか、ウザがられているのか、分からないけど戻ってほしいのなら素直に戻ることにした。

 伝えたいことは伝えた。協力するもしないも彼女次第。だけど、できれば協力してほしいなと思いながら。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「まさか、またこうして三年生の教室が並ぶ廊下に三人で来ることになるとは」

 

「去年は天だったよな。んで、今年は僕と」

 

「じゃ、来年は俺か?」

 

「来年は俺たちが三年生だよ」

 

 

 時間は進んで、昼休み。学校のいる間で唯一、部活動を除いて学業から解放される時間。

 グラウンドに出かける生徒や立ち話をする生徒が行き交う廊下に、咲太たち三人はいた。

 

 昨日に話した通り、咲太が麻衣に会いに来ているのだ。無神経なことを言って怒らせてしまったから、その謝罪をするために。

 他二人は付き添い。せっかくだからついて行こうと颯が言い出し、天が巻き込まれた形。

 

 

「じゃ、ちょっと行ってくる」

 

「おうよ」

 

「いってらー」

 

 

 歩く人の邪魔にならない廊下の壁際に寄り、寄りかかる二人の声を受けながら咲太は麻衣がいる教室——三年一組の教室へ。

 一番に目に留まったドア付近にいる三年生の女子生徒に近づき、

 

 

「あの、すみません。桜島先輩っていますか?」

 

「桜島さん? さぁ、今日来てたっけ?」

 

 

 咲太の問いに若干迷惑そうな顔をした女子生徒がチラと教室内を見渡す。それから首を横に振ると、

 

 

「見た感じはいないっぽい」

 

 

 と言って友達との話に戻ってしまった。

 

 真剣に見たのかも曖昧だったから、咲太も教室の中を覗き込む。

 バカ笑いする男子生徒の先輩に、きゃっきゃする女子生徒の先輩。見えた光景は昼休みに二年生の教室で見られるものと、さほど変わりなかった。

 昨日の登校時、門の前で見た光景。登校する生徒たちの中に一人、孤独に存在している麻衣。それがこの場所でも起きていると思うと、胸の奥がざわつく。

 

 

「席はどこですか?」

 

「席? あそこ」

 

「ありがとうございます」

 

 

 雑な返しにそれ以上の会話は無理だと悟り、適当に頭を下げて切り上げる。そして、その先輩が指差した場所に視線をやる。

 窓側から二列目、一番後ろ。その席が麻衣の席。机すらも孤独に見えてくる席に、一つの鞄だけ置かれているのが見えた。

 

 それを確認すると、咲太は待機している二人と合流。「どうだった?」と聞いてくる颯に「いや」と首を横に振って、

 

 

「いなかった。どこかに行ってるのかもな」

 

「そのやる気な目……まさか、今から学校中を探し回る気?」

 

「時間が許す限り」

 

「おしわかった。なら手分けしよう」

 

 

 嫌な予感を感じた天の冗談混じりの発言に頷いた咲太を見ると、颯は気合いを高めるように拳を手の平に合わせ、

 

 

「俺は外を探すから天は南棟。咲太は北棟(ここ)を探せ。俺と天が見つけたら咲太が探してることを伝えて、咲太が見つけたらそのまま謝れ。予鈴が鳴ったら各自教室に戻る」

 

「それで行こう。頼むな」

 

「任せとけ」

 

「えぇ……」

 

 

 時間は有限、体力は無限。そんな颯の端的な命令が飛ばされて、面倒くさがる天の声を無視した二人が同時に別々の方向に駆け出す。

 咲太は念の為、三年生の教室を全て確認するために二組三組と続く右側へ。颯はグラウンドに出るために階段の近い左側へ。

 残された天。颯の姿が階段に消えていくのを見ながら、彼は「マジかよぉ」と肩を落とし、

 

 

「翔子さんを探してるときの俺、あんな感じだったのかな」

 

 

 去年にあった、牧之原翔子在校してない騒動。

 

 その際に命を燃やして探し回ったあの時の自分と今の咲太を重ね、「なら仕方ないか」と一人納得して南棟に駆け出した。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 結果からすると、昼休みの時間には見つからなかった。北棟にも南棟にも校舎の外にも、麻衣はいなかったのである。

 鞄は置いてあったから休んだわけではないと思うが、それでも見つからなかった。

 

 しかし咲太、彼は諦めない。

 五時限開始直前を知らせる予鈴が鳴り、生徒たちが続々と教室に入っていったとしても、次の授業が始まる限界ギリギリまで、三年一組の前で待機して麻衣を待った。

 しかしそんな彼の熱意に反して、麻衣は姿を現さなかった。得られたのは五時限の授業に遅刻したという事実だけ。

 因みに、天と颯の二人も巻き添えを食らった。

 

 しかし咲太、彼はまだ諦めない。

 昼休みがだめでも五時限と六時限の間にある休み時間ならばと、五時限が終わったと同時に三年一組に直行。麻衣に会いに行った。

 それでも見つからなかった。教科書が置かれているからいるのに違いはないと思うけれど、肝心な姿が一向に見えない。

 

 そうなってしまうと、最後の希望は下校時間。帰りのホームルームが終わった瞬間に教室を飛び出し、誰よりも早く昇降口に颯と向かった。

 部活をしているわけでもないだろう。ここから外へ出ていく麻衣を出迎える算段だ。

 ホームルームが終わる時間は教室によって誤差が生じるため、既に校外に出ている可能性を懸念しつつ、二人は三十分ほどきょろきょろし続けた。

 

 天は不在。約半年間にも及ぶ佑真の熱烈な部活勧誘についに屈し、体育館に連行されていった。

 だから咲太は颯と二人で、生徒の波の中に紛れる麻衣を探し回った。

 

 のだが、

 

 

「いねぇな」

 

「いないな」

 

 

 麻衣の姿は、見つからなかった。

 下校ラッシュが収まるまでの三十分間ずっと探していたにも関わらず、彼女は姿どころか気配すら感じさせてはくれなかった。

 いたら気づく自信はあった。世界中の誰もが無視しても、自分だけは無視しないと決めていた。

 

 だとしたらやはり、

 

 

「先に帰ってたか」

 

「かもしれねぇな。だが、諦めるのはまだ早ぇ。七里ヶ浜駅で待ってようぜ。もしかしたら来るかもしれねぇぞ」

 

「そうだな」

 

 

 ——そんな会話があった一時間半後。

 

 七里ヶ浜駅で駄弁りながら麻衣を待ち続けた二人は、バイトのせいでなんの成果もなく藤沢駅に帰っていくことになる。

 

 この日、咲太は麻衣に会うことができなかった。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 視線の先にあるサーフボードの広告看板をぼーっと眺めながら、天は七里ヶ浜駅で電車を待っていた。

 いつもの場所。改札から一番遠いホームの端っこで、なにも考えず。

 

 不意に浮かぶあくびをして空を見上げれば、一番星の浮かぶ夕方の空が見えた。

 時刻は午後六時三十分を過ぎ、夕日は水平線の下に沈み、鮮やかだった山吹色の空は淡い紺色に塗り替えられつつある。

 

 この時間にもなると、この駅から電車に乗る人は少ない。いるのはスーツを着た社会人が数人、峰ヶ原高校の生徒が数人、合わせても手で数えられる人数。

 彼らの話し声が小さく反響し合う、静かな七里ヶ浜駅。夕刻の終わりを告げるように、その静寂は駅全体に広がっていく。

 

 

 ーーこんな時間になるなら、付き合うんじゃなかった

 

 

 心の中で呟き、天は疲労感のある吐息を溢す。がくりと首を折り、こうなった経緯にうんざりした。

 

 部活動に参加しない天がここまで遅くなったのは補修を受けていたわけでも、理央に勉強を教えていたわけでもない。

 毎朝のように行われる佑真の部活勧誘——熱苦しすぎて嫌気が差し、毎日勧誘しないことを条件に一度だけ乗ったからだ。

 

 その果てに今の光景がある。

 制服を着たままバスケ部のエースである佑真と1on1をさせられた挙句、やり始めたら興が乗った彼に見学という(てい)で、個人レッスンじみた練習をやらされ、あっという間にこんな時間。

 

 断らなかった天自身にも非はある。が、向こうは本気で誘って本気で練習させようとしているのだから、簡単に蹴るわけにもいかなかった。

 それに佑真は峰ヶ原高校の数少ない友人。雑に扱って嫌われるのも嫌だったから、とりあえず今日一日だけ頑張ってみたのだ。

 

 結論として、「絶対に入部しない」という意志が天の中に強く芽生えた。

 あんなガチの部活に今更自分のような人間が入ってなにができる、そう思わされた。

 入っても迷惑になるに違いない。そうだと確信した体験入部だった。

 

 誘ってくれた佑真には申し訳ないけど、入部のことはやっぱり見送らせて———。

 

 

「ちょっといいかしら」

 

 

 ふとかけられた声に、思考が止まる。

 

 知らず知らずのうちに俯いていた顔を上げ、反射的に声の方向を見ると、声の正体を知って驚愕。

 目の前にいたのは、咲太が血眼になって探しても見つからなかった、桜島麻衣であった。

 

 大人びた顔つきでこちらを見つめ、手を伸ばせば届く距離にいる麻衣。

 接近に全く気付かぬほど考え込んでいたのかと思う天の横に身を置くと、彼女は首をぐるりと回して周囲を見渡し、

 

 

「咲太君はいないの?」

 

「ついでに颯もいません。あの二人はバイトに勤しんでいるので、心配しなくてもいいですよ」

 

 

 言うと、麻衣の目がすっと細まる。警戒している目。こちらの真意を探るように、顔を覗き込んでくる。

 昨日の伝言からして、意図的に咲太に会わないようにしていたのだろう。彼の親友である自分との接触は彼女にとってリスクになるから、今の発言で警戒されても仕方ない。

 

 だから天はメッセージアプリを開き、颯とのトーク履歴を画面に映す。

 

 


 

 

桜島先輩マジで見つかんねぇ!

駅で一時間くらい待ってもいなかったぞ!

 

そっか

 

俺と咲太今からバイトで帰る。だから見つ

けたら教えろよ!絶対だからな!

 

うい

 

 


 

 

 一時間前のやりとりだ。本当に時間が許す限りまで粘ったが、結局は見つからずにバイトの影響で断念したと分かる。

 冷めた返事を送っていた天は「見てください」と、その画面を麻衣に見せ、

 

 

「この通り、あの二人はバイトです。桜島先輩を頑張って探したっぽいですけど、バイトがあるから切り上げたそうです」

 

「そう……。ならいい」

 

 

 警戒を解き、麻衣の細めた目から力が抜ける。彼女に警戒されると自分が緊張するから、そうしてくれて助かった天。

 彼はスマホをロックし、ポケットの中に突っ込む。すると麻衣は「へぇ」と意外そうに高い声を溢し、

 

 

「私が見つかったこと、言わないんだ」

 

「言っても仕方ないでしょ。言ったところで来れるわけでもないですし、帰ってきたアイツらに問い詰められるだけです」

 

 

 見つけたら即通報だと思われていたらしい。「そうなんだ」と呟く麻衣の警戒心が更に下がるのが、雰囲気として伝わってきた。

 周囲から向けられる視線や感情には、去年の一年間を通して敏感になってしまった天。長い時間をかけて今の環境に適応した彼は、その目から逃げるように前を向いた。

 

 

「君……空野君、よね?」

 

「はい。空野 天です。咲太から聞いたんですか?」

 

「世界で二人しかいない気の合う親友だ、って自慢そうに話していたわよ」

 

「へー」

 

 

 真横から感じる視線——麻衣のものと、そうでないものを区別する天は興味がなさそうな返事を返す。

 実際、興味があるかと聞かれればそうでもない。だってそれくらい知っているから。今更聞いたところで嬉しい以外の感情は湧かない。

 

 

「この時間によく乗るの?」

 

「今日は例外。基本は学校が終わってから三十分くらい時間を置いて、帰ります」

 

「どうして?」

 

「三十分経つと下校ラッシュが収まって、電車がいい感じに落ち着くんですよ」

 

 

 同じく前を向きながら話を振ってくる麻衣の真意を考えながら、天は違和感のないように対応する。

 右側からの複数の目線、おそらく麻衣に向けられた視線の巻き添えを食らっていることを頭の片隅に入れながら、

 

 

「なので、電車に乗るとしたらその日の下校時間から大体三十分後の電車。学校に残るとしても長くて二時間程度なので、その辺の電車になります」

 

「……どういうつもり」

 

 

 正確な時間込みで情報を伝えてくる天に声を潜め、麻衣は再び警戒心を表情に浮かばせる。

 僅かに眉間に皺が寄り、真意を問いただす鋭い眼光が天を一直線に射抜いた。

 向けられるどの視線よりも尖ったそれ。年下に向けていいものではないそれに、しかし天は努めて冷静な態度を装い、

 

 

「せめてものお詫びです」

 

「お詫び?」

 

「うちの咲太が変なこと言ってすみませんでした。アイツ、普通に無神経なところがあるので、桜島先輩の気に障れるようなこと言ったでしょう。これはそのお詫びです」

 

 

 「お詫びになるかは分かりませんけどね」と、言葉を付け足して天は顔だけ麻衣に向ける。

 途端、高校生とは思えぬ端正すぎる顔立ちが視界いっぱいに広がり、不本意にも心臓が跳ねた。

 

 なるほど。これが国民的大スター、その理由の一つか。などと余計なことを考える思考を排除し、天は困惑する麻衣を見ながら、

 

 

「咲太と会いたくないんでしょ? 今のアイツが俺の言った通りの動きをするわけがないので参考にはならないとは思いますけど、一応、知っておいた方が動きやすいかなと。思ったんです」

 

「つまり、私の手助けをするってことね。空野君、咲太君の親友じゃないの?」

 

「親友だから、ですよ。桜島先輩の気分を害することを言ったのは本当らしいので、今すぐにアイツが謝れない分を俺が少しでも埋めるんです。埋められるとは思ってませんけど」

 

 

 つまりはどっちの味方もする。咲太の味方をすることが麻衣の味方をすることにもなるわけで、逆もまた然り。

 こんなことをしたら咲太にも颯にも怒られる。けど、こうして彼女と話してる時点で怒られることは確定しているから気にしないことにした。

 

 気にするべきは、今の言葉に対する麻衣の反応。捉え方によっては失礼だと思われてしまう発言、様子を窺う天はじっとこちらを見据える彼女に不安感を抱き、

 

 

「君みたいな子が咲太君の親友だなんてちょっと驚いた」

 

「咲太と同類だと思ってました?」

 

「当たらずとも遠からずよ」

 

「なんすかそれ……」

 

 

 勝手に無神経な男扱いされていたことに息を吹き出し、微妙な表情になる天はなんとも言えない。

 認識が改まったと思って喜ぶべきか。咲太の親友であることが無神経であることに繋がっていると不満を垂れるべきか。

 

 どっちにしても面倒な天は、それ以上の反応は見せずに受け流すことにした。見た目と態度が違すぎて驚かれるのは、理央にも起こったことだし。

 自分はそういう人間なのだと思ってしまえば、案外気にもならなかったりする。

 

 

「あの……桜島先輩」

 

「なに?」

 

「えっと、その……。咲太は悪いやつではないんです。確かに無神経ではありますけど、それは絶対なんです。『ありがとう』と『ごめん』と『助けて』を素直に言えるやつなんです」

 

 

 おずおずと躊躇いながら咲太の話題を投げかけると、麻衣の周囲を漂う空気が一瞬にして張り詰める。彼女の変化に引っ張られるように、凍りついた。

 流石に昨日の今日だ。今はその名前自体が地雷なのだろう。言葉は生まず、心を読ませてくれない表情で鋭い視線だけを向けてくる麻衣。その目と正面から向き合い、「だから」と天は言った。

 

 

「今は無理でも、いつか許してあげてください。アイツ、割と本気で落ち込んでたんで」

 

 

 情に訴えかけてくる天の声に、麻衣は尚も言葉を生まなかった。

 芸能界で培った演技力とでも言おうか、恐ろしい速度で表情に色付いた様々な感情を消し去り、歪みを修正して凛とした表情に戻っている。

 

 それから少し、沈黙が続いた。

 先程の声で麻衣の存在に気づいた社会人がチラチラとこちらを気にしている中、二人の間から一切の言葉が消える。

 会話のキャッチボール。そのボールが麻衣にあるから、天はボールが投げ返されるのを座して待つしかないのだ。

 

 天にとっては気まずい沈黙が流れる。普段は気にならないそれが、今は嫌なくらい気になる。

 誤魔化すためにポケットからスマホを取り出して時間を確認、時間通りに電車が来るならあと八分でくる。

 

 

「あんな風に言われたのは初めてだった」

 

 

 長すぎる、早く来い馬鹿。

 

 そんなことを考えていると、ようやくボールが投げ返される。が、返ってきたそれは別のボールで、自分が投げたものではない。

 話題を変えられたか。沈黙を破った麻衣が口を開くと、天はそれを確認するべく言葉を作る分の息を吸い、

 

 

「咲太のことですか?」

 

「空野君のこと」

 

 

 話題を変えられたらしい。

 

 その確信を得た天は、しかし「俺のこと?」と投げ返されたボールを変えようとはせず、そのまま投げ返した。

 答えたくないのなら答えなくていい。元々、答えてほしくて言ったことではないから。心の中に少しでも留めてくれてたらいいな程度。

 

 それはそれで困る天。話を変えられてなんのことだか分からない彼を横に、麻衣は空を仰ぎ、

 

 

「昨日、この場所で咲太君が盗撮を遮ったとき。咲太君を庇うために飛び出した子……神崎君だったわよね?」

 

「はい。あのデカいのが神崎 颯です」

 

「その子が出たあと、空野君も口を挟んだでしょう。そのときの言葉。——いくら有名人だからといっても今は一人の女子高生なんですよ、って言葉」

 

 

 特に何も考えずに天が言った言葉を持ち出し、小さい声で口にする麻衣。言った瞬間、その横顔が予兆もなく儚げなものに変化して、思わず天の息が詰まった。

 それは演技力に長けた桜島麻衣が意図せず見せた心の欠片——だとしても、天に分かるはずがない。

 だから彼は詰まった息を吐き出し、今の横顔は見なかったことにして素直な思いを声にした。

 

 

「俺、芸能人とか全く興味ないんで。あなたが超有名人の桜島麻衣だとしても、俺からすれば同じ高校の先輩くらいにしか思ってませんよ」

 

「………やっぱり君、変な子ね。私に面と向かってそんなことを言えるの日本で君くらいよ」

 

「あなたがどんな人であっても関係ない。ただそれだけの話です」

 

 

 もし、普通の人が今の言葉を聞けば「なにを言ってる」と鼻で笑われるはずだ。それほどに麻衣は日本を代表する有名人で、説明するまでもないくらい人気者だから。

 そんな言葉など気にもかけない天の落ち着いた様子は、麻衣にとってとても新鮮で。

 

 

「私、前に一度だけ空野君とここで会ったことあるのだけれど。覚えてる?」

 

「はぇ?」

 

「覚えてない、と。私のこと、本当に、ただの桜島麻衣としか認識してないみたいね。面白い子」

 

 

 素の反応から心を悟られ、変な子から面白い子に変えられた天。昇格したのか降格したのか微妙な彼の素っ頓狂な声を聞き、麻衣が気丈夫な表情を崩して笑みを飾った。

 紛れもない純粋な笑み。面白いから笑っただけの笑み。心がそう認識できる笑みだった。

 

 口元に手を添えて上品に、それでいて女子高生らしく頬を緩ませて、可愛げのある笑みを声にする麻衣。

 万人を魅了するそれを間近にした天の心が穏やかでないのは必須だ。故に彼は、頭の中に牧之原翔子を思い浮かべて思考がオーバーヒートするのを防ぐ。

 

 

「さっきの話だけど、参考にさせてもらうから。電車のこと、教えてくれてありがとう」

 

 

 ひとしきり笑むと、麻衣は表情を引き締める。瞬きの間にいつもの表情、凛としたそれを作った。

 その恐ろしい修正速度を目の当たりにしながら、天は恐縮だと言わんばかりに「いえいえ」と手を横に振り、

 

 

「俺にできるのはこれくらいなので。あとは自分でどうにかしてください」

 

「えぇ、そうする。空野君の言う通りなら今の咲太君はいつも通りの動きをするはずがない——なら、隣駅まで歩くくらいのことはしようかしら」

 

「あー、これはやばいこと伝えちゃったかなぁ」

 

「咲太君には内緒にしておいてあげるから安心しなさい。君も、今のは聞かなかったことにすること」

 

「はい。分かりました」

 

 

 頭の中で『咲太回避計画』を着々と組み立てる麻衣が真剣な声で考えるものだから、言ってしまった感のある天が遠い目をして呟く。

 友情に亀裂が入りかねない失態をやらかした彼を麻衣は優しく庇護し、庇護された天は大きく頭を下げた。

 

 

 ——結果。このやりとりが原因で、咲太はこの日から二週間以上も、麻衣から避けられ続けることになるのである。

 

 

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