ブタ野郎に親友を作っただけのお話   作:ノラン

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基本、バニーガール先輩編は原作を主軸にちょっとアレンジを加えた感じで仕上げるつもりなので、おおまかなストーリーは同じだと考えてください。




おあいこの一撃

 

 

 

「はあああああーーっ!?」

 

「今どこにいやがるテメェエエ!!!」

 

 

 目玉が飛び出るほど大きく目を見開いた咲太と、顎が外れそうな勢いで大口を開けた颯。

 そんな二人の怒号が世界に轟き渡ってから数分が経過した、とあるマンション前。怒号とは打って変わって静けさに包まれたその空間で、月光に照らされる二つの人影があった。

 

 一つは、マンションを囲う塀に背を預け、地べたに膝を抱えて道端に座り込む人影——悟ったような顔で夜空を仰ぐ、私服姿の天。

 一つは、そんな彼のことを横目に道のど真ん中に仁王立ち、腕を組んで正面を見据える、制服姿の麻衣。

 前者は予定通り親友二人に衝撃の事実を投下し、大爆発して後悔中。後者は来たる瞬間に物怖じする挙動も見せず、毅然としていた。

 

 

「どうしてそこまで緊張する必要があるのよ。ちゃんとフォローしてあげる、って言ったじゃない」

 

 

 故に、麻衣には天の様子が疑問に思えた。

 

 なにを怯える必要がある、自分がいるじゃないか。そんな風に天を見下ろし、不思議そうに小首を傾げている。

 自分の発言力に自信があるのか、それとも勝負所に挑む精神力が人並み外れているのか。「はぁ」とため息をつく天は「いやいや」と首を横に振り、

 

 

「あの調子だと多分、それよりも前に拳が飛んでくる。桜島先輩の弁護が入るよりも先に、俺の顔面が殴り飛ばされる」

 

「私が庇っても?」

 

「咲太は止まるかもしれませんけど、颯は止まらないんじゃないかなぁと。アイツ、殴ると決めたら一直線なヤツなので」

 

 

 頭に血が上ったら視界が急激に狭くなるのが神崎 颯という単調な男。

 沸点が低く煽り耐性がマイナスに極振りされていると言っても過言でない彼は、一度でも殴る対象を定めたら殴るまで気が静まらない厄介な性格。

 そこだけ聞けばただのバーサーカーかと思うが、あながち間違ってもないと天は思う。

 

 だって、

 

 

「桜島先輩、下手に庇おうとしないでくださいね。初動は俺が自力で回避するので。当たったら無事(ただ)じゃ済みませんよ。なにせ、アイツは黒帯ですから」

 

「黒帯……、空手の?」

 

「そうです。極真空手……とか言ってたかな。つい最近に昇段審査があって、ちょっと遠出して友達と応援しに行ったんです」

 

 

 極真空手——普通の空手となにが違うのかよく分からないそれの黒帯を、颯は高校二年生にして見事に取得したことは記憶に新しい。

 ほんの数週間前のこと、颯に呼ばれて審査会場に咲太と佑真と理央の四人で顔を出し、昇級審査で審査委員との激闘の末、数日後に合格発表を受け取った彼をこの目で見ているのだ。

 

 

「すごかったですよ、それはもぅ。極真空手って普通の空手と違って技を直接相手に当てるらしいですから、ボッコボコに殴って蹴って、殴られて蹴られて、その速度も頭イカれてて」

 

 

 気合いの声を上げ、屈強な審査委員に立ち向かっていく颯の姿に、渋々付き合った理央を含めて四人とも最後の方は息を飲んで見守っていた。

 小学生の頃から学んでいるだけあって動きのキレが普通の人間のそれとは段違いで、拳を打ち込んだ瞬間の音が冗談抜きで『ボコンッ!』と聞こえるほど重く低く。

 審査を見た帰り、四人で一緒に近くのファミレスで夕食をとった際、

 

 「人って、あんなに速く殴れたんだ」と、理央は素直に感心した声色で。

 「アレに当たったら確実に死ぬな」と、咲太は馬鹿げた威力の拳に半笑いし。

 「バスケ部の先輩より普通に強そう」と、佑真はからからと笑いながら。

 「間違っても怒らせないようにしよ」と、天は戦慄した様子で。

 

 などと四人で意見交換をしたものだ。

 結果、『颯はヤバい』という認識が共有され、これから変なのに絡まれたらアイツに頼ろうという結論に至った。

 

 要するに、だ。

 

 

「とりあえず、初っ端は流れで殴りかかってくると思うので桜島先輩は手ぇ出さないでください。流石に女の人を殴るとは思えませんけど、勢いそのまま突っ込んでくるかもですし」

 

「そうならない可能性は?」

 

「希望的観測っすね。電話越しにも聞こえたでしょ? 二人の叫び声」

 

 

 手にしたスマホをふりふりと振り、天は麻衣の言葉を否定する。言われて彼女も理解したのか、「確かにそうね」と苦笑した。

 

 電話で自分が麻衣と一緒にいることを伝えた直後に聞こえた咆哮、冗談抜きで鼓膜が破れそうな怒号。

 まさか、電話越しに耳がキーンっとなる現象が起こるとは、天にとっても初めての経験だった。

 それだけに留まらず、二人の怒号は近くにいた麻衣にもはっきり届いたのだから、その声量は常軌を逸していたと言っても過言じゃないだろう。

 

 

「だから、桜島先輩はまず咲太の誤解から解いてください。それまでは頑張りますので」

 

「分かった……って言うべきなの? ここ」

 

「はい。分かった、って言うべきです。ここ」

 

 

 悟った顔つきから覚悟を決めた顔つきになる天は、そう言って立ち上がる。

 重い腰を足の力だけで持ち上げるように、ゆっくりと立ち上がり、背筋を伸ばして「んー!」と喉を低く鳴らした。

 それから手首足首を解し、軽く跳躍、まるで今から運動でもするかのように準備運動を始める。

 

 

「さて、俺の身体能力でどこまでやれるか」

 

「なにも喧嘩するわけじゃ………」

 

 

 ないんだから、と。

 

 真剣な様子で体を解す天の緊張を和ませようとする麻衣だが、その声は途中で途切れる。

 たった今、耳に薄く聞こえてきた声——男の叫び声のようなものに意識が引っ張られたのだ。

 反射的に声の方向に視線を向ける麻衣と、同じく声を耳にして目を向ける天。二人して同じ方向を見た彼らは、当然のように二人して同じ光景を視界の中に捉えた。

 

 

「てぇぇぇぇえええんんーーッッ!!」

 

「こんの野郎ぉぉおおッ!!」

 

 

 叫びながら突撃してくる、話題の二人を。

 

 普段から運動の『う』の字もない咲太をやや置いてけぼりにし、握りしめた拳を振りかぶりながら迫ってくる颯。

 その颯を斜め前にしつつ、置いていかれないように頑張って走る咲太。

 

 電話を切ってから、全速力で帰ってきたのだろうか。息を切らしながらも怒涛の勢いで、それも叫びながらこちらに駆けてくる様は、天にとって恐怖としか言いようがない。

 血走った咲太の目が睨むのは麻衣の隣にいる天で、呪詛すら込められてそうな声色で天の名を呼ぶ姿は初めて見る。

 颯に至ってはそれに加え、既に拳が振りかぶられているときた。得意の右ストレート、渾身の一撃を溜める体勢が完成している。

 

 さて、この状況、

 

 

「どーしよぉ、想像の百倍は怒ってるなぁ。頭に血ぃ上ってるよぉ」

 

「普通に近所迷惑。通報でもされたらどうするつもりよ」

 

「冷静だなぁ、この人」

 

 

 刻一刻と迫る審判の時に嫌になり、語尾が弱々しく落ち込む天だが、麻衣は気にもしていない。

 二人を見て別の心配事が湧いたのか、騒音を聞きつけて窓から顔を出す人がいないか、周囲を見渡して確認している。

 救急箱くらいは持ってくるんだった、と。今になって後悔する天。考えても仕方ないと割り切った彼は、もうすぐそこまで来ている二人を正面に頰をパチンと叩き、

 

 

「もういい! こうなりゃ、なるようになれだ! 桜島先輩、ホントに頼みますよ!? 俺の命は先輩次第なんですから!」

 

 

 一方的な言葉だけ麻衣に向け、それが最後だとばかりに天は視線を颯に定める。

 軽く前傾姿勢になり、僅かに踵を浮かせていつでも動ける体勢を整え、麻衣を無視して気合いの声と同時に殴りかかってくる颯に合わせ、バレーで体に染みついたスプリットステップ———、

 

 

「おらぁ!!」

 

 

 走る勢いを乗せて大きく振りかぶられた右腕、顔面に向けて突き進んだ拳を、真横に跳ねて回避。

 全身をフルに使った渾身の打撃はあっけなく空振り、颯の着ている上着が殴るモーションに釣られてバサバサと音を立ててはためいた。

 

 恐らく怒りのパワーが込められていたであろうそれを軽々しく避けたが、天に安全は訪れない。一撃目の直後に二撃目がくる。

 体に働く全力疾走の力、前に進もうとする慣性を片足の踏みとどまる力だけで殺した颯が、避けられたと知るやいなや、

 

 

「避けんなこの野郎ォ!」

 

 

 と、怒り心頭といった具合で殴りかかってくる。

 

 武道に精通していない者を総じて『一般人』とするならば、一般人に対して発揮していいものではない速度で間合いを詰め、左拳が解き放たれた。

 狙いは一直線に、マジな表情で繰り出される攻撃を見る天の顔面。黒帯クラスに到達した武道家の一撃は吸い込まれるように顔面に———。

 

 

「っぶね!」

 

 

 鼻っぱしをへし折らんばかりのそれを半身を逸らすようにして回避し、三度ほど地面を蹴ってバックステップ、天は颯から大袈裟に距離を取る。

 一撃目の強襲から数秒もせず、当てる気で放った二撃目、一呼吸分も許さない蓮撃を避けられた颯は「おいテメェ!」とがなり、

 

 

「避けんな、っつってんだろうが!」

 

「いや、避けるでしょ!? 咲太のならともかく、お前のは痛いじゃ済まないんだよ! 漫画みたいに吹っ飛んでくんだよ! 顔面陥没すんだよ!」

 

「なら避けんな! それが嫌なら一発殴らせろ! それで許してやるからよ!」

 

「殴られたくないと主張する相手に殴りを要求するのはおかしいと思います! 嫌だね! 絶対に!」

 

 

 支離滅裂な暴論を吐き捨て、天に突撃する颯。自分よりも大柄で武力のある彼を相手に断固拒否の姿勢を保ちながら、天はその後も連続して繰り出される打撃を凌ぎ続ける。

 素人目で見ても颯の動きは普通のそれではなく、体運びや殴る動作のキレが明らかに良い。流石黒帯と言うべきか、その攻防を外から眺める麻衣にも、この数秒間で颯の凄さは伝わってきた。

 

 なら、それを往なす天は一体———。

 

 

「………で?」

 

 

 一言。

 

 天の身体能力の高さに気づきかけた麻衣は、そのことを頭の片隅に置いて声を溢す。

 今現在、視線の先で黒帯の地獄のようなパンチを避ける天、彼に言われたことを果たそうと攻防から目を離した。

 顔を横に向け、いつの間にか真横にいた咲太を見ると、

 

 

「お友達は白熱してるようだけど、咲太君は混ざらなくていいの?」

 

 

 「ぜーはーぜーは」と息も絶え絶えで、額から汗の滴を垂らす咲太。

 膝に手をついて呼吸を整える彼は、自分を見る麻衣に「もちろん、そのつもりでした」と答える。何度か深呼吸して荒れた息を整え終えると体を起こし、

 

 

「けど、アレに混ざったら僕も天の巻き添えを食らうと思うのでやめときます。というか、しばらく動けそうにないので」

 

「見た目通りだけど、やっぱり体力ないんだ」

 

「颯がイカれてるだけ。全力で走った後に動けるアイツがおかしいんですよ。それに、天を殴る必要はないと思ったんです」

 

 

 煽るような声色の麻衣を受け流し、咲太は正面の激闘を眺める。一発殴りたい颯 VS 殴られたくない天の戦いは恐ろしく熾烈で、ちょっと見応えがあった。

 予想外ではない。だって咲太は天の運動神経の良さを知っているから。だとしても颯の攻撃をあれほど上手に捌き続けられることについて、少しばかり驚いてはいるが。

 

 

「ちょっと冷静になって考えれば、なにか事情があるんじゃないかって思ったんですよ。天が私情で麻衣さんに会うとは思えないし。会うしかない理由があるんじゃないか、って」

 

 

 「ふぅ」と息を溢し、足を止めた直後にのしかかった全力疾走の反動を少しでも軽減しながら、咲太は熱の抜けた声で言った。

 呼吸を整えるまでの時間で頭に上った血が降りたか、血走っていた目はいつの間にか和らいでいる。

 

 麻衣と一緒にいる報告を受けた瞬間こそ驚き、頭から湯気が出る勢いで憤慨し、衝動に任せて走り出した咲太。

 けれど、天が自分たちに内緒で彼女と会うのにはなにかしら理由があるのではないかと彼は思ったのだ。

 自分らの中では最も真面目かつ律儀な天だからこそ、くだらない理由でそれを隠していたとは思えないから。

 

 

「なにか、僕らに言えない事情があったんですよね」

 

「その通りだし、空野君のためにも今からちゃんと説明するつもり。でも、それよりも前にあの二人を止めた方がよさそう」

 

 

 真っ直ぐ麻衣を見つめ、真実を聞こうとする咲太。咲太の真摯な目に麻衣は頷くも、その目は咲太のことを見ていない。

 一度はこちらを向いた目が見るのは、こうしている間も攻撃と回避の応酬が続く激しい攻防戦。中々当たらないと踏んだ颯が無言になりいよいよ本気で拳を振り始め、それを本気で往なす天の激闘。

 

 いくら天の身体能力が高いとはいえ、所詮は素人の技術だ。黒帯を相手に何分も粘れるほどのものではなく、彼の表情にも焦りが浮かんでいる。

 対して颯、ちらちら視界に映るその顔はどこか楽しそうにも見えて、動きのキレが序盤よりも良くなっているように感じる。

 

 故に、勝敗は初めから決していた。

 

 

「ーーっ」

 

 

 拳を受け流そうとした天の左腕が、大きく夜空へと弾かれる。前に突き進む拳の軌道が予備動作なく真上に変えられ、防御に伸ばした腕が完全に無効化された。

 予想を越えて大きく弾かれ、腕に釣られてのけぞる天の体——この瞬間、無抵抗な胴体が颯の眼前に晒される。

 

 ——ギロリ。

 

 獰猛に光ったその眼光に、背筋が凍った天。咄嗟に残る右腕で胴体を守ったことが、この戦いの勝敗を決した。

 左腕の防御を無効化した拳、その拳とは逆の拳を容赦なく振るう颯。それは反射的に胴体を庇う右腕を無視し、驚愕に目を見開いた天の顔面に狙いを定め、

 

 

「オラァアーーッ!!」

 

「ごぼぇえ!?」

 

 

 一 撃 必 殺。

 

 天の右頬に直撃した拳が、貫通せんばかりに思いっきり振り抜かれる。

 『ボコンッ!』という異様な音と共に颯の体が大胆に舞い、それ以上の大胆さで天の体が後方によろける。

 腰を入れ、全身の唸りを全開で利用した一撃。咲太が「まともに受けたら確実に死ぬ」と称したそれをモロに受けた天は背中から壁に叩きつけられ、「かッはァッ!」と苦鳴を漏らし、力無く沈んだ。

 

 決定的瞬間を見た麻衣が思わず「あっ」と口を開け、その口を手で隠す。

 彼女の横で、遅かったと言わんばかりに咲太が「あー」と低く唸り、頬が引き攣る。

 

 二人の反応など意識下にない颯は、倒れ伏す天を眼下に「っし!」と謎にガッツポーズして、

 

 

「お前やるじゃねぇか。俺のパンチをここまで捌けるたぁ、思わなかった。俺が(かよ)ってる道場で鍛えりゃ黒帯目指せるぜ。だが、これでおあいこな」

 

「全然おあいこじゃないわよ! 鼻血出てるじゃない!」

 

「相変わらず容赦ないよな、お前」

 

 

 ぎょっと目を見開いた麻衣がポケットからティッシュを取り出し、天に大急ぎで駆け寄る。

 やりすぎな一撃に、咲太が乾いた笑いを溢しながら彼女の背中を追う。

 ここでようやく二人の反応が意識に入った颯は頭の熱が抜け出して、転がる天に「あっ」と気づく。

 三人の視線を受ける天は、頭上でヒヨコが回っていてもおかしくないくらい『ピヨピヨ』と目を回しており。

 

 

 ——一度に四人の反応が入り乱れたのを最後として、麻衣と天の内緒の関係は慌ただしく終わったのだった。

 

 

 

 

△▼△▼△▼△

 

 

 

 

「んだよ、そうならそうともっと早く言えよ」

 

「本人から口止めされてたんだから、仕方ないでしょ。俺だって好きでやってたんじゃないっての。

ってゆーかさ、ここ、マジで痛いんだけど」

 

「それに関しちゃ、マジで悪かった。お前と桜島先輩が密かに会ってるとは思わねぇからよ、なんか裏切られた気分になっちまって。頭に血ぃ上った」

 

「だとしても本気で殴ってきますかね、普通。途中から目がマジになってて怖かったんだけど」

 

「お前との熱い組み手は面白かったぜ」

 

「ブッ飛ばすぞ。一方的に殴ってただけじゃねーか」

 

 

 夜の静けさが落ちるマンションの廊下に、天と颯の話し声が木霊する。

 自分らの家の扉の目の前、マンションの五階、その廊下で手すりに寄りかかりながら、隣り合う彼らは外の景色を眺めて言葉を交わしていた。

 

 

 ——一発殴りたい颯 VS 殴られたくない天の死闘は、颯の拳が天の右頬にねじ込まれ、一時的に天の意識が落ちるという形で幕を下ろした。

 

 

 それ以降のてんやわんやは、詳しく語るまでもないだろう。

 

 意識が朦朧とする天の鼻血を止めるために麻衣が処置を施し、必要なことを終えた彼女が限度を越えた颯を叱咤。

 あれほど叫びながら走るのは近所迷惑だと咲太も一緒になって怒られ、二人揃って麻衣のお叱りを受ける羽目になった。

 それから自分と天が行動を共にしていた理由を事細かく説明され、複雑に絡まった誤解の糸が解かれたのである。

 

 そして、現在。

 

 第一ステップ『二人の誤解を解く』の壁を突破した麻衣は咲太と二人、マンション前でお話し中。

 天は予定通り颯を引き剥がすために彼と二人でマンションに戻り、廊下で咲太の帰りを待っている。

 

 

「あーもぅ、ほんっと、損な役回りだった。この二週間、桜島先輩には買い物に振り回されるし、颯たちにバレないように嘘つかなきゃいけないし、挙げ句の果てには颯には殴られるし」

 

 

 「()ってぇ」と、氷と水が入ったビニール袋を右頬に当てる天。

 片方の鼻の穴に細長く縮められたティッシュが詰め込まれた彼は目を細め、真横にいる男を鋭く睨みつけた。

 

 目つきが鋭い彼にその睨まれ方をされ、狼に睨まれていると錯覚して純粋にビビる颯。

 心の中でゾクっとする感覚に襲われ、肝を冷やす彼は「悪かったよ」と軽く頭を下げて通算二十三回目の謝罪。

 

 

「つい、カーっとなっちまったんだ。親友に嘘をつかれてたことが不愉快でよ。親友関係、俺たちの中で隠し事は無しだろ?」

 

「別に無しじゃないと思うし、仮に無しだとしても殴るのは絶対におかしい。ここ、見える? 右の頰。お前のせいで打撲みたいに痣になってんだけど」

 

「悪い、本っ当に悪い。悪いと思ってる。口より先に手が出る性格が裏目に出た」

 

「裏目じゃねーんだよ。悪い性格が悪い方向で出ただけだろうが。拳はコミュニケーションの一種じゃないんですよ? 分かってます?」

 

 

 敬語と荒っぽい口調が交互に出てくる天にマジトーンで畳み掛けられ、颯は「それは、おぉ……」と萎縮するしかない。

 手すりにもたれかかる背筋が情けなく丸まり、言葉攻めされるにつれて言葉に宿る力がどんどん弱まっていく。

 

 チラリと横を見る颯。視界の端に映る天は依然としてこちらを睨んでいて、ビニール袋で冷やされる右頬では紫っぽい色の痣が目立っていた。

 勿論、颯が刻んだものだ。怒りに任せて拳を振るい、戦っているうちに楽しくなって調子に乗り、最終的に思い切り殴り抜いた痕。

 

 冷静になった今、自分のしたことを振り返ってみると、どれだけ許されないことをしたのか痛感する。

 それでも「まぁ、今回は許すよ。黙ってた俺も悪いし」と、無理やりフォローを入れて許してくれた天には頭が上がらない。

 絶対にそんなことない、天にはなんの罪もないのに。彼はただ、麻衣に無害そうな人間として選ばれ、付き合わされただけなのに。

 

 それでも許してくれたのは、

 

 

「なぁ、天」

 

「なに?」

 

「お前って仏なのか?」

 

「今すぐここから落としてもいいんだよ?」

 

 

 欠片も反省の色が見えない颯の問いに青筋を浮かべ、天は真顔のまま手すりの下を指差す。

 痣が生まれる力で殴られても許す寛容な心の持ち主にも、堪忍袋の限界はあるらしい。

 

 「冗談、冗談だよ」と、颯は発言を撤回する。それから話の流れを断ち切るべく「つーかよ」と手を叩き、

 

 

「お前、俺が通ってる道場で空手やらねぇか?」

 

「やらない」

 

「即答すんなよ。ちったぁ考えろよ」

 

 

 こちらの誘いを一刀両断する薄情な即答に笑い、颯は天の肩を小突く。

 出鼻を挫いた天は「いやいや」と首を横に振り、

 

 

「なんでわざわざ遠出して、横浜の道場にいかなきゃいけないんだよ」

 

「それだけ見込みがある、ってことだぜ」

 

 

 露骨に嫌がる天に親指を立ててサムズアップ、「俺の目に狂いはねぇ」と言葉を付け足し、颯は自信ありげに笑いかける。

 

 小学一年生の頃からずっと通っている横浜の道場——高校入学と同時に藤沢に引っ越した今でも彼はその道場に通い、極真空手の極みを目指している。

 時間にして自宅からおよそ四十分、電車だけでも往復八百円は削られる長い道のり。例え、黒帯獲得者の颯に腕を見込まれたとしても、天は全く気乗りしない。

 興味があるなら話は別だが、生憎と彼の興味は空手ではなくバレーボールにある。

 

 

「見込みがあったとしても、やらない。他をあたって。そんなお金、うちにはない」

 

「んじゃ、俺が無償で教えてやるからよ。ちょっとだけ空手に触れてみねぇか?」

 

「嫌です。丁寧にお断りします」

 

「ちぇー。んだよ。もったねーの」

 

 

 とりつく島もない天の態度に唇を尖らせ、颯は「じゃぁいい」と残念そうにため息した。

 あの僅かな攻防の中で磨けば光るものがあると感じ、割と本気で見込んでいただけに残念レベルは意外にも高い。

 しかし、極端にこちらの意思をぶつけると離れていくのが天だ。本人が「嫌だ」と言っているのなら、潔く引き下がって諦めることにする。

 

 心の奥底にいる諦めきれない自分の主張に蓋をし、口を閉じる颯。そんな彼に天は「あー、そーいえばなんだけど」と繋げて、

 

 

「桜島先輩、芸能界に復帰するってさ」

 

「そうなのか。………………は!? そうなのか!?」

 

 

 言い方がナチュラルすぎて一度はスルーした発言に、颯が異常な勢いで食いつく。今日は驚くことが多い彼は「マジぃ!?」と声を上げ、口角が興奮にぐいっと釣り上がった。

 分かりやすい反応を受け、天は心の中で「これが桜島先輩が見たかった反応かな」と思う。

 

 日本中を震撼とさせる衝撃の事実——桜島 麻衣、芸能界復帰。

 メディアもマスコミも報道記者も、テレビに通ずる職種のありとあらゆる人間がこぞって注目する大大大スクープ。

 

 颯のリアクションが一般的なリアクション。聞いて驚かないのは、世界で天くらいだろう。

 だから麻衣が言っていた通り、これは彼が特殊なタイプだと証明された瞬間だ。

 

 

「今日はそれを伝えるために、桜島先輩は咲太に会いたかったらしい」

 

「咲太に? なんで?」

 

「知らない。気持ち的な変化でもあったんじゃないのかなって俺は思うけど。約二週間前、咲太が芸能界復帰について桜島先輩にごちゃごちゃ言ったらしいし」

 

 

 頬にビニール袋を当て直す天の予想に「あー、確かに」と颯は小さく何度も頷き、共感の意を示す。

 伝える対象を咲太のみに絞ったところから察するに、あながち間違ってもないだろうなと。

 

 天を使ってまで咲太と二人っきりになりたかった理由、それが芸能界復帰の決意表明だとすれば、咲太はすごいことをしたのかもしれない。

 桜島 麻衣が芸能界に復帰する事は、その辺にいる芸能人が復帰する事とはレベルが違う。芸能界隈がざわつき、一ヶ月はその話題で持ちきりになる未来が目に浮かぶ。

 活動中止するときも騒がれていた記憶があるから今回はそれと同等か、それ以上の大騒ぎになるだろう。

 

 麻衣がその報告を、一番に咲太にした。天が先に聞いていたらしいから正確には二番だが、麻衣の気持ち的には一番にした。

 果たして、これがなにを意味するのか。颯には分からない。分からないけど、

 

 

「でもよ、あの二人って確か喧嘩してたよな?」

 

「咲太が桜島先輩を怒らせて、ね」

 

「じゃあなんで桜島先輩は咲太に会って、それを言おうと思ったんだ? 向こうは明らかに避けてたろ」

 

 

 湧いて口から出た疑問に、小首を傾げる颯。丁寧に避け続けていた人間とどうして今になって和解しようとしているのか、彼は考える。

 しかし天は「はわぁ」と情けない声を鳴らしながら眠そうにあくびして、

 

 

「それも含めて、気持ち的な変化でもあったんじゃない?」

 

「お前、さてはそれで済ませる気だな?」

 

「バレた? もうね、色々と疲れすぎて頭使うの面倒になってきた。さっきのでかなり疲れたし、今日はもう風呂入ったら速攻寝ます」

 

 

 心身ともに疲労困憊な天。よれよれと手すりに寄りかかる彼は、肩の荷が降りた反動による思考停止の合図を告げる。

 もう、なにも、考えたくない。そんな言葉が全身から滲み出る天に颯は「お疲れさん」と、労いの言葉をかけた。

 疲れる原因はコイツにもあるのだが、それに触れるのも面倒なので、天は触れない。

 

 と、そんな時だ。

 

 

「——あ?」

 

「ん?」

 

 

 会話が一段落したところで、不意に二人の喉が低く唸る。自分らの声以外が反響しない夜の廊下に『五階です』という電子音が小さく響いた。

 音の方向に視線を向ける二人。視線の先では今しがた到着したエレベーターの扉が開き、中から咲太が出てきている。麻衣の姿はない。

 

 話が終わったのだろうか、と。そう思う二人を見た途端、咲太は満面の笑みを浮かべて猛ダッシュ。

 ばたばたと足音を立てて二人の下に帰ってきたかと思えば、「聞いてくれ!」と左右の手で二人の肩をガシッと掴み、

 

 

「週末に麻衣さんとデートすることになった!」

 

「え?」

 

「はぁ!? あの桜島 麻衣とぉ!?」

 

 

 突然の爆弾投下に思考が停止した天と、素直に言葉を飲み込んだおかげで本日n回目の驚愕に声を荒げた颯。

 声がぴたりと重なった二人の表情に動揺が色濃く浮かび上がり、火力の高い報告に頭が真っ白になり、続く言葉が消えた。

 

 なにがどうなれば麻衣と咲太がデートすることになる。

 あの桜島麻衣と咲太がデートするとか、天変地異でも起こるのか。

 そもそも二人は喧嘩しているはずじゃ。仮に仲直りしたとしても急展開すぎる。

 

 具に疑問が生じ、混乱する二人。その反応に咲太はニヤニヤと頰を緩ませ、

 

 

「麻衣さん、芸能界に復帰することに決めたらしくてさ。復帰したら忙しくて遊んでる暇もないから、一度くらいは鎌倉に行きたい。って言ってて」

 

「それがお前とデートすることにどう繋がんだよ!?」

 

「鎌倉観光に付き合え、ってことらしい」

 

「なんだそりゃぁ!?」

 

 

 リアクションの過剰な颯が、声を大にして驚愕の感情を咲太にぶつける。

 驚いた時のパターンが一通りしかない彼は「マジで言ってんのかよ!?」と、強い羨望の眼差しを咲太に送った。

 

 天はというと、

 

 

「風の吹き回し方がおかしいよ……。あの人、やっぱ色々とすげーな。もういい、あとは好きにやって」

 

 

 などと現実を放棄し、頭痛でも感じたように額から髪の中に手を差し込んでいる。

 元からなにも考えたくない状態に突入しているのだ、そこにトドメの一撃を入れられてしまえば、全てを投げ出してしまうのも無理はない。

 

 驚く颯、現実放棄の天。反応が違いすぎる二人に咲太は「いいだろ」とドヤ顔で胸を張り、

 

 

「羨ましいなら素直に言っていいぞ、颯。僕はそのお前を見ながら晩飯を食べる」

 

「鬼畜か! お前そんなキャラじゃねぇだろ! 浮かれてんじゃねぇ!」

 

「麻衣さんとデートするんだぞ? 少しくらい浮かれたっていいだろ。逆に浮かれない男の方がおかしい」

 

「そうだな、そんな奴は男じゃねぇ! けどお前、桜島 麻衣とデートとか……羨ましすぎるぞぉ!」

 

 

 荒ぶった様子で咲太の肩を掴み、颯はぐわんぐわん揺らす。自分で言ってて彼のポジションを理解したのか、親友ながらに「そこ代われ!」と言いたくなる。

 感情に任せた乱暴な揺さぶりに「あぁあぁあぁあ」と、目を回しそうになる咲太。ひとしきり暴れた颯は彼を解放すると、今度は天に水を向ける。

 

 

「で、お前はなんでさっきっから冷静なんだよ!」

 

「逆にお前はうるさすぎるんだよ。俺は知らない、帰る、おやすみ」

 

「投げやりになってんな、コイツ! あ、おい、勝手に帰んな!」

 

 

 必要なことだけを述べた天が喧しい声を流し、ついにこの場からの離脱を試みる。静止の声を無視して歩き出し、自分の家の扉の目の前へ。

 ポケットから家の鍵を取り出すとドアノブにぶっ刺し、手首を捻って施錠解除。

 迷いない動きで刺した鍵を抜くとポッケに突っ込み、ドアを開こうとドアノブに手をかけ、

 

 

「……まぁでも、無事に仲直りできて良かったね、咲太。それに、美人の先輩とお近づきにもなれたじゃん」

 

 

 扉を開けかけた手を止め、咲太に笑いかける。そこには先ほどの投げやりな感情はなく、心から安堵したと聞き手に伝わる量の優しさと温かみがあった。

 その落ち着いた声色に、興奮した颯の心も落ち着かされていく。咲太が麻衣と会うためにどれだけ奔走したのかを思い出し、「確かにそうだな」と胸に溜まった熱を深く吐き出した。

 

 意外な形ではあったが、これで咲太の目的は達成された。

 逆鱗に触れてしまった麻衣と和解し、彼女の芸能界復帰、それどころかデートの約束まで取り付けられた。大成功という言葉じゃ足りないくらいの成果だ。

 

 となると、

 

 

「あとは桜島先輩の思春期症候群をどうするかだけど……。とりあえず目先のことに集中した方がいいな。デート、上手くいくことを祈ってる」

 

「だな。また怒らせねぇようにな」

 

「おう。ありがとう」

 

 

 最終目標の存在をチラつかせるも、天はそれを振り払うように首を横に振る。

 今は麻衣とのデートに全力を注げと助言する彼に颯も首肯して笑い、二人の意見をしっかり受け止めた咲太も力強く頷いた。

 

 話が上手いこと着地した気配。このまま話していても終わらない気がした天は「じゃ」と手を振り、

 

 

「俺は帰る。おやすみ」

 

「俺も帰るぜ。お疲れさん」

 

「待った。まだ帰らないでくれ」

 

 

 扉を開いて家の中に消えようとする天と、便乗して帰ろうとする颯。その二人の足を、咲太は食い気味に止めた。

 「なに?」と天が開いた扉から顔を出し、「今度はなんだ?」と颯が振り返る。

 疲れた表情の天、怪訝な表情の颯。異なる表情の二人に咲太は「あのさ」と、

 

 

「週末、僕は麻衣さんとデートに行く」

 

「うん」

 

「聞いたぜ」

 

「その日、バイトなんだけどさ」

 

 

 そこまで言った瞬間、話を聞く二人の表情が、おもしろいくらい同じものになった。

 苦虫を噛み潰したような表情、「は?(威圧)」と心の声が幻聴として聞こえてきそうなそれから察するに、こちらの要求が分かったらしい。

 

 だから咲太は、真面目な顔で堂々と言った。

 

 

「代わってくれ」

 

「断る」

 

「嫌です」

 

「そこをなんとか!」

 

 

 縋り付く咲太を無慈悲に切り捨て、天が扉の奥に消えて帰宅。扉に鍵をかけられ、追尾不可。

 ならばと咲太は颯に狙いを絞り、逃げる背中を全力で追いかけて腰にタックル。自分程度の力じゃびくともしないことをいいことにしがみつき、

 

 

「頼む、颯! 一生のお願いだ! 代わってくれ!」

 

「断る! 俺はその日、空手があんだよ! 天に代わってもらえ!」

 

「アイツの方が確率低いんだよ! それにあの感じじゃ、代わってくれなさそうだったろ!」

 

 

 やいのやいのと騒ぎ散らし、お腹を空かせたかえでが待ってるという理由で強制帰宅させられる瞬間まで、颯に頼み続けたのだった。

 

 

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