もう更新しないと思いました? 僕は思いました。
(3回目)
ここまでくると、自己満で書いてるようなものです。
仕事の合間にちょこちょこと。続けてはいきたい。
だって、本当に書きたい章は『ゆめみる少女の夢を見ない』なんだもの。
にも関わらず、まだバニーガール先輩編という。
自分のモチベと時間の無さを恨みます。
「——ん?」
颯が空手に精を出すのと同時刻。
時刻は午後七時を回り、これから夜も本番というところで、その音は天の意識を引きつけていた。
テレビから流れるニュースの音声が、薄く反響するリビング。
夕食を済ませてソファーに寝転がり、少し休んで中間テストの勉強をと思っていたところで、目の前にある横長の机に置かれたスマホが微振動している。
着信か、と。むくっと起き上がり、スマホを手に取る天。画面を見て、彼は画面に表示された文字に顔を顰めた。
「非通知……」
着信元が不明な電話だ。どこからかけられているのかもよく分からない、出たりしたら詐欺に引っ掛かるかもしれない電話。
なら出ない方がいい。というより基本的に天は非通知には出ない人間だ。
即断。
興味なし。
変なタイミングで拒否するとこちらの存在を悟られると思った天はスマホを机に置き、立ち上がった。
未だ着信音を鳴らし続けるのを無視し、喉が渇いたので冷蔵庫へ直行。お茶をポットからコップに注いでぐびっと流し込んだあたりで、着信は無事に鳴り止んだ。
特に気にすることもなく使ったコップを軽く洗い、布巾で拭いて食器棚の中へ。
よし、これから十一時くらいまで勉強を——。
「……また?」
と、真面目に勉強に励もうとしていたところで、再びスマホに呼びかけられる。数秒前に鳴り止んだスマホが着信音を奏で、机の上でブーっと微振動し始めた。
スマホの面を表にして置いているから、今の位置からでも着信画面が確認できる。だから天は不信感に「んん?」と喉を低く鳴らし、
「また非通知だ。二回連続でかかってくることとかあんのか?」
呼び寄せられるようにスマホに近づき、今度は手に取って持ち上げる。
顰めっ面のまま『非通知』を示す画面と睨み合うと、謎の緊張感がスマホと天の間に流れた。
一度だけであれば間違いかと思うが、二度も連続してかかってくるのはおかしい。
時間を開けてならまだしも、一度の電話から数秒と経たずしてだからなおさら。
明確な意思を感じる気がする天。
基本、非通知は無視を貫く彼は、不審に思いつつも『応答』を親指でタップし、恐る恐るスマホを耳に当て、
「どなたですか?」
「僕だ」
「お前かい」
聞き慣れた親友の声がした途端、無意識に張っていた緊張の糸が切れ、そんなツッコミが口をついて出た。
それ一つで他所行きの敬語が簡単に砕け散り、強張る頬が目に見えて緩み、安堵の笑みが勝手に溢れる。
非通知の相手は咲太だった。であれば非通知なのにも納得がいく。スマホを所持していない彼の電話ツールは自宅の電話か、もう一つしかないのだから。
差し詰め、公衆電話からかけてきているのだろう。どこの公衆電話からなのかは知らないけれど。
彼は今日、麻衣と念願のデートをしているはず。電話などかける暇なんてないだろうに、どうしたのだろうか。
と、非通知に対する理解と疑問が同時に浮上する天に咲太は電話越しに、
「今なにしてる?」
「夜ご飯食べ終えて、ちょっとのリラックスタイム」
「なに食べたんだ?」
「春巻き」
「お得意の母親直伝?」
「そそ。作るの得意になってきた」
「僕の分もよろしく」
「ふざけんな」
素早いテンポで軽口を交わし合いながら、天はどかっとソファーに腰掛ける。リモコンを手に取ってテレビを消音にし、電話に意識を向けながら、
「で、なに? 用があるからわざわざ公衆電話からかけてきたんでしょ」
「よく公衆電話って分かったな」
「なんとなく」
「なんとなくって……すごいなお前。実は天に頼みたいことがあるんだけどさ」
「頼みたいこと?」
電話の向こうで小さく笑う咲太の声に小首を傾げ、天は言いながら麻衣のことを頭に思い浮かべる。
現状、麻衣の思春期症候群を治すべく奔走する彼の頼みごと——少なからず、なにかしらの関連性はあるだろうと。
そんな天に咲太は改まった声色で、
「今、僕が麻衣さんとデート中なのは知ってると思うけど、ちょっと今日は帰れそうになくて」
「桜島先輩になにか? つか、お前今どこにいんの?」
「ーー。お前の口から麻衣さんの名前が聞けて心底安心した。悪いけど、詳しいことを話してる時間はないんだ。会ったときに話すから、こっちの頼みだけ聞いてくれ。あと、今熱海にいる」
「熱海ぃ!? なんで?! あ、いや、いい。今はいいとして、なにすればいい?」
口にされた内容から差し迫った状態であることを察した天は、「熱海ぃ!?」の驚愕を無理やり押し込んで指示を求める。
なにが起きたか、なにが起こっているか。まず現状を聞くのが先決だが、今に限ってはそうも言ってられないらしいと自分の中で理解して。
一度は入れた勉強スイッチを切り、なにを言われてもすぐ動けるように立ち上がる天。親友の頼み事に気合い入れる彼に咲太は「じゃあ」と、
「かえでに夕飯を食べさせてやってほしい。さっきも言ったけど、今日は帰れないから」
「春巻きの作り置きがあるから、それでいいなら」
「それでいい。むしろ、その方がかえでも喜ぶ。天の春巻きだーって、飛び跳ねるかもな」
高校入学と同時に始まった一人暮らし、それに先駆けて天は母親から家事全般の知識を叩き込まれ、春巻きはその際に教えられたものだ。
月に一度は作られていると言っても過言でない春巻き、母親の味には及ばないものの近づきつつあるそれは、梓川兄妹や颯には大好評の一品。
高校一年の秋、かえでとの関係を深める会と題して夕飯を共にしたときに振る舞ってから、「定期的に作って」と言われ、気に入られている。
作り置きしておいてよかった、と。そんなことを思う天は冷蔵庫に向かいながら、
「ん、分かった。かえでちゃんに連絡しといて」
「これからする」
「よろしく。すぐに行く、って伝えておいて」
「分かった。台所は勝手に使っていいぞ」
「りょーかい」
冷蔵庫から春巻きの入ったタッパーを取り出し、適当なところに置く天。キッチンについて言おうとしていたことを先に言われた彼は頷き、梓川家に向かう準備を始める。
電話越しにこちらの音が聞こえたのか、咲太は「相変わらず行動が早いな」と苦笑し、
「頼んだぞ」
「あい。またなんかあったら遠慮せず連絡しなよ」
「ありがとう。そのつもりだ」
今、心なしか咲太の声色が和らいで聞こえたような、そんな気がした天。
その声色が心に引っかかって準備の手を止める彼に、咲太は「それと」と前置き、
「ありがとな、天。お前が麻衣さんのことを覚えててくれて本当に安心した。また連絡する」
その言葉を最後に、電話がブツッと切れる。
公衆電話によって強制的に切られたのか、咲太自身が切ったのか、いずれにしても返答の時間は与えられなかった。
片耳にスマホを当てた体勢で固まる天。部屋に反響していた自分の話し声が消え、途端に静まり返る中、置いてけぼりにされた彼は一足遅く電話から意識を切り離し、
「んー」
シンクに寄りかかり、腕を組む。
悩ましげに喉を低く鳴らし、表情を曇らせた。
なにか、良くないことが起きている。
一、二分程度の電話で天は形容し難い危機感を悟っていた。それを悟らせるだけのものが、今の電話の内容にはあった。
胸の奥がざわつく感覚、居ても立っても居られない焦燥感、そんな感情が天の中に生じている。
麻衣の身になにかが起きたのは明白。思春期症候群絡みだとしたら、彼女がより多くの人間に見えなくなっているのかもしれない。
こちらが麻衣の名を出したときの咲太の反応が証拠。なにより、電話が切れる直前に聞いた咲太の安堵しきった声。あんな声を聞いたのは久々だ。
「大丈夫かな、アイツ」
心配だ。
麻衣のことも心配だが、麻衣のために動く咲太も心配。咲太はあんな風に見えてやるときはやる男だから、麻衣のために頑張りすぎてないだろうか。
もっとも、咲太がそれを望んでいるようだから止めはしないが。だからといって、心配しない理由にならないわけではない。
「ま、明日になれば分かるか」
気にしても仕方ない。遠慮せずに頼れとは伝えたから、なにかあればまた連絡でも寄越すだろう。
そんな風に思考を止め、天は準備の手を動かし始めた。
春巻きの入ったタッパー、サラダの入ったタッパー、二つのタッパーをビニール袋の中に入れる。
恐らくお米も無いだろうから、炊くのが面倒なとき用に常備しているレトルトのご飯も、多めに四パックほど別のビニール袋の中に入れた。
「味噌汁は向こうで作るとして、持ってくものはこれくらいでいい……よな?」
テーブルに置かれたビニール袋二つの中身を確認し、天は「うん。多分、大丈夫」と自問自答。
咲太のことだからインスタント味噌汁くらいあるだろうし、勝手に使っても怒られないはずと、ここでの用意はしないことにした。
となれば、
「おし、行くか」
テレビを消し、電源を切ったスマホをポケットに突っ込んだ天は靴下を履いてパーカーを羽織り、必要なものを片手にぶら下げて玄関へ。
靴を履き、壁のフックにかけてある家の鍵と梓川兄妹家の合鍵を手に取った。
なにかあったときのためにと、お互いに預け合っているものだ。ちなみに颯の家の合鍵もあり、三人が三人の合鍵を預け合っている形。
身なりを確認し、持ち物確認、スマホの電源が切れていることも確認。特に不自然なところはない。
電源を切っているのは、万が一着信が鳴るとかえでが怯えるからだ。
咲太との電話を終えてから即行で準備を整え、玄関扉の取手に手をかける天。
そこでふと、思った。
「……ちょっと出るの早いか?」
咲太がかえでに連絡している最中かもだから、少し時間を開けた方がいいかもしれないと思う。
が、そこは咲太のことを信じることで思いを捨て、玄関扉を開けて外廊下に出た。
出て右を向き、目と鼻の先にある扉が梓川兄妹家の入り口。移動時間は十秒もない。
一応、インターホンを鳴らす天。彼は「かえでちゃーん。天だけど、入っていい?」と声を上げると、どたどたと足音が扉の奥から聞こえてくる。
次いで「どうぞー!」と元気のいい女の子の声が聞こえたのを確認し、鍵を開けて扉を開けた。
「こんばんわ、かえでちゃん」
「こんばんわ、天さん!」
直後に見えたのは、玄関前で出迎えてくれたパンダパジャマの天使。
期待と興奮に表情を明るくしている様は、飼い主の帰りにはしゃぐ子犬みたいで、めちゃくちゃに可愛い。
年下好きで、妹属性好きで、姉か妹かと聞かれたら圧倒的に妹派な空野 天。性癖に刺さりまくるかえでの姿に心の中で癒されつつ、彼は扉を閉めて靴を脱ぐ。
かえでは脱いだ靴を揃える天、というより天が片手にぶら下げている物に目を向け、
「先程お兄ちゃんから電話があって、今日の夜ご飯は天さんの春巻きと聞きました!」
「うん。咲太のやつ、今日はかえでちゃんの夕飯に間に合いそうにないから、ってね。たくさん作ってきたから、お腹いっぱい食べていいよ」
「わーい!」
言うと、かえでが両手を大きく上げて喜び、花が咲いたような笑顔を弾けさせた。感情表現が直球なかえでを見ていると、天も自然と頰の力が緩む。
心を開いてくれるのに大変だった日々を思うとなおのこと緩み、嬉しさで変な声が出そうだから首を振って感情を整え、
「すぐ用意するから待っててね」
「はい、いい子にして待ってます!」
「かえでちゃんはいつもいい子だよ」
目をきらきら輝かせるかえでを背に、天は気合を入れてキッチンに向かった。
▲▽▲▽▲▽▲
「やっぱり天さんの春巻きは絶品ですぅ。ほっぺた落っこちちゃいます」
「そー言ってくれてなにより」
かえで一人分の用意を済ませるのに時間は使わず、言葉通りぱぱっと準備した天は、春巻きを口にするかえでの第一声に唇を綻ばせていた。
椅子に腰掛ける天。その彼とテーブルを挟んで向かいの椅子に座るかえで、彼女が春巻きとお米を頬張る様子があまりにも可愛らしすぎて。
食べるのは初めてではないのに、いつも新鮮な反応をくれる。
「あーむっ!」とアニメのように大口を開け、春巻きを食べる仕草。絶品だとばかりに「んー!」と喉を高く鳴らしてもぐもぐ——正直、これが見たくて作ってるまである。
「かえでちゃんって、本っ当においしそうに食べるよねぇ。見てて楽しい」
味噌汁を飲むかえでを見ながら、コップに淹れた茶を啜る天。朗らかに笑む彼にかえでは味噌汁を飲み込み、
「だって美味しいんですから! 何個でも食べれちゃいます! 天さんが作る春巻きは世界一です!」
そう高評価し、かえでは新たな春巻きを口に運ぶ。中途で噛み砕き、ぱりっと表面の割れる音がして、味わうかえでが「ん〜〜!」と破顔、やっぱり何度見ても可愛い。
心のシャッターを無音で切る天。かえでに『可愛い』と思った回数が千は超えてそうな彼は、
今頃、咲太はどこでなにをしているのだろうか。詳しいことはなにも聞けなかったから全く分からず、皆目見当もつかなかった。
麻衣のために頑張っていることは分かるが、肝心の頑張り方が分からない。ああ見えて咲太はやる時はやる男だから、無理とか無茶をしていないか不安だ。
明日になれば分かる。そう割り切ったものの、親友として心配せずにはいられない。
「天さん天さん」
「ん? どーしたの?」
咲太のことを案じていたところで名を呼ばれ、天は視線をかえでに戻す。かえでは休みなく次なる春巻きを口に「はむっ」と投入し、
「ほひぃひゃん、ろほにひっへるんへほうか」
「喋るのは口の中身が空っぽになったらね。咲太にお行儀が悪いって言われちゃうよ」
話したい欲と食べたい欲の狭間を往復するかえでは軽く咎められると、彼女は「ごくん」と口に含んだものを飲み込み、
「お兄ちゃん、どこに行ってるんでしょうか。どこか遠くへ行く用事ができた、と言ってましたけど。天さんは知ってますか?」
お茶を飲むかえでに小首を傾げられ、天は「そうねぇ……」と背もたれに深く腰掛けて腕を組み、少し考える。
知らないと一言で言ってしまうこともできるが、冷たい返しはしたくない。できるだけ彼女の不安を煽らないような、気の利いた返しをするのがベストだ。
となれば、
「悪いけど、俺も知らない。けど、かえでちゃんが想像するようなところには絶対に行ってないから、安心していいと思う。明日の夕方には帰ってくるんじゃないかな」
「そうなんですか?」
「そうなんです。あの咲太が、かえでちゃんを放って変なところに行くわけないでしょう。かえでちゃんは、自分のお兄ちゃんがそんなお兄ちゃんだと思う?」
「思いません!」
椅子をガタッと揺らし、食い気味に反発したかえで。兄に向ける情熱的な愛が言葉に乗った彼女に、天は「それなら大丈夫だよ」と頷いた。
かえでもそれで納得したのか、それ以上の追求はせず。代わりに「あ、それともう一つ」と思い出したように、
「お兄ちゃんから、さくらじままい? というお名前の人を覚えているか聞かれました。かえでには心当たりがないのですが、天さんはありますか?」
「ーーーー」
「ーー? 天さん?」
箸を置き、改まった様子で疑問を投げかけるかえで。右に傾げた首を反対に傾げた彼女は、目先にいる天の反応に困惑し、顔を顰めた。
当然だ。突然、呼吸すら止まっているのではと錯覚するほどに彼の体がピタリと固まり、その真顔が徐々に青ざめていくのだから。
途端、談笑の世界に嫌な静寂が訪れ、表情が凍りついた天と、彼の返答を待つかえで、二人の間に沈黙が落ちる。
その中で、時間が経つにつれて、青ざめた真顔が驚愕に変貌していく天。なにか、とてつもない事実に気づいてしまったような彼は、恐る恐るといった具合で、
「心当たりならあるし、かえでちゃんにもあるはずなんだけど……。かえでちゃん、君はそのお名前の人と会ってるんだけど、覚えてない?」
「覚えてません」
「ほんとに? 桜島麻衣って人は、知らない? どんな人だったかも覚えてない?」
「知りません」
「マジで?」
「しつこいですよ、天さん!」
ぷんぷんと怒って断言するかえでには、天が毎度のように感じる可愛さがあって。その可愛さが、彼女がいつも通りであることを示していて。
元々、嘘をつける性格じゃないことは知っているし、嘘をついたとしても隠し通せないのも知っている。
だから彼女の言っていることは嘘ではなく、本当の本当に『桜島麻衣』を忘れている。
その事実を、非情にも、無邪気な様子で天に突きつけていた。
「覚えてない、か。そっか、そっかそっかそっか。分かった分かった。うん……、分かった。ありがとう。ちょっと、トイレに行ってきます。から、食べてていいよ」
「ーー? 分かりました。でも、あとで『さくらじままい』について教えてください! 絶対ですよ!」
「う、うん。分かった分かった。教えます」
あまりの衝撃に、しどろもどろになる天。
敬語とタメ口が混ざった言葉を並べると、立ち上がる彼はかえでの熱心な追求から逃げるように、その場から足早に去った。
玄関の真横にあるトイレの扉を開け、閉める。その扉に背を預け、伝うようにゆっくりへたり込む。目を閉じ、両手で両耳を覆うと、
「落ち着け、落ち着け、冷静になれよ。大丈夫、大丈夫だから」
喉を震わせる声が、鼓膜を刺激しているのが分かる。ひどく怯えた、努めて冷静になろうと呼びかける、自分自身の声だった。
耳を覆うと、自分の体の中の音がよく聞こえる。だから天はそうして、心に平常心を取り戻させる。視界を遮断し、世界の音を断ち、自分以外の全てを除外して、声だけに意識を向けさせる。
けれど、悲鳴のように動悸する心臓の音がうるさすぎて、効果は薄かった。
「すぅ……はぁ。すぅ……はぁ」
何度も、何度も、深呼吸を繰り返す。
大丈夫、自分は絶対に大丈夫であると強く思いながら。
そうして、ある程度の落ち着きを取り戻せば、天は膝を抱え込んで体育座り。抱えた膝に額をぐっと押し当て、
「……どゆこと?」
その一言を起点に、理解を求めて思考が急激に回り始めた。
——かえでの記憶から、桜島麻衣のことが完全に消えてしまっている。
先ほどの問答からして、それは紛れもない事実らしい。三度同じ質問をして同じ答えが返ってきたのだから、認めないわけにはいかない。
なぜ消えた?
元はあったはずなのに?
どうして消えた?
予兆なんてあったか?
思春期症候群が原因なのは間違えない。それ以外の理由が考えられないし、逆にそうでないのなら別の問題が発生する。
でもそれだとおかしい。だって、これまでの症状と内容が異なるのだ。
麻衣が発症した思春期症候群、その症状は、掻い摘んで言えば『その影響を受けた人間から姿と声が認識されなくなる』ものだ。
単に透明人間状態になるのであって、記憶から消えるものではない。
「いや、それ自体が間違ってるとか?」
そこまで考えて、天は己の思考を疑った。
もし、前提から間違っているとしたら。
もし、その認識そのものが違うとしたら。
麻衣が発症した思春期症候群、その症状が、『その影響を受けた人間の記憶から消える』ものであるとするなら。
「そーいえば、咲太の電話」
不意に、数十分前の電話を思い出す。公衆電話から連絡してきた咲太との会話、その最後に彼が言い残した言葉。
ーーありがとな、天。お前が麻衣さんのことを覚えててくれて本当に安心した。また連絡する。
覚えててくれて、と。彼は言った。
あの時は気にも留めなかったけれど、よくよく考えれば変な言葉だ。単純に透明人間状態になるだけなら、その言葉が出るわけがないから。
つまり、
「姿が見えないのも、声が聞こえないのも、その人の記憶から消えてる。から? 桜島先輩の思春期症候群は、人の記憶から自分が消えるもの?」
口にして違和感。
少し違う気がする。
実際に思春期症候群の影響を受けた人間を、この目でたくさん見てきたからこそ引っ掛かる。微妙にズレているような、そんな不快感が拭えない。
理央が話した、観測理論の話。
人間の認識がその存在の有無を確定させるという、ぶっ飛んだ理論。その話に当てはめるとすると、記憶は関係しているのだろうか。
記憶から消えるだけで、透明人間になるのか。単純に忘れられるだけなら「お前、誰?」となるだけで、透明人間に繋がるとも考え難い。
記憶ではない他の何か、それが原因となって透明人間になっているのではないか。
それこそが麻衣を襲う思春期症候群の真の正体、全ての元凶、これまでの認識を揺るがす核心。
それは———。
ーー観測理論というものがある。
ーーかんそくりろん?
ーーなにそれ。
また不意に、過去の記憶が脳裏に過ぎる。まるで、堰き止められていた何かが溢れ、次々と流れ込んでくるかのように。
思い出した記憶、それは物理実験室で理央に観測理論の話をしてもらったときの記憶。
咲太が麻衣の思春期症候群の解決の糸口を求めた際、彼女は観測理論について、簡潔にこのように語っていた。
ーー極端に言えば、この世界に存在するものは誰かが観測して初めて存在が確定する……という、普通に聞くととんでもない理論。
他者に観測されることで、世界にその存在が確定する。逆を言えば、観測されない限りは確定せず、世界からは無いものとして扱われる。
この理論に基づき、透明人間状態の説明をするのであれば。麻衣は、他者の記憶から消えているのではなく、
「——他者から存在が忘れられている」
辿り着いた仮説に、天は自分で言って恐怖に震え上がった。膝を抱え込む腕に力が入り、深呼吸に焦燥感が混じる。
「しっかりしろ」と己を叱咤すると、荒ぶる精神を落ち着かせようと気をしっかり持ち、考えを進めた。
他者から存在を忘れられているから、その人の記憶から消え、姿も見えなくなり、声も聞こえなくなる——透明人間になる。
考えたくもない仮説だが、恐ろしく筋は通っていた。
存在そのものが消えるのであれば、記憶からも消えるし、姿が見えず声も聞こえないのにも納得がいく。
存在が忘れられるというのは、その人の世界から抹消されることだから。
「……マジで言ってる?」
あり得ない仮説を導き出した自分に問い、天は引き攣った笑みを浮かべた。
誤解、していたのかもしれない。
自分たちが今まで症状だと思っていたのは、その一部分に過ぎず。それに囚われ、気づくべき真実を見逃していた。
咲太はそれに気づいたから、麻衣の名前を口にした自分に対して安心した声色だったのか。
気づいた経緯は知らないが、まともな経緯じゃないのは想像に難くない。
それを知った咲太は、どれほどの恐怖を味わったのか。そして、当事者である麻衣は———。
「二人ならきっと大丈夫。咲太だってやる時はやる男だ。桜島先輩だって……きっと大丈夫」
「だから狼狽えるなよ」と。
寄りかかる扉を支えに立ち上がりながら、天は思考を切った。嫌な想像が膨らみそうになって、二人なら絶対に大丈夫だと心に言い聞かせる。
自分があたふたしたところで、意味なんてない。なんの解決にも繋がらないし、その糸口が見えてくるわけでもない。
今は、二人を信じるしかない。信じて、天自身は咲太に任されたことを全うするまで。
彼が心置きなく麻衣の思春期症候群と向き合えるように、やるべきことをやる。
それが、
「親友ってもんだ」
がんばれ、俺。
まけるな、俺。
そんな風に思いながら、天はトイレから出る。念の為洗面所を借りて手を洗い、かえでが食事するキッチンに続く扉の取手に手をかけ、
「すぅ……」
息を吸い、
「はぁ……」
吐く。
一度の呼吸で要らない感情を全て吐き出し、天は躊躇せず扉を押し開く。すると、相変わらず春巻きを美味しそうに頬張るかえでがいた。
こちらに気づいた彼女は「んっ!」と、もぐもぐする口の中で声を弾き、急いでごくんと飲み込むと、
「待ってました。それで、さくらじままいとは誰なんですか?」
「颯の架空の彼女の名前」
「颯さんにそんなお人が!?」
瞬間的に思い浮かんだ天の嘘にぎょっと目を見開き、あんぐりするかえで。
彼女の反応に「そうそう」と適当な声色で返し、天は心に落ち着きを呼びかけながら吐息。
ーーこれ、マジでどーしたらいいんだろ
桜島麻衣を襲う思春期症候群、その核心かもしれない仮説にゆるやかな焦りを感じつつ、彼はその時間を過ごしたのだった。
本編の時系列的には今は、麻衣が自分の母親にすら声も姿も見えなくなっていると発覚してから少しあと、です。小説だと、第四章の始まりのあたりにまで、この物語は進んでます。
映画が始まる前にどこまでいけるか。