ブタ野郎に親友を作っただけのお話   作:ノラン

5 / 36


終わりませんでした。次回に続きます。





ブタ野郎とバカ野郎ども④

 

 

 

「フェンスを乗り越えよう。正門と裏門は監視カメラがあるはずだから。先生の目の届かない場所から出るよ」

 

「なんか、わくわくしてくるな」 

 

「悪いことしてる気分だ、って?」

 

「そうそう」

 

「無断で出るから、明日は特別指導(特指)待ったなしだけど?」

 

「上等ォ。なんでも受けてやんよ」

 

「ついでに俺は、部活の顧問からも指導を受けると思う」

 

「どんまい」

 

「スパイク、サーブ、百本レシーブだぁ。うわぁあ」

 

 

 そんな会話をして、五時間目のチャイムを聞き流しながら、学校から無断で抜け出した二人。

 明日、クラスの担任による鬼の生徒指導が確定した彼らは、まずは必要なものを揃えるために各々の家にダッシュで帰った。

 

 必要なものは三つ。連絡手段としてスマホ、電車とバスを利用するための電子マネー(Suika)、困ったときのための財布。

 これらさえあれば、大抵のことはなんとかなるだろう。なんとかならなかったとしても、なんとかしてみせる。

 

 そんな気概で家に帰った颯。

 

 今日、彼の家には家族が誰もおらず、特に問題もなく必要なものは簡単に揃えられた。

 制服のまま行くと病院で特定されそうだからと言う天の指摘もあり、手近にある半袖半ズボンの私服に着替え、鍵をかけて家を出る。

 天との集合場所である、家から歩いて十五分程度の最寄りに一直線だ。

 

 対する天。彼には少しばかり問題があった。

 それは———、

 

 

「——今日はやけに早いな。部活は?」

 

 

 父親が、今日は休みの日なのだ。

 

 目つきが鋭く、雰囲気が尖り、やや筋肉質めな空野天の父親——家に帰った天は、それはそれは恐ろしくて堪らない思いである。

 

 白髪が混ざる黒髪オールバックの強面。龍が如くの主要キャラとして参戦していてもおかしくない顔つきな、あと数年もすれば還暦を越える厳つい阿修羅。

 中学、高校時代とガチな方でやんちゃしていた時期のある父親は、ただじっと見つめられるだけで心拍数が勝手に上がっていくほどに怖い。

 

 しかし、この壁を乗り越えなければ咲太には会えない——それだけは嫌だ。嫌だから、天は父親の前で思いっきり頭を下げ、

 

 

「俺の友達がここんとこ……一ヶ月以上もずっと休んでて……今日、ソイツの友達からその友達が結構ヤバい状況だ、って聞いて………その友達、藤沢の市民病院に入院してるって聞いて……だから、会いに行かなくちゃ、って………思いまして」

 

「………学校を抜け出してきたと」

 

「はい」

 

 

 素直に、全部話した。

 

 父親に嘘が隠し通せるほど自分は嘘が上手ではないし、父親にはどうせバレる。隠したところで無駄なのだ。

 その上、嘘をつくことに対して否定的な態度を強く見せる父親に嘘をつくことなんて、今の天にはできるわけがなかった。

 

 なんて言われるか。身構える天に、腕を組んで天のことをじっと見る父親が放った言葉は——、

 

 

「金なら出してやる」

 

「え?」

 

「交通費代。一万もあれば足りるか?」

 

 

 思わず顔を上げる天。

 彼が見たのは、引き出しの中から財布を取り出し、一万円札を一枚、中指と人差し指の間に挟んでいる父親の姿だった。

 

 否定的な言葉をかけられる。そう思っていた天のポカンとした顔に、父親は「ふっ」と優しく笑い、

 

 

「明日、ちゃんと担任に怒られてこい。この不良息子」

 

 

 と、揶揄われた。

 

 子どもの心情を、よく理解してくれる父親だった。

 今、天がどんな思いでこの場にいるのか、頭を下げているのか、全て理解(わか)ってくれる父親だった。

 父は多くを語ることはない寡黙な人だけれど、それが自分の行動を肯定してくれたのだと天には分かった。

 

 

「——行ってきます」

 

「行ってこい」

 

 

 だから天は、必要なものを肩掛けバックにぶち込み、涼しい服装に着替え、父親の言葉に背中を押されながら家を飛び出した。

 

 そして、現在———。

 

 

「藤沢まで大体十五分くらいだから……向こうに着くのは14時(2時)くらいになるね」

 

「そこからは?」

 

「今、調べてるとこ」

 

 

 最寄りの駅から電車に乗り、藤沢駅に向かっているところであった。

 電車の席には絶対に座らないマンな天の要望もあって、二人は出入り口に寄りかかりながら今後の動きを模索中である。

 

 不規則な揺れに揺られながら、天が市民病院までのルートを調べるのを横目に、颯は出入り口から見える外の景色を眺めた。

 特に、変わり映えのない景色。田舎でもないこの駅の周辺はマンションやデパートなどの建造物が建ち並び、見ていて面白みがない。

 

 どうせなら、海が見えたり大自然が見えたならよかったのに。

 そんなことを考えていると、一つの駅に電車が止まった。数秒してプシューと音を立てながらドアが開き、調べものをしていた天が危うく転びかけている。

 

 自分らが陣取るこの出入り口からは、降りる人も乗る人もいない。

 わざわざ人を避ける必要がなくてラクなことだ。

 

 

「分かったよ。颯」

 

 

 プシュー、と。

 

 開いたドアが再び音を立てながら閉まり、一度だけ大きな揺れを伴いながらゆっくり電車が動き出す。

 足裏から感じる揺れをドアに寄りかかってやり過ごす天が、自分たち以外の乗客の迷惑にならないよう、小さく声を発しながらスマホから顔を上げた。

 

 話の流れからして、病院までのルートが分かった、ということだろう。

 そう見当をつけた颯に「どうやって行くんだ?」と小首を傾げられた天は「あのね」と言葉を繋げて、

 

 

「藤沢駅の北口から出てるバスで、藤沢市民病院のバス停に止まるものがある。から、それで行く」

 

「分かった」

 

「どのバス停から乗るかも調べたから、駅に着いたら俺についてきて」

 

「助かる」

 

 

 「ん」と。

 

 天が好んで使う一文字返答が返ってきたところで、颯もまたドアに寄りかかる。

 それから、学校を抜け出してからここまでの急ピッチな動きに若干の疲労を感じ、ポケットに手を突っ込みながら深く息を吐いた。

 

 突発的に決まった今回の一件。昼休みを返上して咲太について聞き回ったせいでまともな昼食を取ることができず、流石に空腹感が存在を強く主張してるのをずっと感じている。

 お腹が、空いた。とても空いた。学校を抜け出すのに邪魔なバックは学校に置いてきたのだから、自分たちに昼食を取る時間などあるはずもなく。

 

 

「腹減った……。なんかコンビニで買うか」

 

 

 バイトもできない中学生には痛い出費だが、仕方ない。今日は、月二千円のお小遣いを削ろう。友人と多く遊んで金欠気味なのは無視する。

 

 そう決める男の横では、同じく腹を空かせているであろう天が再びスマホと睨めっこ中。

 なにを見ているのか。難しい顔をしながら、画面に表示される文字を熱心に読んでいる。

 

 そうなれば颯の話し相手はいない。

 暇になった彼は「お出口は右側です」と言う車内アナウンスに「じゃ、反対側か」と思い、壁にかけられた広告にふっと視線が誘導され、

 

 

「………桜島 麻衣」

 

「ん? なんか言った?」

 

 

 その名を、無意識に呟いた颯。

 

 低い声を鼓膜が拾った天が顔を上げると、目の前にいる男の視線が自分に向いていないことを知る。

 気になって視線を追えば、その先にあったのは一人の女性が写っている一枚の広告だ。

 

 腰あたりにまで伸びた黒髪が似合っている、とても綺麗な人だと天は思った。

 広告に写るのだから綺麗で当たり前だが、それでも一度でも見たら二度と忘れることのできない美貌だと思う。見た感じ、自分の二つか三つ上。

 

 それ以上でも、それ以下でもない。

 

 

「あの人がどうかしたの?」

 

「お前、知らないのか?」

 

 

 綺麗な人だなぁ。という感想しか抱かない天の興味のない声色に、思わずといった具合で颯が視線を天に向けた。

 向けられる視線には驚愕と困惑の二つが含まれていて、不思議に思った天が「なんで?」と小首を傾げると、

 

 

「桜島麻衣……あの桜島麻衣だぞ? ガキの頃から子役してたり、少し前は映画にも出てたり、グラビアとかもやってんだぜ? あの笑顔は、国宝と言ってもいい。俺も俺のダチも揃って、あんな彼女がいたらいいのによー、って、ひぃひぃ言ってたぜ」

 

「へー」

 

「お前、マジか」

 

 

 力説する颯に天は塩対応。

 話を右から左へ流しながらスマホに視線を落とす様は、広告という桜島麻衣への興味が完全になくなったように見える。

 

 控えめに言って、ドン引く颯だった。

 芸能界デビューをしてからブレイクまでの期間が恐ろしく短く、有名になってからはCMや映画やドラマなどにも多く出演し。

 その笑顔をテレビで見ない日はないと言っても、過言ではないのに。

 

 否、この男はそういう男だった。

 

 

「つかお前、さっきっからなに読んでんだよ」

 

 

 広告の中の桜島麻衣から視線を外し、真横にいる男に向ける颯。

 駅に停車した電車のドアが開く音を聞きながら、彼は親指のフリックが止まらない天のスマホを横から覗き見た。

 

 途端、画面いっぱいに並べられた文字の羅列が視界に飛び込んでくる。

 なにかの論文だろうか。ぱっと見ただけでも難しい内容だと理解できた。

 理解できたのはそれだけで、あとはさっぱり分からないけれど。

 

 

「難しい顔してんな、って思ってたらそういうことかよ。そりゃ、こんなの読んでたからそんな顔にもなるわな」

 

「いや。違う。そーゆー意味じゃないよ」

 

 

 自分だったら五秒で飽きる。そんな言い草の颯に天の態度はひどく重々しい。

 ドアが閉まり、電車が動き出した揺れを感じながら、天は画面上で親指を下にフリック——読んでいた記事の一番上まで戻ると、画面を颯に見せながら、

 

 

「颯。これ見て」

 

「あ? ………なんだこれ」

 

 

 スマホを見た颯が一番に目にしたのは、黒の太文字で強調された文字の羅列——でかでかと『解離性障害』と書かれていた。

 見出しのようなものだろう。学校教育の一環としてポスターを作る際、一番目立たせたいものを黒の太文字にするのは習った気がする。

 

 なぜそんな見出しの記事を読んでいたのかは不明だ。けれど、彼の読む記事が社会福祉法人によるもの、ということが分かったのは確かだ。

 

 

「で? この記事がなんだよ」

 

「咲太の友達に咲太のことを聞いたとき、あの人が言ってたでしょ」

 

 

 言った後、天は咳払い。喉の渇きを感じてきた彼は電車に乗る前に買っておいたストレートティーで喉を潤すと、

 

 

「咲太が『かいりせいなんちゃら』とか『思春期なんとか』って言ってて、話してる意味が分からない、って。だから、気になってググってみた」

 

 

 「そしたら、『かいりせいなんちゃら』の方だけが見事にヒットしました」と。

 

 そう言った天の表情は、あまりいいものとは言えない。

 それは、咲太が学校に来なくなってからよく見るようになった、辛さを必死に押し殺したようなものだ。努めて真顔を作っている。

 

 一体、天はなにを読んだ。自分が空腹というくだらないことに意識を向けている間に、彼はなにを知ってしまった。

 そんな疑問が頭の中に浮上した颯に、スマホをポケットの中に入れた天は言った。

 

 

「解離性障害——簡単に言うと、それまで『自分』と認識してたものが『自分』だと思えなくなっちゃう……心の病らしい。記憶が無くなっちゃう症状がその一つとしてあるっぽい」

 

「………どういう意味だ?」

 

「全く分かんない」

 

「分かんねぇのかよ」

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 そこからの移動はスムーズだ。

 

 予定通り十四時頃に藤沢駅に到着。北口の改札を潜ってバスターミナルに出たら、出発直前の藤沢市民病院のバス停に止まるバスに駆け込み乗車。

 

 初めて見る藤沢の街並みに「おぉ」と声を漏らしながら楽しそうな颯と、『思春期なんとか』を黙々と調べる天の二人は、二十分ほどつり革に掴まって、目的の場所についた。

 

 そして、

 

 

「でかいね」

 

「でかいな」

 

 

 目の前に聳え立つ、白い建物にあんぐり状態。

 

 十階以上もあるのではと思わせる、高層で規模のある病院。

 敷地の広さとしては自分らが通ってる中学校よりも広大で、その土地をふんだんに活用する病院もまた中学校のそれを余裕で越えている。

 右を見ても左を見ても上を見ても、病院の外壁を塗装する白色しか見えず。この建物だけがこの地域で一際目立っていた。

 

 これが藤沢市民病院。

 

 藤沢で一番大きな病院。

 

 

「ここに咲太がいる。行くぞ」

 

 

 圧巻の光景に立ち尽くす己の頬をパチンと叩き、気を引き締める颯が歩き出す。

 ごくりと生唾を飲み込んだ天が、その背中を「うん」と頷きながら追いかけた。

 

 自動ドアを通ると、二人を初めに出迎えたのは中央に『総合受付』と書かれた受付所。正面、かなり奥の方で受付の女性が四人ほど、対応に追われている。

 

 一階の内装としては他の病院と比較して変わりはない。

 見舞いに来た人、診察に来た人などが集まる一階ラウンジには長椅子が等間隔で配置され、人がまばらに座っている。

 とはいえ、一番大きい病院なだけあって流石に広い。配置された椅子の量は十を越え、ぐるりと見渡してその広さが実感できるというもの。

 

 その内装を横目に、受付所へ一直線の二人。天が受付のお姉さんをガン見しながら歩いたので、カウンター越しにお姉さんの意識がこちらに向いたのが分かった。

 

 

「俺が話す。お前は黙ってろ」

 

「おう」

 

 

 その言葉を交わしたのを最後に、二人は受付カウンターに到着。

 先ほどバスの中で『藤沢市民病院 面会の仕方』と真面目に面会のやり方を調べていた男に全てを委ねる颯の視線を背に、天は話し始めた。

 

 

「すみません。ちょっといいですか?」

 

「はい。本日はどういったご用件で?」

 

「この病院に梓川咲太という名前の人が入院してると、彼のご両親から聞いて来たのですが」

 

「面会ですか?」

 

「はい」

 

「でしたら、お名前を教えてください」

 

「僕は空野天です。この人は神崎颯。梓川咲太の友人です」

 

「分かりました。少々お待ちください」

 

 

 テキパキと言い慣れたお姉さんの定型文に、淡々と嘘をついた天。

 時間にして十秒もないやりとりが終わると、受付のお姉さんが二人に背を向けてどこかへ行ってしまった。

 

 聞いた颯が一瞬「え? そんなこと聞いたか?」と聞きそうになるほど自然で、あり得そうな嘘。

 真顔の仮面を顔面に貼り付ける天に、颯はくつくつと笑いながら、

 

 

「お前、その嘘いつ考えたんだ?」

 

「バスの中で。知人が入院してるか教えてくれるか、って質問に、個人情報保護の観点から教えいたしかねます、って書いてあったから」

 

 

 なら、初めから知ってることを前提で話を進めた方が得策だと天は考えた。

 一発目から転ぶわけにもいかないし、咲太がこの病院に入院してると聞いたのはあながち間違ってもないし。

 咲太の友人から聞いたか、ご両親から聞いたかの違い。大した差じゃないだろう。多分。

 

 

「嘘は得意じゃないけど、頑張ったよ。違和感なかった?」

 

「ったりめぇよ。俺ですら騙されそうになったぜ」

 

「お前が騙されてどーするんだよ」

 

「まぁ、そう言うなって」

 

 

 「よくやった、友よ」と親友のファインプレイを素直に賞賛する颯。

 彼は自分が話さなくて良かったと思うと同時に、コイツがいて良かったと心底思う。

 

 自分ならどうしていただろうか。一番初めの時点で咲太が入院してるか聞いて一発アウトな絵面しか想像できない。

 面会の仕方も調べないし。バスの時間も調べない。行き当たりばったりでドタバタになるはず。

 

 それ以前に、病院に来る発想にすらならなかったかもしれない。だって、ここに来るきっかけを作ったのは自分の前にいる男なのだから。

 

 と、

 

 

「お待たせしました」

 

「はい」

 

 

 カウンターに帰ってきたお姉さんの姿を見た途端、真顔の仮面を被る天。

 親友と戯れていた感情をばっさり切り落とす彼には気づかず、受付のお姉さんは手に持った一枚のカードと黒のボールペン、二つのバッジをカウンターに置くと、

 

 

「梓川咲太さんから面会許可が確認できましたので、こちらの面会者カードに梓川咲太さんのお名前と病室番号をご記入の上、こちらの面会バッヂをお付けください」

 

「分かりました」

 

 

 頷き、ボールペンを取る。

 

 左手でボールペンを握る天が学生証と同じ大きさのカードに『梓川咲太』と丁寧に書き、受付のお姉さんから教えられた病室番号もゆっくり書く。

 その横から颯の腕が伸び、お姉さんに視線で「あなたも付けてください」と言われたような気がした彼が胸にバッジを付けた。

 

 このとき、二人は言い表しようのない安渡感を覚えていた。心の中でつっかえていた異物が消えたような、爽快感を感じていた。

 

 それはきっと、咲太がここにいるという実感が持てたからだと思う。

 ずっと、心配していた。ずっと、気になっていた。そんな友人の顔がやっと見れる——そう思うと、ボールペンを握る手が少しだけ震える天だった。

 

 緊張、してくる。

 

 

「……書けました」

 

 

 「ほっ」と一息。

 

 理由の分からない緊張感に息を吐き、天はボールペンをカウンターに置く。

 それからバッジを胸につけて、受付のお姉さんの顔を見ると、お姉さんは右手にあるエレベーターを示していた。

 

 

「では、あちらのエレベーターから上の階に。到着しましたら、ラウンジの受付の者に面会者カードをご提示してください。病室では寝ている方もいますので、お静かにお願いします」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 

 一礼。受付のお姉さんに軽く頭を下げ、天は体をエレベーターの方に向けて歩き出す。

 その横には同じく一礼した颯が続き、体ががちがちになりつつあった親友の背中を優しくさすっていた。

 受付から見守るお姉さんには、さぞ仲良しな二人組に見えることだろう。

 

 

「大丈夫。緊張してないよ、俺」

 

「バカ言え。頬が固まってるぞ」

 

「うるせぇよ」

 

 

 実際、仲良しで間違っていない。間違っていないからこそ、天は雑な言葉を吐いて背中をさする手を荒っぽく振り払う。

 

 気遣いは結構。この程度の緊張感など今に始まったことじゃないだろう。

 自分はただ、友達に会いに来ただけだ。一ヶ月以上も顔を合わせていない、何かまずいことに巻き込まれている友達の顔を、見に来ただけだ。

 

 それだけだ。

 

 

「何階だ?」

 

「七階」

 

 

 手を払われたことには何も言わず、颯は言われた通りに『↑』の記号が書かれたボタンを押す。

 押すと、閉ざされた扉の奥からエレベーターの動き出す音が聞こえて、エレベーターの現在位置を示す表示が『8』から『1』に向かって降りてきた。

 

 

「咲太と、どんな顔して会おう」

 

「普通に会えば良いんじゃね?」

 

「会えるの?」

 

「会えるだろ」

 

 

 まだ僅かに緊張の色が残る頬を固くしたままの天に、颯はひどく落ち着いている。

 面会者カードを握る指に力が入る隣の男と違い、胸に付けた面会バッジを弄る余裕すらあった。

 

 

「いつも通りの俺らでいる。これが一番だ」

 

 

 「いいな?」と今度は背中をバチンと叩き、開いた扉からエレベーターの中に入る颯。

 天が叩かれた勢いそのままエレベーターの中に入ると、彼は『7』の数字が書かれたボタンを押し、『閉』の一文字が書かれたボタンを押してドアを閉めた。

 しばらくすると、エレベーターが上昇を始めて体に微弱な重力がかかる。

 

 話は天がしてくれたから、それ以外のことは自分がやる。その意志を行動で示す彼は、それ以上は何も言わなかった。

 今の一撃に言いたい言葉は込めた。伝わってるかは置いておくとして、自分的にはそれで満足するとする。

 

 

「ーーーー」

 

「ーーーー」

 

 

 静寂の空間。

 

 エレベーターの稼働音がやけにうるさく感じる世界には、誰の声も響かない。

 斜め上を見上げ、腕を組んで現在の階数を示す表示を眺める颯も。

 斜め下を見下ろし、腕をだらりと下げて床を眺める天も。

 

 二人とも、黙っていた。どちらからも話しかけることがなく、エレベーターが目的の階に到着するまでの十秒にも満たない時間は、恐ろしく静かだった。

 

 その時間も、すぐに終わる。ピンポーンと七階に到着したエレベーターから音が鳴り、「七階です」と音声が聞こえると、扉がゆっくり開いた。

 

 

「行こっか」

 

「おう」

 

 

 初めに足を動かしたのは天——それ一つで彼の横に並ぶ颯は、彼が大丈夫であると理解した。

 それができるのなら天は大丈夫。踏み出す足に躊躇は感じられず、一歩一歩進む様子に迷いは感じられなかった。

 

 エレベーターを出て、咲太がいる病室の前にラウンジの受付カウンターに行く二人。

 一階のお姉さんの話では、面会する前に面会者カードを見せる必要があるらしい。

 

 

「あの、すみません。これ、お願いします」

 

 

 ここまでは調べてなかった天。なにをどうしたらいいか分からなかった結果、とりあえず面会者カードをカウンターに置いた。

 カウンターにいた受付のおばあさんは「はいはい」と優しい声で確認すると、

 

 

「702号室……梓川咲太くんに会いに来たお友達かい?」

 

「はい。そうです」

 

「そうかい。あの子、ちょっと不安定だから気をつけるんだよ」

 

 

 すっと、颯と天の目が細まる。

 

 言葉に反応して細められたそれには、微弱ながらに敵意が宿っていた。

 気をつけろ——咲太のことを危ない人だと思っているような言い方な気がして、なんだか引っかかるものがあったのだ。

 

 しかし、それをここで指摘しても騒ぎになるだけ。少しでも早く咲太に会いたいのが心情だ。

 だから、この胸のもやもやは自分の中で処理しておくとして、天は受付のおばちゃんに一礼、颯は何もせずにカウンターから離れた。

 

 

「アイツ、咲太のこと……」

 

「うん。分かってる。分かってるけど、無視しよう。悪気があって言ったわけじゃないと思うしさ」

 

 

 友人の悪口に対して敏感な颯が拳を軽く握りしめ、天が息を吐いて肩に入った力を抜く。

 天はそれで気持ちを上手く切り替えたようだが、「悪気があってたまるかよ」とポケットに手を突っ込んだ颯は感情が薄く漏れていた。

 

 尚のこと、咲太のことが心配になる二人。

 『病院送り』だったり『解離性障害』だったり『思春期なんとか』だったりと、自分たちの友人の身に、この短期間で一体何が起こった。

 

 分からない。だからここに来た。

 

 全てを確かめるために、ここに来た。

 

 

「702号室。うん。ここだ」

 

 

 ラウンジを出て、咲太の病室に着くには三十秒もかからない。

 気持ちの整理をしているうちに、二人の足は咲太がいる病室の前で止まっていた。

 他と変わりのない、灰色の扉。けれど、なぜか二人にはその扉が別世界への入り口に見える。

 

 心のどこかで緊張している証拠だ、気を引き締めろ。そんな風に首を横に振り、天と颯は自覚のない緊張感を振り落とした。

 迷い、怖がる必要などない。ここで停滞すればそれだけ心に躊躇を与えることに他ならないのだから。

 

 天は、ドアノブに手をかけ、扉を開き———、

 

 

「——咲太」

 

 

 その名前を本人の前で言ったのは、本当に久しぶりだ。

 なのに怖いくらい口に馴染んでいて、自分が思った何倍もすんなり言えた。

 

 咲太の世界に、足を踏み入れる二人。

 静かに扉を閉める天を横目に、少し先に颯が歩み寄る。

 

 ——数歩先にいる、大きめの寝台に座った、梓川咲太に。

 

 

「久しぶりだな、咲太」

 

 

 扉が完全に閉まり、外の世界と切り離された世界に、颯の声が響く。

 決して大きな声ではなかった。他の病室にいる患者を気遣った、小さな声だった。

 けれど、しんと静まり返った病室には強く反響する颯の低い声。

 

 誰一人として聞き逃すはずがない。この世界にいる全員の鼓膜が、その声に振るわされていた。

 

 だから、

 

 

「…………おう。久しぶり」

 

 

 二人は、やっと咲太の声を聞くことができて嬉しかった。

 それが、二人と一人の再会を証明する、なによりの証拠であったから。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。