「許可が出たんですか? 中性子爆弾使用の?」
阪神根拠地隊――――呉鎮守府最後の根拠地である阪神基地は、兵庫県神戸市東灘区、六甲アイランドのほど近くにある。
大阪湾や播磨灘の監視の他、都市部に近いという立地から軍広報の目的で一般開放されることも多かったこの基地は、第七〇一陸戦大隊の司令部としての機能を辛うじて残していた。
既に一個中隊を残すのみとなった大隊であるが、部隊としての体を維持するためには司令部、そして指揮官が必要である。故に自身が陸戦大隊を指揮できる階級にない飯田望海軍大尉は阪神基地へと定期的に足を運ぶのであるが、その日彼女にもたらされたのは、まさに『凶報』と言うほかない報せであった。
「そうだ、我が軍がこれまで実施してきた一連の対処行動は自国国民の命及び財産を守るためのものであった以上、領内への核攻撃は禁忌とされてきたが……知っての通り航空種の跳梁跋扈により、方針転換を図らざるを得なくなった格好だ」
そう飯田大尉へ淡々と告げるのは加藤海軍大佐。第七〇一陸戦大隊の指揮官である。
「驚いたか?」
まさに茫然自失といった様子の飯田は、どうにかして意識を引き戻すと加藤大佐の問いかけに答える。
「信じられません。ですが、皇土に中性子爆弾……核兵器を投ずるというのならば、それ相応の
それで、我が中隊は何をすればよろしいのですか。飯田の示した反応は従順といえばそれまでだが、端から見れば思考放棄以外の何物でもない。加藤は苦い笑顔を作ってみせた。
「大尉。兵卒ならばその姿勢は立派だが、指揮官としては稚拙に過ぎるぞ。指揮官なら、命令に疑問と不服を持ち、服従しろ」
「大佐、お言葉ですがただいまの発言は危険思想を含んでいるかと思われます。お取り消し下さい」
飯田の反応を加藤は鼻で笑った。
「なに、こちとら戦前からの鼻つまみ者。その点飯田は模範的でいいが、模範的な人間は出世しない」
少しは私を見習って見ろ。そう言う加藤は、女性でありながら大佐まで、それも九〇〇〇トン級の巡洋艦艦長まで登り詰めた人間だ。同様に女性士官である飯田が見習うべき点はあるかも知れないが、飯田はそれが今だとは思わなかった。
「まあいい、ともかく私はこういう決定が大嫌いでね。そもそも領海領空の外だからと言って自国の経済水域に核を放つのもいけ好かなったが、今回は格別だ。必ず死人が出る」
「ですが大佐。中国地方の避難は大半の地域で完了しています。投入先次第では、犠牲は出ないものと愚考しますが」
飯田のその言葉をも、加藤は鼻で笑う。
「なんだ、貴様は推進派なのか? そもそも考えて見ろ、避難が完了しているのならば、なぜ今日まで中性子爆弾は投入されなかったんだ?」
皇土云々とは言わせんぞ。そう加藤に促されて、飯田は躊躇うことなく口を開いた。
「中国地方のどこか……広島にでも、陸棲型が定着しましたか」
「ご名答、流石は主席だな。立派な脳みそを持っている」
「お言葉ですが、私は二七位です」
「だが二六位より上は皆死んだ。ならば、今は貴様が主席だ」
まあ、そんなことはどうでもいいんだ。そう言いながら加藤は地図を広げた。瀬戸内海を映し出した海図には、機雷や閉塞船の設置箇所が事細かに示されている。数ヶ月前の瀬戸内海侵攻では、これらの障害物が『やつら』の侵攻を一分一秒ずつ遅らせたのだ。
「まず大尉の予想はほとんど的中している。広島県広島市に連中の陸棲型が姿を現したそうだ」
「やはり、広島ですか」
飯田は
太田川により形成された沖積平野である広島平野は、敵対的危険生物の上陸に適し、なおかつ十分な水が確保できる。さらには広島は交通の結節点であり、中国地方の支配を確立するのには欠かせない場所。ここに陸棲型が定着し、砲撃や航空種を放ち始めた日には、中国地方はおろか関西全域が危険域となる。
「既に兵庫まで後退した陸軍の砲兵では手が出せない。奴さんは悠々と太田川を遡上し、適当な場所に腰を下ろすだろう。ほんの数年前、連中に知能はないと断じた学会に見せてやりたいよ」
そう冗談めかして言って見せてから、加藤は地図上に横たわる『広島』の文字を指で叩く。
「これまでの戦訓から、陸棲型に
そこで一度切られる加藤の言葉。飯田がそれを継ぐ。
「前者は広島周辺が既に抑えられていて、十分な量の毒素を輸送する手段がないため不可能。後者については九州の時ほどの戦力が確保出来ない以上、実施は望めない……」
通常の手段ならば。付け足された言葉に、加藤は頷く。
「だから、我が軍は
これで我が国は、世界で『
「……到底、許されるとは思えません」
「そうだ大尉。私はその言葉が聞きたかったんだ」
加藤は一枚の紙を飯田に手渡した。
「これは?」
「私が舞鶴に上申した今日の
飯田は紙に踊る文字列に目を通す。
「『
「空軍が行う今回の核投下作戦の名前だ。山陽地方と
空軍は操縦士が死ぬばかりで、三流詩人は生き残るらしいな。加藤のせせら笑いを聞き流しつつ、飯田は文字を追う。
「核兵器の投入の前に、少数戦力による陸棲型への威力偵察を敢行し、可能ならばこれの無力化を図る……お言葉ですが、大佐は九州での戦訓を理解されていないようです」
「理解しているとも、だからこそ通る。栄光ある帝國が、陸棲型の危険生物を見ただけで核をぶっ放すなど許されると思うか?」
単純な話だ。核はあくまで最終段階でなければならない。
「この威力偵察部隊は全滅が前提、と?」
「そうだ」
「大佐……!」
反射的に拳に力を入れた飯田。宥めるように加藤は肩を竦める。
「まあ待て大尉、私も大量殺人鬼に進んでなろうとは思わない。確かに威力偵察を行った部隊は全滅するだろう。だがそれは通常の部隊に限った話だ。違うかな?」
「我が七〇一二中隊は変則編成であり、そもそも陸戦隊には支援火力が充実しておりません。正規の中隊よりも戦力としての評価は低いものであると言わざると得ないかと」
「そうだ。だからこそ上は捨て石にすることを認められる。変則一個中隊、精々が歩兵二個小隊程度の戦力、喪っても痛くはないからな――――ここまでは兵棋を地図に並べた時の話だ」
現実問題、中隊は陸棲型に勝てるか?
「勝て、そうお命じ下さい」
飯田の言葉に、加藤は今日初めて――――口角を吊り上げた。
「雨、か。最近は多いよな……」
福ちゃんが呟いたのは、射撃訓練の後、八九式の手入れをしているときだった。新聞やテレビでは『六甲事件』と呼ばれているあの日から数週間。この中隊に来たときには咲いていた桜も散って、私もすっかりこの場所に馴染んできていた。
「そうだね。もう梅雨入りしたんだっけ」
ぽつぽつと大粒の雨が屋根を叩く。その音を聞きながら、私は福ちゃんにそう返す。私たちが頑張って最前線を押し上げても、梅雨前線は構わずやってくる。梅雨入り宣言は昨日のこと。
「梅雨かぁ……」
どんなに敵対的危険生物が攻めてこようと、私たちがそれを食い止めようと、地球の回転を止めることは出来ない。今年も小笠原暖気団の勢力が強まって、梅雨が過ぎれば、夏が来る。
「でも、梅雨が終われば夏だよ? 福ちゃんはなにしたい?」
「夏か……別にあたしは」
「まーたそんなこと言っちゃって。海とか行きたいよね」
「軍曹がそう言うなら、いいぞ」
「……」
「な、なんだ?」
「ねー福ちゃん? 今は二人っきりだよ?」
「分かったよ……美佳姉さん」
これでいいのか? と言わんばかりに私のことを見てくる福ちゃん。前はもっと恥ずかしがってくれていたような気がするんだけれど、慣れてしまったのか顔色一つ変えずに姉さんと言う。
私としてはちょっと物足りないけれど、まあ仕方がない。
「おーい、護郷隊のねーちゃん居るか?」
聞き慣れた声が聞こえる。というか、私をそんな風に呼ぶのは中隊の中でも一人だけ。
「あれ、大野ちゃんどうしたの?」
大野ちゃん。大野洋子は第一小隊第一分隊一班の中でも特に元気な子。悪戯っ子でいつも飯田大尉を困らせている子だ。
「今日はなー。ねーちゃんにプレゼントがあるんだよっ!」
そう言いながら大野ちゃんが近づいてくる。両手を背中に回しているあたり、何かを隠しているのだろう。
「なあに? 今度は油虫でも捕まえたの?」
「それはな……ジャジャーンッ!」
大野ちゃんが手を差し出すと、そこには丸っこい白いの。
「これって……」
「てるてる坊主か」
福ちゃんが言う。確かにてるてる坊主だ。大野ちゃんから受け取る。どうやら白い布で作ったらしかった。
「そうなんだよー。今日二小隊の奴らが作っててな! 私らも作ろうって事になって
紗那、というと伊藤紗那ちゃん。この班のとりまとめ役。頑張り屋さんで、おっちょこちょいな子。
「もう洋ちゃん、まだ完成してないのに……あ、月刀軍曹」
噂をすればなんとやら。伊藤ちゃんがやって来た。ぷりぷりしている様子を見ると、また大野ちゃんがなにかしでかしたらしい。
「お疲れ様。どうしたの?」
「お疲れ様です。はい、その洋ちゃ……大野を呼びに来まして」
「はいはい。いるよ」
私が身体を避けてあげると、後ろに隠れた大野ちゃんが現れる。
「うえー。ねーちゃんのケチ……」
「紗那が入ってきた瞬間隠れる洋が悪いな。うん」
「福まで言うことないじゃんかよー」
そう文句を言いながら伊藤ちゃんの前に出る大野ちゃん。伊藤ちゃんは両手を腰に当てると大野ちゃんへと言った。
「洋ちゃん。ほら、これも付けてあげないと完成しないよ」
そう言いながら何かを手渡す伊藤ちゃん。どうやら大野ちゃんを怒りに来たわけではないらしい。その証拠に、大野ちゃんの顔が晴れる。それから振り返って言った。
「そっか、忘れてた。ねーちゃん、ちょっとそれ返して!」
「え? いいけど……」
言われるままにてるてる坊主を返す。大野ちゃんは背を向けて伊藤ちゃんとあーでもないこーでもないとごちゃごちゃ。
「なにをやってるんだ……?」
首を傾げる福ちゃん。私にもさっぱり分からない。
「さあ……まあ、伊藤ちゃんが一緒なら大丈夫だとは思うけど」
「よしっ、出来た! ジャジャジャーンッ!」
改めてお披露目されたてるてる坊主には、ちょこんと毛糸。
福ちゃんが首を傾げる。
「それは……なんだ?」
「髪の毛!」
自信満々に応える大野ちゃん。福ちゃんは髪の毛が乗ったそれを受け取ると、まじまじと見つめた。それから私を見る。
「軍曹。てるてる
「えっ……それは、どうなんだろう?」
確かに無い。というか、てるてる坊主にこんなに髪の毛を乗っけてしまったらソレはもう
「細かいこと言うなよなー。福もねーちゃんも禿げてないんだし、これでいいんだよ」
「私?」
そう言われて改めて見ると、なるほど。この長い毛糸が付いている方が私で、短い方が福ちゃんなのだろう。
「皆の分も作ったんですよ!」
伊藤ちゃんが自慢げにそう報告する。
「そっか。可愛いね、ありがとう」
「はい! 可愛く出来ました!」
福ちゃんは未だに不思議そうにてるてる坊主を眺めている。
「しかし、てるてる坊主は坊主だから晴れるんじゃないのか?」
「それは……違う」
と、またまた別の声。この声は
「中国の伝説……晴娘が、由来」
「へぇーそうなのかー! 知らなかった!」
大袈裟に驚く大野ちゃん。さっきまで福ちゃんと八九式の訓練をしていたのに、いつの間にか班員の殆どが集まってきてしまっていた。雨だから皆退屈なのだろうか。
これだけ集まったと言うことは……私は視線を泳がせて、校舎の出口にそっと隠れた影を見つける。
「ほら、松前ちゃんもおいで」
「は、はい……」
松前ちゃん。引っ込み思案なところがあるけれど、芯の強い子。班の殆どは拳銃を使うけれど、この子は拳銃ではなくて短機関銃を使う。欧州系の亡命軍需企業が作った機関銃だというそれは、福ちゃんや私の使う八九式よりもずんぐりとした作りで、雨あられのような九
戦いの場では、結構やる子なのだ。でも今は、一人の臆病で繊細な女の子。
「松前ちゃんも作ったのかな?」
「はい、これです……可愛い、ですか?」
そう言って差し出されたてるてる坊主にも、他のと同じように髪の毛に見立てた毛糸が乗っていた。これは松前ちゃんの髪だ。
「うんうん、可愛く出来たね」
こんな感じで、私は一班の子達とよく話すようになっていた。食事も一緒に取るし、私が飯田大尉と行動を共にする都合上訓練や作戦も一緒。こんな風に楽しく過ごしていてもいざ『やつら』の前に立てばとてもよく戦う子達。
私がこの中隊に来たばかりの時、姉さんはこんな風に懐かれていたんだろうか。だとしたら、なるほど満更でもない様子だったのは納得だ。
「折角これだけ沢山てるてる坊主作ったのによー。全っ然、晴れそうにないよなー」
どんよりと灰色でかき混ぜた空を見上げてそんなことを言う大野ちゃん。晴れるも何も、梅雨は始まったばかりだ。
「そんなすぐに晴れるわけないよ洋ちゃん。こういうのは毎日お祈りして晴れるモノなんだから」
「中隊全員で作れば……晴れるかも?」
知った風に言う伊藤ちゃんに、なんの根拠もないことを言う仁田ちゃん。福ちゃんはてるてる坊主云々に懐疑的なようで、八九式の手入れを始めていた……もしかして妬いてるのかな? 私がそっと福ちゃんの膝を叩いてあげると、顔を逸らされた。悲しい。
「本当に……早く、梅雨が終わると良いね」
私はそう言う。本当にそうだろうか。
「はい。終わったら夏ですもんね!」
伊藤ちゃんが楽しみだと言わんばかりに言う。本当に?
「てるてる坊主……いっぱい作りましょう」
自分のてるてる坊主を抱えながら言う松前ちゃん。お祈りは沢山すれば叶うわけじゃないというのに。
「おぉーそれいいな! てるてる中隊作ろーぜ!」
そういう大野ちゃん。確かにこの班は今日まで構成員を変えることはなかったけど、中隊の構成員はどんどん入れ替わっている。
「てるてる坊主、福と軍曹も、作りませんか?」
仁田ちゃんがそう言う。それは福ちゃんが皆の輪に入れるようにするための、配慮なのかもしれない。
「そうだね……福ちゃんはどうしたい?」
多分これが、きっと平和ってものなんだろう。
でも私は、知ってしまったから。知っているから、目の前で楽しげに今を生きる彼女たちが、儚げに見えてしょうが無いのだ。
「――――分かった、じゃあ。教えたげる」
そう、あの夜。六甲アイランドの目の前。燃えさかる人口島を背景に、姉さんは拳銃を抜いた。
「『やつら』のこと。そして私たち第七〇一二陸戦中隊の
そしてその拳銃を――――自身のこめかみに当てる。
「姉さん……逃げるんですか?」
「別に深い意味はないさ。自害する時は腹を切るし、本気で拳銃自殺を図るなら口に咥えるべきだ。頭蓋骨って意外と硬くてね、外から撃つと極まれに弾丸を跳ね返しちゃうのよ」
いつものようにぺらぺらと知識をひけらかす姉さん。
「そんなこと聞いてないです。なんで拳銃を構えるんですか」
私がそう言ってさらに詰め寄ると、姉さんは降参した犯人みたいに拳銃を上に向けてひらひら振って見せた。
「悪かった悪かった。ちょっとばかし、美佳の本気を確かめたくてね……本当に知りたいのか? 後戻りは出来ないぞ」
「いいんです。どうせ、私は『リスト入り』……突発性反社会的人格障害の該当者ですから」
そう言えば、姉さんは小さく笑った。
「分かった。じゃあ話してやろう。とはいえ……」
それから周囲を見回すと、歩き出す。私は後に続く。
「……ここじゃ場所が悪い、少し歩くよ」
「分かりました」
私の返事は、姉さんにはどう聞こえたのだろう。
「念のため言っとくけど、美佳だから話すんだからね? 美佳というか月刀家、それも飯田に近しい月刀の人間だから話す」
「分かりました」
もう一度同じ調子で言うと、姉さんは困ったように言う。
「……もうちょっと柔らかくなってよ。美佳」
「姉さんが望むなら。でも――――大変でしょう?」
「そっか、美佳が重荷に感じちゃうなら仕方ない」
私は別に、なんて言わない。多分今の言い方が、姉さんにとっては誇りを傷つけない最大限譲歩した言い方なのだろう。
「なんの話が良い? アンタのことだ。どうせ全部聞きたいんだろうけれど、まずは気になることから話そう」
「それじゃあ『リスト入り』について」
「アンタがなんで、『リスト入り』を食らったのか、かな?」
そう。そこだ。おかしなことだとずっと思ってたし、おかしいってお母さんも姉さんも言ってくれた。でも私はどこか諦めてて、だから深く考えたりはしなかった。陸軍の人がそうだと言うんだから、きっと『そう』なんだろうって。
でも、考えれば考えるほど、おかしい。
「私は、変になってません」
自分で言うのも何ですけれど。そう言えば、姉さんは頷く。
「いや、美佳の自己分析は正しい。私も美佳が精神に異常を来しているとは思っていないし、その兆候も現状見られない」
和田さんもそう言ってる。姉さんはそう続けた。やっぱり、私のことは観察してたんだ。でも不思議と、怒りは起こらない。
「『リスト入り』は汚染だ、そう言ったわよね?」
「はい、言いましたね」
「『やつら』に汚染されることで頭がおかしくなる。『リスト入り』してしまう。そこで『リスト入り』を感染症として考えてみよう。感染源は海の底、
「『リスト入り』が……深海由来の病気だと?」
「実際のところは知らないけどね。あくまで例え話として聞きなさい……それで美佳、これは保健でやったと思うけど、感染した人間はどうなる? 即座に発症する?」
「いえ、感染直後はなんともなくて、その後体内で病原体が増殖することによって発症……つまり、私たちは潜伏期間だと?」
『やつら』が運んできた何らかの
「違う。あんたらが潜伏期間ってことは私は常に背中を撃たれるリスクと戦うことになるわよ? そしてその理屈なら、体内の病原体が増えてない時点で検査で引っかかる訳ないじゃない」
ないない。そう手を振る姉さん。
「それは、確かにそうですけど」
「だから勘違いしないで。『リスト入り』が感染症だというのは例え話であって、実際にはそんな簡単な話じゃない……ただ、既に『感染』したか否かを判断する科学的基準は存在する」
ああ、その数値が何かは聞かないでね。知らないから。と姉さん。別に私も聞く気はない、そんなことはどうでもいい。
「とにかく私は、その基準に達してしまったと」
「そういうこと」
「でも、発症まではしなかった」
「その通り、なんせ感染と発症は別物だからね。保菌者とかいうんだっけ? 感染しても発症しない。発症しないから気付けなくて、どんどん病気を周りに広めてしまう」
「だから『リスト入り』と判断したら、隔離」
そして――――処分。まるで家畜の感染症対策のよう。
「そそ。ここまでは問題ないわね?」
私は頷く。姉さんは続ける。
「では、次の問題だ。美佳は例え話でいうなら感染はしているけれど発症はしていないことになる。では発症とは?」
「……言語能力の低下もしくはコミュニケーション能力の喪失、記憶の混乱に三次元感覚の喪失も確認されている、でしたっけ」
「それ、厚労省のホームページ?」
「はい、今さっきスマホで……でも、他にもあるんですよね?」
「当然だ。まずは加古川の時に見せた彼女たち、つまりウチの中隊のように特殊な体質……顕著な身体能力の向上が見られた。この話はしたわよね」
「人格障害は副作用であって、本質ではない。とも」
「そうだ。現状『リスト入り』の『症状』として認識されているのは副作用の方だ。ところで美佳、なんで薬や手術には副作用なんて言葉があるんだと思う? それは何を意味するんだ?」
「意図しない作用や効用、ですよね?」
姉さんは満足げに頷く。
「そうそう、つまり都合の悪い部分を全部ひっくるめて副作用と呼ぶわけだよ。逆に有用な部分を本作用とか呼んだりもする」
都合のいいものだよね。人間に悪いことは全部副作用として扱ってしまうわけだ。姉さんを見ながら、私は次の言葉を待つ。
「あの時私は、『リスト入り』の本質は身体能力の向上、つまるところ『身体の変化』だとした。では副作用とはなんだろうか。連中と戦う上で身体が強くなるのは望ましいことだ。だからこれは本作用、すると副作用というのは……」
姉さんが言葉を止める。私は姉さんの望むままに言葉を継ぐ。
「『精神の変化』。さっきの話でいうとことの……『発症』」
「と、まあこういう具合になるわけだ」
「……」
姉さんの話は、分からない訳ではない。
でも、分からないことだらけだ。
「何が違うんですか? 大須中尉もおかしくなったし、近衛師団もおかしくなった。でも私たちはおかしくなってませんよね? それとも……私たちはもうおかしくなってるんですか?」
「だから言ったでしょうが美佳。あんたらは『発症』してないし思考も正常だ。感染症でいうなら単なる保菌者なんだよ」
「保菌者……?」
嘘だ。だって姉さんは、中隊の子達が皆やけに幼いって言ってたじゃないか。それを『精神の変化』と言わずしてなんというのか。
「少なくとも今は、って但し書きはつくけどね。残念ながら身体の変化は数値化出来ても精神の変化は数値化出来ない」
「……じゃあ、姉さんにとっては、私たちは『処分対象』になりかねないというわけですか? 私も、福ちゃんも」
「それ、答えなきゃダメ?」
「私にとっては、大事な質問です」
そう言えば、姉さんは答えざるを得なくなる。
「ええ、そうよ。そもそも『リスト入り』した人間の処分や射殺についての責任を明確にしたのが特例法案な訳で、それを利用している以上はそれに従わなきゃいけない。私は公人だからね」
「やっぱり、そうなんですね」
私がそう漏らせば、姉さんは顔を歪めて見せた。
「美佳、そんなこと言ったってしょうがないじゃない? 私としては、一応人助けのつもりなのよ? 月刀の家だってアンタを助けることは出来なかった。本当なら、今頃アンタは……」
「分かってます。分かってるんです」
自分が意地悪な質問をしていることも、それが姉さんを苦しめていることも。誰も好きでやってるわけじゃないんだ。
「……話、戻すわよ? とにかく副作用である精神の変化を数値化することは出来ない。それでも、症例が集まれば傾向は掴めるというもの。
――――深海棲艦って知ってるか?