THE LAST COMPANY   作:帝都造営

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極夜の檸檬作戦②

「……話、戻すわよ? とにかく副作用である精神の変化を数値化することは出来ない。それでも、症例が集まれば傾向は掴めるというもの。()()はある共通点を見つけた。なあ美佳」

 

 

 ――――深海棲艦って知ってるか?

 

 

「そ、それは……」

 

 その言葉、その問いかけ。

 なんで姉さんが知っているんだ。姉さんはその場に居合わせなかった。調書だって読んでいない。

 

「そう。これなんだよ。発症した連中はみんなそうなんだ。深海棲艦という言葉をやけに使いたがる。漢字で書くと深海に棲む(ふね)と書くわけだが……支離滅裂だよな。なんだよ深海に棲むって、それってつまり沈んでるじゃないか」

 

 そう嘆く姉さん。そう言えば、大須中尉も最後、深海棲艦って言っていなかっただろうか。あの人も二人組の言葉は聞いていた訳だし、それ以上に恐ろしいことがあったから気にも留めなかったけれど……言われてみれば、錯乱していたはずの大須中尉が同じ言葉を使うとは考えにくい。

 

「じゃあ、深海棲艦っていうのは……」

「知らないね。知らないし知りたくもない」

 

 だが、私は公人だ、軍人なんだ。姉さんはそう呟いてから、こちらを改めて見る。思わず私は身構えてしまう。

 

「だからこそ、私は事実から逃げるつもりはない。別に難しい話なんかじゃない。連中の主張をつなぎ合わせていくと、深海棲艦というのが敵対的危険生物……『やつら』のことを指しているのはほぼ間違いないと言える、なるほど海から来た化け物に付ける名前としては妥当かも知れないな。では、こんな言葉を言い始めたのは誰か? 誰だと思う?」

 

 そんなの、分かるわけがない。なんせ今日までそんな言葉聞いたことなかった……本当に、そうだろうか?

 

「まあ、美佳は知らなくて当然だと思うよ。なんせ金沢は比較的安定している場所だし、あんなのが沸く理由はなかった」

「あんなの……?」

「深海棲艦は救いだ。彼らによって世界は救われる……そんなことを(のたま)った連中のことだよ」

 

 つまり今日アンタが襲われた宗教連中。あいつらさ。

 

「そうなん、ですか?」

「そうなんだよ。連中は『リスト入り』というシステムの必要性が論じられる以前から存在した、それこそ『やつら』が現れた直後から存在した。そういう新興宗教だと思われてたんだ」

「……それが、『共通点』だったんですか?」

 

 確かに、あの人達は深海棲艦が救いだとか、神様がどうとか言っていた。私も福ちゃんも、てっきり宗教の人たちなのだろうとは思ってたけれど……まさか『リスト入り』の症状だなんて。

 

「これは推測だけどさ、『リスト』ってのはその宗教に与する連中の検挙予定者リストのことだったと思うんだよね」

 

 ほら、終末論を唱える新興宗教がテロを起こすことは三〇年前の大逆事件で証明済みだろう? 姉さんは肩を竦める。

 

「……それって、地下鉄の?」

「そうそう、それそれ。国家転覆計画なんて本気で言い放った連中のことは、皆が忘れても国家は忘れない。だから深海棲艦なんて宣う連中も、初めはそんな感じでテロを起こすんじゃないかって警戒されていたと思うんだよ」

 

 姉さんは話し続ける。険しい顔で、それでも、どこか懐かしそうな様子で。姉さんも過去に思いを馳せているのだろうか。

 

「……けれど、状況が変わった。どんどん例外が出始めた」

 

 姉さんの口調が早くなる。

 

「その宗教を知らない奴が突然深海棲艦なんて叫び始めるんだ。それが何十件、全く関係ない場所で起こる……私が初めて見たのは同期の奴でさ。暇さえあれば航空教本読んでる奴で、スマホすら持ってない真面目な奴だった、それがいきなり深海棲艦がなんとかって叫び始めてさ。それからはもう、アッという間」

 

 敗北続きだったからさ、表には出なかったけれど。そこで一旦姉さんは言葉を句切る。

 

「だから私はさ、国防大生なりに本気で考えたんだよ。『やつら』が、敵対的危険生物が、なにかおかしい電波でも飛ばして私たちを狂わせてるんじゃないかって。カルトだよな、馬鹿げてるよな。これじゃ私も宗教崩れだ」

 

 姉さんは自嘲するように笑う。きっと馬鹿にして欲しいんだ。笑って欲しいんだ。そんなことあるわけないだろって、否定して欲しいんだ。多分昔の私なら否定した。姉さんが間違えるはずないなんて言っただろう。そして姉さんは「その通り」と応える。

 

 ようやく、姉さんの言葉が、私にも分かるようになった。

 だからこそ、今は否定しなくちゃいけない。

 

「でも……カルトでも、馬鹿げた話でもなかった」

 

 姉さんは無表情に頷く。それが喜びなのか悲しみなのか。そんなことは私には分からない。知ったことではない。

 

「そうさ、私の仮説は正しかった。徹底した隔離がなされなければならない状況だった。あの時にはもう深海棲艦って言葉に侵された人々の凶行は隠せなくなってて、政府も突発性反社会的人格障害なんて名前を付けてたけど、あんな生半可な隔離じゃダメだと考えた。実はね、論文も作ったんだ。学生クオリティだけど真面目に、課題でもないのに……そんな時、私は気付いた」

 

 

 ――――自分が『リスト入り』していた事にね。

 

 

「え……?」

 

 意味が分からなかった。『リスト入り』? 姉さんが?

 

「気付かなかっただろう? でもさ美佳、私ってさ」

 

 そう言って姉さんは、()()()()()()

 

「……私ってさ、()()()()()()()()?」

「そ、れは……」

 

 どうだっただろう。姉さんが眼鏡をかけていたか?

 そんなの、だって昔から……いや、どうだっただろう。急に違うような気がしてきた。姉さんは眼鏡をかけていただろうか。どうだっただろうか。分からない。本当に分からない。なんで。

 

「分かんないでしょ? それが『リスト入り』の副作用なんだよ。第七〇一二中隊の構成員は『リスト入り』でありながら精神に異常を(きた)すことはなく、任務を遂行できているというのが中隊長である私の見解だけれど、もちろん現実は違う。私たちは常に副作用、つまり精神面で汚染されている。いや、最前線に立って『やつら』と戦い続けるのが私たちだ。汚染されているどころか、汚染を受け続けているという方が適切だな」

「で、でも……私はおかしくなんて、それに福ちゃんだって」

 

 鉄筋コンクリートで固められたはずの足下がぐらつきそうになる。自分がおかしくなったなんて思ったこともなかった。福ちゃんや大野ちゃん、伊藤ちゃん達だって、それは個性だって、そういうものなんだろうって、思おうとしてたのに。

 

「事実を拒むようでは軍人失格だな軍曹。人間の記憶は強くて脆い。どこかが抜け落ちても、すぐに隣の記憶や斜向かいの記憶、そういう記憶の連なりで補完される。それを逆手にとって、浸食は確実に進んでいく。記憶が混濁していくんだ」

「まさか。あり得ませんよ」

「おいおい軍曹。じゃあ思い出して見たまえ。今日なにをしたか? 昨日は誰と話したか? そんな簡単なことは誰だって覚えていられる。でも、思い出せなくなる、近所の優しくしてくれた人は思い出せるか? 小学校の頃の友達の名前を一人でも言えるか? 初恋のヒトは誰だ? 故郷の街で一番好きな場所は?」

「そんなの……忘れるわけない、です」

 

 覚えている。お城のキャンパスって呼ばれていた大学に連れて行ってくれた木村のお兄さん。今でも解決していない事件の犯人を捕まえようとか言って私のことをあちこち連れ回したガキ大将の奥村くん。そして私の初恋のヒト――――あれ?

 

「なあ美佳、本当に全部覚えているのか? それは全部お前の記憶なのか? 誰か知らない奴の記憶じゃないのか?」

 

「な、なにを言っているんですか姉さん。そんなの」

 

 ない。と言いたかった。筈なのに。どうしてなのか言葉が出ない。

 お城のキャンパス? 金沢大学はとうの昔に移転して、木村のお兄さんは毎日山奥まで大変だと愚痴っていたのでは?

 奥村くんはむしろ古い家にいた私を虐めるばかりで、そんな市内を駆け回ったりしたことなんてあっただろうか。そもそも、私は外遊びをするような子供じゃなかったはずだ。

 そして神田くんは私の初恋のヒトなんかじゃない。そうだったじゃないか。

 

「いえ、あり得ないです。こんなの、あり得ない」

 

 私は一歩下がる。あり得ない。だって私は覚えてる、兼六園のことだって覚えてるし、元町のパフェだって忘れていない。私の記憶の中で私は何度でも珈琲を吹き出すし、姉さんと叔父さんは側溝へと落ちていく。これは全部、私の記憶だ。

 

「よく聞きなさい、美佳」

 

 いつの間にか、私は姉さんに抱きすくめられていた。海外生まれの叔母さん譲りの、姉さんの金色を(まぶ)した茶色の髪。

 

「案ずることはないさ。ヒトの記憶は薄れるし間違える。それは普段だって同じことだ。記憶は脆いって言っただろ? 私だって歴代天皇の名前なんか覚えちゃ居られないし、元素記号だってもう忘れたよ。でも忘れていいじゃないか」

「良くないですよ、忘れたら、それってつまり汚染されるってことですよ?」

「でも、美佳は記憶の混濁に気付いた。そうだろ? だから私たちはまだ正常なんだ。ヒトの記憶は脆くて強い、そうだ強いんだよ、欠陥にさえ気付けば、すぐに元通りに直してくれる。私を見ろ、私は今日も昨日もそして明日も飯田望だ。そうだろ?」

「それは、そうかもしれませんけど!」

 

 私はもがくけれど、姉さんは離さない。離さないまま言う。

 

「忘れたいことは忘れりゃいい、忘れたくないことは忘れなきゃいい。忘却曲線ってあるだろ? 何度も繰り返せば、案外なんでも覚えられるもんなんだよ。『やつら』に記憶を書き換えられる? 精神疾患で処分される? 知ったことじゃない、私は私であるための記憶を護る。そうしなきゃ、大勢が死ぬ」

「……死ぬ? 大勢がですか?」

 

 私には意味が分からない。なんで大勢が死ぬというのか。

 

「死んじゃうんだよ。昔の友達に、国防大の同期。中隊の部下達、あいつらはもう私の中にしか生きていない。逆説的に、私の中では確かに生きてるんだ。そいつらのことを覚えていられるのは、私だけだ。だから忘れられない。『やつら』が送り込んでくる意味不明な記憶なんかに負けちゃいられない」

 

 嗚呼(ああ)、姉さんは強い。やっぱり強い。こんなになってまで、まだ戦い続けられるなんて、やっぱり強い。

 でも、そんなことをしていたら、姉さんが死んでしまう。

 

「私には無理ですよ。だから、姉さんにも無理です」

「出来るわよ、姉さんを舐めるな」

「出来ません!」

 

 私は姉さんを突き飛ばす。私は、任されたから、福ちゃんに中隊長のこと、姉さんのことを託されたから。だから、助けなきゃいけない。

 姉さんは私に教えてくれた。ここまで教えてくれたんだ。姉さんを蝕んでいたもの、姉さんを苦しめていたもの。そして……姉さんこんなになってまで護ろうとしているもの。

 それに答えなきゃ、妹失格だ。

 

「私は、姉さんのことを慕ってます。それはきっと中隊の皆も同じで、だから姉さんは、姉さんであり続けるんだと思います。ただ求められるからそうしてるだけです」

 

 そんなの、そんなので姉さんが壊れて良い訳ない。私たちは飯田望を慕っただけで、決して姉さんを慕ったわけじゃない。

 

 だけど姉さんは私の言葉を飲み込んで、嗤う。

 

「そんなこと言ってくれるのは美佳だけだね。しかし現実、中隊の管理者は姉さんが適当なんだよ。もう記憶の混濁が大分進んでいる奴も少なからずいる。そいつらの機微に気付けなきゃ、中隊全部が全滅することだってあり得るんだ」

 

「だから、それを止めて下さいって言ってるんです! なんで無理するんですか、別に私たちだけで戦わなきゃいけないわけじゃない。後ろに下がったって、逃げたっていいじゃないですか!」

 

 その言葉に、姉さんの顔が(こわ)ばる。

 

「月刀軍曹! 近衛との皇軍双撃に怖じ気づいたか?」

「逆です! 中隊長の思考放棄に呆れ返ったのです!」

「私たちは軍人だ、天皇陛下の軍隊だ。下がることは許されない、これ以上軍が下がれば、神戸は消えるんだぞ!」

「姉さん!」

 

 私は叫んでいた。もうさっきから叫んでいた気もするけれど、今一度叫んでいた。姉さんが息をつくように言葉を止め。周囲には静寂が――――違う、爆音が響く。そう言えば、掃討作戦の途中だったんだっけ。今更思い出して、情けなくなる。

 

「止めて下さい……そんな風に美化するのは……だって姉さんは、そこまでの、そこまでのヒトじゃないでしょう……?」

「そんなこと、ないさ」

「あります」

「ないよ。私は飯田家の飯田望だ。祖国に身を奉じるのが飯田家の誇りだ。私は、戦わなくてはならない」

「違います。姉さんは好きで軍隊に入ったんでしょう? 少なくとも軍隊に入る以外の選択肢があった。私みたいに軍隊に入ることを強制された訳じゃない! 姉さんのいう憲法だって、今じゃ兵役の義務は削除されてるんですよ!」

 

「じゃあなんだってんだ、美佳。私にどうしろって?」

 

「逃げて下さい。なんなら私も一緒に逃げます。福ちゃんもきっと着いてきてくれる。どうせこんな大騒ぎです。三人の兵隊がいなくなったぐらいで誰も気にしませんよ」

「敵前逃亡はおろか、その教唆か。重罪だぞ軍曹、軍法会議を通すまでもなく有罪だ」

「勝手に入らされた軍隊を勝手に抜けて、何が悪いんですか」

「悪いに決まってるだろ。軍規にもそう……」

 

 

「だから! 知ったことないんですよそんなの!」

 

 

 私は叫ぶ、私は馬鹿だから。叫ぶ以外のやり方を知らない。

 

 姉さんがここまで融通が利かないヒトだなんて思っても見なかった。信じられないくらいに頭が硬い。法律だとか憲法だとか、そういうのが好きだから冗談で言ってるんだと思ってた。でも蓋を開けてみればこれだ。姉さんは憲法や法律を盾にして、私に見せたくないなにかを護ってるだけだ。

 私は姉さんを護りたい、これまでずっと護られてばっかりだったから、今度はその分だけ守らなくちゃいけない。今の姉さんは駄目だ。それを知りながら、姉さんを放置するわけにはいかない。

 

「姉さん、いい加減に認めて下さい。姉さんは逃げられるんです。逃げて良いんですよ! なんで戦うんですか? 誰のために? 私は姉さんの同期さんのことは古田中尉しか知りませんし、東京にも行ったことがないから姉さんの友達が誰かも知りません。でも死んじゃったんでしょう? 生きてるヒトを護って下さい!」

「護ってるよ! 神戸一五〇万、ひいては帝国二億の民を!」

「そんな仕事は誰にでも代わりが効きます! 姉さんには姉さんにしか護れないものがあるんですよ!」

「それが帝国だと言っている!」

「いーえ嘘です! あり得ませんそんなの! 姉さんはそんな崇高なヒトじゃない。もっと自分勝手で理屈屋ぶった激情家で、それで皆を大切に出来る素敵なヒトです!」

「お褒めにあずかり光栄ですがね軍曹ッ! だからこそ私は、ここで戦い続けるんだ!」

「何でですか! 姉さんの分からず屋!」

「私ほど分かりやすい人間が他にいるものかッ!」

「分かりやすいですよ! だから逃げてって言ってるんです!」

「じゃあ逃げない理由を教えてやるッ! それはな――――!」

 

 そう言って姉さんは、拳銃を取り出して。

 

 

「姉さ――――!」

 

 再びこめかみに当て発砲。闇夜の高架道路に発砲炎(マズルフラツシユ)が瞬く。

 

 そして後には、()()()()()()()()()

 

「な、なんで」

「私はね……………………逃げられないんだよ」

 

 それだけ言って、姉さんは銃を取り落とす。さっきまでの熱を全部吐き出すみたいに、腕をだらりと下げた。

 

「考えてもみてよ、なんで私が『リスト入り』になって、それが発覚したんだと思う? 『リスト入り』の徹底的な隔離を訴えていた人間が、自分がそうだと分かったらどうすると思う?」

 

「……」

 

「そうさ、私は所詮自分のことしか考えられない人間さ。だから隠すだろうさ、自分が『リスト入り』だと悟られぬように」

「じゃあ、なんで」

「……簡単な、極単純な理由さ」

 

 姉さんは続ける。拳銃を拾いながら。

 

「覚えてるかな? 一昨年あたりから、ヒト型がどんどん現れただろ、あいつらは小銃弾じゃ倒せない。二〇粍を浴びせても釘付けになる程度で倒れなくて、戦車砲でようやく倒れる。だから軍は鹵獲して、研究した。あいつらさ、水を操るんだよ」

 

「水を……?」

 

「そうだ。水を自在に操作して、密度すらも変えてみせる。水は最強の防護壁だよ。だからヒト型は傷つかない。他の化け物が簡単に傷つくのは、まあ多分操る能力が低いからなんだろう」

「じゃ、じゃあ、姉さんは……」

 

 撃たれたんですか。とまでは言えなかった。それを言ってしまったら、姉さんは誰に撃たれたのか言わなきゃいけなくなる。自分が一度死んでしまったときの話をさせることになる。

 

 だから私は、何も言わない。知って知らずか、姉さんは頷く。

 

「うん。私も驚いたけれど、私はヒト型と同じ性質を備えていた。そこでようやく、仮説が纏まり始めたんだ。『リスト入り』っていうのは、敵対的危険生物に近づくこと……という仮説がね」

「『リスト入り』が、『やつら』に近づくこと……?」

 

 それは多分。頭のどこかで感じていた疑問。可能性。心が押しつぶしていた、もみ消してきた可能性。

 

「でも、そうだとすれば辻褄は合う。『やつら』は何からの手段で情報を共有している。同じシステムが働くなら『リスト入り』した連中が口を揃えて深海棲艦なんて言葉を使うのも納得だ」

「分かりません、そんなの、分かりたくない」

 

 それじゃあ、私たちも『やつら』になってしまうと? おかしくなって、変なことを言い始めて、挙げ句の果てにはあんなおぞましい怪物になってしまうと?

 

「でも、私は平常だ」

 

 姉さんは言い切る。その自信が、今の私には妬ましい。

 

「後に視力の低下は発覚したけれど、今日まで精神に異常を来したことはない。だから私は言ったんだ。私のように『リスト入り』しながらも精神に異常を来さない人間はいるはずだと。保菌者じゃない、この汚染を完全にコントロール出来る『免疫者』が居るはずだと」

「免疫者……」

「そう、免疫があれば治療が出来る。それどころか、『やつら』の力を良いとこだけ取り込めるかもしれない」

「だから、感染者を集めた――――この中隊に」

「そういうこと」

 

 その言葉で、私の中の欠片が集まっていく。今の話だけじゃない。姉さんから聞かされた色んな話や、私が見た出来事、それが組み合わさっていく。まさか、姉さんは。

 

「でも、治療法が見つからなければ……私は化け物だ」

 

 そう言って。黙り込む姉さん。姉さんは否定して欲しいのだろうか。肯定して欲しいのだろうか。多分どちらでもなかった。多分だけど、待っていて欲しいだけ。だから私は待つ。

 

「なんというかさ……天祐だと、思ったんだよね」

「て、天祐……?」

 

 意味が分からずに返す私。姉さんは神戸の空を仰ぐ。

 

「化け物に成り果てていた私だけが生き残って、他は皆死んじまった。私は化け物だから生き残ってしまった。一方で、なんていえばいいのかな。私は化け物だから、ヒトとして死ぬ機会を与えられたんだと思ったんだよ」

「矛盾してますよ……」

「うん。知ってる、矛盾してるさ」

 

 しかし矛盾してないんだな、これが。姉さんは楽しげに言う。

 

「私の同期の大半はね、戦うことも出来ずに死んだ。戦わずして死ぬことは戦死とは言えない。残った私たちは口先では彼らも靖国にいけたと信じることにしたけれど、実際はどうなんだろうって、多分皆考えてる。私も……古田も、他の同期も」

「……」

「でもだよ美佳、戦って死ねばそれは軍人として死んだと言うことになる。名誉の戦死だ、名誉の戦死を国は重んじるから、間違いなく戦死すれば靖国にいける。桜の下で英霊達と靖国オフだ」

「ふっ……不謹慎ですよっ」

 

 不謹慎だったけれど、あまりに突拍子もなくて、私は笑ってしまう。姉さんも力なく笑った。力なくだけれど、本当に笑った。

 

「私は帝国軍人だ。日本には外人部隊なんてないから全ての軍人は日本人だ。つまるところ私は日本人で……つまり、人間」

「姉さん」

 

 姉さんは、本当に。本気で。

 

「私はまだ、化け物なんかじゃないんだ」

「姉さん」

「私が軍人であるということは、つまり私は帝国臣民で、人間なんだよ。日本人でいられるんだ。私はね、美佳」

「姉さん……!」

 

 駄目です。とでも言えば良いのだろうか。それで誰かが止まったり、誰かが救われたりするのだろうか。

 

 

 

「せめて最期は、日本人として――――」

 

 

 

 


 

 

 

「……姉さん、美佳姉さん」

「あ、福ちゃん……ごめん、聞いてなかった」

「大丈夫か?」

 

 心配そうに顔を覗き込む福ちゃん。いつの間にか一班の皆はいなくなっていて、仮設の射撃場には私と福ちゃんだけ。

 

「うん。ごめん、ちょっと考え事していた」

 

 癖というのは恐ろしいもので、手元の銃は綺麗に片付けられていた。ちょっと怖いので念のため確認。問題なく手入れが終わっているのを見ていると、福ちゃんが言ってくる。

 

「美佳姉さん、無理してるんじゃないか?」

「無理なんて……してるか」

 

 見栄を張るなんて私らしくもない。私が認めると、福ちゃんはやけに神妙にこくりと頷いた。

 

「してるぞ」

「してるね。うん」

 

 それから小さく伸び。どこかの関節が小気味よい音を立てる。やっぱり疲れが溜まってきているようだ。私が肩と腕をいろいろ動かしていると、福ちゃんがすっくと立ち上がった。

 

「よし、いこう」

「……どこへ?」

 

 そう言えば、福ちゃんは話が違うぞとずっこける。

 

「てるてる坊主、作るんだろう?」

「ああ、そうだったそうだった」

 

 結局、私たちもてるてる坊主を作ることになったのだった。別に忘れていたわけじゃないけれど、福ちゃんは信じてくれない。

 

「本当に大丈夫なのか……?」

「大丈夫だよ。ずっこける福ちゃんが見れたから元気元気」

「むぅ……それはどうなんだ」

 

 ちょっと不機嫌そうになる福ちゃんをあやしながら部屋へと戻る。途中で武器を仕舞って、代わりに素材となる布や裁縫道具を受け取る。それから私の部屋へ。

 

「姉さんは詳しいのか? こういうの」

「一応できる……っていうくらいかな? あんまり上手じゃないよ。いろいろ教えては貰ったんだけどね……」

 

 なんだかんだと、この中隊は色んなものが充実している。最前線だし、そもそも国だって滅びそうなのだから物資は欠乏していそうなものなのだけれど、それどころか溢れている有様。神戸市街に電気を供給する都合上電気が止まることもないし、戦いと訓練以外は日常そのもの。

 

「さ、作ろっか」

 

 使う布の選定、裁断、そして糸を巻いて形を作っていく。別にてるてる坊主を作ること自体は難しくない。ただ頭の大きさの塩梅で出来が大きく変わってくるので、簡単とも言えない。

 

 無言。耳に届くのは雨が屋根を、大地を叩く音だけ。いくつか持ってきた小さなボタンを縫い付けていく。手先に意識を集中させれば、自然と他のことは考えずに済む。そう言えば誰のてるてる坊主を作るのか決めていなかったことに気付く。

 福ちゃんと私のは大野ちゃんたちが作ってくれたのがあるわけで……そう思って未完成のてるてる坊主を見た時、急に飯田大尉の顔が浮かんだ。

 

「……」

 

 飯田大尉。この第七〇一二陸戦中隊の中隊長で、私の、月刀美佳の従姉妹。私の姉さん。あの夜姉さんを支えたいと、姉さんを苦しめるモノを少しでも取り除いてやるのだとのたまった私は、結局姉さんを苦しめることしか出来なかったのだと思う。

 

 姉さんを苦しめるのは、きっと私たちの存在自体。『リスト入り』という現象、実験部隊としての中隊、私たち。そして戦争に巻き込まれたこの国。きっとどれもが姉さんを苦しめるモノで、きっと姉さんが護りたいモノなのだろう。

 

 だからといって、私は諦めたくはない。私が、私たちが誰も『やつら』に侵されることがなければ、もしかすると姉さんは幸せになれるのかもしれない。けれどそれが出来ない以上、私が目指すのは次善策だ。

 

 それは私たちが、これ以上侵されないこと。

 私はどのくらい侵されているのだろう。中隊の子は、福ちゃんはどのくらい侵されているのだろう。私たちは、どれほど正気でいられるのだろう。姉さんはあのどのくらい耐えられるのだろう。

 

「……姉さん。大丈夫か?」

 

 福ちゃんが私の事をじっと見つめてくる。その手に乗ったてるてる坊主は、不思議に姉さんに似て見えた。それとも私だろうか。そう言えば、私が髪を伸ばしたきっかけは姉さんだった。姉さんのあの、茶色がかって風に乗る髪に憧れたんだ。こんなことも忘れるなんて、私は相当侵されているらしい。

 

「ダメだね。私、考えごとばっかりだ」

「いいんだ。気にしない」

 

 そう福ちゃんは首を振る。

 また迷惑、かけちゃったかな。

 

「ね、福ちゃん」

「なんだ?」

 

 『やつら』に侵されるのは、『リスト入り』の延長に待ち受ける敵対的危険生物に近づいていくという現象は、記憶の浸食から始まる。そう姉さんは言った、だったら。

 

「思い出をいっぱい作ろう。てるてる坊主にお願いして、梅雨を終わらせて、夏が来たら休暇を取って何処かに行こう」

 

 記憶をどんどん上書きすれば良い。ヒトの記憶は強くて脆い。それを最大限利用してやればいいんだ。

 

「海に行こう。美佳姉さんが行きたいって言った、海に」

「そうだね、海にも行こう。福ちゃんは何処に行きたい?」

「あたしは、美佳姉さんと一緒なら、どこでも」

「そんなこと言わないでよ。嬉しいけどさ」

 

 こうして、何時までも福ちゃんと一緒に居られたら良い。そんなことも本気で考えてしまう。私は馬鹿だから、姉さんみたいに()()()が見えている訳ではない、私は馬鹿だから、思い出をいっぱい作って、無理矢理につなぎ止めた先に希望があるって信じてしまう。そう信じることが、姉さんを支える手段だと知ってる。

 

 ――――な、知りたくなかっただろ。こんなこと。

 

 そう姉さんは嗤った。知りたくなかった、確かにそうだ。でも、それは初めから知っていたことじゃないか。私は分からないフリをしていただけで、全部知っていた。

 

 あの日、あの空が落ちてきた日。私は分からないフリを許されなくなったし、分からないフリをしてきた代償を支払うことになった。姉さんがずっと支払ってきたモノをまとめ払いしただけ。

 だから、私は本当に思うのだ。

 

「福ちゃん」

「なんだ」

「ずっと、一緒だからね」

「分かってる。ここにいるから、任せて」

 

 

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