広島市の中央を流れる太田川が、私たちの目の前に横たわっている。作戦開始から既に十分。決して時間が多いとはいえない状況だけにおいては、こうして静かに待っているだけでも焦りが生まれてくるというもの。
《第二小隊、全員配置につきました》
静かに、その声が聞こえた。飯田大尉の決断は文字通りの正面突破。鉄道橋と、その少し下流にある自動車道から太田川を渡り、陸棲型を目指す。
「その手段が銃剣で首を刎ねることだと聞いたら、昔のお偉いさんはなんでいうだろうね。一度は聞いてみたいものだ」
飯田大尉はまたそんなことを言っている。私は押し黙ったまま陸棲型の様子を見る。ここからは新幹線の高架線にまたがる陸棲型の様子がよく見えた。河の岸辺から真っ黒な『やつら』の死骸みたいな不思議な塊が続いており、あまり長く見ていると気持ち悪くなりそうだ。
「初めて見る陸棲型はどうだ? 軍曹」
「まあ……気持ちいいものでは」
そう言えば、飯田大尉は笑う。
「それは残念だな。これから奴を嫌ほど見ることになる」
そう言ってから飯田大尉は、短く突撃準備を伝えた。それから無線機へと命令を伝える。
「三小隊攻撃開始、二小隊も始めろ」
それは、決して難しい作戦というわけではなかった。陸棲型が待ち構え、あの列車を脱線させた攻撃の射線も通っている鉄道橋は道として残っているとはいえ渡河には適さない。だからそちらからは人数の足りていない第三小隊により偽装攻撃を仕掛け、太田川沿いに立ち並ぶ県営住宅に散らばった第二小隊がこれを狙撃で援護する。その間に、第一小隊が突撃。
短い射撃音が聞こえ始めた。
「始まった……」
それに呼応するように、太田川が光る。列車を脱線させた攻撃に違いない。光の後に、何かが弾けるような音が聞こえる。
「嘘だろ……なんだよこれ」
隣でタブレットを覗いていた大野ちゃんが声を出す。私が持っているタブレットには、空を飛ぶドローンから送られてくる映像。そこに映し出された県営住宅は、
「そんな」
一体どれほどのエネルギーを秘めているというのだ。建物を貫くどころか、ぐにゃりと変形させてしまうなんて。県営住宅から狙撃をするという第二小隊は無事だろうか。無意味な問いを仕掛けて、止める。これが中隊長の狙いなのだ。
「行くぞ、小隊前へ」
姉さんが銃剣の付いた八九式を振り上げる。突撃。県営住宅の影から片道三車線の大通りへと飛び出す。
片道三車線、合計六車線を数える道となれば、橋もそれだけ大きい。片道ずつ掛けられた二つの橋。片方は昔の戦闘で落ちたのだろうか。真ん中あたりで途切れている。もちろん、歩いて渡るだけなのだから特に問題があるわけではない。陸棲型が次に攻撃を行うのはいつだろうか。足が速まる。
「警戒を厳に、太田川の動きを見逃すな」
飯田大尉はそう言いながら進み続ける。第一段階の爆弾列車で陸棲型を仕留められるなど誰も思ってはいない。故にこの第二段階の渡河、そして陸棲型への直接攻撃の実施は前提。だからこそ、大きな問題が立ちはだかっていた。
それは、陸棲型以外の『やつら』。陸棲型が現れるのは完全に陥落した地域だけだ。この広島も決して例外ではない。この街には多くの『やつら』が潜んでいるはずで……私たちはいつ襲われてもおかしくはないのだ。
そして、向こうは襲うタイミングを自由に選べる。狙うならそれは私たちが最も無防備になるタイミング。
それは即ち、今。
「九時の方向ッ!」
誰かが叫ぶ。視線と銃口が一斉にそちらを向く。太田川が泡立つよりも早く幾線もの銃撃が走る。
「露見したぞッ、突撃!」
飯田大尉の号令。もはや隠す理由もない。私たちはコンクリートの橋を踏んで、走る。太田川から顔を覗かせた砲撃種に銃弾を叩き込み、必死に走る。
そして次の瞬間、目の前に影が降り立った。
「……ッ!」
それは『ヒト型』。
私たち人間と同じような姿形をした、化け物。信じられないほどに、似ていた。どこかで見たような風貌にどこかで見たような表情。誰かに似ているけれど、誰にも似ていない輪郭。
それが、太田川より飛び出して、私たちの目の前に着地したのだ。まさに私たちの行く手を塞ぐように。
橋の上にいる誰もが息を飲んだと思われた。その瞬間。
一人だけ、息を吐いた者がいた。
「一分隊一班、突撃!」
飯田大尉だ。飯田大尉は銃剣の付いた小銃を槍のように構えると、再び走りだす。『ヒト型』までの距離は短い。飯田大尉はためらいなく振りかぶると、そこでたたらを踏んだ。
『ヒト型』の動きが、止まる。ほんの一瞬、飯田大尉に釘付けになる。その一瞬が、飯田大尉の役目。
「おぉおおりゃあぁぁ!」
叫びながら飛び出したのは大野ちゃん。飯田大尉の意図を一瞬よりも早く読み解いて、素早く背の影から飛び出す。握られていたのは普段の拳銃ではなく、ナイフ。大ぶりなそれを、決して大きいとは言えない身体に託して、飛ぶ。
一閃。『ヒト型』がよろける。いや、よろけたのではない。そのまま重力に惹かれ、なんの抵抗もなくコンクリートに身を横たえる。
「やったぜ!」
喜んでみせる大野ちゃん。飯田大尉は小さく息を吐くと、それから倒れた『ヒト型』に素早く拳銃を撃ち込む。軽い音が続いて、銃弾は『ヒト型』を貫通。これが死亡確認となる。
「……」
これが、中隊の、飯田大尉の戦い方。私は『ヒト型』を見るのも、それが倒されるのを見るのも初めてだったから、言葉を失う以外にするべき事が思いつかなかった。
「ほらっ、ボサッとしてるんじゃないわよ! 次来るわよ!」
その言葉に正気を取り戻させられたのは私だけじゃなかったはずだ。慌てて銃を構え直すと、その銃口の先にまだまだ途絶えることなく現れる『やつら』。思えば大砲を備える砲撃種すらも、先ほどの『ヒト型』と比べてしまえばなんてことはないのである。『ヒト型』の脅威はその防御力だけではない。何よりも危険と言うべきは、その人間大の身体に備えた強力な武器であった。『ヒト型』は砲撃種にも負けず劣らずの砲撃を放ってくるのである。信じられない話ではあったけれど……残念ながら、事実だ。
改めて、私たちはとんでもない敵と戦っているのだと思う。三体目の砲撃種を撃ちながら思う。そういう私も『とんでもない』の仲間入りをしたのだろうか。それは分からないし、分かりたくもないことだ。少なくとも私はまだまだ研鑽が足りないと言えたし、それは射撃訓練の結果を見るだけでも明らかなこと。
でも、それに安心してしまう自分もいるのだ。
「ねーちゃん!」
大野ちゃんの声が聞こえる。照準を合わせて、引き金を引く。宙を舞っていた図体のデカいのが放物線上に落下して、そのまま滑り落ちるように太田川へと還ってゆく。第一小隊はようやく橋の三分の一を渡りきったというところ。あまりに遠く、あまりに長い旅路。『ヒト型』もここぞとばかりに表れる。私の小銃では抜けない敵。誰かに任せるしかない敵。
それが、私の目の前に表れた。
「あ」
今日、初めて目が合ったんじゃないだろうか。吸い込まれるような深い色を湛えた双眼。それは木村のお兄さんであり、奥村くんであり神田くんであり、お母さんであり叔父さんであり叔母さんであると同時にお祖父ちゃん。私が見たとこのある、私の知っているはずの眼。反射で銃を構えた私の顔が映し出される。
引き金が、急に重くなった。
「軍曹!」
誰かの叫びが聞こえる。誰の声だろう、私の知っているヒトだろうか。それとも私の知らないヒトだろうか。
分からない。
「あなたは、だれな」
「美佳姉さん!」
また声が聞こえる。今度は誰の声だろうか。いや、違う。何が誰の声だ。その声は、弱くて駄目な私を姉さんと呼んでくれる声は、一つしかない。一つしかないじゃないか。
「福ちゃん!」
刹那『ヒト型』へと福ちゃんが飛びかかる。手が届きそうなほど私の近くにいた『ヒト型』が翻って、銃剣の一閃を間髪で躱す。福ちゃんはすかさず踏み込んで更に一撃。また躱す。
そして、撃った。
「あ」
あ、あああ。あ。
「うわぁ嗚呼嗚呼ああぁぁぁ!」
世界の動きが緩慢になる。私は不思議と、成すべき事を理解していた。『ヒト型』は水を操って防御壁を作る。それは水の密度を自在に操ることで生み出されるものえ、即ち一過性のものに過ぎない。だからこそ、中隊の基本戦術は格闘線なのだ。図体の大きさだけが取り柄の下等種を銃撃で打ち抜き、『ヒト型』を初めとする厄介な連中には、水の防御壁が効かない攻撃をしてやればいい。所詮は水、突き通せない訳がないのである。
手に踊るは銃剣。それ単体でも十二分に重いそれは、格闘戦を主に置かない私にとっては八九式小銃の取り回しを悪くする要因以外の何者でもなかった。それが今役立つ。これだけ近ければ、長い小銃を振り回すよりも、ずっと早く切り刻める。
「よくも、私の、福ちゃんを!」
全身全霊を重力に任せて振り下ろす。その先は『ヒト型』。
見えない抵抗がやんわりとかかる。それは、これが防御壁なのかってくらいに軽い抵抗。
私の、福ちゃんの銃弾は、こんな軽いものに阻まれたのか。
そう思うと胸が締め付けられる。既に満たされてしまっていた胸が締め付けられて、弾けそうになる。
「よくも、よくも!」
「おい、月刀軍曹! 聞いてるのかッ! 美佳ッ!」
外野がなにか言ってるのが聞こえる。私は、私はコイツだけは刎ねないといけないんだ。福ちゃんの一撃を躱して、よりにもよって、福ちゃんを! 福ちゃんを!
「美佳ねえ、さんッ!」
五島福。私の、私の大切な福ちゃん。
「福ちゃん……?」
「いいんだ、美佳、姉さん。そいつは、もう」
福ちゃんの温もりが、私の肩にあった。福ちゃんの左手が、私を掴んでいる。福ちゃんが、そこに確かに、居た。
「ふ、ふくちゃん。よかった」
「ああ、あたしは、大丈夫。だから、いこう。いかなきゃ」
そう言われて思い出す。そうだ。ここは橋の上。陸棲型の射撃をいつ受けても文句の言えない。戦場のど真ん中。
「そうだね。いかなきゃ」
私はいつの間にか馬乗りになっていた『ヒト型』を捨て置き、立ち上がる。私が立ち上がって事で福ちゃんの左手が肩から外れて、そのまま福ちゃんが、重力に引かれた。
「え」
橋の上には、赤い絨毯が広がっていた。
「止血帯、止血帯!」
震える手で止血帯を剥がし、福ちゃんの肩へと宛がう。
「大丈夫、大丈夫だからね。福ちゃん」
「あ、ぁ。分かってる。美佳姉さん」
そう言う福ちゃんの顔は青い。真っ青だ。あの後、無我夢中で福ちゃんを対岸まで運んだ。作戦なんてどうでもいい。今はどうやったら福ちゃんを助けられるか。それだけを考える。
だけど、思いつかない。止血はした、止血もした、止血はしたけれど、喪った血を取り戻す方法はない。何リットルの血を喪えばヒトは死ぬのだっただろうか。こんなことなら保健の先生に詰め寄ってでも聞いておくべきだった。私は優等生だから、一度でも聞けばこんな大事なことは決して忘れることもなかっただろうに。
「だめ、だめだよ福ちゃん。お願い」
福ちゃんの持っている止血帯も使っている、けれども私の使い方が間違っているのだろうか。血が止まってくれない。一秒に何ミリリットル喪われるのだろう。福ちゃんが助かるには、あと何ミリリットルで済ませればいいのだろう。分からない。
それが、怖くてたまらない。
その時、ふいに声が聞こえた。標準装備の隊内無線。それに音が入ったのだ。電源を付けっぱなしにでもしていたのだろうか。
《ねぇ美佳ちゃん。聞こえる?》
その声は。
「古田中尉……! 福ちゃんが、五島一士が!」
《うん。状況は把握してるよ》
「福ちゃんが、どうすればいいんですか!」
私は必死に言葉を出すけれど、その言葉にはなんの価値もない。
一方の古田中尉の声は、その一言一句が急ぎのもの、私が今この瞬間に求めているもの。だというのに、遅く聞こえた。
《落ち着いて、美佳ちゃん》
「落ち着いて居られますかッ!」
《思い出して、昨日渡した小瓶のこと》
「小瓶……?」
何の話だと言いかけて、思い出す。そうだ。作戦開始前、古田中尉が私に渡した小瓶。
「あった。これ」
これがあれば、福ちゃんが助かるとでもいうのか。もしそうなのであれば、私は……。
《貴女がそれを望むなら、使ってご覧?》
そこで、思考が止まった。不思議なほどに柔らかい笑みを貼り付けた古田中尉の顔が、
「古田、中尉?」
《どうしたの美佳ちゃん?》
おかしい。何かがおかしい。古田中尉は何を狙っているんだろうか。それが見えなくて、ノイズが見える。だけれど福ちゃんの姿が私の視界に還ってきて、そんなことも言っていられなくなった。ダメだ、こんなことで迷っている場合じゃない。
「福ちゃん。これ、見える?」
「使うのか?」
その言葉は、妙にストンと私の中に落ちた。使う? 福ちゃんは、これが何なのか知っているのだろうか。いや、知らないはずだ。あれは古田中尉と私だけの会話のハズで、だから福ちゃんが知るわけがない。だというのに。
だというのに、私は思わず口走っていた。
「使うよ。分からないけれど、使うよ」
その言葉に、福ちゃんは頷く。息が浅くなっているのは見るまでもない。福ちゃんの息づかいが、消えてしまう。
「痛かったら、我慢してね!」
小瓶の蓋を取る。奇妙な、嗅いだこともない香りが鼻腔に突き刺さる。何十種類の油を混ぜ合わせたような、匂い。
「これ、患部につけるしか、ないよね……」
使い方は分からない。何故か聞き返しても無線機は応じない。
でも、何故か私は、その使い方を知っている気がした。
「いくよ福ちゃん! 我慢してね!」
用法・用量などは知ったことではない。私は躊躇いなく小瓶の中身を自分の手に出すと、福ちゃんの肩にこすりつけた。
絶叫。絶叫。絶叫。
私は何が出来ただろう。分からないフリ、知らないフリをしてきたばかりの私になにが出来ただろう。そんなのは辞めるって、もうしないって決めたのに。どうしてこんなことになってしまったのだろう。私は結局、見ていることしか出来ないのか。
そんなハズが。
「そんなことない!」
そうだ、そんなことあり得ない。私はとにかく、そんなことないのだと信じるしかないのだ。姉さんは多分私の事を信じてはくれないのだろう。姉さんはまだ心を閉ざしたままだ。でも福ちゃんは違う。福ちゃんは確かに私を見てくれた。私の事をお姉さんとして誓ってくれた。一緒にいるって、そう誓ってくれたのに。
「福ちゃん! 私がいるよ、私が付いてるよ! だから頑張って! お願い、頑張って!」
福ちゃんの絶叫が、うめき声に変わる。顔色が明るくなり始めている。大丈夫、何が起きているのかは分からないけれど、状況は良くなってきている。
「福ちゃん、大丈夫だからね……!」
そして福ちゃんが、口を開いた。
「くそぉッ……せいかん、れんらくせんが……」
「!」
心臓が、止まった。福ちゃんは絞り出すように訴える。
「大湊の、みんなっ、がぁ……」
だめ。
だめ、だめ。だめだめだめ、ダメ。
「福ちゃん、ダメ! ダメダメダメ! ダメだよッ!」
記憶の混濁。オオミナト? どこだそれは、なんなんだそれは。
「福ちゃん、しっかりして、福ちゃん!」
「ああっツ。ダメだ! 青函連絡船を護るんだッ。函館に行かせろッ、頼むから!」
福ちゃんが、記憶に侵されている。誰の、何の? 分からないけれど、その言葉も声も、福ちゃんのそれでは、ない。
「福ちゃん! 何を言ってるの? ここは広島だよ、函館なんかじゃない! 福ちゃん!」
「なんだ、ここは呉なのか!」
「呉じゃないよ! 広島、広島だよ!」
「とにかく、あたしを津軽海峡に連れて行ってくれ、青函連絡船が、青函連絡船を護るんだ!」
福ちゃんはなにを言っているんだろう。青函連絡船? それなら聞いたことはある。青森と函館を結んだ海底トンネル。それが出来る前に、ヒトと、貨物を運んだという連絡船。
福ちゃんを侵しているのは、その記憶か。
「福ちゃん、青函連絡船はもうないんだよ! 今は青函トンネルがあって、だから青函連絡船を護らなくてもいいんだよ」
でも、一体全体何から護るというのだろう。青函連絡船がなくなった理由の一つに、津軽海峡の荒天があったという話も聞いたことはある。いつかの台風が来た時は、何隻もの船が犠牲になったという話を聞いたことがある。修学旅行に来ていた人たちが沢山犠牲になった事件もあったという。その話だろうか。
「福ちゃん、聞いてお願い!」
必死に福ちゃんの福を掴む、悪夢に囚われて顔を歪めた福ちゃんは、呪詛のようにセイカンレンラクセンと繰り返す。どうしたら福ちゃんに声が届くのだろう。
分からないから、私は叫ぶ。届くまで、届けてやればいい。
「福ちゃん、聞いて。福ちゃん! 福ちゃんは福ちゃんだよ、他の誰でもない、五島福。意地っ張りで、射撃が上手で、私の事を好きになってくれた福ちゃん!」
「ねえ、さんッ……八戸が燃えるよ!」
「燃えてないよ! 八戸? 何の話、意味分かんないよ。それは福ちゃんの物語じゃない。福ちゃんは八戸に行ったことないでしょ? ちゃんと思い出して、福ちゃんは……!」
そこまで言って、気付く。私、福ちゃんのことを何も知らない。福ちゃんどこで生まれて、どこで育ったのか何にも知らない。本当に福ちゃんは八戸に行ったことがないのだろうか。青函連絡船というのは何の話を言っているのだろうか。福ちゃんは、一体どこまでが私の知ってる福ちゃんなんだろうか。
分からないけれど、でも。
「福ちゃん。約束したよね福ちゃん! 思い出を、楽しい思い出をいっぱい作ろうって、梅雨が明けて夏になって、思い出をいっぱい作ろうって約束したよね! 福ちゃん聞いてよ、福ちゃん」
「や、くそく……?」
「そうだよ! 約束、夏の約束! 梅雨が明けたら夏が来るよ? 夏が来たら私たち、いっぱい思い出をさ!」
「あ、あたしは……あの、夏を」
「いつの夏さ! 福ちゃん、台風じゃないよ。私たちが戦ってるのは敵対的危険生物! 台風は来ないし、青函連絡船はもう沈んだりしない! 大丈夫だから、福ちゃん! 還ってきて!」
「あ、あああ! ああぁあああ……」
痙攣。全身の筋肉が震え、福ちゃんが目を剥く。それは大須中尉の眼、姉さんの眼、私の、木村のお兄さんに奥村くん、神田くんの眼。だめ、だめだめだめ。違う、これは福ちゃんの眼。私を見てくれる、福ちゃんの瞳。それが、濁って、消えてしまおうとしている。
どうすればいいか分からなくて、その現実から目を背けたくて。
でも、逃げちゃダメだ。私はもう逃げないって、そう決めたんだ。絶対逃げない。絶対逃げない、そう決めたのに。
「福ちゃん、福ちゃん福ちゃん福ちゃん!」
私は必死に福ちゃんを抱きしめる。これで痙攣が止まってくれないだろうか。ううん、もう願ったりなんてしない。私が止めるんだ。私が、止めなくちゃいけないんだ。
全力で福ちゃんを抱きしめる。福ちゃんを必死につなぎ止めるように。福ちゃんの身体は小さくて、あったかくて、私まだ、こんな当たり前なことも知らなかった。福ちゃんのこと、何も知れていないというのに!
「お願い、福ちゃん。お姉ちゃんのところに還ってきて……!」
私の願いは通じたのだろうか。
それとも、通じなかったのだろうか。
「美佳、姉さん……」
福ちゃんの
そして確かにはっきりと、言った。
「……ごめん。美佳姉さん。五島福は、もう還れないんだ」
「え……?」
「それでも、だ」
福ちゃんは立ち上がる。
それは、私にとってどんなに残酷だったろう。
福ちゃんにとって、どんなに残酷だっただろう。
「
「ドラゴンフライ〇二―七並びに八、通信途絶」
冷房は誰がために。その問いに答えがあるとすれば、それは機械のためと答えるほかないだろう。
除湿された冷たい空間に、その報告は端的に響く。その言葉に統合幕僚本部、小河原少佐はしばらくの間、歯を食いしばったまま画面を見つめていたが、ついに口を聞いた。
「
「残り三機です。
この作戦に投入された機材自体は非常に高価なものばかりだ。一編成で億が飛ぶといっても過言でない軍用貨物列車。打ち上げ費用だけで十億を数える偵察衛星。それに加えて歩兵直掩の機能を担う
「それをこれだけ集めさせておいて……このザマか」
だからこそ、小河原は歯がみする。中隊の人員は時間が経つほどに消耗していく。既に県営住宅に展開した第二小隊は文字通り溶けた。陽動攻撃を担った第三小隊はたった今、二機の無人機と共に高出力の光学兵器に消えた。
「軍法会議ものだぞ。加藤大佐……いや、加藤
その言葉に、加藤第七〇一陸戦大隊長は笑みを深めた。
「余裕ぶっているな、小河原少佐殿」
「余裕があれば私は既に本省に帰っていますよ。どこかの馬鹿の情報漏洩がなければ、今頃祝杯を挙げていたハズなんですがね」
その言葉に、加藤は嗤う。彼女が肩を震わせ、それに合わせて拘束具が揺れる。脇に控えた兵士が恐怖に顔を引きつらせながら銃口を向けるので、小河原はそれを手で制する。
「しかし信じられません。加藤大佐、貴女は汚染を恐れたからこそ後方に居たはずなのに。何故こんなことに」
「分からないか、少佐。これが救いだからだよ。ああ、勘違いしないでくれたまえよ、この私。
「訳の分からないことをいうな。作戦情報の漏洩は『リスト入り』の十八番だと言ったな、それを始めに提唱したのは誰だ?」
貴官だったじゃないか。そう言う小河原。加藤はもう一度嗤う。
「なにも理解していないのは小河原少佐、そっちの方だ。分からないか? 我々は深海棲艦を理解しなければならないんだ。理解した上で、決して同化せずに抗わねばならない。それが我々に課された使命なんだよ」
本当に、本当になにを言っているのだろう。小河原は臍をかむ思いで加藤に背を向けた。大隊長をおかしくしたのがなんなのか、この戦争が始まる前から出世頭であったはずの彼女を『リスト入り』せしめたのは何だったのか。そして……そんな汚染の中で、中隊は、七〇一二は無事で居られるのか。
「小河原少佐!」
その迷うをかき消すように、彼を呼ぶ声。何事だと振り返った彼の目に、凶報が飛び込む。
「太田川に……我が軍の兵士が、
明日は、エピローグを投稿します。