THE LAST COMPANY   作:帝都造営

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暗闇の洞窟(トンネル)は永遠に続く②

 私を過去の記憶から引き戻したのは、何処にでもありがちな、だからこそ場違いなアナウンスだった。

 

『まもなくぅ、ええ四番線に列車参りまぁす。白線の内側まで下がって、ご注意くださあい』

 

 その言葉に続くように、シャッター音が次々聞こえる。アナウンスの言うことが本当なら、四番線、つまり私たちの目の前に列車がくるのだと言う。訳が分からない私を無視して、ホームに滑り込んでくるのは白銀の列車。何度か見たことのあるデザインのその車体には、私の知らないデザインのロゴマーク。アルファベットのMをモチーフにしたらしい円の中心には、鉄道のレールらしきマークが乗っかっている。その列車は優雅に減速を遂げると、私たちの目の前でその扉を開いてみせた。

 

『ご乗車ありがとうございます。新下関、新下関です』

 

 構内スピーカーから響くのは男の声。普段のような電子アナウンスではない。見ればホームの端、つまり列車の最後部で車掌と思われる男がマイクを取っていた。

 

『新下関行きぼう六〇八号、終点の新下関駅でございます。途中、一年六ヶ月と五七〇分の遅れが生じましたこと、お詫び申し上げます。それでは皆さん、お気を付けて』

 

 そして、その口から飛び出すのは奇妙な呪文だった。

 

「一年六ヶ月と五七〇分の遅れ? なんだそれ」

 

 訳が分からないと言わんばかりの大野ちゃん。私も全く同意見だし、だから私が答えを知っているかのように視線を向けられても困るだけ。とんちんかんなことを言っている筈なのに、ホームに並んだ軍人も文民も誰も疑問には思っていないようだし、その一年六ヶ月と五七〇分遅れという新幹線からは当たり前のようにヒトが降りてきてホーム場の様々な格好の人達と抱擁を交わしている。もはや何が何だか分からない。

 

「昭和四〇年の時と同じよ」

 

 私の問いへの答えは、予想外にも隣から、つまり礼装に身を包んだ軍人の列からもたらされた。それは丸みを帯びた軍帽を被っていて、女性の将校だと言うことは一目で分かる。

 

「なに? 女性の将校が珍しいとでも? 貴官(あなた)もそうじゃない」

「あ、いえ……そうではなくて。昭和四〇年ってなんですか?」

 

 祝うように銃声が鳴り響き、軍楽隊が勇ましい音楽を奏でる。様々な騒音で満たされた新下関駅の京釜新幹線ホームでは、私たち二人の小声は誰にも聞き取られることはないだろう。

 

「新大阪発東京行、こだま一一四号……昭和四〇(1970)年、帝都テロで機能不全になった東京駅の復旧作業が終わって、その復活を祝う式典で一番始めにホームに入ってきた新幹線の車両よ」

 

 帝都テロ。共産主義者による帝都を標的にした攻撃は幾度となくあったが、昭和三三(1963)年に起こった同時多発テロはまさに事変と呼ぶに相応しい戦争(テロ)だったという。共産主義者は地下鉄と東京駅を爆破して、皇居を取り囲むような即席の掘を作った。鉄道の結節点を次々爆破され身動きの取り無くなった陸軍。空軍機を撃ち落とすほどの重武装をした実行犯達によって東京は地獄を見たのだ。歴史の教科書でも大々的に扱われている昭和史最悪の事変。

 

あの列車(こだま114)は、七年と四七〇分の遅延で東京駅に辿り着いた。それをもって、国はあの帝都の惨状を脱却したと宣言したのよ」

 

 つまり、この式典も同じものだというのだ。博多湾への襲撃で運行中止になった新幹線七〇〇系。釜山駅で揺れる赤信号を見つめながら、青に変わる瞬間を待ち望み続けた列車が、ついに本土の土を踏む。それは確かに、喜ばしいことなのかもしれない。

 

 でも、それは『やつら』への勝利宣言にはならないだろう。なにせこの国はまだ下関しか奪還していない。確かに関門海峡を取り返せば瀬戸内海の奪還には近づいているだろう。だけれどそれには、あの広大な海に散らばってしまった『やつら』を全て倒すという、途方もない掃海作業が必要だ。その掃海作業だって、果たしてどれだけの犠牲を払えば達成できるのか分からない。

 それで私たちは、勝ったと言えるのだろうか。

 

 いやそもそも、どうやって勝ったのだろう。私が気付いた時には下関奪還の号外が街の空を舞っていた。そんな大規模な作戦が行われたなんて聞いていないし、姉さんならきっというだろう、あんな貧弱な山陰本線で大部隊を輸送するのは無理だって。

 手段の見えない勝利に、実体の見えない勝利宣言。とにかく何もかもが霞んで見えて、私は目の前で抱擁し合う人達の喜びを分かち合えないでいた。

 

「どうやら、考えていることは同じみたいね」

 

 その言葉は、さっきの女性将校のもの。私をみて微笑む彼女は私に手を差し出してくる。私がその意味に戸惑うと、一言。

 

「あら。馴れ合う気がないのはいいことね。小さな少尉(バケモノ)さん?」

 

 その言葉に、背後で動く気配。私はそれを片手で止めて、返す。

 

「どなたかは存じ上げませんが、どうか言葉にはお気を付け下さい。私はともかく、部下は待ってくれませんよ」

 

 それは少なからずの脅し。陸軍の人間は私たちを恐れている。私が身につけた処世術は従順であっても牙は隠さずというもの。

 

「あら怖い。流石は広島の英雄サマってところかしら?」

 

 仲良くやれそうね。そう言いながらあくまで手を差し出してくる彼女は、どうやら私たちの監視役らしかった。

 

 

 

 


 

 

 

 

「改めて自己紹介といきましょう?」

 

 そんなことを彼女が言ったのは、窓の外が真っ暗になった時。

 あの空虚な式典の後、私たちを待っていたのは下関の陸軍司令部に出頭して、これまでの任務で使っていた装備やなにやらを返還したりまた受け取ったり、とにかくそんな事務作業であった。それが終わると、式典で手を差し出してきた将校さんが正式に私たちの上官として着任することとなったのだ。

 

「私は長谷川(はせがわ)(りん)、階級は陸軍大尉よ」

 

 長谷川と名乗ったこの女性将校は、半島を守る陸軍第六軍の所属だという。司令部の直属だったところを、急に私たちの監視に回されたとのこと。それは姉さんの()()()()で言うところの、左遷というヤツなのだろう。そのお陰か私に対する物言いもどこかつっけんどんで、なんというか、近寄りがたい印象を与える。

 そして正直な所、初対面で化け物呼ばわりしてくるこの人の印象は、悪い。とはいえ話を振られてしまえば無視は出来ない訳で。

 

「月刀美佳少尉です。近衛師団司令部付、特務機動小隊長」

 

 私の口から語られるのは私の階級。そして特務機動小隊とかいうよく分からない部隊名。構成員は私を含めてたったの四人で、与えられる任務(しごと)はこの前の第四敷香丸護衛のようなものばかり。

 私たちは近衛師団にとっては便利屋のような存在なのだ。正規の作戦には組み込めないが、()()()程度なら難なくこなす部隊。もっとも南はスマトラ島から北はアリューシャンまで駆けずり回る近衛師団は天皇直率(とうすいけん)を利用した国家の便利屋な訳だから、近衛師団らしい仕事といえば看板通りの仕事なのかもしれない。

 

 そして私たちの仕事の指揮を執り、ついでに暴走しないよう監視するというのが、目の前の長谷川大尉の任務(しごと)なのであった。

 

「じゃあ今回の任務についての説明ね。今回は近衛師団、第六方面憲兵司令部、そしてついでに満州国防軍との合同作戦よ」

「満州国防軍……?」

 

 別に知らないわけではない。満州国は日本の北に存在する大陸国家で、五族協和を掲げる多民族国家。北部にソビエト・ロシアとの国境線を抱えることから、建国以来国防軍と日本軍の関係は密接だ。それこそ『やつら』との戦いが始まる前は、海外に派遣されている殆どの日本軍は満州に居たぐらいである。

 そのぐらいは知っている前提なのだろう。長谷川大尉は鞄から地図を取り出す。それは沿海州と呼ばれる、日本海沿いの地域。確か世界革命戦争で満州国がソビエトから割譲された地域。

 

「沿海州全域で、複数の『リスト入り』絡みと思われる事件が発生した。一部じゃ町役場が占拠されたなんて話も上がっているぐらいで、現地警察に対応出来るレベルを超えているそうよ」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 私は大きな声を出してしまって、それから慌てて声を顰める。

 幸いにも、と言うべきか。NR(にほん)南満州鉄道(まんしゆう)が共同運行する超特急(しんかんせん)スーパーあじあ二号哈爾浜(ハルビン)行の車内はがらんとしている。それこそ私たちの乗る九号車は他には誰も居なくて、そんな車内の真ん中で私たちは向かい合って座っていた。誰も居ないことを知っているのだろう。長谷川大尉は躊躇う様子もなく話を続ける。

 

「もちろん、このことはまだ伏せられているわ。日本は関門海峡奪還の話で持ちきりだし、満州だってソビエトの方に気を取られてばかりで沿海州なんて片田舎のことは誰も気にしちゃいない」

 

 だからこそ、私たちは自由に動けるわけ。その長谷川大尉の言葉を、私は黙って聞いていた。通路の向こう側に座った福ちゃん達も私たちの会話をじっと聞いている。対馬海峡トンネルに入ってしまったせいで外は真っ暗。ここを抜けるには三〇分くらい掛かるから、それまでここは沈黙と私たちが支配する空間だ。

 

「まさかとは思いますが、私たちの任務はその()()ですか」

 

 思い浮かばれるのは神戸の六甲アイランド。何百の近衛兵が、疎開のための事務手続きを待っていた人達を惨殺して、それから陸軍の砲撃と空軍の爆撃で炎に焼かれたあの事件。

 

「いいえ。()()よ少尉。満州政府は穏便な解決より脅威の即時排除を望んでいる。当然ね、沿海州の片田舎を連中(やつら)の橋頭堡にされちゃ、王道楽土が穢されることになるもの」

「殲滅……」

 

 その言葉の持つ意味は重い。つまり私たちは現地に乗り込んだら、交渉することもなく『リスト入り』したと()()()()人達に銃を向けると言うこと。それもロクな確認もせずに、である。

 

 数年前であれば誰も許さなかったであろう人権侵害、それはもはや世界中でのスタンダードになってしまっているらしかった。

 

「なによ。不満そうな顔ね?」

「当然です……ヒトを撃つんですよ?」

 

 私の抗議に、長谷川大尉はどこ吹く風。

 

「ヒトと言うけれど、その定義はなに? 日本の軍人が他国の国民を撃ってはいけないという倫理観(はなし)なら、満州国政府が国家緊急権で『リスト入り』の人権を停止すれば済む話よね?」

 

 長谷川大尉には通じないのかも知れない。きっと長谷川大尉は自分から望んで軍隊に入ったのだろう。だから割り切れるのかもしれない。それが任務(しごと)だって割り切ってヒトを殺せるのかもしれない。けれど私は違う。『リスト入り』にされて、人権と呼べるようなものを停止されて『処分』されるしかなかった私が、生き残る唯一の道が軍隊(ここ)なのだ。

 

 だからこそ、少しでも人間(ひと)らしくいたい。美味しいモノを食べて、楽しいことをして、そんな想い出(キモチ)を喪いたくはない。

 

 それは私たちが本当の化け物にならないための、唯一の手段。

 

「まあ、その心意気は買うわよ。軍人に求められるのは遵法精神だもの。ただね、海軍が消えて空軍が自国の空に核をばら撒くようなこの時代に、果たして倫理と呼べるようなものが……」

 

 その先に続くはずだった長谷川大尉の台詞は、室内照明と共に途絶えてしまう。私たちは突然、暗闇に叩き落とされた。

 

「え……停電?」

 

 頭に浮かんだ可能性は事故。だけれど椅子から伝わってくる振動は、何の問題もなく列車が進んでいることを伝えてくる。

 窓の外は対馬海峡トンネル。等間隔に設置された蛍光灯の連なりは白いリレーとなって私たちを仄暗く照らしてくれる。

 

「小隊長」

「ダメ福ちゃん、動かないで!」

 

 通路を跨いで私の方に来ようとした福ちゃんを、私は咄嗟に止める。なんで私は福ちゃんを止めたのだろう。不可解な自分の言動を疑った時、それが「勘」であったことが証明されてしまう。

 それは小さな。そう、膨らませた風船が空気を吐き出すような音。ところがその音は音速よりも早く飛んできて、福ちゃんの腕ぶつかって、弾けた。その後に続く風切り音。

 

「ッ!」

 

 ()()だ。そんな馬鹿な。何処から、誰が。今のは消音器かそれともボウガンのような無音武器か。一瞬のうちに情報で溢れかえった私の脳内は、目の前で繰り広げられる信じられない光景に全ての思考を中断させられる。

 

「何してるんですかッ!」

 

 長谷川大尉がおもむろに立ち上がって、天井に張り付いている収納スペースに手を伸ばしたのだ。もちろん無事で済むはずがない。キャリーケースが重量と長谷川大尉の腕に支えられてゆっくり降り始めたとき、私の身体に鮮血が降りかかる。

 

「大尉!」

 

 撃たれたのだ。世界がスローモーションになって、長谷川大尉が体勢を崩す。何処を撃たれたのかは暗闇に紛れて定かではないけれど、口に飛び込んできた血の味は本物だった。

 

「……福ちゃん、みんな無事?」

 

 通路の向こう、車両を一直線に貫く射線に分断された向こうの三人に声をかける。福ちゃんは大丈夫だろう。こう言うのは憚られるけれど、海防艦はヒトよりずっと頑丈だ。

 

「美佳姉さん、私は大丈夫だ!」

 

 嗚呼、大丈夫じゃないな。私の冷静な部分が瞬時に判断してしまう。福ちゃんは余裕がなくなると私を()()()と呼ぶ。普段なら弄り倒してあげるのだけれど、そんな余裕は無いわけで。

 

「でも小隊長、武器なんてありませんよ」

 

 相手に丸腰であることを気取られないためだろう。伊藤ちゃんが辛うじて聞き取れる声量で言ってくる。その通り、私たちは武器を持っていない。そんな危険なモノは司令部に返してしまったし、この後の作戦に使う武器は向こうで受領する予定だ。

 こちらの反撃が無いことをどう思っているのだろう。向こうから近づいてくる気配がする。それは明らかな殺気。

 

 一体何の理由があるのだろう。『リスト入り』? それとも共産主義者や分離主義者? 候補はどれも曖昧で、全くもって見当が付かない。そして何より重要なのは、私たちが袋の鼠であるという事実。気配は前と後の両方から漂ってくるのだ。

 

「ああ畜生、痛ったいわねぇ……」

 

 私の袋小路にハマった思考は、その一言で現実に引き戻される。

 

「長谷川大尉、大丈夫ですか?」

 

 徐々に暗闇になれ始めた視界の中で、長谷川大尉は笑って見せた。その表情は苦痛に歪んではいたけれど、闘志は健在。

 

「大丈夫な訳ないでしょ。私は()()()のために右腕を払った(ペイした)わ。その分アンタら化け物にも働いて貰うわよ」

 

 そう言いながら指し示すのは先ほど落ちてきたキャリーケース。

 まさかと思って開いてみれば、そこには小銃の姿。

 

「清洲工業謹製の昭和三八年式国民銃(サンパチ・カービン)、M38」

 

 この際、古めかしい小銃の出所が何処かなんてどうでもいい。私はそれを引っ掴むと、通路の向こうに滑らせた。

 

「ライセンス品だから基本はM1と同じよ、撃てるわね!」

 

 長谷川大尉が口を挟む。『やつら』と戦い続けた化け物小隊に、そんな問いは愚問でしかない。銃を渡された大野ちゃんは素早く装弾、安全装置を外して射撃体勢を整えてしまう。

 

「小隊長、射撃許可を!」

 

 真面目な伊藤ちゃんの声が、暗闇に沈んだ車内に響く。

 

「許可します! 撃って!」

 

 暗闇に走る一閃。M38は民間向けライフルとはいえ立派な銃火器だ。車内に響いた破裂音は間違いなく本物で、迫り来る殺意を牽制するには十分すぎた。暗闇の向こうに潜む殺意の群れが、ただでさえ狭い車内に散らばって射撃体勢を整えるのが見える。

 

 再び気の抜けた破裂音。それが私たちの頭の上で弾けて、座席のカバーが糸屑に戻って宙に舞う。

 

「車内で撃つなんて、どうかしてますよ」

 

 思わず頭を庇った私に、止血帯片手に悪態を吐く長谷川大尉。

 

「天下の皇軍に喧嘩を売るぐらいだし、実際どうかしてるんでしょ……ただ、侮れないわよ。連中、交互に前後から撃ってきてる。連携がきっちりしてなくちゃ出来ないわ」

 

 長谷川大尉の指摘はその通り、車両の前後から敵が来るのは私たちを逃がさないためだろうけれど、直線状の車両で前後から挟み込むのは同士討ちのリスクが高い方法でもある。

 そしてリスクを取った分効果(リターン)も大きいというもの。大野ちゃんが前に撃てば後ろから、後ろに撃てば前からと言った具合で撃たれてしまってはどうしようもない。

 

「だったら、銃を使わなきゃいいだけのことよ」

 

 そう言いながら長谷川大尉はケースに手を伸ばす。取り出されたのは丸いモノが二つ。それは掌サイズの殺意――――手榴弾。

 

「じょッ、冗談ですよね!?」

 

 こんなモノを密室、それもトンネルの中を走る新幹線の中で使ったなら、私たちもタダで済むはずが無い。血の気を引かせた私に、逆に顔を真っ赤にして笑う長谷川大尉。

 

御召し列車(てんのうへいか)もお使いになるのが八・九・十号車の一等(グリーン)車よ? 手榴弾(これしき)如きで壊れるわけないじゃない!」

 

 ピンを抜くのは一瞬。投げるのも一瞬。

 M38を撃っていた大野ちゃんも頭を下げる。全員で耳に手を当て、衝撃を逃がすために口を開ける。刹那気圧がぐっと上がって、頭が痛くなる。わずかに遅れてぱらぱらと落ちてくる塵。

 

「これでどうッ?」

 

 長谷川大尉が立ち上がって、拳銃弾を叩き込む。右腕の負傷など気にする様子もなく、手榴弾でおかしな方向に曲がった座席の群れの中を後退する影に向かって銃を撃つ。

 ところが次の瞬間、床を転がる金属音。

 

向こうも投げてきた(グレネード)!」

 

 この狭い車内。私たちが座る(たてこもる)座席の間ぴったりに転がってきたその影。もしも一度炸薬が弾けて、事前に入れられた切り込み通りに外郭が散らばって飛び出せば、それは十二分な運動エネルギーをもって私たちを引き千切ることだろう。

 そして次の瞬間、飛び出す影。それは私の見知った顔を持っていて、見知った胴体(からだ)が着いている。

 

「福ちゃん!」

 

 私の止める声も聞かずに、福ちゃんが手榴弾へと覆い被さる。蹴飛ばすのでは間に合わないと判断したのだろう。自身が防弾蓋となって破片を防ぐつもりなのだ。

 

「福ちゃん、ダメ!」

 

 私の言葉は、放たれただろうか。喉から出ることを許されただろうか。それでも福ちゃんはいつか見たことのある眼で私を視ていた。あの眼を見たのはそうだ、あの時だ。

 

 

 

 

 

「スゴいな。私よりも堅いぞ」

 

 こりゃ二〇(ミリ)弾にも耐えるかも知れない。そう姉さんが感嘆の声を漏らしたのは、あの広島の戦いが終わった直後。

 あの戦いの後、私から事情を聞いた姉さんが一番にしたことは、武士の『斬り捨て御免』の如く拳銃弾を撃ち込むことだった。

 

「今の見たか、美佳。五島一士に拳銃弾は()()()()()()()ぞ」

 

 興奮気味に言う姉さんによれば、福ちゃんに放たれた拳銃弾は福ちゃんに当たる寸前、皮膚にぶつかる前に()()()()()のだという。『やつら』の上位個体が水を操り、それで一種の防壁(シールド)のようなものを形成することは聞いていたけれど、それを間近に見るのは初めてのこと。それでも私の中に先に浮かんだのは、姉さんのような驚きでも興奮でもなかった。

 

「なにを、してるんですか!」

 

 それはきっと、怒りだったのだ。私は怒らないようにずっとしてきた。だって怒らないこと、淑女たることが私に求められた全てだったから。だけれどそれが消えてしまった今、私は怒ることを厭わなくなっていたのだと思う。

 

「いきなり撃って、もし福ちゃんに何かあったら……!」

「ほう、私の時に怒らなかった軍曹が今は怒るのか」

 

 私の叫びに、姉さんはせせら笑うだけ。言葉に詰まった私が返すのは、辛うじての理論武装が施された屁理屈。

 

「五島一士は……私の守るべき部下です」

「百点満点の回答だな。では海軍大尉の私から返す言葉はこれだけだ……『知ったことか。捨て置け』」

「本気で、言っているんですか?」

 

 福ちゃんは、苦しんでいた。片腕をもぎ取られ、真っ赤な血の海に沈んでしまって。それでも必至に、私を守ろうとしてくれていた。そんな福ちゃんを捨て置くことが私に出来るだろうか。

 

「美佳、お前はあの小瓶を使ったんだろう? その意味を考えたことはあったか? あの小瓶がなんなのか、知っていたのか?」

 

 それは、古田中尉――姉さんの同期であの中隊の副隊長――から渡された小瓶だった。貴女がそれを望むならと中尉は言った。

 

「小瓶の中身は、知りませんでした。ですが私は選びました」

 

 だけれどあの時。少なくともあの時は、血の海に沈みかけた福ちゃんを助ける術は他には存在しなかった。

 だから私は、自分で選んだんだ。その結果降りかかる結末は、私が選んだモノ。私が福ちゃんに強いてしまったモノ。

 

「それなら軍曹、貴官は許容しなければならないな」

 

 そう言いながら姉さんは立て掛けてある小銃を手に取る。

 

「時に()()()()()よ。貴艦は小銃(ライフル)弾は受け止められるか? それも()()とはひと味違う、貫通特化の被覆鋼弾(フルメタルジヤケツト)をだ」

 

 その言葉を放たれた福ちゃんは、暫く考え込んでから言った。

 

「……出来ると、思う。多分」

「よろしい」

 

 その一言で小銃を構える姉さん。私は慌てて二人の間に立った。

 

「何言ってるんですか! もしも耐えられなかったらどうするつもりです? ここにはロクな医療設備もないんですよ!」

「本人が耐えられると言っているんだ。それに、福江がいつまで()()を保ってるかだって怪しいものだからな。試せるモノは早いうちに試しておきたいんだよ。そこを退け、軍曹」

 

 姉さんがそんなことを言う。人一倍中隊の構成員を大事にしていた姉さん、中隊のお母さんみたいだった姉さんが。

 

「止めてください、そんなこと。福ちゃんは福ちゃんです」

「お前の言う『福ちゃん』は五島一士のことだろう?」

 

 図星だった。私は五島福を福ちゃんと呼んでいる。なのに福ちゃんは自分が福江だと言って憚らない。それでも振り返った先には、確かに私の知っている福ちゃんがいるのだ。

 

「違いますッ……ねえ福ちゃん、福ちゃんも耐えられるとかそんなこと言わないでよ。小銃だよ? 貫通したら血がいっぱい出て、もしかしたら死んじゃうかも知れないんだよ?」

 

 それなのに福ちゃんは、首を振る。

 

「美佳姉さん、違うんだ。もう五島福は居ないんだよ」

「そんな訳ない。いるよ、ここに。私の目の前に」

 

 彼女の眼は色んな感情に満ちていて、それは私が知っている福ちゃんで。だから五島福がいないなんてあり得なくて。

 

 

「いないんだよ。姉さん……ごめん。もう私には、姉さんを守ることしか出来ないんだ」

 

 

 お願い、そんな眼をしないで。その台詞を口に転がす資格は、私にはもう無くなってしまって久しかった。

 

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