THE LAST COMPANY   作:帝都造営

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神を産むのがヒトならば②

 下関が奪還されても、船団が関門海峡を通ることはない。

 

 関門海峡は山口県と福岡県の境、つまり本州と九州の境界線。下関を奪還しても対岸の九州の安全は確保されていない。もちろん海峡近辺に限って言えば陸軍部隊が橋やトンネルを確保してはいるけれど、海峡の両岸が完全に安全だとされるにはまだもう少しの時間がかかるらしい。そして海峡を抜けたところで、まだ瀬戸内海にも『やつら』が蔓延っているという情勢。仁川を出発した船団は、対馬沖を通過して日本海へと航路を取っていた。

 

「しょ、小隊長……本当にやるんですか?」

「やる」

「み、美佳姉さん。私からも、止めた方がいいと進言するぞ」

「うん。むしろ姉さんって呼んでくれる福ちゃんのためにやる」

 

 私の周りに並ぶのは反対の声。とはいえ私の意思は強いのだから、誰が止めようと止めるつもりはない。

 

「もしダメでも救命胴衣があるから。問題ないでしょ」

「いや、そういう問題じゃ……」

 

 まだ何か言いたげな福ちゃんも、私が無言で手を差し出せば承服するしかないだろう。本当にやるのかと眼で問いながら、私を()()()へと誘う。そう、ここは船団の先頭。船団護衛の指揮を務める海上保安庁のヘリ搭載型大型巡視船。もう少し正確にいうならその巡視船の後ろに繋がれた小型のボート。

 

「分かった。美佳姉さんの好きにするといい。じゃあ説明するぞ。いいか、足で踏むって思っちゃダメだ。踏もうとすると海は逃げていく。だから気にせず、普通に床があると思って踏み出す」

「こ、こう?」

 

 そうして私が足を上げると、福ちゃんは首を振る。

 

「違う、普段そんなに足を上げないじゃないか」

「そ、それはそうだけれど……」

 

 とはいえ、これで普段通りにと言われても無理なモノ。今日の船団は比較的足が速い船が集まったとのことで一五(ノツト)の速度を保つことが出来ているらしい。つまり時速三〇キロ弱の速度で航行している訳で、私みたいな人間にとっては十二分に早い。

 そんな海面に足を踏み出すとなれば、いくら自分で言い出したことであっても緊張しないはずがないのだ。

 

「よ、し……行くよ福ちゃん」

 

 大丈夫。最悪失敗してもずぶ濡れになるだけ。ずぶ濡れに……。

 

 

「へっ、くしょんッ!」

 

「だらしねーなぁ護郷隊のねーちゃん」

「うるさい……大野ちゃんだって海の上には立てないクセに」

 

 そんなことを言えば、立てるわけないですよと伊藤ちゃん。季節は夏。社会科の先生が言うには日本海を流れるのは暖流だとされる対馬海流。それでも寒いモノは寒いし冷たいモノは冷たい。

 そういえば、私は体育の授業でも、水泳の授業なんてのは大嫌いだった。中学や高校ではのらりくらりと逃げてきたような気がする。そもそも水泳の授業なんてあっただろうか。校舎にプールがなければ水泳なんて出来ないだろうし……そこまで考えて、私ははっと思考を閉じる。数ヶ月前まで高校生だった私が、高校生の頃を思い出せないなんて話があるだろうか。

 こう言うときは、考えてはいけない。多分『考える』っていうことは記憶を組み直す事なのだ。ある記憶と記憶を組み合わせて、その間の記憶を補完する。それは姉さんに言わせればヒトの記憶が強いという証拠で。でもそれはヒトの記憶が脆いということでもあると最近は思ってしまう。

 だって、記憶の組み合わせなんて何通りでもある。それなら補完される記憶だって何通りもある。勝手に記憶を()()()()ダメだ。そうしているうちに、私の知らない記憶が出来てしまう。姉さんは『リスト入り』は『やつら』に記憶を侵されて、それでおかしくなってしまうのだと言ったけれど、私たち自身も記憶を侵しているのだと、そうと思ってしまうのだ。

 

「美佳姉さん。大丈夫か?」

 

 そんな時、横から掛けられるのは福ちゃんの声。ふと見れば福ちゃんが心配そうな顔で覗き込んできていた。彼女の眼と髪の毛は海みたいな青色で。ふと、その青は日本海の碧よりも空の蒼色に似ているのかもしれないなんて考えてしまう。

 

「え、あ。うん……大丈夫だよ」

「本当か? 顔が青いぞ……」

「大丈夫だって。ちょっと海が、というか結構海が冷たくて」

 

 自分で言い出したことじゃないか、と福ちゃん。まあそれは、そうなのだけれど。ほらこれ、と差し出されたステンレスのコップには、温かなスープが揺れていた。

 

「飯田防護社、だったか? そこの園田さんがくれた」

「ああ、園田さんが。ありがとね」

「あたしは、別に何も」

 

 そう言いながらも、少し嬉しそうな福ちゃん。福ちゃんは、私と出会ったときよりもずっと素直で可愛くなってくれた。二人で初めて『やつら』と向かい合った日はまだ桜の頃。それが梅雨になって、今では夏。軍隊の最前線が進もうと下がろうと、自然の最前線は止まらない。いつか秋も過ぎ去れば、雪が降る。

 

「そういえば、さ。福ちゃん覚えてる?」

 

 だから私が口にするのは、戦争の話なんかじゃなくて季節の話。雨の降るいつかの日、私たちは確かに約束したのだ。思い出をいっぱい作ろう。こんな時代だからこそ。『リスト入り』の私たちだからこそ、大事な思い出を作ろうと。

 

「……ああ、覚えてる。忘れるもんか」

 

 そう言ってくれる福ちゃんは、やっぱり福ちゃんだ。精一杯の強がりは優しさの裏返し。ちょっと不器用で、揶揄うと可愛い。そんな福ちゃんが『五島福(にんげん)』か『海防艦福江(そうじやないか)』なんていうのは、実のところ私にはどうでも良いのかもしれない。

 

「ありがとうね。福ちゃん、覚えていてくれて」

 

 なにせ。福ちゃんは私を見失わないで居てくれる。私はもう、自分の持っているどの記憶が()()でどれが()()かなんて分からなくなってしまったけれど、だけれど福ちゃんが捉えてくれるのは本物の私。だったら、それを軸に修正すればいい。

 姉さんも言っていた。ヒトの記憶は強いと。砲撃の観測を二つ以上の場所から行うように、二人以上で視た記憶はきっと正しい。だとすれば、私は福ちゃんで、福ちゃんは私で、強い記憶を保っていけばいいのだ。

 

「だから私はね、あなたと一緒に戦いたいの」

「そんな心配するな、姉さん。私一人でも十分戦える」

「そうはいかないよ」

 

 確かに、福ちゃんは強いだろう。福ちゃんは水を操ることが出来る。水の防壁(かべ)を作って攻撃を防いだり、武器に水を纏わせることで相手の防壁(かべ)を破ることだって出来る。だけれど、相手(やつら)にだって同じ事は出来るのだ。もしも相手の方が福ちゃんよりも分厚い壁を貼ることが出来たら? もしも相手の方が福ちゃんよりも強力な攻撃を繰り出すことが出来たら?

 その時役に立つのは、きっと数の力だ。

 

「私だって、軍人なんだよ。そりゃ、軍人になんてなりたくなかった。私は姉さんに強くないし、怖い物は怖いし。でも、お母さんだって私を助けに来てくれた。お祖父ちゃん達だって私を助けようと動いてくれた。押しつけられた階級と制服だけれど、それが誰かを守るためのモノだったら、私は使いたい」

 

 綺麗事かもしれない。けれど私はもう守られるだけは嫌なのだ。誰かを守りたくて、私は手の届く部下(かぞく)を守ることに決めた。

 

「けれど、今の私じゃ。力が足りないから」

「そんなことは、ないぞ」

 

 ううん。あるんだよ福ちゃん。例えば大野ちゃん。中隊に居た頃は小銃を触らせて貰えなかった彼女は、私の所に来てからは小銃しか使っていない。私の小隊では抜群の命中率。てっきり銃を使うのが苦手だと思っていた私は驚いたものだった。

 そして、どうして中隊で大野ちゃんが小銃を使わせて貰えなかったのかを考えた時、思い出したのだ。

 

 大野ちゃんは、姉さんの直属。飯田望中隊長が直接率いる分隊に所属していた。銃弾が効かないから基本的に待ち伏せや突撃を戦術に選ぶしかなかったあの中隊で、大野ちゃんは常に姉さんの隣でナイフを振るっていた。姉さんは大野ちゃんが中隊イチの勘を持ってると言った。その勘が一番に発揮されるのが、ナイフを持ったときなんじゃないだろうか。大野ちゃんは『リスト入り』の影響で人間離れした身体能力を持っている。その瞬発力と小さな身体は、きっと近接戦闘でこそ輝くモノなのだ。

 そう考えると、どんどん辻褄が合っていく。大野ちゃんは度々姉さんの背中を叩こうとしていた。それは時に紙鉄砲だったり新聞紙を包めた刀風のモノだったり……とにかく大野ちゃんは姉さんの背中を取ることが()()()。お尻叩くわよと怒る姉さんに、えへへと笑う大野ちゃん。いつも楽しそうにしていた二人だけれど、あれも立派な戦闘訓練だったのだ。

 

 じゃあ、今の私は活かせているだろうか。姉さんから預かった中隊の生き残りを活かせているのだろうか。きっと姉さんは言うだろう。お前を守るための部下だって。だから使()()()()()のだと。

 でもその言い訳は、私が拒否する。私の部下はみんな私よりも強い、だったら私に求められるのは、そんな彼女たちを私の方法で守ることだ。姉さんにはそれが出来た。姉さんは国防大学の出身。短期卒業だと言っていたけれど、それでも体育の授業でぐらいしか軍事教練と呼べるモノを受けていない私とは大違い。だから海軍の偉い人や空軍に陸軍、そういう特殊な物理法則の働く世界で戦うことが出来るのだろう。

 

「私も、力が欲しいんだ」

 

 力が欲しい。姉さんみたいに部隊を運営する力が欲しい、もしくはお母さんみたいに政治を、国の向きを変える力が欲しい。近衛師団に入った私が何をしただろう。誰かの命令を受け取って福ちゃんに伝えて、そして誰かに決められた作戦が進行していくのを黙って見守っていただけ。それでいいと姉さんはいうだろう。そうしていてくれとお母さんは言うのだろう。

 

 だけれど、そんなの生存して(いきて)いても生きていない。

 

「力が欲しいんだよ。軍人としては姉さんに負ける。政治家としてもお母さんやお祖父ちゃんには勝てない。でも月刀美佳(わたし)は、あなたのお姉ちゃんとしては負けたくないの」

 

 多分これは、理屈としてはおかしいのだろう。私は月刀美佳で、別に五島福の姉でもなんでもない。だけれどそれは、私と姉さんにだって言えることだ。月刀美佳と飯田望。二人の血統はたった一人の祖父を介してしか繋がらない。一族の名前はもちろん、住む場所だって重ならない。けれど姉さんは、私の姉さんだった。

 

 それが『何故』なのかは。私は考えないようにしてきた。

 

 私のお母さんが金沢に来たのは政略結婚と呼ぶべきモノ。両親から昔の話を聞いたことはない。お母さんは何か困ったことがあると決まって神戸のお祖父ちゃんを頼る。その理由がなんなのかぐらいは、()()()の私でも察しはつく。昔、お母さんは月刀の家と「喧嘩」をしたらしくて神戸のお祖父ちゃんの所へ逃げてきた。私のお兄ちゃんは月刀家の跡継ぎで、金沢を離れることは出来ない。お母さんには(わたし)しかいなかった。私もそう。

 

 だから姉さんは「言われた」のかもしれない。月刀の娘さんに仲良くしてやりなさいと。姉さんは、言われたならやるだろう。

 でも。どんな理由だって良い。少なくとも私を守ってくれたのは姉さんだった。姉さんは飯田の長男家に産まれた一人娘。飯田の跡継ぎは自分だといつも言っていたあの人は、私を引っ張ってくれた。だから私は、姉さんの妹分でいいと思えた。

 そんな私が、姉さんを助けることは出来ないのかもしれない。私にとっての正解が金沢に帰ることなのはとっくの昔に分かっている。その選択肢を捨てたのだから、私にはもう突き進む義務がある。そこで福ちゃん一人も守れないんじゃ、どうしようもない。

 

「姉さん。無理するな」

 

 福ちゃんが私の手を取る。それは未発達で私より小さくて、私よりも強い手。それが不安げな彼女の眼と一緒に、私を映す。

 

「だってあたし、こんなのだぞ」

 

 そこには確かに、私が映っていた。私の顔、首そして胴体。福ちゃんの掌の上には、私の姿が映っている。それはきっと水の膜なのだろう。それが私の姿を反射している。

 

「水の上に……いや、海の上に立つようになってから、こんな風に色んなことが出来るようになってきたんだ。例えば、ほら」

 

 鏡のようになった掌の上に、福ちゃんの顔が映される。それはまるで手品のよう。驚く私に、鏡の中で福ちゃんは顔を曇らせる。

 

「ごめん。姉さんが心配すると思って、言えなかったんだ」

「いいよ。ううん、小隊長としては何で言ってくれなかったのって言いたいところだけれど。福ちゃんの気持ちは分かるよ」

 

 それが、私に言える精一杯の言葉。掌の上の私はちゃんと笑えているだろうか。福ちゃんを安心させることが出来ているだろうか。その答えは私には分からなくて、福ちゃんは私を見る。

 

「姉さん、力なんて要らないよ。五島福ならそう言うと思う」

 

 多分だけれど。そう言う福ちゃん。福ちゃんの口からその名前を聞くのは久しぶりのことだった。()()()()()はそのまま続ける。

 

「五島福は、守られる立場じゃないことは知っていた筈だ。射撃も格闘も、美佳姉さんは今でも苦手だからな」

 

 そんなことを言われたら、私は笑ってみせるしかない。

 

「今でも、は余計じゃない? そりゃまあ、福江ちゃんに比べればまだまだだけど、さ。あの頃よりはずっと強くなったよ」

 

 それは私の『リスト入り』が進行している証拠でもあるのだろう。昔よりも遠くのモノが見えたり、少し重いものが持てるようになったり。戦場に慣れたとか筋肉がついたとか、いずれそれだけでは説明ほどに私の身体は変わっていってしまうのだろう。

 

「それを怖がると思うんだ。五島福は」

「……」

 

 それは、意識的に封印してきた話題だった。私たちが過ごしていたあの中隊の構成員には二つの終わり方があったのだ。

 それは『やつら』に殺されるか、もしくは『やつら』に成り代わるか。もちろんそうだと決まったわけじゃない。だけれど中隊から()()されていくのは決まって弱い子か強い子のどちらかで。

 

「大丈夫だよ。私は『処分』されたりなんてしない」

「そう言う問題じゃない。だって、私はもう姉さんの知る五島福じゃなくなってしまった。守られる五島福じゃないんだ、私は」

「ううん。福ちゃんは前から守られるような弱い子じゃないよ」

 

 私が軽口を叩いても、福ちゃんは首を横に振るだけ。

 

「姉さん。そういう話をしてる訳じゃないんだ」

 

 うん、知ってる。福ちゃんはよく分かっている。進んで中隊の母親を演じていた姉さんのことも、私が同じ事をしようとしていることも理解しているのだろう。そしてそれが何故かも、多分理解しているのだろう。だから私は、臆面もなく言う。

 

「ううん。そういう話。だって私は、()()()()()にあなたを守ろうとしているんだもの。福ちゃんが強いか弱いかは関係ない」

 

 きっと私は、歪んでいる。私の戦いは姉さんを助ける戦いなのだろう。だとすれば私は、福ちゃんに大野ちゃん、伊藤ちゃんを巻き込んでいることになる。姉さんが『軍人として戦う(しぬ)』ために中隊の命を使ったように、私も自分の目的のために部下を使い潰そうとしている。なのに迷いはないのだ。少なくとも国のためという言い訳は出来るし、実際に私はその理屈でお母さんの手を振り払ってしまった。私は歪んでるし、それを許す世界も歪んでる。

 

 それでも。私はもう、戦いから逃げることは出来ない。だから私は立ったのだし、新幹線で差しのばされたお母さんの手を振り払ったのだ。

 そんな身勝手な私の戦い。その一環として、あなた達の小隊長(おねえちやん)でいなければならないのだ。ただそれだけなのだ。

 

「私は、そうは思わないぞ。美佳姉さん」

「ふふ。福ちゃんは優しいね。ありがと」

 

 それでも、福ちゃんは私を「美佳姉さん」と呼んでくれる。

 だったらせめて、その分くらいは応えてあげないと。私は振り返ると、先ほどからこの会話を聞いているであろう影に告げる。

 

「園田さん。私にも少しは教えてくれませんか」

「おや、気付いていらっしゃいましたか」

 

 その言葉と共に飯田防護社の園田さんが現れる。新幹線で襲われた私たちを救ってくれた民間軍事企業の担当者は、月刀少尉も勘が鋭いですねとわざとらしく眼鏡を持ち上げてみせる。

 

「どうして飯田防護社の方が船団(ここ)に?」

「弊社は運輸省より船団護衛の業務委託を受けておりますので」

 

 敵対的危険生物の排除に有効な回転翼機(ヘリコプター)を保有している会社(PMC)は、そこまで多くはありませんので。そんなことを平然と言ってのける園田さんは、私たちの乗る船の後ろにくっついてくるコンテナ船を指差してみせる。そこには飯田防護社所属の黒い機体、どう見ても完全武装の回転翼機が待機していた。

 

「そうじゃなくて、園田さんが居る理由ですよ。お母さんが心配していたからとか、そんな理由じゃないんでしょう?」

 

 私はもう良い子じゃない。何も分からないフリしてニコニコしている子供じゃないのだ。園田さんは身なりを見る限り戦うような人ではないだろう。それなら彼の仕事は、長谷川大尉と同じ。

 

「監視役が付くのは、ご不満ですか?」

「まさか。でもその理由くらいは教えてほしいものです」

 

 そう言えば、考える素振りをみせる園田さん。彼の後ろには飯田財閥(グループ)がついている。一介の陸軍軍人が問い詰めた所でのらりくらりと躱されてしまうだろう。けれど私は月刀美佳。私のお祖父ちゃんは参議院議員で、飯田防護社に顔を利かせる大株主。

 

「似合いませんよ。お母様の真似事はよされた方が……」

 

 それはきっと、私の月刀家を知っているぞと、お母さんと深く関わっているのだぞという警告でもあるのだろう。そして言葉選びを見るに、私を大いに馬鹿にしているのも分かる。

 いや、馬鹿にしてくれて大いに構わない。だって私は馬鹿にされるべき無知な女子高生で、世間知らずの名家のお嬢様。

 その認識でいてくれるのなら、それだけ尻尾を出しやすいモノ。

 

「母は、なんだかんだと厳しい方です。物心ついた頃から、あらゆる習い事をやらされました。残念なことに、この半年のご奉公でそれが役に立ったことはありませんが……世が真っ当な時代であったのであれば、それらは私を助けてくれたのでしょう」

 

 習い事を習得すること。つまり立派な嫁になること。それが私の仕事だった。月刀と飯田の家を結ぶために来たお母さんのように、私もいずれは誰かの嫁となるのだろう。その時に、身を助けてくれるモノ。それをお母さんは教えてくれていたのだ。

 

「ですが、母は私を許してくれました。私のワガママを」

 

 その言葉に、園田さんは何の言葉も返して来ない。

 

「私の為に()()()()の軍刀を用意してくれた母のことです。恐らくは、母は私が軍に残りたがると知っていたのでしょう」

 

 それは本当なら、あり得ない話だった。私は月刀美佳だ。近衛師団の少尉でもなければ『リスト入り』になった女子高生でもない。別に自惚れるつもりはないけれど、私はそういう人間だ。

 

 大事にされて、大事にされて。そういえば、姉さんはいつか私の事を「人的資源(たからもの)」だと言った。何処かの家に贈るための贈呈品(プレゼント)。それが私の存在意義であり、私の全てだったのだ。

 

「なにか理由があるはずです。母は厳しい方でした。もしも私が軍を辞めたがっていると知っていたなら、私の事を叱咤激励して、どうにか私を軍に留まらせたのではないでしょうか」

「つまり、お母様は貴女を軍務に就かせたがっていると?」

 

 疑問形の園田さん。いや、お母さんは私が軍隊に行くことを一番に反対した人だ。お母さんの()()は連れ戻したいのだろう。

 ――――本当に、そうだろうか。最後に見た母親の顔がよぎる。あの時お母さんは、確かに晴れやかな表情だった。何かを成し遂げたような、そこまではいかなくても満足したような。

 

「教えてください、園田さん。母に……月刀の家に何かがあったのでしょう? 私に刀、それも工業刀を渡すようなことが」

 

 お母さんから軍刀を渡された時、確かにお母さんは「家宝」と言う言葉を用いた。どんな時代だって、戦場(いくさば)に出るというのは一族の誇りである。その誉れを担う者として家宝の軍刀を持ち出すということは往々にしてあったものだし、軍務についている親戚が私以外にいないことを考えれば家宝(かたな)を託されるべきは私である。いくらお祖父ちゃんがお母さんのことを嫌いでも、孫娘(わたし)のことまで軽視していい訳ではない。私は大切な贈呈品(たからもの)なのだから。

 

 となれば、考えられるのは家宝ではいけないという可能性。家宝の刀は先祖代々受け継がれるという。触らせて貰ったことも刃を見せて貰ったこともないけれど、そのような刀は古びてしまっていて、もう「何かを斬る」のには耐えない物も多いと聞く。

 それを分かった上でお母さんが工業刀、実用に耐える(きることができる)刀を持ちだしてきたのであれば。それはつまり、実戦を想定している(そういうこと)

 

「園田さんのお仕事は、孫娘の私を監視する(みまもる)ことなんでしょう? 私が疑問を抱いて、ましてや自分の一族(かぞく)に対して疑心暗鬼になっている状態で戦地に送り出すのは危険極まりないことです」

「私は一介の賃金労働者(サラリーマン)ですよ。どうか苛めないで頂きたい」

「それなら、私は一介の陸軍少尉に過ぎません」

 

 別に何もかも教えて欲しい訳じゃありません。幾つかの疑問に答えて欲しいだけなんです。そう問えば、園田さんは首を振る。

 

「まったく、母子(おやこ)揃ってのじゃじゃ馬ですよ……あなた方は」

 

 そう言いながら園田さんは私たちに背を向ける。ついてこいと言っているのだろう。私が園田さんの後を追うと、彼はゆっくりと舳先の方へと歩いて行く。海上保安庁の巡視船は海上護衛任務のためなのか色々な装備が持ち込まれていて、その中を避けるように歩いて行く。そんな時に、園田さんは言った。

 

「朝潮計画、というものがあります」

 

 あさしお、朝の(しお)。潮汐活動とも呼ばれる月と太陽の引力が原因の海水面の昇降現象、その中でも特に朝方の海の動き。

 

「この国に押し寄せる『やつら』を潮にでも例えたのですか? 明けぬ夜がないように、朝にはこの国から退いてゆくと?」

 

 その言葉に、園田さんは乾いた笑い声を上げる。

 

「そんな大袈裟な話じゃありませんよ。美佳さんはご存じないかもしれませんが、海軍のフネに〈朝潮〉というのがありました」

「はあ……」

 

 私に出来ることは相槌を打つことぐらい。これが海軍士官の姉さんなら朝潮という軍艦(フネ)がどんな物なのか分かるのだろうけれど、あいにく私が知っているのは戦艦大和くらいなモノ。

 

「〈朝潮〉は、海軍の潜水艦。もう十年以上前に沈んでいます」

 

 つまり『やつら』が現れる前ということ。東西冷戦が宥和の方向に舵を切っても、結局世界から戦争は無くならなかった。社会科の先生に言わせれば、むしろ増えたとも言う。

 春潮型潜水艦七番艦の朝潮は、そんな戦乱の海に消えたのだ。

 

「ですが。その時に妙なことが起きたのです」

「妙なこと?」

 

 オウム返しに聞く私に、何も言わずに歩き続ける園田さん。

 とはいえ、朝潮計画が『やつら』とそして『リスト入り』と関わっていないはずがない。ふと脳裏に思い浮かぶのはまだ軍事教練も取り入れられていない頃の学校。進路を決めて、あとは卒業するだけになった中学校の教室で、友達と交わした言葉。

 

 ――――沖縄を襲った武装勢力(やつら)って、生物兵器らしいよ?

 

 まさかあ、なんて笑って返したあの日。沖縄を襲ったのは今では『やつら』と呼ばれる存在、何十の国を消し去った存在。

 それはまさか、この国が。

 

「あぁ、色々考えているのでしょうけれど、それは違いますよ」

 

 私の思考を読み取ったみたいに園田さんは言う。それはまるで『リスト入り』のそれのようで……いや、この情報だけを出されたなら誰だって思うはずだ。『やつら』がソビエトの、もしくはアメリカの実験生物ではないか――――そんな話は以前からまことしやかに囁かれていたし、南北アメリカ大陸が『やつら』に侵され、ソビエト連合が幾つかの争乱の末に崩壊してもなお、そのような陰謀論を口にする人間はいる。

 

 であればその真犯人が、この国であってもおかしくはない。

 だから園田さんは私がこの国を疑っていると類推したのだ。私はそう言い聞かせるけれど、それを立証する術はなくて。

 脳裏に浮かぶのは覆面の影。覆面を取った彼女が子供のように笑う。私と同じか、それ以下の幼い子供。『リスト入り』はもはや神出鬼没だ。誰が()()なのかどうかは、誰にも分からない。

 

「朝潮の喪失自体は普段の軍事作戦による損失。そこまでは普通だったのです。問題なのは、その現場から回収された物体」

 

 園田さんは何が言いたいのだろうか。私は続く言葉を待つことしか出来ない。日差しを遮っていた構造物から太陽が差し込む。私たちは巡視船の前部までやってきた。舳先の向こうには誰もいない日本海が、どこまでも広がっている。

 

「新しい生命体(いのち)です」

「え……?」

 

 いのち。生き物と言ったのか、この人は。私だって馬鹿じゃない、人が生きられないような深海にだって生物がいることは知っている。だけれど単なる深海生物であれば、()()にはならない。

 

「じゃあ、もしかしてそれが『やつら』だったんですか?」

 

 私の問いに、無言で首を振る園田さん。

 

「そうであれば、こんなことにはなっていません」

 

 それは、そうでしょうけれど。私の相槌のような言葉は、潮の香りに満ちた空の中へと溶けていく。話が全く読めない。潜水艦が沈没したことが、どうすれば朝潮()()というのに変わるのだろう。そしてそれが『やつら』に苦しめられるこの国と、私にどう関係してくるというのだろう。園田さんは一言。

 

 

 

 

「朝潮計画は、新たなる生命の創造を目的としたのです」

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